「がんばろう!岩手」意見交換会(平成26年12月12日 久慈地区)

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ページ番号1000861  更新日 平成31年2月20日

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日時

平成26年12月12日(金曜)13時30分から14時45分

場所

久慈地区合同庁舎 6階 大会議室

出席者

  • 参加者(敬称略)
    成田 敦子(久慈青年会議所監事)
    水上 千穂(エフエム岩手久慈支局パーソナリティー)
    水堀 明香(久慈広域観光協議会事務局次長)
    宮本 慶子(いわて復興応援隊員(洋野町役場))
    町田 恵太郎(いわて復興応援隊員(野田村役場))
    三田地 勇治(普代商工会青年部長)
  • 県側
    達増知事、高橋県北広域振興局長、東大野秘書広報室長

開会

東大野室長

 それでは、ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催させていただきます。
 本日は、「若者や女性が住みたくなる地域づくり」をテーマに、久慈地域の各市町村から仕事や地域活動で頑張っている方々にお集まりいただきました。本日出席してくださった皆様方には、大変お忙しいところ、お時間を割いていただいて誠にありがとうございます。
 私は本日の司会進行役を務めさせていただきます県の秘書広報室の東大野と申します。よろしくお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1


東大野室長

 それでは、開会に当たりまして、知事から御挨拶を申し上げます。

達増知事

 皆さん、こんにちは。12月のお忙しいところ、ようこそお集まりいただきました。暦の上ではディセンバーということで、「あまちゃん」のポスターも張ってありますけれども、去年の12月はまた「あまちゃん」月間みたいなところがあって、いろいろ総集編をやったりとか、紅白歌合戦でスペシャルコーナーがあったり、去年一年「あまちゃん」イヤーの締めくくりだったことを思い出します。
 この県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会は、東日本大震災発災以降、復旧・復興の最前線でそれぞれの地域あるいはそれぞれの分野で活動、活躍している皆さんの生の声を伺って、県の復興の政策、施策に役立てていこうという趣旨でやっております。今日は、この久慈地域でさまざまな分野で活躍している皆さんのお話を伺いたいということですが、この復興ということと密接に関連しつつ、復興と並行し、若者、女性活躍支援ということに県では力を入れていまして、昨年度からぼちぼち力を入れて、今年度は若者女性協働推進室という特別の部署も新しくつくって、若者・女性活躍支援を進める体制をとっています。その心は、まず復旧・復興の現場において、若者・女性が目覚ましい活躍をしてくれる局面が多く、その力をさらに復興の成功や復興の後の岩手の地域振興につなげていきたいという思いがあります。
 一方で、復旧・復興の中で、若者・女性に様々なしわ寄せが行くというところもあり、生活面でありますとか、あるいは雇用の関係でありますとか、そういった若者・女性が直面する課題を若者・女性の生の声を聞きながら解決していかなければならないということもあります。その若者・女性が直面する課題を解決しなければというのは、今年、全国的に火がついた人口減少問題の対策の大きな柱でもあります。若者・女性の生きにくさ、働きにくさとか、結婚しにくさ、子供のもうけにくさ、子育てのしにくさ、ひいては暮らしにくさというのが人口減少問題の課題で、人口減少問題は将来の問題というよりも、今目の前にあるそういう課題を解決していくことで、結果として解決されていくことだと考えておりまして、そういった人口問題につながっていくことでもありますので、若者、女性活躍支援というのに力を入れています。そういった観点も含め、今日はいろいろ話を伺えればと思いますので、よろしくお願いします。ありがとうございます。
 そして、工藤県議にも来ていただきありがとうございます。

東大野室長

 それでは、早速懇談の方に移ってまいりますが、今日の懇談の進め方を最初にお話しさせていただきます。
 この後ですが、私の方から今日御出席の皆様のお名前を紹介させていただきます。その後、若干時間を設けて、今日は地元のお菓子を用意させていただいてございます。それを召し上がっていただくということで、知事の前ですので、必要以上に緊張なさっていると思いますので、若干、間をとらせていただきます。その後で、皆様からそれぞれ自己紹介していただいて、その後に御意見あるいは御提言をいただくというような手順で進めさせていただきます。最後の方に時間があれば、出席者相互で、自由な意見交換の時間もとりたいなと思ってございますので、よろしくお願い申し上げます。
 では、本日の御出席の皆様を御紹介させていただきます。
 最初に、久慈青年会議所監事の、成田敦子様です。

