「いわて幸せ作戦会議(オンライン・2回目)」(令和6年1月31日)

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ページ番号1072944  更新日 令和6年3月26日

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日時
令和6年1月31日(水曜)10時30分から11時50分まで

場所
オンライン会議
〔県庁舎3階第一応接室及び各参加者の活動拠点等〕

出席者
・参加者(敬称略)
 船橋 慶延(ジオファーム八幡平)
 佐々木 美恵子(主婦)
 三浦 尚子(ura,マルテン水産(わかめ生産者/編集者))
 植山 美里(フリーランス料理人)

・県側
 達増 拓也 知事
 小野 博 政策企画部長
 岩渕 伸也 商工労働観光部長

開会

小野部長
 ただいまから、県政懇談会「いわて幸せ作戦会議オンライン」を開催いたします。皆様には御多忙のところ、御出席いただきまして誠にありがとうございます。心から感謝申し上げます。本日は、「移住先として選んだ岩手の可能性」を懇談のテーマとして、全国各地から岩手県に移住された方々で、「&iwate」に御登場いただきました皆様に、第一応接室、それから県内3か所からオンラインで、お集まりいただいております。私、本日の進行役を務めさせていただきます、県の政策企画部長の小野と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1

小野部長
 それでは開会に当たりまして、達増知事から御挨拶申し上げます。

達増知事
 県政懇談会「いわて幸せ作戦会議オンライン」に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
 県政懇談会は、岩手県内の各地域、各分野で活躍する皆さんの話を知事が直接伺いまして、県政の参考にするという企画であります。いわて幸せ作戦会議という名前にしておりますのは、2019年からスタートをしております、今の県の総合計画、いわて県民計画の基本目標に幸福という言葉が入っておりまして、「東日本大震災津波の経験に基づき、引き続き復興に取り組みながら、お互いの幸福を守り育てる希望郷いわて」という基本目標なので、この幸せ作戦会議というタイトルにしております。そして今日は、「移住先として選んだ岩手の可能性」という懇談テーマであります。折しも、都道府県間の移動、昨日政府の方から発表になりまして、昨日から今日にかけてマスコミでもどんどん報道されておりますが、東京一極集中が更に強くなっていて、人が各県から東京首都圏方面の方に、そうした大きい流れができてきているということが報道されております。それで良いのかということでありまして、駄目なんじゃないかという問題意識を私たちは持っているわけであります。そうした意味で「移住先として選んだ岩手の可能性」というテーマ、今、最も大事なテーマではないかと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

出席者紹介

小野部長
 ありがとうございます。それでは、この後の進め方につきまして、まず始めに、私の方から一人ずつ御出席の皆様のお名前を御紹介いたします。続けて1分程度簡単な自己紹介をお願いいたします。そのあと、今日のテーマに沿ってお話をいただきます。お一人ずつお話が終わった都度知事がコメントをするという形で、区切りながら進めてまいります。そして最後に自由懇談の時間も設けたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 それでは名簿順に従いまして本日御出席の皆様を御紹介いたします。1分程度で自己紹介をお願いいたします。初めに、八幡平市在住のジオファーム八幡平、船橋慶延さんです。お願いいたします。

船橋 慶延
 本日、大変貴重な機会にお招きいただき、誠にありがとうございます。ただいま御紹介いただきましたが、ジオファーム八幡平という農場をさせていただいております。法人名としましては、企業組合八幡平地熱活用プロジェクト。そしてそこが運営する農場の名称として、ジオファーム八幡平、こちらの代表の船橋慶延と申します。私は2012年に、家族4人で、そして馬も家族に含めると、6頭の馬とともに、岩手に移ってきたという経緯がございます。
 その後の活動については、また後程御紹介させていただきたいと思うのですが、本日は皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

小野部長
 ありがとうございました。続きまして、洋野町にお住まいの主婦、佐々木美恵子さんです。お願いいたします。

佐々木 美恵子
 おはようございます。佐々木美恵子と申します。私は青森県出身です。洋野町には、主人の転勤とともに移住しまして、海が近いことから40歳からサーフィンを始めました。海がとても綺麗で、波も良い洋野町でこよなくサーフィンを愛する、一主婦です。本日はよろしくお願いします。

小野部長
 ありがとうございます。次に陸前高田市にお住まいの、ura、マルテン水産の三浦尚子さんです。

三浦 尚子
 おはようございます。三浦尚子と申します。2013年の頃に学生のときに東日本大震災のボランティアに来ていたのですが、それをきっかけにして2014年に移住しました。普段はワカメと牡蠣の養殖の作業などをしています。今日、いろいろお話できることを楽しみにしていたので、少し話ベタかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

小野部長
 ありがとうございます。最後に奥州市在住のフリーランスの料理人、植山美里さんです。お願いいたします。

植山 美里
 おはようございます。植山美里と申します。私は2017年に奥州市に引っ越してきたのですが、そのときは、奥州市のお店の立ち上げの仕事をしていまして、その後、馬がいる景色の中で暮らしたいなと思って遠野に移って、そこで息子も誕生し、また奥州市に戻ってきて、今は家族3人で暮らしています。ずっと料理の仕事をしていて、今は子育てをしながら、レシピの開発だったりとか、料理にまつわる仕事をフリーランスでさせていただいています。よろしくお願いします。

小野部長
 ありがとうございました。県からは、達増知事、また、移住定住を担当しております商工労働観光部の岩渕部長が本日参加しております。どうぞよろしくお願いいたします。

