「がんばろう!岩手」意見交換会(平成25年12月17日 久慈・九戸地区高等学校)

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ページ番号1000874  更新日 平成31年2月20日

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日時

平成25年12月17日(火曜日) 13時00分から14時00分

場所

岩手県立久慈工業高等学校 美術室

出席者

  • 参加者(敬称略)
    藤森 春香(岩手県立久慈工業高等学校)
    広内 美緒(岩手県立久慈高等学校)
    畑川 みなみ(岩手県立久慈高等学校・長内校)
    中舘 凌我(岩手県立久慈東高等学校)
    山本 拓実(岩手県立種市高等学校)
    芦口 和哉(岩手県立大野高等学校)
  • 県側
    達増知事
    水野秘書広報室長
  • 司会
    佐々木 直美(岩手県立久慈工業高等学校副校長)

開会

佐々木副校長

 それでは、ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催いたします。

 本日御出席いただきました生徒の皆さん、また野田村長様、久慈市様には御多忙のところお越しくださいまして誠にありがとうございます。心から感謝申し上げます。

 私は、本日の進行役を務めさせていただきます岩手県立久慈工業高等学校副校長の佐々木と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1


佐々木副校長

 それでは、開会に当たりまして知事から一言御挨拶をお願いいたします。

達増知事

 皆さん、こんにちは。「あまちゃん」でも暦の上ではディセンバーという歌が出てきますが、師走は忙しいということで、そういう忙しい12月、学校関係も特にいろいろ忙しい12月のこういう時期にこのように集まってもらいましてありがとうございます。付き添いの先生方もどうもありがとうございます。この場所を用意くださいました久慈工業高校の先生方もありがとうございます。今日は村長さんにもいらしていただいておりまして、「がんばろう!岩手」意見交換会、これは東日本大震災からの復興に力を注いでいる岩手のそれぞれの地域や分野の活躍している皆さんの話を知事が直接聞いて、県の政策、特に復興関係の政策に役立てようというものです。

高校生の皆さんは、まず学習、それからクラブ活動、生徒会活動など、そういった元々、高校生がやるようなことをしっかりやっているということで地域の未来を切り開き、地域の振興にも貢献をしている、そういう存在なわけでありますけれども、東日本大震災の後、ボランティア活動でありますとか、また復興関係の交流活動など、いろんなところにも活躍の場を広げてもらっていて、ドラマ「あまちゃん」でも主人公は高校生で、その高校生が一歩前に出て頑張ることで地域が活性化し、そして復興も進んでいく、そういうドラマと同じようなことが現実の岩手でも起きていて大変心強く思っています。そういう意味で、高校生の皆さんも非常に大きな復興の担い手でありますので、今日はその高校生の皆さんの話を聞くことが出来ることを楽しみにしてやってきました。よろしくお願いします。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 それでは、本日御出席の皆さんをご紹介いたします。

 出席者を名簿順に紹介しますので、紹介されましたならば起立をして挨拶をお願いします。

 岩手県立久慈工業高等学校、藤森春香さんです。

藤森春香

 皆さん、今日はよろしくお願いします。

達増知事

 よろしくお願いします。

佐々木副校長

 岩手県立久慈高等学校、広内美緒さんです。

広内美緒

 本日はよろしくお願いします。

達増知事

 よろしくお願いします。

佐々木副校長

 岩手県立久慈高等学校・長内校、畑川みなみさんです。

畑川みなみ

 本日はよろしくお願いいたします。

達増知事

 よろしくお願いします。

佐々木副校長

 岩手県立久慈東高等学校、中舘凌我さんです。

中舘凌我

 本日はよろしくお願いします。

達増知事

 よろしくお願いします。

佐々木副校長

 岩手県立種市高等学校、山本拓実さんです。

山本拓実

 本日はよろしくお願いします。

達増知事

 よろしくお願いします。

佐々木副校長

 岩手県立大野高等学校、芦口和哉さんです。

芦口和哉

 よろしくお願いします。

達増知事

 よろしくお願いします。

佐々木副校長

 県からは達増知事です。

達増知事

 よろしくお願いします。

佐々木副校長

 水野秘書広報室長でございます。

水野室長

 よろしくお願いします。

佐々木副校長

 なお、本日は小田野田村村長、久慈市様にもお越しいただいております。

小田村長

 よろしくお願いします。

佐々木副校長

 それから、本日は皆さんの御手元に飲み物と御菓子を準備しております。御菓子は、地元まるきん大沢菓子店さんから「興福」という御饅頭です。こちらになります。それから、「北リアスの砂浜に魅せられて」という御菓子を準備しています。まるきん大沢菓子店さんは、津波で被災しましたが、全国の御菓子職人さんからの支援を受けまして、御菓子作りを再開しました。「興福」は地元の復興に願いを込めて作られておりまして、野田のくるみと野田塩、あと黒あんでまとめられて、まろやかな味わいを作り出しています。また、「北リアスの砂浜に魅せられて」は、十府ヶ浦海岸をイメージして白あんで作られています。どうぞ皆さん、飲み物や御菓子を召し上がりながら、リラックスして御参加いただければと思います。よろしくお願いいたします。

