「がんばろう!岩手」意見交換会(平成24年7月24日 一関市)

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ページ番号1000892  更新日 平成31年2月20日

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写真:懇談会の様子1

日時

平成24年7月24日(火曜日)14時05分から15時05分

場所

一関地区合同庁舎

出席者

  • 参加者(敬称略)
    金野 靖彦(酔仙酒造株式会社代表取締役社長)
    佐藤 誠(飲食業「がっつり亭」店主)
    菅原 敏(一関市社会福祉協議会地域福祉課主幹)
    藤野 恵美(健康運動指導士)
    昆野 芳徳(藤沢宿舎結の会副会長)
  • 県側
    達増知事
    田村県南広域振興局長
    稲葉秘書広報室長

開会

田村局長
それでは、ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催いたします。
本日御出席いただきました皆様、そして県議会の先生方、今日は御多忙のところをお越しいただきまして大変ありがとうございます。私は、本日の進行役を務めさせていただきます県南広域振興局長の田村でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

知事挨拶

写真:懇談会の様子2

田村局長
それでは、開会に当たりまして、知事から一言御挨拶を申し上げます。

達増知事
県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会ということで御出席をいただきましてありがとうございます。また、県議会議員の皆さん、それから一関市からも御参加いただいてありがとうございます。
県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会は、東日本大震災津波発災以降、復興のさまざまな地域で、またそれぞれの分野で取り組んでいらっしゃる方々から御意見をいただきながら、県政としても今年は復興元年と位置づけ、年の初めから復興ということでやっていることしでもございまして、県政に、復興に役立たせていただこうという趣旨でやっている意見交換会でございますので、この一関市も地震で被害を受け、また津波で被害を受けた皆さんがこちらを拠点にしているということで、改めて震災被害お見舞いを申し上げたいと思います。そしてまた、この一関市民の方々で沿岸被災地の支援をしている方々もいらっしゃるということで、一関市は市の中の災害からの復興、また近助という一関市さんのポスターを見たことがありますけれども、近くを助ける一関市ということで、そういった復興の一つの拠点になっている、県のほうでも大いに参考にさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

田村局長
ありがとうございました。
それでは、本日御出席の皆様を御紹介いたします。
酔仙酒造株式会社代表取締役社長の金野靖彦さんでございます。

金野靖彦
遅れまして、大変申し訳ございません。

田村局長
続いて、飲食店「がっつり亭」店主、佐藤誠様でございます。

佐藤誠
本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

田村局長
続きまして、一関市社会福祉協議会地域福祉課主幹の菅原敏様でございます。

菅原敏
本日はよろしくお願いします。

田村局長
続きまして、健康運動指導士の藤野恵美様でございます。

藤野恵美
よろしくお願いいたします。

田村局長
続きまして、藤沢宿舎「結の会」副会長、昆野芳徳様でございます。

昆野芳徳
今日はよろしくお願いいたします。

田村局長
続いて、県側の出席者を御紹介いたします。
達増知事でございます。

達増知事
よろしくお願いします

田村局長
稲葉秘書広報室長でございます。

稲葉室長
よろしくお願いいたします。

田村局長
なお、本日は猪股一関市市政情報課長、それから県議会議員の飯澤匡様、岩渕誠様、高田一郎様にも御出席をしていただいておりますので、御紹介をいたします。

懇談

田村局長
それでは、早速懇談に入らせていただきます。ここからは座って進行させていただきます。
最初に、自己紹介を兼ねましてお一人様4分ぐらいで、内陸に避難され、御苦労されていることですとか、復興や支援のために取り組みされていることなどをお話ししていただきたいというふうに思います。座ったままでお話ししていただければと思います。
それでは、名簿順に従いまして、金野さんから。

金野靖彦
酔仙酒造の金野と申します。沿岸部のから一関市内のほうに避難してまいりまして、そこで生活をしておりますが、一関市街地から千厩町まで毎日通っているというところでございます。ただ、被災直後からずっとこれまでいろんな思いをして過ごしてまいりましたので、苦労しているということについては、復興を含めて私は感じておりません。むしろやれること、できることがあるということが本当に幸いしているなというふうに思っております。ただ、個人としましても、それから会社といたしましても、もともとありました、私は陸前高田でございますが、陸前高田を離れているというところにおいては、何としても一関市さんからもいろんな情報は頂戴いたしますが、一体となって復興に邁進したいという思いが、これがなかなか図れないという意味合いでは、本当に何て言うのでしょうか、心いら立っているというところが正確なところなのかなというふうに感じておりますが、おかげさまをもちまして、復興も着実に進めることができまして、もうすぐ気仙地方に戻れるだろうという見通しが立ちました。その折には、ぜひとも地元と一緒になって少しでも復興に協力していきたい、特にも仮設住宅にいらっしゃる高齢者の方々、それから私の同級生ですが、父親から孫2人まで数えますと6人一遍に亡くした者もおりますが、これは私の言葉で言うと異常としか申し上げられません、言葉がございません。こうした人たちにどんな手を差し伸べていったらいいのか、迷うことばかりではございますが、しかしできることは必ずあるはずだというふうに思っておりますので、自分の生活の立て直しと社員の立て直し、会社の立て直しがもちろん先ですが、とにかくそういったところにもできるだけ手を突っ込み、頭を突っ込んでいきたいと、このように考えております。
以上でございます。