懇談

写真:懇談会の様子2

<テーマ>
 移住先として選んだ岩手の可能性

小野部長
 皆様のお手元にお菓子を準備しておりますので、ぜひお召し上がりながら懇談を進めていければと考えております。
 本日お配りしております、お菓子なのですけれども、資料がお手元にあるかと思いますけれども、今日は、社会福祉法人手をつなぐあすなろ園が製造しているニックナックと株式会社佐々木製菓が製造しておりますガレットを御用意いたしました。ニックナックですが、1936年にベルギーから盛岡に移り住んだ、6人の修道女の皆さんが、祈りの傍ら作り始めたお菓子です。盛岡の人達にも古くから親しまれてきております。格子模様のワッフルのような形で、素材の小麦粉、それから卵そのものの風味が感じられる優しいお菓子でございます。また、ニックナックですが、2005年に一旦販売が終了いたしました。残念ながら、販売が終わったのですけれども、2007年に、あすなろ園の方で復刻させて、今、皆さんのお手元に届けることができているということです。またガレットについては、ニックナック同様に、修道女の皆さんが作っていた経緯があるお菓子でして、岩手県のふるさと納税の返礼品としても採用されているものでございます。懇談の途中にでも、ポコっと割っていただきながらお召し上がりいただければと思います。
 それでは続きまして岩渕部長から本日の懇談テーマについて説明をお願いいたします。

岩渕部長
 それでは私から本日の懇談テーマについて説明をさせていただきます。
 まず、本日出席の皆様には、先程から話題になっておりますが、昨年3月に発行した、主にIターンをターゲットとした、移住ビジュアルブック「&iwate」の作成、出演に御協力をいただきましたことに、この場を借りて感謝申し上げる次第でございます。おかげさまをもちまして、岩手に住む私たちが見ても、非常に素晴らしい内容となっておりまして、首都圏の移住フェアを初めとしたイベントなどで、広く配布する際、手に取っていただいた方々には、非常に好評をいただいているところでございます。本県のPRに大きく貢献いただいておりますので、改めて本当に御礼を申し上げる次第でございます。
 それでは、今回の懇談テーマについて御説明申し上げます。「&iwate」の表紙には「ふだんが、とくべつ」というフレーズがあります。岩手で生活している人たちにとっては当たり前のことが、県外から移住した方々の視点を通じると、素晴らしい価値を持った地域の魅力や宝物であることに気づかされます。こうした地元の人が気づいていない岩手の素晴らしさ、可能性を知り、地域の魅力のPRや移住先として選ばれるための方法を考えるきっかけにしていきたいと考えております。今日は皆様の移住のきっかけ、あるいは取り組んでおられることや、普段感じておられることを含め、様々なお話を伺うことができれば良いなと思っております。また、本日の話を、首都圏で広く皆様にPRしながら、移住の推進を進めていきたいと考えておりますので、本日はどうぞよろしくお願いいたします。

小野部長
 ありがとうございました。それでは早速、懇談に入らせていただきます。ここからは今岩渕部長から説明がございました本日のテーマ、「移住先として選んだ岩手の可能性」について皆様からお話をいただければと思います。何より皆様には、岩手を選んでいただいておりますので、その経緯、きっかけでありますとか、今、実際に岩手にお住まいになっての感想、これからの思いなどについて様々お話をいただければ思います。
 それでは早速ですけれども、船橋さんから5分程度でお願いいたします。