懇談

写真:懇談会の様子2


佐々木副校長

 それでは、早速懇談に入らせていただきます。着席の状態で構いませんので、初めに自己紹介を兼ねまして、お一人4分くらいで、今皆さんが学校や地域で取り組まれていることなどをお話しいただきたいと思います。

 それでは、名簿順で藤森さんからお願いします。

藤森春香

 久慈工業建設環境科2年の藤森春香です。私たち工業生は、さまざまな形で野田村の復興に関わってきました。その中で、3つの活動についてお話しします。

 去年の12月上旬に野田村漁港でホタテ祭りに生徒会と野球部と3年生がボランティアとして参加しました。工業ブースでは、自転車を漕いで発電する機械や木の板を組み合わせてイルミネーションをしたツリーを展示して、多くの方々に見てもらいました。また、漁協ブース、ステージ係などの仕事も手伝いました。漁協ブースでは、ホタテを焼いたり、箱詰めなどをしていました。みぞれが降ったり止んだりしていてとても寒い中でしたが、多くの方が来てくれました。来てくれたお客様に楽しんでもらったので、良かったです。また、建築の実習で作成した木のベンチを役場前や鳥居前などに設置しました。村民の方の役に立てれば良いと思います。こうした活動にこれからも積極的に取り組んでいきたいです。

私は10月8日から10日にかけてインターンシップで野田村役場に行きました。そこで復興について知ることができました。下安家漁港と玉川漁港の防波堤の設計図を見ました。その設計図には、3年後までのことがきめ細かく書かれていました。野田村が少しずつ復興しているのが分かりました。完成までにはまだ時間が掛かりそうですが、少しでも早く完成したところが見たいです。この防波堤を作るのに久慈小学校の旧校舎を取り壊して出てきたコンクリートを野田村の防波堤に利用するそうです。無駄遣いを避けて再利用されているところが地域経済にも、地球にも優しいと思います。私は、野田村のために様々なボランティア活動をしていきたいと思います。

 久慈工業は、今波に乗っています。野球部を初めソフトテニス部、ウエイトリフティング部が活躍しています。皆さんもご存じのとおり、野球部は夏の大会でベスト8、秋季大会で準優勝という好成績を残しました。ソフトテニス部は個人戦、間明・新山ペアが東北大会出場、沿岸大会団体戦では、男子は優勝、女子は第3位という好成績を残しました。女子ソフトテニス部は、人数がとても少ない中、このような成績を残すことが出来て本当によかったです。ウエイトリフティング部では、土内さんが東北大会で優勝し、インターハイに出場しました。ウエイトリフティング部は生徒だけではなく、職員の芦渡翔先生が日本一という素晴らしい結果を残しました。このような活躍が野田村復興の追い風となることを期待して、これからも今以上の活躍が出来るように日々努力していきたいと思います。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 それでは、広内美緒さんお願いします。

広内美緒

 久慈高校2年、広内美緒です。私は、今年キズナプロジェクトという国際交流事業に参加し、アメリカに行ってきました。このキズナプロジェクトというのは、東日本大震災による被害やそこからの復興をしていく様子を外国の方々に正しく理解してもらうというのが目的で行われた事業です。

 久慈高校からは、私を含めた11人が参加し、震災に関するプレゼンテーションを英語で発表したほか、現地での観光やホームステイを楽しんだり、日本語学校や日本大使館を訪問したりしました。

 活動の内容のメインとなる震災のプレゼンテーションでは、久慈市に以前あって、今は「まちなか水族館」としてリニューアルをした「もぐらんぴあ」、それから普代村の防波堤など自分たちの身近にある地域を取り上げて岩手の、そして久慈地域の被災状況や復興の様子を伝えるとともに多くの支援や応援をいただいたことへの感謝もしっかりと伝えてきました。

 アメリカでは、行く先々で日本は大丈夫か、元気かと声を掛けられました。外国には震災から約2年経った今でも被災した日本のことを気に掛けてくれていることを現地に行って身をもって知りました。そうやって心配をしてくださっている外国の方々に日本の復興に向けて前向きに頑張っているというその姿を知ってもらう、アメリカではそういう活動が出来たと思います。

 日本に帰ってきた後も学校の文化祭でプレゼンテーションを発表する機会をいただきました。これは、私たちが現地でどのようなことを経験し、何を学んだのかを報告するためだけではなく、地域の皆さんに震災から約2年経って、薄れつつある震災の記憶、震災の怖さとか、悲惨さなど、そういったものを思い出してもらって、いま一度震災を考えてもらうためにもアメリカで発信してきたものを、今度は自分たちの地域で発信しようということで企画をしたものです。

