「がんばろう!岩手」意見交換会(平成25年1月25日 岩手大学)
日時
平成25年1月25日(金曜日) 15時00分から16時10分
場所
岩手大学 図書館 生涯学習・多目的学習室
出席者(敬称略)
- 岩手大学
松村 侑衣子
阿部 真央
菅原 雄輝
菅原 優
小野寺 夏菜
宇部 陽子
篠田 大樹
神嵜 紅音
福井 貴也 - 県側
達増 拓也 知事
稲葉 比呂子 秘書広報室長 - オブザーバー
藤井 克己 岩手大学学長 - 司会
名古屋 恒彦 岩手大学教育学部教授
開会
名古屋教授
それでは、皆様おそろいですので、始めさせていただきたいと思います。
本日御出席いただきました皆様には、お忙しい中、お越しくださいましてまことにありがとうございます。
私は、本日の進行役を務めさせていただきます岩手大学の三陸復興推進機構の生活支援部門・ボランティア班の班長をしております教育学部の教員の名古屋と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催する前に、本学の三陸復興推進の取り組みについて、私のほうから簡単に説明をさせていただきます。後ほど見ていただければと思いますが、お手元にこういう冊子をお配りしてあります。その見開いたところに書いてあることを簡単に紹介させていただきます。
私どもの岩手大学は、震災発生直後から復興活動に着手いたしまして、4月当初、東日本大震災復興対策本部というものを立ち上げまして、被災地等に入り、活動を開始いたしました。その後、10月から岩手大学三陸復興推進本部というふうに改組いたしまして、現在は三陸復興推進機構という名称で活動をしております。機構の中には6つの部門を設けておりまして、それぞれの部門の中で幅広く私たちのリソースをフル活用してオール岩大パワーで活動しているところでございます。本日の会議は、その中から教育支援部門の学習支援班で活動している学生のみんな、それから生活支援部門のボランティア班で活動している学生のみんなが参加しております。
以上で、甚だ簡単ではございますが、説明とさせていただきます。
それでは、開会をさせていただきたいと思っておりますが、ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開会いたします。
知事挨拶
名古屋教授
それでは、開会に当たりまして、達増知事さんから御挨拶をお願いできますでしょうか。
達増知事
皆さん、こんにちは。県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会、きょうはこちら岩手大学を、これお借りしてというよりも一緒に開催をさせていただいて、司会もやっていただいて本当にありがとうございます。
県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会、東日本大震災が2011年の3月11日に発生し、以降県政の大きな柱が復旧・復興というよりも、岩手県政そのものがイコール復興というような状態になっておりまして、県の広報広聴活動、さまざま県民の皆さんの御意見を伺うというような機会も基本的にこの復興のことをテーマにやるようにしております。それで「がんばろう!岩手」なのですけれども、沿岸被災地で復興の最前線でそれぞれの地域あるいはそれぞれの分野、漁業でありますとか、商工業でありますとか観光、あるいは生活、医療、教育、そういったところで活躍しているこの被災地の皆さんとこの懇談会開催もしていますが、また盛岡市内あるいは岩手県南の内陸のほうで内陸にあって被災者の皆さんを受け入れているとか、あるいは内陸から沿岸のほうに行って被災地支援をしているとか、そういう皆さんとの懇談会も開いています。
きょうは岩手大学の学生の皆さん、先ほど名古屋先生から御紹介いただいたような形で組織的に、また伸び伸びと復興の活動をしていただいているということで、ぜひ実際の経験に基づいた意見を参考にして県の復興政策もさらにレベルアップしていきたいと思いますので、きょうはよろしくお願いいたします。
名古屋教授
ありがとうございました。
それでは、本日の出席者を紹介させていただきます。
座ったままでお名前をお呼びしますので、お願いいたします。
学習支援班の教育学部3年、松村侑衣子さん。
松村侑衣子
よろしくお願いします。
名古屋教授
同じく教育学部4年の阿部真央さん。
阿部真央
よろしくお願いします。
名古屋教授
同じく学習支援班、教育学部4年の菅原雄輝さん。
菅原雄輝
よろしくお願いします
名古屋教授
同じく教育学部4年の菅原優さんです。
菅原優
よろしくお願いします。
名古屋教授
以上が学習支援班のメンバーです。
続きまして、大学公認ボランティア団体「天気輪の柱」の農学部4年の小野寺夏菜さん。
小野寺夏菜
よろしくお願いします。
名古屋教授
同じく工学部研究科博士前期課程1年の宇部陽子さんです。
宇部陽子
よろしくお願いします。
名古屋教授
同じく農学部4年の篠田大樹さんです。
篠田大樹
よろしくお願いします。
名古屋教授
以上が「天気輪の柱」のみんなです。
続きまして、やはり同様に大学公認の復興ボランティア団体「もりもり☆岩手」の農学部3年の神嵜紅音さんです。
神嵜紅音
よろしくお願いします。
名古屋教授
同じく農学部2年の福井貴也さん。
福井貴也
よろしくお願いします。
名古屋教授
そして、先ほど御挨拶いただきました達増拓也知事です。
そして、稲葉比呂子秘書広報室長様です。
稲葉室長
よろしくお願いいたします。
名古屋教授
また、本日は本学藤井克己学長も同席いたします。
藤井学長
よろしくお願いいたします。
名古屋教授
以上で紹介終わりますが、なお本日皆様にお出ししているリンゴジュースですが、お手元にありますが、農学部附属寒冷フィールドサイエンス教育研究センター滝沢農場での農場実習で学生たちが栽培した紅玉をジュース加工にしたものでございます。学生さん方はジュースやお菓子を召し上がりながらリラックスして御参加ください。お手元のお菓子は、岩手県様からいただきました釜石ラスクでございます。どうぞ召し上がりながら、リラックスしてよろしくお願いします。
達増知事
紅玉らしい酸味がきいていておいしいですね、これ。
名古屋教授
ということで、農学部に知り合いいたら、ぜひ教えていただければと。
藤井学長
非売品ですので。
名古屋教授
非売品ということで、レアなということですね。それでは、ありがとうございました。
懇談
名古屋教授
では、懇談のほうに入っていきたいと思います。
それでは、本日の出席者から、学生のみんなから、これまでの活動の様子を発表していただきます。早速入らせていただきます。
最初に、学習支援班の活動について、松村さんよろしくお願いいたします。
松村侑衣子
皆さん、こんにちは。私は学習支援班の教育学部3年の松村侑衣子です。ことしの1月の5日から7日に行われた少年リーダー交流キャンプに大学生ボランティアとして参加しました。それについての活動報告をします。よろしくお願いします。
少年リーダー交流キャンプとは、釜石市の小中学生が交流し合う場で、釜石の未来をつくる上で先導する役割を果たすリーダーとしての意識づけや、一般的に近年の子供に足りていないと言われる体験活動の場をつくり、子供たちの育成を図っています。従来は釜石市の海岸で交流キャンプをしていたそうですが、東日本大震災の影響を考慮し、秋田県横手市の協力を得て、今回は横手市での実施となりました。参加者は小学校5年生から中学校3年生で釜石市内の小中学生8名が参加しました。