船橋 慶延
 まず一番バッターということで、お話をさせていただきたいのですけれども、まず、移住へのきっかけとしまして、悲しいことではありますが、2011年の東日本大震災がきっかけであったということは確かなことであります。当時、私は北海道の方で、競走馬の育成の仕事をさせていただいておりました。馬術競技と競走場の育成をしている牧場におりまして、もっぱら馬の仕事にずっと従事してきたという経歴を持っております。
 その中で、知り合いが、オーストラリア人なのですが、クラリーさんという、クラリー牧場という馬の牧場をされていた方と、当時西根町であった時代、私が高校生のときから知り合いでありました。というのも、高校生のときに少しオーストラリアで留学をさせていただいた経験があったことからです。クラリーさん自身も、まず移住という形でオーストラリアから日本に移住されて、そして、日本で一番びっくりされたことが、これも20年、もう25年も前の話ですけど、競走馬を終えた馬、競馬上がりが、かなり安価とか、下手したら無償で、馬術競技用に譲られたりということがあって、非常に魅力を感じて、日本に移住されたという経緯があったと聞いています。私もそのクラリーさんと懇意にしていまして、高校生のときからずっとお世話になっていたその彼が震災のときにやはり大きなダメージとかを受けられて、大変な思いをされたというところに、家族も含めて、何とかクラリーさんに、お手伝いできることがないかなということで、2012年に、妻と娘2人と、そして私が担当していた馬とか自分の馬を含めて6頭の馬たちと一緒に北海道からこちらに来たという経緯がございます。その時は、まさかこうした形で馬の堆肥を活用してマッシュルームを作らせていただくという流れになるとは到底思わず、一歩目を踏み出したところだったのですが、まず最初、岩手に来るきっかけとしてはクラリーさんですね。
 そして、その後押しをしてくれたのは、ずっと馬ということをやって、かつ競走馬を使っていましたので、岩手は近代競馬発祥の地でございます。小岩井農場さんが、イギリスから先進的に馬を入れられたりして、本当に先駆的な動きがあったからこそ、日本の近代競馬ができ上がっているという認識があったので、実際のところ、岩手に来ればもっと馬たちがいるのかなと思ったのですが、来てみると、色々な御年輩のおじいちゃんたち、おばあちゃんたちの話を聞くと、いや、うちにも馬がいたんだって過去形になってしまっていたのですよね。でも、やっぱり理解というのはありました。
 実際来てみると、震災のすぐ後ということで、馬を持たれている方も手放す、そして、乗馬に来られる方もそんなどころではない。そうした中で、馬たちはいるのですが、まず、私の移ってきたときの最初の仕事が、馬たちを減らさないといけないというミッションを与えられました。でも、今、馬たちを減らす、自分の馬達も連れてきて、家族を連れてきたつもりで来て、元々いた馬たちを減らすというのは、何とかならないかと思ってですね、そして、一番最初始めたのが、元からいた馬たちも含めて、馬の堆肥がありましたので、馬糞堆肥を農家さんに使っていただいたり、地元の商工会の方を通じて付加価値を付ける商品開発したのですね。それが本当に良い御縁をいただいて、最初、銀座ミツバチプロジェクト(注:銀座の周辺で働く有志たちが集まり、ビルの屋上でミツバチを飼う活動)という首都圏の屋上緑化で使っていただく土として使っていただきます。それが、当時ちょうど2020年東京オリンピックに向かって、屋上緑化が増えてきた中で、馬の堆肥って匂わないし、ちゃんと堆肥化すれば、植物由来性が強くて、非常に良い堆肥だと、土としても非常に良いという評価をいただいて、広まった経緯があります。
 この中で、堆肥というと、春か秋しか使っていただく機会が少ないというのがありまして、その堆肥を使った野菜づくりを色々進めていた中で、堆肥を直接的に使うのがマッシュルームということを、それこそクラリーさんに教えていただきました。オーストラリアは、国民1人当たり一番マッシュルームを食べる国なのですよ。これは、当時、国を挙げてプロモーションをされて、1人当たり年間5、6キロ食べるというような、もう向こうに行くと、バーベキューに必ずマッシュルームが出てくる。よくバーベキューする国なのですよ。そのような経緯もあって、クラリーさんから、馬の牧場は副業としてマッシュルームを昔は作っていたというきっかけをいただいて、興味を持って、インターネットで色々調べてみて、実際やってみて、今があるという流れになっています。
 そうした流れで、本当に試行錯誤で色々させていただいている中で、ちょうど馬がいて、堆肥が出てきますので、それに付加価値をしっかりつけて商品としてお届けすれば、結果的に馬たちの飼育コストにも返ってくるんじゃないか。生産するための、原材料費の、かつ原料費は結局馬たちの飼育コストなので、そうした観点で、復興ビジネスコンテスト等にも応募させていただくと、非常に良い評価をいただきまして、優秀賞とかを色々といただいてきた経緯がございます。今は特にマッシュルームですね。
 17世紀のフランスでマッシュルームの栽培方法が確立したと言われているんですよね。これはシャンピニオン・ド・パリと呼ばれているものが基なのですが、ちょうど、フランスの植物学者のジョゼフ・ピットン・トゥルヌフォールさんという方が、栽培方法を学術的にまとめた本の中に、まず、マッシュルームの作り方、原料の馬厩肥を集めてくる、馬厩肥がベースになると。当時、17世紀といえば、士官学校とか、騎兵学校がかなり整備された時代なので、そうしたところから馬の堆肥を集めてきて、マッシュルームを作るのだよという記述を学術的に残してくれたんですね。その背景を持って「伝統的な栽培方法は馬に由来するんです」という話をさせていただいていると、色々なシェフの方から「あ、そうだよね」、「そもそもそういうものだよね」という御理解をいただいて、今回、地域団体商標として「八幡平マッシュルーム」という名称を認定いただいたとともに、直近であれば料理王国という、著名な雑誌においても、生鮮食品として唯一の優秀賞をいただきました。馬がいるからこそ、馬とともに持続可能なスタイルができるんじゃないかという点を評価いただいたということでございます。
 活動できる原点というのは、このように岩手の、馬産地岩手という、昔から馬に理解があるエリアということから繋がってきているのかなと感じておりまして、非常に嬉しい、この幸せな場所でやらせていただいて、恵まれている環境でやらせていただいているなと感じているところです。

小野部長
 ありがとうございました。御家族、それから、6頭の馬と一緒に岩手に移住いただいたということで、改めてありがとうございます。
 それでは知事の方からお願いいたします。

達増知事
 今やもう超有名な八幡平マッシュルーム。岩手県内のフランス料理店やフランス料理を出すところで改まった食事をする場合、まず八幡平マッシュルームがそこに出てくると。色々な形で調理されて出てくるようになり、また東京の方のレストランでもどんどん使われているということで、料理王国優秀賞ですからね。もう非常に我が国を代表する、日本を代表するマッシュルームの生産、大変素晴らしいと思います。どのような経緯で生産が始まったのかを、今日初めてきちんと知ることができて、なるほどという感じであります。
 やはり馬が原点で、岩手は昔から馬産地として定評があり、源義経が乗っていた馬が岩手出身の馬でありますし、その後もずっと馬の生産地だったのですが、そのような中で、近代の競馬も岩手は頑張ってきたところがありますし、馬の産地とか、あるいは、農業に馬をということは、最近は減ってきてはいるわけですが、チャグチャグ馬コのお祭りのようなところに、そのまま残っていると思います。ですから、そのような風土の中で、馬の堆肥のマッシュルーム生産ということは、グッドアイディアで、軌道に乗って良かったと思います。
 また、オーストラリアのクラリーさんが、きっかけを作ってくれたということも面白いなと思います。そのような国際的な繋がりですとか、また、インターネットも駆使して色々調べながらやったということで、国際化、情報化という現在のトレンドも利用されて、岩手への移住、定住、成功されたということは本当に素晴らしいと思います。ありがとうございました。