成田敦子

 よろしくお願いいたします。

東大野室長

 次に、エフエム岩手久慈支局パーソナリティーの水上千穂様です。

水上千穂

 よろしくお願いします。

東大野室長

 次に、久慈広域観光協議会事務局次長の水堀明香様です。

水堀明香

 よろしくお願いいたします。

東大野室長

 次は、いわて復興応援隊員の宮本慶子様です。

宮本慶子

 よろしくお願いします。

東大野室長

 同じくいわて復興応援隊員の町田恵太郎様です。

町田恵太郎

 よろしくお願いします。

東大野室長

 普代商工会青年部長の三田地勇治様です。

三田地勇治

 よろしくお願いします。

東大野室長

 県からは、今日、先ほど御挨拶させていただいた達増知事。

達増知事

 よろしくお願いします。

東大野室長

 それから、おなじみかと思いますが、県北局の高橋局長でございます。

高橋局長

 お世話になっております。よろしくお願いします。

東大野室長

 あと私の後ろにいらっしゃいますが、県議会議員の工藤大輔先生にも御出席いただいております。

工藤県議

 どうぞよろしくお願いします。

東大野室長

 それでは、皆様に塩プリン用意しております。

高橋局長

 皆さん御承知のことかと思いますが、久慈市の沢菊さんの商品です。被災地から元気な商品を発信しようということで、約1年かけて開発されて、ちょうど1年前、昨年の12月から販売されております。地元の素材を生かすということで、野田村産のプレミアム野田塩を使っているということで、どうぞ召し上がってください。どうぞ開けてください。

達増知事

 塩スイーツというのは、やっぱりおいしいですよね。また、野田塩という、そういういわれのあるものを使っているところが、またいいですよね。

東大野室長

 普通のプリンと固さが全然違う。

達増知事

 ウニみたいな。

東大野室長

 もしかすると、そこを狙っているのかもしれませんね。

懇談

写真:懇談会の様子2



東大野室長

 自己紹介を始めさせていただきます。一、二分程度で自己紹介をお願いいたします。
 それでは、成田様からよろしくお願いいたします。

成田敦子

 久慈青年会議所から参りました成田敦子と申します。よろしくお願いします。
 青年会議所のメンバーは30人強の中で女子のメンバーが3名です。私は田表写真館のカメラマンとして仕事をしております。あと「北三陸じぇし会」リーダーをしております。よろしくお願いします。

東大野室長

 ありがとうございます。
 それでは、水上様よろしくお願いします。

水上千穂

 被災地情報番組「ふるさと元気隊Monday くじぃくじ~く」という番組で、ラジオパーソナリティー、正確にはアシスタントパーソナリティーをさせていただいております水上と申します。
 毎週月曜日のお昼12時に、エフエム岩手の電波を借りて「ふるさと元気隊くじぃくじーく」として、久慈地域、久慈市、洋野町、野田村、普代村の観光イベント情報などを県内に発信する仕事をしております。また、去年は「あまちゃん」があったので、観光などのイベント色が強かったのですが、今年からは被災地情報番組として地域の活動や、被災地の情報なども取り入れるような活動をしております。災害発生時には、皆さんに情報をいち早く届けられるような体制も整えるように心掛けて仕事をしております。

東大野室長

 続いて水堀様よろしくお願いします。

水堀明香

 久慈広域観光協議会の水堀と申します。この4市町村内で観光PRということで、主に観光誘客のためのプロモーションだったり、受入れの仕組みなどを主に行っています。今度の月曜日からは、「北三陸をつなぐ鍋街道祭り」というものを県北局さんのお力をかりて開催することになっています。この夏はウニ街道祭りというような形で、こちらも県北局さんのお力をかりて、街道で食で結んで受入れをしようということで取組をしております。受入れもそうですが、外への発信の仕方というのを毎回考える機会がございまして、どういったものが効果的でお客様の行動に移してもらえるかというのを念頭に置いてお仕事をさせていただいております。どうぞよろしくお願いいたします。