正直震災をテーマにしたものを楽しい文化祭の雰囲気の中で発表するということで少し不安がありました。しかし、多くの方が私たちの発表に耳を傾けて、真摯になって聞いてくれました。震災から長い月日が経つとあの悲惨な大震災を経験しても記憶が風化して、普段の生活の中で思い出すということはあまりしなくなるものだなと思いました。私自身もそうです。しかし、学校の文化祭の発表を通して、私は地域の方々に、そして自分自身にも東日本大震災と改めて向き合うきっかけを与えることが出来ました。

今日またこうして震災についていろいろな考えを持ったメンバーと集まって話し合うという機会に巡り会えたことをありがたく思って、今日また学んだことをこれからの生活に生かしていきたいと思います。

以上です。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 それでは、畑川みなみさんお願いします。

畑川みなみ

 岩手県立久慈高等学校・長内校から参りました畑川みなみです。

 私は、今年の4月長内校に入学しました。私は、中学の頃から体調があまり良くなく、朝の授業は受けられないため、1時から授業が始まる長内校に入学しました。長内校は、昼間部と夜間部のある全校生徒57人の定時制高校です。長内校には私のように学校にあまり行けなかった人やアルバイトをしたい人、勉強が苦手な人など様々な生徒がいます。全日制の高校のように3年で卒業する人もいれば自分のペースに合わせて4年で卒業する人もいます。中学校や小学校にあまり行けなかった人もいるので、授業内容はあまり難しくありません。基礎的なことから教わっています。また、様々な授業で季節の行事に合わせた授業をするのでとても楽しいです。今年は花見、七夕、ハロウィン、クリスマスに関連した授業をしました。

 私が長内校に進学した理由は、体調不良のほかにもう一つあります。それは、大学への進学指導をしてくれるということです。様々な理由で全日制の高校に行けなかった人たちが長内校で勉強して何人も大学に進学しています。授業は基礎的な内容ですが、添削指導では一人一人の進路希望に合わせて個別の指導をしてくれます。

長内校は小さい学校ですが、様々な個性の生徒がそれぞれの目標やペースに合わせて頑張っている学校です。個性豊かな生徒たちですが、みんなフレンドリーで先輩や先生との交流も多く、私も入学してからとても楽しい生活を送っています。

 以上です。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 それでは、中舘凌我さんお願いします。

中舘凌我

 久慈東高等学校2年の中舘凌我です。東日本大震災で被災した生徒を代表して参りました。学校では、情報ビジネス系列に所属し、商業の科目を学習しています。商業に関する専門的な勉強は高校に入ってからですが、情報処理やプログラミングの授業が面白くて情報分野に興味を持っています。部活動は野球部に所属しています。

 さて、震災以降、本校が取り組んでいることを御説明いたします。本校は総合学科高校であり、普通教科だけでなく色々な専門分野の中から自分の興味・関心に応じて科目を選択しています。私の所属する商業系の情報ビジネス系列のほかに環境緑化、海洋科学、食物、介護福祉の各系列で専門的な学習に励んでいます。それぞれの学習内容は異なりますが、地域との関わりを重視しています。例えば情報ビジネス系列では、地域のイベントや文化祭での販売実習を通し、地域の方との交流を図っています。また、校内では専門の枠を越えて食物系列と海洋科学系列が連携して商品開発などにも取り組んでいます。昨年度は、家庭クラブが研究している「きなこクッキー」を海洋科学系列の缶詰製造器でパッケージして、情報ビジネス系列で販売方法を研究する活動に取り組みました。こういった枠組みに捉われない体験が柔軟な発想を促し、地域復興のビジョンを描ける人材作りにつながると私は思います。

 次に伝統行事についてです。毎年2年生が久慈秋祭りの郷土芸能パレードに「総合的な学習の時間」の一環として参加しています。今年は「あまちゃん」ブームで例年以上の観光客が訪れたと聞きました。多くの人たちの前で私たち高校生の姿を見せる、それだけで地域に活力や元気を与えると私は思います。

 野球部の試合でもたくさんの方から応援をいただくのですが、私たちの一生懸命な姿から元気や勇気を貰ったと声を掛けられることが多くあります。震災以前は特に感じなかったのですが、震災以降、特に高校生になってから、私たちの学校生活や日常生活が地域のたくさんの人たちに見られ、そして、刺激を与えているのだと実感しています。このほかにも生徒会執行部が震災復興をテーマに管内の高校の生徒会執行部との交流会を開いたり、美術部が作った絵本を使って保育所との交流会を開いています。学校が大きいので、いろんな角度から地域との関わりを意識して取り組んでいます。

