「がんばろう!岩手」意見交換会(平成24年4月25日 宮古市)

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ページ番号1000897  更新日 平成31年2月20日

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写真:懇談会の様子1

日時

平成24年4月25日(水曜日)9時30分から10時30分

場所

宮古地区合同庁舎

出席者

  • 参加者(敬称略)
    飛鳥方 克吉(宮古湾かき養殖組合 組合長)
    太田 佳子(有限会社太田商店 社長)
    金澤 明美(岩手県北自動車株式会社 みやこ浄土ヶ浜遊覧船ガイド)
    三浦 章(傾聴ボランティア「支え愛」代表)
  • 県側
    達増知事
    菅原沿岸広域振興局副局長
    稲葉秘書広報室長

開会

菅原副局長
それでは、お時間になりました。ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」の意見交換会を開催させていただきます。
本日御出席をいただきました皆様方、また県議会の先生方、それから宮古市役所の方、御多忙のところお越しをいただきましてまことにありがとうございます。心から感謝を申し上げます。
私、本日の司会進行を務めさせていただきます沿岸広域振興局副局長の菅原と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子2

菅原副局長
それでは、開会に当たりまして知事から一言ごあいさつを申し上げます。

達増知事
皆さん、おはようございます。お忙しいところ、この県政懇談会に御参加をいただきましてありがとうございます。また、昨年3月11日、東日本大震災津波による被害に対しまして、改めてお見舞いを申し上げます。
今日は岩手県議会からも、また宮古市からも御参加をいただきましてありがとうございます。
今日のこの県政懇談会御出席の皆さんは、大震災前からもこの地域のそれぞれの分野で先導的な活動をされてきた皆さんでありますけれども、大震災の後も被災者支援、復旧、復興という流れの中でそれぞれの分野の最先端、最前線を切り開いてくださっていること、改めて敬意と感謝を申し上げたいと思います。
ここ宮古市では、商店街、住居、鉄道、基幹産業である漁業、水産加工業など甚大な被害があったわけでありますが、市当局初め復興に向けて地域が一体となって取り組んで着実に成果を上げていると思います。今日は御参加いただいた皆さんの復興への思い、日々の活動の中で取り組んでいること、現場での工夫、大切にしていることや活動における課題、今後の取り組みなどについてお伺いしながら県政の参考にしていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

菅原副局長
ありがとうございました。それでは、本日御出席の皆様を御紹介させていただきます。お手元の名簿に従って御紹介させていただきます。
宮古湾かき養殖組合の組合長の飛鳥方克吉様でございます。

飛鳥方克吉
よろしくお願いします。

菅原副局長
それから、有限会社太田商店社長の太田佳子様。

太田佳子
太田でございます。よろしくお願いします。

菅原副局長
それから、岩手県北自動車株式会社遊覧船ガイドの金澤明美様。

金澤明美
金澤です。よろしくお願いいたします。

菅原副局長
それから、傾聴ボランティア「支え愛」の代表、三浦章様でございます。

三浦章
三浦です。よろしくお願いします。

菅原副局長
県のほうからは達増知事と、それから秘書広報室長の稲葉比呂子でございます。

稲葉室長
よろしくお願いいたします。

菅原副局長
なお、本日は伊藤勢至県議会議員様、それから城内愛彦県議会議員様、それから宮古市の秘書室長様にもお越しいただいております。ありがとうございます。

懇談

菅原副局長
それでは、早速でございますが、懇談に入らせていただきたいと思います。
それでは、前半のほうは、最初に自己紹介を兼ねるような形でもちまして、お一人5分くらいでもって、今現在皆さんが復興あるいは復興支援のために取り組まれている、どのように取り組まれているかということなどを中心にお話をいただきたいと思います。
それでは、恐縮ですが、名簿の順番で飛鳥方さんのほうからお願いしたいと思いますが、よろしくお願いいたします。
どうぞ、座ったままで。