東大野室長

 どうもありがとうございます。
 続いて宮本様よろしくお願いします。

宮本慶子

 こんにちは、宮本慶子です。今、洋野町役場で町の職員の人と一緒に教育旅行の誘致の推進や体験交流事業の推進といった仕事のサポートをしています。あと、町のマニアックな情報をブログでPRするということもやっています。
 私は、いわて復興応援隊に採用されまして、岩手に来てもう2年経ちました。こう見えて、神奈川県の横浜市出身ですが、岩手に来てみて本当に大好きになりまして、これからは都会に住んでいる人に地方での暮らしもいいものだよというのを自分が実践することで提案していけるようになりたいなと思っています。よろしくお願いします。

東大野室長

 よろしくお願いします。
 町田様お願いします。

町田恵太郎

 町田恵太郎と申します。私も宮本さんと同じく、いわて復興応援隊として、野田村役場で産業振興課の水産商工観光班に配属となっております。業務としては、野田塩であったりホタテ。ちょっとジャンパーを着てきたのですけれども、この「荒海ホタテ」というブランディング事業に携わっております。そういった特産品のPRとか、観光のPRを行っております。よろしくお願いいたします。

東大野室長

 よろしくお願いします。
 最後になりますが、三田地様よろしくお願いいたします。

三田地勇治

 三田地勇治と申します。私は、ガソリンスタンドやタバコ、塩、酒の小売業を、家族経営ですが、細々とやっております。家が自営業であり、商工会にも入っているので、先輩から代々順番で来て、今部長になっております。
 それで、今はもう5名しか青年部の正部員がいない状態で、自分たちで活動というのは特にないので、村の行事をお手伝いするという形で青年部としては活動しております。今日は、女性の方も多いですので、やっぱり普代村にいかに女性の方がお嫁に来てくれるかとか、少しそういうヒントを得て帰りたいなと思っております。よろしくお願いします。

東大野室長

 どうもありがとうございました。
 それでは、これから具体的にいろいろな、今まで皆さんが取り組んできた復興支援のことや地域づくりのことなどを通じて感じられて、こういったことではないのかという御提言などを伺っていきたいと思います。
 それで、進め方ですが、お二人ずつお話をしていただいた後で知事がコメントしたり、ちょっとやりとりしたりというようなやり方で進めてまいりたいと思いますので、よろしくお願いします。
 あと県の方の具体的な施策の話などになりましたら私、あるいは局長がお話しすることがあるかもしれませんので、その辺りはあらかじめ御了承をお願いいたします。
 初めに、成田様よろしくお願いします。三、四分程度、先ほどよりは長めで結構です。よろしくお願いします。

成田敦子

 私は姉がいまして、姉には7人の子供がいます。私は3人子供がいます。子育てについて重点的にお話をしたいなと思っています。
 お話ししたいことが二つありまして、一つ目は、子育て、児童手当のことです。こちらは生まれてから中学校までの人が対象になっておりますが、高校や大学の方の助成も増やしてほしいなということが一つです。まず、地元の学力を上げるということと、あとは地元の就職口を増やすということが大切ではないかなと思います。高校とか大学になるにつれて、教育の資金というのがはね上がりますので、近年大学の奨学金の受給者の数は確実に増えていると思います。家庭や学生の負担にもなっていると思うので、そこら辺が経済的な負担の緩和につながるような施策をお願いしたいと思います。
 あと二つ目なのですが、ぬくもりのある3世代の家庭を増やしていただきたいなと思います。それは、まず切れやすい親子というのが増えているのではないかなと思います。若い世代と高齢者の単独世代というのが年々増えていると思います。それにつれて、特に我慢できない若い母親というか、その数が多いのではないかなと、個人的な意見ですが、それは感じています。子供の生活習慣病、特に偏った食生活や生活のリズムの改善とかの根絶につながると思います。あと家庭内のDV、虐待、自殺、孤独死というのも根絶できるのではないかなと思います。あと地域の交流不参加の家庭もなくなるのではないかなと思います。
 子供を守ることができるのは大人であります。子育て手当、母子家庭、父子家庭の手当、あと生活保護とかの手当というよりも、3世代の手当というのもちょっと考慮していただきたいなと思います。忍耐力のある親が増えれば粘り強くて、人の気持ちが分かるような子供が育っていくことによって、各世代が交流するということが地域愛を深めると思います。それによって、魅力あふれる社会につながると思っています。
 以上です。