 以上です。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 それでは、山本拓実さんお願いします。

山本拓実

 種市高校海洋開発科1年、山本拓実です。私は、宮古市立田老第一中学校出身で、潜水技術を学ぶために種市高校に入学しました。中学1年のとき東日本大震災の津波を受け、家は被災しました。家族は田老の仮設住宅で生活をしています。私は、現在洋野町内に下宿をしながら学校に通っています。知らない土地で親元を離れての生活は大変でしたが、やっと慣れてきました。学校では、潜水や測量実習などの土木系の勉強をしています。また、部活動は卓球部に所属をしており、日々の練習に励んでおります。本日はよろしくお願いします。

達増知事

 潜ったりはしているのですか、あの格好で。

山本拓実

 はい。

達増知事

 良いですね。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 芦口和哉さんお願いします。

芦口和哉

 大野高等学校2年の芦口和哉です。大野高校では生徒会長を務めています。

 私たちの学校で行なった復興に関しての取り組みを紹介したいと思います。まず、昨年度の取り組みです。学年では、総合的な学習の時間に復興教育をしました。まず、震災についての意識調査から始まって、そこから班ごとに分かれて復興に関する新聞をまとめました。その新聞は、文化祭で展示発表をしたり、また模造紙にもまとめ、学年発表も行いました。それらの新聞をまとめて2月にはこのような「復興に向けて」という冊子も作りました。

 詳しい内容ですが、3.11の震災当時の様子を調べた班や復興への取り組みについて調べた班、その中でも原子力発電所について調べた班やボランティア活動について調べた班があります。私たちの班では、夏休みに実際に野田村を訪れて、野田村役場の方にお話を伺いました。野田村の状況を聞いたり、実際に様子を見てみると自分たちも訪れたことのあるこの野田村がこのようになっているということを受けて、震災や被害を身近に感じることが出来ました。また、その際には仮設店舗で復興支援ということで食事をしてきました。今日も行こうと思ったのですが、休みだったので、ちょっと残念でした。

 次に、学校で行なった取り組みです。開校記念講演会で復興教育講演「被災地で今求められていること」と題して、釜石で活動されているNPO法人の宮川照代さん、坂むつみさんに講演をしていただきました。また、キズナ強化プロジェクト、被災地を訪れる海外の学生たちの取り組みで中国人大学生との文化交流がありました。夕食交流、ナニャドヤラ交流を行いました。また、日韓スカウト交流事業ということで、韓国からも107名の中高生が来て大野高校を紹介したり、授業見学をしたり、また夕食交流、ナニャドヤラ交流を行いました。被災以降3年連続大野高祭の売り上げを寄附しています。今年は洋野町社会福祉協議会を通じて復興支援をしました。

 今年度の取り組みです。今年の1年生は、総合的な学習の時間に地元の魅力について学んでいます。これは、いろいろな災害時に地元が協力していくことが大切だということで、まずは自分たちの地元の良さを学ばなければならないということで取り組んでいます。今年の開校記念講演会でも復興教育講演ということで、洋野町の復興状況と大野の魅力、洋野町特定政策推進室の番沢鋭治さんと宮本慶子さんに講演をしていただきました。宮本慶子さんは横浜出身の方で、普段、私たちが当たり前だと感じていたこの地域の魅力を教えていただきました。

 以上が本校の取り組みです。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 今各学校での取り組み等を自己紹介含めていろいろな話をお聞きしました。

 それでは、達増知事からお話をいただきたいと思います。

達増知事

 まず、皆さんがそれぞれ自分の高校で学習やクラブ活動や、それから生徒会活動を通じて、まず自分を高めるということをしっかりやっていることを大変心強く思いましたし、またそうした活動が地域の皆さんとも一緒になって、またキズナプロジェクトのようなこういう復興関係の新しいプロジェクトと連動して外国の人たちとも繋がりが出来てきているということ、大変素晴らしいことだと思います。

 復興の力というのは、ずっと仕事をしていて思うのは、地元の底力プラス様々な繋がりの力、これが合わさって復興の力になるという風に思います。まず、地元の力ということが大事で、それはまず一人一人が自分の力を出し切って、そして地域としてまとまりある活動をしていくこと、プラスそこに様々な繋がりの力でこの地域の外も広く全国だったり、あるいは外国の人とも繋がっていくような、そういう力が復興の力になるのですけれども、この久慈地域においてそういう力が高校生の活動の現場でも力がどんどん高まっているということを感じました。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 まだ皆さん大分緊張しているような感じがしますので、少しリラックスして、御手元の御茶と御菓子を開けてみませんか。

 まず、「興福まんじゅう」お薦めです。

達増知事

 アメリカについては、私も今年8月にアメリカに行って復興の報告会をして、アメリカの人たちとも会ったのですけれども、私もアメリカの人たちが東日本大震災から2年何カ月か経った時点だったのですけれども、今被災地がどうなっているのかということにとても強い関心を持っていて、そして今からでも何かしたいという思いを強く持っている、そういう皆さんがたくさんいるというのを感じて、やはりそういう皆さんとの繋がりを大事にしなければならないと思いました。

佐々木副校長

 先ほどアメリカで発表してきた広内さんどうですか、英語でプレゼンテーションしてきたと言っていましたけれども、その時の現地のアメリカの方々の反応というのはどんな反応がありましたか。