飛鳥方克吉
宮古湾かき養殖組合の飛鳥方克吉です。今日はよろしくお願いします。
昨年の震災では、施設や船などほとんどすべてを流されてしまい、当時はどうしていいか途方に暮れていました。そのときの収入だけを考えると次の仕事、ほかの仕事につくのがいいのですが、そうするといつまでたっても養殖再開のめどが立たない。そういうことで、自分を含めみんなが浜に残るには、仮でもいいからどうにか施設を浮かべて少しでも目に見える形をつくっていかなければいけないと思い、4月末ころから組合員が集まり、話し合い、協業化してできるだけ早く復旧をしていこうと決めました。幸い沖には7年ほど前に設置した打ち込み式アンカーの係留さくが何本か残っており、カキの稚貝は石巻の同業者からわずかばかり残ったものを販売してもらい、陸に打ち上げられた施設の中から使えそうなものを集めて、組合員が持っている資材を出し合い、足りない分は業者から仕入れたりしてどうにか養殖施設を不完全な状態ですが、以前の半分程度まで海に浮かべることができました。
通常であればカキを出荷できるサイズまで成長させるには2年から3年かかります。幾らかでも収入を得るには、その年のうちに水揚げしなければなりません。津波の後はいつもより成長が早いのですが、どうしても小粒のカキでしか出荷できないため、今までの単価は築地市場では見込めそうにありませんでした。これから先のことをいろいろ考えると、市場は大切だけれども、ほかにも販路を広げていこうと思い、カキのオーナー制を始めました。今回は義援金1,000円を含んで1個5,000円でむき身500グラム、殻つき10個で募集をかけ、その中から40名を抽せんで漁場見学会に招待しました。招待と言っても実費で関東方面、いろんなところから来てもらって、そこで焼きガキを食べてもらったり、あとサケのイクラとかそういうのをごちそうしたり、あと種の挟み込みとか、あとはカキむき体験とか、あとは船上での温湯処理作業などを見てもらいました。ふだんはほとんど見る機会もない作業を見て結構作業風景に感動してもらって、それがうれしかったというか、そういう感じでした。
最終的には、全国の人たちから2,000個を超える申し込みがありました。中には、いろいろ手紙で励ましの言葉などをもらい大変勇気づけられました、あのときは。それで、事務局や発送に関しては、施設がどうしてもちゃんとしたものがなかったので、地元の魚屋さんにお願いして、発送からいろんなものをお願いしてやってもらいました。これまでいろいろ行政の方や、いろんな関係機関の方に復興に対していろいろお世話になって本当に助かってありがたかったです。
ということでよろしいでしょうか。

菅原副局長
ありがとうございます。
それでは、太田さん、よろしくお願いいたします。

太田佳子
私は、この建物の隣の魚菜市場というところで魚屋をやっておりますけれども、3月11日の日は午後に働いておりましたら、突然経験したことないような大きな揺れを感じて即停電ということで、みんな外に出て、何が起きたのだろうと思って待機していたら、まちのほうから逃げて皆さんがおいでになるわけです。逃げろ、逃げろと言うけれども、私ら実際波が来るのを見てないもので、「何を言っているんだ」と思っていたのですけれども、次の日、12日の朝早く、何が起きたのだろうと思って宮古のまちのほうに行ってみたら、もう宮古のまちがめちゃくちゃで、もう唖然としました。これでこのまち復旧するのだろうかなと思いまして、これ私たち何かできることはないのかなと思って考えまして、では避難している人たちに、幸い市場までは津波が来ませんでしたので、婦人部の方たち20名ぐらいで、よし避難所の人たちに炊き出しをしようということで、使っていない電気がまとかみんな集めまして、先におにぎりづくりをして、あとは理事長初め青年部の方たちが、ガソリンがなくなるのが不安だったのですけれども、田老とか、重茂とか、そういったところの避難所におにぎりや何か炊き出しをいたしました。そうしているうちに、消防署のほうから手が足りないと、みんなが不眠不休で働いているので御飯を食べる暇もない。要するに、カップラーメンとか、そんなものしか食べられないから、そうすると健康上よくないから何かつくってくれというので、食材は提供するからということで、朝昼晩、みんなでおにぎりつくったり、何個つくったのだかわかりません。1日何千個つくってみんなやったと思います。
でも、何かやっているのだという、自分たち達成感というか、ちょっとハッピーな気持ちになった記憶はございます。消防署の方たちも大変でした。全国の方たちがおいでになって、本当に宮古市のために働いてくれてありがたいと思っております。それから、全国の方たちからも温かいお気持ち、あとは物資をいっぱい届けていただいて、本当に本当に、この次何かあったらというのはちょっと変な言い方なのですけれども、どこかに何かあったら自分たちも行って、このお返しをしなければだめだと思っております。
海のほうはこのとおり、去年はワカメもだめだったし、ウニもだめだったし、サンマ、サケも余り、例年の半分ぐらいの量でだめだったのですけれども、今年はワカメもとれましたし、ウニも大丈夫だと思います。これから始まるサケマスもまずまず大丈夫だと思います。それに続いてイカ漁、秋はサンマ、サケと順調に伸びていけばとる漁民の方たちもすごく安心するし、それを扱っている私たちもすごく希望が持てるような気がしておりますので、湾岸の設備整備をなるべく、お忙しいと思いますけれども、よろしくお願いいたします。
以上です。