東大野室長

 それでは、水上様。

水上千穂

 何かほとんど言っていただいたような感じなのですが。私は、実は久慈市出身ではなくて、岩手町出身です。そのため、まだ久慈地域の事情とかはそんなに分からないのですけれども、いろんな取材をする中で、やっぱり思ったのは、久慈市というのは魅力いっぱいあるのですが、短期間見ただけでは良い部分というのは伝わりづらいところが多くて、私も仕事柄という部分が大きいからこそ、久慈市の魅力を深く知ることができたし、好きになれた部分が大きくて、住みたくなると思うのは人生の中ですごい大きな決断だと思うのです。なので、「だから住みたくなる」と持っていくよりは、「また来たくなる、あの人に会いたくなる」というようなことから、私自身もですけれども、皆さん始めてもらいたいなという思いが強いです。
 取材していてもう一つ思うのが、久慈市の子供たちというのはすごく久慈市が好きなのです。ふるさとに対して何かしてあげたいという気持ちが強くて、ある高校生の女の子が、おばあちゃんが東京にいて、たまに会いに行くのですが、そのときに「久慈市の好きなところは何ですか」と聞いたら、「何にもないところがいいと。ただ友達としゃべり合って、河原を歩いているだけで、それはすごい大切な時間なんだなと都会に行って気づいたと」。悟っている高校生だなと思ったのですが、でもそのとおりだなと思いました。これを言われたときに、絶対この子は久慈市に戻ってくるだろうなと。学業も大切なので、都会に出ることもあると思うのですが、絶対久慈市に戻ってくるのだろうなと思ったのですが、戻ってきたときに受け入れる場所がなかったら元も子もないので、雇用や、住宅事情などについて、改善してほしいなと思います。大人がやろうと思っても結構大変な作業なので、あきらめる人も多いかなと思います。私も父が大野村、隣の洋野町出身ですが、最初の頃は、洋野町から久慈市に通っていて、途中から、やっぱり住まなければと思い、住宅を探しに行ったのですが、なかなか大変だったので、そこを行政がどう支援してくれたり、対応してくれるのかなというところは気になるところがあります。
 しかし、そこに頼り切りではなくて、どうにか内側からも盛り上げていくことはできないかなと自分自身でも思っています。

東大野室長

 知事お願いします。

達増知事

 子育ての関係で、高校生、大学生への助成あるいは子供がいる家への助成というのは大事だと思います。クラブ活動とかやれば、小中学生以上にかかります。特に活動の領域範囲が小中学生よりもはるかに広がるし、大学だと住んでいる親元を離れたりすると、ものすごくかかります。そこはいろいろなやり方で、国の政策で大学の学費を安くするとか、高校の授業料無償化とか、そういう進歩もありますが、いろいろ県でやることとか、国でやることとかを組み合わせながら、少しでも育てやすいように、また子供たちにとっても学びやすいようにしていかなければならないと思います。
 そして、3世代家庭を増やすというのは、これは本当に大事でありまして、人口減少対策からいっても北陸地方とか、あるいは九州の方とか、3世代世帯が多いところが出生率が高いという傾向もあり、やっぱり地域を安定させていく、生きやすい地域にしていく要に3世代家庭というのはなっていますよね。トヨタ東日本の金ケ崎工場のトップの人の話などを聞きますと、3世代家庭から通っている社員が結構いて、トヨタさんですから、いろいろ愛知県の方とか、あるいはトヨタ東日本は関東地方にも工場があったりするのですが、岩手の工場はやはり3世代家庭から通う人たちが非常に落ちついていて、まじめで、大変頼りになるという話をしていました。あのようなグローバル企業というのは、とにかく働く人をこき使うようなイメージがあるかもしれませんが、トヨタくらいの立派な会社になると、働く人一人ひとりがきちんと生活も充実しているかというところも配慮しながら、そういう人たちに働いてもらうと業績も上がるというところも見ているなと思いまして、だから県としてもそういう家庭が増えるようにしていかなければならないと思っています。
 水上さんの話の中で、川原とかを歩いて友達と話するのがいいということがありましたが、久慈は確かに川の町というところがありますよね。そういうちょっと来ただけではわからない、そこに住んでいて初めてわかる魅力というのがやっぱりいいところであり、そういうことがあるから住みたくなる、また戻ってきたくなるということなのでしょうから、そういうことを大事にしつつ、戻ってきて居場所がないと困るというのはそのとおりだと思います。二戸地区の県政懇談会のときも、二戸エリアも意外に家賃が高いという話がありました。やっぱり人の流動性が低いと意外に家賃が高止ってしまう。過疎で人がいないと言いつつ、家賃が高いという現象が起きてしまうので、そこは市ともいろいろ相談しながら工夫していかなければならないところだと思います。同じ悩みは沿岸被災地で広くある悩みであり、残ってほしい、また外から来てほしい、でも住む場所がないという問題があって、結構沿岸被災地の方で普通にしていたら住むところがない中で、いろいろ仮設住宅を活用するとか、使われていない公共住宅を活用するとか、震災前にはやったことがないような住宅政策のアイデアがいろいろ出てきているので、そういうのを被災地以外でも応用できればいいなと思います。

