「がんばろう!岩手」意見交換会(平成24年6月25日 普代村)

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ページ番号1000894  更新日 平成31年2月20日

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写真:懇談会の様子1

日時

平成24年6月25日(月曜日)10時30分から11時30分

場所

普代村役場

出席者

  • 参加者(敬称略)
    石花 繁美(普代村漁師組合堀内地区世話人)
    大上 孝三(太田名部青年会)
    小野寺 はるか(普代村消防団団員、ふだい荒磯太鼓メンバー)
    熊谷 昭子(普代商工会女性部長)
    中村 英伸(下川原商店)
  • 県側
    達増知事
    松岡県北広域振興局長
    稲葉秘書広報室長

開会

松岡局長
皆さん、おはようございます。ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を始めさせていただきます。どうかよろしくお願いいたします。今日は本当に皆様お忙しいところおいでいただきまして、本当にありがとうございます。今日、私、振興局の松岡と申しますが、進行役を務めさせていただきますので、どうかよろしくお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子2

松岡局長
それでは、初めに開会に当たりまして、知事から一言ごあいさつ申し上げます。

達増知事
皆さん、おはようございます。県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会、地域地域での県政懇談会というのは前からあったのですけれども、特に3月11日、去年の東日本大震災以降、この「がんばろう!岩手」というテーマで被災者、被災地支援から復旧・復興という県の事業をしっかり進めていくためにも現地の声をしっかり伺ってということで、こういう形でさせていただいています。普代村においても多くの被害が出ておりまして、改めてお見舞いを申し上げます。
現地の声をしっかり踏まえて県、村と協力して、そして国とも協力し、村、県、国、行政がフルセットで被災地、被災者支援、そして復旧・復興を進めていくようにしてまいりたいと思います。今日はこのすばらしい普代村役場庁舎をお借りしての開催ということで、普代村さんにも御礼申し上げます。よろしくお願いいたします。

松岡局長
それでは、今日御出席の皆さんの紹介を私のほうからさせていただきますけれども、まず普代村の漁師組合の石花繁美さんです。

石花繁美
よろしくお願いします。

松岡局長
それから、太田名部青年会の大上孝三さんです。

大上孝三
よろしくお願いします。

松岡局長
それから、普代村消防団、小野寺はるかさんです。

小野寺はるか
よろしくお願いします。

松岡局長
それから、普代商工会の女性部長、熊谷昭子さんです。

熊谷昭子
よろしくお願いします。

松岡局長
それから、下川原商店の中村英伸さんです。

中村英伸
お願いします。

松岡局長
県のほうからは、達増知事。
それから秘書広報室の稲葉室長。

稲葉室長
よろしくお願いします。

松岡局長
それから、普代村の役場の皆様も今日は御出席していただいておるところでございます。

懇談

松岡局長
それでは、早速懇談に入らせていただきます。大体11時半までということで、1時間弱ということでよろしくお願いいたします。
初めに、自己紹介を兼ねまして、お一人四、五分程度でこれまで復興に向けまして、取り組んできたこととか、それからあとはそのときの思いとか、そういうものをまず初めにお話をしていただければなと思います。これから取り組んでいきたいことというのは、後ほどまたお聞きしたいなと思いますので、今回まず初めに取り組んできたことなどをお話ししていただきたいと思います。
すみませんが、名簿順で石花さんのほうからよろしくお願いします。

石花繁美
去年の3月11日、ちょっと私用で盛岡にいまして、地震は盛岡も結構すごくて、たまたま役場のほうとあれして、潜りの免許取るのに盛岡の学校に行っていて、プールに入っていて、先生と会っているときに地震があって、先生が何だかおかしいから、上がれと言って上がったら、建物がすごく揺れていて、それから先生と上堂のお店まで、車ではとても行けないから歩いて行って、そこまで歩いて、太田名部からも仲間が1人行っていて、それでうちに帰ろうといって帰ってきたのですけれども、油が全然入ってなくて、バイパスに出たのですけれども、どこも停電で油も入れてくれなくて、たまたま県営球場の前のスタンドが手動で入れてくれて、それで帰ってきて、普代に着いたのはもう夜でした。急いでうちに帰ったのですけれども、来る街道もみんな岩泉もどこも真っ暗で、次の日に現場を見てすごいなと。
次の日から復旧というのか、復興というのか、地区的に漁師の平均年齢が高いもので堀内地区で大体60ぐらいだべか、その人たちが7割、8割いるもので、はっきり言ってもうやる気がないというか、そういうふうな状態だったのですけれども、村とか、そういう人たちから励ましてもらって、自分の部落では、とにかく精いっぱい、もちろん経験したこともないし、どこから手つけていいのだかも全然わからない状態で、一番若い人が、船がいっぱい、一隻も残っていなくて、それですごいものだなと、ただただもう動かないで、2日、3日は消防のほうの防災上の関係で浜に、好きな時間に行けなかったのです。余震とか、また津波が来るかもしれないからということで、それを何日か日にちがたってからようやく個人的にも行けるようにあれされて、堀内の漁師組合とあと部落の消防団と、自分も消防団なのですけれども、それと並行して、15日くらいでやる気はどうにかあれして、さあ、これからというときにまず船がないので、組合のほうとお話をしていて、組合のほうでとりあえず共同船という形で部落に1ぱいか2はいは全力でどこからか探してくるから、とにかく養殖を復旧させようということで、それから部落が片づいてから、今度は太田名部のほうがもっとすごかったので、太田名部のほうに手伝いという感じで行ったり、それで5月ごろからかな、養殖の……

