「がんばろう!岩手」意見交換会(平成25年9月11日 北上市)

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ページ番号1000880  更新日 平成31年2月20日

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日時

平成25年9月11日(水曜日)13時00分から14時00分

場所

北上地区合同庁舎

出席者

  • 参加者(敬称略)
    阿部 昌浩(日本料理「モグラ」店主)
    柳下 明(日本舞踊指導者)
    八重樫 重子(開業助産師)
    高橋 義孝(北上市黒沢尻北地区自治振興協議会会長)
    菊池 広人(特定非営利活動法人「いわてNPO-NETサポート」事務局長)
  • 県側
    達増知事、遠藤県南広域振興局長、水野秘書広報室長

開会

遠藤局長
それでは、ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催いたします。座らせていただいて進めさせていただきます。
本日御出席いただきました皆様、大変御多忙なところ御出席いただきまして、ありがとうございます。
私は、今日の司会役、進行役を務めさせていただきます県南広域局の遠藤と申します。
よろしくどうぞお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1


遠藤局長
それでは、開会に当たりまして、知事のほうから一言御挨拶を申し上げます。

達増知事
皆さん、こんにちは。北上市からもいらしていただいて、ありがとうございます。お忙しい中、お集まりをいただきまして、県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会ということでありますけれども、これは県内各地東日本大震災からの復興に取り組むそれぞれの地域で、あるいはそれぞれの分野でそういう最前線で働いていらっしゃる方々、さまざまな取組みをされている方々、そういった皆さんにお集まりをいただきまして、その現場の声というものを伺うことで県の復興の取組みに生かしていこうという、そういう企画であります。今日は、この北上市を舞台に沿岸から北上市のほうに来て活動されている方、また北上市から沿岸のほうに行っていろいろ活動されている方、そうした皆さんに集まっていただいております。今、復興がどういうふうになっているのかという答えは現場にあるというふうに思っておりまして、現状をきちっと見きわめながら、またどういう復興にしていくのか、復興の先にどういう姿を実現するのかということもやはり現場の声に基づいて決めていかなければならないと思っておりますので、参考にしたく是非よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

遠藤局長
ありがとうございました。それでは、本日御出席の皆様を御紹介いたします。名簿に従いまして、日本料理店「モグラ」店主、阿部昌浩様です。

阿部昌浩
よろしくお願いします。

遠藤局長
それから日本舞踊指導者で柳下明様でございます。

柳下明
よろしくお願いします。

遠藤局長
それから開業助産師、八重樫重子様です。

八重樫重子
よろしくお願いします。

遠藤局長
北上市黒沢尻北地区自治振興協議会会長、高橋義孝様です。

高橋義孝
高橋です。よろしくお願いいたします。

遠藤局長
特定非営利活動法人いわてNPO―NETサポート事務局長の菊池広人様でございます。

菊池広人
菊池です。よろしくお願いします。

遠藤局長
県側からは、達増知事でございます。

達増知事
はい。

遠藤局長
また、秘書広報室長の水野でございます。

水野室長
よろしくお願いいたします。

遠藤局長
なお、本日は北上市政策企画課のほうから高橋課長補佐に御出席いただいておりますので、御紹介いたします。

高橋課長補佐
高橋でございます。よろしくお願いいたします。

懇談

写真:懇談会の様子2


遠藤局長
それでは、懇談のほうに入らせていただきます。お手元のところにジュースとお菓子を置いておりましたけれども、今日はこの御当地ということで北上、西和賀地域の菓子と飲み物ということで御用意させていただきました。お菓子でございますけれども、お手元のところですね、これは西和賀町、団平の「極 西わらび餅」でございまして、西和賀のわらびは西わらびで大変有名なのですけれども、そこの根茎から、根っこのところですね、茎のところから取り出したわらび粉という粉を取り出すのですけれども、それを100%使用したものでございます。ちょっとまぜ具合が違って、何%まぜてというのがあるのですけれども、100%使用しているというようなことで、これだけでございますので、大変貴重なわらび餅ということでございます。また、飲み物はJA花巻の北上りんごジュースということで用意させていただきました。お召し上がりながら意見交換ということでございますけれども、ぜひ口にしながら、発表するまで緊張されるかもしれませんが、口に運びながらゆったりした形でいろいろ意見交換させていただければと思います。
今日の進め方は、最初に自己紹介を兼ねまして、皆さんが日ごろ取り組んでいる現状とか、苦労されているとか、そういったお話を最初にしていただきまして、その次に2回に分けて意見交換をさせていただきます。その次は、今いろいろ取り組まれている活動の課題とか、あるいは将来こういうふうに持って行きたいとか、そういったところを2回目のところの意見のところで伺わせていただくという形で進めさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
では、最初に自己紹介も兼ねまして、1人3分程度で今のいろいろやられている御苦労とか、復興支援のために取り組まれていることなどについて名簿順にお話ししていただければと思います。
では、トップバッターで恐縮ですけれども、阿部さんのほうからよろしくお願いいたします。

阿部昌浩
こんにちは。本日は、お忙しい中、このように皆さんにお集まりいただいて意見を言う場を設けていただき、本当に感謝しています。
私は、震災の前に高田で和食「味彩」というお店を15年間開業していました。それで、被災しまして、うちのほうは無事だったので、食べるために高田から一番近くて働きやすい北上に来たのが3月20日ぐらいだと思います。それから、ハローワークで仕事を見つけまして、北上で勤務をして、それでもいろいろしんどくて8カ月ぐらいで辞めてしまったのですけれども、その後いろいろありまして、北上の良さ、いいこともすごくいっぱいあったので、それが忘れられずに、去年の9月にまた戻ってきて料理屋「モグラ」というお店を開業しました。
今に至るのですけれども、いろいろ辛いこととか、そういう悲しいこともいっぱいあったのですけれども、今は語弊はあるのですけれども、地震のせいではなくて、地震のおかげでこういうふうに人と出会えたとか、今日ももちろんそうなのですけれども、地震があったからこういうふうな経験ができたのだなとかいうのをどんどん、どんどん自分の中で増やしていって、これからもっともっと多分大変になると思うので、自分を鍛えて、いつか高田に帰って開業できたらいいなと思います。

