「いわて幸せ作戦会議in久慈」(令和2年1月8日 久慈地区)
日時
令和2年1月8日(水曜日)10時30分から11時50分まで
場所
久慈地区合同庁舎 6階 大会議室
出席者
- 参加者(敬称略)
田端 涼輔(久慈市地域おこし協力隊)
金子 太一(有限会社カネシメ水産 専務)
櫻庭 泰裕(有限会社櫻庭石材店 代表取締役、総合格闘技ジムアンサーファイト 代表)
礒﨑 恵美子(有限会社アグリアルファ 代表取締役)
大原 圭太郎(一般社団法人fumoto 代表理事) - 県側
知事、県北広域振興局長、秘書広報室長
開会
高橋室長
ただいまから県政懇談会「いわて幸せ作戦会議in久慈」を開催いたします。
皆様には御多忙のところ、またあいにくの大雪、雨となりました中、御出席いただきまして誠にありがとうございます。
今日は、「復興のその先へ~一人ひとりが輝く新たな地域づくり~」を懇談テーマとして、久慈地域で様々な分野で地域の復興、地域の振興に取り組まれている方々にお集まりいただいております。
私は、進行役を務めさせていただきます県の秘書広報室長の高橋と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
知事あいさつ
高橋室長
それでは、開会に当たりまして知事から挨拶を申し上げます。
達増知事
皆さん、おはようございます。県政懇談会「いわて幸せ作戦会議」というタイトルは、今年度から始めたものでありまして、今年度から始まった新しいいわて県民計画(2019~2028)の目標が「東日本大震災津波の経験に基づき、引き続き復興に取り組みながら、お互いに幸福を守り育てる希望郷いわて」ということで、全ての県民と岩手に関わる全ての人を幸福にできる県になろうという目標でありますので、そのための作戦を立てようということで、こういうタイトルになっています。県内各地域、また各分野で活躍している皆さんの意見を知事が直接伺って、県政の参考にしようということであります。
おととい、月曜日が仕事始めで、東日本大震災以降、一年の計は沿岸にありということで、沿岸から仕事始めをするようにし、おとといは宮古市から幹部会議に私がテレビ会議式で参加し、そして年頭の知事訓示というのを宮古の合同庁舎でやったのですけれども、今年は一年の計は県北にもありということで、今日は現地県北振興会議という県の幹部会議を午後には予定しておりまして、今から行う「いわて幸せ作戦会議in久慈」とあわせて、県北からも一年の計をスタートしていきたいと思います。久慈エリアは、沿岸と県北の重なるところでもありますので、特に一年の計をここからスタートしていきたいと思います。
ちなみに、去年12月にマドリードでCOP25の地球温暖化防止の会議が開かれるのに合わせる格好で、岩手県と県北広域振興局管内8市町村プラス葛巻町の計9市町村が、2050年までにCO2排出をなくすという宣言をしたところでありまして、日本では小泉環境大臣がマドリードで発表したのですけれども、28の自治体がそれを宣言しているという、28のうちの10が岩手県プラス県北9市町村ということで、環境面に関して世界的にも注目された岩手県北でありますので、是非今年のスタートを県北から岩手の未来を拓いていければと思いますので、よろしくお願いします。そして、県議会議員の皆さんもありがとうございます。
高橋室長
それでは、この後の進め方についてですが、まず私から御出席の皆様方を紹介いたします。その後、お一人ずつ自己紹介をお願いいたします。次に、今日のテーマに沿ってお話をいただきますが、お二人からの話に続いて知事がコメントするというような形で意見交換を進めていきたいと思います。そして、終わりには自由懇談の時間も設けたいと思っておりますので、よろしくお願いします。
それでは、座席表に従って、今日御出席の皆様を御紹介いたします。
久慈市地域おこし協力隊、田端涼輔さんです。
田端 涼輔
田端涼輔です。よろしくお願いします。
高橋室長
有限会社カネシメ水産専務、金子太一さんです。
金子 太一
金子太一です。よろしくお願いします。
高橋室長
有限会社櫻庭石材店代表取締役、総合格闘技ジム、アンサーファイト代表、櫻庭泰裕さんです。
櫻庭 泰裕
櫻庭です。よろしくお願いします。
高橋室長
有限会社アグリアルファ代表取締役、礒﨑恵美子さんです。
礒﨑 恵美子
礒﨑恵美子です。どうぞよろしくお願いいたします。
高橋室長
一般社団法人fumoto代表理事、大原圭太郎さんです。
大原 圭太郎
大原圭太郎です。よろしくお願いします。
高橋室長
県からは達増知事、県北広域振興局の南局長でございます。
また、県議会議員の方々にお越しいただいておりますので、御紹介いたします。宮古選挙区選出の佐々木宣和議員です。
佐々木宣和県議
佐々木です。よろしくお願いします。
髙橋室長
久慈選挙区選出の岩城元議員です。
岩城元県議
岩城です。よろしくお願いします。
高橋室長
どうぞよろしくお願いいたします。
皆様のお手元のほうにお菓子と飲み物を準備しておりますので、召し上がりながら御懇談いただければと思います。
まず、今日のお菓子を紹介いただきます。
南局長
それでは、本日のお菓子、私のほうから御紹介をさせていただきます。本日お配りしておりますお菓子は、久慈市の菓子店、沢菊さんの「こはくみ~つけだ!」、「み~つけた!」ではなくて「み~つけだ!」とちょっとなまりますけれども、これは地層と、その中に光り輝く琥珀をイメージしております。
御案内のとおり久慈地方は、国内最大の琥珀産地として知られており、久慈市には国内で唯一の琥珀専門の博物館である久慈琥珀博物館があります。昨年4月に敷地内の琥珀採掘体験場でティラノサウルス類の歯の化石が見つかり、大変大きなニュースとなったところであります。そして、先月12月25日には、恐竜の歯の化石が見つかった久慈層群を含む三陸ジオパークが日本ジオパークとして再認定されましたので、これを記念いたしまして本日のお菓子として紹介をさせていただきました。
悠久の時の流れに思いをはせ、琥珀や恐竜の化石を見つけるかのような喜びを感じながら、琥珀色の紅茶とともにお召し上がりください。よろしくお願いします。
達増知事
地層のように見えますね。
南局長
地層です。
達増知事
ごちそうという感じもしますけれども、ほぐしながら食べてもいいかもしれないし、一気にかじっても。
南局長
ほぐしながら見つけるように、採掘しながらというか。
達増知事
一気にかじるもよし、発掘するもよし。
高橋室長
歯は入っていないですよ。
達増知事
フルーツケーキの一種という感じで。上下はパイという感じ。
南局長
パイ生地ですね。非常に甘みを抑えたお菓子で、お茶請けに最高だと思います。個人的にも大好きなお菓子です。