広内美緒

 プレゼンテーションの内容ですか。

佐々木副校長

 はい。

広内美緒

 実際の被災地を撮った写真を使ってのプレゼンテーションを行なったのですけれども、写真を見た現地の方々の表情というのはやっぱり悲惨だなというような表情していて、それでも復興に向けての取り組みというのを紹介していくと何か安心したような表情をして聞いてくださっていたのがすごく嬉しくて、プレゼンテーションが終わった後に現地の方々が来ていただいて、今後も支援をしたり、応援をしたりしていくから日本、そして皆さんも頑張ってもらいたいというメッセージを受けて、とても勇気付けられました。

佐々木副校長

 今ちょうど眼下に、野球部のグラウンドが見えます。高台移転工事の関係で造成が始まりまして、山が無くなり、学校から十府ヶ浦の海岸が見えます。津波当時は堤防を越えて村に波が入ってきたのですが、復興公園の建設ということで、一関の遊水地みたいに津波を受け止める公園を今建設中です。要するに、津波を防ぐという考え方ではなくて、避難する時間を確保するという公園が造られています。ちょうど見えますので御覧ください。生徒さんはまだ御菓子を食べていないようですので、お食べになりながら見ていただきたいと思います。

 それでは、着席の状態で構いませんので、続きましてお一人4分くらいで皆さんが地域の復興を含めてこれからの岩手に望むこと、あと自分の夢とか将来どのようなことをしていきたいかなどお話ししていただきたいと思います。名簿の順番で藤森さんからお願いします。

 それでは、藤森さんお願いします。

藤森春香

 3つのことについてお話しさせていただきます。

 1つ目は、国際社会の中での相互援助の重要性です。私たちは、東日本大震災で顔も名前も知らない多くの方々から被災地のための支援や励ましの言葉をたくさんいただきました。それは、日本全国だけではなく、海外からもいただきました。今の私たちがあるのはそんな方々の御蔭で、幾ら感謝してもしきれません。

 先日台風30号がフィリピン中部を直撃しました。約1万人の死者を出すほどの被害がありました。医療品不足や食料不足などにより暴動も起こり、その犠牲者も出ています。せっかく助かった命も、これでは何のために助かったのか分からなくなります。こういった現状を抜け出すためには、フィリピンに支援や励ましの言葉を送ることだと思います。今度は私たちが助ける番です。

 久慈工業高校生徒会は、フィリピンへの募金を始めます。より多くの募金が集まるように募金箱は生徒の目につきやすい生徒昇降口に置くことを考えています。久慈工業高校だけではまだまだ力が足りません。岩手県が一つになり、募金活動や支援などをしていくことにより、日本全国や海外に支援の輪がどんどん広がり、フィリピンが復興への糸口を見つけることが出来ると思います。

 2つ目は、自然と人間の共生です。野田村には村道、県道、国道が通っていますが、主に使うのが国道です。その国道が被災の時に瓦礫で塞がれていて使えませんでした。そこで、高速道路や迂回路などを早く整備して欲しいと思います。震災後の今の沿岸地域には、以前ほど緑がありません。震災前の面影はどこにもありません。もちろん風景を震災前に戻すのは不可能に近いと思います。しかし、だからこそ震災前よりも綺麗な自然を取り戻すと同時に、インフラの整備も進め、沿岸地域を一人一人が協力し合い、築き上げていくことが大切だと思います。

 3つ目は、私の将来の夢です。私は、人のためになる仕事をしたいと思います。久慈工業高校に入学したのは将来建築士になりたいと思ったからですが、それは震災を受けて建築に興味を持ったのがきっかけでした。もし建築士になったら、自分の家や被災した人たちの家を建てたいと思います。

実は、私にはもう一つ小さい頃からの夢があります。それは看護師です。私は、母が看護師の仕事をしている姿を間近で見てきました。患者さんたちが「ありがとう」と言っているのを聞いて、私はこんな風になれたら良いなと思い、困っている人や病気に苦しんでいる人たちの役に立ちたいと思いました。どちらの夢を叶えるにしても、今以上の努力が必要になることは間違いありませんが、そのために勉強や生徒会、部活動を頑張っていきたいと思います。

 以上です。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 それでは、広内美緒さんお願いします。

広内美緒

 私は、現在仮設住宅で暮らしています。仮設住宅に入居して約2年経った今でも自宅の再建の目途は建っていません。ほかにも同じような境遇の人がいると思うのですけれども、きっと金銭的な問題だったり、土地の問題だったり、それぞれ様々な問題があって再建への一歩が踏み出せていないのが現状だと思います。

