「いわて幸せ作戦会議(in大槌)」(令和5年11月7日)

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ページ番号1070998  更新日 令和6年1月10日

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日時
令和5年11月7日(火曜)10時30分から11時50分まで

場所
大槌町中央公民館安渡分館 1階 避難ホール

出席者
・参加者(敬称略)

 佐伯 悠(釜石市文化スポーツ部スポーツ推進課、
      日本製鉄釜石シーウェイブスアシスタントコーチ)
 工藤 秀佳(大槌町地域おこし協力隊員、MOMIJI株式会社)
 大羽 美年(御箱崎釣具店経営)
 三塚 麻央(カフェ・レストランHAMAYUI(はまゆい)店長)

・県側
 達増 拓也 知事
 工藤 直樹 沿岸広域振興局長
 小野 博 政策企画部長

開会

小野部長
 それでは、ただいまから県政懇談会「いわて幸せ作戦会議in大槌」を開催いたします。皆様には、御多忙のところ御出席をいただきまして、本当にありがとうございます。
 今日は、「地域の魅力を生かした 住みたい、住み続けたい三陸の創造に向けて」を懇談のテーマとし、釜石地域でスポーツや自然環境などの資源を生かして、様々な分野で地域の復興に向けて取り組まれている方々にお集まりいただいております。
 私は本日の進行役を務めさせていただきます、県の政策企画部の小野と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1

小野部長
 それでは開会に当たりまして、達増知事から御挨拶申し上げます。

達増知事
 皆様おはようございます。
 県政懇談会は、知事が直接、県民の皆さんの声を伺い、県政に反映させるということでやっていますが、特に、この「いわて幸せ作戦会議」という名前にしているのは、今の県の総合計画の基本目標が「東日本大震災津波の経験に基づき、引き続き復興に取り組みながら、お互いに幸福を守り育てる希望郷いわて」というのが基本目標でありまして、そこから、この「いわて幸せ作戦会議」という名前にしております。
 まさに、東日本大震災津波の経験に基づいて引き続き復興に取り組んでいる、この大槌町と釜石市、そしてその場で、お互いに幸福を守り育てる希望郷いわてということで、今日のテーマ、三陸のより良い復興の実現、「地域の魅力を生かした 住みたい、住み続けたい三陸の創造」に取り組んでいる皆さんに今日は意見を伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 また、県議会議員のお二人にも参加していただいて、どうもありがとうございます。よろしくお願いいたします。

出席者紹介

小野部長
 それでは、この後の進め方について簡単に御説明いたします。私からお一人ずつ御出席の皆様のお名前を御紹介いたします。続けて、1分程度で、簡単な自己紹介をしていただければと思います。その後、本日のテーマに沿ってお話をいただきます。お一人ずつお話が終わった都度、知事がコメントするというような形で進めてまいりたいと思います。最後に自由懇談の時間も設けております。皆様から、様々、他の方々のお話を聞いてといったことでも結構かと思います。お話をいただければと思います。
 それでは座席表に従いまして、本日御出席の皆様を御紹介いたします。私が御紹介いたしますので、皆様、1分ぐらいで自己紹介をお願いできればと思います。
 まず、日本製鉄釜石シーウェイブスアシスタントコーチの佐伯悠さんです。

佐伯 悠
 おはようございます。
 釜石市役所スポーツ推進課におります、佐伯悠と申します。私、肩書きをいくつかいただいておりまして、日本製鉄釜石シーウェイブスのアシスタントコーチもさせていただいております。ここ(注配布資料)に書かせてもらっていますが、釜石ラグビー人材育成専門員というのも市の方でやらせてもらっておりますし、先日はフランスの方に行きまして、アマチュアラグビーの世界大会の日本代表をした「いわて釜石ラグビーフットボールクラブ」というチームのヘッドコーチなんかもさせていただいております。
 2007年から岩手、釜石に移住しまして、かれこれもう16年ほど釜石の方におりますので、今日はそういったところでお話できればと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

小野部長
 ありがとうございました。
 次に、大槌町地域おこし協力隊員、MOMIJI株式会社の工藤秀佳さんです。

工藤 秀佳
 工藤秀佳と申します。
 北海道の札幌市出身です。一度、埼玉の方で2年ほど社会人として勤めた後に、地域おこし協力隊として大槌町の方に移住してまいりました。移住して今年で3年目になります。
 現在の活動としては、ジビエの活動に3年間携わっているんですけれども、MOMIJI株式会社の社員として日々勤めております。これまでにしてきた活動は、ハンターの方々が今、足りなくなってきている、高齢化しているっていうことを踏まえて、ハンターを育てる活動であったり、農家さんの畑に出ているシカを罠で捕獲するという活動、あとはジビエ事業、今、岩手県内で大槌町にしかないんですけれども、他の市町村でもまだまだ活用できていないシカをこれから活用に繋げていくための講習会などの活動をしています。
 お仕事以外の部分では、今、築70年の古民家に住んでおりまして、家庭菜園をしたり、今年は田んぼの方にも1枚だけですけど、手をつけてみたり、あと狩猟ですね、家の周りに出ているシカを獲ったり、夏はお家の前の川でカヌーをしたりっていうような形で楽しんでいます。
 今日は移住者としての目線でお話をできたらなと思っています。よろしくお願いします。

小野部長
 ありがとうございました。
 次に、御箱崎釣具店経営の大羽美年さんです。お願いします。

大羽 美年
 おはようございます。
 大槌町で釣具屋と釣り船を経営している大羽美年といいます。
 私は高校卒業後、横浜の方で就職して、震災後、Uターンという形で大槌町に戻ってきました。震災後は、正直、自分は被災を実際に受けたわけではなく、あくまでUターンという形だったので、地元に帰ってきた時は、皆さんとの意見が正直合わないこともありました。ただ、帰ってきて、Uターンして11年、12年になりますけども、やっと皆さんとの話も分かるようになってきて、釣り船を経営しながら、海の状況、震災前と震災後の海の状況、陸の状況というのは全く違っていて、それを皆さんに教えるという形で船を出しております。
 今日、皆さんの意見が自分にとって勉強になるように、しっかり聞きたいと思っております。よろしくお願いいたします。

