岩手県食の匠 令和7年度認定

ページ番号1093526  更新日 令和7年12月26日

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菊地明美さんの「きりせんしょ」(認定番号307 滝沢市)

きりせんしょ 写真

 滝沢市ではもち米やうるち米を使った料理が、季節の行事や冠婚葬祭、こびる(小昼)などで食べられてきた。

 うるち粉で作るきりせんしょは、桃の節句やこびる(小昼)に食べる馴染みのあるお菓子である。自分の家に伝わっているきりせんしょを、親戚や近所の人と交換し合い、食べ比べては味自慢に花を咲かせていた。

佐々木ふち子さんの「まんまもち」(認定番号308 八幡平市)

まんまもち 写真

  「まんま」とは、米を炊いたご飯のことで、まんまもちは、前日に余った残りご飯に小麦粉を混ぜて餅状にした料理である。 

 炊飯器がなかった戦前の頃は、ご飯は炉に鉄なべをかけて炊き上げ、木のおひつに入れ、冬季は木炭のこたつなどで保温していた。

 しかし、ご飯は時間が経つにつれ、段々水分が抜けて固くなり、風味も落ちるものだった。「まんまもち」は、残りご飯を残さず、おいしく食べるための工夫として作られ、主に県北地域で昔から農家のいっぷく(おやつ)や食事として食べられてきた。

 米のあまり取れない地域では、麦やあわやひえなどの雑穀が入ったご飯もまんまもちにされていた。

 残ったご飯を蒸し器で温めたのち、小麦粉を混ぜ、手でこねてもち状にし、茹で上げる方法で、味付けは、甘しょうゆ味であった。

 家庭により、残りご飯をかゆ状にしてから、小麦粉を混ぜる方法もある。

西川千賀子さんの「香茸おこわ」(認定番号309 奥州市)

香茸おこわ 写真

 衣川地域では古くから山で採取したきのこが食べられてきており、中でも香茸は得も言われぬ香りの高さと入手の困難さから貴重な茸として衣川地域でも珍重されてきた。

 収穫した香茸は乾燥して保存し、おこわにして食べられてきた。

 香茸おこわは、衣川地域のおもてなしの料理として、古くから祝い事や特別な日に振る舞われてきた。

畠山和子さんの「いもだんす」(認定番号310 田野畑村)

いもだんす 写真

 冬にじゃがいもを凍らせ、熱湯で皮をむいた後、数珠つなぎにし、流水であく抜きし、軒下で乾燥させると、長期保存可能な「凍み芋」になる。この凍み芋を粉から団子にして小豆汁に入れたものが「いもだんす」になる。

 「たのはた風土記」(靑木松太郎著、田野畑郷土史研究会、S45発行)によると、“「薯ダンス」旧十二月以降に多い諸祭祝、及び諸節句の神さま、仏さまの御供えをなしつつ、家族中で楽しみ食する”とある。

 田野畑村では、一般的な丸い形の団子を「だんご」、丸い団子の中央を親指と人差し指で押して炊けやすいようにしたものを「だんす」、平べったい形の団子を「だんち」と呼び分けている。なお、汁粉に入れる団子を広く「だんす」と呼ぶこともある。

日沢志奈子さんの「みみっこもち」(認定番号311 久慈市)

みみっこもち 写真

 昔から、各家庭で作られたおやつであり、農作業のいっぷく時にも多く食べられていた。

 「みみっこもち」とは、形が耳の形に似ていることからつけられたと言われている。

 県内では同様の料理に、「かまやき」(県北・県央)、「煮あげもち」(県南)、「ひゅうず」(沿岸北部)がある。

小野寺信子さんの「うきうきだんご」(認定番号312 野田村)

うきうきだんご 写真

 うきうきだんごは、お盆やお彼岸など親戚が集まる時や収穫の終わった庭仕舞い(秋仕舞い)のあとに、苦労をねぎらう行事食(晴れ食)として食べられた。

 煮上がるとだんごが浮いてくることから、この名がついたと言われている。もともとは神々に対する感謝や祈りの気持ちを託す供え物として作られた郷土料理である。

 県北地域は水田が少なく日常食は畑地で作られた雑穀だったが、野田村では古くから塩が作られ、塩を牛の背に載せて内陸に運び、引き換えに米が入ってきていた。このことから、主に雑穀(きび等)で作られていた「うきうきだんご」に米粉を用いることができた。

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