大上孝三
撤去。

石花繁美
うん。新たな場所に入れるのではなく、今まで入っていたのがみんな津波でだんご状にというのか、それをまず組合のほうでやぎさんの台船、でかいクレーンついたのを頼んで、それで全部一緒くたに使うもの、使わないものもないような状況で、みんな撤去という形で、去年くらいかかったのかな、それをやりながら、それが終わってからは今度は復旧の土俵詰めという、アンカーのかわりにするのも、それも10日ぐらい、7万だか8万詰めて、普代村の漁師関係者というのか、それで実際復旧が始まったのが6月、7月だっけか、アンカー。それが終わって、それをやりながら今度は種苗生産しなければいけないので、それも並行してやって、どうにかこの近辺で、コンブをことし生産したのは普代村だけで、それも田老漁協さんの種苗センターがたまたま被災しないで、そこに組合でお願いして種は確保するから、できる人はやってくれということで、養殖関係者はワカメだけやっている人もあるし、コンブもやっている人もあって、今はちょうどコンブの最盛期というか、もうピークは過ぎたのですけれども、まだ残ってやっている人があって、少し値段に助けられて、そういうふうな浜を、あとは定置も普代は全稼動操業して、去年それなりに水揚げもして、現在に至っています。

松岡局長
わかりました。ありがとうございます。
一通り聞いていきますか、では大上さんお願いします。

大上孝三
大上孝三です。自分も石花さんと同じ漁業者でして、漁師ですけれども……。いや、緊張して何が何だかわけわからないな、何というか、働きながら考えていたのですけれども……。
ついさっきまでコンブとっていて、そのまま来ました。今は収穫を迎えて、疲れも皆さんピークに来ているような格好で、自分はすきコンブをつくっているのですけれども、すきコンブというのがコンブ盛り上げ隊というふざけたような名前なのですけれども、みんな真剣に集まったグループで、このすきコンブを中心にマイルドコンブそのものをPRして販路であり、普代村を有名というか、宣伝できればなというような思いもあって二、三度去年集まった次第ですが、いかんせんやっぱりいろいろやるというのも行き着く先は資金的なこととか、そういった時間的なこととかでして、そういったところの支援とかというのもあるものなのかどうなのかというのもいろいろあるものであればしていただきたいし、いろいろ指導していただければなという思いで、やっぱり基幹産業の漁業の中で沿岸市町村があるかもしれないですけれども、全部どこの沿岸市町村でもすきコンブというのはやってないのですけれども、何か突出した産物があるかといえばこれだと思うので、やっぱりそれは消費者の皆さんも認めていただいているものでして、これを中心に盛り上げていければなと思って活動していますので、何とか活動的なものをバックアップしていただければと思っていろいろ指導していただきたいなと思います。
それで、自分も漁業者でありますが、昨年の3月11日に被災した一人なのですけれども、3トン足らずの漁船で養殖ワカメとかコンブをとっていたのですが、流失してしまいまして、あとは資材を置く倉庫も流失してしまいまして、でもおかげさまで国とか県とかの共同利用者の補助事業で、書類上はお願いして認可されてはいるのですけれども、実際船の新造船は全然船を整備する人とか、造船業の人たちが全然手が回らない状況でして全く一向に進まない状況で、本人を首根っこつかまえて連れて行かない限りはやってくれないような本当に大変な業者さんの状況でございます。
自分が言うのもおかしいのかもしれないですけれども、例えばそういった技術者とか、船舶関係の全国にいる人たちがあると思うのですけれども、そういった人たちの人材的な支援とかしていただければもっともっと進むのではないかなと思って、実際業者さんからも、この職人さんがいればなと、いつも言っているのを聞いたりしていましたものですから、そういった支援をしていただければ造船のほうも進んでいって復旧も早くなるのではないかなと思ったりもしています。
いずれにしても船、そしてあと倉庫も流したのですけれども、倉庫は家を建てるよりも資金的にも欠けていますし、倉庫でも生計を建てているものですから、家よりもむしろ大事なものを流された人もあったりもしたのですけれども、それの共同のこの船と同じで建てるということも条件として補助事業であったのですけれども、条件がなかなか厳しいもので、それで余りこれに乗っていけなかった人が結構いるものですから、体力的にやれるのですけれども、そういった事業で支援が出ないという人も多数あるものですから、もっと現場を見ていただいて、現場の漁師の声を聞いてもらって、もうちょっと緩和できるところもあると思うので、そういったところをやってもらえばもうちょっと生産できる人もふえてくると思いますし、現場のほうに来ていただいて、もうちょっと声を聞いていただいて、反映してもらえればなと思います。
以上です。