活動内容としては、1日目、まずオリエンテーションから始まり、横手市民の方による講話では、雪がたくさん積もる中で暮らすことは大変だけれども、横手の生活には雪は欠かせないものであり、雪とともに暮らしているということを聞きました。その後、屋外に出て2日目に控えている雪かきボランティアのための雪かき練習や雪遊びをしました。釜石市では見ることのできない雪の量に子供たちはとてもはしゃでいました。
1日目の最後に、「ボランティアって何だろう」ということをテーマに2つのグループに分かれてグループワークをしました。それぞれが思うボランティアについて意見を述べ合いながら考えていきました。
活動内容2日目、午前中はマイ箸づくりとそば打ち体験をしました。ほとんどの子供たちが箸づくりもそば打ち体験も初めてで、なれない手つきながらも楽しみながらしていました。午後になると高齢者のひとり暮らしの方のお宅に行き、雪かきボランティアをしました。1.5メートルもの積雪で埋もれてしまった窓から光が入るように必死に、そして雪の感触を楽しみながら雪かきをしていました。雪かきボランティアから帰ってきて雪かきボランティア活動の感想をグループごとに話し合っていました。子供たちから「大変だったけれども、やっているうちに楽しかった」、「おばあさんのために役立つことができてよかった」と話し合っていました。
その後、「私にできる、みんなでできるボランティア活動とは何か」というテーマでグループワークをしました。同じ時間をともに過ごしてきたということもあり、グループワーク3では、今まで以上に活発に意見を出し合っていました。
最後には、それぞれのグループで話し合ったことをお互いのグループに発表し合いました。
3日目は、秋田ふるさと村に行ってみんなで楽しく見学してきました。
3日間を通して、子供たちは一人ではできないことでもみんなでやればできるといった協力し合うことを体験活動を通して学んでいました。また、ボランティア活動やグループワークを通して自分たちが地元に帰ってできることを考えるようになりました。さらに、グループで活動をしたり、話し合っていく中で、地域で支え合って生活していくことの大切さについて気がついている様子でした。
交流キャンプを通して、私たち大学生ボランティアは3つのことを得ることができました。1つ目は、体験活動の場のよさについてです。最初、子供たちに会ったとき、子供たちはほかの交流キャンプに参加していた子と接しようとせず、またグループ活動でもなかなか打ち解けていない様子でした。しかし、そば打ち体験や雪かきボランティアなどキャンプに参加した仲間とともに時間を共有していく中で、徐々に仲よくなっていき、行動を共にするようになっていきました。このような場は、子供たちの経験をふやすほかに子供たちのコミュニケーションを図る場としても有効であると感じました。
2つ目は、子供たちと触れ合うことのできる機会を持てたことです。教育学部に在籍している者として、子供たちの現状を把握したい、子供たちとかかわりたいという思いがあります。大学生活では、なかなか子供たちと触れ合う機会というものは少ないので、このような機会に積極的に参加することは大切だと感じました。
最後に、人と人とのつながりの大切さです。今回の少年リーダー交流キャンプに参加して、さまざまな人と出会うことができました。子供たちや釜石、横手の教育委員会の方々、横手に暮らす人々、たくさんの方々との出会いの中で、私たちは学ぶことがたくさんありました。人と人との出会いは、自分の世界を広げるだけではなく、自分の成長にもつながると思います。なので、このような取り組みをもっと充実させてたくさんの方々に参加してもらい、人との出会いの中で自分自身を見つけていってほしいと思いました。
御静聴ありがとうございました。(拍手)
名古屋教授
ありがとうございました。
知事さんには、どうぞ適宜コメントいただければと思っておりますので、質問等も受け付けますので。
それでは、学習支援班のほかのメンバーもきょうは来てくれていますので、一言ずつ学習支援班の様子等、あるいは感じたことなどを話していただければと思います。ほかの学生のみんなにもそういう時間がありますので、どうぞ一言ずつ、発表する人以外みんな一人ずつきょうは。
では、まず阿部さんどうでしょうか。
阿部真央
私が行った学習支援は、今、松村さんからお話しいただいた交流キャンプとかというものではなくて、昨年度の高校入試を控えた中学校3年生を対象とした釜石市と大槌町の学習支援に行ったのですけれども、そこでは一斉指導と、あと別で個別指導の2つの時間があって、個別指導のときはできるだけ生徒と学生ボランティアが1対1でゆっくりと自分の苦手なところをやっていけるようにということで、できるだけ多くの人数が欲しかったので、頻繁に毎週できるだけ行ける日は行っていたので、毎週行けたので、子供たちともしっかりと、ただ勉強するという関係だけではなくて、人と人としての関係もしっかり築けたのがよかったなと私は思いました。
名古屋教授
ありがとうございます。
菅原雄輝さんお願いします。
菅原雄輝
自分がまず被災地の学習支援に行って率直に感じたこととしましては、大槌町で学習支援している場所というのは公民館が1カ所、唯一津波から逃れた場所があって、ちょっと高台になっているのですけれども、そこの目の前には本当に津波の被害を受けてしまって、何もない場所で子供たちが一生懸命受験勉強に励んでいたのですが、そういう何もない中で子供たちがそうやって勉強に一生懸命通ってきてくれた理由としまして、やっぱりこういう学生とかが毎週一生懸命足を運んであげていくことによって、子供たちの居場所というものがそこにできていたから、子供たちもただ勉強しに行くだけではなくて、そこに行くと何か話ができるし、自分のやりがいみたいなものが見つけられるみたいな、そういう場所というものをこれからも大学だけではなくて、いろんな人が協力し合いながらつくっていくことが子供たちのためにもなるのではないかなと、私自身そのように感じました
以上です。
達増知事
子供は積極的にいろいろ聞いてくるものですか、これ教えてとか、これ教えてとか、これはどうしてこうなるのとか。
菅原雄輝
やっぱり子供によってもそこはまちまちなのですけれども、子供は直接震災がどうのこうのというのは、つらい経験とかもあるので、話はしないのですけれども、「ここ教えて頂戴」という子はいるので、やっぱりそういうときに親身に声を聞いてあげるということが大切なのではないかなと思います。
名古屋教授
では、菅原優さん。
菅原優
私も阿部さんと菅原雄輝さんと同じように、12月から3月の高校受験まで中学3年生の学習支援のボランティアに参加してきました。
私たち学生だけで活動するのではなくて、釜石のほうではNPO法人のキッズドアさんと、大槌町ではカタリバさんというNPOの方々と連携して一緒に活動してまいりました。その中で、子供たちと接することももちろんなのですが、大人の同じ学生であったりとか、社会人のような方々であったりとかという方の協力で、そういった方々は他県に事務所があって、そこから岩手にという形だったのですが、私たちは岩手に住んでいる者として地の利といいますか、子供たちとも一緒に方言でしゃべれるといいますか、一緒になまってしゃべれる分、子供たちとの距離が大分近く感じられるとかということもありまして、地元の学生がボランティアに参加していくということの意義を大変強く感じました。
名古屋教授
知事さん、いかがでしょうか、学習支援のことに関して。
達増知事