田村局長
ありがとうございます。
続いて、佐藤さんお願いいたします。

佐藤誠
私は、宮城県の南三陸町志津川のほうで居酒屋を震災まで営んでおりました。それで、その後、震災の3カ月後に現在の一関市川崎町薄衣の道の駅かわさきのほうに空き店舗がございまして、川崎の皆さんの御協力と御理解のおかげで6月11日、ちょうど3カ月目に現在の「がっつり亭」をオープンさせていただきました。
私も金野社長と同じように内陸のほうに避難してきたのですけれども、困っていることは私は現在はありません。周りの方にとてもよくしていただいていますので、本当に私個人としてはこんなに岩手の人たちというのは温かいのかなというのを本当に実感しております。
今個人的に自分は3月でもう、1年過ぎたのですけれども、まだまだちょっと同じ同業の個人経営の者がなかなかまだ立ち上げられてないというのが私の友達にも数名おりますので、その者、その人たちのために現在は空き店舗等を探したりということを取り組んでやっているのが現在なのですけれども、なかなかうまく条件の合うところもないものですから。でも、今できてないのですけれども、1年経ったからなのでしょうけれども、できていない人間たちみんな大分前向きになりまして、内陸のほうでもいいからやっていきたいということで頑張っているところであります。とにかく一日も早くみんな元の生活に近い状態に戻してやりたいなということで、私も微力ではありますけれども、協力させていただいているところでございます。現在はそういう活動をしております。

田村局長
ありがとうございます。
続いて、菅原さんお願いします。

菅原敏
私、一関市社会福祉協議会地域福祉課の主幹の菅原敏と申します。
私のほうは、被災者支援を行っているということで多分こちらのほうにお招きいただいたのだと思っております。今年度、当協議会で重点的に実施している部分での活動を説明させていただきたいと思っております。
1つはふるさとお茶っこ交流会ということで一関市社協と一関市と共催で東日本大震災の内陸に避難されている沿岸の被災者を支援するということで、同郷の被災者同士で話をしたいという声がありましたので、お茶会を通じた心のケアとか被災者同士が交流できる場づくりを4月から定期的に開催しているところです。
特に集合住宅でない民間借り上げ等で避難されている方は情報もなく孤立してしまうという可能性もあり、また地域になじめない方々も多くいるものですから、一関地域を中心にお茶っこ交流会ということで展開をしているところです。
この交流会を開催することで、みんなが気軽に集ってお茶を飲みながらおしゃべりするとか、少しでも笑顔を増やす場になればいいと考えています。今月も7月の18日と20日に開催しました。18日は宮城県沿岸中心の方々、それから20日のほうは岩手県沿岸中心の方々ということで月2回定期的に開催しております。
6月まではどうしても参加者が固定化されてきたのかなというところがありましたが、今回7月の開催では、それぞれの回で新たな方が3~4人増えてきたということがありまして、交流の輪が広がったところがとても嬉しかったなと思っております。
現在平均すると宮城県沿岸の中心の日は大体20人前後、岩手県沿岸中心の日は10人前後という形で参加をいただいておりまして、皆さんからはやっぱり1カ月1回でも同じ体験をした者同士いろんな話をして笑っておしゃべりができるので、続けてほしいという声はいただいており、帰りは皆さんが笑顔で帰っていただいているというところが、運営している側の一つの喜びであるかなと思っております。
これが大きな一つでありまして、もう一つは陸前高田市の支援ということで災害ボランティアのボランティアバスということで、昨年の5月から定期的に現在も陸前高田市にボランティアを派遣するということでボランティアを募って運行しているところでございます。
この様なことを行い、少しでも仲間がいる沿岸ということで陸前高田市も含めた岩手県沿岸、それから隣の気仙沼市も含めた宮城県の沿岸を支援できたらなと思っているところです。
以上です。