懇談
高橋室長
それでは、懇談に入らせていただきます。
まず、お一人2分程度で自己紹介をお願いいたします。お話しいただく順番は、田端さんから順にお願いします。
それでは、田端さん、お願いします。
田端 涼輔
おはようございます。久慈市地域おこし協力隊の田端です。自分が協力隊になったきっかけが、東日本大震災のボランティアでこっちに来ていまして、すごくいいところだなと思って、将来こっちで仕事がしたいなと思って、名古屋でやっていた仕事を辞めて、こっちに来ました。
自分の協力隊のミッションが久慈市山根町、人口もう300切っているのですけれども、コミュニティカフェを開くということで、去年の7月からコミュニティカフェをオープンして、地元の方々に使ってもらったりだとか、市内の方に来てもらったりして、今運営しているところです。
来年度からはキッチンカーを導入して、山根町地域内でもやっぱり足がない方もたくさんいらっしゃるので、そちらのほうに出向く形になったりとか、今後の活動、3年後こちらで定住していくというところも含めて、市外、それこそ盛岡だったりとかにもちょっとずつ足を踏み伸ばしていければなというふうに考えています。よろしくお願いします。
高橋室長
ありがとうございました。
では、金子さん、お願いします。
金子 太一
おはようございます。有限会社カネシメ水産の金子太一と申します。達増知事、台風19号の際に、普代村のほうに視察に来ていただき、ありがとうございました。消防団活動中に知事のお姿を拝見して、意外と背が高いのだなと……
達増知事
よく言われます。
金子 太一
消防団員みんなでちょっと驚いて、そこでちょっと心が和んで、スコップを持つ体とか気持ちが少し楽になったことを覚えています。ありがとうございました。
私がカネシメ水産という仕事をしているのは、単純に魚を食べるのが好きだという理由と、あとは父がカネシメ水産を営んでいたという理由です。今は、父親に代わって会社の大部分を任せてもらっているので、あとは人を雇用する難しさとか、あとは漁業不振の水産業に向かって自分の立ち位置ですとか、何をやるべきなのかというのを日々勉強し、研究しながら、すばらしいお客様、従業員に恵まれているので、その方々と切磋琢磨して今頑張っております。本日はよろしくお願いします。
高橋室長
ありがとうございました。
次に、櫻庭さん、お願いします。
櫻庭 泰裕
櫻庭です。野田村で有限会社櫻庭石材店、お墓の会社をやっています。あと、久慈市で総合格闘技ジムをやっています。東日本大震災で野田村の実家と会社が被災して、そのときに改めてお墓という日本の文化をすごく大事に思って、親とか祖父母と一緒に住んでお墓づくりを守りたいと思ってこっちに来ました。
あと、格闘技のほうも、震災前は柔道ぐらいしか経験がなかったのですけれども、どうせ生かしてもらったのであれば、やってみたかったことにチャレンジしたいなと思って、そこから格闘技を始めて、今プロになって、今年首都圏の団体の新人王トーナメントに出させてもらいます。よろしくお願いします。
高橋室長
ありがとうございました。
次に、礒﨑さん、お願いします。
礒﨑 恵美子
洋野町の礒﨑恵美子です。30年ほど関東のほうで仕事をしておりまして、父が亡くなったことをきっかけに地元に戻ってきました。洋野町で自生する薬木を生かしたクロモジの精油の蒸留や薬草栽培、それから昨年の春からは新たに西洋野菜の栽培と、3本立てで農林業に携わっております。
こちらにUターンしてきた際に、中々就職先が見つかりませんでして、しばらくは野山を駆けめぐったり、実家で漁業権を持っていましたので、海の仕事に携わったりしていました。その際に環境汚染をまず目の当たりにました。浜仕事をしているおじいちゃん、おばあちゃんたちから海の中が昔とは随分変わってきているというのを聞き、自分も実際に海に入ってみたときに、子供の頃に泳いでいた海とはだいぶ違っているということを実体感しまして、そこから何ができるだろうかということで、まず里山の保全ということで小さな活動ですがクロモジの精油の蒸留を始めました。
それから、洋野町には農業の部分での産品がもっとあってもいいのではないかと思い、洋野町に適した作物を何とか見つけ出そうということで取り組んだのが薬草栽培です。薬草栽培に関しては、初年度で栽培した作目においての岩手県の生産高ナンバーワンという実績を得ることができまして、それは自分の努力もあったかとは思うのですけれども、洋野町の自然環境に合った作物をまず見つけ出せたという実感を得られました。
そのほかにも、薬草栽培での課題から、もっと利益率の高い作物があるのではないかということで始めたのが西洋野菜の栽培です。それも先日東京で「にっぽんの宝物グランプリ」という県産物の全国大会があったのですけれども、そちらの大会の中で、私がつくっている西洋野菜を県産物の試食用の添え物として出していただけたというような状態で進んできております。
いずれにしても、自分が雇用の場がなかったということで非常に苦戦しましたので、自分自身が雇用の場をつくるというコミットメントを持ちまして、それで始めたというところです。洋野町の地域性を生かした事業の道筋ができてくれば、雇用の可能性も生まれてくるというところに立って活動して、3年経過したところです。
高橋室長
ありがとうございました。
では、大原さん、お願いします。
大原 圭太郎
私も洋野町から来ました大原です。よろしくお願いします。私は、もともと洋野町の地域おこし協力隊をやっていて、それで9月に卒業して、今一般社団法人fumotoというものをつくって活動しています。
私は、もともとは宮城県仙台市出身で、仙台、東京で働いた後、地域で何か自分が役に立てる仕事がないかなと探していたときに、妻が洋野町出身で、たまたま洋野町の地域おこし協力隊の募集があり、自分が1人目で採用していただきました。
それで、私は観光担当として観光協会のホームページで情報発信とか、イベントをやったり、あとは八戸工業大学の学生と地域ブランディングみたいなことを一緒に活動したりということをやっていました。そこでいろいろ感じた課題もたくさんあって、それを今一般社団法人fumotoとして協力隊の募集とか、コンセプト設計だったり、今後3年後を見据えた活動支援というのをやり始めたところで、今後もちょっとその辺を、関係人口をつくるようなコーディネートとかをやっていけたらなと思っています。よろしくお願いします。
高橋室長
ありがとうございました。
それでは、皆様から自己紹介をいただいたところで、ここからは今日のテーマ「復興のその先へ~一人ひとりが輝く新たな地域づくり~」ということで、今御紹介いただきました現在の取組や課題、今後の方向、御自身の抱負、県への期待なども含めてお話を伺います。