遠藤局長
ありがとうございました。
それでは、柳下様お願いします。

柳下明
柳下と申します。よろしくお願いします。北上市役所さんのほうから御連絡があった際に、今日の懇談は復興に向けた活動をしているお話をというふうなことがちょっと触れられてあったので、自分は一人の被災者だけの立場なもので、何か合わないのではないかなと思って、ちょっと抵抗していたのですが、北上市役所さんの担当のお話が上手でこの場にいるようになりました。

遠藤局長
お座りいただいて。

柳下明
そうですか。私は、市役所を50代半ばで退職しまして、舞踊のほうの道、指導ですか、そちらのほうに切りかえ、六、七年たちまして軌道に乗ってきたところで3月11日に遭ってしまいました。私は陸前高田市の広田町の出身です。それで、広田の自宅と、やはり中心市街地に仕事場を構えなければならなくて高田町のほうに新たに土地を購入し稽古場を建てたのですが、残念ながら両方とも跡形もなくなりました。広田小学校で1カ月間避難生活をし、水沢と江刺に親族がいたもので、そちらのほうと、娘がちょうど北上市内に転勤で住んでいまして、アパートでおなかを大きくして、旦那のほうが宇都宮勤務のため一人住まいだったので、小学校の避難後にもう何も考えないで、娘が心配になり、避難所で1カ月間ともにした人たちにちょっと未練がありましたけれども、北上にやってきました。それで、奥州と北上を行ったり来たりしながら、津波のあった年の6月1日から今住んでいる、みなし仮設のアパートにお世話になっております。
それで、何か困ったこととありましたけれども、北上に来まして、6月1日の自分の今のアパートに住む前の2カ月ぐらいはもうあの津波の恐怖とか、そっちのほうの頭だけでバタバタバタバタしながら過ぎたのですが、6月にいざアパートに自分と家内と2人だけで入って、日にちが経過していくと、やはり高田で培ってきた踊りの仕事のほうが少し頭によぎってきました。話が行ったり来たりしますが、水沢方面は若干親族がいたので少しは土地勘はあったのですが、北上はというと、北上の方に申しわけないのですが、本当に冗談にも足を入れたことがなく、それがたまたま娘の転勤で北上に来まして、全然知らない北上で自分の舞踊のほうの関係がほぼできないのだろうなと、そう思いながら2カ月ほどアパートの中に閉じこもって考え悩み、これではうまくないなと思いながら黒沢尻北地区交流センターに自然と足が出向きました。
そこからが私の今があり、高田のような活動は全然ほど遠いのですが、若干北上市内で踊りのほうの仕事もさせてもらっております。その原点は、黒沢尻北地区交流センターにあったのだなと、それがイコール北上の常盤台の住民のおかげさまがあって今自分がこうしております。
すみません、こんなところでよろしいでしょうか。

遠藤局長
ありがとうございます。

それでは、次に八重樫さんお願いいたします。

八重樫重子
開業助産師をしています八重樫といいます。座らせていただきます。
私は、ふだんは北上市内で開業助産師をして、地域の妊産婦さんとか、子供たちの支援をする活動をしています。震災の後に内陸の病院にも仕事させていただいていたのですけれども、沿岸から搬送されてきたり、紹介されてきたりする妊産婦さんが多くて、そのときにこの方たちはこの後、退院された後にどうするのかなとかというふうなことを考えていました。そのときに仲間の助産師と何かできることはないかというふうなことで相談をして花巻の市民活動ネットワーク協議会というところと、あとはやはり同じく花巻の市民団体なのですけれども、お産と地域医療を考える会というところがあったので、そこに相談をして、そこから妊産婦さん、妊婦さんも、あとお産された産婦さんも赤ちゃんも一緒に受け入れようという取組みを始めて4月から8月まで、花巻の石鳥谷の健考館というところで7組のご家族を受け入れて産前から産後、大体1カ月くらいまでのところをお世話をさせていただきました。
その方たちともっと続けてつながっていたいなということから、今度は沿岸のほうに会いに行こうということで行き始めて、あとその方たちだけではなくて沿岸にいらっしゃる赤ちゃん、小さなお子さんを抱えたお母さん方とサロンを開いて、あのころはまだまだ、今もそうですけれども、仮設住宅の狭いところに住んでいて、子供たちを遊ばせるところもなかったし、あとお母さんたちも悶々としていた中だったので、そこで手づくりのおやつを持って行ったり、あとは支援の物資を持って行ったりとかしていろいろお話をしたり、あと子供たちを伸び伸びと遊ばせられるというふうな時間をつくろうということで月1回くらいの割合で今も活動しています。活動しているところは、釜石と宮古、それから遠野市ですね、遠野も被災されて避難している方がいらっしゃるので遠野。あとは花巻で復興支援団体のゆいっこさんというところがあるのですけれども、その方たちと一緒に花巻でも花巻に避難している方たちのお茶会をしたりとかというふうなことで、これを合わせて月2回くらいの活動になりますかね。というふうな形で続けています。もう少しで2年になるのですけれども、延べにすると多分700人くらいのお母さんたちとお子さんたちとつながっていろいろとお話をさせていただいているかなという状況です。