田村局長
ありがとうございます。
次、藤野さんお願いします。

藤野恵美
私は、ふだんは運動指導を仕事としておりますので、高齢者施設、短大、幼稚園等の幼児体育やエアロビック、また岩手県内、宮城県北の市町村から依頼を受けて運動指導を子供から高齢者まで指導しています。3月11日は、私は現地にいました。ほとんど悔しさだけだったのですけれども、住田の仕事帰り、酔仙酒造の下の信号機で津波に遭いました。
サンビレッジに一晩避難して自宅に次の日に戻りました。避難所で一緒にいた90日目の赤ちゃんとか子供たち、高齢者、とても心配になり、日赤医療班と一緒に現地に入っていた男性保健師に様子を聞いたところ、一般ボランティアでも入れる状況ではないという返事でしたが、陸前高田市健康推進課の保健師から一般ボランティアとして、運動指導者として、その場に立って運動指導をしてくださいと衛星電話から携帯に電話が入りましたので、いろいろ道具をそろえて27日に陸前高田第一中学校の医療関係者の前で自分にできるいろいろ心配される健康問題や対処について報告し、その日の夕方から高齢者ルームで指導しました。
陸前高田第一中学校では朝7時、震災から3日目、中学生が中心になってラジオ体操をしていると聞きましたので、ラジカセに電池を入れて、ありがとうの音楽を入れて、いつも同じ内容の体操を指導していきました。子供たちがだんだん私と一緒にステージに上がってきて、笑顔になり、中学生、高校生、また時には大人からも様々な音楽のリクエストがあって、大人の人たちの表情が和らいでいくことがわかりました。そして、市内の避難所をめぐり、隣の町の大船渡や気仙沼や大島へも行きました。それで、多い日は1日12カ所活動をしました。
今現在も、仮設と仮設の間でラジオ体操や、様々な音楽に合わせた体操を展開しています。朝は6時半から8時半、夕方は4時から6時、時には夜と夕、声も上がります。そこで、ある避難所の自治会長さんから、あのときおれたち男たちを励ました、飲ませ、食わせしたご婦人のためにあんだは頑張れと、そしてあんだの顔を見るだけでも元気出るから、また来てねと言われました。
冬もとにかく続けました。今日現在までで137日一般ボランティア、そして指導回数498回、指導して、参加してくれた人数は2万8,537名、岩手県は久慈から、また宮城県は多賀城まで行きました。岩手県59カ所、宮城県は12カ所巡りました。この中で、仮設の方がみんな元気に暮らしていただきたいなという願いで一関市の男性保健師と一緒に生活アクティブ体操のリーフレット、体操図解をつくり1万6,000枚印刷しました。人と人とのつながりがあってできていることなのですが、皆さんの周囲の協力、そして行政の担当者の理解、生活支援さんの協力があり1万2,000枚、仮設に住まわれている方に配布しました。これからも、一人の人間として自分でできることを考え、元気に明るく生活できるような支援を慎重に考えて続けたいと思います。
以上です。