東大野室長

 それでは、引き続いて水堀様お願いします。

水堀明香

 若者や女性が住みたくなる町ということで、結構この地域でも若者だったり、観光だったり、受け入れる体制を整えようという動きが各団体でもあるとは思うのですが、やっぱりそれを受入れる体制を整えても、情報発信や、プロモーションを両輪でやっていかなければ、いくら整えてもお客さんが来ないとなると、やっぱり地域は疲れてしまって、継続した活動ができなくなるなというのはすごくお仕事を通して感じるところであるので、やっぱりプロモーションというのはすごく大事なのかなというふうに感じてはいます。
 「じぇじぇじぇ」ということで、一、二年盛り上がってはきましたが、それを次にどうつなげていくかというのが多分この地域の課題だとは思います。全国的に「じぇじぇじぇ」という言葉を皆さんに知っていただいているので、どこから来たのというふうなことを首都圏でPRしているときに聞かれても、「じぇじぇじぇ」のところだよということで、今、「ああ、あそこなのだね」というふうなことが築き上げられたというのは、すごくプロモーションかけているときも私たちの強みになっているなと、すごく昨年、今年と感じています。「あまちゃん」に特化だけではなくて、そういった「じぇじぇじぇ」という切り口でお客様を引きつけていくということは私は大事だと思っていますし、それだけに固執するのではなくて、きっかけとしてずっと地元の人たちが大事に使って、それをツールとして使ってやっていくことが大事なのかなと思います。地元でもそういった映像とか、CMだったり、ドラマだったり、NHKさんの「あまちゃん」も含めて、皆さんで続けて誘致活動をして運動を起こすことが次のものにつながるのではないのかなと思っており、その時期がもう2年ぐらい経ってきているので、次の行動に移していきたいと思います。
 私どもの団体も、県の方からたくさん御支援いただいて活動しているのですが、様々な事業をしていく中では、地域によって事情というのがやはり違っていて、例えば久慈地域でも被災に関しては久慈はそんなにというか、人的被害もないのですが、野田村さんは結構被害受けていますし、そういった支援についても、やっぱり地域の事情を加味していただいて、その地域に合った支援をお願いしたいなということもあります。もちろんその地域が責任を持って、県の方にもこういったものが必要だというふうな提案ができるような考え方を持って調整して、その町独自のものを発展させていく必要があるのではないかなと思います。
 以上です。