菅原副局長
ありがとうございました。
それでは、金澤さん、よろしくお願いいたします。

金澤明美
浄土ヶ浜にありますみやこ浄土ヶ浜遊覧船ガイドの金澤と申します。よろしくお願いいたします。
このお話をいただきまして、何をしゃべろうかと考えたのですが、今頭の中が真っ白です。3月11日、私はちょうど休みだったものですから自宅の近くにいました。そのときちょうど里帰り分娩出産で娘が帰ってきていたのです。臨月で、予定日が3月14日でした。3月11日に震災になったのでどうしようかと。仕事場にはもちろん、行くことができませんので、次の日に、バスと遊覧船は一緒の会社なものですから、宮古の営業所に行きましたら、従業員は全員無事でした。あと船は1隻沖に逃げているよということだったので、まずは安心しました。これからどうしようかと、私のやることは何か。まずは、娘が無事に出産することだなと思って、ずっと娘につきっきりでした。14日に宮古病院に入院し、17日に無事に女の子が生まれました。私は子供たちを見て、笑顔を見て、それですごく癒されました。まずは、孫の世話をし、それから徐々に先のことを考えようかといったときに、6月の中ごろに遊覧船が再開するとの話が来たのです。ただ、こういう観光の面では、やっぱり皆さんが泣いているときに笑いながら御案内してもいいのだろうかという気持ちもあったのです。お客様が来てくださるということ、被災地に来てくださるお客さんたちも何もできないけれども、こうして観光に来ることによって、何か役に立つのではないかということで、7月16日から再開していますけれども、7月から今年の3月まで、本当に少なかったのですが、1万2,000人ぐらいのお客様がお訪ねしてくださいました。
日出島の漁港のところはコンクリートがひっくり返っている状態なのです。あとは山を見ても家が流されている状態なので、それはお客様にもやっぱり伝えなければいけないので、こういうようになっていましたと案内。お客さんが手を合わせたり、涙を流しながらしてくれて、それを見て私も一緒に泣きながら、本当に泣きながら案内してきたのです。でもやっぱり泣いてばかりはいられないので、周遊40分の中で気持ちを切りかえながら。こういうときによくお越しくださいましたと本当に何度も、何度も頭下げながら感謝の気持ちでいっぱいで、「ありがとうございます」とあいさつしますと、お客様が「楽しかったよ、また来るよ」と声をかけてくれます。再開してから3月まで、1人の方は5回。御夫婦なのですけれども、最初に来たときに報道陣がいっぱいだったので見られなかったからということで、改めて来てくださったのです。遊覧船3隻のうち1隻は、沖に逃げました。42時間沖のほうで待機したということを報道されたので、そういうのを見てくれたお客様たちが「テレビ見たよ、がんばってね」といっぱい言ってくれているのです。だから、これからも私たちもそういうお客様の声に本当に感謝の気持ちをまた改めて感謝しながらこれからもがんばってお仕事していきたいなと思っております。
以上です。