田村局長
ありがとうございます。
それでは、昆野さんお願いします。

昆野芳徳
藤沢宿舎「結の会」副会長、昆野芳徳と申します。すみませんが、今日は会長が所用で来られないということで、私が伺いました。どうかよろしくお願いいたします。
初めに、一関市さんと岩手県から手厚い支援を今まで賜りましたことをお礼させていただきます。誠にありがとうございました。本当に助かりました。というのは、私は気仙沼からの避難者なのですが、ちょっと御縁がありまして、千厩出身の知人を通じまして、藤沢の雇用促進住宅に空き部屋があるということを聞きまして、今お世話になっているのですけれども、先ほどのお話に出ましたが、一関の勝部市長のお話を伺って、やっぱり近助ということを仰っていて、それで、やっぱり県が違ったりすると気おくれするところがあるのですが、そういうところも気にさせないような手厚い体制をとっていただいたので、震災には驚きましたが、岩手県、一関市の行政の手厚さというか、先見、創造力、そういったプラスの面での驚きがありました。何と言いますか、居候みたいな感じで肩身が狭いのではないかなとも思っていたのですけれども、全然そういうことがなくて、特に藤沢町の方々からいろいろと藤沢の地区の催し物に、気軽に呼んでいただいて場所をつくっていただきまして、それから野菜、米、そういったものも支援いただいて、何と言ったらいいのか、随分とお世話になりまして、こっちに住もうかなという方が結構いらっしゃるぐらいで、でも個人、個人の身の振り方は個人、個人で考える事で、地元気仙沼も気がかりですし、そういったちょっと悩ましいところもあるのですけれども。
この藤沢宿舎「結の会」は、今言ったように地元の方とのかかわり合いがうまくいっているといいますか、すっかりもうなじんでしまいまして、スムーズな形の避難生活を送らせていただいています。それで、特に何をどうやるという具体的なことはやってないのですけれども、メンタルの面の、形にならない、目に見えない部分ですね、例えば住宅の住民の中でも、皆それぞれ震災に対して温度差が違うわけなのです。かなり気苦労が多くて、余り他者とかかわり合いになりたくないという方もいれば、積極的にみんなで集まって、力を合わせてやっていきましょうというような方々、かなり温度差があるのです。ですから、自治会でこう決めたからこうやりましょうということをしますと、やっぱり摩擦が起きてきます。だから、私は副会長になったときに会議で、例えば草刈りなどをみんなでやるような場合でも出ていただければありがたいのだけれども、出ない方がいても気にせずに、やれる人でやりましょうと、そういった決めごとで縛ると摩擦とか、そういった感情的な軋轢が出ますので、みんなゆるくやっぺしと。
それから、お年寄りの一人住まいとか、ちょっと体の弱い方などがいたら、それとなく気をつけましょうと、あそこの誰々さんはひとり暮らしでちょっとお年もいって、今は元気なのだけれども、周りの方々でそれとなく、例えば散歩して歩いていたらちょっと声をかけるとか、挨拶だけでいいのです、余りべたべたすると負担になりますのでね。だから、そういったところをうまく潤滑油を入れてゆるくやりましょうと、そういう形で自治会を運営しております。
そういった事で、だからとにかく被災地に向けて支援とか、何かやったという具体的な事はないのですけれども、仲よくそういったコミュニティーとしてうまくやっていこうという形でやっています。私個人の場合は被災当時津波を目の当たりにしていまして、その時、行政とか役所関係が、申し訳ないのですけれども、はっきり言って麻痺してしまったのです。それで、目の前で人の命を奪うようなものが来ましたもので、危ない人をとにかく逃がしたり、避難所では食べ物や水を運んだり、とにかくそういった初動というのですか、震災当初はベストを尽くしたつもりではおります。
そのとき考えたのは、何て言ったらいいのでしょうか、物がなくなった、あれがなくなったという非常時に役に立ったのは昔ながらの知恵というか、文化なのです。例えばよくドラマなどで海難があったとき村総出で炊き出しをやったり、浜にかがり火を焚いて海から帰ってくるのを待っていたりとか、そういうものがドラマとか昔話ではなくてまだ残っていました。それは、文にして教科書に載せるような形ではなくて以心伝心で、昔から持っていたのです。だから、知らない間同士でも一緒になって飯を食ったり、普段けんかしていたような仲が悪い間でも、いざというときはみんな協力し合うという、そういった昔ながらの習わしといったものに大分助けられたと思うので、これから日本を新しくしてとか、変えてとかという事とあわせて、そういった古くからある日本人のそういった心の底にあるようなものも気にとめて掘り起こしていただけたらいいと思います。
以上です。

田村局長
ありがとうございます。
皆様のお手元に地元のジュースとケーキ御用意していましたので、ぜひおとりいただきながら懇談をしていただければと思います。なお、このケーキは大東町の障がい者福祉サービス事業所の室蓬館で準備をさせていただいたものでございますので、御紹介させていただきます。
この辺のところで知事何かもしあれば。

達増知事
金野さん、佐藤さんはそれぞれお仕事の再生、再建を力強く進められていて、心強く思いました。
それから、菅原さん、藤野さんはそれぞれこの市内で、また沿岸のほうに出て行かれて被災者支援をやっていらっしゃること、それぞれ改めて現場の反応、感触というのを伺うことができて参考になりました。
昆野さんは、藤沢の地元の皆さんともうまくやられているようで大変うれしく思いますし、また自治会の中のことについてはゆるくやるというポイントですね、それはとても大事なことだなと思いました。

昆野芳徳
といいますか、やっぱり杓子定規にやると角が立つ場合がありますので、ちょっとこんなことを言って申し訳ないのですけれども、今回の震災のことで役所に手続とかに行ったときも何か紋切り型でちょっと角張った対応をされてね、もうちょっと臨機応変というか、そういう人間の気持ちの部分でやればうまくいくのではないかと思いました。

達増知事
参考になります。

昆野芳徳
いえいえ。

田村局長
ありがとうございました。
それでは、続きまして、お一人また4分ぐらいで現在取り組んでおられる活動の課題ですとか、今後に向けての思い、将来の夢や希望などについてお話しをしていただきたいというふうに思います。また、名簿順で金野さんからお願いします。

