「がんばろう!岩手」意見交換会(平成24年6月25日 久慈市)

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ページ番号1000893  更新日 平成31年2月20日

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写真:懇談会の様子1

日時

平成24年6月25日(月曜日)13時00分から14時00分

場所

久慈地区合同庁舎

出席者

  • 参加者(敬称略)
    柏木 美子(株式会社街の駅・久慈)
    嵯峨 松男(久慈市漁業協同組合参事)
    下館 一樹(「ふるさと体験学習協会」インストラクター)
    高谷 淳子(久慈市ボランティア活動センター運営委員長)
    橋上 和司(三陸鉄道株式会社運行本部北リアス線運行部運行本部長付心得(久慈駅長兼務)
  • 県側
    達増知事
    松岡県北広域振興局長
    稲葉秘書広報室長

開会

松岡局長
皆さん、こんにちは。今日は本当にようこそおいでいただきました。
それでは、ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催させていただきますので、どうかよろしくお願いします。
今日の進行を務めます松岡と申します。どうかよろしくお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子2

松岡局長
それでは、開会に当たりまして達増知事からごあいさつを申し上げます。

達増知事
県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会ということで、こういう地域での県政懇談会というのは昔からあったのですけれども、去年の3月11日の大震災以降、特に「がんばろう!岩手」というテーマで開催をしておりまして、被災者、被災地支援、そして復旧、復興ということ、その現場の声を伺いながら県の事業、県の計画を進めていこうということでやっております。久慈市におきましても、大きな被害があり、改めてお見舞いを申し上げます。
そういう中で、地域の底力を発揮し、またさまざま新しいつながりの力も得て進んでいる久慈市のそれぞれの分野で活躍している皆さんのお話を今日は伺って、県政の参考にしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

松岡局長
それでは、本日御出席の皆さんを私のほうから紹介させていただきます。
株式会社街の駅・久慈の柏木美子さんです。

柏木美子
よろしくお願いします。

松岡局長
次が久慈市漁協の参事さん、嵯峨松男さんです。

嵯峨松男
よろしくお願いします。

松岡局長
次がふるさと体験学習協会のインストラクター、下館一樹さんです。

下館一樹
よろしくお願いします。

松岡局長
次が久慈市ボランティア活動センターの運営委員長の高谷淳子さんです。

高谷淳子
よろしくお願いします。

松岡局長
それから、三陸鉄道の久慈の駅長さん、橋上和司さんです。

橋上和司
よろしくお願いいたします。

達増知事
お疲れさまです。

松岡局長
県側のほうから、今ごあいさつを申し上げました達増知事、それから秘書広報室の稲葉が参っております。

稲葉室長
よろしくお願いします。

松岡局長
あと久慈市役所さんのほうからもおいでいただいておりますので、御紹介いたします。

懇談

松岡局長
それでは、早速懇談に入らせていただきますけれども、大体2時までということで、1時間ぐらいということでお願いいたします。
初めに、自己紹介を兼ねましてお一人四、五分ぐらいで、これまで復興に向けてこういうことを取り組んできたとか、こういう思いでやってきたとか、そこら辺をお話をいただければなと思います。2回目にこれからやっていきたいということをまたお聞きしたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。
それでは、名簿順で柏木さんのほうからよろしくお願いします。

柏木美子
御紹介にあずかりました道の駅くじ、やませ土風館の物産館、土の館を管理、運営しております株式会社街の駅・久慈から参りました、強運と元気が取り柄の柏木でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
本日は、こういった場にお声がけいただきましてありがとうございます。このような厳粛な場にも関わらず普段着で来てしまい、大変失礼いたしました。
私どもの取り組みといたしましては、当地域の観光資源であります琥珀をPRしたいという思いがございまして、岩手県久慈市というまちをたくさんの方に知っていただきたいという思いで、昨年琥珀丼というご当地どんぶりを開発いたしまして、食を通した観光資源のPRを行っておりました。今現在は、なるべく明るい話題の情報を発信できるように鋭意取組を行っております。
震災当時は、施設の団体様のお立ち寄りがすべてキャンセルになりまして、運営に関して大きな不安を抱いている日々が続きました、その後ボランティアや被災地視察等でお越しいただけるようになりましたが、どちらかというと、メディアで報道されている県南方面に集中いたしまして、どうしても県北方面にまでは及ばないということが多かったのですが、明るい話題を発信しようと思い取り組んで参りまして、お陰様で現在大分回復してきたところです。
当地域は大きな被害もございましたが、被災を免れた観光施設にとって、お客様にお越しいただけないと結果、経営を圧迫されてしまうという事態に陥ってしまいます。まずやれることといいましたら、働ける場所がある人は一生懸命働いて、やがて新しい雇用創出につながるような取り組みをして、地域経済を盛り上げていければ、結果それが被災して職を失った方々の日常を取り戻すことの足がかりになっていくのではないかなという様に考えまして、鋭意業務に取り組ませていただいております。
来春ですが、御存じのとおりにNHKさんの朝のテレビドラマ「あまちゃん」の撮影が決まり、当市がメーンロケ地に選ばれたということで、これまで沿岸地域にお越しになることを遠慮していたお客様が足を運んでくれるきっかけになるのではないかという様な大きな期待を抱いているのです。それと同時に、やはりいろいろな方々から岩手県は支援をいただいておりますので、そういった全国の支援してくださっている皆様、そして協力いただいている地域の皆様、そういった方に感謝の気持ちを伝えられるような機会でもあるのではないかととらえております。ですから、協力できる事には全力で取り組ませていただきたいと考えております。撮影陣の迎え入れの方法によっては、そういった感謝の気持ちを伝えることができる場でもあるということで、ぜひとも県を挙げての撮影陣の迎え入れをお願いしたいと思っております。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