菅原副局長
ありがとうございました。
それでは、三浦さん、お願いします。

三浦章
今日は「がんばろう!岩手」ということなのですけれども、私たちは「がんばろう」はちょっと禁句になっておりますので、ちょっと場違いではないかなと思いましたけれども、よろしくお願いします。
今回の震災では、こころのケアとかサポートが言われているのですが、その中で共感、それから受容的態度で相手の話を否定しないで、なお話の腰を折ったり、それから安易な励ましをしないでということで、じっくり耳を傾けるというのがこの傾聴の基本なのですけれども、それをいろんな面で震災でこれが大切だよということでいろんなところで取り上げてもらっていますので、傾聴にかかわる者としてうれしく思っております。
私たちの会ですけれども、この傾聴による心のサポート、余り傾聴するのだと、だれかのために役に立つのだというふうに気負いもしないで、何気なくかかわらせてもらうことが結果としてみんなで支え合う社会になるのではないかということで平成18年の12月に仲間が集まって会をつくって、それで宮古市だけでなく宮古地域を活動対象にしようということで、宮古地域傾聴ボランティア「支え愛」という名前をつけたものでございます。
活動内容ですけれども、まず何と言っても傾聴スキルを身につけた人材を養成することが大事だということで、平成19年から昨年23年まで5年続けて、当会が、私たちの会が養成講座を開催してまいりました。おかげさまで249人の修了生を生み出しております。こういうことですので、できればこの養成講座は続けていきたいなと思っているところです。
あと具体的な活動ですけれども、高齢者の皆さんを対象にした介護施設とか、あと個人宅の活動です。それから、緩和ケアの一環として県立宮古病院の入院患者さんの傾聴ですとか、それから県も力を入れております自殺予防関連の傾聴といったところが主な活動をしております。
さて、そこに3.11ということで、震災対応の活動が加わったというところです。ただ、私たち57人の正会員なのですけれども、その中で23人がやはり被災を受けました。したがいまして、当初は会としてまとまった活動にはやっぱり入れなかったという状況があります。それでも被災された皆さんが仮設住宅に入れるようになってから、仮設住宅のサロンを中心に活動に入ったところです。宮古市では6カ所の仮設住宅で私たち「支え愛」が主催のサロン、それから山田町では、山田町社会福祉協議会さんがまとめて山田町でやっているのです。そこに協力するという形で入らせてもらっています。
そういう中で、皆さんと接して時間によって変わってきているなということなのですが、当初はやはりほとんどの皆さんが被災当時のお話でした。しかも、本当に話す声も低く、ぽつりぽつりという状況でした。それが途中から、「いや、この仮設所を出てからどうして生活したらいいんだべね。」という、まさに将来の不安が出てくるようになりました。
それから、12月にはちょっと特徴的なことがあったのですが、寒さ対策というか、気泡シートみたいなプチプチですね、あれをどこに張っていると。それから、部屋の間仕切りのカーテンの下があいているのですけれども、そこに柔らかい布をつけているよとか、まさに寒さ対策を披露し合って、それをお互いに参考にすると。こういう状況を見て、そんなに時間はたっていないのだけれども、女性の方の生命力というか、生活力の強さを実感したところです。ただ、一方ではやはりまだまだ眠れない、それから眠りが浅いという方が多数ありますし、特に最近髪が抜けるようになったと。それから、夜中に全身がかゆくて眠れない。これはストレスが原因なのかなと思うような症状を訴えるような方も出てきております。
それから、私がかかわった方で、震災によって耳が遠くなったという方数人おります。この方たちがすべて男性なのです。ですから、私も男性ですけれども、男性はストレスに弱いのではないかなと思っておるところなのですが。
さて、この男性なのですけれども、もう一つこのサロンに出てきません。それで、私たちはコーヒーを持ってそのサロンに入っているのですけれども、その温かいコーヒーを逆に外に持っていって、外に集まっている方たちのところに行くとか、あとはこれは男性に限らないのですけれども、お部屋のほうに行って気にかかっているような方たちにコーヒー持って、お話もと。これを私たちは出前傾聴と言っているのですけれども、そういうこともやらさせてもらっております。
そういった中で、サロンが終わった後に私たちは必ず反省会を持つのですけれども、今は会員のみんなから皆さん落ち着いてきたなという声が出てきております。確かに仲よしグループもできたりして、本当に話す声も高くなってきました。これはこれで良いのですが、ただ、狭い部屋、1つの部屋でやっておりますので、もう少し落ち着いて話したいなという方からすると、迷惑になります。それから、私たちもなかなか話し声が聞き取れないとかということもしばしばあります。それから、前段で言った男性の利用者さんがなかなか出てこないということも気がかりでございます。
それから、このサロンに出てこられない、いわゆる孤立しがちな方、この方たちも相当私らも気になっているのですけれども、ただ我々は民間なので仮設の入居者の情報を持ち得ておりません。したがって、この辺も今後の課題なのかなとも思っているところでございます。
それから、私たちは、宮古市では6カ所、それから出前含めて1クールというのですか、1回当たり大体100人ほどの皆さんのお相手させてもらっています。ただ、これも仮設住宅及びみなし仮説住宅、全入居者さんの数からすると本当の一部なのだろうなと。この辺も何か数から見ると少しむなしさも感じるところです。でも、利用されている皆さんが何か周りの皆さんにはなかなか深いところまで話すことができない。それから、話すと広まってしまうというようなこともあって、ここだとそういうことも心配しないで話せることがうれしいと。
それから、いろいろなサロンがあるのですけれども、話しするだけのサロンがあって本当によかったという形の人たちがあって、本当にいっぱい話してすっきりしたと。ここで話しすると時間過ぎるのが早いというような形で皆さんが時間いっぱいまで話されて帰っていきますので、本当にささやかな活動ですけれども、地元の活動団体として継続してかかわらせていただきたいなと思っております。