金野靖彦
酒屋でございまして、会社経営という観点からでございますけれども、私ごとということで言わせていただきますと、昨年の12月27日、第3次補正予算によりましてグループ補助が確定いたしました。3月20日の着工という条件がございましたが、これは最終的にはとれましたけれども、3月8日に地鎮祭を行いました。
今回この被災でいろんな経験をさせていただきましたが、やはりスピードということが何よりも大事というふうに考えまして、少し吟味をして工場建設をしたかったのですが、その勢いに乗って3月8日から着工をしてという意味合いでは資材あるいは人員確保、こういった点で比較的順調に進めることができたなというふうに考えております。
酒造業である私どもは、酒税法による製造免許というものの傘下に置かれているわけでございますけれども、今私どもがこれから考えておりますのは、実は今回免許を移していただいたのですが、私も知らなかった部分を含めますと11種類免許がございました。今回新しい工場では2種類しかこれを生かせません。ほかの残った免許をどのような形で生かしていったらいいのかということがこれからの大きな売り上げも含めて、経営計画含めて考えていきますと大きな焦点になってまいりますけれども、しかしこれはそういう意味では贅沢な悩みといいますか、今後進めようという部分ではないだろうかなというふうに思っております。そのような意味合いでは、やはり現在与えられた条件、今度新しくでき上がります工場の範囲の中でしっかりと経営を進めて骨太な会社づくりをしていかなければならないと、ありきたりでございますが、そのように考えております。
ただ、今回実は早いうちに市民ファンドによりますミュージックセキュリティーズさんですけれども、活用いたしました。非常に優れたといいますか、ああいったときには非常に大事なシステムだなというふうに思ってまいりましたが、最近になりましてこの5月、6月ぐらいになりまして、ミュージックセキュリティーズさんはセキュリティーズツアーということで、投資をした方々を募りまして、自分が投資した会社がどうなっている、その会社のどこに投資されたのだと、被災の復興のぐあいはどうだということで、バス2台ぐらいずつ何回かツアーを組んでおります。
皆さんは被災されてどうかはわかりませんけれども、私自身、それから私自身もいろんな陸前高田の人たちと話をしていまして、確かに被災直後は物資の支援というのは大変ありがたいことだったというふうに感じております。しかしながら、今はむしろ忘れないでほしいという意味合いでは、忘れないで、私たちが知らないところで、知らない人が陸前高田あるいは岩手県、岩手県の被災地、宮城県、福島県を思ってくれる人たちがいるだけでものすごい力に、勇気になるというふうに感じております。そういう意味では、このミュージックセキュリティーズさんのセキュリティーズツアーというのは非常に有効ですし、そのような企画まで組んだファンドだというふうには思ってもおりませんで、これは非常にいいことだなというふうに思っております。瀬戸内寂聴先生が現地に実際にボランティアに家の事情で行けない女性に悩みを打ち明けられたときに、日本人だったら心を寄せることができるじゃないというふうに答えたというふうに言っておりますが、まさにそのとおりでございまして、支援の中での行政さんも含めてこういったことに旅行という、ただ単なる旅行ではなくて、そういうしっかりと現地を把握していただく、あるいは知っていただくという、そういう情報発信をぜひともお願いできればいいなと、私はそういうふうに感じております。
以上です。