松岡局長
ありがとうございます。
では、嵯峨参事さん、お願いします。

嵯峨松男
久慈漁協に勤務しております嵯峨でございます。現在は、業務担当ということで取り組んでおります。実は、高校卒業以来40年近く勤務しておりまして、震災のあった3月11日、私3月31日で定年ということで、3月11日に理事会を開催しておりまして、私の案件がいくまで、届かずに途中で地震があったということで、全役員避難したということで、私の案件だけが当日残って、そのまま保留になっていたということでございまして、震災後急遽臨時役員会を開催して、そのことについて協議していただいた中で、役員の中ではこういう震災があったのに定年というのもあれだから、残って後始末をしてくれということで、現在に至っている現状でございます。
そういうことで、現在は震災後の取り組みということで、昨年から私が業務担当参事ということで、主に漁業者の復旧・復興ということで、漁船の手配とか、漁具等に携わって現在進んでおります。
おかげさまで、その後順調に各種団体の支援、特にも皆さんも御承知のとおり、函館市から義援船をいただいたということでございまして、当初650隻余りあった船が、残ったのが42隻と、93%が流失したということで、大変漁業者が復興できるのかというのが一番不安だったけれども、それが函館からの義援船、あるいは漁業者のそれぞれ船がなくなったということで、個人個人がみずから中古船を求めて、北海道あるいは日本海、千葉県まで行った方もおられまして、そういう意気込みに負けまして、4月開場する予定だった市場の開場を早めまして、3月30日に急遽開場したということでございます。これも何もかにも、今南のほうで地盤沈下とかいろいろありましたけれども、幸い久慈の場合は地盤沈下がなくて、一番の瓦れきを撤去して岸壁のとばが飛んだやつは後でということで、急遽半分を利用して3月30日に開場したということでございます。その際には、やはり漁業者の意気込みがあって、早くやろうということで取り組んだけれども、3月30日の開場日には2隻の水揚げがあったと。その後日増しにふえて、おかげさまで函館の義援船が来るあたり、あれが一つの弾みになったのかなと思っていますけれども、あれが到着して、あの姿をまざまざ見せつけられた時点では、漁業者の復興・復旧に向けた意気込みはさらに強くなったということでございまして、幸いウニ漁に間に合ったのもよかったかなと思っていますけれども、そういうことで非常に立ち上がり、漁業者の強い意思というのですか、我々の海だというのがあって、そういうことには我々職員も圧倒されてついてきたかなという思いでおります。
そのほかにはいろいろ支援、のろしの会とかキリストさんからもいただいたのもあるし、そういう各種支援、大変ありがたいことでありまして、漁業者も大変感謝して、足りない分は自分でも補充するという部分で意気込んで、幸い年度終わった時点では、津波前の22年度と対比しまして、水揚げも数量、金額とも3%減だけにとどまった。ほとんど津波前の水揚げに戻ったということでは大変漁業者の踏ん張りというのですか、そういう部分には感謝している現状でございます。
以上でございます。

松岡局長
ありがとうございます。
それでは、下館さん、お願いします。

下館一樹
ふるさと体験学習協会の下館と申します。よろしくお願いします。
ふるさと体験学習協会で小学生、中学生、高校生の野外体験活動の受け入れ等を行っているのですが、私自体はインストラクターをやり始めて今年で10年目になります。そのきっかけ、当時はアウトドアのアの字も知らない、特に興味もない、旧山形村時代のときからだったので、その村のよさも特に知らずに、今の仕事を始めてから山の中でもこれぐらいいいところがあるというところに非常に気づかせていただいた仕事です。
それで、アウトドア関係のインストラクターをメーンでやっておるのですが、シャワークライミングとかカヌー、カヤックとか、洞窟探検、あとはツリーイングとか、そちらのほうをメーンに担当しております。
震災当時、私ちょっと熱を出して自宅で寝ておりまして、とにかく大きく長い揺れの中で、その後停電にもなったので、状況もよくわからず、携帯もつながらなくなりという状況で、二、三日後に、たしか高田かどこだったかと思うのですが、映像が流れて、非常にびっくりした記憶があります。
教育旅行も、震災後、昨年度は関東方面が全キャンセル、3校、4校程度だったと思います。その主な理由は、4月時点での東北新幹線の復旧のめどが立っていなかったということと、あとは秋口に来る予定だったところも、福島原発の関係で保護者の承諾が得られないというところが大きなキャンセル状況でした。今年に入りまして、5月また受け入れを7校行ったのですけれども、1校が神奈川県久里浜中学校から、今年もまた戻ってきてくれまして、三鉄さんにもお世話になって、震災学習兼ねて自然体験等を行ったのですが、その他の関東2校ぐらいは保護者の理解を得るにはまだ時間がかかるということで、見直しには至っていない状況になっています。
そういう状況ですので、今年も広瀬中学校という仙台から来た学校さんのときには、漁業体験等を海のほうで今年また改めて、去年ぐらいからやっていたのですけれども、海のほうにも送客できるような準備も整ってきましたので、そのプログラムを通して人が来て、お金を落としていっていただけることが私たちができることかなと思っています。