先ほどの順番で田端さんから、今度はお一人5分程度でお願いします。お二人ずつお話をいただいて、知事からもコメントするというように進めてまいりますので、よろしくお願いします。
それでは、田端さん、お願いします。
田端 涼輔
自分が住んでいる山根町という地域は、東日本大震災のときはそんなに被害というものはなかったのですけれども、平成28年の台風10号のときが一番ひどくて、川に木がひっかかって水が流れ出したりという部分でたくさんの方が被害を受けて、そこから徐々に、徐々に、まだ景観というのは、ちょっと木が残っていたりして、完全ではないですけれども、復活している最中です。
ただ、自分が気になるのは、べっぴんの湯が休止になってしまって、べっぴんの湯というのは、久慈市にとっても県外から来てもらう大切な観光の場所だと自分は思っていますし、土日なんかは八戸、仙台ナンバーがとまっているのが普通で、人口200しかない、高齢化率も60%超えているところで、そういう場所があるのはすごいなと思って、自分も去年からそこで過ごしていました。
ただ、なくなると地元の方から聞こえるのは、やっぱり温泉がなくなったら終わりだねという話を何回も聞いていますし、ただこの前の調査で温泉がそもそもとれなくなったという部分が大きいということも伺っていますので、自分もカフェを通じて山根町に携わっていくのですけれども、やっぱり温泉というものは自分のカフェよりもはるかにパワーがあるものだと思っていますので、そこに関して少し力をいただけたらなというふうに思ったりはしています。
あとは、自分の今後の活動としては、先ほどお話ししましたとおりキッチンカーで地域をめぐるというところで活動していきます。今は、カフェのメニューとしては、山根町の特産品を使った、クルミを使ったベーグルパンというのをつくったりしています。軍配もちというクルミを使った餅もあるのですけれども、そちらも今地元の方で、温泉でふだんは販売していたのですけれども、それがなくなってしまったので、今試験的に真空パックにして、どこでも出せるようにチャレンジしています。そういうところに関して自分もサポートしていけたらなというふうに思っています。
高橋室長
ありがとうございました。
では、続いて、金子さん、お願いします。
金子 太一
私は、水産業に従事している身ですので、水産業の話ししかできませんが、水産業の現状は、私が言うまでもなく大変厳しい状況になっています。みんな浜で仕事をしていて、漁師さん、あとは水産加工業者、みんなこれからのことに対して不安ですとか危機感というのは確実に抱いてはいるのですけれども、それを言葉に出すだけで、なかなか未来に向けて真剣に考えている人がちょっと少ないなと浜のほうでも思っています。
12月31日現在、サケの水揚げが不漁で終わった昨年度の量に対しても19.8%と、大変少ない水揚げになりました。これを温暖化の影響とだけ一くくりで言ってしまえば終わりなのですけれども、温暖化の影響であるのであれば、今後これは伸びるのか、サケはとれるのか、サケに限らずスルメイカ、サンマ、多種多様な魚種がだんだん獲れなくなっている、そんな水産業に不安を抱かざるを得ない状況になっています。年配の漁師さん、あとは漁業関係者の方たちは、現状維持を推し進めて今までやってきたのですけれども、現状維持で退化しているのであれば、現状維持はもう退化しかないと。なので、進化しか進歩の道はないのかなと考えています。
昨年、三陸国際ガストロノミー会議というものに参加させていただいて、自社のほうに海外の名だたる料理人の方々、国内の料理人の方々に来社していただいて、私の考えですとか、私の行っている付加価値化事業を見て、話を聞いていただいて、そんな中で海外の水産業と日本の水産業を比べる話ができたのです。その中で、日本がすぐれているところで言えば衛生面、あとは魚の食べ方、あとは魚の流通に関しては、多分日本はすぐれていると思います。逆に日本が劣っているところは、今までずっとやってきたオリンピック漁業といいますか、量をとって何ぼという漁業、質より量という漁業が日本の劣っているところで、そこの固定概念も浜のほうで根強いところがあります。これからは、水産業に携わる人、魚、どんどん、どんどん少なくなっていきます。そこを今地元に残っている自分たち若者、仕事に従事している者が知恵を絞って頑張ってやっていかなければならないなというのは感じています。
私の付加価値化事業に関しては、私個人の神経締めという、本当に狭いマーケットのコアな付加価値化事業もあります。会社としての付加価値化事業としては、昨年機材を導入しましたけれども、ナノバブルというナノサイズの泡を使った魚体から酸素を抜く無添加の酸化防止剤の役割を果たす機械を導入しました。この機械の導入によって、市場での自社の魚の評価など結構高い評価を受けておりますが、浜の買付では大きい会社が自社の周りには存在していて、小さなカネシメ水産では、そういったところの資金面には到底かなわなくて、みんなが魚を全部もうけようと思って買えば、正当な相場はできるのですけれども、どうしても大きい会社のほうですと、仕事買いという買い方が入ってきて、損をしてでもいいから仕事をつくらなければいけないというものがあります。そういったときに、ちょっと資金面でかなわないなということで、付加価値化事業に私はチャレンジすることになりました。
その付加価値化事業もただ付加価値化事業、これはいい魚ですよと宣伝しても、なかなかお客さんは買ってくれない。それを理解してもらえるように電話をしたり、あとは現地に足を運んで説明したり、そういった努力が付加価値化事業には必要なのだなと、やってみて初めて分かったことでした。
あと、普代村というと、どうしても漁業の印象が強くて、でも農業のほうとかに目を向ければ、農業のほうで頑張っている人はたくさんいて、浜だけにスポットを当てるのでなくて、農業、林業のほうにもスポットが当たればいいなと思って、シーサイドカントリーラボという団体をつくりました。私がそこの代表になっています。そこで、現地のほうに自生しているオイスターリーフというものに目をつけて、その栽培をどうにかできないものかと、岩手大学のほうですとかの教授に意見を聞いてみたり、活動を始めたところで、まだ1年もたっていません。
今後確実に人口減少に伴う過疎地の生産力の低下なのですけれども、やっぱりそこで新しい産業をつくって、少なくなる人、資源でも商売できる新しい産業ができないものかと、あと小さな普代村だからできることなど、田舎に残る若者の意識改革と、世の中に興味を持ってもらえる産業を目指して頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします。
