「がんばろう!岩手」意見交換会(平成25年5月10日 釜石市)

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ページ番号1000883  更新日 平成31年2月20日

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県政懇談会写真1

日時
平成25年5月10日(金曜日)13時30分から14時30分

場所
釜石地区合同庁舎

出席者

  • 参加者(敬称略)
    青木 健一(「NEXT KAMAISHI(ネクスト釜石)」会長)
    大橋 祐子(株式会社井戸商店 常務取締役)
    近藤 和貴(有限会社近藤商店 専務取締役)
    齊藤 勲(株式会社ナカショク 代表取締役)
    齊藤 裕基(釜石東部コミュニティ振興グループ)
    平野 のぶ子(有限会社リアス海藻店 取締役)
    「のぶ」の字は「尸」の下に「尊」。
  • 県側
    達増知事
    齋藤沿岸広域振興局長
    水野秘書広報室長

開会

齋藤局長
本日御出席いただいた皆様、県議会議員の小野先生、岩崎先生、それから釜石市及び大槌町の担当者の方におかれましては、御多忙中のところお越しいただきまして、本当にありがとうございます。心から御礼申し上げます。
私は、本日の進行役を務めさせていただきます沿岸広域局の齋藤と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

知事挨拶

県政懇談会写真2

齋藤局長
懇談会の開催に当たりまして、知事から一言御挨拶申し上げます。

達増知事
皆さん、こんにちは。お忙しいところお集まりいただき、ありがとうございます。県議会議員の先生方、また釜石市、大槌町からも御参加ありがとうございます。
県政懇談会「がんばろう!岩手」でありますが、東日本大震災発生以降、県政懇談会を「がんばろう!岩手」という名前で、復旧・復興の現場でさまざまな分野あるいはそれぞれの地域で先頭に立って頑張っていらっしゃる皆さんから現場の声を伺い、県の復興政策に反映させていこうという趣旨でやっております。

東日本大震災津波から既に3年目に入っており、復興は3年目に入っているわけでありますが、直ってきているところ、復興が進んでいるところもある一方で、復興の遅れ感が感じられているところも多々あり、復興の加速ということが今年のテーマでなければならないなと思っております。ぜひ今日も復興をめぐる現状や、そしてこれからのことについて有意義な意見交換ができればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

齋藤局長
ありがとうございました。
それでは、早速会議に入ってまいりますが、まず本日御出席の皆様を私から御紹介申し上げます。お手元に名簿が配付されておりますが、名簿に従い紹介させていただきます。
まず、私の正面に座っていらっしゃいますNEXT KAMAISHI代表の青木健一様でございます。

青木健一
青木健一です。よろしくお願いいたします。

齋藤局長
株式会社井戸商店常務取締役、大橋祐子様です。

大橋祐子
井戸商店の大橋と申します。よろしくお願いいたします。

齋藤局長
有限会社近藤商店専務取締役、近藤和貴様です。

近藤和貴
近藤商店の近藤です。よろしくお願いします。

齋藤局長
株式会社ナカショク代表取締役、齊藤勲様です。

齊藤勲
株式会社ナカショクの齊藤といいます。よろしくお願いいたします。

齋藤局長
釜石東部コミュニティ振興グループ代表、齊藤裕基様です。

齊藤裕基
齊藤裕基と申します。よろしくお願いいたします。

齋藤局長
有限会社リアス海藻店取締役、平野のぶ子様です。

平野のぶ子
リアス海藻店の平野のぶ子と申します。よろしくお願いいたします。

齋藤局長
県からの出席者を紹介いたします。まずは達増知事。

達増知事
よろしくお願いいたします。

齋藤局長
続いて、水野秘書広報室長です。

水野室長
よろしくお願いします。

齋藤局長
また、本日は釜石地区選出の県議会議員、小野先生、岩崎先生にも御出席いただきました。ありがとうございます。

それから、先ほど御挨拶申し上げましたが、釜石市及び大槌町当局の担当者の方にも御参加いただいています。ありがとうございました。

懇談

齋藤局長
本日は皆様の目の前に2種類のお菓子を用意しました。
1つは「しあわせの酒まんじゅう」という名前でございまして、これは釜石市内の小島製菓が震災後に発売いたしました。地元の銘酒浜千鳥の酒かすを使ったまんじゅうでございます。それから、もう一つは「城山ポテト」という名前がついております。サツマイモ、白あんなどを用いたスイートポテトで、製造元の菓子工房エルマーノは、震災で大槌町内の店舗が被害を受けました。現在は福幸きらり商店街のほうで営業を再開しておりまして、この城山ポテトもそこで復活させたものでございます。どうかこれを食べながらお話をしていただければと思います。

それでは、懇談に入らせていただきます。
最初に自己紹介を兼ねまして、お一人当たり3分ぐらいで、皆様が復興や支援のために取り組まれていることなどをお話しいただきたいと思います。お話しいただく順番でございますが、まずは水産加工業の再生に取り組んでいらっしゃいます井戸商店の大橋様、近藤商店の近藤様、ナカショクの齊藤様、リアス海藻店の平野様、続いて小売業などサービス業の再生に取り組んでいらっしゃいます釜石東部コミュニティグループの齊藤様、最後になりわいの再生のほか幅広く釜石の復興に取り組んでいらっしゃいますNEXT KAMAISHIの青木様、この順序でお話をお願いしたいと思います。
それでは、大橋様からお願いします。