松岡局長
ありがとうございます。
では、高谷さん、お願いします。

高谷淳子
ボランティアセンターの運営委員長をやっている高谷ですけれども、資料つくるのかなと思って、ここに一応つくってきたのですけれども、資料の1ページ目にありますように、私は常に子どもに目がいくもので、この資料の中にあるように、昭和56年に子ども会をつくりました。理由は、今の学力とかスポーツとかそういうふうなほうにばかり目がいって、一人ひとりのよさを見出す場所がなかなかないなと思い、もし力になれればというのでつくったのが30年前の子ども会なのですけれども、そこから波及しまして、中学生、高校生、そして大学終わった子たちが帰ってきて社会人というようにその緑の子ども会から輪が広がった団体になりました。
その中で、今回震災で、大人の人とかそういう人はどうにか一歩踏み出せるのだけれども、震災孤児はどうなのだろうとすごくショックを受けて、涙も流れましたし、同じ海のそばで一番被害がないこの久慈で、何とかそういう震災孤児の受け入れができないものかというふうに考えて、例えば子どもを亡くした親、あるいは親を亡くした子ども、そういう人たちが浜辺の久慈のほうに来て、一緒に暮らす方法とか何かいい方法はないのかといろいろと考えて、県のほうにも行ってお話をしてきたのですけれども、そのときにはまずは血のつながったところに子どもは行くべきだと、あとは震災孤児の心の傷は非常に大きいので、何も資格のない人よりは資格のある人のほうがいいのではないかという話があったのです。ただ、私はいろいろやっているうちに、多分そういうところに行っても、きっと問題が出てきたりするだろうなと。例えば離婚した人たちの孤児が半分以上いて、母親のもとに引き取られて行ったらそこには新しい家族ができ、知らないお父さん義兄弟といっしょに生活する事は孤児は、どんな気持ちになるだろうと、非常に心を痛め、今はちょっと落ちつかないでしょうけれども、もしも何年か後にそういう子たちを受け入れられるような、地盤をつくりたいということで、子ども支援子ども交流会と名づけ、2ページ目の資料の方々に、呼びかけしました。
今までは私がやっている緑の子ども会中心メンバーだけでやっていたのですけれども、私も災害ボランティアの運営委員長をやっていて、たくさんの人が来たときに、久慈市はよそから来た人を受け入れる余裕はボランティアとしてないというか、まずは久慈市の人たちで助け合いましょうということで、そこがちょっと受援力の難しさというのがあったと思うのですが、久慈市の場合は他県から来たボランティアさんは受け入れないで、久慈市の人たちだけでやったのです。
それで、そういう経過も踏まえたりして、やっぱり子どもたちはたくさんの人に支援してもらうことが一番いいだろうと思って、この子ども支援子ども交流会というのをつくりまして、八戸大学の日當光男さんを会長にして今やっているのですが、2枚目のスマイルキャラバンという名前で、特に青年会議所さんが一生懸命になってくださって、とにかく子どもにスマイルを与えよう、そういうキャラバンにしようよということで、スマイルキャラバンということで3月31日から4月1日に向けて、特に野田とか、長内とか、被災地の子を招待しようということではじめました。
お金が全然ないので、絵手紙やっていますので、この絵手紙カレンダーを売って、活動資金にしました。400部売って、26万ぐらいのお金があったので、それでやりました。参加者は120ほど。後に写真があります。
その次にやったのがウイングフェスタという子どものつどいのイベントです。このイベントにガンライザーが来ればなと、久慈は県北で、さっきおっしゃったように何も余り来ないので、子どもの夢をと思ってガンライザーに依頼のお話ししたら、最初10万から30万ぐらいと言われ、何とか無料でと言ったら、では何とかということで無料で来てくださって、ウイングフェスタに、ガンライザーがやってくるとやったら、2,300人まで数えたのですが、その後はもう全然何人だかわからないのですけれども、こんなに久慈に子どもがいるのかというふうな感じで、入り切れないほど来てくれました。
これは全部高校生が企画したのですが、できるだけ野田とか長内の子とか、そこの被災地の中学生、高校生がそこの地域に未来の場所をつくるために、ぜひそういう子たちをと思い、これは全部高校生が企画して、さっき説明したリトルという社会人が後押しをしてやりました。それが6月17日で、非常に子どもたちもみんなが大喜びして、その次のページの写真が、左手が県北青少年の家の様子です。こんなふうに喜んでくれました。右のほうが、オープニングで風船を飛ばしているほうがウイングフェスタです。その2番目に群がっているのが、ガンライザーを見ようということでみんな集まっているところです。それから、その次が弓矢で高校生がいろんなアイデア考えてやってくれて、そのピンクの服は、一応私も寄附してスタッフに、この服を着て元気だそうよということで、この服を着てやったのです。
先ほどのスマイルキャラバンというチラシにあるのですが、次は寺合宿ということで今やっています。
私が災害ボランティア運営センターの委員長やって、毎日毎日市役所でボランティアを受け付けたのですが、そのときに中学生、高校生が、何とか募金したいということを言ってくれたのです。高校生、中学生がユニバースとかそういうところに行ってお願いをしてやって、高校生は1週間で150万でしたし、中学生はたしか土風館でやって24万、200万まではいきませんが、それだけの募金を集めました。
私はそのときにも、ああ、やっぱりこういう子たちが未来をつくっていくときに、大震災の1,000年に1度の体験をこういう形で積極的にやるというのはいいことかなと思っています。
以上、今までの経過です。

