「がんばろう!岩手」意見交換会(平成25年12月12日 宮古市)

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ページ番号1000875  更新日 平成31年2月20日

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日時

平成25年12月12日(木曜日)14時30分から15時30分

場所

浄土ヶ浜レストハウス(宮古市)

出席者

  • 参加者(敬称略)
    田高 正博  (北三陸・大地の恵み推進連絡会 ジオパークガイド)
    楠田 拓郎  (NPO法人体験村・たのはたネットワーク 事務局長)
    伊藤 栄利子 (浄土ヶ浜ビジターセンター ガイド)
    三浦 達夫  (釜石観光ボランティアガイド会 会長)
    佐々木 浩美 (椿の里・大船渡ガイドの会 ガイド)
    實吉 義正  (陸前高田市観光物産協会 副会長)
  • 県側
    達増知事、齋藤沿岸広域振興局長、菅原副局長、紺野地域振興室長、水野秘書広報室長

開会

紺野地域振興室長

 ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催させていただきます。
 本日御出席いただきました皆様、また県議会の先生、関係市町村の御担当の方々には御多忙のところをお越しいただきまして、心から御礼を申し上げます。
 私は、本日の進行役を務めさせていただきます政策地域部地域振興室長の紺野と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1


紺野地域振興室長

 それでは、開会に当たりまして、知事から御挨拶を申し上げます。

達増知事

 皆さん、こんにちは。暦の上ではディセンバーということで、師走のこの忙しいときに北は久慈市から、南は陸前高田市まで、この三陸ジオパークエリア各地でガイドや活動をされている皆さんにお集まりをいただきましての県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会であります。
 この県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会は、東日本大震災からの復興にそれぞれの地域で、またいろいろな分野で取り組んでいる皆さんから生の声を知事本人が伺うということで県政に役立てる、復興に役立てる、そういう企画でありますが、今回は「~めざそう!世界の三陸ジオパーク~」という副題をつけまして、特にこの三陸ジオパークの取り組みを通じて復興を推進しよう、そしてまた復興の先にあるこの希望あふれる岩手をつくっていこうということでの今日の県政懇談会でありますので、ぜひジオパーク、日本ジオパークにも認定されまして、かなり県内的にも、また県外的にも知られるようになってきているのではないかと思いますが、まだまだ野心的にもっとあれもしたい、これもしたいということがあると思いますので、そういうことも伺えればと思います。
 それから、城内県議さんには寒い中、おいでいただきありがとうございます。よろしくお願いいたします。

紺野地域振興室長

 ありがとうございました。大変恐縮ですが、着席したままで進行させていただきます。
 それでは、本日御出席の皆様を御紹介いたします。
 北三陸・大地の恵み推進連絡会ジオパークガイド、田高正博様でございます。

田高正博

 よろしくお願いいたします。

紺野地域振興室長

 続きまして、NPO法人体験村・たのはたネットワーク事務局長、楠田拓郎様様でございます。

楠田拓郎

 楠田です。よろしくお願いします。

紺野地域振興室長

 続きまして、浄土ヶ浜ビジターセンターガイド、伊藤栄利子様でございます。

伊藤栄利子

 伊藤と申します。よろしくお願いします。

紺野地域振興室長

 続きまして、釜石観光ボランティアガイド会会長、三浦達夫様でございます。

三浦達夫

 三浦です。よろしくお願いいたします。

紺野地域振興室長

 続きまして、椿の里・大船渡ガイドの会ガイド、佐々木浩美様でございます。

佐々木浩美

 佐々木でございます。よろしくお願いいたします。

紺野地域振興室長

 続きまして、陸前高田市観光物産協会副会長、實吉義正様でございます。

實吉義正

 こんにちは、よろしくお願いいたします。

紺野地域振興室長

 県からは、達増知事。

達増知事

 よろしくお願いします。

紺野地域振興室長

 齋藤沿岸広域振興局長。

齋藤局長

 よろしくお願いします。

紺野地域振興室長

 菅原沿岸広域振興局副局長。

菅原副局長

 よろしくどうぞお願いします。

紺野地域振興室長

 水野秘書広報室長。

水野秘書広報室長

 よろしくお願いいたします。

紺野地域振興室長

 なお、本日は県議会議員、城内愛彦議員。

城内愛彦県議

 どうぞよろしくお願いいたします。

紺野地域振興室長

 関係市町村から陸前高田市、大船渡市、宮古市の御担当の方々にもお越しいただいております。

懇談

写真:懇談会の様子2


紺野地域振興室長

 それでは、早速でございますが、懇談に入らせていただきます。
 まず、皆様の目の前にございます茶菓でございますけれども、これにつきまして菅原副局長から御説明をさせていただきます。

菅原副局長

 まず、お茶でありますが、皆様おなじみかと思いますが、龍泉洞のお茶であります。今日は緑茶をお出ししておりますが、このほかにもウーロン茶とか、「じっ茶ばっ茶」というのがございます。今日は緑茶でございます。
 それから、今日の目玉はいかせんべいが2種類お皿に乗ってございますけれども、こちらもおなじみの有限会社菅田さんでつくっておられますいかせんべいで、「まごいかせんべい」というネーミングになっております。菅田さんは、工場が宮古市の藤原というところにありましたが、震災津波で被災しまして、2カ月後に仮復旧して、製造はしておりましたけれども、少し内陸のほうに新工場をつくられまして、今年の4月からその新工場で製造を行っております。この「まごいかせんべい」でありますが、これは、皆さん普通のいかせんべいは御存じかと思いますが、薄焼きのミニサイズのせんべいになっておりまして、新しい味といたしまして、お手元にございます抹茶味、くるみ味というのがありますが、そのほかにラー油味というのがございます。ラー油味はちょっと懇談しながらはどうかなと思いまして、本日はこの2種類にさせていただいてございます。この新しい味でございますけれども、宮古市内で若い世代の社会参画を目的に活動をしております市民団体がありまして、ユースみやっこベースという名前の団体があるのですが、そちらのほうと菅田さんとで協力して開発したものでございます。そのユースみやっこベースに参加している市内の高校生がいろいろアイデアを出しまして、試作をして完成したのでございますが、実はこれはまだ一般販売されてございません。先月いわて銀河プラザが東京にございますが、そちらでいわて三陸フェアがありまして、そっちに出品してテスト販売をやってございます。そのときは5枚入りで200円で売ったようでございますけれども、今後消費者の反応を確かめながら正式な商品化を検討しているというふうに聞いてございます。どうぞこちらのほうをお召し上がりになって、またお茶もお飲みになりながら、お話しいただければと思います。
 以上、紹介でございます。ありがとうございます。