遠藤局長
ありがとうございました。
それでは、次に高橋さんお願いいたします。

高橋義孝
高橋義孝といいます。座らせてもらいます
現在黒沢尻北地区の自治振興協議会の会長と黒沢尻一区の区長をやっていますけれども、ちょっと変わっていて、私は実は秋田の人間なのです。すぐ東京に行って株式会社リコーでカメラの仕事をやっていて、花巻に工場が移って、そこで定年退職を迎えました。定年後は何か地域のために貢献しなくてはいけないということで公民館長から始め、その傍ら介護のほうの資格を取って、定年後は介護のほうで恩返しをしようと思い、特別養護老人ホームで、仕事をしていたのです。そこで震災にあって、ガソリンが買えない、食べ物はない、お年寄りは困っていました。職員は出てこられないということで、たまたま健康のために走っていましたので、毎日梅漬け等を背負って朝5時に起きて片道7キロを雪の中を走って行って、お年寄りのお世話をしたり、御飯を食べさせたりということをやっていました。4月1日から今度は区長を行うことになりました。私達のところに堤ヶ丘の雇用促進住宅があり、本当はあそこをもう取り壊して、あとは整理するということだったのですけれども、被災している方が70世帯ぐらい入ってきたのです。
それで、まず一番最初にやったのは、まず雇用促進住宅に入ってきている方々がみんなばらばらなのですよ、大槌だ、いや、私は宮古だ、俺は陸前高田。隣の人もよくわからない。それから、雇用促進住宅の建物そのもののつくりが、全部で4棟あり、1つの棟に4階建てで32世帯入れるようになっていますが、入り口が4つあって、1つの入り口から入ってくるとお隣には行くことができるが、3軒目に行こうとすると4階から下に降りて、また上がらなければいけないので、コミュニケーションがとれない状況でした。中に集会所があり、これを活用したほうがいいのではないかということで、管理人さんと交渉しようと思っても管理人さんが見つからないのです。そうしたら、金ケ崎のほうに住んでいて、週に2回ぐらいしかこっちに来ないよということで、市役所のほうにもお願いして、雇用促進事業団のほうに頼んで鍵をもう一個つくってもらって、北上市が責任持って預かる。それを交流センターが責任を持って預かる。それを自治振の会長が責任を持って預かるということで、今は被災している方の中からリーダー格の人を選んで、その人に鍵をお渡しして、いつでも開放して使えるようにしました。まず交流の場を図ろうということで始めていました。
2つ目に、そのすぐ近くに畑を持っている方でお父さんが体を悪くしてしまって、全然使ってない畑があったので、それを市の方とお話しして無償で借り受けて。そこでミニ農園を作って、野菜を作ってもらっています。奉仕活動として地区のほうで年に3回大掃除がありますが、そのときには雇用促進住宅のすぐ横の県道脇にすごい立派な桜並木があります。これが北上市の景観資産に登録されて、維持管理しなくてはいけないものですから、お掃除を積極的にやっていただいております。ごみを拾ってもらったり、ドウダンの剪定をやっていただいたり、こちらのほうからは何も言わなくても、お天気がよくなれば自分たちで出てきていろいろとやってくださるような状況になっています。
それから、情報の提供が大事ということで、集会所に交流センターで行う催し物、県からの配布物、市からの配布物、原則できるだけ各家庭にお届けするということでやっております。あと階段や集会所に掲示してお知らせしています。
いろいろな地区のイベントがありますが、今年行ったのは新年餅つき大会、北上翔南高校の鬼剣舞で日本一になった事を披露してもらいました。お年寄りや、子供たちみんなと和気あいあいと。そして、被災された方も何人か来ていました。盆踊り、これも結構好評で、最初は溶け込めないのですがだんだん暗くなってきてちょっとアルコールでも入ってくると、皆さん輪になって非常に楽しく踊っておられました。
それから、常盤台と堤ヶ丘の商工会と自治振の協賛で創作芸能祭りを行いましたが、被災している方々のところにわずかですが、1,000円分の引換券、金券なるものをお渡して、夜店とか、そういったところでたこ焼きや焼きそば等を買って食べてくださいということで積極的に見物に来て頂く様にしました。
このような事をいろいろやってはいるのですけれども、やっぱり私は行政の区長として、月に2回の広報の配布のときに集会所へ顔を出して、さりげなく挨拶して、でもやっぱりまだ心閉ざして、なかなか溶け込んでくれるという人が少ないのです。先日も子供会の剣舞御輿の運行のとき、雇用促進住宅で休憩して、皆さんにアイスクリームを配ったのですけれども、やっぱりそこに住んでいる方のお孫さんにもアイスをあげるからいらっしゃい、いらっしゃいと言っても、構える方もおって、こちらから出向いていってアイスクリームを配ったりしましたが、もう少し手を差し伸べたいなと思っても、相手の心に傷つけるようなことにならないか。相手の立場もあるので、さじかげんが難しいのです。今はそうやってさりげなく気配りしながら見守っているというふうな状況です。
ちょっと長くなりましたけれども、以上です。