高橋室長
ありがとうございました。
それでは、知事、お願いします。
達増知事
田端さんは、久慈市地域おこし協力隊から山根町でコミュニティカフェということで、山根町は話にもあったように、台風10号災害で大きな被害を受けて、そしてプラスべっぴんの湯の閉鎖ということがあって、大変なのだと思います。そういう中で、クルミベーグルパンとかというのがグッドアイデアだと思いますし、軍配もちの真空パックというのも、人が来なくても売れるような仕掛けというのは大事なのだと思いますね。
葛巻町など、うちは高速道路も新幹線も、そして温泉もスキー場もないということを言いながら、それでも地域おこしというのをやっているところもありますけれども、ただべっぴんの湯が最初からなかったならまた別ですけれども、あったやつがなくなるというのは、そういう現状変更というのはきついですから、そういう中で山根町の地域振興というのは、県としてもこれはしっかり見ていきましょう。
そして、金子さんの神経締めとか、ガストロノミー会議で来た人たちも感心していたという話の報告を受けていますけれども、付加価値化ということで、やはりそういう工夫と努力を重ねていくことが必要なのだと思います。
漁獲量減少問題については、サケについては特に回帰率問題とかもあって、県でも研究機関で原因究明、そして対策で、温暖化に強い北上川に上るサケの卵を使うとどうかとか、研究はしているのですけれども、やはりやっただけ確実に増やせるという、そういう確実性はない分野ですから、減ったのを増やすための取組というのは、それはそれで必要だと思っているのですけれども、元に戻らないとしても漁業をやっていけるような別の魚種への転換とか、あとは養殖の強化ですね。養殖も今までやっている養殖を発展させるということと、今までやっていなかったようなギンザケとか、トラウトサーモンとか、新しい魚の養殖とか、そういったことを組み合わせながら漁業でやっていこうという人たちがその願いをかなえられるようにしていく必要があると考えています。
そして、オイスターリーフというのを今日初めて聞いたのですけれども、そういうのがあるというのはすごいですね。礒﨑さんもそういう地元に入る新しい作物の工夫というのをされていて、沿岸北部というのはそういう可能性がまだまだあるところだなと思いますので、そういう普通の農業を大型化して、効率化して、それで採算とれるようにという方向性ではなくて、オンリーワンとか、付加価値とかで稼いでいけるような農業、林業というのをやっぱり追求すべき、そこは県もそういう方向で取り組んでいきたいと思います。
金子 太一
ありがとうございます。
高橋室長
それでは次に、櫻庭さん、お願いします。
櫻庭 泰裕
よろしくお願いします。自分の名前が櫻庭泰裕というのですけれども、オリンピックの柔道金メダリストの山下泰裕さんの名前をいただいて……
達増知事
なるほど、そうなんだ。すごいな。
櫻庭 泰裕
生まれて、物心ついたころから、高校卒業まで柔道をやっていて、出身は盛岡市になります。盛岡で米内小学校、米内中学校というところにいて、大相撲の錦木関が2つ下の後輩で、よく2人で当時は野球を一緒にやっていて、どっちもキャッチャーで、よく2人で暗くなるまでキャッチボールとかしたりしていました。高校から仙台に行って、仙台でそのまま卒業して、仕事をして、結婚して、東日本大震災があったときも仙台にいました。
アパートに住んでいたのですけれども、電気が消えたりとか、物が崩れたりとかして、何よりびっくりしたのが、ちょっと水回りが、水が逆流してきて、お風呂とか、流しとか、トイレとかが、下から水が湧き出てきて、床がちょっともう浸水しているというような。アパート自体は大規模半壊ぐらいだったのですけれども、正直それでびっくりしてしまって、こっちの親や祖父母がそういえば沿岸地域に住んでいたということ、そのときは頭に浮かばなくて、二、三日してから母からメールがあって、全部流されたけれども、生きているよというようなメールが来て。
うちの両親が小学校の先生で、公務員なので、石材店のほうは継げないというようなことで、そのとき祖父がもう81歳だったので、会社も家も全部流されたので、当然辞めるだろうなと思ったのですけれども、やるというふうに。岩手県のほうで支援とかいただいて、仮設の工場を貸してもらって、再建して、すごいなと思ったのですけれども、ただ従業員の人からしてみたら、81歳で再建して、もし亡くなったりしたときに誰がどうするのだろうという話があって、ちょうど結婚して、子どももいて、お墓についても震災を機に考えることがあったので、継ぎたいということで来させてもらって、5年間従業員として修行させてもらって、2012年に来たので、2017年に代表取締役にしてもらいました。
仕事をしながら一番感じたことというのが、墓離れというのが。今お墓の注文、新規の工事というよりは、後を継ぐ人がいない、見る人がいない、解体したいというような注文が多くて、お墓の石はもう加工しているので産業廃棄物に当たって、廃棄するにも適正な処理とお金がかかるもので、決して安いものでもなくて、あと全部が全部古い墓かといったら、割と新しくて、建ってまだ10年もたっていないのに、後継ぎがいなくて解体するというようなこととかがあって。
そこと、あと人手不足で、高校さんとか、新卒の募集とかも見たりするのですけれども、この久慈管内では高校卒業者の9割以上が残らないというような、そういう情報も目にしたときに、自分にできることは何だろうなと思って、そのときインターネットとかで見た言葉で、サードプレイスという言葉、3つ目の居場所ということなのですけれども、職場と家庭以外に自分の心の、自分の存在できる場所というものが地方には少ないというようなことを思って、こっちに来てから同時進行で格闘技のほうも始めて、練習環境がなかったですし、高速道路も直接通っていなかったので、本当の話なのですけれども、仕事終わってから片道4時間かけて五所川原とか仙台とかに出稽古に行って、車中泊用の車も買って、5時に仕事終わって、すぐ乗り込んで、9時に青森県、宮城県のジムに着いて、1時間か2時間練習して、すぐそのまま帰ってこられるところまで帰ってきて、帰ってこられなそうだったら車で寝て、仕事に何回も遅刻して、じいちゃんに怒られたりとか、あと車中泊できるところがなくて、コンビニで寝ていたりすると職務質問されたりとかもあったのですけれども、そういうのもありながら、去年の7月に青森県の団体でプロデビューさせてもらって、そのプロデビューのときに、ちょうど仲間にジムをやらないかというふうに声をかけてもらって、調べたときに、ちょうどいいテナントもあって、市役所さんに問い合わせしたら、シャッター街の対策事業の該当地域に当たるということで、補助も受けられまして、50%、工事費用の補助を受けさせてもらって、そういう流れでジムもオープンしました。