小野部長
 ありがとうございました。
 次に、カフェ・レストランHAMAYUI(はまゆい)店長の三塚麻央さんです。お願いいたします。

三塚 麻央
 おはようございます。
 「魚河岸テラス」という釜石市内にある観光交流施設の中で、「カフェ&レストランHAMAYUI」というイタリアンのお店をやっております。三塚麻央です。よろしくお願いします。
 私は釜石生まれ、釜石育ちで、今「魚河岸テラス」がある所の本当に近く、海の前で育ちました。釜石高校を卒業後、岩手大学の教育学部に進学して、大学一年生の春に震災があって、それを機に両親と一緒に飲食店をやりたいなということで、釜石の方に戻って来ました。
 店の方は、まず、ものすごく大変だったコロナ禍の3年間をやっとで少し抜け出して、市外、県外、海外のお客様が少しずつ増えてきたなということを実感しています。またその中で、どのような側面から、この三陸の魅力を伝えられるかということだったり、あとは、市内に住んでいらっしゃるお客様にも、当たり前の食材をどんなふうに楽しんでいただけるかっていうことを、日々考えながら仕事をしています。
 今回のテーマが「住みたい、住み続けたい三陸の創造に向けて」ということで、私自身、二人の子供を子育てしながら仕事をしているので、子供たちが楽しく、将来的にもこの町で暮らしていくためには、どんなふうにこの町があるべきかっていうことを、皆さんのお話の中から勉強させていただきたいなと思っています。よろしくお願いいたします。

小野部長
 本日の懇談会は、この4人の皆様から様々お話を伺いし、懇談を進めてまいりたいと思います。
 県の方からは、達増知事、それから沿岸広域振興局の工藤局長が出席しております。よろしくお願いいたします。
 また、本日は県議会議員の皆様お二人にもお越しいただいておりますので、ここで御紹介を申し上げます。釜石選挙区選出の岩崎友一議員です。

岩崎 友一議員
 よろしくお願いいたします。

小野部長
 同じく、大久保隆規議員でございます。

大久保 隆規議員
 よろしくお願いいたします。

小野部長
 本日はどうぞよろしくお願いいたします。

懇談

写真:懇談会の様子2

<テーマ>
 地域の魅力を生かした 住みたい、住み続けたい三陸の創造に向けて

小野部長
 それから、皆様のお手元にお菓子と飲み物を準備してございますので、お召し上がりいただきながら懇談を進めていければと思います。
 まず、工藤局長から本日のお菓子と懇談のテーマを御紹介します。

工藤局長
 それでは私の方から、お菓子とテーマの紹介、説明をさせていただきます。
 まず、お手元にお配りしているお菓子について説明をいたします。最初に「鮭最中」で、こちらの「鮭最中」は、大槌町の「おしゃっち」(注:大槌町文化交流センター)前にあるマルエイ商店さんで製造販売されておりまして、大槌町特産の「鮭最中」でございますが、最中の皮に餡を自分で詰められるのが特徴でありまして、これ(注最中の皮)に自分で餡を詰めたりして、お召し上がりいただきながら、お聞きいただきたいというふうに思いますが、私が見せなくても、大体、御察しつくと思いますけど、御自分で詰めていただいてお召し上がりいただくということでございます。お店の方に聞いたならば、「どうしても、詰めて売ると湿気ってしまうので、このサクサク感を保持するためにですね、こういうふうに(皮と餡を)分けて売っています。どうしても(注皮に餡を詰めてほしい)という依頼があれば入れなくもないですけど。」といった話がありましたけども、そういうことだそうでありまして、こんな感じで(注実際に最中に餡を詰めて見せる)、お召し上がりいただくといいと思います。皮、餡ともに国産で、皮は国産のモチ米100%、餡も国産の小豆ということだそうです。これは、大槌町でかつて老舗のお菓子店で「さけ最中」という同じ名前のお菓子、この辺の説明はですね、お配りしている資料の最後から2ページ辺りにこの商品の紹介があります。「鮭最中」と同じ名前のお菓子が過去に製造販売されていて、大変人気だったそうですが、東日本大震災津波でそのお店が被災されて、その後も仮設商店街で頑張っておられたのですけども、平成30年に惜しまれつつも休業されたということでございまして、その後、町の住民の間で大槌らしいお土産用のお菓子がほしいという声があって、マルエイ商店さんがそれをお聞きになって、昨年11月に「おしゃっち」の天満宮(注:三陸御社地天満宮)前にお店を出された際に、独自の工夫をさらに凝らして、新商品として販売開始されたと聞いております。自分で詰める楽しさもあったりして、サクサク感も御賞味いただけるというふうに思います。
 それから次に、もう一つ、釜石市の道の駅仙人峠などで販売されております、「カラフルCUBE」という漬物でございます。4つお配りしていると思いますが、釜石市では、昔から野菜の少ない冬に、人参とか大根などの根菜を紫蘇で巻いてピリ辛にした伝統の漬物「みのぼし南蛮」という漬物が各家庭で食されてきたということでございますが、この伝統的な漬物をサイコロの形にカットして、伝統の漬物自体は長いんですけども、サイコロの形にカットして、切った面が紅白となるようにしたおしゃれなデザイン性に富んだ新しい漬物ということでございます。発案されたのは、釜石市のマルワマート株式会社さんと、有限会社菅原紙器さんという方々でありまして、核家族化が進む今日では、昔のように各家庭でお母さんが作る手のかかる伝統食を、家族揃って食べる機会が少なくなったということで、郷土の味を次の世代に残すために、若い人たちに手に取ってもらうにはどうすればいいかということで考えられたというふうに伺っております。ちなみに、これは2種類ありまして、梅味とプレーン味ということで、食べてみると分かるのだと思うんですけども、何故か、白っぽい方が梅味、白くない感じの大根がプレーン味なはずです。お漬物というと、保存のために塩分が高いのが一般的ですが、健康に配慮して塩分も抑えられているということで、おしゃれなデザインと伝統のシャキシャキの食感をお楽しみいただけるというふうに思います。以上がお菓子の紹介です。
 そして、今日の懇談のテーマについての説明に移らせていただきますが、本日のテーマは「地域の魅力を生かした 住みたい、住み続けたい三陸の創造に向けて」とさせていただきました。今年度からスタートしました、「いわて県民計画(2019~2028)」の第2期アクションプラン復興推進プランでは、「多様な主体とのつながり等を強めながら、復興の姿や三陸地域の多様な魅力の発信、地域振興などを行って、あらゆる世代が希望を持っていきいきと暮らし、将来にわたって持続可能な新しい三陸地域の創造を目指す」ということとしております。東日本大震災津波から12年が経過して、防潮堤や道路などハード面の整備が進んだ一方で、沿岸部は、県全体に先行する形で、人口減少が進んでもおります。若者、女性の方々などの流出に歯止めをかけたり、移住定住の促進を図るためには、魅力ある地域づくりが課題だというふうに考えております。そういったことで、釜石地域、大槌地域のですね、スポーツ、自然環境などの魅力を生かして、復興の牽引役として御活躍されている皆様の視点から、将来にわたって住みたい、住み続けたい三陸の創造について、いろいろ積極的な御意見、御提言をいただきたいと考えて、このテーマとさせていただいたところでございます。
 本日はどうぞよろしくお願いいたします。