大橋祐子
よろしくお願いします。復興についてということなのですが、実は前回知事にはわざわざ私どもの新しい工場に足を運んでいただきまして、私たちの取り組みとか復興状況、それから抱えている問題点などを聞いていただきました。今日ここに参加させていただくに当たって強く思ったのは、わざわざお忙しい知事たちが来ていただくのに愚痴をこぼす場にしたくないというのが私の中で強い思いがありました。

振り返ってみると、支援に来てくださった当時、震災直後に遠野の方が何度も支援のために足を運んでくださっていたのですけれども、まずこういう状況の中で「経営者たちが立ち上がらなければだめだ」と強く応援してくださったのです。「あんたたちが立ち上がることでみんながついてくるのだから負けるなよ」と何度も言ってくださったのです。

弊社の社長もそのときにこのまま終わりたくないという思いがあって、もう一度やると社長が決めて、社長が決めたことだから、それはついていくしかないなというのがスタートだったのですけれども、この2年間の中でもしかしたら一生かかって経験するかもしれないようなことが次々と持ち上がって、問題が持ち上がって、それに向かってまるで這い上がっていくような、次々と決断を迫られるし、決めなければならないし、一つ片づく間もなく次の問題があってという中で何とかここまでたどりつきました。

今改めて少し落ち着いてきた中で、強く思うのは、すごく運の強い会社にしたいなと思っています。その運の強い会社で働く社員も運の強い方たち、そういうイメージを持って立ち上がっていきたいと思っています。そういう会社がたくさんいる、運気が上がるまちの釜石というふうなイメージでいきたいなと思いました。

釜石というところに行っただけで運がよくなるよというような、すごく抽象的なのですけれども、そういうイメージのまちづくりにつながっていったらいいのになという思いを今持っています。
愚痴を言ったら切りがないし、せっかくここまで来たのに悪いことを思って日々暮らすのはもう嫌だなと思っています。せっかく復旧ではなくて復興を目指そうと言って立ち上がったのですから、どんどん新しい取り組みも今会社としてはやろうということで前向きに社員一丸となって取り組んでいますし、その中でやっぱり運のいい人たちと最終的に言ってもらえる、そういう会社を今目指しています。

実は求人してもなかなか地元の人で手を挙げてくれる、井戸商店で働きたいという人たちがなかなか来てくれなくて実は苦戦しているのですけれども、その中にあって震災後2年間で新卒で採った子たちが実は市外から8名うちの会社に入ってくれています。釜石以外の大船渡から通ってきている子、遠野から通ってきている子、それから盛岡、水沢、新潟出身なのにアパートを借りてシェアしながら働いてくれている子たちがいます。御両親も了解して来てくれています。被災地に子供を送り出すということは、逆の立場だったらどうだったろうと思うのですが、そういう子たちにも深く感謝しながら、そういう子たちが釜石の企業に就職して職を得たことに最終的によかったと思ってもらいたい。だから、やっぱりうちは、井戸商店は運の強い会社だねと言われる、そういう企業を目指そうというふうに社長と強く思って日々過ごしております。

齋藤局長
近藤様お願いします。

近藤和貴
現在、弊社は焼き魚と干アワビを主に製造しています。特に、焼き魚業務は北海道、三陸産のサケ、マス、サンマを使用しています。干アワビ業務は製品のほとんどを中国・香港へ輸出していますが、今後は国内でも干アワビを一般ユーザー様向けに提供していきたいと考えています。こちらは父である社長の代からの夢であり、今後も弊社の目標の一つです。

3.11震災後は、グループ補助金によりグループとなった同メンバーとの絆が一層深まったと感じています。特に、弊社で販売に難航していた製品を同メンバーに販売して頂いたり、他にも弊社で使用するサケの原料確保、販路拡大のため同メンバーと展示会や催事販売会にも一緒に参加しました。現在も同メンバーとの高次加工商品も考えております。
今後の弊社の進むべき道としましては、焼き魚分野では同グループ内にも偉大な先輩方が多くおりますのでその先輩方に負けないよう自社のオリジナル商品の開発、またアワビの分野でも干アワビ以外にも何か力を入れていきたいと思います。もちろん前浜である釜石魚市場からの仕入れを今まで以上に買付けていきたいと思います。

最後になりますが、岩手大学との共同開発により、新たにスモーク機器も導入しましたので、こちらも達増知事はじめ皆様に「じぇじぇじぇ」と思われるような商品を作りたいと思います。(笑)

齋藤局長
ナカショクの齊藤様お願いします。

齊藤勲
私ども株式会社ナカショクは、震災前は井戸商店様と同じイカの商品の加工というのをメーンでやらせていただいていたのですけれども、震災後は、私は営業がずっと長かったものですから、バイヤーさんとのつながり全国にたくさんございまして、おかげさまで今回グループ補助金をいただいて、工場を再開しました。ただし冷蔵庫までの予定を組んでいたのですが、資材の高騰や人件費などの問題があり、全部はできませんでした。去年の7月でようやく工場棟ができたのですけれども、冷蔵庫棟ができなかったものですから、今回大槌町さんのほうから復興交付金をいただいて、来週で大体完成予定で今見ております。