松岡局長
ヌッフ・ド・パブのお話とかはいいですか。

大上孝三
そうですね、盛り上げ隊で盛岡ですね、ヌッフ・ド・パブさんという居酒屋さんというか、飲食店なのですけれども、そこですきコンブというのを取り上げてもらって、我々も行って料理とか食べて非常に感動してきたのですけれども、そういった利用をしてくれる店舗もありますし、できるものであれば知事さんたちも食べてもらって、できれば今日つくってきたのを、おなかでも壊させると大変なことだから、ましてや乾燥したもの、検査が通ったものであればいいのだけれども、異物が入っていたのを食べさせるのも。今日は控えたのです。ぜひそれをPRしてもらえればと、ひとつよろしくお願いします。

松岡局長
では、小野寺さんお願いします。

小野寺はるか
小野寺はるかです。私は被災とか直接したというか、そういうわけではないので、いろいろしゃべれないのですけれども、4月から普代消防団として始めまして、中学校のときから吹奏楽で活動していて、そのときからラッパ隊やら鼓笛隊に協力して参加してきて、この震災もあって、もっと普代村を広げられればなと思って、それのきっかけの一つとなって消防団に入団を決めました。紅一点なのですけれども、これから私がきっかけとなってどんどん女性団員がふえてもらえればなとちょっと期待をしながら思っています。ちゃんとした活動というか、ラッパが主なので、それを頑張っていきたいと思っています。
あと、私はふだい荒磯太鼓のメンバーとして活動していまして、昨日も宮古の復興祭に参加してきまして、皆さんとても知らない人なのですけれども、とても喜んでくれて、ありがとうとか、笑顔で涙ふきながら太鼓を聞いてくれる人もいるので、もっといろんなところで太鼓を披露できる場があればみんなに元気と笑顔を与えられるのかなと思って、もっとそういう場をつくっていってほしいと思います。私たちもそれにこたえられるようにパフォーマンスを日々成長させていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
以上です。

松岡局長
ありがとうございます。
それでは、熊谷さんお願いします。

熊谷昭子
私は、商工会の女性部長を4月からしていますけれども、去年は復興祭というか、海産魅了市を11月に開催したのですけれども、そのときにサケ汁を皆さんに振る舞ったりして、それまで余りみんなと集まる機会がなかったから、そしてそのとき感じたことはみんなで集まれば笑顔も出るし、あと絆、絆とよくテレビで言っていますけれども、それも実感できるのだなと思って、やっぱり体で体験しないと、絆、絆と言われても何が絆とかというふうに感じていたので、やっぱりこうしてイベントでみんなで集まるということは笑いも出るし、いいことなのだなと感じました。
それで、これからもそういう機会があったら参加してやりたいと思いますけれども、商工会として県のほうの商工会の団体があるのですけれども、そこに行っても普代村は一番小さいというか、女性部員も少ないし、そしてこの間の経験というか、感じたことはうちで雑誌を売っているのですけれども、そのときにこの辺に荷物が少ないから宅急便の便とは、それで廃業した運送屋さんがあって雑誌をまず八戸から次の日に届くということも無理だというような電話があって、そうしたら久慈地区、宮古地区もほとんど商店がなくなって、すべてそういう荷物が少なくなったから運送業者が行かないと思いますよと言われたのです。それで、もう離れ小島と同じだねと言ったら、そこの雑誌屋さんが宅急便のほうと交渉してくれて、何とか安くするような感じで雑誌が来るようになって、雑誌も来ない村なんてあるのかななんて言ったのだけれども、実際現実問題として宅急便は通っているけれども、それはちょっと運賃が高いのですよね、個人のあれで。それで、あとはチェーン店とか、大型店の運送は独自でやっているから、商店をやっていくのは皆さんがこれから頑張ってやっているのを聞いてよかったというか、感動したのですけれども、私たちとしてはちょっと先が心配というのが現実です。

松岡局長
ありがとうございます。
では、中村さんお願いします。

中村英伸
中村英伸です。私は、普代村の商店街で下川原商店というところで働いていまして、ここに書いてある「昆布之介」、「コン・ブッセ」という和菓子、洋菓子なのですが、これを普代の特産品のそのコンブの未利用部分を粉末にしてもらったものをお菓子にしてみてはどうかという、役場の懇意にしている方からちょっと声かけていただきまして、ではちょっとやってみますかということで、そうしたら県の工業技術センターの方からもアドバイスとか、こうしたほうがいいのではないかとか、アドバイスをいろいろもらって、商品ができたら、今度はパッケージを商工会の人がこういう補助金もあるし、こういう先生もいるし、そういうのを紹介するからやってみたらということで、この2品を開発しました。私が企画、開発、販売と言っていますけれども、皆さんの力をかりてやらせてもらっています。
仕事のほうなのですが、やっぱりそういうのを開発したとなると村のほうとか、久慈市とか、盛岡市のほうからも少しずつ声かけてもらえるようになって、ちょっとずつではあるのですが、いろんなところに売ってもらって、あとお土産としても使っていただいています。仕事のほうはそういう感じで、あとは酒を売ったり、お菓子を売ったり、手づくりパンを売ったりして何とかやっています。
あと私も震災のほうでは消防団で、次の日ぐらいから瓦れき撤去とかやらせてもらいました。3月に起こって4月、5月となっていくと普代のほうは、あとは漁師さんのほうに頑張ってもらうという形になって、今度はやっぱり野田村のほうがちょっと被害が大きいと。今までも野田村の商工会青年部の皆さんと一緒にイベントやったりしていたので、ではそっちのほうの瓦れき撤去も行くかということで、商工会青年部のみんなで行ったりとか、あとは商工会のほうだとやっぱり県とか、久慈とか、近隣の市町村のほうから復興という形でやっぱり商品を売って盛り上げてくれということで、私がすきコンブとか、コンブ粉末を使ったパンを考えまして、あと上神田精肉店さんというのがあるのですが、その人がコンブ入りのウインナーをつくって、それを合わせてコンブドックと言って、それを売ったり、村内とかイベントがあったら、それで売ったりして、仕事をすることで村内を盛り上げていこうという、そういう活動をしています。
そういう感じです。