小野部長
 ありがとうございます。
 それでは、今、工藤局長から説明がございました本日のテーマに沿って、ここから懇談を進めてまいりたいと思います。それでは、皆様から順番で、御発言5分程度でいただきたいと思いますけれども、今の取組や課題、それから今後の方向、御自身の抱負、県への期待、要望なども含めて、様々お話をいただければと思っております。お一人ずつお話をいただいた後、知事の方からコメントという形で進めてまいります。
 それでは、始めに佐伯さんの方からお願いいたします。

佐伯 悠
 では、座ったままでお話させていただきます。
 改めまして、私、釜石市役所スポーツ推進課におります、佐伯悠と申します。
 私は、生まれは新潟県で、育ったのが福岡、大阪、神奈川、横浜と本当に転々とした中で、2007年に釜石の方に移住してきました。移住してきたというか、もう私は大学を出てそのまま釜石に来ましたので、正確に言うと、釜石しかほとんど知りません。そういった中で、来た一番大きな理由は、やはり私はラグビーをずっとやっておりましたので釜石に来ましたが、もちろん釜石とラグビーっていう話になると、新日鉄釜石のV7(注:ラグビーの日本選手権大会において新日本製鉄釜石ラグビー部が1978年度から1984年度まで7連覇を達成)なんてものを、皆さん想像されるかもしれませんが、私、生まれた年が1985年の3月ですので、私が生まれる前に7連覇が終わってしまっているという。なので、釜石ラグビーというと、私は実は「釜石シーウェイブス」という方がどちらかというと強くて、本当に、釜石と私、そんなに縁が無かったんですが、ひょんなところから繋いでくれた方がいらっしゃいまして、釜石シーウェイブスの生い立ちだったり、なんでこのチームがあるかっていう話をお伺いして、さらに、そのチームが上のリーグと戦う(注:ラグビートップイーストリーグに参加する釜石シーウェイブスが、上位リーグであるラグビートップリーグへの昇格を目指すこと、現在はジャパンラグビーリーグワンディビジョン2に参加)という話を聞いた時に、非常に感銘を受けワクワクした、もうその一心で釜石に来ようと思ったのが2007年でした。有り難いことに、チームの方にもおりましたし、震災を経験して、この釜石シーウェイブスというチームのあり方を考えさせられる非常に良い機会を私はいただきまして、より釜石という町、そして釜石シーウェイブスというチーム、そして応援してくださる方々が私はすごく大好きで、昨年、もともとの仕事を辞めて、実は私、市役所の方に入り直すということをしておりました。先ほど少し触れましたが、釜石ラグビー人材育成専門員という形で戻っては来ましたが、これは何なのかといったところは、本当に釜石市内の子供たちにラグビーの魅力発信であったり、私のようにラグビーを通して人づくりをするような人たちになってほしいと、私だけじゃなくて、そういったサイクルを作れるような、そういった仕事をしたいなということで、釜石市の方に戻って来たというような経緯がありました。
 このまま話していると、もうラグビーしかしないんじゃないかっていうふうに思われてしまいますので、釜石市の方の第六次総合政策(注:第六次釜石市総合計画・実施計画(令和5年度~令和7年度))の方にも「ラグビーを活かしたまちづくり」というのがしっかりとありますので、ラグビーをした中で仕事をしていいんだというのが今一つあります。今年からアシスタントコーチという形でチーム(注釜石シーウェイブス)の方にも携わらせてもらっていますが、じゃあ、これ(ラグビーが)強くなったら、何か釜石にとってプラスがあるのか、市にとってプラスがあるのかと。ちゃんと試算したことはないですが、携わっている方だったら分かるかと思いますが、釜石のラグビーが盛り上がるということは釜石が盛り上がるということ、そういったことが私自身の中では確証めいたものももちろんございますし、それとは他に、ラグビーを活かしたまちづくりの中で、「釜石鵜住居復興スタジアム」、こちらのスタジアムを活かした、利活用といったところで、もう一つ仕事をさせていただいております。このスタジアム、やっぱりすごかったですね、2019年(ラグビー)ワールドカップ。僕自身も夢物語を聞いているような形でした。震災直後からそんな話(ラグビーワールドカップの試合誘致)がありましたが、よくね、職場で「お前はどっち派だ?」なんていう話を、(ラグビーワールドカップの試合誘致に)賛成派か反対派かなんていうことを言われましたが、大賛成でした。やっぱり、ラグビーに携わる人間としては、スタジアムっていうのはできてほしかったですし、ワールドカップっていうのは本当にこの釜石でできるのかな、できたらワクワクするって言ったのを覚えています。そういったワクワクが今の原動力に繋がっていますし、実際にワールドカップが行われた、それは物ができて目に見える復興というよりかは、どっちかというと、人々の心の復興に繋がったんじゃないかなと思っています。ただ、やっぱりワールドカップがあそこで行われただけであのスタジアムが終わってしまうのでは、やはりもったいないですし、そういった心の復興を今後に繋げていくというのが、今の私の仕事でして、スタジアムを活かして、多くの交流人口を呼びたいということで、今は合宿事業、合宿誘致事業だったり、スタジアムに修学旅行とか、学習遠足で来ていただいて、スタジアムの見学だったり、あそこのグラウンドを使ったラグビー体験なんかも行っていただいております。
 ただやはり、課題というか、どうしてもそのイベントが重なってしまうとホテルが無かったり、あとは釜石市内独特かもしれませんが、日曜日に飲食店が開いていないとか、「泊まりに来るけどどうしたらいいですか?」なんていう、こういった相談がやっぱりあるので、まずそこが少し悩みだったり。あとは多くの、例えば大学で100人を超えるようなチームが来た際にはどういうふうな受け入れができるかっていうところが、今直面している大きな課題かなと思っております。それと同時に、やはりやりたいこととしては、やっぱり、せっかく沿岸にはいろんなものがあります。もちろんこの海も宝ですし、あとはいろんな施設もありますし、それこそね商店なんかもあって、美味しい食べ物もある中で、やはり取り合いをするっていうのはなかなかやっぱり難しいなって思ったり、やっぱり市の事業なので、どうしても釜石で泊まってくれとかっていうこともあるんですが、そういった(他の市町村との)連携であったり、私はよく盛岡に行きますけれど、盛岡市内に外国人の方がものすごい今いらっしゃいますよね。そして、びっくりするぐらいホテル代が高いんですよね、今。やはり観光客が多くなって、値段が上がっているのかなっていうことは喜ばしいことであり、なかなか難しいこともあると思うんですが。やはり外国人の方々が来ている中で、そういった方々が(沿岸に)足を伸ばしてもらえるような、そういった釜石だったらいいなっていうのは思っておりますので、本当にラグビーだけじゃなくて、ラグビーと防災学習とか、ラグビーと自然体験、あとはご飯、こういったものを来ていただける方に、私は今推奨したりしていますので、もう本当に「ラグビー×何か」とか、「スタジアム×何か」っていうのをやっていけたらいいなと思っていますので、そこをちょっと今後、来ていただく人に満足してもらう、そして、それが移住とか定住に繋がればいいなと思っておりますので、そういった部分で今後も頑張っていきたいなと思っていますので、今日は一つよろしくお願いいたします。