遠藤局長
ありがとうございました。
それでは、菊池さんのほうから挨拶お願いします。

菊池広人
いわてNPO―NETサポートの菊池と申します。よろしくお願いいたします。
私は、現場というところよりはちょっともう少し違った立場で動かせていただいております。いわてNPO―NETサポートというのは、2000年4月に登記したNPOで、「いわて」という名前はついているのですけれども、北上市のまちづくりのお手伝いをするNPOでございまして、北上市内の地域づくりだったり、市民活動団体さんのお手伝いであったりとか、あと北上市の例えば総合計画であったりとか、あと都市計画マスタープランとか、そういったところで市民の皆さんがそこに参画して一緒に考えようというような場づくりみたいなところを震災前からやらせていただいておりました。
震災後、現状におきましても北上市には約260世帯、560人の方が避難されている。この数字に関して、みなし仮設に住まわれている方以外の方もカウントしていますので、県のほうで把握されている数字とはちょっと違うのですけれども、こちらの皆さんとしっかりと北上でよい生活をしていただいて、時間がたったらしっかりと沿岸地域に皆さん健康で、しかも前向きに戻っていただけるようなお手伝いをしようということで、震災後にまず私どもでお手伝いを一緒にやらせていただいているのが今の高橋義孝さんの黒沢尻北地区の自治振興協議会さんであったり、北上市さん、北上市社会福祉協議会さん、北上雇用対策協議会さん、あと私どもと、いわて連携復興センターというNPOと、あと北上ネットワークフォーラムというものづくり系の団体さんと7者で今、北上復興支援共同体というものを構成しておりまして、月2回、去年までは週1回定期的なミーティングを重ねながら、それぞれ例えば社協さんは生活支援相談員さんが今北上市にもいらっしゃいまして、訪問活動されていたりとか、黒北地区さんの活動もあれば雇用対策協議会さんは就職支援等の相談もあったりとか、私たちもそのすき間の部分の仕事を埋めるような形でコミュニティー形成のお手伝いをさせていただいておりますので、みんなが情報を持って一番いい形で動いていこうというようなところで今、北上復興支援共同体というものをつくりまして、その拠点は北上駅西口の北上震災復興ステーションという拠点がありますので、そこを中心に今活動をさせていただいております。今日は水曜日なので特にないのですけれども、月曜日、木曜日は例えば手芸のサークルがあったり、あとふるさとカフェということで、同郷者の皆さんが情報共有できるカフェがあったり、あとは絆便ということで月2回北上市の広報配布日にあわせまして、さまざまなそれぞれのふるさとの情報だったり、岩手県さんからの支援情報だったりというところをお送りするような活動等を北上復興支援共同体では実施しておりまして、私もそこの事務局長という立場で活動させていただいております。
ちなみに、岩手県さんの新しい公共によるモデル事業、昨年度、一昨年度と採択いただいてます。今年度は復興の担い手育成事業のほうをいただいておりまして、あとはそういったところで活動をしておりますし、あとそこには日本都市計画学会さんであったり、そういった大学の先生たちの連携だったり、企業さんの連携というところでも情報共有の場としても使わせていただいております。それがまず1つ目、やっている、活動させていただいているところで、あと2つ目といたしまして、今大船渡市さんと大槌町さんの仮設住宅を見守る事業というところを大船渡市さん、大槌町さんがやはり被災自治体さんということで事務的なボリュームが大変だということで、緊急雇用の事業を使いまして、北上市がかわりに大船渡市さん、大槌町さんのかわりにその事業の主体となって、県から基金をいただきまして、民間事業者さんのほうに委託をする形で大船渡約100名、大槌約100名の地元の方を雇用いたしまして、それぞれの仮設団地内の見守り活動だったりとか、あとは自治会さんの活動のお手伝いということをさせていただいているのですけれども、そこも人材派遣会社さんが受託者なのですが、地域づくりだったりとか、各団体との連携というところはノウハウがないというところもありまして、北上市さんと私たちのNPOのほうで、そういったところの活動のお手伝いのほうを一緒に大船渡市さん、大槌町さんと連携してやらせていただいているという活動もさせていただいております。マニュアルをつくったりとか、あと大船渡市さんだと月2回岩手県の振興局さんだったりとか、あと各市役所の内部の課だったり、県社協さん市社協さんとみんなで集まって情報共有の会合をしたり、そういったところをやらせていただいているというところでございます。
あと3つ目なのですけれども、こういった市町村のNPOが集まりまして、いわて連携復興センターというNPOが2011年4月28日に立ち上がっておりまして、県の全体のそういった復興まちづくりのお手伝いをしていこうというものでございます。こちらの事務局も担当させていただいているのですけれども、岩手県復興局生活再建課さんと一緒に協議会をつくらせていただいておりまして、震災直後から月2回ペースでずっとこれも県庁の方で会議をさせていただいておりまして、復興局生活再建課さんほか雇用対策・労働室さんであったりとか、あと秘書広報室さんであったりとか、あとは長寿社会課さん、地域福祉課さん、あとは県民生活センターさんといったメンバーだったり、復興庁さんも入っていただいて、そこも情報共有の会議をさせていただいているというようなところだったり、一緒に仮設住宅の生活の環境調査等をさせていただいているというところでございます。ということで、私は特に現場で何かということではないのですけれども、情報共有の場をつくらせていただくというところで関わらせていただいているというのが今の状況であります。

遠藤局長
ありがとうございました。
自己紹介も兼ねながらのいろいろこれまでやってこられた活動等についてお話しをいただきました。
知事、コメントしていただければ。

達増知事
まず、北上市さんが沿岸のほうへの支援、北上市を舞台に受け入れる支援や、また沿岸のほうに行って沿岸を舞台とした支援とか、盛んにやられているということを背景に北上市民の皆さんもそういう市町村の境を越えた支援、また一緒に地域をつくっていくというようなことを盛んにやっていらっしゃって、そういう基盤の中で、また沿岸のほうから北上にいらした皆さんもさまざま活動の足場を確保できているのだなというふうに思いましたので、その情報の共有ということも含めて、そういった活動をこの調子でぜひぜひ続けていただければいいのではないかなというふうに思いました。

遠藤局長
ありがとうございます。
それでは、続きまして、今後とか、今の課題とか、そういったあたりのところをお話しいただければなというふうに思います。阿部さん、柳下さん、高田からこちらのほうにいらしている方、また出身は秋田というお話しでしたけれども、こちらでいろんな支援活動をやっている方、それぞれの視点でいろんな課題等もおありかと思うので、この辺のお話をちょっと短めに、大変恐縮ですけれども、短めに少しお願いできればと思います。
また恐縮ですけれども、阿部さんのほうから。