それとあと井戸商店様がおっしゃったとおり、何か地域にできるものということで考えています。イカに関しては私どもふるさと認証マークを知事のほうからいただいて全国に販売させていただいているのですけれども、これからはイカをメーンに、加えてお米ですね。今手がけているのが酢漬け用のイカめしなのですけれども、そのお米も遠野産の「ゆきおとめ」というお米を使わせていただいてます。ただこのゆきおとめも生産者の方が少なくて、今年間で3トン弱くらい。それと今私も委員になっているのですけれども、「岩手91号」というお米の品種で今年農研様からのお話をいただいていて、陸前高田のほうで作付けするという品種でありまして、今のところイオンさんの場合は東北だけなのですけれども、全国に広げて「がんばろう!岩手」みたいな形をとらせていただいて、米飯の商品を販売したい。さらに近藤さんがおっしゃっていたように焼き魚系で、とにかく岩手県にこだわった商品をこれからどんどんつくっていきたいなと思っています。

齋藤局長
平野様お願いします。

平野のぶ子
リアス海藻店でございます。私どもは生ワカメを塩蔵加工するのが主力の会社でございまして、今年は二、三日前に買い付けが終了いたしました。震災当時、買い付け2日目に大災害に遭いまして、買い付けた生ワカメも半製品として保管しておきます原藻も全部流されてしまいました。それでも鉄骨の柱と煮がまが残っていたのです。それで、絶対に再開は夢見ました、息子と2人でですね。

グループ補助金の支援は本当に助かりました。設備等はその年のうちに、秋までには全部できました。私どもは春3月には稼働しますし、ワカメの生産者は夏のいっときの間に、種付けしますので、動き始めたのです。これが私たちの将来の明かりになりました。岸壁の危険な場所で、昨年度は1万6,000トン、今年は1万8,000トンで終わりましたけれども、例年は約2万2,000トン岩手県は水揚げしているのです。1万6,000トン、あの災害にも生産者が頑張ってくださいました。

そうして、春稼働しましたのですけれども、最初は注目されまして、私どもも夢中で取りかかりました。けれども、復興セールとは思っていましたけれども、やはり関東、地元は注目してどんどん出てきましたものの、関西に販売に行きましたら、全然反応が難しくなったのです。あれっ、これは私ども甘いかなと思いましたら、やはり原発の風評です。これは会社の大きな不安材料になりました。生産量も少なかったものですから高い商品にはなっていたのですが、それをどの業者も冷蔵庫に抱えております。そしてこの春、原料抱えていれば新しい買い付けはどうしても安くなりますね。ですから、在庫を抱えて今年のワカメが始まっています。ワカメは今年は大変な年ですけれども、ぜひ三陸が一丸になって、水産物の販売促進、この風評が、私どもはワカメ、海産物にこだわりますけれども、ほとんどの商品がそうではないかと思っていますけれども、販路拡大にぜひ知事さんにこの風評被害を、セシウム検出を全部しましても出てきません。何とかこれをお願いしたいと思ってまいりました。よろしくお願いいたします。

齋藤局長
釜石東部コミュニティ振興グループの齊藤様お願いします。

齊藤裕基
私は、釜石東部コミュニティ振興グループの代表をしています株式会社ウェルファーの齊藤と申します。まず、私自身の所属会社の状況を説明させていただきたいと思います。

弊社は介護事業をやっておりまして、釜石に本社を構え、山田、高田のほうにも営業所がございます。今回の震災でこの3カ所全て被災に遭いまして、全て流されました。しかしながら、震災の翌日から釜石市に、行政の医療ボランティアという形で入らせていただいて、市へ参画し動いたというような次第であります。

私ども弊社が所在している場所が釜石市の大町にありますが、釜石の大町というのは釜石の東部地区に位置しまして、釜石の東部地区は釜石大渡商店街振興組合、大町商店街振興組合、それから只越町商店街振興組合、浜町商店街、これは任意団体ですけれども、この4商店街が一つのエリアで東部商業地区という形で位置しております。

多くの方が、今回震災に遭いまして、私もいろいろ自分の事業のことで苦慮していたところ、地元の若い人たちからグループ補助金というものがあるだろうと、これを活用してどうにか釜石の東部地区を活性化、再興したいという話が持ち上がりまして、私自身介護事業をしていますので、厚労省関連より補助金を頂戴している関係で、グループ補助金は頂戴しませんけれども、代表として、復旧したいという人たちを集めて、このグループ補助金に申請しようという状況になりました。

このグループは、当初120社ほどあったのですが、現在認定されたのはイオンタウンを含め66社で構成されるグループであります。その中で、釜石市に所在する事業所の46%ほどが東部地区に集中しているのです。そういう部分も含めて自分たちがこの釜石を支えるのだという意気込みの中でさまざまな事業をこれから展開していこうと、コミュニティビジネスも含めてですけれども。そして、釜石の活性化につなげていこうという動きで今現在頑張っております。