小野部長
 ありがとうございました。それでは続きまして洋野の海を愛していただいている佐々木さんからお願いいたします。

佐々木 美恵子
 よろしくお願いします。私の移住のきっかけは、結婚でした。それで岩手に移住しまして、まず宮古市に5年住みました。その次が洋野町です。平成4年に主人の転勤でここに移住しました。移住前は洋野町について、岩手の一番端っこの小さい町だし、何があるんだろうと思っていました。でも実際に住んでみると、交通の便が良いせいもあって買い物や大きな病院への通院など町外へのアクセスもスムーズで、とても快適なところだってことが分かりました。ここは小さな地域でしたので、他から引っ越してきた私たちは、はじめ近所の人達からよそ者扱いされているのかなという感じがありました。でも、話をしたり挨拶をしているうちに、どんどん仲良くなって、やがて野菜をもらったりこちらからあげたりとかになって、まわりの皆さんは世話好きな人たちで、ますます良いところだなと思うようになりました。
 移住してすぐに子供が生まれましたが、はじめは周りに知り合いもいなくて、すごく不安だったことを覚えています。町の広報などで知って保健センターに行ってみると、気軽に対応してくれて、子どものことで何か不安なことがあったときや相談ごとがあったときは気軽に顔を出しても良いことを知りました。実際に伺ってみると、そのたびに保健師さんの方もすごく良くしてくれたこともあって、不安なく子育てをすることができました。
 私はもともと青森県出身で緑の多さや自然のことは知っているつもりでした。でも、ここには比べ物にならないほど、素晴らしい自然があります。例えば、朝、鳥の声で目覚めるんです。鳥の声が部屋の中まで聞こえてきて目覚めるんです。そして、夜は本当に静かで星が降るよう、もう本当に満天の星空です。海が近いので波の音も聞こえてきますし、野生の動物が家の庭に来ることもあります。この前は二ホンシカやカモシカも来ていました。本当に素晴らしいところだなって、本当に平和に暮らせる場所だなって思っています。
 ただ欠点があって、先ほど言ったように生活に便利な町ではありますが、車がないと急にとても不便な場所になって、ちょっとした買い物でさえままならなくなります。ですから、今後自分たちが年を取って車の運転ができなくなったときは、どのようにやっていったら良いのかななどということを考えると結構不安になりますね。
 大好きなサーフィンの話をします。主人は結婚したときからサーフィンをしていまして、ささやかながら全国的に活躍していたのですが、私はそれを見るだけ、応援するだけでした。子供が小学校中学年のころにサーフィンをさせてみようかということになり、子供と一緒に私もウエットスーツを作りました。はじめは子どもの安全を見たり子供と交代で一本のサーフボードを使ったり程度のものだったのが、やがて子どもが学校に行っている時間に板を持出してこっそり練習するようになりました。水の上に浮きながら波の力で進むことや海にいる時間が楽しくて楽しくて、どんどんはまっていきました。40歳から始めましたが今はますますサーフィンに魅了され、のめりこんでもう20年経ちました。
 例えば、普段普通に生活している自分が住んでいるところを、自分で漕ぎ出したサーフボードに座って沖から眺めてみるとまた新鮮で素晴らしい景色であることとか、海の上では、波の飛沫が風にあおられすぐ目の前に丸い円の虹ができたりすること。夕方は太陽のオレンジ色の光の道が自分のところにだけ向かって来たりすることもそうです。そんな素晴らしさ、海の上からだからこそ知る幸せな気分もサーフィンの魅力です。さっきも言いましたが、洋野町の海はすごく綺麗でボードに乗る自分の影が砂底に映ることがあるんですね。それを見ながら波の上を滑ってゆく様子とか、本当に楽しくてしょうがない、こんな感覚はサーフィンをやって初めて知ったことです。それがこの年にしてますますはまっている理由です。
 今日はこのような場に参加させてもらっていますので、あえて皆さんに言わせてもらいますと、サーフィンは本当に素晴らしいスポーツですので、絶対に一度は体験してもらいたいということです。
 今はサーフィンの町としてもPRしている洋野町ですが、主人も協力して、サーフィンの大会や体験会などを企画実施したことも大きなきっかけになっていると思います。2005年の「岩手っ子の夢ゲット大作戦」という岩手県の企画に、洋野町立中野中学校の「クラス全員23人で乗れるサーフボードに乗ってサーフィンをしたい」という希望が採用されました。その時のボード設計や、実施運営にうちの主人が大きく携わったのですが、私も一緒にサポートしまして、大成功で全国の新聞に載りました。日本一大きなボードづくりに、参加の中学生全員が携わったということもあって、子どもたちがすごく喜んで感動していた姿が印象にあります。こんなこともサーフィンの町としての印象に一役買っているかもしれません。
 今思い返してみると当時の増田知事がこの時、このボードは何かに活用できるように考えますと言ってくれたことが叶わなかったのがすこし残念です。
 でもボードはその後、震災をきっかけに神奈川県の大磯町サーフィンクラブの人たちによって活用されることになりました。洋野町の中野中学校から運ばれたそのボードは、芸能人たちが水泳大会のTV番組をやったりする大磯ロングビーチという有名なプールのイベントで何度か活用され、その売り上げすべてが震災義援金として洋野町に手渡されたということもありました。
 この地域には、サーフィン雑誌の取材もよく来ます。昨年は、海外の方が数日間滞在し取材していました。その際に、これまで世界中を回った中で洋野町の波は5本の指に入る素晴らしさだと言っていました。洋野町の波はそれくらいハイクオリティーなんです。
 洋野町のパンフレットには、波乗りができる場所としていくつかのサーフポイントが載っていますが、設備はまだまだ全然整っていないんですね。例外的に海浜公園にはきれいなトイレとシャワーがあって、地元はもちろん県内外からのビジターサーファーにも評判が良いですが、他の場所は全くそれが無いんです。特にも女性サーファーにとっては、小さくてもトイレが整備されるだけでだいぶ環境が良くなると思います。実際に、トイレがない場所で排泄をしたりするサーファーのせいで地元の人とトラブルになったりなどの話も聞こえてくることがあります。ですので、岩手県というか、洋野町としてというか、行政の力でもう少しそういった設備の整備をしてもらえたらなといつも感じています。例えば福島県では震災後もサーフィンの町として大きく宣伝し、大小さまざまなサーフィンのイベントをやっています。震災で全滅した設備を復活させて、あらためて様々な設備が整ってきています。洋野町でももう少し設備を整えて、サーフィンを前面に打ち出すことで、この自然の素晴らしさと良い波で、もっともっとサーフィンの町として大きくなっていけるのではないかと思っています。
 最後にもう一度、本当にサーフィンは最高なので、ぜひ皆さん体験してみてください。