阿部昌浩
ぜひ言ってほしいと言われたことがあるのですけれども、私は自営業をやっていたのですけれども、自分の不備なのですけれども、地震保険に入ってなかったのです。住宅は残っていたもので、よく誤解されるのですけれども、震災後に手にした義援金というのは商工会から出たお見舞いの3万円だけなのです。お金がもっと欲しいとかうらやましいとかではなくて、もしそのときに何がしかのお金を市からもらっていたら、相談はしたり、議員さんとか、そういう方も弁護士さんに相談しているとか、いろいろ動いているとかと聞いたのですけれども、結果的に今も何もまだない状態なのです。でも、これは家があると非常に言いづらい状況でもあったので、ただ生活していく糧がないのはすごく困るので、今後もしこのような災害が起きた場合に保険に入るというのは当たり前なのですけれども、幾らかでも支援の規模に入れてもらえれば多分高田を離れなかったのではないかなというのが今でもすごく思います。ちゃんと見てくれているのだなという安心感があるので、だからそれはすごくお願いしたいです。
あとはほかの地域に来た場合に、住宅の支援はあるみたいなのですけれども、やっぱりそこでも自営の店舗の支援というのは残念ながらまだないみたいなので、開業に当たっては北上市で支援が始まっているのを最近広告で見たのですけれども、だから住宅と同じように店舗のほうもそういうふうにもししてもらえたら選択肢が増えるので、非常に心にゆとりというか、余裕ができるので、陸前高田市民でもあるのですけれども、岩手県民としての大きな規模で考えていただけたらありがたいなと思います。

遠藤局長
地震保険、御自宅のほうは壊れなくて。

阿部昌浩
でも、半壊です、倒壊のおそれありです。

柳下明
振興局長さんの今お話しした内容に沿わないかもしれませんけれども、私は北上に来て感じていることですが北上市民の方、市役所さん始めすごく温かいのです。ほだされるというか味彩さん、今はモグラさんですが、高田に帰るというお話でしたが、私の場合は、徐々に自然と北上にこのまま落ちついてもいいのかなとそう思わせるぐらい北上の人たちには温かく迎えられているのかなと感じておりました。
それで、ある人から、もちろん北上の人ですが、耳打ちされたのです。よその市町村の名前はあえて出さないですが、北上は昔からよその転入者を温かく受け入れるまちなのだよと、そう言われたときに、ああ、なるほどなとそう感じたりもしておりました。北上の人たちは津波に遭っているわけでもないので、生活そのものはもともとの北上、さらに発展しながらの生活を知っていると思うのです。そこに自分もすっかり入り込んで、津波に遭った自分でないような、そんな自分が時々ふっと、はっと気づくのです。自分は北上の人たちとはちょっと違うのだがなと思うのだけれども、さっき言った温かい人たちとの接し方そのまま今にあるのですが、世の中で風化という言葉も出てますが、自分自身が一部風化しつつあるのかなと。でも、なるべくそれは風化になったとしても高田を常に思いながら生活しましょうとは思っています。
話が下手で申しわけないです。そういう自分が新聞とか、テレビなんかの報道を見ますと夏祭りでみんなで一緒に頑張ろうとか、瓦れきの跡地にお花畑をみんなでつくったとか、ボランティアさんと一緒とか。それから、高田で言えば松原ですね、一本松、あれをみんなで守っていきましょうとか、そういう報道を見るにつけて自分自身が決して高田を捨てたわけではないのですが、捨てていった人間だなんて、特別言われたこともないのですけれども、そう思われているのかなと思う心労や感じ方は多分消えないで持って行くのかな、負い目というのでしょうか、罪悪感というのでしょうか、知事さんから、被災者なのだからそんなこと思わないでという一言があればすごく救われるのですが、私だけでなく内陸に来ている人はそれなりの事情があって来ざるを得なくて内陸に来たのではないかなと思われます。そういう心理的なものがあったりしますね。

達増知事
まず、自分自身がちゃんと健康を維持して、そしてちゃんと食べて休んで、また周りの人たちと一緒に何かしていくという、まずそれが大事だと思うのです。自分自身をきちっとまず守って、そして前に進めていくということ、さらに地域への貢献というときに陸前高田への貢献ということと、あとは北上に対する貢献というのも両方ある。それはやはり独特のスタンスということで、それはそれで立派なことなのだと思うのです。陸前高田に残って、まず自分のことだけれども、プラス陸前高田に貢献という人たちもいれば、さまざまな人との関わりの中で、今いる場所のほうへの貢献というほうがメーンになる場合もあるのだと思うのですけれども、要はそういう与えられた環境の中で、まず自分としてやりたいこと、やるべきことを、そこには絶対正しい答えというのはなく、多分それはより深刻な被害を受けた人たちもそうだと思いますし、また深刻な被害を受けなかったような人たちもまた絶対の正しい答えがない中でもっとこういうところもやらなければならないのではないかなとか思いながら、多分進んでいると思うので、ですからそういう意味で全然悩むなとは言えないのかなと思っていて、悩みがあるほうが、そこはやっぱり自然な姿なのかなと思うし、またその悩みというのは実は多くの人と共有できる悩みだと思いますので、今みたいな形でそういう話を時々されて、そうなのだよねということも共有しながら、でもやっぱり柳下さん、さらに柳下明という個人は自分だけのそういう未来、自分だけの未来というのもあると思いますので、そこをあるときは自分一人でそこを進む、あるときは周りの人と一緒、あるいは離れたところにいる人と一緒でという、そういうことができればいいのではないかと思います。