松岡局長
ありがとうございました。
では、橋上さん、お願いします。

橋上和司
私、三陸鉄道の久慈駅で駅長をしております橋上と申します。まず、このたびの震災によりまして日本全国、それから世界じゅうから温かい御支援をちょうだいいたしまして、この場をおかりしまして御礼を申し上げたいと思います。
この4月1日には、不通になっておりました田野畑から陸中野田までの間を運転再開させていただくことができました。何よりも地元の方々の喜んでいただける声が我々本当にありがたくて、非常に社員一同また気を締めているところでございます。
JRの八戸線が一足早く3月17日に開通をいたしまして、八戸久慈間が運転再開になりまして、その後半月後に三陸鉄道が田野畑までということで運転を再開したと。その1カ月後にJRさんのリゾートうみねこというリゾート列車が八戸から久慈を経由いたしまして田野畑まで運転をして、現在も週末土日に運転をしておるのですが、非常に予想を上回るお客様においでいただいておりまして、調査しましたところ、1列車約65名ぐらいずつということで、個人客がほとんどですので、団体なしでそれぐらいの数というのは非常に大きな数字というように思ってございます。
三陸鉄道の社員の行動指針というのがございまして、その中に地域の皆様や関係機関と力を合わせて、産業振興や地域の活性化に貢献するという項目がございまして、震災以降数多くの企業様、それから団体の皆様から御支援、御協力をちょうだいしておりまして、いろいろなグッズとか、それから企画のコラボをさせていただいておりまして、お弁当であったりとか、それからおせんべい、カレーライスとか、それから地元、こちらの福来さんのお酒とか、そういったコラボレートの商品をつくらせていただきまして、非常に御好評をいただいております。そのほかに「てをつなごう」という企画をNHKさんのどーもくんをつくられた合田さんという方が呼びかけていただきまして、多くのイラストが集まりまして、それを車両にラッピングをしておりまして、こちらのほう本当に週末子どもたちに大人気でございまして、非常にありがたいような運行を現在続けさせていただいております。
私も震災以降、ネスレ日本の株式会社さんというところがございまして、こちらのほうが三陸鉄道で、私が3月11日の震災から2日目ぐらいでございましたか、どちらのほうから送っていただいたかちょっとはっきりはしなかったのですが、ネスレさんのほうで「キット夢がかなう」という、そういうキャッチフレーズでやっていらっしゃって、それが箱に書いてありまして、「キット復旧願う」というようなことがあって、そのことをお話しする機会があったものをネスレさんが見ておられまして、その御縁で車両に桜色のラッピングをしていただいたり、田野畑駅に車両と同じようなメッセージ、それから桜のラッピングをしていただいたりということで、地元の方々、田野畑村さんもそうですけれども、遠くからいらっしゃった観光客の皆さんにも非常にきれいな車両ということで、駅に入ってきたときに歓声が上がるというような大変うれしいような状況でございます。
5月にこちらのほうの岩手三陸復興音楽祭というイベントが行われまして、地元のNPOさん、それから一般企業、一般の方々、それから三陸鉄道等が構成メンバーとなって実行委員会が立ち上げられまして、こちらの振興局様の御支援をちょうだいしてイベントが行われました。洋野町から宮古市までの沿岸のすべての市町村で音楽祭が行われまして、三陸鉄道の車内でも音楽列車と題しまして音楽会が行われました。非常に多くのたくさんの方に御乗車いただいたり、駅前で音楽祭を見ていただいたりしたのですが、中でも印象的だったのが、岩泉町の小本中学校と、それから野田村の野田中学校、こちらで音楽会が行われて私も当日現場におったのですけれども、音楽家の方が校歌をちゃんと練習してきていただきまして、その音楽に合わせて子どもが歌うと。それから、野田中学校では、学校の先生が飛び入りで参加されまして、ギターを弾きながら演奏家の方と一緒に演奏しまして、子どもたちがまた一緒に歌うといううれしいハプニングも登場しまして、こちらのほうも非常に感動的なシーンが多く見られて、私たちも沿線住民の皆さんが元気になるようなイベントというようなことは今後もぜひ続けていくように御支援をいただければなと思っているところでございます。
先ほど柏木さんのほうからちょっとお話がございましたけれども、久慈市のロケが中心になっているNHKの連続テレビ小説、正式にNHKさんのほうから三陸鉄道にも協力の要請がございました。駅とか車両とかそういったことで随分ロケも行っていただけると伺っておりますので、ぜひこちらの魅力を全国に発信するいい機会というふうに思っておりますので、御支援いただければありがたいし、三陸鉄道もできる限りそちらのほう努めさせていただきたいと思っております。
また、すぐ近くですけれども、7月から三陸鉄道の車両が今度はJR八戸線に乗り入れてまいります。八戸線に入る両数は3両でございまして、一般型の車両にレトロ列車が真ん中に入るという編成で入れてまいりますので、八戸市さんとの連携、非常に重要だと考えておりまして、交流人口の増加等に寄与できればと思っております。今後も三陸鉄道社員一丸となって一生懸命努めてまいりますので、よろしくお願いいたします。