紺野地域振興室長

 ありがとうございました。
 それでは、最初に自己紹介を兼ねましてお一人3分くらいでガイドの活動などを通しまして、三陸ジオパーク構想の推進について取り組んでいることなどをお話しいただければと思います。
 恐れ入りますけれども、名簿の順で田高さんから順にお願いを申し上げます。

田高正博

 皆さん、初めまして。私は、久慈市の北三陸・大地の恵みジオパーク推進連絡会にてジオパークガイドを務めております田高と申します。本日はこの場にお招きいただき、まことにありがとうございます。
 私の所属する北三陸・大地の恵みジオパーク推進連絡会ですが、久慈市及び周辺市町村のジオパーク関係者の方々を中心に結成された推進組織です。今年の2月に結成されましたが、これまでに地域のジオサイトの講演会及び琥珀やたたら製鉄の文化などを発信するツアーの開催、または野田村におきましてはジオポイントに関連する解説看板の設置等を先日行っております。
 私自身もガイドとして久慈市及び周辺市町村でジオツアーの実施等を行っております。また、一方で、ジオパークに関連しまして地域の自然や風土などを活用したエコツーリズムのインストラクターも私自身務めており、久慈市の山間部におきましては山村生活体験工房バッタリー村というところにおきまして山村生活体験のインストラクター、または沿岸部におきましては海の体験のガイド等を行いながら、地域の魅力を多面的に発信できるよう日々活動をしております。
 本日はどうぞよろしくお願いいたします。

紺野地域振興室長

 楠田様。

楠田拓郎

 私は、体験村・たのはたということで、皆さん御存じなのはサッパ船ということで、お手元にうちのパンフレット等を配らせていただきましたが、サッパ船をやっておりまして、今年は「あまちゃん」効果もありまして、サッパ船に関しては震災前の22年度以上の集客になっておりますが、これが来年以降どう数字が伸びるのか、やっぱり下がってしまうのか、その辺が頑張りどころかなというふうに思っておりますが、このサッパ船だけではなくて、裏面にもネーチャーガイドや大津波語り部ガイドというプログラムがありますが、基本的には観光客の方は沿岸部に来るので、沿岸のプログラムが多いのですが、こういったプログラムとあわせて複合的に田野畑の観光の紹介を地元の人がガイドとなってやるということで取り組んでおります。
 ジオに関しましてもパンフレットをお配りしましたが、ちょうど去年の岩手DCに合わせて4月からうちでもジオパークガイドということでプログラムを始めております。1時間ぐらいの御案内なのですが、二、三カ所ジオポイントを御案内しているという内容で、正直まだ一般の観光客の方はそんなに多くはないですが、ちょこちょこと個人の方で興味を持ってくれている方がいらっしゃっていただけているという状況です。
 うちの取り組みとしては、こういった沿岸部にどうしても一般の観光客の方が多いので、修学旅行等々の学校さんとか、教育関係の団体を田野畑の山側の畑、酪農をやっているところがありますので、そちらに案内をしていろんな体験と、あと民泊をやってもらって、山側にも交流人口の拡大を図れればなということで取り組んでおりまして、震災以降は教育旅行も少なくなったのですが、今年になってからは神奈川の高校、茨城の高校、あと北海道の中学校ということで何校かだんだん戻ってきていて、来年度も今年並みには学校さんが来てくれる予定になっていますので、内陸も含め教育旅行と、あと今ある観光客の誘客を今後も続けていければいいかなというところで活動をしております。

紺野地域振興室長

 伊藤様。

伊藤栄利子

 浄土ヶ浜ビジターセンターで自然解説をしております伊藤と申します。
 まず、こちらの浄土ヶ浜ビジターセンターなのですが、三陸復興国立公園の動植物や自然の魅力を発信する施設として案内業務ですとか、あとはイベントの企画をしております。私ももともと自然が好きということと、あと展示物ですとか、物をつくることが大好きでしたので、こちらの国立公園のビジターセンターの仕事を選びました。ジオガイドでは、自分の好きな物づくり……。絵はかくことが好きだったので、絵を使ったものを使いまして、小道具を持ってまいりましたが、こういった形で浄土ヶ浜の成り立ちとかをこういう形でわかりやすくできるだけ紹介できればなということで、こういった形の資料、イラストとかを用意しまして解説をしております。
 私がジオガイドに本格的に取り組んだのは今年度に入ってからなのですが、スタッフほか三陸ジオパーク推進協議会の皆さん、宮古市役所さん、環境省さん、あとは地元の方とかの話を参考にしながらこちらの浄土ヶ浜のプログラムを審査認定に向けてつくり上げてまいりました。
 こちらのプログラムでも、やはり地質というととても難しいイメージがありますので、できるだけ皆さんの身近なものですとか、あとは子供たちでもちょっと楽しめるかなといった素材を含めながらガイドをして、目で見て、手で触れて、楽しんでいただくことを大切にしながらジオ、大地の自然を含め、自然ですとか、動植物にも興味を持っていただきたいなと思ってガイドを行っております。
 本当に簡単な言葉ですとか、ちょっとシンプルなもので浄土ヶ浜のガイドとこちらのジオの入り口としての簡単なガイドをちょっとずつ皆さんに楽しいなと思ってリピートしていただければなと思って活動しております。