齋藤局長
青木様お願いします。

青木健一
NEXT KAMAISHIという会であります。代表の青木です。本業は青紀土木という建設会社の専務をしております。我々建設業者というのは、うちの社員も言うのですけれども、この世も終わりだと思ったというくらいすごい災害の中で、皆様の財産を瓦れきという名前にして処理する、撤去する仕事を唯一させていただいた企業、業態だと思っておりました。そういうのに日々参加する中で、それでは皆さんの財産をお片づけさせていただいている以上、そういうことをしている私がどのように地域に役立てるのかということで平田地区という私の会社がある地区の復興委員になりまして、地域の方の思いと行政の方の考え方をうまくすり合わせて、少しでも地域がいいものになってほしいということで役員になって参加して会議を重ねてきました。説明会に行っても、これから若い人たちがこの地域を背負っていくのに、出てくれるのが皆さん高齢な方ばかりで、どうしてなのだろうということに非常に危機感を感じまして、その中で私と同じ思いをもちながらそれぞれの地区で感じて何とかしたいという方と巡り会うことにつながりになりまして、そういう人間がふえてきまして、ではこの思いを何とか形にするためにどうしようということで、団体をつくるということでこのNEXT KAMAISHIという団体を立ち上げました。

時代が違えばお国のためと言いながら家族や地域のために神風特攻隊などで命を散らした方がいらっしゃいますけれども、我々ここでまず未熟ながらも何とか地域のためにと行動した中で、もし失敗しても石をぶつけられるくらいで、命をとられることはないのだから、何とかみんなでこの1,000年に1度という災害に直面した我々で、次の新しい未来に、子供たちに少しでもいい地域をバトンタッチしようという思いから昨年の5月20日に団体として立ち上げました。

私たちはそれまで正直地域のことなんて真剣に考えるような人間でもなかったのですけれども、今まで自分たちが住んできた地域をしっかり勉強しようと思い、よかったところ、悪かったところ、見詰め直して、これからどうしていけばいいのかということについて、会議する場所もないので、青葉ビルという場所を市から無料で貸し出していただき、2週に1度ほど集まっています。会員は50名ほどいるのですが、会社の大黒柱のような方や、震災の復興のために頑張っている方々なので普段集まるのは、15名ほどですけれども、集まって、消灯の9時までみんなでどうしよう、こうしようとやっています。

NEXT KAMAISHIがほかと一番違うと言われているのは、賛助会員として、釜石から東京に出て行ったあと釜石を心配してくれている方々もネットを通じて会議に参加してくれます。さらに我々は、ただ地域のためと思って立ち上がったのですけれども、これから地域を考える、マネジメントする、行動するということに対して思いはあってもどのように形にしていけばいいかわからないというところをRCFさんという外部団体や、釜援隊(釜石応援隊)の皆さんに議事録をとっていただいたり、いろんなところと折衝していただいたりしながら、少しでもこのまちをいいものにしたいと活動している団体であります。

齋藤局長
皆様から一通り自己紹介兼ねて発言いただきましたが、これまでのお話の中で知事から何かお聞きになりたいことありますか。

達増知事
グループ補助金という制度がうまく活用されているなと改めて思いました。もともとは政府のほうで自動車とか半導体とかのサプライチェーンを再生するためにという発想だったようなのですけれども、うまく使うとそれが地域の、特に岩手のリアス式海岸の津々浦々の地域ごとのなりわいの再生に非常に有効に使えるということで、そういうふうに活用してもらっていると思います。それぞれの施設の整備に加えてグループでの販路拡大の協力などにも発展しているところがいいなと思いました。

一方、販路の拡大というのは大きいテーマだなというのを改めて感じたところであります。風評被害対策も含めてせっかく設備が再開してくる中でよりよいものをつくれるようになった、これをどんどん売っていくということが今非常に大事なのだなと思いまして、県も今年度予算の事業で販路拡大の事業を幾つもやることにしていますし、私が直接トップセールス的なことをする機会もありますので、販路拡大というのは大きいテーマなので頑張っていきたいと思います。あとは地域の皆さんを集めて活動していくということ、これも非常に大事なことでしっかり進めていらっしゃることは大変いいと思います。

復興方程式というのを発見したのですけれども、「復興の力= 地元の底力 + さまざまなつながりの力」ということになります。まず地元の底力をフルに発揮するということが必要で、プラスつながりの力ですよね。地域外のさまざまなつながりの力も合わせて、イコール復興の力ということです。今復興の現場でそういう地元の底力とさまざまなつながりの力を合わせた復興の力がものすごい勢いで強まっているなということを感じていますので、県もそういうのをしっかり支援していきたいと改めて思いました。

齋藤局長
それでは、自己紹介も済みましたので、今度は皆様が日々の事業活動の中で感じている課題や困っていること、あるいはぜひこの場で伝えたいことなどを自由に、お話しいただきたいと思います。
大体お一人あたり、三、四分ぐらいを見当にお話ししていただければ大変助かります。
では、先ほどと同じくまた大橋様からお願いします。

大橋祐子
ようやくゴールデンウイーク前ぐらいからうちの場合は仕事が少しずつふえてきたなと実感しています。それまでは工場の規模を縮小したこともあって、できることが限られた中でやっていましたので、非常に売り上げに苦慮していたのですけれども、増えるに従って人がやっぱり足りないなと、何とか人材を確保したいなと考えています。それに当たっては、皆さん多分同じことを思っていらっしゃると思うのですが、募集しても人が来ないということと、それから住宅難。来てもらってもどこに住まわせたらいいかわからない。知り合いの不動産屋さんに頼んでも空き物件を一件も実は持っていない。例えば転勤で出る人がいても、例えば公務員の方たちは次の人たちに引き継いで確保していくし、新しいところが建っても、でき上がる前に埋まってしまっているし、加えて相場がものすごく上がってしまって1.5倍から2倍、盛岡の中心街と変わらないのではないかなというような家賃になって、うちのお給料でそういうところに住んでねとなかなか言えないような状況が続いています。そういうところがやはりずっと課題としては残っています。
いずれ解決するのでしょうけれども、今々というところで困ったなと思っています。