松岡局長
ありがとうございました。
では、まず一通りお話し聞きましたので、知事何か。

達増知事
幾つか気になったところがあって、まず倉庫の共同化の条件が厳しくて乗れなかった人もいたと。それはどんな展開だったのですか。

復興局産業再生課伊藤総括課長
倉庫につきましては、恐らくできれば個人として倉庫が入手したいというような要望なのかなと思いますけれども、補助事業につきましては共同利用施設ということで、例えば1つの施設を何人かで利用してつくるというのが条件になっておりますので、その辺の要件緩和という趣旨かなと思ってございました。
あと実際問題そこのところはなかなか厳しいところは正直言ってあるのですけれども、1人ではちょっと難しいかもしれませんが、少人数で、例えば施設の使い方を工夫するとか、そういうような形で利用していくことは可能ではないかと思いますので、その辺は現地の水産部等とも相談しながらできるところは進めていければなとは考えてございます。

達増知事
大震災直後、私も政府の関係といろいろ交渉したのですけれども、やっぱり個人の事業資産は、やっぱり保険とかにも入っているべきで、災害で被害を受けてもそこを国の税金で補助するのはなかなか前例もないし、おかしいと。だから共同化、特に組合で取り組むとか、共同化とか、集落経営的な公共性が高ければ高いほど地域振興というような理由で支援はしやすくなるという話だったので、なるべくそういう形にしたほうがいいというところはあるのですよね。

大上孝三
個人的というよりも2人一緒にやろうというのが大体主だったのですよ、普代漁協の場合ですよ。組んだ場合、漁業のやる条件が本当に微妙に違っただけでそぐわないとか、個人的理由なのですけれども、私はこれはできても、これはやりませんよといった場合に、こっちの人はこれをやれば、これではだめだと、こっちだったらというような複雑なようなところがあるような気がしたりしております。同じく加工処理漁業をやる上で、そのぐらいはいいだろうと我々は思うのですけれども、ささいなことなのです。だから、我々の現場に来てもらって聞いていただければ内容はよくわかるだろうと思います。個人的にどうのとかではないのです。

石花繁美
実際に申請して、瓦れきを撤去したり、あと大きいのを撤去するあたりまでは漁師、おらも含めてそうだけれども、まず目の前のことを片づけないといけないのに、普代弁でしゃべっては悪いけれども、ぶんまいておくわけにはいかないので、自分たちの施設なもので。それが終わって、では復興にというか、飯の種もつくらなければいけないので、定置だけでは1年で漁師はサイクル回せないので、震災の前の養殖と定置と。一番思ったのは、その行政の人たちが余り積極的ではないなというのが。いろんな制度があるというのは実際漁協に、振興局の人が来て、今言った共同施設というのも説明してはくれたのですけれども、あれではだめ、これではだめと。やっぱり型にはまってないと全然受け付けてくれないというのか、こういうときだから少しぐらい、こっちとしては、もちろん個人ではだめだというのは、承知の上だったのですけれども、本当に型にはまったようにやらないと、はっきり言って一銭も援助を受けられないというような話をされたもので、それでは使えないよなと、そのときは申し込んだ人は何人もその該当する人はいなかったのです。
それもしかりで、船もそうだったな。

大上孝三
船は比較的よかったのですけれどもね。

石花繁美
そういう情報というのが、わかった人間が来て、こうですよと初めて説明してもらったのがその倉庫のことだけだったな。それ以外の船のそういうのが組合でも半信半疑だし、友達同士というか、仲間同士で話をして、ああだぞ、こうだぞと言っても、それも確定ではなかったのです。隣の部落から聞いたり、野田から聞いたとか、田野畑ではこんなふうにしゃべっていたぞと、そこも一番戸惑って、もちろん自分たちで再建しなければいけないというのは頭にはあったのですけれども。

達増知事
やっぱりさかのぼっていくと国の予算なので、県でいいと思っても国のほうでアウトになることもあり、それでなかなか早い段階からこれでも大丈夫、あれでも大丈夫とか言っていると、後でひっくり返ったりするので。でも、なるべくやっぱり広めにそこは持っていくように、それぞれが努力したほうがよく、現場に近いところで遠慮してしまうとまずいので、やっぱり国とやり合うというのも私もやりますからね、特区の中身とかをかなり厳しかったやつをいろいろ柔軟にさせるとかというのをやるので、そこはやっぱりなるべく現場の実態に合ったように持っていくように心がけましょう。ただ、そこは早い段階からオーケーというのは難しいところなので、ちょっと国のほうの感触もとか、行ったり来たり何回か往復はしなければならないところはあります。