小野部長
 佐伯さん、ありがとうございました。今、ラグビー、それからスタジアムを活かした、そこにかけるという形で、様々な交流人口の拡大、そしてまちづくりを進めていこうというお話を頂戴いたしました。
 知事の方からコメントをお願いいたします。

達増知事
 まずは釜石市に定住していただいて、私からも御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。
 釜石市は、東京大学の社会科学研究所の人たちが希望学の調査フィールドとして取り上げていて、日本製鉄、当時の「新日鉄釜石」のすごい大工場が小規模になって、それで、人口も大きく減ってという苦難を乗り越えて復活していくところ、津波についても、東日本大震災津波の前にも何度も津波に襲われていて、そこから復興していて、あとは、第二次大戦の時は、艦砲射撃で一度また復興ということを経験していて、戦災復興ですね、そういう復活というところが、この町の生きる道といった感じになっていて、いろんな可能性があるのだと思います。
 ラグビーというのも復活の象徴、復興のシンボルでもあり、賛成・反対、いろいろ考えて議論して決断したというところもまた、語り継がれるべきところなのだと思います。県の中にもやはり賛成・反対の議論がありまして、その中で、県としても賛成を選んだわけですけれども、そして、2019年のワールドカップは大成功と言っていいと思います。あれ(ラグビーワールドカップ)をやった市であり、また県でもありますので、「ラグビーのまち釜石」であり、また「ラグビー県いわて」というのも、やっていかなければいけないと思っております。そういう意味で、釜石市がラグビーを軸にしながら頑張るということについては、県としても一緒にやっていかなければいけないと思っていて、今年、アマチュアラグビー世界大会に出場できたというのは非常に良かったと思います。そして、2016年には、「希望郷いわて国体」と銘打って、国民体育大会をやっていて、東日本大震災津波から5年後で、これ(国民体育大会)もやっていいのか、やれるのかという議論がやはりあって、やると決断してやったのですけれども、やはりそれによって、復興の力になったというところが確かにあり、その手応えがラグビーワールドカップをやろうという決断にも繋がっていて、スポーツが復興の力にもなったし、地域振興の力にもなり、いろんな力になるというのを、私たちは経験を重ねてきていると思いますので、それがより良い形で発展していくように頑張っていきましょう。
 ありがとうございます。

小野部長
 それでは続きまして、工藤さんの方からお願いいたします。

工藤 秀佳
 よろしくお願いします。
 まず始めに、私の所属しているMOMIJI株式会社について少しお話をさせていただきたいんですけれども、この釜石・大槌地区、シカがかなり近年増えてきていまして、その駆除したシカをやっぱり食べ切れない、ハンターさんたちでも食べ切れない量のシカが出てきていて、捨ててしまっていたのを何とか活用できないかということで、4年前に会社が始まっております。全国的にもジビエ事業者っていうのはたくさんあるんですけれども、経営が難しいっていうのが全国的な状況になっています。全国的に経営が難しくなっている理由として、もともと有害駆除を目的としていたので、食べることを目的としていない鹿肉が流通してしまって、美味しくない、売れないっていうことがよく起こっているかと思うんですけども、MOMIJIはそれとは逆に、食べることを目的として獲るっていうことをしていまして、個体の年齢とか性別を選んだり、あとは捕獲後の処理をきちんとするっていうことで、全国のレストランのシェフからもお取引をいただいていて、常に品薄な状態になっているような形で事業をさせていただいています。
 お肉を加工して売るということ以外にも、他に出てくる角とか皮の活用であったりとか、あとは、先ほど少しお話したハンターを育てる活動であったりとか、それから「ジビエツーリズム」というものもやっていまして、実際に山に行って、狩猟の現場をお客様にお見せするというものなんですが、1泊2日で宿泊費を除いて3万4,000円ぐらい、結構金額の高いツアーになるんですけれども、県外から、大阪・東京とかから、かなりお客様に来ていただいているツアーなども行って、大槌の魅力を発信しています。
 それで、今回のテーマが「住みたい、住み続けたい三陸の創造」っていうことで、私自身は、3年前に大槌に引っ越してきたんですけれども、やっぱりそのきっかけになったものは仕事だなと思っていまして、面白い仕事がないと、ここには来ていなかったんじゃないかなっていう部分があります。私自身はもともと大学で畜産の勉強をしていまして、そういった中で、このMOMIJIの仕事があるっていうことを聞いて、今まで活用されていなかったお肉をちゃんと活用されるようにするっていうミッションにすごく感銘を受けて、それを大槌町だけではなくて他の地域にも広めていこうっていうようなところに共感して、その仕事が地域おこし協力隊で募集が始まるよっていうことだったので、ぜひ応募したいということで、こちら(大槌町)に来た形です。
 実際に、MOMIJIの中には今常時12人のメンバーがいるんですけど、そのうちの8人の方は、地元、釜石・大槌以外の出身の方でして、かなり移住者が多くいまして、地域おこし協力隊も4名入っているんですけれども、他のメンバーを見ても、「狩猟を仕事にしたい」とか、「自然と接する仕事をしたい」みたいな動機で来られている方もいて、ジビエっていう仕事自体がすごく魅力的なものに、外から見ても映っているのかなっていうふうに思います。大槌以外の地域でも、これからやっぱりシカが増えてきて、駆除頭数もどんどん増えてきて、利活用できていないシカがたくさん出てきているので、こういったものをちゃんとお肉にして県外とかに販売していくっていうのは、岩手の産業の創出にも繋がると思うので、他の市町村のジビエ事業っていうところもMOMIJIとしても応援していきたいと思いますし、そういったところを、県の方から応援していただけるとありがたいなと思っております。
 あと今、課題として感じていることなんですけれども、先ほどお話したジビエツーリズムですね、大槌町に移住して来る人を増やすとか、それ以前に観光をしに来てくれる人を増やすっていうことを考えた時に、大槌町って名前くらいは、かなりニュースにはなっていたので聞いたことある方は多いと思うんですけど、「どこにあるの?」みたいなことが結構あるので、知名度をまず上げていくっていうところが必要なのかなと思います。三陸道(注:三陸沿岸道路)も開通して、かなり交通の便は実際には良くなってきているんですけど、意外とまだ外から来られるっていうことがない状態ですね。ツーリズムができて、実際には狩猟のコンテンツっていうのは、もう海外からもお問い合わせをいただいているような状態で、海外の方とかにも魅力に映るコンテンツがあると思うんですけど、その発信がまだ上手にできていないという状態で、先日、「ジャパン・ツーリズム・アワード」(注:ツーリズムの発展と拡大に貢献した、国内外の団体・組織・企業の持続可能な優れた取組を表彰するもの)の表彰式で、商談会に(MOMIJIの)他のメンバーが出てきたんですけれども、他の県は都道府県単位でブースを出して営業されているっていうところで、岩手県はちょっとまだその辺りが(できていない)、もっと力を入れてこれから営業していきたいなっていうふうに感じたと話していました。
 もう少し話しても大丈夫ですか。あと、私から「住みたい、住み続けたい」っていうテーマで、「住みたい」っていうことを考えた時に、大事なことは仕事と、あと家と、あときっかけかなと思います。仕事ときっかけ、知ってもらうっていうことについてお話したんですけど、あとは家で、今、私、築70年の家をたまたま地元の方と御縁があってお借りすることができて、すごく安く貸していただいているんですけれども、やっぱり家が大事だなと思っておりました。そういったなかなか空いている物件っていうのが、人脈がないとお借りできない、例えば「お仏壇があるから知らない人には貸せないよ」とか、あと「ちょっと荷物があるけどこういう状態でもいいの?」みたいなこととかがあったりすると思うので、これから移住して来たいっていう人にとって、そういうちょっと一歩入った人脈で、そういうお家をコーディネートしてあげられるみたいな仕組みというか、そういったものがあるといいのかなと思っています。
 あと、「住み続けたい」の部分なんですけど、私はまだ結婚はしてはいないんですけれど、ここから10年、20年住んでいきたいなって、もし思ったときに必要になるのは、やっぱり教育環境かなと思います。今、人口というか町の人数も減ってきていて、学生の数も減ってきていると思うんですけど、「はま留学生」(注:県立大槌高校で2020年度から「はま留学」として県外からの生徒募集を行っているもの)が高校の方には入ってきていると思います。結構、大槌町の学校って、狭い、固まったコミュニティの中で幼稚園、小中高って上がってきて、価値観も固まっているという中に「はま留学生」が入ってくるっていうのは、地元の子にとってもすごくいい影響があるんじゃないかなと思っています。なんですけど、まだちょっと人数が少なくて、うまく馴染めなかったりという話があるっていうふうには聞いているので、そういった外から来る県外生の人数なんかももっと増やしていけると、教育もより魅力的になってくるんじゃないかなと思います。
 たくさんお話したんですけど、以上です。