松岡局長
ありがとうございました。
では、一通りお話を伺いましたので、知事のほうから何か。

達増知事
それぞれの分野で、特に漁業などしっかり団体として、またその分野の皆さん、しっかり力を合わせて復旧・復興が進んでいる、それぞれの分野で取り組みが行われているということがよくわかりましたし、久慈の場合ですとかなり波及効果で、それぞれの中だけではなくて、海と浜とまちと、そこに三陸鉄道のようなそういうものも絡んで、いろいろ相乗効果も上がってきているなと、教育、福祉の分野もそうですし、そういう感じがしました。

松岡局長
それでは、また引き続きですけれども、これまでの取り組みを踏まえて、これからもっとこんなことをしたいとか、将来はこうしていきたいとか、そういうお話をまた聞かせていただきたいなと思うのですけれども、また柏木さんのほうからお願いします。

柏木美子
取り組みというか、私どもが今考えて進めているのが地域のPRですね。海女キャラクターのPRですね、食もそうですけれども、三陸鉄道さんなど、とにかく全国の方に知っていただいて来てもらいたいですので、発信できることを地域のPRとして発信し、久慈市や沿岸地域の情報を発信をして、被災してなかなか動けない地域もありますので、そういった地域にかわって支援への感謝の気持ちを伝えたり、PRを行っていきたいと考えていますし、やっぱり岩手県は全国の方に支援いただいているわけですから、沿岸部、内陸部関係なく岩手県というところで一くくりでお客様は見ている部分がありますので、岩手県を支援してくださってありがとうございますという感謝の気持ちを全国の方に伝えていけるような取り組みをできればと考えております。
1つは、こういった形(ネバーギブアップ海女ステッカー)で、これは三陸の小さなまちへと記載しているのですけれども、このステッカーをプレゼントしたり、ドライブラリーを行政・観光機関などと連携しながら行ったり、こういった企画を利用してどんどん感謝の気持ちを伝えていくというようなことをしていきたいという様に考えております。

松岡局長
それは「あまちゃん」が発表になる前だものね。

柏木美子
そうですね、「あまちゃん」が発表になる前に。

達増知事
先見の明。

柏木美子
そうですね、岩手県というと海女という様に思われる方もいらっしゃるので、であればそういったところを利用してPRをできないかなということで展開させていただいて、今大変御好評いただいております。よろしくお願いします。