あとこの少年リーダー交流キャンプですけれども、釜石の小中学生ということではあるのですが、違う学校からも来ていたわけですか。
松村侑衣子
参加者は甲子中学校の子と、釜石中学校の子と、あと釜石小学校の子と、あと平田小学校の子とさまざまな小学校から来ていただきました。
達増知事
ふだん暮らしているところと離れたところで、特にそういうテーマ決めてやるということで、やっぱりそういう効果があるのでしょうね、自覚が個人として考えて行動していかなければならないみたいなところが。
名古屋教授
みんなキャンプに行った子供たちは、最初はやっぱり萎縮しているような感じがありましたか、それとも最初からはじけていましたか。
松村侑衣子
本当に最初は周りの子が知らない子同士だったので、やっぱりみんな何かバスの中でも一人一人座っている感じで、何か誰とも話さないという感じだったのですけれども、ただグループ活動とか、あといろいろ横手市の見学をしていく中で、何かだんだん2人、3人とくっついていくようになって、最後にはみんなでわいわい楽しむことができたなと思っています。
名古屋教授
我々のボランティアもそうですけれども、一緒に汗流すとだんだん仲間になっていきますよね。そんなふうにして我々の学生も被災地の方を仲間にしていただいてよいと思います。
それでは、2つ目の発表に行きたいと思います。大学公認ボランティア団体「天気輪の柱」の活動について、小野寺夏菜さんよろしくお願いいたします。
小野寺夏菜
皆さん、こんにちは。「天気輪の柱」の小野寺夏菜です。岩手大学農学部の4年生です。それでは、発表を始めさせていただきます。
本日の話の流れです。まず、「天気輪の柱」の簡単な紹介と、これまでの活動内容をお話しします。そして、最後に活動を通して感じたことを少しお話ししたいなと思っております。
まず、「天気輪の柱」とは何ぞやということなのですけれども、東日本大震災を受けて被災地の支援を目的に結成された岩手大学のボランティア団体です。それは知っているけれども、名前の由来は何なのと思う人もいると思うのですけれども、「天気輪の柱」というのは宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」に出てくる場所の名前です。主人公が本当の幸せについて考える旅に出るのですけれども、その出発点、駅の名前です。幸せな未来へともに歩んでいきたいという復興の願いが込められた名前です。
私たちがこの団体を結成してからすぐに行った活動は横断幕の作成です。1メートル×10メートルの白い布に「負けるな東北、がんばろう岩手」と書いたものを準備して、岩手大学の中央食堂やフェザン、大通で白い布の余白の部分にメッセージを書いていただけるように呼びかけをしました。このような写真の感じでやったのですけれども、およそ500人の方々にメッセージを書いていただきました。でき上がったものは、大通や大学に掲げました。さらに、これをモチーフにしたこのような腕章というものもつくることができて、ボランティアに赴くときには、これを私たちはつけるようにしております。
その他の盛岡での活動です。学生がボランティアをするときには学生ボランティア保険というのに入らなければいけないのですけれども、このボランティア保険の受付、あとはフェザンで夏物衣類の仕分けなどを盛岡ではやってきました。
ここからは、現地に行っての活動について一部を紹介したいと思っております。私たちは宮古を中心に宮古YMCAの方々にいろいろ教えていただきながら活動をしています。私たちが宮古で活動を始めたのは4月の中旬くらいからなのですけれども、最初のうちはニーズ調査ということをやっていました。2人1組か3人組で町を歩いて、お宅や商店を一軒一軒訪問して、何かお手伝いできることはありませんかと聞きながら回りました。調査票に記入したものを、それをもとに床板剥がしやヘドロの除去、家の清掃作業などをしておりました。このように、大学で用意していただいたオレンジのベストを着て、マスクをして長靴を履いて、帽子をかぶって作業をしていました。
ある日、ニーズ調査をしているときに、お花見をしたいという声がありました。ここから少しお花見についてのお話をしたいのですけれども、やっぱり自粛ムードが流れていたみたいで、余りお花見ができるような状況ではないということをお話ししていたのですけれども、毎年変わらず咲き続ける桜の花を囲むことで心が温まるのではないかなと思って、私たちで企画することになりました。
場所として私たちが選んだのは長沢川桜堤公園というところです。宮古市を流れる長沢川沿いおよそ1,000メートルに90本ほどの桜のほか、30種類の樹木が植生しているような公園です、こんな感じのところです。企画するからには、さまざまな準備が必要でした。例えば大まかな参加人数を把握するために避難所を訪問して参加してくれそうな人数を聞いたりだとか、岩手大学のサークルで出演してくれる団体を探したりだとか、あとはお花見に欠かせない食べ物や飲み物の手配をしたりだとか、たくさんいろいろやることはあったのですけれども、メンバー間で役割を決めたり、大学の方々に協力をいただいたりして準備が進められました。この準備段階でも本当に多くの方々に温かい支援をしていただきました。
これは出発前の写真です。みんな何となく緊張しているように見えるのですけれども、朝トラックに必要なものを積んでみんなで出発をしました。お花見会場には宮古小学校に避難していた方々や駅で声をかけた方々、あとは近くを通りかかった方々などおよそ130人が集まりました。岩手大学からサークルでは民俗芸能サークルばっけ、あと管弦楽団、ストリートパフォーマンスクラブの皆さんが参加してくださいました。これは管弦楽団さんが演奏している写真です。
次に、これは屋台で豚汁を振る舞っている写真です。大盛況でした。この豚汁はコンビニのおでんをつくっているような大きな企業の方々に提供していただきました。また、お菓子やジュースなどもこのお花見の計画に賛同してくださった方々に提供していただきました。
これは、最後にみんなで撮った写真です。たくさんの方々の温かい支援と協力があったからこそこのお花見は大成功となりました。
後日、お花見の参加者の方々にお礼の手紙をいただいたのですけれども、このような内容でお手紙をいただきました。全部は読まないのですけれども、行ってよかったとか、あとは一生忘れられないお花見として思い出に残りましたとか、そういう言葉が書かれていたので、私たちの心もとても温まりました。
11月にも宮古へ行って仮設住宅でお餅つきをやったのですけれども、そのときにある女性の方に、「お花見のときの人たちですよね」というふうに声をかけていただいて、「あのときは楽しかったよ、ありがとう」などというお言葉をいただきました。4月のお花見からちょうど半年ぐらいがたったときだったのですけれども、参加者の皆さんの心に残るものになっていたのだと思うと、とてもうれしくなりました。
またここから作業の話に戻ります。これは側溝のヘドロ除去をしているときの写真と、あと床板剥がしをしているときの写真です。最初は、このような道具を使うのにも一苦労なのですけれども、だんだんなれてきて、みんなもだんだんうまくなっていきました。
これは、津波で汚れてしまった本の手入れをしている写真です。かなり繊細な作業だったようです。
秋くらいになってくると活動内容というものが清掃活動などからイベントや炊き出しの手伝いに変わってきました。これは、仮設住宅でお餅つきをしたときの写真です。みんなで楽しく声をかけながらお餅をついてみんなで楽しく食べました。