伊藤総括課長
確かに国の制度は当初が、最初はこうだったのが次こうなって、そしてまたこうなったというようなところが正直言ってあったのです。そのたびに我々県としては説明したつもりですが、なかなかそれが皆さんまで達していなかった部分というのは今聞いてあったのかなと思いますので、そういうところは反省いたしまして、いずれ皆さんのためにある事業でございますから、皆さんのところに情報が行き渡るような形で進めて今後はまいりたいと思います。

達増知事
うまくやりましょう。
あともう一つ気になったのが運送屋さん、宅配がなかなか来なくなるというのは困ったことで、尾肝要道路とか着工になりましたが、しばらくすれば、あと何年かすれば八戸からこっちに来る道路もかなり便利になって、短時間での車の行き来とかは、やっぱりよりやりやすくはなるのですが、結構いろいろ宅配関係の業者、会社の人にも私も会うのですが、何かかんか協力はしたいという被災地支援、復興に協力はしたいというスタンスもあるので、何かその辺うまくできないですか。

熊谷昭子
道路ができても商店はもう今、津波の話だけれども、私たちにしても普代村は人口が減っているから、仕事が少ないというか、商品を仕入れる数が全体的に沿岸の人たちは少ないと思うのです。それで、荷物が少ないと運送屋さんも動きたくない、ガソリンが高くなったし。それで、道路が何ぼ立派にできてもあとはコンビニとかはその業者で来るし、大型店もそうだから、ちょっと我々はもう時代おくれというか、そういう感じになっているので、仕方がないのかなと思ったりしているけれども、現実は道路が立派になっても個人というか、今漁師さんたちの話を聞いていても、個人はというのが私たちもまとまればいい。でも、荷物が少なくなることは事実ですから、それが問題だといえば問題で、宮古のほうもそうだし。

達増知事
いい提案はないですか。

復興局生活再建課鈴木総括課長
復興局の生活再建課と申します。運送屋さんの話で、私の存じていることの話を申し上げたいと思いますけれども、発災直後はやっぱり混乱の中で、なかなか行き渡らないというところがあったようでございます。しかしながら、落ち着いてくる状況の中で、例えば県南の地域では例えば、固有名詞を出すとあれですけれども、ヤマトさんなんかは歩いて、あわせて被災地の皆さんの聞き取りとか、そういう業務も御支援をしていただいているということで、買い物支援とか、聞き取りに、安心の見守り支援とか、そういうお取り組みもやっていただいております。

熊谷昭子
その話は、宅急便は普代も普通に通っているのですけれども、例えば三八五が前には定期に走っていたのがもう1年前から走らないし、岩泉運輸が定期に走っていたのも走らなくなったし、今度は青森定期が久慈まで来ていたのもことしの秋ごろからもう来なくなるというので、重たい荷物の金額が宅急便だと高くなるから、そういうのを使っていては商売にならないから、特にも雑誌なんか本当に1冊から20円か何ぼの利益しかないから、そして返品にも返してやるから運送代がかかるというか、一般の人たちはいいかもしれないけれども、商売の人の話です。

達増知事
どこかで地域の海産物とか、まとめて盛岡に持っていくというようなのを組合形式でやって、車の運転もその地域の人がやって採算とれるようにするとか、どこでしたっけ、組合は。

稲葉室長
洋野でやったときの、県政懇で。

達増知事
洋野町でそういうことをやっている人がいるというのを聞きました。

熊谷昭子
でも、普代の場合も自分たちで運んでいますよね、どこかを使っているの、すきコンブを出すとき。

石花繁美
個人で。組合に集荷というか、出荷……

熊谷昭子
運送業者は使わないで個人で持っていると。

大上孝三
いや、漁連が総括していますよ。

熊谷昭子
やっぱりね。

大上孝三
ほかは宮古であり。

熊谷昭子
漁連が来て持って行ってくれると。

大上孝三
ええ。

鈴木総括課長
よろしいでしょうか、今水産物の話をしていたので、ちょっと私の知っていることを話しさせていただければ。
コンブとかワカメは共販で県漁連が使いますけれども、例えば加工業者の方々はある程度地域の方々、あるいは隣の町の加工業者の方々と組んで、その加工品を1台で内陸に運ぶような、そういうような取り組みをやっているところも実はあるのです。

達増知事
帰りに雑誌を乗せて帰るとか。

鈴木総括課長
そうです、例えばそうするとか、あるいは久慈地域の広域圏の雑誌が必要な方々とか、商店の方々が結びついて広域的にですね、そういう共同で搬送する、あるいは持ってきてもらう、そういうような取り組みも将来的には考えられるのではないのかなと思いますけれども。

達増知事
その運送の問題というのは、やっぱり途切れると結構致命的なところもあるから、そこは相談に乗って、あとさっきのあるあの会社がどうだ、この会社がどうだというのは、あれは貴重な情報で、そこは会社のほうにもうちょっと何とかなりませんかというのを県が言うというのも……