齋藤局長
近藤様お願いします。

近藤和貴
弊社は第1回のグループ補助金を頂き本当に感謝しております。もちろんこの制度は多くの企業が助かったと思いますが、その反面、多くの水産業者はそれに伴い工場拡大といったハード面での製造キャパが増加したように感じます。今後は前浜に水揚げされる魚の奪い合いになるのでないかと懸念されています。特に大手になればなるほど工場の稼働率が重要であり、今後は魚原料の価格が上昇していくと思います。近年の水揚げ状況からみても、魚原料の減少と各企業の製造能力キャパが反比例しているような感じがします。
また、現在、釜石魚市場でもサクラマス、タラ類と多種多様の魚が水揚げされていますが、その半分近くは他地域、他県の工場へ運ばれています。もちろん弊社も含め市内水産業者の買付けが弱いことが一番の原因ですが、やはり釜石で水揚げされた魚は釜石で処理し、そこで各水産業者が雇用を産出すといったスタイルが一番釜石市の発展にも繋がるのではないかと考えています。ただし、生産者側の立場を考えると色々な意見があると思います。

最後になりましたが、今後は工場拡大により各企業の魚原料の争奪戦が始まるのでないかと懸念しています。特に中小の水産加工業者が魚を買えないという課題が出てくるのではないでしょうか。

齋藤局長
ナカショクの齊藤様お願いします。

齊藤勲
私も井戸商店さんと同じで、今一番ネックなのはパート従業員の問題です。私どもは釜石地区のハローワークと宮古地区のハローワーク、さらに大槌町は広報とか、新聞広告とかを出しても全然集まらないのです。地元の大槌町では全然集まらないので、宮古のハローワークに募集かけたら逆に山田と宮古で22名ぐらい集まったのです。大槌は今14名しかいません。実際三十七、八名はいるのですけれども、大槌町がまだ半数もいないという状況の中で仕事をしております。

それと連休明けから徐々に仕事の内容というか、相手もふえてきている状態の中でこういう状態が起きていますので、専務がおっしゃったように今までずっと堪え忍んでいたのです。今度冷蔵庫ができ上がるので、それでこれから100%、120%の稼働にしたくてもパートさんが集まらないのと、集めたくても今度は入居できるアパートがありません。大槌町の場合、土地もないし家もないという状態なので住宅なり仮設なりを何とかつくっていただくことができないものかと思っています。

また、皆さん一緒の意見だと思うのですけれども、宮古、大槌、釜石、大船渡はみんなそうなのですが、運送会社も一緒に流れていて、岩手県の中では運送会社はかなり減っている。加えて水産会社が減ったために、残った運送会社も荷物が運べない、ものすごいコスト高になっている状況なのです。通常私どもが運んでいるときにワンカートン、大体10キロ、15キロ、それで東京まで270円、250円くらいだったのが今500円を超えているのです。そういう状況の中で、物流のシステムも何とかならないものかなと思っています。水産会社がどんどん、増えてくればおのずと物流が増えて、コストも下がるとは思うけれども、今は全然そういう状況ではないものですから、そういう物流の面でも考えていただけたらなと思います。よろしくお願いします。
齋藤局長:平野様お願いします。

平野のぶ子
ただいまのナカショクさんがお話しになりました問題を私どもも全部抱えております。それから、あれだけの震災ではどうにもならないと思うのですけれども、津波があっても最小限の予防対策ができないものかな。おかしな話かもわかりませんけれども、湾口防波堤ですか、ああいうのも今回は対策をとって、また復興作業しているようですけれども、災害があっても、どうしても私どもは海の資源が必要な会社でございまして、あのときには本当に全部なくなりました体験いたしておりますので、この体験を生かして、最小限でも何かしら残れるものがあれば良い。全部なくなってしまうようなことを体験したくないというのが今の思いでございます。よろしくお願いいたします。

齊藤局長
釜石東部コミュニティ振興グループの齊藤様お願いします。

齊藤裕基
東部コミュニティ振興グループ66社は、商店街の方々がほとんどでありますが、商店街の店主の方々というのはほとんど高齢化しています。その高齢化している方々が今度また復旧して、事業を再開して復興に至るまでとなりますと結構な資金がかかってくる。それとあわせて、震災における人口動態の中で果たして商売がここで成り立つものかということ、そしてなおかつ事業の継承する人、つまり子供たちが自分たちの事業をきちっと継承してくれるのかどうか、そういうふうなことがすごく今問題になっています。

そしてまた、グループ補助金に関しましても、事業に要する経費としては10億円くらい、実際補助金申請したのは7億7,000万円ぐらいなのですけれども、その補助金も実際執行している方々は3割弱程度です。なぜかというと、これは釜石市の復興計画とともに土地の整備がされる、自分たちの復旧が遅れるということのようです。一時期グループの人たちには、市は何もしてくれないだろう、県は何もしてくれないのではないかと、俺たちはこんなにやっているのにというような話がありました。しかしながら、一番基本にあるのは私たちの自助努力だと思うのです。初め、震災に遭って1年目は確かにそういう話が多く聞こえてはきましたけれども、いつまでたっても私たちは被災者ではないのだと、これから自分たちの足で歩んでいかなくてはいけないのだと。だからこそ自分たちが今できることをやっていこうと、そこに県も市も支援してくるのだろうという話で今頑張っているような状況です。