これは炊き出しの写真、イベントへの参加の写真なのですけれども、左側の写真はそのイベントに参加したときの写真です。宮古YMCAの方の中に関西からいらっしゃっている方が何人かいるせいか、私たちはたこ焼きやお好み焼きをよく炊き出しでつくります。イベントは、地区の運動会に一緒に参加させていただきました。
私たちはアドベンチャークラブというものにも何度か参加しております。自然の中で子供たちと遊んだりだとか、一緒に料理をつくったりだとか、汗を流して一緒に楽しんでいます。
ほかの活動なのですけれども、県立博物館の見学の付き添いや、あとは絵本の読み聞かせ会の会場の準備をしたり、活動内容はさまざまです。活動を通して感じたことです。まずは、率直に宮古っていいところだなというふうに思いました。地元の方々はとても優しく、私たちが行くと逆に元気をもらうような感じです。
また、実際に行ってみないとわからないことがたくさんあるということがわかりました。やはりテレビやラジオなどで震災の状況を見たり聞いたりしているのと、実際に行って見るのとでは全然違うなというふうに思いました。被害の大きさを肌で感じたなと思います。
また、いろいろな主体、それぞれのよさがあると書いてあるのですけれども、団体の活動報告などを聞いたりして、やっていることは全然違うけれども、それぞれのよさがあるような団体がたくさんあるなというふうに私は感じました。だからこそ人のつながりや団体間での助け合いが必要であって、それによって細く長く続けていくことが大事だなというふうに感じました。
課題もありますと書いているのですけれども、団体として長く活動していくためには人員の確保など課題もいっぱいあるのですけれども、団体内でも、団体同士でも助け合って協力していけたらなというふうに思っております。
最後になりましたが、私たちは本当にたくさんの人に支えられながら今でも活動を続けることができています。本当にありがとうございます。この場をかりてお礼を申し上げます。
以上で発表を終わります。御静聴ありがとうございました。(拍手)
名古屋教授
ありがとうございます。それでは、同じく「天気輪の柱」のメンバーであります宇部さんと、それから篠田君にも一言ずつお気持ちあるいは被災地で学んだことなど話していただければと思います。
宇部さんからどうぞ。
宇部陽子
発表の中にもあったと思うのですが、初めはニーズ調査というものをやっている中で、自分のおうちは被害が少なくて、「もう片づけも自分たちで終わってしまったよ」と言われるようなことが多かったので、私たちは結構自分たちにできることは余りないのかなと思ってしまって、ショックだった時期もあったのですが、続けていく中でお花見の話があったりだとか、こんなこともしてほしいだとかと言われることが多くなってきました。それはきっと私たちが何度も行って続けていく中で、私たちのことを相手の方々が知ってくれるようになった、その信頼関係が生まれてきたからなのかなと私は感じています。そういうことで、やっぱりこれからも続けていきたいと思いますし、顔や名前がわかるようだった方々もいますので、そういう方々のためにといいますか、私たち自身も支えられている部分もありますので、一緒になって復興に向かって頑張っていきたいと思っています。
以上です。
名古屋教授
篠田君はいかがですか。
篠田大樹
震災直後というのは結構報道とかでも、余り知識のないような一般人がボランティアで行っても邪魔になるだけというようなことを聞いていて、でも4月になって実際に行けるようになると自分たちでもできることもありましたし、自分たちがいろいろ活動していく中で地元の方の感謝の言葉や笑顔を見られたりして、とてもうれしかったですし、活動してきてよかったなというのは感じました。そして、徐々に活動内容というのは変わっていったのですけれども、その中で宮古YMCAのボランティアコーディネーターの方にちょっと「今後変わってきますよね」というようなことも聞いてみたのですけれども、それでも自分たちのやることは心の不安を取り除くことで、今までも今後もやることは基本的には変わらないのだというようなことを聞いて、ああ、そうなのだなというふうに、最初は泥出しとか、家が壊れてしまったことというのが心の不安だったりすると思うのですけれども、その後は徐々に将来の不安とか、地域のつながりに対する不安とか、そういうところもあったと思うのですけれども、そういうところを仮設住宅に行ってお話を聞いたりとか、食べ物を振る舞って地域の人が交流する場をつくったりというのが大事になってくるのだなということもわかりましたし、とてもいろんな経験をさせていただきました。
以上です。
名古屋教授
この「天気輪の柱」という団体は、団体のメンバーだけでなくて全学の学生に声をかけて毎週土曜日に宮古へ行くと。だから、毎週大体5人から10人ぐらいは宮古のほうに出て一期一会のボランティアの回もありますし、リピーターの人もいます。というような形で彼らが仕切っているという形であります。
知事さん、もしよろしければ。
達増知事
実際に行かないとわからないことがたくさんあるという話がありましたけれども、例えば行って初めてわかったこととか、ああ、なるほどと感じたこととか、具体的に教えてもらえればと思いますが。
小野寺夏菜
やっぱりテレビとかで見ると被害の状況とかというのは確かにわかるのですけれども、人の心がどうなっているのかということは、やっぱり行ってみないと、話を聞いてみないとわからないことだなというふうに思いました。ニーズ調査をしているときに声をかけた方が「今ごろ何しに来たの」というふうに、「もうここは大丈夫だよ」と言ってくれた方もいましたし、話を聞かないとわからないことがたくさんあって、むやみに勝手な想像で行動を起こしてはいけないというのもよくわかりました。そういう場面では、宮古YMCAの方がそういうところも、私たちのこともケアしながらいろいろ教えていただけたので、本当にありがたいなと思っております。
達増知事
現場に常駐しているYMCAさんと一緒に連携してやるというのはいいですね。
ほかに気づいたこととかは。
篠田大樹
震災直後は、余り被害がなかったところというのは自粛ムードというのもあったと思うのですけれども、現地の方はそういうことは考えていなくて、自分たちも何かして楽しみたいというようなことを考えている方もいますし、盛岡のほうでも別に普通どおりに過ごしてくれればいいというようなことを言っている方もいましたし、勝手な想像とかで考えるよりも行って話を聞いてということをしていったら、行くのがいいのではないかなというふうには感じました。
名古屋教授
宇部さん、どうですか。
宇部陽子
そうですね、私も被害の状況を見てわかるようなものと、テレビなどから見てわかるようなものは風景とかはある程度は見えますけれども、人の心とか、どんなことを感じていたり、思っているのかということは、話をしていく中でわかることであるなというのがすごく感じました。
名古屋教授
YMCAと我々の関係もそうですし、先ほどの学習支援班もそうなのですけれども、我々学生たち、教職員も含めてですけれども、ノウハウのないまま行く、NPOさんや専門の団体さんがいろいろ教えてくださるということはすごくありがたい、育ててもらっているなということを感じます。
一方で、外部の団体の方は地元の方にはなじみがない中で、我々岩大というメンバーが行くことによってつながる部分も出てくる、お互いに支え合えているのかなと。YMCAさんなんかは、先ほど小野寺さんのほうから話があったのですけれども、たこ焼きとかつくっているのですね。最初、YMCAさんはたこ焼き屋さんだと思っていたという地元の方の話もあったり、ですからそういう中でうまくつながっていったのかな、なんて思っています。