東大野室長

 それでは、続いて宮本様お願いします。

宮本慶子

 先ほど自己紹介で岩手に来て2年が経ったとお伝えしたのですが、私が今の時点で既にこの地域が住みやすいなと思っていて、いわて復興応援隊の任期が終わってからも定住したいなと思っているので、もう今この時点で既に満足というか、この地域のこの状態が最高と思っているので、ちょっと提言みたいな感じになるかどうかわからないのですが、今水上さんも言ってくれたように、何か魅力というと、地域の人一人一人の生き方だなと私は思っています。都会で三十数年暮らしてからこっちに来たわけなのですが、親戚も縁もゆかりもなく、たまたまこのいわて復興応援隊という制度で採用になって来たので、頼る人が地元の人しかいなかったので、いろいろ自分から地域の団体とかに入っていったりもしたのですが、もう全然都会で暮らす人とは違うなと初めから感じました。やっぱり厳しい自然環境の中で暮らしているのもあるでしょうし、第1次産業みたいな、シフトでどうにかなるような仕事ではないのに携わっているというのもあると思うのですが、環境だったり、自分の存在や相手のことを受け入れる包容力がすごいなと思いました。毎日満員電車で揺られて精神がすさんでいる人たちとは全然違うなと。そういう人たちとしゃべっているだけで、すごく自分の生き方の参考になりました。小さなことでイライラしなくてもいいのだと、だめなときはだめだし、いいときはいいのだというのがすごく自分にとってプラスになりました。これは、もし都会に出て、毎月何十万円の安定したお給料があるかどうかわからないのですが、都会もいつ会社が倒産するわからないぐらい不景気ですし、都会だから安定しているというわけでもないので、私だったら地方での精神的に揺らがない人たちの中で暮らすことが自分の人生にとっていいなと思いました。
 この地域の魅力とか、どうやって人を呼ぶかと考えたときに、大きなものではなくて、一人一人なのだということをPRしていきたいなと思っています。「あまちゃん」ブームがあってもなくても、この地域はすごくすばらしいなと思いますし、つい先月末なのですが、環境省の「復興エコツーリズム推進モデル事業」というものの中で、洋野町のエコツアーのモニターツアーというのを実施しました。盛岡在住の15人の人に来てもらったのですが、洋野町というのはこれといった歴史的なものとか、景観がすばらしいというところはないのですが、とにかく地元の人とかかわってもらうことに重点を置いた1泊2日のツアーをしたところ、100%ではないと思うのですが、半分以上の方がすごく感動してくれて、また来たいとか、また洋野町でこの人に会いたいというふうに言ってくれて、私がこの2年で思ったことが間違いでないかもしれないなと確信しました。
 また、水堀さんも言ってくれたのですが、「岩手県に暮らすなんて格好いい」というようなイメージに変えていってもいいのではないかなと。私は、ここに来るまで岩手県の知り合いというのはいなくて、こんなに大きい県なのですが、小、中、大、社会人になったときでも岩手県出身の人というのは1人か2人くらいしかいなくて、なかなか首都圏に暮らしていると岩手県出身の人というのは、確率的にレアだったのです。何となく知らないし、行きづらいし、不便だとかという先入観だけが先に行ってしまっているのですが、イメージをがらっと変えて、こんなに地に足のついた幸せを感じながら暮らせる格好いい地域というような、PRをしていけたらいいかなと思っています。
 以上です。