ジムの名前がアンサーファイトというのですけれども、格闘技に関わっていると友人とかから、何で格闘技をやっているのと言われるのですけれども、はっきりとした理由を言える人がいなくて、強くなりたいから、昔いじめられっ子だったからと言う人が多いのですけれども、そうではなくて、何でここに来ているのだろう、何で来ようと思ったのだろうという、それぞれの答えを胸張って言えるようにということで、アンサーファイトという名前にさせてもらったのですけれども、自分は野田や久慈出身ではなくて盛岡出身で、Iターンとして今ここにいるので、外から見た面としてサードプレイスを、やっぱり娯楽がない、環境がない、仕事がないではなくて、自分たちでつくっていくということをやっていける人が、みんながみんなそうではないと思うので、そういう若者が手を挙げられるような情報だったり環境づくりというのを、自分はたまたま自分でやると思ってできたのですけれども、皆さんがそうではないと思うので、そういう情報提供や雰囲気づくりの岩手県にしていってもらえたらなというふうに思って今活動しています。
今日の岩手日報にちょっと自分のことも記事に載せてもらったので、良かったら皆さん、見てみてください。よろしくお願いします。
高橋室長
ありがとうございました。
それでは、礒﨑さん、お願いします。
礒﨑 恵美子
私の大きな目標は、洋野町の雇用創出、それから里山海の保全、そしてサスティナブルな農業、継続可能な農業ですね、この3つを自分の目標として活動しています。目標を掲げてはいるものの、そこに到達するのに非常に四苦八苦をしている状態です。
私は新規就農で、全く農業の経験もなく、また自宅は農地も一切保有していない、農業に全く縁がないところから始めたものですから、まず最初は耕作放棄地を借りるという作業から始まりました。
もともと耕作放棄地というのは手入れが困難な休耕地です。薬草栽培というのは特殊なものでして、連作ができない。私が栽培しているのは、4年、間をあけなくてはいけないという作物です。そのために、農地を借りる際には、どうしても広範囲を借りなければいけなかった。広範囲の農地を借りたはいいが、中には耕作するのが困難な所もあり、その保全が悩ましい課題となっています。
いざ薬草の作付をして、正直耕作期間中はいつも草取りをしているような状態で、それでもつくったものは、収量としては初年度でも岩手で一番の売り上げを上げたという結果には結びついたのですが、それと同時に支出も多かった。農業というのは非常に大変なものだというのを初年度でかなり実感をさせられました。自分なりのコミットメントを持ちながら頑張っていた訳ですが、本当にこれは継続が可能な仕事なのだろうかということも初年度で思い悩みました。
二年目の収穫作業を終えた時に、農業に対する意欲はあるけれども、農薬を使えない薬草栽培の余りの作業の大変さや離農者が増える一方の農業者の置かれている環境などに思い悩みました。その時期に、町政懇談会という、町長が町民の意見を直接聞くという機会がありましたので、そこでUターンの新規就農者としての現状抱えている課題、それから町の農業を底上げするために自分なりに考えた町へ対する要望を3点ほどさせていただきました。その際に町長の対応は非常に早くて、またそれに携わる行政の方も素早い対応でして、私が悩んでいることの一つ一つを解決するという方向での道筋をつくってくださいました。薬草の草取り作業を軽減する、要は省力栽培ということでの実証栽培を支援してくださったりとか。
ということで、行政の協力が得られたということが自分の農業を続けることの大きな転換点になりました。省力栽培をすることができたことによって、その余力で私は新しく西洋野菜の栽培ということにも着手ができるようになりました。大きな面積を保有して栽培する農業も実際やってみて、その難しさを体験し、現在は西洋野菜はたった3アールの面積で栽培を始めたのですけれども、正直言って、大きな面積でやっている農業と比べると利益率が高いです。私はまだ始めて間もないので、試験栽培をしながらの販売活動なのですが、昨年の2月から始めて、昨年約100種類ほど野菜を栽培してみました。現在はもっと種類が増えています。
その中でオイスターリーフも自分が栽培しようと思った一つでした。ただ、種は海外からしか入手できないというふうに思い込んでいたので、自生しているというのはかなりの驚きでした。自生しているということは、気候に合っているということなので、非常にこれからオイスターリーフは魅力ある作物になるなというふうに考えています。
私は現在、一人で活動しているので、周りの人に協力を仰がないと物事が成り立っていきません。まず、行政の方に協力を仰ぐと、どうしても在来の農業でしか会話ができない。私の場合は、見たことも食べたこともないような西洋野菜をつくっていて、試食をしてもらっても、今後の展開の話をしても、なかなかぴんときていないというような印象がありました。
町でチャレンジファーマーという制度をつくってくださったので、その制度を活用して、私が取り組む西洋野菜の資材等を購入する一方で、それ以上に携わってくださる方の啓蒙活動も必要ではないかというふうに感じまして、以前から視察に行きたいと思っていた先進的な取組をしている農場さんや組合2カ所ほど、役場の職員の方と一緒に視察に行きました。珍しい野菜を見に行っただけではなくて、彼らがどうやってこのビジネスを成功させるに至ったかというビジネスモデルを私自身も、そして役場の方にも体感していただきたかったということで同行をお願いしたのですけれども、非常にそこで感じるものが多かったようでして、当初は西洋野菜に関して多分理解できていないのだろうなと思うようなお顔つきだったのですけれども、私の構想なり、今後の展開なり、その道筋に行くにはどうしても行政の支援が必要だというお話をしているうちに、だんだん担当者も目の輝きが変わってきたように感じていますし、協力的な姿勢を向けてくださっているようにも思います。
これまでは一人の活動だったので、非常に孤独だったのですけれども、そうやって誰かが協力をしてくれているということで、大分心強くなりましたし、頑張れるという状態にもなりました。なので、私自身が行政の力をお借りしたことによって、輝けるようになった一人なのかも知れません。