ただ問題点は、先ほど話したように事業の継承ですとか、あるいは補助金を4分の3頂戴するのですけれども、残る4分の1分が自分たちで準備できない。震災前からの事業経営の状況というのもありますので、それらが混在してすごく大きな問題になっているようです。

齋藤局長
青木様お願いします。

青木健一
私たちの今後の取り組みについてですが、私たちもこの震災でNEXT KAMAISHIというのをつくりましたけれども、ふりかえれば釜石で高炉が休止されたときに釜石の元気がなくなるということで、歌手で遠野物語を歌ったあんべ光俊さんたちが「釜石レボリューション」という団体をつくって、何か楽しいこと、市が元気になることをしたいと考えて「釜石よいさ」というお祭りをつくったのです。釜石の郷土芸能には虎舞とかすばらしいものがあるのですけれども、「釜石よいさ」というのはよいさ、よいさと言って地域の人誰でも来て参加すれば踊れるようなお祭りなのです。それが震災の前まで24年間続いてきましたが、震災から2年間やらないで来ました。その方たち、レボリューションの皆さんも50歳以上の年代になりまして、今さらレボリューションではないという話があり、代わって我々がこういう活動していまして、何とか地域でもう一度一つになって前を向いて釜石として元気出したいという思いから、この「釜石よいさ」というものを今までの24年間のような立派な規模のものができるかできないか、そこまで目指していないのですけれども、釜石のみんなが、今仮設にいる人でもどなたでも参加してお子さんからお年寄りまでみんなで一つのことをして一歩前に踏み出そうということでやっています。

今ここにいらっしゃる経営者の皆様も本当につらい思いをしていますし、私自身の会社も建物も流されましたし、社員も流されました。うちの会員にもそういう方が多いです。でも、そういう中でやっぱり前を向いてやる。何だ、おまえ経営者なのにまちづくりなんて言っているのと、もっと自分の会社を頑張れよとお叱りをくださる人もいるのですけれども、やっぱり地域が元気あって、地域の人が集わない限り我々建設業者も地域に必要がなくなると思いますし、どの産業でも、どの会社でもそれは一緒なのではないかなと思います。少しでも子供たちに元気をもたせ、この地域に残りたいと言ってくれるような場所にしていかなければ、いずれ市として本当に元気ないものになってしまうのではないかと思って、こういう会を、みんなで手弁当で頑張っています。

また個人的に困っている話をさせていただければ、やっぱり子供のことであって、一番は、今も仮設の小学校と、中学校が一緒にありまして、体育館も一つ、グラウンドも一つという中でやっています。そうすると練習する時間も少ないですし、家に帰ってきて練習するといっても、瓦れきの中では少し転べば手を切ったりする。子供たちにはこういう状況だから我慢しろと言ってきていますけれども、これから5年くらいかかって新たなまちができるのかもしれませんが、それまでは仮設とか各地域に1カ所くらい更地があって、子供たちが好き勝手に遊べるような場所があれば一番いいのではないかなと思っています。予算が限られた中でみんなやっているのですけれども、何とか子供が伸び伸びと育っていけるような場所をつくるのが大人の役割ではないかなと思っております。

齋藤局長
ありがとうございました。
先ほど人がいない中で、住居の確保が大変だという話が出ましたので、私からも一つ紹介させていただきます。震災直後、沿岸広域振興局は宮古、釜石、大船渡合わせて500人ぐらいの職員がおりました。ところが今年の4月1日現在では、750人になっています。県の中で職員を沿岸局に集めたというのもありますが、他県からの派遣応援職員や3年間の任期つきの職員として建設会社のOBの方とか、そういった方々に来ていただいてこういう人数になっています。

私どもも、住処がないという切実な課題を抱えています。去年の4月時点で、釜石市内のアパートは500人待ちとも聞いており、釜石市内に住むことが極めて困難だと認識しています。今は仮設住宅、例えば車で20キロぐらい離れた栗林というところなどに空きが出ていますので、東京都などから来た職員の方はそこにまとめて入っていただいています。また、釜石市内に住居が確保できないので、遠野から通っている職員もいます。

これから復興需要ということで、建設関係の方多く入ってくる中で、私どもにとっても、アパートなどの住宅の確保というのは非常に切実な状況になっていますので、いろんな提案はやっています。例えば空いた仮設を使うようにしてくれと。これについて、国はかなり柔軟なことを言っていますので、管理する市や町と相談しながら、うまく使っていかないとなかなか住宅問題というのは解消しないなと思っています。また、不動産業者の方にこれだけアパートが足りないのだから建てたらどうだと言うと、10年間は成り立つけれども、その後誰も入らなくなるだろうとのことでした。10年では回収できないよという話をなさる方が結構多くて、なかなか民間アパートが増えるという状況にもないというのが実情です。この問題は皆さんも我々も職員も、同じように頭を悩めています。できるだけ職場のそばに住処を確保して、通勤の負担を軽くしてやりたいとは思うのですが。こういう現状がございますので、ちょっと紹介させていただきました。
これまでの説明で知事から何かお聞きになりたいことありますでしょうか。