柳下明
ありがとうございます。1つだけいいですか、私も今高田のほうにもともとお弟子さんいたので、月数回通っているのです。それも一つの復興になるのでしょうか。

達増知事
それはすごい大貢献だと思います。

柳下明
些細なちょっとしたことですが、陸前高田市の一部の人数ですけれども、それも一助になっているのかなと、自分で勝手にそう思いながらどうにか過ごしております。すみませんでした。

遠藤局長
ありがとうございました。
次、八重樫さんお願いします。

八重樫重子
今私たちがやっている活動というのは、まんまる笑顔でちょっとほっと一息つける場所ができるということで、まんまるサロンというふうなことで活動しています。
今思うことは、2年活動してきて、確かに物資とかの面はもう十分なのかもしれないのですけれども、やはりまだ仮設住宅で子育てをしたり、買い物に行くにもなかなか場所が遠いとか、あとはまた次のお子さんを妊娠、出産されて、また窮屈な生活をされている方もいますし、あとは柳下さんがおっしゃったように知らない別な土地に来て、すごく今のような思いをされているとか、あとはまた本当に戻ると言っても、またそこで生活をするにはどうしたらいいのだろうというふうなところで悩んでいる方たちもすごく多いなというのを思っています。
あとは、やっぱり初めはなかなか辛かった思いとか、そういうものが全然出てこなかったのです。やっと1年過ぎてから、あのときはこうだったとか、そういうこととか、あとはこうやってお茶を飲んでお話をして、ちょっと現実から離れた時間を過ごしていて、いいんだよね、これでと。これでもいいんだよねと、私もこういう時間があっていいんだよねと言って涙をするお母さんたちとかも今やっと出てきたので、まだまだこれからそういうふうなことは続けていきたいなというふうに思っています。
あとは、ただ一方的に支援するのではなくて、少しずつ現地のお母さんとかが元気になってほしいなというふうな思いもあるので、少しずつ現地のお母さんたちが今も何か自分たちもできることがあったらしようねというふうな気持ちにもなってきているのも事実なので、いろいろお茶会をしても片付けを手伝ってくれるようになったり、あとは私たちでこういうことをしたいのですとかというふうなことを話してくれたりするようになってきたので、そこにも少し支援をしながら、彼女たちがその地域の中で、また立ち上がっていけるようにしていきたいなというふうに思っています。
あとは今は助産師会の支援からの助成金を受けたり、あとほかの団体からの支援、助成金をいただいて活動させていただいているのですけれども、被災地では使えるけれども、内陸では使えないというような条件がある助成金もあるのですね。そうすると、でもどこにいても内陸に避難してきている方たちを支援しようと思っても内陸での活動には使えないとかというふうなこともあるので、どこにいても被災者だと思うので、そういうふうなところをどこでもしっかりそれを使わせていただけるようになれればいいなというふうに思っています。
あとは今内陸でも避難されてきて、ここで生活されて、お産されて、子育てをされている方たちもいるので、今後の自分の思いとしてはそこでサポートする産後ケアセンターみたいな、そういう誰でも、もともとの地域の人もそうですし、被災されて不安な気持ちでここで生活しているお母さんや子供たちの相談ができる、そういう産後センターみたいなものもできていくといいなというふうに思っていますし、政府のほうでもそういうケアセンターの体制づくりをというようなこともできているので、そういうふうなところの力もかりながら、そういったことができるといいなというふうに自分では思っています。

遠藤局長
ありがとうございました。
高橋さんお願いします。

高橋義孝
3つほどありまして、最初の2つは行政の区長として、自治振の会長として、雇用促進住宅が3年で終わりですと最初に聞いていましたが、ちょうどその時期に来ているので、心配だなと言いましたら、先ほどここにいらっしゃる方からあと1年延期されていますよと言われましたのでまずは一安心と思いました。
最初70世帯住まわれていましたが、現在60世帯になっています。近くの空き家を購入されたりして定住されている方がいらっしゃるのです。中にはお金のある人もいるでしょうし、ない人もいるかもしれませんが、立派なこういう中古の住宅ありますよと言ってあげたいのですが、それやると沿岸のほうの人口の流出になるので、余り積極的に勧めてくれるなというような声も聞こえてきます。なかなか踏み込んで積極的にそういう事をやるわけにもいかないので、どうしたものかなと思っております。これは特に私だけではないと思います。
あと1つは、私は非常に痛切に感じているのは、今養護老人ホームで宿直を行って福祉のほうでお手伝いしてますが、釜石にある老人ホームが被災で流され花巻、遠野、水沢、北上、みんなばらばらに移り住んでいます。そういう方たちが私が勤務している老人ホームにも来ていますが、なかなかなじめないというのと、それから早く戻りたい、昔の仲間に会いたいと言っています。
しかし、情報はないし自分も体が思うように動かない。そうやって1人、2人と亡くなっていきます。前のところにもっと立派な倍ぐらいの老人ホームを今つくっていますという話が断片的に聞こえて来ますが、そうしたら俺たち入れるのだろうかと、だって向こうのほうで被災している人がみんな仮設住宅に入っており、いずれみんな年取るから、そっちで復興住宅に入れても、一人で生活できない人はみんなやっぱり老人ホームに行くんじゃないのと、俺たち一生戻れない、やっぱり海見てから死にたいなとか、やっぱりおいしい魚食いたいなとか、いろいろ話かけてきますが話し相手がいないのです。寂しいのです。早く戻りたいなとか、昔の仲間に会いたいなとか、そういった人を見ていると、何かやっぱりここで一生を終えるのかなと思ったりすると、何とかしてあげたいものだなと思います。復興住宅とか、仮設住宅とか、そういう元気な人、声を上げられる人には皆さん目を向けるでしょうけれども、仲間がちりぢりばらばらになっている老人ホームで今一生懸命頑張っていらっしゃる。だけれども、やっぱり誰にも言えないということで、そういったことをもうちょっと見てあげられるような行政にしてあげたらいいのではないかなと思います。つくづく感じていました。たまたま知事さんお見えになっているので、私は素直に自分の感じていることをお話ししました。別に頼まれたわけでもありませんけれども。
以上です。