田村局長
ありがとうございます。
続いて、佐藤さんお願いいたします。

佐藤誠
私は、先ほどもお話ししましたけれども、我々の仲間でまだ開業できていない、もちろんできていない理由というのが幾つかあるのですけれども、私が今サポートしている人たちというのが自宅兼店舗で自営をされていた方々なのですけれども、再開するにしてももちろんお店ですので、設備の問題ですとか、新たに今度は店舗を借りるとなれば賃料の問題とかも出るのですけれども、飲食に限ってなのかどうかわかりませんけれども、賃料というのは2日の営業、要は2日間で回収しないと飲食というのはやっていけないと言われています。それに見合った家賃のところというのがなかなか見つからなくて、開業できないというのも一つネックになっている部分かなとは思うのですけれども、最低でも3日ということを考えましてもまだまだいろんなところを探していかないと見つからないというのが現状なのですけれども、もちろん設備も居抜きがあれば一番、私自身がそうだったのですけれども、居抜きであれば一番設備もかからないですしということで、逆に私は今岩手県の内陸のほうで自分もやっているので、そっちのほうを、沿岸の人間たちにも勧めているのですけれども、今は屋台村ですとか、ひとまとめになってしまっているので、お店は再開できたけれども、集落、集落で1店舗ずつあったものが結局ここの町で、そこに食べに行くかとか、出前とるかとやっていたものが1カ所にまとまってしまったので、やっぱり売り上げも伴ってないというのが現状ですし、低価格競争になってしまっていると。気仙沼ですとプレハブ全部がワンコインでランチをやらないともうお客さんのとり合いになってしまっているということで、それもやった人たちもやっぱり大変だという話も聞きますので、その人たちの今後も含めてもし、結果的にまた新たにやるようになるので、それも含めて一緒に探しませんかということでお話しをかけさせていただいています。
あとはちょっと遠いのですけれども、私の甥っ子なのですけれども、今度縁ありまして、九州の大分のほうからカフェをやらないかということで、店舗がすぐあるわけではないのですけれども、一回お店でお世話になって、そこから広げられるように助けてやるよということで大分の方々から大分支援をいただきまして、先月大分のほうに引っ越しまして、新たにやろうということで始めたという例もあります。そういうのも含めて遠くでもいいと。ただ、今すぐ決められないというのが、自宅兼店舗でやっていたので、自宅が今後どうなるかということでなかなかすぐというのは動けないというのがちょっと私ももどかしいところなのですけれども、でも前向きに移りたいと思っている人間も結構いることは事実です。どうなるかわからないのだったら、やっぱり自分から動いて探していこうという人間がこの1年間で大分ふえてきたというのは事実です。
あとは私も実を言いますと、今年中に2号店というのがオープンできるようなところまで来ています。そこで、もしよかったら私の仲間にそっちをやらせてあげたいなというふうに少しずつですけれども、飲食店、個人経営者の方々の力になればなということで動いています。
あとはとにかくこういう状況になってしまって土地の価格も上がって、家賃も上がってしまっているというのが現状なので、そこが何とか店舗をなくした方々にうまく貸していただけるような環境ができれば一番いいなというふうに思うのが一番ですね。とにかく早く一人でも仕事が再開できるということの手伝いを一生懸命これからもやっていきたいと思っています。
以上です。

田村局長
ありがとうございます。
菅原さんお願いいたします。

菅原敏
先ほど、お茶っこ交流会をやっているということでお話ししましたが、来ている方々はいいのすが、来ていない方々が孤立とかしていないかなというのが特に心配しているところです。市の対策本部のほうから案内をお願いしているのですが、参加者の人の話を聞くと、案内は個別に届いているけれども、知らない場所に初めて参加するのはやっぱり少し緊張がある。まだ外出するのも億劫だし、不安があるし、外出する気分にもならないという人もいるということを聞いております。そういう、最初緊張した方でもお茶っこ交流会に参加していただいて、話をしていくうちにすごくリラックスして笑顔になって帰っていくという姿を見ていますと、今は少し一歩前に踏み出すきっかけが欲しいのかなというように私は思っています。参加に当たってもお茶っこ交流会に参加してくれた方や友人とか家族とかが一緒に参加しようよとか、家族の中からは私も行くから一緒に行ってみないとかという声がけをしていただければ少しでもそういう輪が広がるのではないかなと思っています。
お茶っこ交流会だけを頼りにするのではなくて、一関市の保健師さんのほうで一生懸命内陸に避難している方々の訪問を続けていらっしゃいますし、社会福祉協議会のほうでも生活支援相談員等の訪問を通じて孤立のないように声がけとか相談を続けていきたいなと思っております。また、地域の民生委員さんにも協力いただきながら、見守りや地域で行っているサロンに、避難している方が参加しているという話も聞いておりますので、そういう地域とのつながりをつくるというところで地域の人たちと仲よくしていただくのも、孤立を防ぐ手だてかなと思っております。
今後は、お茶っこ交流会のほうも1年間スケジュールを決めて様々なプログラムを入れながら実施してまいりますが、8月はお盆が入りますので、お盆明けに22日と24日の両日を使って料理教室を行っていきたいなと思っております。時間も通常だと2時から4時ということで午後なのですけれども、8月は10時から12時ということで自分たちが料理をして、自分たちで食べて話し合うという形をとって、自分たちが参加するという意味合いもつけていきたいなと思っております。8月以降も、9月にレクリエーションとか、10月には芋の子会とか、クリスマス会は12月とかというふうに行事を通じ自分たちが参加、盛り上げるような形で、皆さんが参加していただいて楽しみながら心が安らぐ場づくり、笑顔をふやす場づくりを私たちのほうで進めていければなと思っているところでございます。
先ほど酔仙の金野社長さんのほうから、被災地を忘れないでほしいという話があったと思うのですが、陸前高田のボランティアバスを出しているときにボランティアの人たちに陸前高田のことを忘れないでねということは話しているところです。ボランティアで参加した人たちにかかわっていただきながら陸前高田というものを知っていただく、被災をしたところを知っていただくということで被災地を忘れないでいただけるよう伝えていくというところを金野社長の話を聞きながら、私どものほうでも取り入れていきながらボランティアバスを運行していきたいなと思っております。
最後に、私たちは民間の法人として沿岸と内陸をうまくつなげるような役割をできればなと思っておりますし、被災者に寄り添える支援を心がけていきたいなと思っております。
以上です。