紺野地域振興室長

 ありがとうございます。
 では、三浦様。

三浦達夫

 釜石観光ボランティアガイド会の三浦といいます。
 話を聞いていますと、釜石はジオについては若干取り組みが遅れているなという感じを受けているのですけれども、これから皆さんの活動を参考にしながら進めていきたいなと思っています。
 我々ガイドの中心というのは、皆さん御存じと思いますけれども、釜石は鉄のまちとして栄えてきていますので、そういう鉄の橋野高炉跡等が世界遺産等に推薦されていますので、その辺のところを中心にやっておるのですけれども。震災後は、御存じと思いますけれども、被災地を訪ねるツアーが結構多くなってきていますので、そういう部分に時間をとられて、肝心の世界遺産とか、あるいは近代化遺産等のガイドは非常に少なくなってはきているのですけれども、最近になって少しずつですけれども、そういうものが増えてきているような感じがしていました。それは、やはり三陸ジオパークに認定されたとか、世界遺産が推薦されたと、そういうことが効いているのかなという感じはしています。
 そういうことを我々としてもガイドの中心は釜石の発展してきた歴史もありますので、そういう意味では鉄を中心にしたガイドを薦めていきたいなという感じをしていまして、そういうものにジオをどんなふうにして結びつけていくかということを考えながらこれから活動していきたいなというふうに思っています。
 いずれにしても釜石独自でいろいろとそういう観光客を呼び寄せるというのは非常に難しい状態だとは考えていますので、そういう意味では近隣の市町村の方々とタイアップしながらいろんな活動を進めていきたいものだなというふうに、そういうことで釜石の復興の一助にしていきたいというふうに思っていますので、よろしくお願いしたいと思います。
 以上です。

紺野地域振興室長

 ありがとうございます。
 佐々木様お願いいたします。

佐々木浩美

 椿の里・大船渡ガイドの会から参りました佐々木でございます。
 私どもの会は、震災の数日前に本来開催される予定でありました全国椿サミットのときに全国からお越しいただきます皆様方に市内の案内をしようということで、市が主催して講習会を受けた方々で結成した会であります。ところが、その数日後に今回の東日本大震災に遭いましてからは、震災ガイドを主にしている会でございます。私どもの会のほうは、この三陸ジオパーク認定のためにいろいろと準備段階から会長を初めいろんな形で成功させようという形で参画させていただいているというふうに聞いています。認定されましてからは、ジオパークの先進地であります宮城県の栗駒地域に行ってどういうふうなガイドの仕方をしているのだろうかということで研修とかに行って参考にさせていただいております。ただ、もちろんジオパークが認定されてから間もないものですから、私どもの会でもジオパークそのものの勉強会をしようということで地元の方、一般市民の方、それから会員も含めて岩手大学のほうから先生をお呼びいたしまして、碁石海岸を初めとする周辺地域の地質を勉強したいといって勉強会を今いたしております。
ただ、そもそもジオを知るためには地元の歴史を知らなければいけないのではないかという発想から、地元の郷土史家、昔、岩手県の博物館の館長をされました金野静一先生ですとか、前甘竹勝郎市長が社会科の先生であったということもありまして、講師にお招きいたしまして、実は講演会をしていただきました。そのときにまとめたのがこの冊子でございます。これは、私たち会員をはじめ市民の方々に地元の歴史を知っていただこうという形で小冊子にしたものでございました。ぜひ県知事に見てもらうようにということで預かってまいりましたので、後ほど差し上げたいと思います。こういったものもうちの会のほうでつくって、市民の方々に知っていただこうというふうな活動をしております。
 ジオにつきましては、まだまだ1年生にも満たない会でございますけれども、陸前高田市を越境して宮城県のほうにも先日研修会に行っているようでございます。大船渡と陸前高田、気仙地方だけではなく、今後三陸ジオパークの観点から宮城県側に越境して、宮城県側の方々とも広域という意味でお互いに交流をして研修会をしてはどうだろうかということで、実は今月の25日に宮城県の方々と私どもの会のほうで交流会を開く予定になっております。
 以上でございます。

紺野地域振興室長

 實吉様お願いいたします。

實吉義正

 陸前高田の實吉でございます。
 実は私ども観光物産協会では、震災以前に世界遺産登録の話が出た時点で、たまたま気仙地域は産金地としての位置づけがあったわけですし、それからお隣の気仙沼、本吉までが同時代の産金地だったということで、陸前高田、本吉、気仙沼という形で推進協議会をつくりまして、平泉が世界遺産に登録になった暁にはこれらの連携を深めて観光振興に役立てていきたいという形で進めていたやさきでもあったのですね。たまたま市内では、勉強会というのを観光物産協会が主催で何回か玉山金山だとか、そういう歴史的な部分を含めて開催していたところだったのですが、後で詳しい話はこの後の話でしますけれども、たまたま今回の震災で私どもの事務所が道の駅にあったということで、書類だとか、一切の資料関係を失ってしまいまして、震災の年そのものは観光協会そのものの活動ができなかったというようなこと、具体的に動き出したのは昨年度24年度に事務所を何とか市役所の横のほうにセッティングして動き出したのが被災地ツアーということだったのですが、陸前高田は多分一番多くの被災地ツアーにおいでになっていただいているのかなというふうに思っていますが、昨年度は観光協会の掌握部分で1,350団体、個人を超えていまして、延べ人数で2万5,000人を超えているのです。今年度は、少し減るのかなと思いましたら、逆に増えまして、10月末で約1,300件で、2万4,000幾らというようなことで、去年の実績を上回るのかなというふうに思っております。
 実はこの被災地ツアーとたまたま、今皆さんの地域でも話が出ています世界遺産登録、それからジオパークというものを別途と私どもは考えていかない方向で持って行きたいと。せっかくこれだけ被災地に多くの目が向けられているわけですから、その目をやはり教育旅行、被災地ツアーということで教育旅行にもかなり来ていただいているのです。そういった部分も含めて世界遺産登録の部分、それからそういった産金地。辛い話ですけれども、被災地の状況も含めて一つのジオパークの方向性としては、それらをトータル的に踏まえた方向性というのを見出していく必要があるのかなというふうに思っております。
 ただ、ノウハウについては、こちらの北側の地域の人たちのほうが、今佐々木さんもおっしゃいましたけれども、気仙地区ではまだまだジオパークの具体的なツアーに対する対応というのがとりかねておりまして、これから陸前高田でも、今月15日からガイド講習会ということで3月まで何回か開催することになっています。ただ、それもジオパークを中心という形にはいかないのが現状でございまして、我々がツアーの被災地ツアーに来る方への対応で追われているというような状況がありまして、それらも含めて講義内容の中にジオを入れながら被災地のツアーにも対応できるというようなカリキュラムをつくりたい。私自身は、先月は毎週地方出張の講演依頼が多くて、地元にほとんどいない時期が多いので、人手が何としても足りないというようなことで、ジオパークにあわせて急遽講習会を開催しながら、両面から立ち上げていきたいというのが今高田の現状です。詳しい話等については、この後もしお話しする機会があればということです。よろしくお願いしたいと思います。