菅原副局長
それでは、一通り4人の方々から現在までの取り組みの状況等をお話しいただきましたが、知事のほうから何かお聞きしたいこと。

達増知事
つぶより牡蠣のオーナー制度は本当にいい企画だと思っていまして、また協業化でいち早く養殖の体制立ち上げたということ、そして二、三年かかるやつを1年間で商品をお手元にというような工夫は非常にグッドアイデアだと思います。ぜひうまくいくように県のほうでもいろいろ支援していきたいと思います。
それから、太田商店さんはじめ魚菜市場の皆さんの炊き出しですね、これは本当になくてはならない活動でありまして、住民の皆さんにもですし、あと消防署ですね、すぐそこが消防署で基地になっていましたからね。確かに食べるものに事欠いていたと思うので、本当にすばらしい貢献をされたと思います。
それから、金澤さんはまず娘さんの御出産うまくいって本当におめでとうございます。

金澤明美
ありがとうございます。

達増知事
そして、観光船もなるほど被害の様子が見えるわけですね、洋上から。

金澤明美
そうです。

達増知事
それは全国各地、被災地に思いを寄せて、何かしたい、まずそういう思いを伝えたいという皆さんたくさんいらした人たちがそういう被害の実態を自分の目で確かめることができたというのは非常に大きいと思います。それは大変なことではあるのですけれども、末永くあのとき直接見たということがこの復興への支援というのが全国から末永く寄せられていく大きな基盤になると思いますので、1万2,000人ですか、それは非常に大きなことだったと思います。
そして、傾聴ボランティア、なるほど普通に話しているとそれが広まったりするかもしれないというのに対して、サロンでの話というのは本当に広まらないから安心して話せるというのはなるほどなと思いました。そして、話すことで心がほっとする効果というのは非常に大きく、それは体の健康にもつながるし、なかなか行政として一人ひとりにそういう長い時間かけるというのは難しいのですけれども、そこを傾聴ボランティアの形できめ細かくやっていただいていることは本当にありがたいなと思います。また、いろいろ男性の弱さとか、あと出てこない人の問題とか、その辺はやっぱり行政の側でもケアしなければならないところの接点の部分だと思うので、うまく情報を共有しながら対応していければと思います。

菅原副局長
それでは、後半のほうに入ってまいりたいと思いますけれども、次に、やはりお一人5分ぐらいということで、日ごろお困りのことでも結構ですし、また皆さんが今後宮古市が元気に復興するためにどのような形で取り組んでいかれたいというふうにお考えなのかということなどを中心にお話をいただきたいと思います。
それでは、また恐縮ですが、飛鳥方さんのほうからお願いいたします。

飛鳥方克吉
今回オーナー制度をやって感じたことなのですけれども、直接今までは市場頼りで、本人対話の販売ということをしたことがなかったのですけれども、みんなの意見を聞きながら販売できるような形を通販の形でも本当のオーナー制度の形でも、そういう形というか、自分たちと対話をしながらの販売方法というのもいろいろこれから考えて行きたいと思っていますし、あとオーナーの方で40人だけ抽せんで来てもらったのですけれども、そういう人たちも日ごろ大した仕事やっているのだけれども、余り大した気にしないようなことでも感動したりなんだりして帰っていくので、そういうのももしかすれば観光のほうと一緒に組み合わせて、食のほうと組み合わせて、そういうのもいろいろ考えていきたいと思っていました。
あと振興局さんのほうで盛岡地鍋のほうにもカキを出させてもらったりして、飲食店の方と話して、カキは大きいのが使いやすいとか、小さいほうがいいとか、そういうのも本当に使っている人と話ができるので、盛岡もそうだし、宮古とか、岩手県から発信できるように東京築地一本だったのですけれども、それをなるだけ県内のほうに販売をしていきたいなと思っていました。

達増知事
大きいカキをペロペロッと食べるのもおいしいのですけれども、小さいほうがいい料理もありますものね。

飛鳥方克吉
はい。

達増知事
あとは台湾に行ったことがあるのですけれども、台湾で卵焼き、オムレツにカキが入っているというそのカキが親指の爪ぐらいの大きさのちっちゃいカキなのですよね。だから、いろんな食べ方があるのだなと思いましたので、消費者や、あるいは飲食店の皆さんとやりとりしながらいろいろ工夫していくと高付加価値で今まで以上に高収入につながるような販売ができるのではないかと思いますよね。