それでは、3つ目の発表に移りたいと思います。同じく大学公認ボランティア団体「もりもり☆岩手」の活動につきまして、代表の神嵜さんよろしくお願いします。
神嵜紅音
代表の神嵜紅音です。発表させていただきます。
まず初めにですが、「もりもり☆岩手」とは、昨年度の3.11の際に、同年4月の初旬に、昨年卒業された4年生の先輩を中心につくった任意団体ではなくて公認団体です。
メンバーですが、現在うちの課程の共生環境課程を中心に農学部の同じ農学部生命課程という課程が2人ほどいます。現在は学生の登録数が23名です。
震災の直後ですが、活動の内容としましては「天気輪の柱」さんと同じように瓦れきの撤去とか、泥出しとかの災害ボランティアをやったり、支援物資の仕分けを大船渡とか宮古、大槌町等で行っていましたが、最初は災害ボランティアとして活動をしていました。
続いてですが、活動の変化がしてきます。震災の直後から陸前高田市の災害ボランティアセンターで岩手県立大学の学生が運営補助を行っていました。県立大学は4月から授業開始ということだったので、岩大が5月だったので、その役割を引き継いでボランティアセンターの運営の補助をすることになりました。なので、主な活動場所は現在の陸前高田市です。現在までの活動の内容としましては、陸前高田市災害ボランティアセンターの運営補助、これは昨年の12月23日にボランティアセンターが閉鎖されてしまったので、活動は終わりました。
続いて、子供支援のみちくさルームですが、これは全部で3つの地区で行っていました。現在も継続中ですが、そのうち最初に始まった横田地区はもう終わっています。今度から新たに矢作地区というところでもう一つ道草ルームを岩大中心でやることが決まりました。
最後に、竹駒町のリンゴ園の農作業支援というものをやっていたのですが、これは三、四カ月ほどで終わってしまいました。
続いて、各活動についてお話しいたします。まず最初に、陸前高田市災害ボランティアセンターです。この写真が23日の最終日に撮った写真で、最後になったので、スタッフさんがすごいたくさんいて、あと最後まで残ってくれた大勢のボランティアさんが周りに何人か、10人ぐらい写っています。
この運営補助についてなのですが、まず最初にボランティアセンターについてちょっとさらっと説明をしたいと思います。陸前高田市の社会福祉協議会の運営する災害時に設置されるボランティアの窓口としてのボランティアセンターです。開設してからほかの地域、他県とか、岩手県内もだったのですけれども、社会福祉協議会とかNPOの方とか、たくさんスタッフが派遣されてきました。そこの派遣されたスタッフと同じような感じで、岩大も入ってお手伝いをしていたのですが、私たちの活動内容としましては、地元のニーズとボランティアのマッチング、例えば瓦れきを撤去してほしいからこれやってくれないかという依頼が来たときに、それらに対して、ボランティアセンターに行ってくださいという説明をするような形です。あとはボランティアバスとか、個人の車で来た方の車両の誘導をしたり、ボランティアさんの受付で、朝来たボランティアさんの受付をしたり、帰ってきたボランティアさんに温かい飲み物を提供したり、あとは質問とかが結構あるので、電話対応していました。
総派遣数は大体250人以上です。今年度だけだとちょっと少ないのですけれども、50人ぐらいかな。
最終日の写真ですが、これは朝ボランティアさんが前から来て、そこでお名前とか書いてもらっています。これは朝ミーティングをします、ボランティアさんに対してボランティアセンターのスタッフさんが朝、こういうこと気をつけてくださいねという感じで説明をしてくれます。
左側の写真ですが、これはボラセン名物の手振り隊と言うのですが、来てくれたボランティアさんにありがとうございました、また来てねということで、行ってらっしゃいと言いながら看板を持って見送りをしています。
右の写真ですが、これは紙コップに「つないで陸高!なじょにかすっぺ」というロゴが張ってあって、これはいろんなものに使われているデザインです。
続いて、みちくさルームに入ります。これは、5月ごろに行っていた長部地区のみちくさルームです。みちくさルームについてなのですが、陸前高田市の特定非営利活動法人P@CTが行う地元の小学生を対象とした子供支援の活動です。仮設住宅の建設とか入居に伴って外で遊べなくなってしまった子供たちのために思い切り遊べる場を提供しています。仮設の子供だけではなくて自宅、いわゆるみなし仮設の子供たちも遊びに来てくれます。地区にもよるのですが、多いところだと十数人ぐらいの子供が遊びに来ます。
活動場所です。横田地区、これはおととしの11月から昨年の4月まで行っていました。広田では、5月から現在も継続中ですが、現在はほとんど毎月2回土曜日に上智大学が来て遊んでくれています。長部地区ですが、こちらも同じ時期から始まって、今、聖心女子大学が入っています。横田と広田には岩大が当初からかかわっていました。現在はこの大学たちが来られないときに補助的な感じで参加しています。
活動内容としましては学習支援、あと子供の遊び相手なのですが、ほとんど遊びです。ひたすらパワフルな子供たちと走り回ったり、物投げられたりとか、結構ハードな活動なのですが、楽しんでくれます。総派遣数は大体100人くらいです。本年度は多かったので70人ぐらい行っています。
これは広田地区の活動なのですが、毎回大体こんなふうにみんなで写真を撮っています。ついこの間、5日前に行った広田地区の違う場所でやったのですが、子供の支援です。ドッジボールしたり、部屋の中で絵をかいたり、右下の写真は手を挙げて、ここに頑張ってタッチしようとしている、ジャンプしている写真です。
最後に、竹駒のリンゴ園です。リンゴ園についてですが、こちらは地元の農家さんが運営する小さなリンゴ園の農作業のお手伝いをしていましたが、奥さんが運営しているのですが、奥さんの御主人が運営されていたのですが、被災されてしまったので、お一人で活動されていました。ただ一人では心細いし、やり方がわからないから誰かやっている人とか教えてくれないかなというようなことだったので、お手伝いをしています。
活動内容としましては、農作業のお手伝いとして雑草を刈ったり、摘果をしたり、雑用、リンゴ園の周りにある松の枝打ちをしたり、あとはお昼御飯をいつもつくってくださって、学生さんと話すのはすごく楽しいといつも言ってくれていました。総派遣数は大体そうですね、30人ぐらい、余りたくさんではなかったのですが、結構好評で、また会いに来てね、みたいな感じで御飯つくってくれて待っていると言っていました。
今後ですが、陸前高田市復興サポートステーションの運営補助を新しくやろうと思っています。陸前高田市復興サポートステーションについてなのですが、開設の背景は昨年の12月23日に閉鎖された陸前高田市ボランティアセンターが閉鎖された後に、社会福祉協議会にもともとボランティアセンターというものがあって、それはふだんから福祉活動であるとか、さまざまな活動を行っていて、災害ボランティアセンターが閉鎖された後に、社会福祉協議会のボランティアセンター組織に戻ってしまったので、外からボランティアさんを受け入れる組織がなくなってしまいました。それで、募集されるのがどうしても市内からのボランティアさんに限定されてしまって、外部のもっと支援をしたいボランティアさんはどうすればいいのかということで外部の人と地元の人をつなぐ窓口としてサポートステーションが設立されました。