小野部長
 住みたいと思うために、仕事と家ときっかけ、そして住み続けるためには、教育、特に外からの留学生といったものも重要というお話をいただきました。
 知事の方からお願いいたします。

達増知事
 工藤秀佳さんも、大槌に来てくださってありがとうございます。私からも御礼を申し上げたいと思います。
 それで、ジビエですね。これは欧米では、もう昔からあり、狩猟もいい趣味で、またジビエを食べるのもいい趣味ということで定着しているのですけれども、日本でもやる人はやっていたけれども、きっかけは有害鳥獣対策がやはり大きいところで、今年はクマがたくさん出るということもあって、県の担当といろいろ協議する中で、(有害鳥獣対策に関する)資料を見て改めて気付いたのですけれども、東北でシカの害の多さ、そしてシカを獲っている数というのは、岩手が圧倒的に多くて、青森、秋田はほとんどシカを獲っていないのですよね。そして、宮城が少しあって、山形、福島もシカの害はほとんどなく、福島だとイノシシの害が結構多いのですけれども。やっぱり五葉山にもともと(シカが)いっぱいいて、それが周りにどんどん広がっているというのが、シカの害が広がっているパターンで、東北以外のところはまだきちんと調べていないのですけど、結構日本の中でも、(岩手は)非常にシカの害が多い地域かもしれず、そうすると、日本の他のところの例を参考にするというよりも、やはり岩手独自の対応を考えていかなければいけないと改めて思っています。
 そのシカ対策の一環として、MOMIJI株式会社ができたわけですけれども、これは県の食品、加工食品などのコンテスト「岩手ぅんめぇ~もんグランプリ」を連続して取って(受賞して)いて、私も何回か食べたことがありますけれども、大変美味しい、これは誰に出しても恥ずかしくない、どこに出しても恥ずかしくないような商品にしてもらっています。やはり食べて美味しい商品として成功しているところで、(シカを)捕まえる、獲るというところとの上手いサイクルができてきたのだと思いますので、この調子で発展するように、県も協力していきたいと思います。
 そして、家の問題ですね。これはずっと言われていることで、岩手沿岸、さらに岩手全体としても、若い人が住むのにちょうどいいような住宅が足りないと。足りないか、(住宅が)あっても家賃が高いといった問題があり、やはり人口減少対策に取り組む上で、この住宅政策というのは大事だと思っておりまして、市町村と連携しながら、若い人たちが住む場所に困らないようにしていきたいと思います。
 そして教育、大槌高校ですね。東日本大震災津波をきっかけに、大槌高校というのは、岩手の中でも、また、東日本大震災津波の被害があった県の中でも、最も開かれた高校だと言っていいと思いますね。トモダチイニシアチブで、アメリカに行く人なども出てきたり。それからカタリバの活動ですね、NPOカタリバ(注:認定NPO法人カタリバ)の人たちが放課後の指導をしてくれたりなどしながら、国際的にも開かれて、そして全国から入学者や留学もあるということで、そういう形でやはり発展させていきたいと思います。高校、大槌高校が一つ、全国や海外との繋がりを、この地域に作っていくエンジン役みたいになればいいと思っています。
 ありがとうございました。