今抱えている問題としては、どうしても雇用の創出なり、里山の保全なり、何かをしていく活動費が必要になってきます。それがどういう形で地域の役に立っていくかということはまだまだ未知数なのですけれども、現状この3年間、私は事業の道筋をつくるということで活動してきました。
そして今また私は、町政懇談会で思い余って提言をしたというところと同様の状況に来ています。また新しい次の段階での思い悩みが始まっています。新しい農業は、私自身が誰からも教えてもらえない状況です。新しい作物、地元の人は誰も知らない作物、多分県北でもそういった作物をつくっている方はいらっしゃらないと思うのです。なので、私自身が学びながらつくっているのですけれども、後継者を育てる意味でもきちんと学ぶ場所も欲しいというふうな思いも生まれてきました。県南の一関市では、今、市のほうで西洋野菜の試験栽培を行っている状態にあるので、そういったところで学びたいという意欲もありますので、何とか市町村をまたいだ形でも学習意欲のある人を受け入れるという体制はないだろうかと。それは、1つ私の要望なのですけれども、学習する機会がないだろうかということですね。
ちょっと長くなってしまいましたので、これで。
高橋室長
では、2巡目で。
礒﨑 恵美子
はい。まとまりがなくて、申し訳ありません。
高橋室長
ありがとうございました。
それでは、知事、お願いいたします。
達増知事
櫻庭さんは、稼業を引き継いで、プラス格闘技ジムも代表を務めてということで、仕事の面プラス久慈市に全く新しいそういうジムを開いたというのは大変すばらしいと思います。久慈は柔道のまちでもありますから、泰裕という名前もぴったりだと思いますし、是非発展していくことを大いに期待したいと思います。
久慈のまちも、「あまちゃん」ショック以来、いろんな新しいことを取り入れながら、地域外ともつながってまちを発展させようという感覚が発展してきていますから、そこで総合格闘技というのはやっぱり全国にファンがいるし、海外にもつながっていくような分野なので、久慈市にとってもこれはすごくいい話なのだと思います。岩手全体にとってもすごくいい取組だと思います。
そして、礒﨑さんは、雇用の場をつくることから始まって、里山、海の保全、農業の振興など、SDGsのかなりの項目を目標にするような感じで、非常に時代にマッチした取組をされていて、大変ありがたいなと思います。
農業振興というのは、どの市町村でも、あるいは県でも行政の大きな柱ですから、既存の枠組みで支援できるようなところについては支援したがっているのだと思いますけれども、課題は全く新しい分野というところへの対応は、結構人によるとか、タイミングによるとか、そんなふうになっていくのだと思います。
西洋野菜とか、あと薬草、薬木、これはオール岩手としても今まである米や野菜や、そういう普通の作物以外というのは、中山間地域、耕作放棄地が多いような地域での作物として有効だと考えていますし、また付加価値が高い、小規模でも稼げるということは岩手向きの分野なので、なるほど一関でもやっているというのは私も知らなかったですけれども、もうちょい各市町村がどういうふうに取り組んでいるのか、県でも情報を押さえつつ、それをまた共有できるようにして、それに取り組んでいる人たちが集まる機会、あるいは情報を交換、共有できるような機会を県でもつくっていけるようにしたいと思います。
高橋室長
それでは、お待たせしました。大原さん、お願いします。
大原 圭太郎
よろしくお願いします。僕は、地域おこし協力隊から起業して、今どんなことをやっているかということなのですけれども、地域おこし協力隊で観光担当として活動する中で、すごくいろんなことを学ばせていただいたと同時に、都会では感じられなかった課題というのもすごくたくさん感じることができました。
何点かあって、1つ目が、全く僕は行政の経験がなかったので、民間と行政の仕組みの違いというのもすごくギャップを感じたし、あとは協力隊として地域に入ったときに、最初は何をしていいか分からないとかというのも感じました。
あとは、やっぱり任期後の不安、これは結局自分でどうにかするしかないというのが現実で、そういうところの支援というのがもうちょっとあればいいなというのを感じていて、あとは地域の衰退、人口減少だったり、経済の衰退、あとは文化とかもどんどん失われていくというのを目の当たりにしたというのを感じて、自分は観光担当として活動していたのですけれども、そういうのを感じた中で、自分1人で観光をどうにかしようと思ってもなかなか難しいなというふうに感じて、逆に観光とか、もっとほかの分野でもいろいろ取り組みたいというチャレンジする人を地域の中で増やせたらいいなというふうに思うようになりました。
ただ、これをどうやって事業にしたらいいのだろうというのがすごく分からなくて、いろいろ色々調べる中で、遠野のネクストコモンズラボとか、釜石のローカルベンチャーとか、そういった取組があるということを知って、そういう民間で協力隊を受け入れているような団体を視察させてもらって、遠野、釜石、あと宮城県の丸森町、あとは洋野町が友好の町になっている北海道の浦幌町、あとは奥州市というところを視察させてもらって、そこのスキームをいろいろ教えていただいて、それを洋野町に2回ほどプレゼンさせてもらって、それでこれをどうにか今事業化することができて、今洋野町の募集を、ちょっと今チラシを配らせていただいたのですけれども、そういう形でコンセプトとかも設定して募集のほうをさせていただいています。
地域の人口が減少しても、ちゃんと地域内の経済循環が行われて、その地域の今ある、やっぱり1次産業が強いので、そういう文化というのも大事にしながら、新たな文化というのも50年、100年と、次の世代につなげられるように、今から取り組んでいきたいなというふうに思っています。
ただ、今回実際に地域おこし協力隊というのを募集してみて感じたのが、移住に関心のある方とたくさんお話をさせてもらっているのですけれども、これまでは地域のニーズを掲げて、そこに対して人が来るという感じなのですけれども、いろいろ話してみると、やっぱり移住したい人も増えているけれども、移住したい人のニーズも結構大事だなというのを感じるようになりました。なので、移住したいという人がせっかくこういうことをやりたいと思っているけれども、なかなかそれを地域でできないという環境も結構あって、なのでこれからはそういう移住したいという人とちゃんと対話して、やりたいことをちゃんとプロジェクト化して、自分が間に入って町にプレゼンするというか、そういう方法も非常に大事だなというふうに感じています。
fumotoという名前は、地域の中でチャレンジする土台になれればいいなと思っていて、そういう意味で山の麓からfumotoという名前をつけています。