遠藤局長
ありがとうございます。
菊池さん。

菊池広人
私はちょっとドライな感じになってしまうかもしれないのですけれども、柳下さんや義孝さんのお話も聞いた中で、私は逆に避難者さんという言葉がもう多分切りかわりの時期なのではないかなというふうに思っていまして、要するに被災経験があるか、体験ある方はやはりそれの部分でのさまざまな、それぞれの年代に合わせたケアは必要だと思うのですけれども、今例えば仮設住宅、沿岸地域でも大分空き戸数が出てきたという状況だったりとか、あと土地利用も含めて大筋のロードマップが見えてきたという段階もありますので、これは家賃が発生するところなのでどこまでというところはできないかもしれないのですけれども、みなし仮設とか、内陸の住宅の部分に関しては沿岸地域のガバナンスを見ながらでもちょっと早目にみなし仮設とかそのスケジュールをちゃんと長期的なところまでお示ししながら、沿岸地域に帰るタイミングということを逃さないようなところの工夫というのが必要なのではないかなというふうに思っています。
それから、沿岸地域でもある程度、家はあるのですけれども、お仕事はないという状況だとか、さまざまな背景はあると思うのですけれども、といってもずっと内陸の中で基盤が、生活基盤がしっかりできてしまえばしまうほど、多分そもそものふるさとには帰りにくくなってくるというところも出てくると思いますので、短期的にはちょっとと思われることがあるかもしれないのですけれども、将来沿岸で住みたいか、内陸にこのまま残ってお仕事をされるかというところをちゃんと選択しながら、沿岸に帰ることを後押しできるというところでも避難者さんという概念をなるべく小さくしていって、逆に言ったら被災された経験を持たれている方とか、被災されて、そういった経済的な部分だったりとか、そういったところは被災をされた方としてのフォローをするということで、避難されている方とちょっとネーミングを切り分けて考えていくということをしていかないと、逆に将来的には戻りたいなというところがタイミングを逃してしまうと逆に戻れなくなってしまうというところがお話を聞いてもあると思うので、そこはしっかりと全体の区画整理とか、高台移転とか、災害公営とかのスケジュールも見てだと思うのですけれども、そこら辺をちゃんと線引きはしたほうがいいのではないかなという感じを持ちました。
以上です。

遠藤局長
ありがとうございました。
一通り皆様方から御意見を頂戴したところでございますけれども、知事のほうから確認したいところとかご所見ございましたらお願いいたします。

達増知事
自営業者向けの再建支援のこととかはいろいろ行政上メニューがありますので、後でちゃんと教えて伝えてください。
それから、被災地ではオーケーだけれども、他の地域ではだめな補助金の関係とか、あとはそういう行政上の課題とかについては、今答えられるものもあると思うので、そういうものはちゃんと教えて差し上げて、またいろんな制度も日々移り変わっていますから、そういう情報提供というのもきちんとやるようにしていきましょう。
東日本大震災発生直後から基本方針、県の基本的考えとして、これは私が大分知恵を絞り、それで県の幹部と話し合いながら決めていったのですけれども、まずは被災した皆さんの幸福追求権の保障。幸福追求権の保障というのは憲法にある言葉なのですけれども、それぞれがまず生活する、あるいは働く、また若い人だと学ぶという、そういう自分が幸福追求していく、そういうことはちゃんと可能なようにするということ、それとある面ではそれを補い、またある面では矛盾するところもあるのですけれども、ふるさとづくりをしっかりしよう、そして前よりも安全、前よりも安心、前よりも豊かな新しいまちづくりをこの沿岸被災地でやっていこうということで、自分の生活とか、仕事とか、学びとかを追求していって、それでもといた場所から離れるということも、それはあり得るとは思っています。さまざまな新しい人間関係とか、そういう中でふるさとから離れる方向に行くということもその人の幸せのためにそれがいいということもあり得るというふうには思っているのですけれども、一方ふるさとづくりのほうについては、そもそも岩手の沿岸というのは世界有数の漁場、海産物が数が多いだけではなくて質もいい、おいしいものがたくさんとれて、また風光明媚、国立公園になっているくらいの風光明媚なところ。そもそも大勢の人が働いて食べられるだけの地域資源はあり、ただ交通がちょっと不便というところがネックだったのですが、そこは復興道路ということで沿岸を縦に貫く高速道路、内陸と沿岸を結ぶ高速道路を新たに整備するといったことで、かなり震災前よりも交通も便利になって、北上に立地しているような高速道路があるから立地する企業というものも沿岸のほうにどんどん誘致できると思っています。
そういう意味で、人口流出という問題がよく言われるのですけれども、むしろ人口流入するぐらいの勢いで復興を進めていきたいと思っていまして、今一時的にふるさとを離れている方々がふるさとに戻るというのはもちろんなのですけれども、さらにこれはいいなと思った人であれば首都圏とか、西日本からでもどんどん岩手沿岸のほうに来てもらう、そういうオールジャパンとして、さらに復興の後にまた地域振興していくということは日本政府とも目標を共有していますので、国のお金で復興道路を直轄事業でやったりとか、そういうもとに戻すプラスアルファを国の予算もかなり入れてやっているというのは今まで住んでいた人たちの復旧、復興だけではなくて、さらに将来地域の外からどんどん人が来るという、定住以外の交流も含めてですけれども、そういう日本中に利用、活用してもらえる岩手の沿岸というふうにしていくということがあって、大々的に復興事業が進んでいるというところもあります。
ですから、そういう中でふるさとに戻りたいという気持ちがあれば戻れるようにはするということも一大基本方針でありますので、本当は戻りたいのだけれども、戻れないという人が出ないようにということは、これは県の一大基本方針ですから、そこはしっかりやっていきたいなと、今日改めて思いました。
以上です。