達増知事
やっぱり人が足りないという問題と、それとセットの住宅難というのが今大変な問題だということで、それぞれ県のほうでもいろいろ対応しているところではあるのですけれども、住宅難については復興庁を初め国のほうで復興を加速するということを目標にしているので、その大きな妨げになっていることですから、雇用促進住宅というのを国がつくったりしていたこともあったわけで、働きたい人が働きたいところで働いていくための住まいをどうするかということについては、やっぱりかなり大がかりな中でいろいろ仕組みを考えていく必要があるのではないかと考えております。

子供の運動する場所についても安倍内閣になってスタートした新しい復興推進委員会で「新しい東北のビジョン」の一番最初に子供たちがすくすく育っていける東北を再生しようということで、被災地における子供の運動の場の確保というのがまず先に議論されていまして、そこも国と連携しながらいろいろ工夫をしていきたいと思います。

齋藤局長
若干まだ時間がございますので、ここからは挙手をして自由に発言をしていただければと思います。御指名はいたしませんので、手を挙げていただければ。
どうぞ。大橋様どうぞ。

大橋祐子
住宅の件です。私は釜石の大平町というところに住んでいまして、私が育った時代はどこの家にも子供がいたのですけれども、今はもう老人世帯になって、例えばご主人が亡くなって独居老人だったり、空き家になっているところが、震災前には、いっぱいありました。私が見ただけでも7軒ぐらいは空き家だなと思っていて、町内会の人に聞くと持ち主はそこには住んでいなくて、そこに住んでいた老人の方もその息子さんなり何なりのところに引き取られたものの、でもお墓があるので、お墓参りに年に何回かは来るので、やっぱり貸せないというような感じで空き家になっていたのです。それは震災前なのですけれども。その後どうなったかはわからないのですが、ローラー作戦をやったら結構あぶり出されてくるのではないかなと。そういうところの大家さんに交渉して、こういう緊急時なので何とか、例えば5年間なら5年間とか、全体が復興するまでの間限定で構わないので開放して貸すとか、そういう交渉をしてもいいのではないかなと思って見ていました。どこに行けばその情報がつかめるのかわからないのですが、まず不動産屋さんにはそういう物件は一切出てこないし、町内会長さんが把握しているわけでもないけれども、何となくあそこは、というような情報は多分近所の人は持っているのだろうと思います。そういうのが市内に実はいっぱいあるのではないかなと思っていまして、大平だけでもそういうふうに何軒かあったので、全部つぶさに足で歩けば出てきそうな気もしています。

うちは今実際に女の子たち3人を1軒のアパートでシェアさせています。今の一人っ子、二人っ子みたいに育った子たちにとって寮みたいな感覚は厳しいとは思うのですけれども、我慢してねということで災害時、緊急時だしごめんねと言いながら住んでもらっているのですが、そういう対応を企業側も受け入れるということであれば何かしら道があるような気がしています。

達増知事
思えば、昔であれば若い人たちは下宿ということも普通にありました。一人っ子とかで暮らした今の若い人が、ましてや他人の釜の飯、人の釜の飯をというのは最初は難しいかもしれないのですけれども、さっきは国の雇用促進住宅とか大きい仕掛けがどうのこうのとか言いましたが、逆にうんと小さい仕掛けとしてそういう昔日本でやっていたようなこととか、あと一方そういう使っていない家をきれいにして人に貸すとかというのは、今、日本でも都会のほうでははやってきているようですし、下宿みたいなホームステイというのは諸外国ではかなり普通に行われていたりもします。子供がどこか地域外に進学したり、働きに行ったりして一部屋空いていればそこを若い人に貸すというのはアメリカとかヨーロッパでは普通に行われていたりもするし、ILCとの関係で岩手全体が外国人にホームステイさせるみたいなのも抵抗なくやるようにしようと言っている、復興のためにそういう若い人に下宿してもらうとかというのも促していくことが必要かもしれないですね。

大橋祐子
はい、ぜひ。

齋藤局長
そのほか皆さんいかがですか。
齊藤様どうぞ。

齊藤裕基
商店街のほうなのですけれども、商店街の店主の方々がこのグループ補助金で認定されて、市、県の方々にすごく御支援いただいて、本当にありがたいという気持ちでいっぱいという部分と、今後市の復興計画の中で自分たちが帰る場所が果たしてあるのだろうか、どこで自分たちは事業すればいいのだろうと、そういうふうな話も聞こえてきていました。

それとあわせて、今後仮設商店街が閉鎖するときまで商売をして、閉鎖するときには廃業しようかと考えている方々も何人か出てきています。その方々もやはりこのグループ補助金のメンバーの一人ではありますけれども、辞退したいという方々も出てきています。

そうした中で、では果たしてこのグループ補助金の意味合いというのは何なのだろう、基本的な趣旨というのはあるのでしょうけれども。ただ、できるのであれば、今回繰り越しの手続をさせていただいて、本来であれば今年度で終わり。しかしながら、市の復興計画とあわせて自分たちも一緒に立ち上がりたいのだという人たちが結構多いことも否めないのです。その人たちのために、やはりこのグループ補助金というのはこの2年だけではなくて、できればもう少し繰り越しできるようなことができないものかなと考えている次第です。ぜひそこのところもお願いしたいなと思っております。