紺野地域振興室長

 ありがとうございます。出席者の方々からさまざまお話をただいま頂戴したところですけれども、県側、知事はじめ局長、何か御質問等あれば。
 はい。

齋藤局長

 皆様のお手元に三陸ジオめぐりという冊子があります。これは、9月28日にジオパークの登録になった日、10月につくったものなのです。ちょっと広げて見ていただきますと、岩手県の地図、それからそれぞれの地域の見どころを写真にして載せておりますし、それから裏のほうにいっていただきますと、例えば裏のほうの左上ですね、宮古エリアのジオ旅ということで、浄土ヶ浜レストハウスをベースにしたモデルコースなどの提案も行っています。あとはちょっとあれですが、ご当地のランチということで、浄土ヶ浜レストハウスの浄土ヶ浜カレーなども載せまして、食べる楽しみも少し載せてみました。大船渡はさんまラーメン、レストハウスでもやっていますし、釜石は橋野の峠のカレーが載っているということで、それぞれの地域の宣伝も兼ねています。これが1万部を10月に刷ったのですが、早くもなくなりそうでして、増刷している最中でございまして、これ紹介させていただきました。

達増知事

 このジオパークという取り組みですけれども、観光として風光明媚な豊かな自然、景色においしい食べ物もあるというようなことで観光客の皆さんに来てもらう、見てもらう、それをガイドで説明するというのは昔からあったわけですけれども、それにさらにその場所、その場所の知識、情報というのを今まで以上にうんとそこに盛り込んで、それで勉強になる、楽しめるというふうにするのがこのジオパークということの肝かなと思っております。
よく考えてみると、昔からガイドというのはその景色や食べ物などにまつわる歴史とか、文化とか、あとはいろいろ科学的な説明も昔からしていたとは思うのです。ただ、それが最近ジオパークという形でこういうふうにやるようになるという背景にはいろいろパソコンやインターネットを使ったりとか、あとこういうチラシなんかも昔以上に写真とか、いろんなビジュアルを使ってきれいにつくることができるし、それを展示なんかでも昔以上にわかりやすく、おもしろく説明できるように、そういう技術が発達しているということがひとつ大きいのだと思います。
そういう背景があって、全国あちこちでジオパーク、ジオパークとやっている中で、この三陸はもともとの素材が非常に全国有数、世界に通用するような地形、地質、そして文化、伝統があって、おいしい食べ物もいっぱいあるということだと思うのです。プラスこの三陸地域には東日本大震災の被災地という、そういう見ていただくべきところ、聞いていただくべき話がいっぱいあるということで、そういう意味では實吉さんがおっしゃったように、まず被災地ツアーというところに力を入れるというのは、特にそういうニーズがあるわけですから、いいのではないかと思います。いろいろ訪れる人たちの興味、関心に対応しながら、とにかく知識、情報はいっぱいあるのをどう伝えていくかというところの工夫だと思いまして、そういう意味ではそれぞれの場所でそれぞれのチームで橋野高炉のこととかもうまく伝えるということが始まっているなと、行われているなというふうに思って、心強く感じた次第です。

紺野地域振興室長

 ただいま知事からかなり突っ込んだお話をいただきました。
 続きまして、時間にちょっと限りあるのですけれども、お一人三、四分ぐらいでということで日々のガイド活動の中で、大切にしていることですとか、課題ですとか、今後に向けての意気込み、将来への期待、夢等々につきましてお話をいただきたいと思います。
 順番は先ほどと同様、田高さんから順にお願いをしたいと思います。