小野部長
 ありがとうございました。今、佐々木さんから、サーフィンの設備が不十分ということで行政の対応もお願いしたいという御意見を頂戴いたしました。皆様から頂戴いたしました御意見につきましては、県庁内関係部局がございますので、情報共有をして、御支援できるものについては、しっかり取組を進めてまいりたいと考えております。
 それでは、知事の方からお願いいたします。

達増知事
 岩手県の中でも人口が少ない方の旧種市に移住をしてくださいまして、ありがとうございました。人口が少ないところというのは、問題があって少ないというよりは良いところは非常に多いけれども、それがあまり知られていないということが問題だと思っていまして、その良さをどんどん発信していくことで、人口の少なさということに歯止めをかけたり、また、それを乗り越えたりできるのだと思っております。今、佐々木美恵子さんからお話がありましたけれども、八戸市に近いとか、都市近郊の便利さがあったり、都市の近郊ではあるけれども農林水産業地帯なので食べ物は美味しいし、自然は豊かだし、生活環境としては非常に良いという、バランスが種市にはあるのだと思います。
 そして、種市の最大の魅力の1つがサーフィンということで、私はサーフィンはやったことは無いのですが、トヨタ自動車東日本株式会社の社長を勤め、会長になり、会長を勇退してからサーフィンを始めた白根さんという方がいまして、高齢になってからスタートするということもあるのだなと思っています。最近のテレビのコマーシャルで、定年世代の御夫婦が、御夫婦でサーフィンを始めたみたいなコマーシャルをテレビでもやっていて、やはりサーフィンというのは良いなと思っています。東京2020オリンピック競技大会で正式種目になり、2016年の希望郷いわて国体は東京オリンピックで正式種目になるようなものをいわて国体でもどんどんやろうということで、サーフィンをやり、そこで4位になった佐々木美恵子さんでありますね。サーフィンの振興ということも、岩手県としても力を入れていきたいと思います。
 車が無いと不便というところは、岩手県の地方に共通するところで、自動車会社も、電気自動車や、あるいは、自動運転技術などで、高齢の方でも安全に運転できる車の開発を進めていたり、また、地域公共交通で新しい技術を利用して交通の不便なところにもしっかり回れるようなバスなどの仕掛けをこれから作っていくということもありますし、地域公共交通として、住民の皆さんの、いわゆる、足を確保するということは、県としても市町村と連携しながら、工夫していきたいと思います。ありがとうございました。