田村局長
ありがとうございます。
藤野さんお願いします。

藤野恵美
私は逆に支援されているような状態です。仮設に入って、皆さんの話を聞くと高台移転とか、早く公営住宅が建って欲しいなとか、大船渡の方も家を建てようと思ったら土地が3倍になったとか、そういうような悩みも最近出てきています。あとは厚労省で立ち上げたマンパワーの運動普及推進員、各市町村に運動普及推進員がおります。久慈市、野田、宮古、大船渡、釜石、遠野、住田、唐桑、高田ももちろんです。こちらの人たちの女性の力が本当に地元でボランティアで頑張っているということに私は今心が痛いところです。その人たちにどうにか助成金とか調べていろいろ担当者も事務的なことでいっぱいで大変だとは思いますが、少しでも交通費とか出してあげられたらいいのではないかなというような気持ちでいます。
それとやはり自治会独自で自分たちで、自分たちのことはやろうというような力が見え始めていることにすごく頭が下がる思いでいます。地元の人たちの力、人と人とのつながり、仲間づくりを大切にしていきたいと思います。
以上です。

田村局長
ありがとうございます。
昆野さんお願いします。

昆野芳徳
今現在現実的なこととしましては、私の住まいは危険区域ですか、住宅制限のかかった区域、皆さんご存じだと思うのですけれども、あの青い大きい漁船が乗っかっている、あの近所なものですから。だから、要は住居としての建物は建てられません。それと私のうちは靴小売店をやっていてお店があったのですけれども、もちろんまだそういうお店を建てられるような状態ではありません。
行政のほうでいろいろ説明をいただくのですけれども、そういった、お骨折りはありがたいのですけれども、方針が定まらないといいますか、行政を船頭さんとすると行き先をはっきりと言っていただかないと、ちょっと被災者側としては行き先に迷うようなところがありますので、何をするしない、できるできないではなくて、計画とかタイムスケジュールをある程度明確にしていただくと助かるのです。だから極端な話、あなたのところは危ないからもうだめですよと引導を渡されてもしようがないと思うのです。そうすればもう身の振り方が決まるわけですけれども、何か使えるのだか使えないのだか、それともう住めないのだったらその土地の処分の方法とか、行政で面倒見ていただけるのか、それとも、自分でやりなさいとはっきり言われれば、こっちも自分の頭で考えるのですけれども、何かちょっと責任が持てないから歯切れがよくない、被災地は住む所としての受け皿がもう壊れてしまったものですから、これを直すというのはちょっと難しいと思うので、国の行政が動かない限り被災地の復興は先に進まないのではないかという気がします。だからその点地方自治体のほうから国のほうに、話を押していただいて、被災地ではそういった住むところ、働くところを失ってみんな自立というか、自力でできる方はそちらの酔仙さんとか、「がっつり亭」さんのように経済活動も進めているのですけれども、そうではない人が結構多いのです。というのはできないのではなくて、そういう方向性を出してくれないから身動きがとれないのです。だから、何といいますか、やっぱり一番大きいところは国の方針ですね、どう動いていただけるかちょっと心配しているのです。
私も地元志向というか、生まれ育ったところですから、気仙沼のほうが気にかかるのだけれども、行って戻って仕事して住んでという状態ではないので、今ちょっと仕事を探しているような状態のですけれども、岩手県のほうに就職する事も考えています。とりあえず、要は宙ぶらりんの状態から抜け出すには自分で判断しなければいけないのですが、その判断の手がかり、足がかりがちょっとないのです。だから、住めないよというのだったら、もう気仙沼でも一関でもどこでも考えるのですけれども。どうなのでしょうか、そういう人は結構いらっしゃると思うのですが。
それで現実的に、私の住んでいる地区、鹿折地区というのですけれども、新聞を読むと読むたびに人が減っているのです、どんどん、どんどん。被災当初ごっそり30%ぐらい人口が減りまして、それからじわじわ、じわじわ人が減っているのです。そんな現状ですから、計画ですね、これから被災地をどうするかという計画をもう明確にしてくださいと。それで、ああしてくれ、こうしてくれは言いませんから計画なりに動くしかないと思うので、つまり足がかりをつくっていただきたいと思いまして。
だから、何と言ったらいいのでしょうか、途方に暮れると言ったら大げさですけれども、ちょっと宙ぶらりんの状態になってしまっていますので、だからできましたら地方自治体の方には国の行政のほうにそういったことを伝えていただきたいと思います。
以上です。