東大野室長

 知事お願いします。

達増知事

 岩手県は広いですけれども、人口は今は130万人ぐらいだから、都会に結構出たりもしていますが、首都圏何千万の中に入っていくと目立たないかもしれませんし、あまり人口集中していないかもしれないし、首都圏から見た岩手、さらに東北全体は何かベールに包まれた向こう、何かぼんやりとしか見えないような、そういう世界なのだと思うのです。東日本大震災の前は、そういうのを逆手にとって何か神秘的な世界というのを売りにしようかと思って、遠野物語百周年もあり、座敷童とか、かっぱとか、妖怪が出るのでは日本一みたいなところで宣伝をしたりとかもしていたのですが、東日本大震災で一気にベールが取り除かれたようなところがあり、いまや洋野町や種市という地名も、東日本大震災で岩手沿岸というのは広く知られるようになったし、「あまちゃん」でさらに種市という地名も含めて知られるようになったので、ここはやっぱり伝えていくチャンスだと思います。「じぇじぇじぇ」は、小袖に「じぇじぇじぇ」記念碑も建っていますし、永遠のものに。「じぇじぇじぇ」が流行語大賞をとったので次は、普通の国語辞典に載せるというのを目標にすればいいのではないかなと思っていて、僕も去年はまだ「じぇじぇじぇ」と言うのはぎこちなかったのですが、今年の春頃になって、ようやく普通に驚いたときに、「じぇ」とか出るようになり、今はかなり普通に「じぇ」とか、「じぇじぇじぇ」とか言うようになっています。だから、今からでも遅くないので、そうやって使っていくといいのではないかと思っています。
 「あまちゃん」については、もう100年続くものとして、夏目漱石の「坊ちゃん」が100年前に書かれた小説ですが、100年経った今でも「坊ちゃん」といえば、愛媛県松山が舞台になったと多くの人が分かるように、100年経っても「あまちゃん」といえば、あの岩手の久慈、北三陸が舞台になったあのドラマと分かってもらえるようにしたい。ドラマとして非常によくできていて、深読みとかがすごいできて、テーマもいい。また東日本大震災を受けて、被災地を舞台にして震災のシーンや復興のシーンもきちんと描くドラマとしてつくられたということで、普通にしていても歴史に残るドラマで、ドラマファンとか、そういう人たちの間でずっと語り継がれるドラマになるし、また宮藤官九郎ファンとか、能年玲奈ファンとか、そういう人たちはずっと続きますからね。宮藤官九郎作品というのは繰り返しブルーレイ、DVDとかで鑑賞され、語られるものですし、能年玲奈ファンの人たちも「あまちゃん」という作品をずっと語り継いでいくでありましょうから、いいと思うのです。
 関西「あまちゃん」オフ会の人たち、ホリーニョという人のツイッターを見ていたら、今月終わりにもまた大阪の方でオフ会、ファンの集いをやるそうでして、そこでは宮藤官九郎さんの最近の作品「ごめんね青春」とか、あとは能年玲奈さんの最新映画「海月姫」、そういうのについても語り合おうとか書いてあって、そういうファンの人たちとも「あまちゃん」ファンは結びつきながら、「あまちゃん」ファンというのが、今のところそうやってネットワーク的に組織化されているので、そういう人たちを頼りにしていくといいなと思っています。
 地域を宣伝していく場合に、不特定多数に向けた宣伝も大事なのですが、ある程度、顧客リストに載っている人に繰り返し情報発信する。経営がうまくいっているホテル、旅館、特に老舗の旅館には顧客リストがあって、一回来てくれた人に何度も手紙を出したりとか、何回も来てくれる人に対してはかなり細かいやりとりを普段からしていて、リピーターになってもらう努力をしている。これはそういうホテル業だけではなく、物を売る商売でも、一旦お客になってくれた人の顧客リストにきちんと管理して、そういう人たちと連絡をとりながら、引き続きお客でいてもらう。日本の1億何千万全てに来てもらうとか、買ってもらうというのはあまりにも大それた話で、僕の場合だと岩手130万県民が食べていければいいので、そのくらいの外とのやりとりというのは丁寧にやろうと思えばもうできると思っていまして、ましてや久慈地域というエリアの中でみんなで食べていこうと思えば、そのくらいの外とのつながりをきちんと管理するということはやればできるのではないかと思うのです。そういう人たちに御愛顧いただきながら、またいろいろ口コミで広がるとか、そういうこだわりの物産とか、普代の「すき昆布」なんかもそうなのですよね。「すき昆布」というのは、文字通り好きな人はすごい好きだと思うので、僕もそうなのです。あれは本当にパスタ、麺類感覚で食べたりとかもできるし、そういう地域のファンとか、地域の物産のファンとかをしっかりつかんでいくような工夫。教育旅行や体験旅行というのは、まさにそういうリピーターになってくれるような人たちを確保するいい企画だと思うのです。僕も中学生のときに修学旅行の代わりに学習旅行と称して、盛岡の学校だったのですが、住田町の農家に入って農作業体験をしましたが、それ以来住田町というのは頭に残っていて、その後もやっぱり時々行ったり、寄ったりするような感じになりますからね。教育旅行、体験旅行というのは、子供にとっては物ものすごいインパクトがあるし、大人は大人でやっぱり一生もののつながりを確保するのにいいと思うので、県もそこは力入れて支援、推進していきたいと思っております。
 いろいろしゃべると終わらないのですが、まずはこの辺で。

東大野室長

 次に町田様お願いいたします。

町田恵太郎

 私も宮本さんと同じく2年が経過して……、東京都の清瀬市から来まして3年目になります。いろいろ業務をしていて気づいたこと等をお話しできればと思います。
 特産品の振興でいろいろとPR業務をやっております。ホタテとか、ヤマブドウなんかの特産品のPRをやっているのですけれども、今そのブランディング事業で、東京の飲食店さんなんかにお取引させていただいて、どんどん広がっていければいいなという思いもあるのですけれども、それを考えて10年後、20年後と考えると、例えばホタテであれば漁師さんであったりとか、ヤマブドウであれば農家さんという担い手の方たちが減っていくので、結果的に生産量がどんどん下がってしまう。ブランディング事業というのも販売するという面では結構一時的なものなのかなというふうに思っております。そういった部分で、10年後、20年後、先のことを考えていくと、もうちょっと根本的な担い手の方たち、若い人たちが例えば漁師さんになりたいとか、農家さんになりたいというような人たちがふえていかないと厳しいのではないのかなと思っています。
 また、そのPR業務をする中でいろいろと取材をさせていただいているのですけれども、漁師さんであれば漁船に乗って、朝の3時とか5時に漁船に乗って私も一緒に行くのですけれども、やっぱり見ているだけとやるのとは全然違うので、やっぱりこれだけ大変なのだなと。その取材に関しても、収穫時期だけ取材したりとか、1点だけしか見れない部分があるのです。年間通してすごい細かい作業、剪定作業をしたりとか、ホタテであれば網をつくったりとか、すごい地味な作業もして、そしてそういう漁師さんという職業、農家さんという職業があると思うので、私も東京から来てもともと営業をやっていたので、農家とか、漁師さんのことは全然わからなかったのですけれども、こういう職業があるのだなというふうに気づかされた部分があります。そういう作業を知らないとやっぱり若い人たちというのは、漁師さんになろうという発想すら浮かばないと思うのです。やっぱりそういった中で、いろいろと体験もその一つだとは思うのですけれども、もう少し仕事としてできるような仕組みがあれば何かつながっていけるのかなと。