嵯峨松男
髪が長過ぎるんじゃないの。

柏木美子
そうですね。

稲葉室長
髪が長いってチェックが入りました。

松岡局長
ありがとうございました。
では、参事さん、お願いします。

嵯峨松男
局長さんのほうから将来のことも言われましたけれども、漁業の部分は、将来の展望はまだ見えないのです。そこまではまだ考えていませんけれども、現状をいかに前の姿に戻すかということでございまして、先ほど船のほうを言いましたけれども、漁業者から見れば大体8割方復旧・復興したかなと。それとあと市場関係、加工場を含めると、やはりこれも8割方と。いずれ2割はちょっと戸惑っているというか、ストップ状態の状況で、年度内にはこの2割を極力減らしていきたいなと思っていますけれども、何もかにもこれも国、県の助成というか、補助事業を導入していかなければどうにもならないことでございまして、現在3次補正までクリアしてきましたけれども、残りこの2割の部分、4次補正に盛り込めない部分もあるということで、大変漁業者も戸惑っているということでございます。というのは、3次補正まではとりあえず新造船、中古船まで認められて、計画して、現在は発注している部分もあります。ただ、その中で漁具、漁網については、取り急いで計画に充てたという部分もありまして、いざ操業すれば、あれも足りない、これも足りない。漁業者の甘えもあると思いますけれども、何もかにも補助事業でないのだよというのだけれども、やはりあっちはこうだ、こっちはこうだとなれば、やはりいろんな面で導入して設備を整えたいという部分で、若干2割の部分で4次補正に取り込めない部分もありますので、そこを何とか計画立てていきたいなと思っております。
それとここに来て、これは皆さん御承知の放射能問題が出ていまして、実はタラ漁を専門にやっている業者があるのです。これが漁場はなべ漁場といいまして青森県なわけです。あそこは自主規制になって、操業できないということになっていますので、タラ漁を専門にやっている方々は非常に戸惑っていると。私のところに相談に来たのは、前にイカ釣りやっていたと、もうこういうタラ漁できないのであれば、専門でタラをできなくなる将来的不安もあるから、イカに切りかえたいという人がいて、ただ津波でそういう方々はイカ釣り機械を流されているわけです。そうすると、前年まで、22年度にイカ釣りだった方でないとイカ釣り機械の導入は補助対象外なわけです。そういった部分ですね、ここへ来て大きなその問題が出ています。恐らくこれは県内全般に見ても、タラ専門漁業者はそういう不安持っていて、切りかえられないというのがありますので、この分私も何とかしてやりたいなという考えありますけれども、前年度までやってない漁業まで補助対象になるかどうか、この辺も当地区の担当者とまだ相談はしていないけれども、いよいよ相談して乗り込んでというか、何とかこういう人たちというか、漁業を守るというのですか、漁業者の立場になって対応していきたいなと思っております。
それとおかげさまで陸のほうは市場も含めて5月25日ですか、第一市場、第二魚市場とも、先ほど申したとおり地盤沈下がなかったために原状復旧果たしまして、現在完全にでき上がっております。この中で一番注意したのは、津波で一番被害のあった、停電もありましたけれども、キュービクルが1階にあったわけです。それと海水滅菌器、これも高価なものですから、そういう部分は全部屋上に上げました。それと船員休憩室、シャワー室、もろもろの附帯設備、これを全部屋上に上げて今までとは違った津波対応をやっております。幸い当地区は住宅というのですか、人的被害も若干ありましたけれども、住居の被害はなかったということでありますけれども、私は市場の周りを見て、確かに防潮堤は他地区から比べて4メーターか5メーターで非常に低いわけですけれども、その割によく助かったなと、約9メーターぐらいのあれが防潮堤を越えて奥地のユニバースのほうまでいっていますので、あれから見れば、私は幸い低くてよかったのかなと思ったりしているのです。というのは、防潮堤というものは波を越えないようにつくればいいのですよ、高くつくってね。ただ、一たん越えれば、田老なんかは、昨日見てきましたけれども、あれだけ高くつくれば波が越えればもう抜けるところはないのですよね、どんどん、どんどん町に水がたまる、湖をつくってしまう。久慈の場合、4メーターか5メーターですので、入るのは入るけれども、抜けるのも早い。そういうことで、あの辺の市場の外壁のないうちもほとんど床上浸水で終わっていますからね、ある部分ではかえって低くてよかったかなと個人的には思ったりもしていますけれどもね。
防潮堤を挟んですぐ道路があるのです。道路があって、すぐ後ろが工場とかいろんな2階、3階の建物があって、ダブル防潮堤みたいになっていて、その後ろに住居ががっと並んでいる。だから、壊される部分は一軒もなかったと、床上浸水で残ったということで、その分助かったかなと思っております。
以上でございます。

松岡局長
ありがとうございます。
では、下館さん。

下館一樹
将来的にということなので、協会というより私個人の意見になるのですけれども、先ほども言ったとおり関東方面のほうに関しては保護者の承諾を得られないことにはしようがないということなので、当面復活することは難しいような状況にあるので、どうしても修学旅行なり、仙台から来る野外活動なりが5月に集中してしまう。その後、ちょっと若干の空きが出て、9月、10月で高校生のというのがあるのですけれども、その6月、7月上旬というのはどうしてもあいてしまうところがあるので、この久慈近辺、二戸含め八戸近辺までの広域の地域の小さい小学生低学年とか、その近辺の底辺の拡大等を行って、その辺の穴埋めをできればいいのかなと。どうしても関東から来る進学塾とかで来たりするところもあるのですけれども、向こうから来る子どもたちより多分こっちの久慈地域の子どもたちのほうが自然遊びなれをしていないような印象を受けるところがあるので、その辺の底辺拡大、そしてその後、その子たちがまた遊びに来られるような、こういう田舎でもこんなに楽しいことができるのだというところをわかってもらえるような仕事ができればいいのではないかなと思っています。