今後fumotoとしては、協力隊関連のことをやりながら、あと地域の教育とか、そういった部分にも関わっていきたいなと思っていて、あとはコミュニティづくりとか。どうしても今は役場からの業務委託を受けているので、そこに決してぶら下がっているわけではないので、そうではなくてちゃんと官と民の中間のような立場で、次の世代につなぐ地域づくりというのを目指していきたいなというふうに今考えています。
高橋室長
ありがとうございました。
では、知事、お願いします。
達増知事
地域おこし協力隊、また移住、最初は地域のニーズ、町のほうであれしてほしい、これしてほしいという仕事を請け負う形というのがやりやすいのだと思いますが、やはり理想は移住したい人がやりたいことができるということで、去年の終わりごろに現地沿岸復興会議という県の幹部会議を沿岸の大船渡でやったのですけれども、大船渡で研究開発型会社、企業を立ち上げて、ツバキ茶とか、ワカメの茎のかたいところを食べられるようにして、商品化して成功しているバンザイ・ファクトリーですか、総理大臣も視察に来るし、復興大臣も視察に来るという、そこの人の話を県の幹部がみんなで聞くということをやったのですけれども、復興会議だったので、復興というテーマからすると、復興の究極は起業ができるエリアにしていくという、復興の「興」というのは地域振興の「興」、産業振興の「興」ですし、「おこす」ということができるようになるというのが復興の目標だろうということをみんなで確認したところです。
これは地域振興全般そのとおりで、そういう起業ができる、そして全く新しい会社ではなくても、研究開発しながら新しい事業をどんどんやることができるという、そういうことができる地域になっていかなければというのが地方創生時代の生き残りでもあるし、また人口減少というトレンドは日本全体としてはもうしばらくは減り続けるし、それは岩手県でもそうだし、各市町村もそうなのですけれども、人が減っても、そのときそのときいる人数の中で需要と供給のバランス、需要というものがあって、そしてそこへの供給で稼いで食べていけるということのバランスがとれれば、どんな人口水準にあっても、地域として繁栄するということができるわけですので、そういうエコシステム、人口が減り続けるトレンドの中でも、地域の1人当たりの収入とか、会社当たりの稼ぎとかについては、決して減らないような形をつくっていくということはできるし、そうしなければならない。そこの最大のポイントがやっぱり新しいことをやれるように、それは新しい農作物というのもそうなのですけれども、そして総合格闘ジムをつくるというのもそうだし、山根町においても全く新しいことをやっていかなければならない、やれればいいという局面でもありましょうから、そういうことができるように、県のほうでもいろいろな情報の供給源であったり、人と人をつなぐ役割とか、あとマネー、お金についても、世の中全体としてお金はあり余っていて、岩手の地方銀行も見込みあるところに貸したくてしようがないという状況ではありますから、そういうあるところにはあるお金を未来のためにうまくつないでいけるようなことを県のほうでもやっていきたいと思います。
高橋室長
一通り皆様からお話を伺ったところですが、まだもうちょっと時間に余裕がありますので、先ほど言い足りなかったことなど、また自由にお話しいただければと思います。
まずは、礒﨑さん、さっき途中で。
礒﨑 恵美子
私は、就農するに当たって、いろいろな情報収集をした上で農業を始めました。就農する前に、東京で年に1回行われている就農フェアというのに参加しまして、各県のブースを回りました。その際にもちろん岩手県のブースも回ったのですけれども、来場者に対する就農に向けさせるような対応であったりとか、各県を回ったものですから、いろんな県の特徴が出ていまして、興味深く見学しました。そこで非常に親身だったのが北海道でして、私は北海道の薬草産地をどうしても視察したいという気持ちがあったものですから、その場で普及センターさんにお願いし、栽培地の町の農林課の方につないでもらい、そこから農家の方につないでもらうという形で、視察にこぎつけたという経緯があります。
達増知事
開拓者魂という感じですね。
礒﨑 恵美子
農業に興味関心がある方々が集う場所での受け入れ窓口になる方々の活躍はとても期待したいなというところです。
ちょうどそのときに農水省の方が講演を行っていまして、新規就農で45歳以下の方は所得補償として150万の補償を行いますということをお話しなさっていたのですけれども、残念ながら私はそのころ45歳を超えておりまして、補助の対象になるような年代ではありませんでした。実際こちらでUターンして就農しても、もろもろ補助の対象にならないという現状がありました。その中から町独自で、私の様な農民が応募可能なチャレンジファーマーであったりというような制度をつくってくださったのは、本当にこれは町に感謝をしています。やはり行政のお力がどれだけ農業振興に必要かということを自分は感じているというところです。
南局長
県でも今、さっきオイスターリーフのお話出ていましたけれども、普代村のオイスターリーフなんかは県の地域経営推進費で、きらり輝く“むらのお宝”産地化事業だっけか、そういうような形で県でもいろいろと支援をしていましたので、そういう中山間地域でも何とか高付加価値化をつけられるような、そういったものを栽培していけるような、そういったきらり輝くものに光を当てていこうという取組をやっていましたので、いろいろと県のほうにも御相談をいただければ対応させていただきますので、よろしくお願いします。
礒﨑 恵美子
ありがとうございます。
高橋室長
情報が共有できたところで次に進められればと思いますので、よろしくお願いします。
そのほかにはいかがでしょうか。では、田端さん。
田端 涼輔
これは、協力隊とは直接は関係ないのですけれども、自分が今協力隊の活動以外で長内小学校、久慈のまちでサッカーの指導をさせていただいています。こっちに来る前、三重県津市にいたのですけれども、そこでも指導はさせてもらったのですけれども、やっぱりこっちに来て感じることというのは、久慈というのは小さいまちなので、やっぱり子どもそうですけれども、大人もそうですけれども、周りを気にする人がすごく多いと感じるという部分と、固定概念という言い方は余り好きではないですけれども、歴史、いい歴史もありますし、改善しなければいけない歴史というのもあったりする部分で、やっぱりどうしても人と一緒にやらないと自分が動けないだったり、カフェでもそうなのですけれども、まちなかのカフェとかに大人の方でも行くのにも、一人で行けないから一緒に行ってとか、一人で行って、ほかの人に見られて、それがうわさになったりするのが嫌だから行きたくないという人、結構たくさんいて、それが子どもたちにも、もちろん親から子に継ぐものなので、やっぱりいっているなというのはすごく思って。