小野部長
 それでは、3人目の大羽さんの方からお願いします。

大羽 美年
 よろしくお願いします。
 私の話になるんですけども、震災後、私はUターンとして(大槌町に)帰って来て、実家を継ぐという形で帰ってきたつもりだったんですけども、正直、海を見るっていうのは、当初は海を見ながら仕事するっていうのは本当に嫌でした。言わずとも、やっぱりそういうふうなことがあったので、海を見ながら仕事せずに、仕事をサボって趣味の運動をしていたっていうのも正直ありました。ましては周りの地元の人からも、こういうことがあったのに、そういう海の仕事をするのかっていう言葉も、結構痛い言葉も正直ありました、当時は。父さんと自分でいろいろ考えながら、今の仕事をここまでやってこられたんですけども、当時、そういう意見があり、自分も正直海が見たくないっていう気持ちがあったからこそ、やってみたいっていう事業が一つできまして、それを「大槌湾クルーズ」っていう形で事業をやったことがありました。それは、復興、震災の復興事業、復興の工事で、経過観察とは言わずとも、海の上から大槌町の経過を見るっていう形でクルージングを始めたのがきっかけでした。正直、2年、3年ぐらいしかできなかったんですけど、それでも、3年間で400人ぐらいは(船に)乗せて事業をしていました。乗せて、やっぱり皆さんから励ましの言葉もたくさん頂戴して、やって良かったなっていうことが、自分の中ではありました。
 復興もあり、今の仕事に専念しているわけなんですけども、大槌町に人を呼びたいってなった時、どうしたらいいのかなって思った時に、大槌町役場の人といろいろ話して、一度、釣りの大会を開いてみようということになったんですよ。一応、第1回、第2回、第3回とやったわけなんですけども、第1回では100人ぐらいしか集まらなかったんですよ。でも、第3回では200人規模の人が町内外、他県から来て、大槌町の旅館など、飲食店などにも協力していただいて、少しでも大槌町が賑わえたのかなっていうふうなことがあって、自分の中では成功したと思っていました。やろうと思えば、正直、人は集められるんだなとは思いました。ただ、それに伴って、やっぱり一人だけの力では100%無理です。各市町村の自治体の協力があっての話だと思っているんで、一人規模の人間だけでは、正直集められないと思っています。
 話が少し被ると思うんですけど、先ほど工藤さんからお話が出たんですけど、移住者の件で私も思っていたんですけど、多分、皆さん今聞いてびっくりすると思うんですけど、釣りがしたいために、他県から大槌町に就職するっていう人も今多いんですよ。多分びっくりすると思うんですけど、たかが釣りをしたいために、大槌町に移住するっていう考えの人が、釜石、大槌町で結構多いんですよね。多分、工藤さんとかも来た時は、右左何も分からない状態で来たと思うんですけど、やっぱりそういう人たちにも、厚い支援なり、そういうのをしていかないとついていけないと思うんですよ、私的には。一人、私の知っている人は、埼玉県から大槌町に今年の3月に移住してきたんですけども、金額的に、一軒家を借りて家賃が例えば6万円から7万円で、そこから補助が少し出て、少しは安くなるって言っても、働いていますけども、その給料から家賃を払う、光熱費を払うって言ったら、正直、残るお金っていうのはかなり少ないと思うんですよね。そういうふうな支援をしていかないと、多分、大槌町、釜石に人口を増やしていこう、増やしていこうっていう話になっていますけど、そういうふうな支援を厚くしていかないと、多分、移住したくてもできない、ましてや、移住したけどもう帰るっていう人が、正直いると思うんですよね。だから、そういうふうな移住者なども、やっぱり釜石市、大槌町民として厚く歓迎してあげないと、人口ってやっぱり伸びないと自分は思っていますんで、そういうのも、県、市町村に協力していただけたらなっていうのは正直思っています。
 私が今商売はしているんですけども、三陸道(注:三陸沿岸道路)が開通して、今まで地元民だけの商売だったんですけど、内陸、他県から人が大槌町に足を運ぶようになって、ちょっと景色が変わったなっていうふうに思っています。ただ、人口減少など、あと今言われている物価高に伴って、地元だけでの、地元民だけでの商売っていうのは正直厳しいです。なので、どう、内陸や他県から来ていただいた人達を大槌町に居続けさせられるかっていうのも一つの課題だとは思っております。先ほど、佐伯さんからもお話が出たんですけど、大槌町も飲食店って意外と日曜日とかお休みが多いんですよね。せっかく、他県から日曜日に来たのに、遊ぶところが無い、泊まれる所はあっても、ただホテルに泊まってというだけになっちゃって、遊び心ができないっていう人たちの意見も多数聞こえてくるんですよね。それも少し考えていかなきゃいけない部分もあるのかなというふうに、自分の中では思っています。今私も商売しているんですけど、大槌町の商売をしている人たちからも、いろんな話を意見交換はしたりしているんですけども、やっぱり、これ以上人口が減ったら商売できない、これ以上物価が上がったら、正直、値上げにも限界があるっていう話にもなっています。それを結局、値段、売り値に反映させるっていうのは正直難しい話なんですよね。だから、それをどこまで自分たちがカバーして、お客さんにできるだけ安い値段で売っていくかっていうのも商売のやり方の一つだと自分たちは思っているんで、それを少しでも何とか緩和できるように、県の方には頑張っていただきたいなとは正直思っております。
 少し話が長くなりましたけども、よろしくお願いいたします。

小野部長
 ありがとうございました。移住者へのサポート、それから、日曜問題といったことも出ましたし、それからやはり、物価高への対策といったことのお話をいただきました。
 知事の方からお願いいたします。

達増知事
 釣り大会で、県外からもたくさん来るということで、いわゆる釣りファンの人たちというのは、結構もう日本中どこにでも行くという感覚を持っている人が多く、普段の釣り船のお客さんも、県外から来る人というのは結構いるものですか。

大羽 美年
 
そうですね、増えましたね。

達増知事
 やはり、それは非常にチャンスなのだと思います。どんどん昔に比べて、時代が最近になればなるほど、釣りファンの人たちの行動範囲というのは広まるし、また、道具に凝ったり、釣りのやり方に凝ったりですね。そして、釣りがしたくて移住というのはやはりあるのでしょうね。楡 周平(にれ しゅうへい)という岩手出身で企業小説を書いている人が、少し前に「サンセット・サンライズ」という、リモートで、東京の会社の人が岩手の沿岸に移り住んで、そこで住宅を確保して、その人は釣りが好きなので、釣りにすごく時間をかけながらオンラインで会社の仕事もするという内容の小説で、楡周平さんの本があるのですけれども、やはり、釣りの魅力で交流人口や関係人口を増やしていくということは、大槌の場合は非常に可能性があるのだと思います。
 そして、やはり住宅の問題も指摘がありまして、やはり一定の支援があった方がいいのではないかと。給与水準が岩手はやはり低いので、その中で住宅費がかかるようだと、やはりそこは(生活が)きつくなってしまうのだと思います。給与水準の低さに見合うような住宅費で済むぐらいにしていかないと、住宅費問題で定住が難しくなるというのはもったいない話なので、やはり住宅政策には力を入れていきましょう。
 ちなみに、岩手県内で、全国の給与水準よりも高い給与水準の層が一部ありまして、統計だと、10代後半の正社員の年収というのは、全国水準より岩手が高くなっていて、これは要するに、高校を卒業して正社員になった18歳、19歳の人の初任給や、2年目の給料というのが、全国の水準より岩手は高くなっていて、推測すると、北上やその周辺の半導体や自動車の最先端の工場で働く人たちや、その関係の工場で働く人たちなどが、全国水準より高い給料を貰っているというところがあるので、そういう人たちが釣りに来てくれたり、週末休みを取って、海の方に来るという流れを作っていくというのが大事だと思います。やはり、全国水準以上の消費力を持っている人たちが岩手に住んでいるというところがありますので、今は18歳、19歳ですけど、その人達がどんどん20代、30代といけば、岩手の給与水準全体をその辺が引き上げていく先導役になっていくことが期待できますので、道路が便利になり、復興の経験もあって、内陸と沿岸の結びつきというのはどんどん強まっているので、そういう人の行き来で沿岸の経済が活性化するようにしていきたいと思います。
 ありがとうございました