松岡局長
漁業と、海と、山と、今はいつも両方やっていましたか。

下館一樹
いいえ、今年は1校だけですね、300人超えて来る学校がありましたので、今までできれば山は山、海は海でやりたかったのですけれども、どうしても山のほうだけでもキャパが足りなくなってしまって、海のほうも大丈夫だということなので、2クラス分ぐらい、78人ぐらいだったと思うのですけれども、この2クラス分を侍浜地区の海の体験のほうをやっていただいたと。

松岡局長
これからどんどんふえていくのですかね。

嵯峨松男
そうですね、今話があったとおり、侍浜は去年から若干受け入れて、今年受け入れて、保安部のほうにも申請して安全策というのですか、それぞれ救命胴衣とか、それで両方体験させればよりいいのかなということで漁協でも協力してやっています。

松岡局長
ありがとうございます。
では、高谷さん。

高谷淳子
子どもが大きくなるまでずっとやろうということでやっているのですが、やっていて、野田の人が言ったのですけれども、いろんな人が来ていろんなところに招待されるのだけれども、いつまでこの子たちがそういうところに行けるかなと、今後よそから来たボランティアさんが帰ったとき、がくっと来ないかなと言った言葉を思い出して、私たちでもだれでもいいのだけれども、地元の人がずっと末永く寄り添うような組織はこれからつくっていくべきではないかなという気がします。
それで、もう一つは資金面がいつも補助金とかあるのですが、それが2年とか3年で切れてしまうので、どうしてもそうするとそのときに資料を作成しなくてはならなかったり、その事が負担でつい私ももう補助金なしで、自分たちでやろうという形にしているのですが、私は思うのですが、若い子たちもなかなか資金がないわけで、例えば10年以上とか20年以上、この人たちはやるのだなと思ったら、たくさんの補助金は要らないと思うのだけれども、5万でもすこしでももらって、その人たちが安心してずっとボランティア団体としてやっていけるようなものがあればいいなという気がします。
それからあと、私は社会福祉協議会の副会長をしているのですが、生活支援員さんが被災したところに入っていっているのですけれども、訪問に行くと仕事をしていて留守だったり、なかなか会えないでいるのです。それで、久慈の場合、ぽつぽつ、ぽつぽつだから、余りだれも来ないし、働かなければならないしということで、ちょっとうつになったり、自殺しないかと心配すると生活支援員さんおっしゃるのですが、朝ドラとか、この県北がワッとみんなが目を向けてくれているのだと思っただけできっとその人は直接的でなくてもうれしいだろうなと思うので、今回の朝ドラを契機に岩手県全員で応援していただいて、忘れられているといえば申しわけないのですけれども、そういう人たちが陰ながらふっと笑顔になれるようなものをこの県北のほうに持ってきていただければということがあります。
それからもう一つは、中学生、高校生を認めるとすごく偉大な力があるのだと思っているので、今の若者は、と言うのだけれども、逆に今の若い者は何てすばらしいというところがあるので、何かそういうこれからの世代の若い人たちの育成というか、そっちにも力を入れてもらえればなと思います。
以上です。

松岡局長 ありがとうございます。

高谷淳子
あともう一つ、新聞で私の絵手紙を取り上げて下さり、震災孤児とか、そういう子どものことをやってくれているならばということで、毎月お金をくださる方が匿名でいらっしゃるのです。そういうお金とかで私は今やっているのですが、本当にありがたいなという気持ちがあります。匿名で山形新聞社のところに送ってくださって、山形新聞社さんが私にいつもくださるのですけれども、何か非常にありがたいなと思っております。
以上です。

松岡局長
ありがとうございます。
橋上さん。

橋上和司
三陸鉄道の取り組みとしましては、昨年の震災直後から被災地フロントラインということで、全国の議会さんとか団体、企業さんが被災地の姿を見ていただこうというという取り組みしておりましたけれども、今月から新しい取り組みを始めまして、震災学習列車ということで、こちらは久慈市さんから御指導いただきながら、ふるさと体験学習協会さんからも御協力いただいて、ぜひ今の現状、小学校、中学校、高校、そうして大人の方に見ていただいて、列車の中で学習をしていただこうという取り組みを開始しております。
外務省の絆プロジェクトという団体が先日見えられまして、アメリカの方々に寄っていただきましたけれども、非常にアメリカの学生さんが涙をたくさん流されて、黙祷して帰っていただきましたけれども、そういった部分でも震災学習列車をきちんとした形に仕上げてまいりたいというのが一つでございます。久慈市内、それから広域の市町村さんと連携させていただきながら、いいものにしていければと思っております。
あとはまた2年ぐらい前から駅―1グルメという三陸鉄道で食を通して岩手県沿岸に足を向けていただきたいという企画をさせていただいておりまして、そっちのほう、私は八戸から県北のほうを担当しているのですが、こちらのほうも非常に御好評いただいているので、さらにおいしいものが食べられると、春はウニ、秋はマツタケといったことで、そういったことにも非常に力入れてまいりたいと思っております。
以上でございます。