やっぱり皆さん大人になれば、子どものうちにいろいろやっておけば良かったな、いろいろやっときなよと言うのですけれども、そういう環境というのは日本全国整っていないなと思っていて、この地域にいる人を出ていかないようにするという意見はすごく聞くのですけれども、僕は逆にもっとちっちゃいうちに出ていくべきだなと思っていて、小学校とか中学校のうちに長期、短期でもいいですけれども、違う県に例えばインターンに行くとか、二、三カ月滞在するとかというだけでも、多分自分の地域の良さだったり、その違う地域の良さだったりというのは必ず分かってくると思うので、そういう機会を子どもたちに少し増やしてあげたいなというふうに思います。
そして、東京とかと違って、こっちは多様という部分では少し劣っているという気がするので、そこに関して逆にチャンスだなと思っていて、この地域で何か最初始める。自分もそうですけれども、カフェとか始める部分に対して、歴史柄、固定概念柄、できるの、できないのみたいな意見は出てくると思うのですけれども、東京みたいにたくさんカフェがある中でカフェを開くというのはかなりきつい。子どもたちも何かやるにも、最初からいろんなやっている事例が東京とかはあったりするので、逆にこっちはそういう事例が少ない。今からチャレンジできるチャンスがある。住民の人も、そんなに知識を、例えばサッカーの知識だったり、カフェの知識であったりというのをすごく詳しいわけではないという部分に関して、やっぱりチャンスと捉えて、こっちから、地域から何か自分の夢であったりとかをスタートできる環境ができたらいいなというふうに思っています。自分のカフェもそういうコーヒーのワークショップであったり、サッカーのワークショップであったり、今後開いていく予定なので、そういうふうな、特に子どもたちの将来のことを考えたことをできるならと思います。
高橋室長
あとは櫻庭さん……
櫻庭 泰裕
時間大丈夫ですか。
高橋室長
時間的に櫻庭さんが最後かなというところですけれども。
櫻庭 泰裕
皆さん、大丈夫ですか。
高橋室長
皆さん、いいですか。では、櫻庭さん。
櫻庭 泰裕
手短に。今日皆さんの話を聞かせてもらって感じたのは、経営、経済、地域、あと運営とか開発の話がほとんどで、経営者とか開発者とか切り拓いている人の目線の話だなと思って。でも、今日の懇談会のテーマがいわて幸せ作戦会議「一人ひとりが輝く新たな地域づくり」ということで、自分はまたちょっと違った目線で思っていることがあって、岩手県とかというのは自分で命を絶つ人の割合だとか、あと久慈管内もひきこもりの人とか、そういう自殺率も高い地域で、うちのジムにも、週の半分をフィットネス、ダイエットクラスにしていて、看護師さんとか結構いるのですけれども、こういう会に出席させてもらうんだと話をしたときに、とある病院さん、精神科とかの入院病棟のほうで、例えば緊急を要する、今にもおかしくなりそうだと救急車を家族が呼んだときに、病床が満員で入院できないというふうに断られるケースが、不思議なことに、保健所に電話して、保健所を経由すると入院できたというようなことがあったというふうに聞いて。
自分はいろいろ人口減少とか、経営、経済のこともそうなのですけれども、一人一人の心のケアというか、ケースワーカーとかカウンセラーの人たちが来てくれているというのをラジオでも聞いたことがあるのですけれども、やっぱりもっと情報を周知して、共有して、そういう困っている人たちとかがそういう話を聞いてくれる人がいるのだとか、うちみたいなジムに行って汗かいてストレス発散できるのだというような、そういう心のケアをもっと情報共有して、岩手県全体でもそういう悪いパーセンテージというのを減らすところにも注目してもらいたいなと思いました。よろしくお願いします。
金子 太一
すみません、時間ない中、一言だけいいですか。
私ごとなのですけれども、前回の台風19号の10月13日に、その日に3人目が生まれまして、そのときに感じたことなのですけれども、有事の際にも出産などできるようにしていただきたいなと。いつ来るものか分からなくて、私自身もびっくりしていたので。生まれた後にも、どうしても何となく感じることが内陸と沿岸で医療の差があるなと感じていて、平等だとは思うのですけれども、平等の医療を受けられるような、田舎に住んでいる人の責任だと思うのですけれども、子育てをしやすい、あと子どもを丈夫に元気に大人まで育てられる環境をつくっていただきたいと思います。
高橋室長
では、皆さんありがとうございました。
知事所感
高橋室長
最後に知事からお願いします。
達増知事
いろんな切り口があるのですけれども、岩手全体、そして久慈エリアの人たちもそうですけれども、我慢してしまうというところがあると思うのです。それで、昔だと我慢するということが伝統的な、江戸時代的な農業生産とか、あとは家庭を維持するとかという場合には、我慢するということが強みというところもあり、今でも忍耐力というのがプラスになる場面もいろいろありはするのですけれども、ただいろいろ困難とか課題があるときに我慢してしまって、変えようとしないというような現状維持のままにしておくというのは良くないことでありまして、そこをやっぱり変えていかなければならないなと思いました。いろいろ問題や課題があれば、我慢しないで、すぐその解決法を探るという、そして現代社会というのはそういう課題や問題に対して直ちに解決することがビジネスにもなるし、また行政もそれを本務として動いて、それが民主主義になっているわけなので、そこを県としても問題、課題に対してスピーディーに対応し、そういう引っ込みがちになったりするような人たちに、そうではない対応をどんどん働きかけたり、あとは小さい子どものうちからいろんな多様性とか外の世界を見てもらうということも含めて、何かあったら何か新しい手を打つみたいな感覚を育てていくということが大事だなと思いました。
そして、出産しやすい県にしていくというのは、これは本当大事なことなので、改めてそこは力を入れていきたいと思います。
閉会
高橋室長
それでは、皆様、今日は貴重なお話をいただき、誠にありがとうございました。ちょっと予定の時刻を超過してしまいまして、進行の不手際をお許しください。
以上をもちまして県政懇談会「いわて幸せ作戦会議in久慈」を終了いたします。
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