田高正博

 私がふだんガイドで特にも大切にしているのは、地域とのつながりづくりだと考えております。というのもジオパークというのは地質などの貴重な大地の遺産が前提にあることですが、それ以上に地域の方々が大地を利用していろんな営みを続けているという点が非常に重要なポイントになると思います。といいますのも、日本ジオパーク委員の方とのあるエピソードなのですが、審査の際におっしゃったことが、我々は地質を見に来るのではなく、地域の活動を見に来たのだというコメントがあったそうなのですが、そう言ったとおり、やはり地質だけでなく、それを活用していろんな産業なり、市民活動なり、教育活動に生かした活動をやっている地元の方々がどんどん参加していただくのが肝心だと考えております。
 私自身が具体的につながりづくりとしましては、私のおります北部ブロックのジオポイントである琥珀と久慈層群というものがありますが、それに関連して琥珀の文化を活用した地域づくりを行う「くんのこほっぱ」愛好会という市民団体がありますが、そこと協力しながらツアーやさまざまなイベント等の連携をとっております。ほかにも例えば三陸のリアス式海岸や隆起海岸などといった特徴的な地形、地質を生かした乳製品であるとか、または海産物などを生産されている方々ももとをたどれば大地の貴重な営みの結果、今の産業が生まれていて、そういったものをまさに食を通して体験できるという観点からジオパークを活用していただきたいと考えており、機会を得ながらそういった関係者の方々にジオパークから見た魅力などについても説明して回っているところであります。
 一方で、課題として感じるのが、そういったジオパークに関連する方々ではあるのですが、まだ自分たちの商品開発であるとか、市民活動がジオパークだと気づいてない団体がまだあるということです。もちろんどんどん生かしていただきたいとは感じていますが、まだそこまで草の根レベルで浸透していないなという点が今後の課題だと私自身感じております。
 今後につきましては、そういった地域の方々との草の根レベルでのつながりづくりを行いながら、ジオパーク資源を生かした地域づくり、ジオパークづくりに私自身も携わっていければと考えております。
 これはしゃべる予定ではなかったのですが、ジオパークのお土産候補として私が考えているのが普代村の鉄山染めという地元の婦人グループなどでつくっている染め物ですが、これがジオポイントである割沢鉄山というたたら遺跡の周辺で生産されている染め物で、鉄分を多く含んだ水を活用した伝統的な製法を使用しており、まさに地域のジオと伝統産業とが結びついた製品だと考えていまして、こういったものがどんどん草の根レベルからボトムアップしていけばいいなと感じております。
 以上です。

紺野地域振興室長

 ありがとうございます。
 楠田様。

楠田拓郎

 私たちも震災前からジオの取り組みということでいろんな研修会をしたりとか、ジオパークに認定されるということはどういうことなのかというようなことを勉強させてもらいましたけれども、聞けば聞くほどうちでやっている、もともとやっていたサッパ船だとか、トレッキングだとか、そういうプログラムがそもそもジオであるということなのだなというのは非常にわかってきました。今回日本ジオパークに認定されて、この三陸エリア一帯としてどうなっていくか、どういう未来が目標なのかなというふうに考えたときに、世界文化遺産や自然遺産も結局地域が求めているのは地域活性化だと思いますし、今回のジオパークも地域活性化だと思うのですけれども、お客さんが外から来てくれるきっかけとして世界遺産、ジオパークがあって、来てこういった景観があったり、おいしい食べ物があるのは昔からそうですけれども、新しく何をしなければいけないかというのは、やっぱりジオパークのガイドをするサッパ船みたいなもの、トレッキングみたいなもの、震災語り部みたいなもの、そういったお客さんと地元の人が交流場所をいっぱいつくることだし、そこで暮らしている人がその地域の自然を使ったり、歴史上こういう経緯があって、今もこういう暮らしをしている、例えばまきストーブ使っていることもある意味ジオだと思うのです。なので、そういう話をしっかりとお客さんに伝えていくことで地域の暮らしの特徴をしっかりとお客さんに伝えていくことで唯一無二の三陸になれるのかなというふうに思っています。
 正直ジオガイドをうちでもやっていて、専門的過ぎて難しい部分はいっぱいあるなというふうに感じますが、専門的な話はお客さんも求めていなくて、漁師の目から見たジオもあるし、畑をやっている人のジオもあるし、公務員のジオもあると思うのです。そういういろんな視点でその地域で生まれ育った自分の経験、思い出プラスちょっとジオ的な要素も話せるというガイドさんをいっぱいつくることで漁業をしながらもジオガイドをする、酪農しながらもジオガイドをする、公務員をしながら、ジオガイドをして謝金をもらったらちょっとまずいのかもしれませんが、そういったところでいろんな人が活躍できる、しかも本業を圧迫しない程度にみんなで時間の分担というか、1日に1時間今日やったから、次の日のお客さんは誰かさんにお願いしますというような形で多くの人がかかわって、ちょっとずつみんながお小遣い稼ぎをできるような仕組みになっていけば地域が活性化していくし、多くの人にその恩恵がわたっていくのかなというふうに考えています。
 なので、田野畑はいろんな漁師さんであり、酪農家でありという方たちと観光客の交流を増やしていきたいなというふうに思っていますし、今後の田野畑の課題としては、やはり物販という意味ではこういったお土産物になるものがなかなかないので、田野畑牛乳を持って帰ってもらうといっても水物はなかなかかさばるし、重いし、料金的には余り高くもないしというところなので、そういったいいお土産物を売ったり、あとつくるのもそうですし、あと売るためにどういう買いやすい制度だったり、元気なというか、買いたくなるような販売員さんを育成するとか、そういったところが田野畑の課題かなというふうに思っています。

紺野地域振興室長

 ありがとうございます。
 伊藤さんお願いいたします。

伊藤栄利子

 三陸ジオパークの認定を受けまして、ジオパークについて興味を持つお客様がビジターセンターにもすごく多く訪れるようになりまして、中にはこちらのみちのく潮風トレイル、ロングトレイルですとか、あとは自然歩道を回って楽しんでいる方がいるということで、ビジターセンターでもそういったお客様のニーズに合わせての自然解説プラスジオを入れたガイド、あとはイベントですとか、ジオを含んだ、解説を含めたトークイベントなどを行っていて、その中でもジオ、地質というとどうしても難しいなと感じる方が結構多いということで、できるだけ目で見て、手で触れていただいて、そして植物とか動物ともつながっているということも知っていただいた上で、もっとわかりやすくて、親しみやすくて、魅力があって、自分のふるさとについても魅力だなと感じるということを少し伝えていければなということを大切にしたいなと思っています。
 それで、最近こういった自分の足で歩きたいという方もふえていまして、私のようなガイドが解説をしていったりして、あとはスキルをアップしていくのももちろん大切なことなのですが、こういった自分の足で回りたいという方だといろんなポイント、私たちが気づかないポイントもきっと歩いて見つけていただいたりとか、こんないいところがあるというところも見つけていただけるので、そのためにガイドブックや、あと標識があればもっとジオを深く、あとは次も行ってみようかなというリピートにもつながってくるのではないかなと思うところです。
 あと将来の夢、希望なのですけれども、三陸復興国立公園、三陸ジオパークの魅力としては、自然もですけれども、地質とわかりやすくて楽しいガイドがあればいいかなということを考えています。三陸は被災しているということで、世界的にも日本中でもすごく注目されている場所だと思います。そして、日本中、世界中の方がこちらに訪れて見ているということもあると思うので、災害の歴史、あとは国立公園、こういった魅力、あとジオパークの魅力を余すことなく伝えていければなと思っています。自然だけではなく、やっぱりこういう震災ですとか、地質、かかわっているところもあわせて魅力としても発信できればと思っています。