松岡局長
ありがとうございました。
もう少しであっと言う間に時間が過ぎてしまうのですけれども、せっかくですので、これだけはお話ししたいなとか、皆さんお話しできればいろんな面で一緒にできることがいっぱいありそうな気がするのですけれども、何かこうやってもっと地域盛り上げていこうとか、何かあったら。

柏木美子
今こういった場でいろいろな業種の方のお話を聞く機会があり、私にとっても大変有意義だなと思ったのですけれども、なかなかそういった場があるようでないところが多いので、それぞれの分野で皆さん一生懸命活動されていますので、こういったお話を聞く場がまたあれば、そこでいろいろ情報交換して、連携できるところはしていきながら、もっともっと力を合わせていけるのではないかなという様に感じましたので、今後そういった場があることをまず期待したいですし、私どももそういったところに積極的に出向いて情報等を収集して還元できるところは還元していける様な取り組みも必要だなという事をちょっと今感じました。

松岡局長
あと参事さんからお話のあった残り2割の部分、これはまたいろいろと話っこ聞きながら、ちょっと相談しながらやっていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
よろしいですか、下館さん何かもっと広げたいとか、教育旅行では久慈は県内でも相当トップクラスの受け入れやっているところですものね。

下館一樹
トップクラスになるのかどうか、5月は今年も7校受け入れをしたので、どこも大体2泊3日の行程で、来てくれた学校さんがほぼ大体の確率でリピーターで来てくださるので、自然体験とか、その体験プログラムもそうなのですけれども、やっぱりこの地域の人、インストラクターなり民泊を受け入れてくださる民家さんの方とか人に触れ合って、この地域がもっとアピール、私たちからの発信ではなくて、学校、生徒さんなり、先生から発信されるとまた強い発進力になると思うので、どんどんまた来てもらえるようなことができればいいかなと思います。

松岡局長
ありがとうございます。
はい。

柏木美子
この間、静岡の島田へ行く機会がございまして、行ってきたのです。「岩手から来ました」という話をしましたら、地元の方が「そうですか!島田では岩手県の瓦れきを受け入れるんだよ」ということをすごく誇らしそうにお話をいただきまして、住民の方々はいろんな葛藤があったとは思うのですけれども、その中で受け入れるというふうに決めて、もっと岩手県を知りたいという様に思ってくれているのではないかなということを感じて嬉しかったです。まず、協力いただいて、支援いただいているので、出向ける方はお礼方々出向いていって、地元の方と交流をするだとか、もっと地域のことを知ってもらうと地元の方も安心して、これから円滑な関係が築けるのではないかなという様なことをちょっと感じたので、ちょっと御報告をさせていただこうと思い、お話しさせていただきました。

松岡局長
ありがとうございます。

高谷淳子
私は山田の子たちが寺合宿に来ようかなと言ってくれているので、そういう沿岸の子たちもこっちに来るような方向で手をつなげたらなと思って期待しています。

松岡局長
行く行くは海外だか何だかにも行くようなそんな話、まずはね、地元のね。

嵯峨松男
私のほうは、さっき下館さんのほうから体験学習の話がありましたけれども、今までは山形、平庭中心の体験学習で、今年の5月だったかな、担当者が来て、漁協として取り組める協力体制はどこまでできるのかということで来たので。以前はやはり海は危ないとか、ウニをとってはだめだ、アワビとってはだめだと縛りがあったのです。やはりそういう縛りをとって、子どもたちに、そこまで来たのを、久慈まで来たのを山形に返すのではなく、やはり海まで運ぼうということで今取り組んでいます。そういった中では、ウニをとって食べるまでは地元の協力を得なければならないけれども、とって放流するまで、ウニはこういう姿で海に入っているのだと、あるいはこういうふうにしてとるのだよと、アワビはこうなのだよというのまで体験させるべきだなということで、そこまでは今来ています。
そういう意味で、せっかく山まで……、山と言えば失礼だけれども、そこまで来たら、やはり久慈の玄関は海ですから、そこまで来て、そこで体験させていくということではぜひ漁協挙げて、あるいは出先と協力していきたいと思っていますので、どんどん取り組んでいきましょう。お願いします。

松岡局長
来たら必ず三鉄に乗ってね。

橋上和司
そうですね、私のほうもお役に立てるように頑張りたいと思います。

松岡局長
よろしいでしょうか。

知事所感

松岡局長
それでは、知事お願いします。

達増知事
いろいろ分野横断的な連携とか、あとは地域横断、地域と地域の連携とかも広がっていて大変いいと思います。
あとは今日の話の中で、1つ大きい要素は、NHKの朝ドラの「あまちゃん」が始まるということで、撮影時の出迎えから始まって、この地域の宝をまた発掘してアピールし、そしてさまざまなつながりを、外とのつながりをふやしていく一大チャンスだと思うので、これは県も市と連携しながらしっかり取り組んでいきたいと思います。

松岡局長
それでは、今日はいろんな話を聞いて、参考にさせていただきます。今後ともよろしくお願いしたいと思います。

閉会

松岡局長
では、以上をもちまして、意見交換会終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

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