遠藤局長
ありがとうございました。
今日は復興局の担当課も見えています。こっちの意見交換会の制限がありますが、先ほど制度的なお話がございましたので、その辺を担当のほうからもう一度詳細なお話を聞きたいと思いますので、お願いいたします。
それでは、時間になったのですが、冒頭申し上げたように、ぜひ餅を食べていただきたいと思っております。発言の順番が回るもので、皆さん余裕がなく手を付けられなかったと思うのですけれども、ぜひお召し上がりください。

達増知事
ものすごく口の中で溶けていく感じが独特でおいしいですね、これ。

遠藤局長
食べながら、知事から今お話も頂戴したのですけれども、何かまたこの辺どうなのでしょうかみたいな御意見等がありましたら。

柳下明
すぐ終わります。先ほどの八重樫さんの内陸と沿岸ではちょっと与え方が、いろんな支援方法が、あるいは助成金とか違うと、私もそれはかなり感じていました。ただ、自分が言うと被災者の一人なものでおねだりみたいに聞こえるので、言葉を閉ざしていましたが、言ってくれたので、すごく同感です。感じています。ましてや、住所、住民登録を動かしたらなおさらです。

遠藤局長
今住民票というか、住民登録は。

柳下明
2カ月前に北上に移したのです。そこからもまた変わってきますよね。ただ、私はしょうがないのかなと思っていますけれども。

遠藤局長
阿部さんも移されていますか、住民票はこちらのほうに。

阿部昌浩
いや、移していないです。

遠藤局長
向こうのままですか。

阿部昌浩
はい。余り意味はないですけれども、何となく心情的に。

遠藤局長
家族の方なんかも。

阿部昌浩
そうですね、はい。

遠藤局長
菊池さんのおっしゃった避難者でなくて、被災したという概念で考え方をまた別な視点でアプローチしたほうがいいのではないかというお話がございましたが。

菊池広人
そこは、逆に言えば北上でずっと暮らしていこうという方であれば、私はもう北上市民ですよということで、そっちのほうが逆に気持ち的にも地域の皆さんの中でも入っていきやすいところも逆にいえばあるのではないかなというふうにも思っておりますし、逆に戻る方でも、このタイミングからは、公共的なサポートでは住めなくなるというある程度の場面がわかれば、それに向けてどう用意するかというところが用意できると思うのです。だから、そこというところで、そこは多分沿岸地域での仮設住宅がなくなるスケジュールとはまた別なスケジュールで動いていったほうがいいのではないかなということはありますが、ただ、かといってもやっぱり皆さん持たれているさまざまな背景だったりとか、心の部分というところに関しては、例えば北上市に家を建てられた方であっても避難されて、その方もさまざま持たれているものあると思いますので、そういったところのパーソナルな部分に関しては、そのようなところのケアというか、逆に、例えば家が建てられていても、それは必要な部分も出てくると思います。というところと住戸の部分でのお話というところは切り離して考えたほうがいいのではないかなというふうに思います。

達増知事
アメリカでハリケーンサンディというのが去年秋、ニューヨーク市周辺を襲って、それで調べると被災者登録は連邦政府、国にするのです。連邦のFEMA緊急事態管理庁というところが被災者の受け付けをし、またニューヨーク市に通えるのであればニューヨーク州に住もうが、ニュージャージー州に住もうが、どっちでもいいという人が多いということもあって、家を壊された人たちももう結構別の州に住むとか、そういうのが多いみたいなのです。
日本の場合は、被災者の登録というのはまず市町村にするので、ですから市町村から離れたときにきちっとそれがちゃんと市町村がフォローする体制をとっていかないと、そうでないと今いる場所の行政のもとで支援を受けるという、そういう場所中心になるとまたややこしい話になるので、ちゃんと人を中心に支援が切れ目なくついて回るようにということを日本なりに市町村の連携で工夫していかなければならないというところがあるのだと思うのです。それは個人の幸せを確保するようにしながら、また地域コミュニティーも守っていくという日本ならではのやり方で、それは正しいと思っているのですけれどもね。

菊池広人
あとそうなってくると、基礎自治体さん、市町村さんの考えだったりとか、そういった部分で、補完の原理でいけば、自分ができることは自分で、できないことは周りで、それでもできないと基礎自治体さんが、日本の場合は市町村さんで。それでもできないことが岩手県さんであったりということになってきたときの役割分担だったりとか、その中の県として、そのすき間をどう埋めていくかとか、そのあたりの市町村さんが主体の中での県のフォロワーな感じでのサポートのその役割分担みたいなところがいろんな分野でうまく発揮できればすごくすばらしいなというふうにいつも思っているのですけれども、なかなか同じようなことが、たまに起こってしまったりとかというところがあったりとか、その補助金も県の補助金と市町村さんが出す補助金とか、国の法令の部分もあると思うのですけれども、そもそもの性質みたいなところでの県のお立場とか役割みたいなところもうまく皆さんに伝わればいいなというふうな感じはしているのですけれども。

達増知事
9月11日ということで、今日はちょうど2年半になるのですが、そういったことで改めて見直すのにいい機会だと思うので、今日はそういう議論ができたのはちょうどよかったと思います。

遠藤局長
大変ありがとうございました。

知事所感

遠藤局長
知事最後に。

達増知事
今言ったとおりで、そういう議論ができてよかったと思います。

遠藤局長
わかりました。ありがとうございます。

閉会

遠藤局長
では、本日は皆さん貴重なお話、御提言ありがとうございました。
これをもちまして県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了させていただきます。大変ありがとうございました。

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