紺野地域振興室長

 三浦様お願いいたします。

三浦達夫

 僕らはジオパークというのは特別そういう形のガイドというのはまだ経験もないし、まだやってないのですけれども、いろんなところの話を聞いていますと、今あるものをいかにPRしていくかということが大事だなという感じを持っていまして、特に先ほども話しましたけれども、釜石は鉄のまちとして栄えてきたところですので、そういうものを前面に出しながらお客様を案内していきたいなと。
 特に釜石の鉱山というのは、非常に世界でも有数の珍しい鉱石がとれる鉱山ですので、特に磁鉄鉱というものは、皆さんも御存じだと思いますけれども、磁石につくというようなことで、そういうものを実際に触れさせながら、それでなぜ磁石に鉄がつくのかとか、そういうこともお話ししながらガイドしていきたいなという感じを持っています。
 それと、世界遺産に推薦されています橋野高炉についてもあそこにただ石がごろんとあって、これが藩政時代につくられた洋式高炉ですよという話だけではなかなかとっつきづらいだろうという面もありますので、あそこに上がって地形を見ていただければああいう傾斜地の斜面を有効に活用して、そして水を流して、その水で動力になる水車を回してそういうものを使うと、そういうふうな地形を利用しているということですね、見ていただいたり、それから使われている石はすぐそばから出てくる花崗岩を切り出してきて使っているものですよと、そういうものを見ながら触れてもらって、そういうことを説明していくということが僕は世界遺産の説明と同じようにジオの説明にもなっていくのかなという形で、その辺で働いていた人たちのことなども織り交ぜながら説明していきたいなという感じはしております。
 ただ、そうはいいましても橋野高炉跡とか、それから鉄の物語、ストーリーを話していると非常に固いなという感じも持っているのです。少なくとも鉄そのものが固いという感じを持たれますから、そういう点で話もまた堅くなると、非常に来る人に対する、とっつきづらいなという感じがするのではないかなという感じがしていまして、そういう意味で我々は現在ガイドをするときに紙芝居をつくって、それを見せながらガイドしていくというようなこともしたり、そんなことを心がけてはおります。
 それとちょうど橋野の2キロぐらい南側のところに実際に当時露天掘りをした鉱山跡があるのです。そういうところを見せながら、そしていかに先人たちがそういう苦労をしながら、鉄をつくっていたかということを知ってもらうためには場所的にも、それから地域的にも非常にいいのかなという感じをしていますので、そんなことを中心にやっていければなと思います。
 ただ、僕らとして一番苦慮しているのは、そういう遺産とかが市街地から離れているということが非常にネックなのです。交通の機関も公共交通機関がないものですから、そういう意味ではお客様をどういうふうにして案内していくのかというのをこれから早急に考えていかないとなかなか大変なのではないかなという感じを持っていまして、その辺のところをこれから取り組んでいきたいなと思っています。
 それとガイドする人間というのは、ジオにしろ、世界遺産の鉄にしろ、ある程度専門知識を持っていないとなかなかうまく説明できない面もあるのです。その辺のところは、これからいろんな先生方をお願いしながら、そういう勉強会もきちんとやっていく必要があるかなという感じを持っています。
 そういうようなことで考えていますので、そういうことで我々としては、最終的にはガイドの質的向上を狙うという意味で、ガイドの認定制度みたいなものをつくって専門分野ごとにその認定をしてガイドをつけるような仕組みを考えていきたいなというふうに思っています。そんな形で来た人たちに本当にそういう遺産に触れてみて、感動して帰っていかれるようなガイドにしていきたいなという感じを持っています。
 ただ、先ほども話していましたけれども、我々とすれば釜石独自で持っている観光資源で多くの人を呼ぶということは非常に難しいのではないかなという感じを持っていまして、そういう意味では近くのところと連携していく必要があろうと思います。特に我々のところは、内陸のほうに遠野という民話のふるさととして有名な場所があるので、そういうところとタイアップしながら、観光ルートをつくりながらお客さんを呼び込むようなことも考えていきたいなと思っていまして、そのときに遠野というのは民話のふるさととして有名ですし、もう一つ山を越えれば近代製鉄発祥の地の橋野という場所があるわけですから、そういうところをつなげながらガイドといいますか、観光客の誘致を考えていければというふうに考えています。ただ、そういう場合に非常にネックになるのは笛吹峠が非常に難所だということがありますので、そういうところもこれから、あそこは県道だというふうに聞いていますので、そういうことで県のほうでも考えながら道路の改良をしていただけるようなことを考えていただければ、あそこは四季に富んだいろんなものが見えますので、そういうこともよろしくお願いしたいなと思います。
 以上です。