熊谷昭子
やっぱりガソリンの値上げが響いているみたいで、ただまとまった荷物があれば、それは来るのですけれども、余り荷物がないときには走らない。

達増知事
その辺も運送、運輸情勢も把握して相談に乗るようにしましょう。

松岡局長
ですね。

達増知事
では、まず2ラウンド目に。

松岡局長
わかりました。
そうですね、あと20分ぐらいしかなくなってしまいましたけれども、それでは今度はこれからこんなことに取り組んでいきたいなとか、将来に向かってのことをちょっとお話しいただきたいなと思います。お一人三、四分で、また石花さんからお願いします。

石花繁美
後継者が欲しいです。ずっと漁師してきて、行政的にいろいろ要望もしているのですけれども、港をよくしてくれとか、いろいろお願いはするのですけれども、県に予算があったり、なかったりするので、おれが生活している堀内はちょっと中途半端に岸壁もできていて、どこにも使えないような、もともとあった漁港の北側に、計画ではまた新しく漁港を、今は何ぼぐらいいっているのかな、四、五十メーターは防波堤が出ているのですけれども、そこで工事がもう十四、五年もストップした状態なのです。あのままで全然漁港としての機能も何にもできないので、あそこをどうにかしてもらえれば太田名部みたいに港も広くなって、その中でちょっとした養殖というのか、そういうのは経費をかけないでできるのではないのかなと、同じ部落のおじいさん、おばあさん方もしゃべられているので、そこちょっとやってもらえれば、あとは後継者は自分の息子でも何でも、漁師というのは自分の息子もそうだけれども、おれもそうだったかもしれないけれども、3Kというのは今の子供たちは嫌がるのです。1時、2時という朝の商売なもので、そんなにしてお金欲しくないとか、教育も悪かったのか、何だかわからないけれども、おやじの背中見て育って、おれもそうだったのかなと思って、あれするけれども、それを流通の仕組みを変えてもらえればもう少し後継者もできるのではないかなとも思ったりするのですが、どうしても買うほうの都合で8時とか9時に合わせなければいけないので、そうすれば必然的に夜中に、これは普代の漁師だけの問題ではないですけれども、定置の魚もそうだし、そこをもう少し緩和というか、勘案してくれれば後継者問題も少しは明るくなるのではないかなと思って、そういうことです。

松岡局長
わかりました。
では、大上さん。

大上孝三
くどいようですけれども、すきコンブというのにこだわって、ぜひこの産物を全国に広めてもらいたいなというのがあって、せっかく世界遺産とかでも平泉も見ていただいたりして、全国から、世界からも、外国の人は食べるかどうかわからないですけれども、やっぱり健康食でもありますので、ぜひこれをPRしてもらって、例えば岩手の名産何十選とか、そういったのもだし、それを普代とか、そういったような企画的にやってもらってPRしていただければ、知事からもCMに出ていただいて、そういったPRしてもらいたいと。
さっき石花さんも言ったのですけれども、やっぱり後継者もいないですし、作業をする人たちが全然少ないですから、どうしても人手が必要な作業ですので。

達増知事
この間、夏野菜カレーを食べるというのをやったので、あの要領でコンブをいただきましょう、今度。

大上孝三
ぜひお願いします。消費者でも知る人ぞ知る、普代のでなければだめだと。別ものではだめだと。

達増知事
たしか秋葉原に電気屋とかあるような、いろんなアニメとかおもちゃとか売っている通りのちょっと1本隣の通りにすごいコンブ屋さんがあるのです、老舗の江戸時代からやっているような感じの。そこの中にたしか普代村のポスターが張ってあり、やっぱり知る人ぞ知るで、そういう消費地のほうにもありますからね。だから、ぜひそういうのをはやらせたいですよね。

大上孝三
はい、ぜひお願いします。今核家族化していますので……

達増知事
秋葉原のコンブ屋を訪問するというのもちょっと考えてみて、準備をしてみてください。

稲葉室長
売り込み。

達増知事
商品でPRみたいな。

大上孝三
ところが、やっぱり乾燥しているものですから、これを戻して調理するというのに時間がかかるのがね。

稲葉室長
そう、おいしい食べ方なんかも、こうやって食べるといいというのをぜひ。

大上孝三
コンブ盛り上げ隊はそれを味つけ加工して、小売りできるようなパッケージできれば、そういった開発とかできればなと思ったりしていて、でもいかんせん資金的な部分がぶつかったりするものですから、そういった支援もできるのであればおしえていただければありがたいなと。いずれよろしくお願いします。

達増知事
アンダーエイジに来てもらってもいいですね。

稲葉室長
一緒に秋葉原に行くかもしれませんし、アンダーエイジの、ちょっと後でいろいろ御相談を。

大上孝三
アンダーエイジ、わからない。

稲葉室長
わからないですか。

大上孝三
覚えたふりしたのですけれども。

稲葉室長
では、後で情報提供させていただきます。

松岡局長
では、小野寺さんお願いします。

小野寺はるか
私は、普代村に若い人というか、同世代が少ないのです。みんな働く場所がなくて、盛岡とか、東京とかそっちのほうに行ってしまって、その子たちに聞くとやっぱり普代村で働きたいという人がいっぱいいて、やっぱり職というか、働く場所が少ないし、賃金も賃金で、仕事はつらくても賃金が安いとちょっとと言ってみんな離れていく人がいっぱいいるので、そこを何とかすればみんな普代が大好きだとか言ってくれる人いるので、そこを何とかしてほしいなと思っています。そうすれば地域も活性化、若い人がふえればすると思うし、それこそ漁師になりたいという人もいるかもしれないので、そんなふうに思っています。