ちょっと固くなってしまうのですが、この間、10日前にみちくさルームを運営しているP@CTという団体が活動を始めました。ボランティアさんに対しての活動内容なのですが、側溝の泥出しだったり、被災跡の片づけ、この辺はボランティアセンターの活動とほとんど一緒です。子供支援なんかも今後はやっていきたいという話をしていました。
活動内容で、予定なのですが、受付のお手伝い、朝来たボランティアさんの対応をしたり、飲み物を出したり、あとは電話の対応をしようと思っています。車両誘導は必要な場合。
一番右上は、プレオープンになっているのですが、15日に開設した際のロゴです。左側の赤線ですが、これが今のサポートステーションの場所なのですが、津波で浸水してしまったところなので何にもありません。今はトレーラーハウスとプレハブとテントが張っています。右が活動の様子です。まだ始まったばかりなので余り知名度は高くないのですが、この間の土日にはボランティアさんが80人ぐらい来てくれて結構スタッフさんもわさわさちょっと忙しかったそうです。
続いて、キッズルーム矢作。今まで横田、広田、長部でやってきた活動なのですが、これも新しく矢作という地区でやろうという話になりました。この背景なのですが、矢作がまず海から離れている、森林に囲まれた地域で、すごい広範囲なのですけれども、海から少し離れているといったことで津波の被害はすごく少なくて、そのかわりに被災したほかの地域、高田町であったり、広田町であったりというところから住民の方を受け入れて支援してきました。なので、被害が少なかったということだけでほかの地域に比べてすごく支援は少なくて、子供に対する扱いというか、余り日の目を見ないところです。でも、仮設住宅はあります。
あとこれが大きいのですけれども、震災直前まで地域の住民がボランティアで運営する地域の学童のやまびこの家というのが存在していて、これは震災に加えて協力していた方のボランティアさんが高齢化してしまったので、これ以上運営ができないということで閉鎖になりました。そのために子供が日常的に遊ぶ場所が減ってしまって、集まる場所がなくなってしまったということで、みちくさルームとして子供の支援を行うことにP@CTの方と話し合って決まりました。
この写真がこの間の話し合いなのですが、みちくさルームを実施するに当たって、まず2月9日から始めます。毎月第1、第3土曜日の午後に実施します。対象は矢作地区の子供たちで、小学校の生徒が全部で77名いるのですけれども、それに加えて仮設住宅とかに入っている気仙町の子供たちも一緒に遊ぼうという話になっています。
活動内容は、まだ始めてないので未定なのですけれども、子供の様子とか、地域の様子を見ながら、これからこういう支援が必要なのではないかというのを考えてやっていこうかなと思います。必要に応じてイベント企画だったり、地元の方に協力してもらったり、参加してもらったりする形ができればなと思っています。
ちょっと大まかですが、今「もりもり☆岩手」が抱えている課題ですが、メンバーが余り多くないです。もともと一つの課程から始まったということで、あと現在の4年生以上が中心であったので人数が少ないですし、規模も小さいですし、「天気輪の柱」のようにブログとかも余りないので、知名度は非常に低いです。参加者がすごい偏ってしまって、メンバーが少ないので、余計に偏りが出てしまって、ほかのメンバーにちょっと負担が大きいというのが今の課題です。現在のニーズはあるのですけれども、現在の規模ではちょっと対応しかねるのかなというふうに思っています。
ただ、これからのためにメンバーを確保したいなと思っていて、今は農学部からだけなのですが、一部工学部の人が一時期いたのですが、すぐやめてしまったので、農学部以外からも募集したり、新入生に「もりもり☆岩手」をアピールしたり、規模を大きくすることで現地のニーズに対応して、これからももっと支援をしていきたいなと思っています。
ここはスライドがないので、口頭で失礼しますが、私自身が活動を通じて感じたことというと、まず1つ目に出会いです。私自身はほとんどボランティアセンターの運営補助で毎月2回ぐらいは行くようにしていたのですが、そこでボランティアさんであったり、地元の方であったり、スタッフの方、いろんな陸前高田にかかわる人に出会うことができました。いろんな人が来るので、自分の人生観も変わったり、こういう人もいるのだなというのが勉強になったということと、私自身が代表をしていたということでいろいろなところから声をかけていただいたりして、他大学のボランティア団体の方であったりとか、行政の方とかともかかわりがあったのですが、自分が今まで余りこういう立場に立ったことがなかったので、いろんな出会いがあったということが一番大きいです。
あと震災の被災地という、ふだんどう考えても行かないようなところに自分が行ったということが、一歩自分でも踏み出したなと思っていて、私自身が全然東北の人間ではないので、東北になじむという面でもすごい行ってよかったなと思っています。
こういう被災地に学生が入ることは、被災地とかにとってはすごい意味があるかなと思って、なかなか社会人ではない視点があったり、行動力があったりということがあったので、たくさん学生が入れたわけではなかったのですが、学生がちょっとでもかかわるということで顔を出してくれる地域の方とかががあったりとかしたので、それは見ていていいなと思いました。
長くなってしまいましたが、以上で発表を終わります。御静聴ありがとうございました。(拍手)
名古屋教授
ありがとうございました。「もりもり☆岩手」はボランティアセンターの運営という、非常にハードな仕事も長くこなしているという団体であります。
では、同じく「もりもり☆岩手」の福井君、一言。
福井貴也
僕は、みちくさルーム、先ほど説明の中にあったみちくさルームというものを担当しておりまして、月に2回ほどで、先ほど説明がありました上智大学、聖心女子大学が来られないときは週末毎回行っていたような形になるのですけれども。
みちくさルームに子供たちがいっぱい来てくれるのですけれども、仮設住宅の中では友達と家の中で遊ぶにしても、その家の人が家の中にいるので、家の中でも思い切り遊べないというのと、仮設がグラウンドに建ってしまったので、外でも思い切り遊べないのです。それで、その地区のコミュニティーセンターを借りて子供たちと一緒に遊んでいこうというのがみちくさルームです。
みちくさルームに継続していろんな地区に入っているのですけれども、外部と言ったら失礼ですけれども、関西の方とか遠くの方が多くかかわられるので、子供が少し大人の対応をうまくなってしまうというのがちょっと感じています。子供が4人に対してたまに大人が3倍、4倍ぐらいいるときがありまして、それで大人から子供に話しかけて一緒に遊ぶはずが、子供が大人一人一人に話を振っていくというようなことにもなってしまい、ちょっとこれは特殊なことかなとは思いますけれども、そういうことも起きています。
あと本来地区が別々で仮設に入っていると思うのですけれども、長い期間がたって、またそれがいろいろ混ざり合って、仮設にまたいろいろな色が生まれてきて、そこでまた子供たちもすごい活発なところが集まっているところと、おとなしい子供がいるところなどが生まれてきています。