飛鳥方克吉
やっぱり築地だけに出していると、全部運送かけて築地市場だけに9割方ほとんど行ってしまうのだけれども、できれば宮古で加工して発信して、加工屋さんと協力しながらそういうのもつくっていきたいと思っていました。
あと今当面の問題なのですけれども、6月に施設本復旧をする予定になっていましたけれども、ただ沖の作業で、施設は復旧しても陸上の加工施設、こっちの整備のほうがなかなか進まないので、そっちのほうをどうにかなるだけ早く、できるだけ早くしてもらいたいなと思っていました。
あと宮古の場合ですと、西側部分は港湾指定の区域になっていまして、漁港というのが存在しないのです。やっぱり漁港と港湾とはまた別のものなので、そこの中に漁業だけやるとなるといろいろ制約があったりして難しい面があるので、その辺を港湾関係者の方とか、いろいろ話をしていい方向に向けていければいいなと思っていました。
以上でよろしいでしょうか。

菅原副局長
ありがとうございました。
それでは、太田さんは、飛鳥方さんとか、漁業者の方々が一生懸命おつくりになったものを今度は消費者方に届ける立場かと思いますが、太田さんのほうからよろしくお願いいたします。

太田佳子
市場の周りは仮設が建って公園があるものですから、結構あるのですよね。仮設の中、お買い物にいらっしゃる方がいるのです。それで、割と高齢の方が多かったりして、あとは仮設を出た後の、なくなった後の生活というのをすごく不安に思っているようです。これから先どうするのだろうかと、年とってから新しいおうちを建てるわけにもいかないし、あとは町の中であればすぐ買い物に来られるけれども、町を離れて高台にアパートとか何か建てられても私たちは生活に不便だからどうしたらいいのだろうかなと思って不安を感じている方があるようです。
それから、1年ぐらいたってからなのかな、震災のときはがんばっているのですけれども、だめだと思ってがんばるので、ここを乗り切らなきゃと思っているのですけれども、1年ぐらいたつと我慢が切れるというのかな、今まで病気を持っていたのをそれも周りの家族に言えないで我慢して、病気がぼっと出て、体調を崩したり、あるいは亡くなられた方も何人かおいでになるのです。その場合に、市民全員がだと思います、宮古市の医療関係の充実を切に望みます。例えば救急で行った場合に宮古から盛岡までは2時間という時間を要するわけです。その間に亡くなる方が何人もいらっしゃるようです。だから、そういうことがないように、この先は高齢の方が多くなるというのは目に見えておるから、その人たちも安心、私たちも安心できる医療をお願いしたいと思います。宮古市全体の人がそれは望んでいることだと思います。よろしくお願いします。

菅原副局長
住宅の、住まいのほうの復興につきましては、災害公営住宅のほうの宮古管内でも今用地の測量とか、着手をし始めてございますし、またそういった手法の住宅ではなくて、自宅を再建されたいという方につきましてもさまざまな助成制度を御用意しておりますので、その辺は皆さん方にうまく伝わるような工夫をしていきたいと思っております。ありがとうございました。
それから、飛鳥方さんのほうから港湾施設での漁業施設のお話ありましたが、港湾利用の促進協議会とか、そういった場がございますので、先ほどのお話につきましては、私もそういう場で漁港区域と港湾区域での取り扱いがどう違うのかとか、その辺は勉強しながらいろいろ考えていきたいと思います。
それでは、金澤さん、お客さんがたくさん来ていただければということだと思いますが、よろしくお願いいたします。

金澤明美
本当にまだ一般のお客様が少ないです。団体のお客様は今年になりましてからは、ツアーを組む業者さんがふえて、幾らか昨年よりは多いです。私たちは現状を御案内します。かき養殖組合さんでもがんばっていますよということも御案内していましたし、あとぜひ魚は魚菜市場さんでどうぞというのも御案内していましたし、そういう情報なのですよね。観光の面では、浄土ヶ浜は動きませんし、名所も動かないのです。ですから、その御案内はしますけれども、そのほかに、やっぱり来てくれたお客様たちは宮古はどうなっているのだろうかという思いもあるのです。養殖の方々も、これからも、まだまだ時間というのはかかると思うのです。でも、がんばっていますと。すみません、がんばっているということを本人の方々からは聞いてないのですけれども、新聞等を見て、そういう情報でがんばっておりますということをお話ししておりました。勝手にすみませんですけれども、そういうように……

達増知事
いいと思いますよ。私も結構そういう報道とか見ていて、それを「がんばっています」と発信しているほうですから、報告を聞いて、そのまま発信したりしていますから。