 仮設に住める期間というのは2年から3年という話を聞いたことがあるのですが、きっと恐らく我が家も3年後は多分まだ仮設住宅で暮らしているのではないかなと思っています。しかし、仮設住宅での暮らしというのは、慣れればそんなに悪くないものです。私の場合ですと、自分の部屋も持っていますし、隣の人とも仲良くやっています。そういう点では、家があった頃とはそんなに変わりはありません。しかし、仮設住宅特有の結露、それからカビの問題にはすごく困っています。特にこの時期ですと、屋内と屋外との気温差によって結露が発生し、それの水滴が床や窓、それから壁にしたたって、それがカビの発生を促進していると。私のように若く丈夫なら、それほど害はないと思うのですが、入居者の多くは高齢者です。カビは人体に悪影響を及ぼす可能性があります。

そのカビの原因となっている結露、これは我が家では毎日のように拭いて、除去しているのですけれども、この作業がすごく大変な時もあるのです。私がやっても軽く汗が出るほどの作業なのですが、これを高齢者がやるとなると、さらに重い労働になるかと思います。結露を気にしていない入居者もきっといらっしゃると思うのですが、それに関係なくカビというのは発生します。先ほど私の体は丈夫だと言ったのですが、中学の頃カビが原因でマイコプラズマという肺炎を発症し、しばらく学校を休んでいたことがありました。恐らく絶対にとは言えないのですけれども、仮設のカビが原因だと思っています。カビがある部屋というのは、衛生的にも良くありません。きっと高齢者や乳幼児には体に悪影響を及ぼしたり、私のように病気を発症したりというきっかけになる恐れもあります。結露しにくい、カビが生えにくいように仮設住宅を改良して欲しいとは言わないのですけれども、高齢者や乳幼児のいる仮設住宅にカビの処理や結露の除去などを代理でやってくれるボランティアというのを派遣するような取り組みをしても良いのではないかなと考えています。ここまで仮設住宅でより良く快適に生活するための提案というのをさせていただいたのですけれども、一日でも早く仮設住宅から出ることが私の、そして私の家族の夢でもあります。

 私は、今県外への大学進学を目指して勉強しています。早くて約1年半後には多分地元の場所から離れて県外で暮らして様々な活動をしていると思うのですが、またそこから地元に帰って来て、その時に今より復興が少しでも進んで町に潤いが戻っていれば良いなと思っています。

 以上です。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 それでは、畑川みなみさんお願いします。

畑川みなみ

 私が岩手に望むことは、県民の復興への意識が高まることです。岩手は、全国で一番広い県であり、県内の被害の様子にも大きな差があります。私の父は、岩手県立種市高等学校で船の機関士をしており、あの地震があった日は、船を守るために沖に出て行きました。幸いにも2日後には怪我も無く帰ってきて安心しましたが、県内では2年経った今でも行方不明者が1,000人以上いると聞きました。私の住んでいる地域と被害の大きかった地域を比べるものではないかもしれませんが、やはり肌で感じる辛さは違うと思います。広い県だからこそ、被害の大小があるからこそ岩手県民が一つとなって復興に向かっていかなければならないと思います。そのためにも県民一人一人が岩手の今を知る必要があります。

私自身岩手のどの地域で、どのような被害があったか問い掛けられたら、すらすらと答えることは出来ません。私は、もっと震災について知り、復興に向けてどのような行動が出来るか知らなければならないと思いました。そのためには、高校在学中にどの職業がどのように復興に関わるのか、自分たちの個性がどのような職業に生かされるのかを勉強する機会が欲しいと思いました。例えば私は小さい頃からピアノを習っており、将来は音楽関係の仕事に就きたいと思っています。この気持ちと音楽をどうすれば復興の力になれる職業は何かという知識をリンクさせることによって、進路目標が具体的に定まりますし、勉強への意欲が高まります。自分が演奏者として関わったり、福祉関係の仕事で関わることも出来るでしょう。また、教育や医療の一環として関われるかもしれません。

このように復興にどのように関われるか、私たち高校生が勉強することによって、私たちが社会人になる時に県民の復興への意識が高まるのではないかと思っています。私が出来ることは少ないかもしれませんが、今は岩手のことをもっとよく知って、私に何が出来るか、復興に必要なものは何かを考えていきたいです。

 以上です。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 それでは、中舘凌我さんお願いします。

中舘凌我

 私の自宅は野田村にありますが、津波で流されました。あの震災では多くの方が津波で命を失ったり、家を流されたので、辛い思いや今後の生活への不安を抱えている人はまだたくさんいると思います。だから、出来るだけ早く防波堤と新しい住宅地の整備をして欲しいです。防波堤は、次に大きな地震が起きて津波が発生したとしても完成さえしていれば被害を最小限に抑えることが出来ると思います。

 数日前、学校で防災セミナーの講演を聞きました。今回の震災のように地震に伴う津波だけでなく、アウターライズで発生する地震は揺れが小さくても大きな津波を引き起こしますし、遠隔地で発生した大地震でも津波が発生した事例を教わりました。だからこそ被害を抑えるという本来の役割以外にそこに防波堤が存在して、それが私たちの目に見えることで安心した日常生活を送ることが出来ると思います。