小野部長
 それでは次に、三浦さん、お願いいたします。

三浦 尚子
 私も2014年に移住してきて、あと3か月経つと移住して10年になる。今10年目で、あともう少しで11年目に入るところになります。移住して、地元の方々がすごく優しくて、控え目なんですけど、心優しい方がすごく多いので、優しい地元の方々に支えられて、何とかこの10年を生きてきたんじゃないかなと感じております。
 きっかけは、震災のボランティアで、その時私は大学生だったんですが、所属していたゼミが日本財団のプロジェクトに関わるということで、聞き書きプロジェクトというものがありまして、被災をされた方に現地のお話だったり、震災当時だったり、あとは地元でどういうことをしてきたよ、ということをインタビューして、文章として書き残して、1つの本にするっていうプロジェクトがありました。それは、岩手県内だったり、南三陸、宮城の方だったり、福島だったりとか、各県で色々な場所で行われていました。私のゼミでは、陸前高田市の昨年オープンしたスノーピークのあるキャンプ場、もともとモビリアという名前でキャンプ場があったのですが、そこの仮設住宅に住まわれている方々にインタビューをするというプロジェクトに関わりました。これがきっかけで、ゼミで陸前高田に来て、交流が始まったっていうところが、まず1つあります。
 私自身は一番最初からそのプロジェクトに入っていたわけではないので、先輩たちが地元の方々と交流をしていて、後から一緒に行くという形になったのですが、その当時、自治会長、仮設住宅で自治会長されていた千田勝治さん、漁師さんなんですが、その方と私のゼミは交流がありまして、私たちがモビリアに行くということで、現地の方々と交流を通したり、逆に、千田さんが、私のゼミだったり、私の大学に来ていました。来ていただいて、講演会みたいなことをして、お互いに交流があるという状態の学生生活をしていて、2014年のときに、ちょうどわかめの収穫時期、もうそろそろ3月頃かな、その頃、人手が足らないっていうことで、お会いして、1か月ぐらい手伝いに行ったっていうことが、移住と漁業に関わるきっかけでした。
 そこで1か月ぐらい過ごす、漁業のお手伝いをするということをしなかったら、私は、岩手に移住もしてなかったと思いますし、漁業の仕事をしてなかったと思うので、それがすごく大切なものだったと思いました。その際に、1か月間、ラップだったり、塩付けにするという作業があるのですが、収穫作業などをお手伝いさせていただいた中で、初めて漁船に乗って、海上にあるワカメの刈取りをしたり、早朝だったので、朝日が上ってくるすごい綺麗な海を見たりとか。それができて、先ほど、佐々木さんも仰っていたんですが、海から見る陸上の良さについて私も共感で、海から眺める町だったりとか、風景だったりとかはすごく素敵だなと思いました。
 それで、ゴールデンウィーク過ぎぐらいまでいたのですが、その中でも、地元の方々だったりとか、お仕事を通して、何て言うんですかね、皆さん、まだ被災されていて、仮設住宅で生活をされていましたが、ご飯を食べなよと言って、お家に連れていっていただいたりとか、作業が一通り終わって落ちついた段階で、ちょっとお疲れさまと言って、温泉に連れて行っていただいたりとか、とても優しくしてくださって、自分に何ができるか分からないという状態で行ったにも関わらず、逆にすごく力をいただいて、申し訳なさと、ありがたさでいっぱいになったという1か月間がありました。もう少し何かできるんじゃないのかなとか、これからの作業も始まるから、何かできるのかなということを思っていて、もうちょっと一緒に働かせていただけませんかということを言って、戻ってきて、今に、今に至るという感じですね。
 そのまま気づいたら10年ぐらい経ってしまいました。みんなの力に、何ができるか分からないけど、でもなりたいと思っていて、ひとまず海の仕事をやる、これになりたいということをまず思っていて、やっていたという感じなんですが、年数を経ていくごとに、自分でもできたら面白そうというか、面白いよなとか、思っていて、そのような御縁とタイミングがあれば、自分で独立してできたら良いなということを、何となく2018年、2019年あたりから少しずつ考え始めていたという状態です。
 それが大体20代後半頃だったんですが、30代に入る目前ぐらいで、今後どうするのかということを考えた上でも、独立を視野にもうちょっと頑張っていきたいかなと考えたというところです。
 漁業を始めたいですと思っても、なかなか始められるものではなくて、どうしても漁業権、権利の問題を整理することが必要で、地元の漁師さんたちの了解と、あとは、地区の漁場の状況などによってすぐに始めることができない業種で、そうしたハードルもある中で、お世話になっていた千田さん家族に、ワカメの漁場もちょうど空いた時期だったので、ワカメの養殖をしたいですということを言ったら、大丈夫だと思う、やりたいんだったら、やろうみたいな感じで応援してくださって、漁協の組合員になる。免許取得だったりとか、洋上に置くための資材の準備だったりとか、そうしたサポートをしていただいて、2020年から名義上としては独立という形で、個人でもワカメの養殖を始めました。ただ始めますと言って、始めようと思っても、新規参入者でもあるし、市民でもなく支援があるわけでもないので、一人でやりたいですというように始めている状況なので、ゼロスタートというところから始めて、それが結構、ハードルが高いなと感じています。資金面だったりとか、技術面だったりとか、コミュニケーションの面だったりとか、色々な面で大変だなと感じる部分が多くて、物を揃えようと思っても、一気に揃えることができなかったりとかしていて、やっと去年で一通りの物は全部揃えることができたので、自分で賄える形は整えることができたのですが、2020年の当時は難しかったので、千田さん一家にお手伝いいただいて、船をお借りしたりとか、一緒に働いてくださっている従業員の方々に来ていただいて、一緒に刈り取りをしていただいたりとか。ただやりたいですという状態から、少しずつ手を離していただいて、ここは私ができるんじゃないか、ここだけだったらできるかもしれないという部分を少しずつ増やしていって、2021年、2022年、2023年、という感じで少しずつ、非常にゆっくりですが、進めているところです。今年は、一通り全部やっているところなので、2020年に独立したけど、やっと今、ちゃんとした独立になっているのかなっていう感じがしています。良かったという気持ち。
 実際に、私自身が新規参入として漁業者になって、すごく感じているのは、コロナ禍のタイミングで、漁業だったり、農業だったり、林業だったり、自然の職業に就きたいという方が多くいらっしゃって、移住をしてくる方が多くいたのではないかと感じていて、陸前高田の中でも、漁業者になりたいです、と言って来る若者もコロナのタイミングですごく増えた気がしています。
 私自身が、新規で始めたときに、どうしても資金面、漁業はお金がかかるので、資金面の問題だったり、どうしても技術職でもあるので、技術はすぐ身につくものではない、というものだったりとか、あとは地元ではないから、地元の人とのコミュニケーションが密ではない状態で、行ったりするということは大変であると感じていて、それは新しく来て、漁業で頑張りたいという方々を見ていても、そのように感じています。
 私自身がすごく幸運だったと感じるのは、現場の千田さん一家が手厚いサポートをしてくださっていたということだったりとか、漁協の方々が親身になってくれるとか、あとは行政の役所の水産課の方々も応援してくださったので、相談に乗ってくれるとか、それ以外にも地元の方々が普段の私を見てくださっていて、優しく声をかけてくれるとか、そうした色々な重なりがあったから、今の自分があるなと思ったりもする。現場と行政と組合が、密に連携して、現地の方々のサポートなどをもっと密にしていただけたら、今来ている方々が、これからも続けていきやすくなるのではないかと思っています。そのようなことができて、これからも継続して漁業の仕事を続けていくという、経営としても続けていくということができれば、遠くから移住して漁師になりたいということを叶えて、岩手でずっと続けていくことができるのかなと思っています。これからも、行政の方だったりとか、現場の方で、やっていくと良いことなのかもしれないと感じています。

小野部長
 ありがとうございました。三浦さん、力になりたいという思いで、気づいたら10年経っていたということでした。また、新規参入の難しさといったことで、行政、組合、そして現場の連携、新規参入の皆さんの支援、ここをしっかり行っていけばもっと良いのではないかというお話を頂戴いたしました。ありがとうございます。
 知事の方からお願いいたします。