田村局長
ありがとうございます。

達増知事
宙ぶらりん状態で困る、また不安だというのはかなりあちこちに見られることでありまして、それで恐らく津波でやられたところから一つは高台移転というパターン、もう一つはそこをかさ上げして土地区画整理というパターンなのですけれども、いずれにせよ住民の合意に基づかなければならないという話があって、それでほとんどのところはまだ合意調整に時間かかっているのだと思うのです。ただ、そうなのだということ自体がよくわからないということも多くあり、そういう何か住民合意の調整なり話し合いをしているのだということ自体も自治会長さんと担当の市町村職員はわかっていても、一般の皆さんはそのことがわかっていらっしゃらないということもありますし、だからまず岩手県ではロードマップという全県のやつをこの間つくって近々市町村ごとにそういう高台移転事業とか、土地区画整理事業とか、あといろんな防災公営住宅を建てる事業とか、岩手分で全部で500ぐらいの事業のそれぞれについて今年中にここまでいくとか、来年、再来年、三、四年でここまでいくみたいな工程表をつくって、それで誰でも見て分かるようにしようというのをつくるようにしています。ですから、そこは本当に行政側が工夫しなければならないところだと思っていまして、今その土地に関して何が進んでいるのか、起きているのかというのがちゃんと分かって、分かるとあと三、四年は建てられないというのが見えてきたりしますから、そうなったときには特に飲食店もそうですね、あと三、四年はそこには建てられないとわかれば、ではちょっと別なところでというのは本気になるという契機にもなるわけですから、そこは大事だと思っています。
ただ一方、合意をベースにしながらやっていくというやり方は既存の制度にちょっと防災、災害対策的な特例をくっつけた程度で、やっぱり平時の行政の進め方でありまして、去年大震災発生直後にはもう国でばっと買い上げて、そしてばっと決めて移転してもらう、あるいはそこに国でちゃんと次の町をつくるみたいな構想もあったはずで。ですから、改めてそういう思い切った策を国レベルで考えなければならない、実施しなければならないような地域というのも出てくるのかなという感じは私も思っています。ですから、そこはあれだけの大災害ですから、平時の土地区画整理事業というのがただたくさんあるというだけの事態ではないですからね、だから国もそういう感覚で事務的に進めるだけではだめなわけですので、そういう非常事態なのだから思い切った手をというところは国に求めていきたいと思います。

昆野芳徳
やっぱり気仙沼というのは、ある程度人口がいまして、土地も平地が少なくて、入り組んでいますので、住民の合意といったものをまとめるのも多分被災地の中ではちょっと難しい地区だと思うので、余計そう感じるのかもしれません。小さな集落ですと、んで、みんなで移っぺがと言って高いところにまとまって移れるのですけれども、気仙沼はちょっと難しいところがありまして、だからいっそのこと一関で暮らそうかみたいな気持ちにもなるわけなのですが、気仙沼のほうを振り向くと気仙沼の様子も気がかりになってなかなか悩ましい所があります。

田村局長
ありがとうございます。

知事所感

田村局長
時間も押していますので、知事に一言お願いいたします。

達増知事
空き店舗がなかなかいい物件がないという問題があるわけですね。家賃がちょっと高過ぎたりとか、そもそも居抜きでは入れるような空き店舗がないとか、やっぱり今ある制度は本式に再建する、そういう場所が決まったら、そこに再建していくための制度か、あとは仮設でやるかという両極端になっていて、その間どこか別の場所でというところについてはありましたっけ、そういう何か助成制度とか何かそういうあっせん制度というのは。

復興局産業再生課伊藤総括課長
私が知っている範囲ではないのですが……

達増知事
実はそこが行政の盲点になっているのです。ただ、実を言うと同業者の皆さんの感じと言っても、それをやりたい人が結構いるということで、場所さえあれば大分県のほうにも行くということになっているわけですよね。だから、そこはちょっと何か工夫をしなければならないところだと思いますので、今日は参考になりました。

佐藤誠
住宅のためにやっぱり新たに借金をしなければいけないというのが頭にあるので、もちろん仕事もしていかなければならないのですけれども、そちらのほうにお金を借り、低金利であっても結局は払わなければいけないというのを考えるとなかなかいい条件というのが難しいということなのです。

閉会

田村局長
どうも今日はありがとうございました。それでは、今日は貴重なお話をいただきまして、本当にありがとうございます。
これをもちまして県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了させていただきます。本当にどうもありがとうございました。

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