金澤明美
勝手にしゃべってもいいのかなと思いながらも、でも宮古ががんばっていますよということを本当に伝えていきたいなと思っております。地盤沈下によって、遊歩道、一部だけ、ビジターセンターのところからうちの会社のところまでは整備してもらいましたけれども、そのさきの奥のほうはまだこれからということなのです。できれば早く遊歩道が使えるようになって、本当にすぐに浄土ヶ浜に行ければいいなと思っています。きれいなところを見ないで帰る方がまだいるので、ここは遊覧船だけが浄土ヶ浜ではありません。本当の浄土ヶ浜はあの白いところですよ、7月にレストハウスもオープンになりますから、またぜひお越しくださいと御案内しております。
あとは娘たちが千葉に行っておりまして、関東のほうで直下型の地震が来るとちょっと怖いような話も聞くと、今娘たち夫婦も後には宮古に帰ってくる予定なのですが、やっぱり帰ってきてすぐに仕事ができるような環境にしてほしいなと、Uターンですぐに職が見つかるような環境になってくれたらいいなと思っています。私たちも頑張っていきたいなと思います。よろしくお願いいたします。

菅原副局長
ありがとうございます。情報発信につきましては、これは沿岸の広域で取り組んでおります福幸ナビというパンフレットを出しておりまして、復興にかけて、「福」、「ふっこう」、「こうふく」をひっくり返して福幸ナビになっていまして、多分これは紙面が限られていますので、本当に各市町村のポイント、ポイントが載っているぐらいのものですが、こういった取り組みもしております。まさに情報発信が大切だと思いますので、もっとこういう紙ベースだけではなくて、きめ細かな情報発信に努めていきたいと思います。
あとは浄土ヶ浜につきましては、国立公園ということで、復旧に当たっては今まで自然公園なものですから、災害復旧という事業の概念がなかったようなのです、生活インフラではないものですから。ただ、環境省のほうでも今回被災が大きかったということもありまして、国のほうでもかなり国費を入れて復旧しようという考えがあるようでございますので、具体的な現地の設計ですか、障がい者に優しいとか、その辺につきましては県のほうでも国のほうにいろいろ御意見を要望しながら進めていければなと思っております。
それでは、三浦さんのほうから、やはり復興するためには元気な気持ちが必要かと思いますが、その辺で一つよろしくお願いいたします。

三浦章
3点ほどなのですけれども、先ほど知事さんも情報共有という話が出たのですが、先日開所された宮古地域のこころのケアセンター、あそこにこういうこころのケアサポートの調整役というか、コーディネーター役をしてもらえればなというのが1つです。というのは、皆それぞれ行政さんも、それから社協さんも、私たちもやっているのですが、本当にこういうことをやっている人たちの中で話し、そうだねと、ある部分では分担するという仕組みができていない状況にもあります。たまたま田老地区で見守りやっている田老サポートセンターさん、それからNPO宮古市……、立ち上がれでしたっけ、「立ち上がるぞ!宮古市田老」というNPOさんがあって、ここが見守りやっているのです。そこに私たちもサロンという形で田老にも入っていますので、今のようなことを言っても時間だけ経過していくので、まず3団体が集まって、さらにたまたま田老の場合、月2回診療所にカウンセラーに来ている臨床心理士さんがいるのです。その方が我々にかかわってもらって、それで3団体プラス臨床心理士さんという形で、田老地区の部分を、いろんな中で、臨床心理士さんが見た後、診療は止めてもいいが、何らかの形で関る人がいたほうが良いという方。それから、2つの団体さんが見守りして、やっぱりちょっと気になるなということで、ちょっと時間置いて、そのときは私のほうに振ってくるとか、そういう身近な感じでの連携というか、そういう部分がなかなか全体になってないので、たまたま今回そういうところができたので、そういう調整役みたいなものがぜひ欲しいなということがまず1つです。
それから、これは直接県さんではなく、宮古市さんのほうになると思うのですが、復興計画の説明を座談会方式で仮設ごととか、それから前住所地ごとみたいな形で、本当に小規模で入っていってもらいたいなと。というのは、今ようやくそれぞれ復興計画がまとまって広報等で流れているのですけれども、まず図面が小さくて、本当に自分のところという部分がなかなかという部分があるし、それから用語が、これもいつも出るのですが、難しい用語も出てくるのです。それから、よくこれもあるのですが、あのとき出た話だけれども、何やらやめたようだなと、そういうように言ってくるような人もある。なかなかそういうような状況があって、結構そういうのが出てくるのです。そういう中で、特に高齢者の方の生きる力というのは、むしろそういう部分を、一人ひとりが具体的に、あっ、こうなるのだなということを見せるのが、特に高齢者の方の生きる力になるということがよく言われていました。そういうこともあるので、やっぱりそれは小さい座談会方式で持っていったほうがいいという、地域社会学の先生なんかもよく言うのですが、そういうこともあるので。今日は議員さんたちも来ているし、宮古市さんも来ていますので、ある程度大枠での説明会はもたれているようですので、今度はそういう小さい枠で安心させるような座談会を持ってほしいなというのが、私らが接していて感じるところです。
それから最後が、これは今度の震災には関係ないのですが、私たちの傾聴というのはまさにすべてに関連するものだと思っています。対人関係の基本です、聞くということは。そういう中で、子育てにも当然あれだし、いろんな面で、そういう中で特に高齢社会で認知症がどんどんふえてくる。認知症の方の対応がまた受容的対応で接する傾聴がやっぱり最適だとよく言われているわけです。それで、私たちも先ほど言ったように会として養成講座しているのですが、行政さんももっとそういう広い意味で、それからこれからは行政さんだけで何もかもやっていけるという時代ではもうなくなってきていますので、もっと社会資源を活用するという形で、行政さんのほうも何かこういった人材養成に力を入れてもらえればなという、こういった3点でございます。