紺野地域振興室長

 ありがとうございます。
 それでは、佐々木様。

佐々木浩美

 うちのほうは、先ほど陸前高田市の實吉副会長よりも話がありましたように、私どもの大船渡でもまだ震災ガイドのジオがいまだに大きく、徐々に減ってくるものだろうとうちの会も思っていたのですけれども、お見えになるお客様は今だから来たいと、修学旅行にも誘致したいのだけれどもということで、高校の先生、中学校の先生らの視察で来られている方々がまだいらっしゃるのも現実です。
 私たちは正直あと2年もたてば震災ガイドの需要はなくなるのではないかというふうに見越しておりまして、今後やはりジオパークを中心としたガイドは必要だろうということで考えていたところ、先ほどもちょっとお話しさせていただきましたけれども、宮城県のほうの気仙沼の地方振興局さんだったでしょうか、から広域的な交流をしていただけないかというふうな申し出がありましたために、それでは今後考慮しながら同じ目線で、同じ地域という感覚を持って勉強会をしていきませんかというふうなお申し出がありましたので、それに応えて今回25日に行うことにはしているのですけれども、今まで私が震災ガイドをしている中で、先ほど宮古の浄土ヶ浜の伊藤さんがお使いになっているようなファイルに私どもは震災前の町の風景、震災後の町の風景ということで、両方を比較して御案内をさせていただいているのですけれども、そうすると以前はこういうふうな風景だったのがこういうふうになってしまったのですね、今の風景は徐々に復興してきていますから、町の姿変わってきているのですけれども、それによって震災ガイドの場合はよく理解しやすかったですというふうに喜んで帰っていただいているのも現実ですので、今後ジオパークに関してもせっかくこういうふうなパネルもあるので、そういったA4ぐらいの大きいファイルにジオパークのよさというものを写真を通してお見せしながらガイドしたらわかっていただきやすいのではないのかなというふうに個人的には考えています。やっぱり口で言うのと比較対照するものとか、目に見えないのだけれども、こういうふうな状況なのですというふうに御案内していくのとでは、やっぱりお客様からしての感覚というのが違うのではないかなと思います。
 今回三陸ジオパークにすると、日本では一番広いジオパークになるわけなのですけれども、全域を御案内するのはもちろん難しいのですけれども、自分たちだけ、南三陸だけではなくて、全体的なジオパークの中のここはほんの一部ですけれどもというふうな分割した御案内をしたほうが皆様方には案内しやすいのかなと思って準備をしているような、私個人的にですけれども、そうしたほうがわかりやすいのかなと今思っています。
 先日テレビを見て、実は初めて知ったジオパークのこともあるのですが、三陸鉄道の北リアス線に小学校の子供たちが八戸の子供たちから気仙沼の子供たち、市代表なのか、ジオパークのクイズ大会が列車であったのをテレビで拝見させていただきまして、それを見て私たちが知らないことを子供たちが知っているのです。これは勉強し直さなければと改めて……

達増知事

 すごい難しいことに答えているのですよね。

佐々木浩美

 そうです。だから、これは襟を正して、私たちは一から勉強しなければいけないと本当に思ったのですけれども、でも子供たちからそういうふうに知識を覚えておくということは非常にいいことなのではないかと。
 なので、私たち現場に立つガイドもそうなのですけれども、その土地、その土地に住んでいる子供たちからそういったジオパークに関しての知識というか、身にしみた知識というのが、生きたジオパークというか、言葉が大げさになるかもしれませんけれども、そこに住んでいる方言でも違うと思うのです。要は、北は北で独特、こっちはこっちで気仙語と言われるような独特な方言も多分ジオの一つ、ジオサイトの一つだと思うので、そういった語り口調も地域で違うのですよ、文化も違うのですよというふうな具体的な分割をしながら御案内をしていったほうがわかりやすいのかなと。子供たちからそういうふうな教育をしていく、高校生の方々にも勉強していただいて、高校生のジオ博士みたいな形で一緒に勉強しながら、ともに一般市民の方も含めてですけれども、同じ目線で勉強していくということが必要なのではないのかなと。私たちは、私たちで、会で勉強しなければいけないのですけれども、何分にも今までは市のほうから補助金をいただいて活動してきたのですけれども、来年からなくなるような話を聞いているから何とか言ってこいと会長から命令で言われたのですが、何かの形でそういった……。
 こういった写真をするにも結構お金かかるのですよね。私どもは、地元の新聞社が写した写真をコピーしていただいて、1枚1,000円ぐらいするのですけれども、それを自腹切って、用意をして御案内しているような状況なのですが、それだけ好評だったものですから、そういったものを提示しながら御案内するにはちょっとお金もかかってしまうのかなというのがちょっと悩みの種の一つですので、そういった点でも御協力をしていただければありがたいかなと思っています。
 以上です。