小野部長
 最後に、三塚さんからお願いいたします。

三塚 麻央
 今回のテーマが「住みたい、住み続けたい」ということなので、私は外から来た人が住みたいと思っていただけるように、日々心掛けていることと、今住んでいる人が住み続けたいと思うために必要なことの二つに分けて、お話をさせていただきたいなと思っております。
 まず、「住みたい」ということについてなんですが、私は飲食店なので、やはり食の側面からこの町の豊かさを伝えるっていうのが一番の使命かなと思ってやっています。今やっていることとしては、海の物を食べたいっていうと、イコール海鮮丼っていうのが、通常の流れでして。ただ、海外からいらっしゃるお客様は、生魚自体に馴染みがなくて、お召し上がりいただけない場合もあったりとか、あとは、県外からいらっしゃった方が温泉に宿泊されるっていう場合は、夕食に必ず和食だったり刺身だったりっていうのでお魚料理を結構召し上がっていて、その中で、ランチだったり、ディナーのタイミングでイタリアン(を出す)っていうことにニーズがあるのかなと思ってやっています。また、魚だけではなくて、店で使っている野菜も、基本は市内産、県内産っていうのを使うようにしていまして、宗教だったり、ベジタリアンだったり、そういったことにも対応することで、様々な習慣の人、思想の方がみんなと一緒に楽しめるっていうこととか、あとは、もうこちらも受け入れられる、ウェルカムの体制がありますよっていうのを示していけたらなというふうに思っています。また、今日御出席されているMOMIJIさんの鹿肉も、実はうちも使わせていただいたこともあって、宗教上の理由で豚肉が食べられない「ハラル」のお客様がいらっしゃったんですが、学生さんで、帰国する前に「豚の生姜焼きを食べるのが夢だった」っていうことで、その際に鹿肉を使わせていただきました。実際作ってみると、豚で作るより、すごく美味しかったんです。やっぱり、食材そのものがいいからっていうのもありますし、そういう経験一つを取っても、「この町に住みたいな」だったり、「関わっていきたいな」って思っていただける一つのきっかけになるかなと思ってやっています。
 今は外から来た方を受け入れるっていうお話をしてきたんですが、今やっている、挑戦していることとして、中から外に釜石をアピールしていくっていうことがあって、なかなかPRベタな市民性というか、釜石・大槌は、なかなか外にアピールしていけないっていうところが少しあるかなと思っているんですが、釜石には、これといったお土産が少ないかなというふうに思っていて、この町を震災があった町っていう以外に、何かもっとこう、昔からあるものだったり、釜石の人間だったり、人柄が分かるようなお土産が作れないかなというので、地元のこの「カラフルCUBE」、これを作っている企業さんだったり、地元の銀行さん、あとは、日本大学芸術学部の皆さんと一緒に協力して、商品開発をやっています。若い学生さんの視点で、釜石の海ではなくて、意外と山の方に魅力があるように感じていたりとか、やっぱり、外からの視点ってすごく重要なことだなというふうに実感するいい機会になりました。
 次に「住み続けたい」という方の側面のお話に移りたいと思うんですが、こちらの方は、私自身の私生活を少し交えてお話したいなと思っています。私自身、結婚して、この町で子育てをしている身でして、自然が豊かでのんびりとした環境の中で、子供たちと過ごせる時間っていうのは本当に何にも代えがたい時間だなっていうふうに思っています。ただ、現状、子供のためを思うからこそ、この町から離れなきゃいけないっていう方も、やっぱり子育て世代には多くいらっしゃって、三陸の道路がすごく通行の便が良くなったっていうこともあって、内陸との距離が昔よりも本当に近づいたので、釜石で働いていても、内陸に自宅があるっていう方が本当に増えたなと、震災後特に増えたかなと思っています。大学で教育を学んで、内陸の教育の現場を見て、今、沿岸の教育の現場を見ると、やっぱり親の所得の格差っていうのももちろんありますし、それに伴ってやっぱり子供に対する教育格差とか、教育機会の格差っていうのも、すごく大きいものなんだなと、より今実感しています。今後、部活動の地域化とかっていうのも今言われている中で、内陸に早いうちに子供たちと一緒に住んだ方が、子供のためになるって思う親御さんがやっぱりどんどん増えてきていて、こういうこと一つ取っても、釜石・大槌の人口減少というのにどんどん繋がっていっているんだなというふうに感じています。この町で子育てをするっていうことに対して、すごく、私は幸せなことだなと感じているので、やっぱり、子供たちの体験だったり、経験だったり、そういうのを増やせるような支援がもっとあったらいいのになっていう、プラスαでもっとこの町の強みになるんじゃないかなっていうふうに感じています。
 自己紹介でも少し言ったんですが、コロナ禍は本当に飲食店にとっても、もちろん皆さんにとっても大変だっただろうなと思うんですが、本当に三密とか会食は控えるようにということを言われる中で、大変な3年間でした。他県ではあった飲食店への支援が、岩手県は無かったりとかっていうことで、店を存続していくこと自体が本当に大変だったなというふうに思っています。震災で被災して、そこから再起をした飲食店は、家のローンと、あとは店のローンとっていうのを背負いながら、さらにコロナの負債を抱えているっていう状況の中で、今は物価高っていう、先ほどお話にもあったように、その波になかなか沿岸は乗れないというか、物価高だからといって値上げができない。やはり、内陸部や都市部に比べて所得が低いっていう、沿岸には沿岸の所得に合った値段設定っていうのがある中で、どうしてもお客さんに来ていただくためには、店の方がもう少し我慢してやっていかなきゃいけないっていうのが今の現状かなというふうに思っています。
 店で働きたいとか、県外から移住して働きたいんです、カフェ経営を学びたいですって言っていただく方もいらっしゃるんですけど、やっぱり、飲食店で人件費ってランニングコストの中でもすごく大きい割合を占めるので、なかなか今まだ踏み切れずにいて、せっかく移住して来たいって言ってくださる方に対して、まだ自分たちが受け皿になりきれないっていう現状があります。今後は、この町の若い人だったり、女性だったり、県外、市外からいらっしゃる、移住して来る方の受け皿になるような店にしていきたいなっていうふうに思っているのが、今の目標です。
 ありがとうございました。以上です。