また私は仮設住宅で生活しています。2年半住んでみて生活環境は悪いと思います。贅沢を言ってはいけないと思うのですが、夏場は蒸し暑く、冬場はとても寒いです。また、隣に住んでいる人に迷惑を掛けないように気を配りながら生活しています。私は野球部の朝練があるので、朝は早く、夜は遅く帰宅します。そのため、生活面にはとても気を配っています。震災前の生活と比べとても生活しづらいと仮設住宅に住んでいる人たちも感じていると思います。だからこそ復興公営住宅の更なる整備と高台の住宅地の整備を早く進めて欲しいと思います。仮設住宅で生活しているからこそ、次の家は震災前に当たり前にあった住み心地や住みやすさを取り戻したいと思います。

私は、大学進学を希望しています。専門に学んでいる情報分野の知識を大学で深めたいと考えているからです。将来は商業科の先生になって、岩手県に貢献したいと思っています。それが叶わなくても情報分野の知識と技術を生かした仕事でふるさとに貢献したいと思っています。ただ、大学進学にはどうしてもお金が必要です。私のほかにも被災した高校生の中には、大学進学を考えていても、親に金銭面で大きな負担は掛けられないという思いがある人がいると思います。私の母は再就職先を見つけるのに苦労をしたり、お金の面で心配しています。いつまでも人に頼ってばかりではいけないのですが、勉強にはどうしてもお金が掛かるので、経済面での更なる支援を希望しています。

また、将来は地元で働きたい、地域に貢献したいと考えている高校生や大学生は多いと思います。地域を立て直すのは自分たちしかいないという気持ちもあります。知事には高校生や大学生が地元に戻って就きたい仕事に出来るだけ就けるような地域振興や景気対策をお願いしたいです。

 以上です。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 それでは、山本拓実さんお願いします。

山本拓実

 先ほども話しましたが、田老は津波の被害を受け、壊滅状態になりました。震災から2年9カ月が経過し、瓦礫などは撤去されましたが、町の復興は依然として進んでいないように感じます。そのような中でも、私が卒業した中学の校歌に次のような歌詞があります。「防浪堤を仰ぎ見よ、自然の津波幾たびぞ、乗り越えたてし、我が郷土、父祖の偉業や跡つがん」、この歌詞でも分かるように、何度津波に襲われても復興してきた歴史があります。命てんでんこの伝統もあります。私も田老の先人たちのように復興の一助になれるよう種市高校で様々なことを学び、それを生かして田老に貢献したいと思います。田老の人たちは、海から離れての生活は考えられません。私もその一人です。また、県に望むことは、震災から3年近くたった今、PTSDの症状が現れた人もおり、被災者の中にもまだ病気に気付いていない人がいると思うので、対策を考えてもらいたいです。

 次に、災害公営住宅に入居する時は集落、コミュニティーごとにして、高齢者も安心安全に暮らせるようにするとともに雇用の場を確保し、若者が町に残り、子育てが出来る環境を整えて欲しいです。

 最後に、2016年にはいわて国体が開催されます。宮古市では、セーリング、レスリング競技が行われますが、宿泊施設の整備や三鉄の早期復旧が町おこしの第一歩となると考えています。

 以上です。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 それでは、芦口和哉さんお願いします。

芦口和哉

 私は、震災のことを忘れないような取り組みを望みます。今年度復興講演をして自分で強く思ったことは、震災のことがとても昔のようなことに思われて、自分の中でも忘れ掛けていると強く感じました。実際に自分が大きな被害に遭ったわけではないにしても、絶対に忘れてはならないことだと思います。この経験をこれからに生かすためにも自分が忘れないように気をつけることはもちろんですが、県でも更に取り組んでいって欲しいなと思います。

 具体的な取り組みとしては、今やっている以上にテレビやニュースで取り上げてみたり、復興に関するチラシや新聞、本などを学校とか家庭に配布すれば手に取るところに震災のことがあっていつまでも忘れることがないのではないかと思います。

 また、地域を、岩手を盛り上げるということで岩手のブランド化というアイデアを出しました。今あるブランドを更に宣伝するのはもちろんですが、新たにブランドを作っていって地域を盛り上げていったら良いと思います。

 本校のいくつかのクラスでアンケートを採ったのですが、たくさん出た中で特に面白かったものを紹介したいと思います。「あまちゃん」のブランド化、大野木工のブランド化、きれいな星空のブランド化、特に洋野町からは美しい星空が見えます。岩手寿司ということで、岩手で採れる食材などを使って寿司を作ってみるというアイデアや、岩手マツタケ、岩手の自然をブランド化するという意見も出ました。そのほかには岩手式コンビニと言って、今あるようなコンビニではなく、雰囲気を変えて自然を生かした木材を使ったような建物を使って岩手の食材を売るというコンビニを作るというようなアイデアも出ました。