紺野地域振興室長

 ありがとうございました。
 實吉様お願いいたします。

實吉義正

 先ほど若干状況については触れさせていただいたのですが、実は世界遺産の話というのはつながっているのですが、実は陸前高田は別な意味での形がありまして、実は小笠原との連携というのが可能な状況が出たのですが、これはちょうど津波のあった年が陸前高田とのつながりが出て170年目だったのです。実は何のつながりかというと、余り詳しくは、時間がないので話せないのですが、今から173年前ですか、小友町で網元の船が、当時は外洋航路の船はないわけで、あくまでも日本の近海のいさば船なのですが、それが台風に遭って流されて、着いた先が小笠原諸島の父島だったのです。あれは、もともと本来、豊臣秀吉の時代に信州の藩主 小笠原貞頼の探検による発見説によって、小笠原という名前がついているのですが、日本の国土であったにもかかわらず、おまえらは異国へ行ってきたということで、陸前高田、大船渡市の乗組員たちが船ごと捕まるのです。漂流して助けられるのですが、船も修理してもらって、航海術も教えられたということなのですが、そのとき住んでいた人は白人系で、女の方々はポリネシア系だということで、実は鯨とりのヨーロッパ人、アメリカ人が鯨をとるよりは補給基地にしたほうが金がもうかるということで、現地のポリネシアの人たちを奥さんにして二十五、六人の人が住んでいたと。そのときの頭目がセーボレーという人だったのですが、たまたま私が観光協会にかかってきた電話を受けたのが小笠原村の教育委員会の教育課長で、私セーボレーと申しますと言われたときに、私は一瞬「えっ」という、どこかで聞いた名前だと思ったのですが、170年前に日本の高田の人たちを助けた人がセーボレーなのですが、その方のひ孫に当たる方が小笠原村役場の教育課長をやっていて、何とかつながっていきたいと。
乗組員が江戸幕府の厳しい追及を受けるのですが、隠して持ってくるのです、外国人からもらったものを。それがバイブルとギアマンの器とあとコブラン織とか、何種類か持ってきたものを高田市立博物館に寄贈されていたのですが、今回の津波でそれがどこかに行方不明になったのです。それを貸し出してくれと、イベントをやるので。それで小笠原とのつながりができたのです。小笠原も自然遺産登録していたわけですが、お互いに平泉と小笠原が世界遺産登録になった暁にはトライアングルによる新しい交流を生かそうではないかという話があったのですが、今回の津波でそれがなかなかできかねて、ただ小笠原村の人たちが今高田に対する支援をいろいろやってくれています。そういったこともあるので、これは一つの今後の我々のもう一つのつながりの、絆のつながりの中で生かしていきたいというふうに思っています。
 それから、ジオパークについては、先ほど来話がありますけれども、しょせん我々は素人なわけですから、地質学だとか何かの専門家を受け入れる団体ではないわけですから、ぎりぎり最低限の知識があれば十分だと私は思っています。むしろ私は地形の変化だとか、あるいはここから久慈のほうへ行くとテーブルランドですけれども、テーブルランドとリアス式海岸地帯には当然人が住めば、そこで生活が営まれるわけで、営まれれば、そこに発生するのが文化なわけですから、やはりそれらを語るのがジオパークのガイドではないかと。それが大事ではないかなというふうに私は思っています。そういったことも含めて、これから、先ほど佐々木さんのほうでも言いましたけれども、我々も前からつながっている宮城県との関係、それより先に気仙内の大船渡、住田、高田の部分でジオガイドについては、一回私は話をしながら進めていく必要があるだろうというふうに思っていますし、先進地であります田野畑、久慈あるいは釜石等の人たちとも今後そんな形でつながっていければいいのかなと。おらが村だけ、おらが地域だけでは、やっぱりこれからはできないのではないかなというふうに思っております。
 それと、高田の場合には被災状況が岩手県内では一番ひどいわけでございまして、でもこれだけ多くの目が我々東北に向けられるということは、私は歴史上かつてなかったのではないかなというふうに、私は講演に行くと言っているのです。延暦21年以来戊辰戦争に至るまで東北は何回もそういった目に遭ってきて、白河以北一山百文と言われた地域がね。でも、我々の先人はそういう逆境の中でもいろんな人材を輩出してきているわけですよ。ですから、今こそこれだけ温かい多くの目が被災地に向けられている今だからこそ、我々はここからさらに一歩前に向かって進んでいかなければいけないのだろうなと。
 そういった一つの原動力としてこのジオパークを含めたですね、一つは文化の部分を大事にしていかなければいけないのではないかなと。文化という部分を継承していく、つないでいくということは、震災復興に当たってはハード面だとか、インフラ整備は、これ当然なのですけれども、私は人々の心の復興が伴わなければ、真の意味での復興は完成しないだろうというふうに思っております。その人々の心に働きかけるような活動を、我々の活動もどこかでつながっていければいいのかなというふうに思って、私は年齢的にあと何年も生きていないと思っているのですけれども、せめて我々の後輩にその意思をつないでいければいいのかなというふうに思って、自分のできることをできる範囲で精いっぱい取り組むのが今我々に課せられた課題ではないかなと思って前に向かって進んでいきたいと思っています。
 以上です。

紺野地域振興室長

 ありがとうございました。
 まだまだお聞きしたいのではございますが、時間の関係もあって、齋藤局長から所感をまずお聞きしたいと思います。

齋藤局長

 私も実はジオパーク選定の委員さんと一緒に回ったわけですが、皆さんおっしゃるとおり、ジオパークの根本的な考えとは、まさに文化的な営みであるとか、産業活動とか、地域の人々の暮らしが自然とどうかかわっているかというところが大事であるというところがポイントだったように覚えておりますけれども、ですから実はジオのガイドを育成するというのは、ある意味地域起こしにつながる部分もありまして、自分たちの地域をどう知って、そしてそれをどうほかの人たち、ほかから来る方々に説明するかという部分が非常に大きなウエートだと思っていますので、ジオを通して自分たちの地域に向き合っていくというのは大事なことではないかなと思います。
 それから、あとジオに関して非常に熱心な地域と、それから若干そうでない、少し遅れているという御案内ありました。これはやはりそれぞれ地域活動が大事だと思いますし、若干遅れているという感想をお持ちのところにつきましては、もうちょっと地元の観光協会に働きかけるなり、あるいは当該の市町村の担当者に聞いてみるなりして、全体的に底上げできるような形を考えていきたいなと思っています。
 我々も予算要求の最中でありますが、来年度は観光に関しても沿岸局全体で力を入れていくと、特にジオパーク、それから三陸鉄道なども来年全線開通いたします。そういった節目、節目を使いまして、観光、特に教育旅行の誘致に力を入れていこうと考えておりますので、ぜひ皆さんの活動が頼りでございますので、一緒になってやっていただければなと思います。
 あと要望に出ました道路につきましても、早く担当部長に伝えておいて検討させていただきます
 以上でございます。

紺野地域振興室長

 ありがとうございました。

知事所感

紺野地域振興室長

 では、最後になりますが、知事からお願いします。

達増知事

 皆様の話を伺っていて大変頼もしく思いました。多くの人たちに岩手のこの三陸の自然や、それから生活や産業なども体験してもらって、どんどん多くの方に来ていただきたいし、またいただけるのではないかなというふうに思いました。
 いろんな予算関係とか、いろいろ不便していることとかについては、どんどん県のほうにも言っていただければと思いますので、頑張ってまいりましょう。今日は本当にありがとうございました。

閉会

紺野地域振興室長

 皆様、本日は大変貴重なお話をいただきましてありがとうございました。
 これをもちまして、県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了させていただきます。

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