松岡局長
青年部は元気なのだよね。

大上孝三
でも、自分より3歳下ぐらいで40歳ぐらいです。自分は43なのですけれども、そこら辺が底辺になってきているので、どうも詰まってきました。消防団もしかりです。

松岡局長
それでは、熊谷さん。

熊谷昭子
今この機会に聞きたいのですけれども、すきコンブのあれは蛍光灯とか日に当てれば色が変わって白くなるから余り長く陳列されないという話を前に聞いたことがあるのですけれども、今はどうなのですか。

大上孝三
よくはないと思うのですけれども、そんなに……

熊谷昭子
だから、余り店に並べられないというような話を聞いたことがあるのです。

大上孝三
だけれども、そんなに極端にすぐ変わるわけではないのです。

熊谷昭子
でも、2カ月、3カ月とかは。

大上孝三
やっぱりそれは確かに品質にはかかわります。

熊谷昭子
だから、その辺だとか、袋か何かで工夫できないものかなと思ったことと、あとコンブは夏にはあめやすいですよね。

大上孝三
でも、すきコンブというのは乾燥しておりますから。

熊谷昭子
いいえ、煮てから1日か2日置けばもう……。その辺、だから私もそれこそすきコンブ好きで煮るのだけれども、夏はちょっと敬遠するのです。

大上孝三
ああ。

熊谷昭子
ちょっとごたっとしたところがあるから。

大上孝三
早く食べたらいい。

熊谷昭子
煮るのに時間が何かかかりますよね。具体的に言って時間がちょっとかかりますよね。

大上孝三
まあ、そうなのです。

熊谷昭子
だから、何だか私ここで言うのも悪いけれども、普代の若い人たちはすきコンブ煮て食べているんだべか。私は食べているけれども、好きでおいしいけれども。

松岡局長
食べますよ。

熊谷昭子
煮る時間、料理する人が少なくなったから、できたのを……

大上孝三
さっき言ったように、味つけしたのとか、そういうのを開発していけば。

熊谷昭子
腐らないような方法を考えるか何かしたほうがいいのではないかなと思って。

大上孝三
ええ、考えて、盛り上げたいなと。

熊谷昭子
盛り上げ隊でね。

大上孝三
そうなのです、真剣に考えています。

達増知事
もうちょっと便利にいいとか、そういうことを。

熊谷昭子
煮るときには何回も煮たくないからまとめて煮れば2日、3日は食べない。

大上孝三
そうですね。

熊谷昭子
ねえ。そうちょくちょくと煮炊きする暇がないといえばあれだけれども。

大上孝三
ええ、考えておきます。

松岡局長
あとはよろしいでしょうか。

熊谷昭子
あとは人口が減っているから、店屋は人がいないと成り立たないから、もう私としてはお手上げですから、よく私はこのごろブータン国を見て、普代村もあれを目指せばいいのではないかなと思ったりして。

松岡局長
ブータン王国ですか。

熊谷昭子
うん。そして、ここで都会をあこがれてもどうにもならないしと思って、心を決めて住まないと、かえって若い人たちは中途半端になるのではないかなと思って、よくわかりません。

松岡局長
はい、わかりました。
では、最後に中村さん。

中村英伸
さっき大上さんも言っていたのですが、漁師さんとも商工業者さんとも一緒になって、個人商店なのですけれども、個人も頑張って、団体も商工会とかも頑張ってやっていきたいと思っています。それが少しずつでも普代のアピールになるのではないかなと思います。
あと私も消防団に所属していまして、震災のときにすごく危険な思いをしたという、危うく津波にのまれそうになったという消防団員の方とか、消防職員の人もいたのです。防潮堤の早期の復旧といいますか、修復といいますか、そっちのほう、あれは県なのか、国なのか、ちょっと詳しいことはわからないのですけれども、防潮堤と、また太田名部に向かう周辺道路の整備がちょっと個人的におくれているのではないかと思うので、それをもうちょっと早くやってもらえればなと思います。そういった感じです。

松岡局長
わかりました。
それでは、あともう少ししか時間ないのですけれども、あともう一言とか、ここぞと。

大上孝三
ちょっといいですか、知事さんに質問ですけれども、宮城県の村井知事さんが震災後に早いうちに漁業権を民間にあれしていて、我々が雇われるような感じの漁業もあるのではないか、進めていきたいような話をしていたのですけれども、それについて、達増知事さんはどういうお考えでいらっしゃいますか。

達増知事
国の復興構想会議では結構激論を交わし、宮城からそういう意見が出たけれども、岩手からはむしろ漁協を核とした復旧・復興というのが現実的だろうと。そして、岩手の場合は小規模な漁業が多いので、養殖とか、定置とか、あとは拾うような採介藻とか。宮城の場合だと結構大規模な遠洋漁業も盛んだし、船もでかいし、できてからの加工も規模が大きいので、もともと民間企業が結構入っていて、そういうところがさらに資本拡大するというか、またさらに別の民間が入ってくるというのが結構あり得るわけですよ。でも、岩手はそうではないので、そういうやり方でやるよりはまず漁業そのものを盛んにすることが目的ではなく、つまり効率的に大規模にやるならば今いる人に帯同してもらって世界でばりばりやっているような企業に入ってもらったほうが業としては生産量が拡大、漁獲量が拡大したりするのかもしれないけれども、目的は業の拡大なのではなく、今住んでいる人たちがこれからも住んでいくことができて、孫子の代にもちゃんと伝えていくことが目的なので、やっぱり特に復興というのはそのことをまず最優先でやっていくというのが岩手の方針ですね。