 私は、将来先生になりたいと思っています。こういった岩手の良さを認識して、自分は岩手をこれから盛り上げていくような人材を育てる側に回り、これから岩手を盛り上げることや復興に少しでも貢献していけたら良いなと思っています。

 以上です。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 皆さんから地域の振興とか、これからの岩手に望むこととか、どんなことに取り組んでいきたいかというお話をいただくことができました。本当にいろいろなご意見ありがとうございました。

知事所感

佐々木副校長

 ここで、今のお話のありました点につきまして達増知事からお話しいただければありがたいと思います。

達増知事

 大変参考になる意見をいただくことが出来たと思います。

 フィリピンの台風については、私も非常に心配をしましたし、今でもしています。岩手県としても県庁の中に募金箱を置いたりとかしていて、そういう取り組みが岩手のあちこちで起きれば良いと思っていたので、久慈工業高校でもそういうことをやるということで、ぜひ思いを形にして欲しいという風に思います。

 それから、仮設住宅生活についてですけれども、まず、元々2年、3年の期間というのがあったわけですけれども、あれは一つの目安で、仮設住宅に住んでいる人が追い出されるとか、急に住めなくなって困るというようなことは、これは絶対に無いようにします。ただ、ずっといられればそれでいいかというわけではなくて、早く次のところに住むことが出来るようにということがやはり大事なので、新しい町作りや新しい住宅地作りを急いでいきます。

ただ、田老の話もありましたけれども、ちゃんと計画を立て、土地の測量をし、土地を平らにし、そして建物を建てていくということにはやはり一定の時間が掛かりますので、その間、長引いていく仮設住宅生活というのが健康面で大変なことにならないように県のほうでも健康面を中心にした仮設住宅の支援というのをこれから更に強化していかなければと思っています。どういうことで困っているか、結露の問題も大変大事だと思います。そういうのをちゃんと仮設住宅の生活の実態に即しながら、生活を出来るだけ快適で、また豊かなものにし、そういう支援をしながら、その次に住む所を早く作っていくということを進めていきます。

 そして、県民の復興への意識が高まるため、心を一つにするには岩手が今どうなっているかを知ること、情報の共有が大切というのは本当にそのとおりと思います。今まで以上に情報の共有ということは力を入れていきたいと思います。そして、それはこの震災を忘れぬようにということにも通じることであります。時間の経過とともに東日本大震災、その後にまたいろんなことが起きますので、忘れないというのは裏から見ると、それは思い出すということで、東日本大震災のことを思い出す機会が減るというのは、これはどうしてもそうなりがちだと思います。ほかにいろいろ思い出すことがどんどんたくさん出てくるので、これは科学的に計算すればどうしても思い出す機会は少なくなり、思い出す時間も短くなっていくのですが、ただ思い出すことが出来なくならないようにということが大事で、毎年の3月11日の日とか、あといろんな要所要所でみんなできちんと思い出して、そしてそれを直接体験しなかった我々の孫や子供の時代にも伝えていけるようにということはきちんとやっていかなければならないと思います。

 そして、田老は特に被害が大きかったし、また新しく作るべき防潮堤の規模や、そして建物の数も多いので、完成するにはほかのところ以上に時間が掛かる所もあるとは思いますけれども、ただそれだけ新しい田老が出来れば、それはもう孫子の代まで、更にその先まで未来に向かってきちんと引き継いでいける、前よりも安全で、前よりも豊かで、そして前よりも素晴らしい、新しい町を作ることが出来るということなので、そこに住んでいる皆さんが一生懸命仮設住宅生活なども我慢しながら頑張っている、その頑張りの量に見合うだけの力をやはり外からも集めて強力な支援の体制を作って、地元の底力だけではなくて、様々な繋がりの力も合わせて、辛い時間が長引けば長引くほど地元の皆さんも苦労はするけれども、その分長い期間ほかの所からの支援というのをほかの所よりも長く多く得ることが出来るので、そういう様々な繋がりの力を大変な所ほど多く集めて、そして自分たちだけでは作れないようなものを多くの支援を集めて作り上げる、そしてそれを未来にきちんと繋げていくということをやっていきましょう。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

 知事からは繋がりの力ということ、あとは課題につきましてお話をいただくことができました。非常に短い時間でありますが、皆さん本当に今日はありがとうございました。

達増知事

 あと自分の将来のことをとても真面目に考えて、そして非常にしっかりした将来を考えているというのは大変素晴らしいと思います。建築士と看護師。看護師の資格を持った建築士さんとかというのもあるかもしれないなと思いながら聞いていましたが、詳しいところは先生の指導を受けながらどういう進路を行けば良いかというのをそれぞれ決めて進んでいって欲しいと思います。

佐々木副校長

 ありがとうございました。

閉会

佐々木副校長

 それでは、皆さん本日は本当に貴重なお話をいただきましてありがとうございました。これをもちまして、県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了いたします。

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