あと矢作地区の説明がありましたけれども、この前行ってみて、ここは被災してはいますけれども、被災の程度が低いため、ほかの地区からの人を受け入れていて、それでも程度が低いために外からのボランティアが全然入ってきていなかったところなので、ここの子供たちは全くと言っていいほどボランティアなれしていなかったので、この前行ったときにそのほかの地区の子供たちがすごいボランティアなれしてきているなというのを感じました。
以上です。
名古屋教授
知事さん、「もりもり☆岩手」の活動につきまして。
達増知事
このリンゴ園の農作業支援とか、あとほかにも農業支援とかやっているということなのですけれども、これはやっぱり農学部の皆さんで習ったことを生かしてやったりしているのですか。
神嵜紅音
習ったことというよりも、このニーズ自体は先生が拾ってこられて、地元の方が農学部だったらわかるのではないかという話をされたのですが、私たちは学部は農学部なのですけれども、ちょっと専攻が違って、農業に関して余り詳しくなかったので、その農業に詳しそうなサークルの有機農業研究会であるとか、そういうところにちょっと協力を仰いでメンバーを集めて話をしたり、あとは紫波町でリンゴ農家をされている女性がいらっしゃって、そこの方にも協力を仰いで何かお手伝いしてもらえないかなという話をして、最初は活動していたのですけれども、すぐに終わってしまった理由としては、やっぱり一人で女性の方が運営されていたので、なかなか自分一人ではできない、学生が来てもなかなかモチベーションが上がらないというのがあって、やっぱり運営できないかなということでやめてしまったのですけれども、それでも学生が来てくれて本当にうれしいから、また来てねという感じでいつも接していただいていたようです。
名古屋教授
ボランティアはちょっと実らず終わっていくこともありますよね、それでもやっぱりやるのがボランティアなのかなということを今の話を聞いてちょっと思いました。ありがとうございました。
話の中で、公認団体というのが出てきましたけれども、「天気輪の柱」と「もりもり☆岩手」がそうですけれども、本来サークル活動ですと何年か実績を積んでから公認されるのですけれども、震災対応ということで直ちに公認をしてということで、サークルとは言わずに公認団体というふうになっております。
それでは、この後、発表が終わりましたので、座席のレイアウトを変更させていただいて、短時間ですけれども、意見交換に移らせていただきたいと思います。
それでは、意見交換ということで話を進めたいと思います。それでは、どうでしょうか、今3つの団体の話が終わりました。それから、今後皆さんが復興にかかわっていく、ボランティアに限らなくていいのですけれども、いろんなことを考えるというか、あるいはこれからどんなことをしていきたいか、もし自由にまた御意見があったらいただきたいと思います。どなたからでも結構ですから、もしあったら手を挙げていただければと思います。
手が挙がらないと無茶振りということになりますので、阿部さんいかがでしょうか。
阿部真央
私ですか、何の話題提供にはならない、ただ単に私が聞いていて感じたことは、学習支援では中学生というのが対象だったのですけれども、ほかの団体の方々はそうではなくて、大人の方であったり、もっと中学生よりも下の小学生であったりという、いろんな人たちとかかわられているなという話を聞いて、震災によって困っていることであったりとかというのが、震災によってなのか、それともそもそも震災がなくてもあり得たことなのかということを整理していくことは大切だなと思って、それを何で考えたのかというと、さっき活発な子供もおとなしめの子供もいるというのは、やっぱり地区によってもあるかと思うのですけれども、それは震災があったからではなくて、もとから子供とか、人間というのはそういうのがあるものだなと思ったので、何て言うのだろう、全て震災で一くくりにしてしまうのではなくて、ちゃんとその人自身見て話を聞いたり、話をしたり、一緒に行動していくということが大切なのではないかなと思いました。
名古屋教授
ありがとうございました。確かに震災があったのは事実ですけれども、これからは本来のまちづくりですとか、活動にかかわっていくのかなということでしょうか。
今のことに関してでもいいですし、岩手の今後に期待するみたいな、せっかく知事さん見えていますから、ばしっと言っていただいても結構ですので、どうですか、ほかの方。
篠田君ですか、どうぞ。
篠田大樹
宮古で活動しているときにYMCAのボランティアコーディネーターの方とちょっと会話の中で出てきたことなのですけれども、もともと宮古でも抱えている問題、地域の問題というのがもともとあって、それが震災によってまた浮き彫りになった面があるというようなことを言っていました。もともと雇用の問題、余り雇用するところがないとかという問題もあったのですけれども、それが震災によって職を失った人とかがまたいて、それがまたそこで浮き彫りになったというようなことで、震災の支援というのはすぐ終わるのではなくて、ほかのことも含めて長期的に長くやっていくことなのではないかなということを聞いて、自分もそうなのだなというふうに、震災復興5年、10年かかると言われたりもしますけれども、徐々に時がたつにつれ、震災だけではなくていろんな面からも支援とか課題解決ということがどんどん必要になってくるのではないかなというふうに感じました。
名古屋教授
ニーズを分けて考えることはできないですよね、実際はね。
ほかにはいかがでしょうか。陸前高田は我々がかかわっている、きょうこの場でかかわっているメンバーの中で一番ハードなところだと思うのですけれども、どうですか、「もりもり☆岩手」のお二人のどなたか、流れ的には神嵜さんですか。
神嵜紅音
私たちの活動は結構ボランティアセンターの補助なんか特にハード面というか、業務という感じでお手伝いだったのですけれども、私はちょっと入ったのが遅くて、余り直後の話はわからないのですけれども、「もりもり☆岩手」としてみちくさルームであったり、ボランティアセンターの運営補助をやっている中で、私の中では、それは余りボランティアとは感じないです。人に会いに行ったり、地域に行きたいからという感じで私は今行っていて、多分「もりもり☆岩手」の人もほとんどそうだと思うのですけれども、私は余り岩手とか知らない人とか、被災地を知らない人とか、行ったことのない人に対しては「高田に行ってくる」と言うのです。でも、向こうの人はみんな「ボランティアでしょう」と言うのです。私の中で、ボランティアというのはそうなのかといつも不思議に思うのですけれども、ただみちくさルームだったら遊びに行く、遊んであげるというか、一緒に遊ぶ感覚で行きますし、ボランティアセンターだったらちょっとしたお手伝いで、だけれども向こうの人に行けば、会いに行けばいろんな人に会えるし、高田のことももっとわかるし、自分ではもっと好きになるからまた行こうと思うので、ボランティアという感覚ではなくて、これからは一緒に歩いて行くとか、地元の方と一緒に新しいことを考えたりというか、やってあげるとか、ボランティアしてあげるという意識ではなくて、みんなと一緒にやろう、みんなに会いに行こうというふうに思えるようにもっといろんな人になってほしいなというふうに最近はすごく思いました。それは多分ボランティアセンターでいろんな人が出入りしていたのですけれども、いろんな年代の方に会ったからだと、やっぱりそれは思いました。
名古屋教授
ありがとうございます。復興とかの話、震災とか、ボランティアという言葉ではくくれない、岩手大学の学生は地域で生きていくということになってくるのかなという感じですね。そう感じながら聞いておりました。