達増知事
 陸前高田市の広田半島にまずはボランティアで入って、そして、話を聞き、記録に残す、そうした活動で、地元の人たちと交流していったところが土台になっているのだと思います。そして、千田勝治さんという優れたリーダーがいたということも大きかったと思いますね。
 岩手県は、養殖ワカメの漁獲量が日本で一番でありますし、大船渡市が日本の養殖ワカメの元祖だと言われておりまして、ワカメというのは岩手県でも力を入れている分野です。大変クオリティーの良いワカメを養殖、生産してもらっていますし、最近は食べない部分についても色々活用するということで、三浦尚子さんも「&iwate」ブックによりますと、シャンプーやコンディショナーを作っているということで、非常に良いところに目をつけられたのではないのかなと。ワカメとの出会い、そしてワカメを生業にしていくというところ、非常に成功する路線、入っていくことができているのではないかと思います。
 あとは、海から見る陸が、綺麗で、とても良いということは、ぜひ多くの人に経験して欲しいと思います。
 そして、新規に、農林水産業、1次産業、広く、新規に始めたい若い人たちが結構いる。それで、一方、地元の人たちのコミュニケーションとか、色々な制度や資材機材、そのようなものを用意しなければならないということで、ここは仰るとおり、放っておけばできるというものではないので、行政も、新規の希望する人が1次産業への就業をスムーズにできるよう、生産者の皆さんや、関係団体の皆さん、そして市町村と一緒に取り組んでいきたいと思います。ありがとうございました。

小野部長
 それでは、最後に植山さんからお願いいたします。

植山 美里
 植山美里です。プロフィールにも入っているのですが、2016年、京都から、まず徳島の神山町というところですね、当時地方創生の先駆けのような町なのですが、そこに移住をしまして、宿で料理をしていました。そこで、今の夫になる人と出会うのですが、彼は岩手出身で、神山町に来ていた。それで、その時に、1冊の本を読みまして、それが遠野の荒川高原の写真が表紙で「ひとの居場所をつくる」という西村佳哲さんという方の本だったんです。その内容が、遠野で馬がいる宿を運営している方々の内容だったんです。
 私はすごくそこに行きたいなと思って、まず徳島にいるときに、岩手に初めて来ました。東北も来たことが無かったので、本当に初めて。はじめての東北が遠野でした。夫になる宮本という人が、彼は神山町を辞めて、地元の奥州市のカフェの立ち上げに当時携わっていて、私は遠野に来たタイミングで、立ち上げ中のカフェを案内してもらった。
 この「&iwate」の冊子を作った川島という男性のデザイナーですが、彼が主体となってそのカフェを立ち上げていました。その川島から、良かったら一緒にカフェを立ち上げないかという話をもらい、私は全然まだ徳島に帰るつもり、これからも徳島で働くつもりではいたのですが、遠野で見た馬の景色とかがやっぱり忘れられなくって、そこの近くにいたいなと思って、その川島の言葉を持って、また徳島に帰りまして、結局、この2か月後に岩手に移住することを決める。
 カフェの立ち上げに関わり始めたのが2017年の4月。水沢駅の東口にある「Cafe &Living UCHIDA」。当時は、カフェと託児所を併設したカフェだったのですが、私がそのカフェ部門のメニュー開発だったりとか、実際にカフェに立つという仕事を2年間しました。その時にも、色々な方に出会えて今の自分がいるという感じなのですが、2年間仕事をして、10代ぐらいか、20歳ぐらいのときに、フリーランスとか自営業で仕事をするということを夢にしていたので、いつかその夢を叶えようと思って、カフェを終えたタイミングで独立をしました。住まいをどうしようかなと思ったときに、遠野に1度住んでみたいということで、料理の仕事をしながら、馬の世話もさせてもらったりとかしていました。
 フリーランスの料理人の仕事は、一番初めに貰った仕事が及源鋳造の南部鉄器を使った料理のレシピを毎月ウェブサイトに載せてほしいというお仕事で、実は、毎月それが続いて現在もさせていただいているので、もう本当に長く、継続させてもらっているお仕事なんですが、毎月違う鉄器を、今回はこれでというお題があり、私はその鉄器に合う料理を毎月考えています。あとは、色々な、まだコロナ前だったので、イベントに呼んでいただいて、出張料理をしたりとか、県外に出て仕事をしたりとかもしていました。コロナになったら、そうした料理の出張する仕事が難しくなったので、もっぱら馬の世話の仕事を中心に当時はしていました。
 そんなこんなしていたら、息子が生まれまして、もうすぐ2歳になります。遠野には3年ぐらいいました。遠野にいる間に結婚をしまして、偶然、夫も遠野の仕事を、遠野の行政と一緒にする仕事や地域おこし協力隊で色々まちづくりの仕事をしていまして、その任期中、3年かな。遠野にいて、去年の夏にまた奥州に戻ってきました。奥州に戻ってきたきっかけは、子育てですかね。彼の実家が奥州市だったので、実家に近いのが良いということと、もともと自分が奥州市に沢山の友達もいたので、あと沢山の知り合いとか、そうした方々に助けてもらいながらやっています。
 この冊子のインタビューでも同じことを言っていたのですが、岩手には余白があるな、と思っていて、その余白というのは、すごく良い意味の余白で、自分が仕事をこれから自由に作っていくということも、都会ではある程度型が決まっていたりとか、私は京都出身なので京都に行くと京都らしさみたいなものにどこかはまらないとやっていけないみたいな感覚があって、それにはまりたくないみたいな感じなので、岩手で仕事を作れるということは、自分にとってとても嬉しいことです。暮らしも家族とか自分で作っていけるということも、岩手の余白だなと思っていて、そこは良いなと思っています。色々な方に伝えたいと思うところです。今年は、夫の実家で畑を借りて野菜作りも、あと、夫のおじいちゃんが割と高齢になってきたので、田んぼとかも少し借りて、少しずつ暮らしを豊かに、色々なことができるようになりたいと思っていて、楽しんでいきたいと思っています。あとは、息子もそろそろ保育園に入ってもらおうと思っているので、また仕事も本格的にやっていきたいなと思っています。