菅原副局長
ありがとうございました。こころのケアセンターは宮古にも3月28日から開設されまして、最終的に13人体制を目指していますが、今のところ採用が決まったのが9人という状況で、徐々に完全なものにしていきたいと思いますが、いずれセンター自身の活動はもちろんですが、おっしゃられました人材の育成ですね、支援していただく人材の育成も一つの機能として担うはずでございますし、またコーディネート役というところも三浦さんたちのようなボランティアさんも含めいろいろ連携をとらせていただきたいと思いますので、よろしくどうぞお願いいたします。
あと復興計画の説明の仕方等については、宮古市さんのほうで参考にさせていただければと思います。ありがとうございました。

達増知事
認知症も震災前、オレンジバンドでしたっけ、認知症ケアできる、そういう講習を受けて、そういう印をつけて、そういう人をふやそうというのをやっていて、震災というのを踏まえ、さらにそういう方向を伸ばしていかなければならないですよね。認知症の皆さんに対応できる力を地域、あるいは全県として持っているというのは非常に大きな力だと思うので。私も時間があれば試験を受けて、使ってやろうかとは思って、時間がなくて、でもテキストはちゃんと読みまして、かなり参考になりますよね、あれは。だから、そういうのを本当にみんなができるようになるといいと思いますね。

菅原副局長
それでは、施設整備のお話とか医療の充実あるいは雇用の場の確保といった御要望ございましたが、この辺はまた私どもも取り組みの中で御意見ということでいろいろ考えてまいりたいと思っております。
一応一通り御意見いただきましたが、もしこの辺ちょっと言い忘れたかなというようなことありましたらばございますでしょうか。お話をお伺いしていますと、相互に連携していくことが力になるのかなと思ったりしてお話を伺っておりましたが、皆様のほうからよろしいでしょうか。それでは、皆様ありがとうございました。

知事所感

菅原副局長
では、最後、締めくくりになりますが、知事のほうから所感をお願いいたします。

達増知事
それぞれ皆さん、それぞれの分野の最前線、最先端で力強い取り組みをされているので、今日も非常に具体的で、また全体の役に立つような話のやりとりができてよかったと思います。それから、将来のほうを向いて、それで力強く進んでいるところ、また仮設に住んでいる皆さんからするとちょっと不安にもつながる、先のことを考えれば考えるほど不安の材料にもなるというところもあるので、そこは県でもいろんな復旧のロードマップとか、そういう今年中に何をするとか、何年までに何を直すとか、そういうのをどんどん発信するようにしていくことと今年度しておりまして、本格的な復興の作業、事業がどんどん始まるし、また進んでいくので、それをちゃんと情報としても発信していくということでやっていきたいと思います。いろんな分野の情報をそうやってやりとりしながらみんなで前に進んでいくということが大事だなと改めて思いましたので、しっかり対応していきたいと思います。今日はありがとうございました。

閉会

菅原副局長
それでは、皆様、本日は大変貴重なお話をいただきましてありがとうございました。
では、これをもちまして、県政懇談会「がんばろう!岩手」の意見交換会を終了させていただきます。ありがとうございました。

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