ちょっとみんなの話を聞いて、知事さんいかがでしょうか。
達増知事
東日本大震災は、とにかくスケールが大きい大震災でありまして、私は知事になる前に衆議院議員をやっていて、災害対策特別委員会というところにいて、日本のどこかで大きな災害があると、それを国会で取り上げたり、また委員がそこに視察に行ったりとかするのですが、どのくらいの災害、大規模が災害と見なされるかというと、死者、行方不明者数10人以上とか、あと壊れている家の数100軒以上とか、そういうところからすれば東日本大震災はこの岩手の中だけでそういう国としての大規模災害の数百倍のスケールの大災害だったわけでありまして、それが宮城県とか福島県とかあちこちで起きていると。普通の大規模災害は、そういう死者、行方不明者数10人規模、壊れた家100戸規模、そういったところにそれを抱える市町村、それを抱える県がフルでいろいろやり、また全国からもそこにいろいろ義援金とか、ボランティアもという中で、そういう意味ではその数百倍のスケールで、宮城とか福島まで視野に入れると、もう数千倍のスケールの大破壊が行われたこういう大災害への対応というのは、本当に次元が違うという感じなのですよね。
でも、対応する側も皆さん初め、ものすごく大勢の人たちに、また年に何回も現地に入っていただくとかやっていただいているので、もうそういう数百倍、数千倍のスケールの破壊ではあるのですが、それに対応する数百倍、数千倍の支援体制もできているというところがあって、それが復興という全体ですよね。全体を見るとそうなのですが、でも子供1人とっては、それはさっき言った死者、行方不明者数10人規模、壊れた家の数100戸規模みたいなのが身近で起こった中の1人というのと違わない。さらに突き詰めると、自分の家が何か事故に遭ったとか、自分の家が火事に遭って焼け出されて、家族が何人か犠牲になったというようなケースと突き詰めれば同じだと思うのです。そういう一人一人の受けた被害、一人一人の必要とするケアということに対しては、それに対しては1人の人でもできることがかなりあり、そういう大震災のマクロな全体像の中でもミクロな一人一人とか、あるいは一世帯一世帯とかでもいいと思うのですけれども、そこで起きていることは一人でも一人の人がそこにやってあげられることはものすごく多いということなので、実際そういうふうにいろいろやってもらえていると思うのです。
人間というのは、一人一人個人が家庭というのの一員であり、またご近所づき合い、コミュニティーの一員であり、市町村の一員、県の一員、日本の一員、地球の一人みたいな、そういう重層的な構造の中で生きているのですけれども、こういう大災害があると、それがふだん意識しないようなレイヤーが重層的に意識されるわけですよ。だから、そこのところを意識しながら参画していくということで効果的な、そして自分のためにもなるような参画ができるのではないかと思います。
一人一人の被災者の方々相手にしているときはもう1対1の世界なのだけれども、さっきそれは普通の火災で1軒だけ被害を受けたような、そういう事故と同じだとも言ったのですが、ただ同時にそれはさっき言ったメガスケールの巨大災害の中の一つであって、そういう中の一人に何かしてあげられたということは、メガ災害全体に対する貢献でも確かにあるのですよね。県にとってもそれは非常にありがたい貢献だし、宮古市なり、陸前高田市にとってもそれは非常にありがたい貢献で、日本全体にとってもそれは非常にありがたい貢献になるのでしょう。だから、そういう人間が社会活動するというのは本質的に個人個人、世帯世帯、地域地域みたいなミクロのところから日本全体とか、世界全体みたいな広がりの中でいろんな活動しているのですけれども、こういう大震災のときには、それがクリアに見えてくるし、またやること一つ一つがそういう効果を持って響き合うので、人間とは何かということ、コミュニティーとは何か、また市町村、県、日本、国というのは何かという、そういうことをすごいクリアに実感しながら進んでいくことができると思うので、ぜひこの調子でやっていただきたいと思います。
以上です。
名古屋教授
それでは、意見交換会を閉じさせていただき、そしてクロージングのほうに入っていきたいと思いますが、意見交換会を閉じるに当たって、藤井学長から一言お願いします。
藤井学長
きょうは「がんばろう!岩手」意見交換会ということで、何か学生の地道な活動を御紹介できればと思っていましたが、きょうは3団体ですね、この間の2年近くの活動を紹介いたしました。学生も非常に悩みながら、本当に震災直後から何かやらなければいけないのではないかという思いを学務部のほうに寄せてきたのですけれども、ただちょっと待たれいということで、血気にはやってやっては、被災地に飛び込んでは、やっぱりいろんなトラブル起きるだろうということで、公認団体等を設けながら進めてまいりました。やはり何ができるのかということと、実際現地で何が求められているのかという、その辺のマッチングを考えながら、彼らも非常に苦労してきたのだなと思って、その辺の一端がきょう、伺えたかなと思っています。
やはり経験としては被災地の実情に、また被災者の方の個々の心情に寄り添う形で進めることがやっぱり前に進んでいくことなのだなということは鉄則なのだなと思っています。改めて感じますのは、学生が本当に自発的なボランタリーの活動というのは、学生の成長を見るのだなと。ですから、教室の中で126単位以外の大きな成長を皆さんはかち取ったのだなということを私自身うれしく思っています。と同時に、学生は成長して卒業していきますので、この活動をどう継続するかという、ここがまた心得なければいけないことだろうし、私は大学の関係者としても配慮していかなければいけないなと思って聞いていました。
ありがとうございました。
知事所感
名古屋教授
それでは、時間になりましたので、以上で意見交換会のほうを終わろうと思いますが、最後にいま一度知事さん、お言葉頂戴できますでしょうか。
達増知事
さっきは大学だからアカデミックな話もしようかと思って、ちょっと難しいことも言いましたけれども、学生は時間があるようでいて結構なかったりもする中で、このようにボランティア活動といいますか、積極的に沿岸のほうに入ってもらっていることは非常にありがたいなと重ねて思います。
また、岩手全体を預かる者としては、まず学生の皆さんが率先してそうやって岩手全体の復興ということをやってくれていることが非常にありがたいですし、あとは内陸と沿岸を結びつける活動ですよね、内陸のほうに比重を置きつつ、そこから沿岸のほうに出ていって、行ったり来たりしながら内陸と沿岸を結びつける。岩手県は地形上、ともすれば内陸と沿岸が分断されてしまうのですけれども、そうしないようにしていく、分断しないようにしていくというのが岩手全体のために非常に大事なポイントで、そこのつなぎ役になってくれているということが非常にありがたいので、この調子で続けていただきたいと思いますし、また後輩に引き継いでいくところをうまく引き継いでほしいなと思います。よろしくお願いします。
名古屋教授
ありがとうございます。
閉会
名古屋教授
それでは、皆様本日は貴重なお話をいただき、ありがとうございました。
これをもちまして県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了いたします。きょうはどうもありがとうございました。
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