小野部長
 ありがとうございました。岩手には余白があるといったことで、空間的にも心理的にも、仕事、暮らしにも、ゆったりと生かせる余白といったことでお話を伺いました。
 知事の方からお願いします。

達増知事
 今日は、馬と海が2大テーマというところもあり、岩手県は馬と海には非常に恵まれているところだと改めて思いました。徳島県の神山町に一時行かれていたということで、行ったことはないのですが、話には聞いていて、まさに地方創生の先駆けの場所のようなところで有名ですけれども、そこが、地方で暮らす、地方で仕事をすることを真剣に考える人たちにとって非常に大事な場所で、そこで色々な出会いがあったり、情報の交換ができたりするというところが面白いなと思いました。
 今、交通が発達し、また情報通信技術も発展していますので、日本の中を自由自在に使いながら、自分がやりたいことを見つけて、自分がやりたいことをやっていくということができるようになっていると思うんですね。植山美里さんは、さらに岩手県の中でも遠野市と奥州市を自由自在に行ったり来たりしながら、岩手県の地域を広域的に活用しているということで、それができる時代ですから、どんどん、そのように、使って、活用してもらえれば良いなと思います。
 そして、及源さんの鉄器とのコラボは、伝統工芸品振興に役に立つことですので、ありがとうございます。料理というのは、色々な入り口があると思いますが、道具から入っていく、道具を切り口にして、色々な料理を楽しむということは面白いなと思います。
 そして、最近、野菜を作ったり、また、米作りもやったりして、生活を豊かにするという、純粋にお金を稼ぐためだけの農業ではないというライフスタイルとしての農業というのが、岩手では色々やれると思うので、色々なことを組み合わせながら、自分なりの生活を組み立てることができて、また余白もあるというところ、岩手の良さをアピールする際のキーワードとか、そのようなものを沢山頂いたなと思います。ありがとうございました。

小野部長
 一巡目、皆さんからじっくりとお話を聞きました。ありがとうございました。その都合もございまして、残り時間5分ぐらいになってしまいました。ここで、他の皆さんのお話を聞いて、あるいは言い足りなかったなといったところでも結構でございます。
 どなたか御発言ございましたら、手を挙げていただければと思いますが、いかがでしょうか。(船橋さんが手を挙げる。)船橋さんお願いいたします。

船橋 慶延
 大変貴重な皆様の実体験のお話を聞かせていただいて、この中で感じたのは、私もそうなんですが、クラリーさんという、キーマン、このキーマンがいたことだと思います。それぞれの活動をお聞きして、人の繋がりっていうところがきっかけで、来られているんだろうなという、やはり人なので、安心感ですね。そこに頼れるところ。頼りにしてばかりでは、駄目ですが、そのようなところが必要なのかなと思います。なので、今回、参加させていただいた私たちも含めて、キーマンにこれからなれるようにやっていきたいなと思いましたし、そこに対する支援とかをいただきながら、進めていけたら、もっとキーマンがキーマンを呼んでいくのではないかと思いました。

達増知事
 よろしくお願いします。行政もある意味、キーマン、キーパーソンになっていけば良いのだなと思いました。頑張ります。

小野部長
 ありがとうございました。最後に船橋さんに締めていただきました。今キーマン、人との繋がりといったことで、非常にそこが重要な点だと思っております。
 また、今日皆さんからお話を伺う中で、先ほどの、岩手の余白といった話、それから生活文化、お住まいの皆さんも含めてですね、生活文化の豊かさといったことも感じることができました。
 また、知事からもお話ございましたけれども、馬と海といったことで、まさに岩手を代表するもの、誇りとすべきものなのだろうなと思っております。まだまだ4人の皆様お話足りないところがあるかと思います。時間が来てしまいました。申し訳ございません。

知事所感

小野部長
 それでは、知事の方からお願いいたします。

達増知事
 ありがとうございました。去年、ニューヨークタイムズが、今年行くべきところとして盛岡市をロンドンの次の2番目に挙げて、盛岡、そして岩手が結構有名になり、盛岡を訪れる観光客も増えていて、その人たちは盛岡市以外の八幡平市に行くという声も聞いてますし、平泉の方に行く、海の方に行くという声も聞いています。
 盛岡の良さについては、ニューヨークタイムズに記事を書いたライターのクレイグ・モドさんが色々語ってくれていて、次は盛岡以外の市町村の良さを、県として発信しなければならないなと思っていたのですが、今日のお話、盛岡以外の市でありますとか、町村の人口の少ないところの良さについても教えていただきましたし、語っていくときのコツのようなものを今日頂いたなと思います。
 観光振興においても、岩手県としては、そこに住む人たちが普段食べているようなものを食べてもらい、普段やっているようなことを一緒に体験してもらうとか、生活やその生活にまつわる文化、生活文化を共有してもらうような観光振興を目指そうとしているところですが、移住定住ということについても、そこで住むこと、生活すること、働くことの良さをより高めていくことで、移住定住の場としても、より良いものにしていきたいと思います。鍵になるのが、人の繋がりということで、人の繋がりをより大事にしていきたいなと思いました。今日は本当にありがとうございました。

閉会

小野部長
 本日は皆様、貴重なお話をいただきまして、本当にありがとうございました。この幸せ作戦会議ですが、今日は、「移住先として選んだ岩手の可能性」といったことでお話をいただきました。
 また、今日は皆様から、例えばお年を召してからの移動手段をどうするのかといったお話、また、新規参入への支援といったこと、様々御意見も頂戴しております。いただいた御意見につきましては、県の関係部局と共有して、今後の県の施策に生かしていきたいと考えております。ありがとうございました。これをもちまして県政懇談会を終了いたします。

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