齋藤局長
グループ補助金の繰り越しがすぐ終わってしまうということについては、かなり前から県も自覚していまして、そこは何とかしてくれという要望はやっていますので、我々もそこは期待したいなと思います。
ほかに何か皆さんのほうでございますか。
青木様どうぞ。

青木健一
風力、波力等による洋上発電について、今全国で公募したり候補が挙がっている中で岩手県様のほうで当地を調査地の候補に挙げていただき、私たちもいろいろ意見交換会とか発表会とかいろいろ聞いてきました。地域としても何か特徴を出していくといえば釜石としては鉄と魚のまちとずっと言われてきましたが、そういう中でもし洋上発電というものをきっかけにしていろんなものをつくっていけるのであれば、今ウインドファームと言って風力発電もしておりますし、製鉄所のほうではバイオマス、そういう自然に優しい地域をつくっていって、海はどこにでもあると言われますけれども、その海なり、地域なりを本当に大切にした地域にしているよという形にして、海の食品に付加価値つけて量ではなくて質にこだわりを持ってつくって、どこに行っても商品の名前が最初に出てきてお店が出るくらいになっていますよね。そこをもっともっと付加価値をつけて、この震災を機にやっていくことこそ、ただただ右肩上がりの考えではなくて、地域でどういうふうにやっていけるかということを、地域で本当に落とし込んで考えていかないと。こうなった以上、これがチャンスだと思いますので、そういうふうに考え方を変えて自然を大切にする。クリーンエネルギーの方策を何とかとれるようにもっともっとお力添えいただいて、洋上発電なり何なり地域でももっともっと知っていただいて、興味持っていただいて、候補地として残って最初に入れるようになればいいかなと思っております。

齋藤局長
大橋様どうぞ。

大橋祐子
うちの社長からの知事へのメッセージです。不遜なこと言って本当に申しわけないのですが、この機会を1,000年に1度のチャンスに変えるというのがうちの社長のこの2年間の思いです。この間テレビで秋元康さんというAKB48のプロデューサーの人が東北をプロデュースするという番組を見て、あっと思ったのですけれども、「幕の内弁当で印象に残るものってないんだよね」と。だから、あれもいい、これもいいと何でも入れ込むのが本当に正解なのかなというのがあって、ちょっとはっとなったのですけれども、うちはこれで行くのだという、やっぱりそういうものがあって初めて魅力的になるのかなとも思います。知事にはぜひ強いリーダーシップで、みんなの意見を聞くことは大事だけれども、やはりこう行くぞと思ったら、知事の強い思いでやってもらいたいと、それに県民はついていくからと、ぜひそういうふうに言ってほしいと言っていました。みんなの意見を聞くことは大事だけれども、みんなの意見を聞いて、それがみんなの意見が通ったことが本当にいいかどうかというと、それは自分も疑問に実は思っているのだと。だから、知事の強いリーダーシップでこうしようと言ってくれていいのだと言っておりました。私たちもみんなが釜石に行きたいと東北の人も思ってくれるような魅力的なまちづくりに、そうなりたいので、ぜひ。

あともう一つ、本当にお忙しい知事なのですが、年に一遍でもいいので、こうやって釜石に来ていただいて三陸の復興の状態を一緒に見て一緒に歩んでいただければすごくうれしいなと思っております。よろしくお願いします。

齋藤局長
ありがとうございました。
もうお一方、どなたかいかがですか?
齊藤様どうぞ。

齊藤勲
先ほどリアス海藻店の平野さんがおっしゃっていたことに関連して、リアス海藻店さんの場合はワカメの件でお話ししたと思うのですけれども、放射能の検査について、東北6県の皆さんにはのみ込んでいただけていて、ようやく東京も何とかなったのですが、東京より以西では産地は、三陸というと、うっと言われるのです。ましてや大阪に行くと、福島、宮城、岩手についてだめとは言わないですけれども、青森というと青森はすんなりオーケーが出るのです。どこが違うのだろうというのがあります。この間は、上野副知事も私どものところにおいでになっていますが、できれば井戸商店さんがおっしゃるようにリーダーシップをとっていただいて、先頭に立っていただいて、私とすればワンポイントシールを、言ってしまっていいのかな、知事のシールをつくらせていただいて、それを張って全国に販売したらもっとPRできるのではないかなということを今考えていて進めています。けれども、ただオーケーになるかどうかわかりません。知事がオーケーと言ってくれればオーケーになるとは思うのですけれども。

達増知事
信頼感につながるようなマークということですよね。

齊藤勲
はい。もっと岩手県をアピールできるのではないかなと思っています。できればお願いしたいのですが。

齋藤局長
ありがとうございました。もっともっとお伺いしたいところでございますが、大分時間が迫ってまいりました。

知事所感

齋藤局長
では、最後に知事から総括したお話をお願いします。

達増知事
1回と言わず、沿岸のほうにはしょっちゅう来たいと思っておりますので、釜石にもたびたび来たいと思っております。

この復旧・復興の段階、段階に応じて課題はまたいろいろ変わってきますので、そのとき、そのとき大事な課題にきちっと県も対応していくようにしていきたいと思います。
今日は本当に有意義な意見をたくさん聞くことができてありがとうございました。また一緒に頑張りましょう。

閉会

齋藤局長
皆様、本日はお忙しいところをお越しいただき、また貴重なお話をいただきまして、本当にありがとうございました。
これをもちまして県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了させていただきます。どうもありがとうございました。

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