大上孝三
安心したというか、首長さんが味方でいてくれれば。

達増知事
でも、地元の人が会社方式のほうが効率的にやれるとかと思って会社形式にして、若い人が社員で、域外からも若い人を社員で雇って漁業するとかというのはやってもいいと思いますけれども、あくまでも今いる人たちがちゃんとやっていけて、プラスアルファでというのであればいいとは思うのですけれどもね。

大上孝三
どっちも考えがあると思うのですけれども、やっぱり漁師気質で育てられた我々からすると、競争心というか、それで向上してきたような人間たちですので、全否定されたような感じがするのですけれども、まあ信じて。ありがとうございます。

石花繁美
今は放射能のことを一番心配しているのですけれども、海草とかに出るものですか、やっぱり風評被害とか、あんな対象にはなるのですか、東電だとか何かの。

稲葉室長
賠償ですか。

石花繁美
対象にはなるのですか。

達増知事
日本どこでも原発事故で出たセシウムとか放射性物質によって何か被害が生じれば一義的には東電が補償で、あとは国の政策でやっていたことだから、国も補償というものがもうちゃんと法律に書いてあるから、それが大原則ですね。海のこともどんどん最近報道されていますが、結構親潮がずっと宮城のほうまでおりていって、そこから南のほうは福島とか黒潮で来るけれども、そこから北は金華山沖から北のほうは親潮の影響で余りこっちに来ないというのがむしろ盛んにテレビや新聞に最近出ているなという感じがしますけれども。

石花繁美
デーリー東北の、3日、4日前のタラの漁船の……

松岡局長
八戸のね。

石花繁美
そうそう、八戸の底引き網船から廃棄処分したとか。タラは底の魚だからそうなのか、中層魚というのも、それらは回遊しているじゃないですか、海に。

熊谷昭子
すきコンブも調べているのですか。

大上孝三
調べています。

熊谷昭子
では、表示したほうがいいかもしれないね、意外に神経質というか、田舎の人より都会の人がすごいから。

中村英伸
そうですね、結構気にする。

石花繁美
漁協のあれで、振興局も何かちょっと絡んでいるかわからないが、ウニとか、今から時期じゃないですか。普代村ではまだ一回もとってないのですけれども、入札が2週間ごとにとってもとらなくてもサンプルというのか、とってちゃんと検査機関というのか、そこであれして……

熊谷昭子
それに盛岡のほうに行けば普代村も知名度が低いから、山田も普代とかと一緒くたに考えられたりして、山田が出れば普代が出ないかと考えかねないようなというか、どこと説明してもね。

達増知事
やっぱりこの機会に普代は普代というのもアピールしていかなければいけない。全国の人が結構三陸沿岸の地形を覚えてくれている今日このごろだから、普代は普代と。

松岡局長
いずれ海産物もだし、農産物もだし、食べるものはとにかくきちっと検査して、安全なものだけ出しますということで、とにかく消費者の皆さんには安心してもらおうということで取り組んでいっていますので、そういう格好でまずこれからもやりますので、なかなかたまたま出たりするときもあるけれども、そういうのはまずきちんとまたフォローしてやっていきます。
すみません、予定の時間になってよろしいですか。

知事所感

松岡局長
それでは、知事最後にお願いします。

達増知事
県のほうでも復興計画というのと並行してもともとの県の10カ年計画、県の総合計画があって、そちらを希望郷いわてというスローガンで県民みんなが希望を持てるような岩手にしていこうと。それと復興の計画とあわせて進めているわけですが、やっぱり壊れたものを直すとか、もとに戻すというだけではなく、ちゃんと岩手の未来というものがきちっと実現していくような計画でやっていかなければならないということで、その10カ年計画も並行してやっているのですよね。普代の場合は、特に復興も大事ですけれども、孫子の世代までちゃんとつながっていくのかというところも非常に今大事な局面だなと改めて思いましたので、復興の事業の中でいろいろ域外とも新しいつながりを、新しくつくっていくやり方とか、あと地元でいろいろ今までやったことないような、常にいろんなイベントをやっていただいたりとか、そういう新企画も、盛り上げ隊とか、コンブスイーツとかも今までやったことないようなことが地元で盛り上がるということも普代村でも起きていますので、そういうのと地域の底力と新しいつながりの力、この地域の底力とさまざまなつながりの力というのを合わせていくのが復興の基本方針なのですが、復興からさらにその先を目指す上でも非常に大事だと思うので、村のほうといろいろ県も相談しながらちゃんと普代村の未来がきちっと実現できるようにいろいろ手を打っていきたいと思います。今日はありがとうございました。

閉会

松岡局長
どうも本当にありがとうございました。以上をもちまして、意見交換会を終わります。ありがとうございます。

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