小野部長
 地域、そして住み続けていくための課題として、ただいま、物価高対策であったり、様々、飲食店としての課題が多いといったところでもお話をいただきました。本日、様々御意見をいただいておりますので、これにつきましては、持ち帰りまして、県庁、関係部局とも、しっかりと連携を取って対策を進めてまいりたいと考えております。
 知事の方からお願いいたします。

達増知事
 まず、魚河岸テラスの中で、HAMAYUIをやっていただいているということ、せっかくの魚河岸テラスですけれども、中に入るお店で、やはり人が来る・来ないが決まるので、いいお店を中でやっていただいて、本当にありがとうございます。外国人が食べるなど、いろんなそういう配慮もしてもらっていますし、鹿肉は本当に美味しいですよね。先週、盛岡市内のレストランで、鹿肉を食べる機会もあったのですけれども、赤身のパワーとかですね、やはり、鹿の肉はしょっちゅう食べていいものだなと思います。
 そして、釜石土産の開発も、日芸(注:日本大学芸術学部)の協力も得ながらやっていただいているということで、よろしくお願いしたいと思います。
 そして、教育ですね。今年の春、夏頃、釜石のお母さん方の話を聞く機会があって、盛岡など内陸での教育環境と比較した時、やはり課題があるということを伺ったのを思い出しました。環境として、釜石は全然悪くないけれど、いろんな体験とか、そこのところを釜石にいながらにしてやれれば非常にいいということで、そこはやはりテーマなのだと思います。
 そして、コロナ禍から物価高騰問題という部分は、これは非常に大問題で、今、県が直面する最大の課題の一つだと思います。コロナ禍で、他県でもらえる飲食店の支援金がもらえなかったというのは、非常事態宣言が出て営業制限がかかれば、そこに補助金が出るのですけど、岩手は結局、盛岡でごく短期間そういうことがあっただけで、全県的には時間制限を強制するような非常事態にはならなかったということもあって、そういう支援金が利用できなくて、一方で、その非常事態宣言がなくても、お客さんは来なくなるという実態はあり、営業時間を制限されて休みにしているところや、時間を制限しているところと比べて、収入が減るというのは同じだったわけなので、そういう国の支援金がこなかったというのは、本当に大変だったと思います。
 そして、物価高騰問題は、これも、今、日本全体で取り組んでいるのは、賃上げをして消費力を高めて、それで価格転嫁、値上げしてもいいようにし、値上げして会社の収益が高まって、さらなる賃上げができるサイクルにしようと言っているわけですが、やはり、価格転嫁と言いつつ、お店や飲食店の価格を上げると、お客さんが減るという問題は、実際には起きてしまうということです。ですから、この実態は、今、緊急事態、非常事態で、もともと、ウクライナの戦争が原因で始まっていることで、働いている人たちが悪くてこうなっているわけではないので、ここは国を挙げてやはり支援すべき時で、そこは県としても、公がそういう民間経済を支えなければならないところですので、様々、この支援の仕方を考えてやっていきたいと思います。
 ありがとうございました。

小野部長
 ありがとうございました。
 二巡目というふうに考えていたのですけれども、一巡目で皆様からじっくりお話を聞いてしまった形もございまして、時間がほぼ残り少なくなってきましたけれども、全体を通してでも結構だと思います。どなたか少し話し足りなかったなど、皆さんの話を聞いてこう思った、これから釜石・大槌の地域のため、こういった方向がいいのではないかでも何でも結構ですけども、どなたかいかがでしょうか。
 佐伯さん、いかがでしょうか。

佐伯 悠
 何かスポーツの観点が強かったですけど、それでも皆様のお話を聞いた中で、手を組みながらできることって、すごくいっぱいあるんじゃないかって思ったので、特に、観光の面であったりとかってすごく大きいなと思ったので、やはり人を呼ぶのがバラバラじゃなく、いろんなところで手を組みながら、人を呼びながら、そういった流れができるといいのかなっていうのが、もし、これは県が主導であったりとか、そういうふうに動いてくれると私達も動きやすかったりとか、あとは、そういった企画を逆に投げていただけたら、すごくいいんじゃないかなと思ったので。何かバラバラでやるよりかは、いろんな人が手を組みながらやった方がいいんだなとすごく思いましたので。スポーツで人を集めたりとかあるんですけど、やっぱりそれも今すごく苦労しています。なかなか大きなイベントでも人が集まりにくくなってきているので、そういったところを皆さんでやりながら、食品だったり、釣りなんか本当に人気があって、うちのチームもいっぱい釣り好きがいますので、そういった連携をしていけたらいいなと思って聞いておりました。

小野部長
 ありがとうございました。
 皆さんもまだまだお話足りないところがあったと思いますが、司会の方も至らず申し訳ございません。

知事所感

小野部長
 ここで意見交換の時間を締め切らせていただきまして、最後に知事の方からお願いいたします。

達増知事
 それぞれ連携して相乗効果という意味では、まずここにいる人たち同士の連携で、それだけでもかなりの相乗効果があると思いますし、そういう場を広めていけるように、県でも工夫をしていきたいと思います。地域の中での連携、また、内陸と沿岸を結ぶようなことや、また、ご当地と全国や海外を繋ぐことなど、ありとあらゆることをやりながら、要は交流人口を増やして、移住定住も増えて、人口も増えるようにするということだと思いますので、そういうふうにやっていきたいと思います。
 今日はどうもありがとうございました。

閉会

小野部長
 皆様、本日は本当に貴重な御意見をいただき、ありがとうございました。
 今、知事からもお話がございましたとおり、本日のテーマ「地域の魅力を生かした 住みたい、住み続けたい三陸の創造に向けて」といった形で、仕事、住宅、それからここに来るきっかけ、そして教育、住み続けるための教育といった点、移住された方々へのサポート、そして目下の、最大の課題であります、物価高対策、様々御意見、お考えを頂戴いたしました。県といたしまして、今日いただいたお話をしっかり持ち帰って、取組に生かしてまいりたいと思います。
 本日はどうもありがとうございました。
 これをもちまして、県政懇談会を終了させていただきます。

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