達増知事

 インターンシップとか。

町田恵太郎

 そうですね、はい。漁師さんなんかも結局人手が足りないということもありますし、やっぱり話し相手がいると、それだけで人とのつながりができていくので、やっぱりそういった体験ができればと思っております。
 以上です。

東大野室長

 ありがとうございます。
 それでは、三田地様お願いいたします。

三田地勇治

 先ほども宮本さんが言ったように、私も考えていたことが今確信につながったというか、本当にいろいろ普代村もたくさん資源があるのですが、やっぱり人のよさというのが一番の資源ではないかなと思っていました。私も実は中学から仙台に行っていたのですが、大学まで行って、父親がちょうどそのときに具合を悪くしたので、普代村に帰るきっかけになったのですが、私は家というか、商売があるから帰ってこれたのですが、そのときも中学からいないので、村民の中ではあまり知られていない存在だったのですが、すんなりと入れたというか、周りの人たちがそういういなかった自分も受け入れてくれた環境があったので、こうして商工会で部長をやるまでになれたのかなと思います。先輩たちのおかげだったと思っています。
 やっぱりそういうふうに若い人たちも嫌がるとは思うのですが、おばあちゃんたちとかからいろいろ言われるので、そこが嫌なのかなとかと思ったり、隣近所の目があったりとか。私のときは、そうは思わず、よく声をかけてくれたりとか、ありがたいなと思って過ごして、そこがまだ分からないところではあるのですが、関わり方ですね、若い人たちの。おばあちゃんたちが言うよりも、今の私たちがもっと若い人たちを巻き込めるような動きをしていければ、もう少し入りやすいのかなと思っています。
 少し話がイベントのことになるのですが、普代バイパスも開通して、交通量が少ないと言われますが、でももうこれは交通量が少なくなることは分かっていたことで、便がよくなったことも確かですし、こうやって都会の人が来やすくなることも間違いないので、あまり下を向いてばかりもいられないので、そこで始めたのが歩行者天国です。国道45号を歩行者天国にしてイベントを開催するということを今2年目に入っているのですが、すごいうねりではないのですが、いいイベントになってきています。青年部も5人しかいないので、青年部のサポーターとして、村にいる若い人たちに少しでも手伝ってくれないかと声をかけて、若い人たちの力でイベントをつくっていきたいなと。若い人が動くと、おじいちゃん、おばあちゃんたちも喜びますし、若い人たちがやるイベントの方が、既存のイベントよりも見に来る率が高いのです。そして、商店のおばあちゃん、おじいちゃんたちも商売することにまた活力を見出してくれているので、すごい顔色が変わるというか、いい顔になるので、是非こういうイベントは続けていきたいと思いますし、こうやって若い人たちと一緒にやれるものをもう少し増やしていけたらなと思っています。道路も良くなるので、村にいる人たちはやっぱり行き詰まるというか、普段のことから解放されたくて、土日はどこかに出るのです。それはいいと思うのです。先ほども言ったように、逆に土日を利用して、都会に疲れている人たちが、普代村に来て、何か畑を少しの面積でもやってくれて、また帰るとか、そういうことができていければもっといいなと思ったりしています。
 普代で育った若い人たちは絶対帰ってきたいと思っています。先ほどもあったように、仕事や家がないという理由もあると思うのですが、間違いなく普代を巣立った人たちは普代を好きですので、都会にいても普代を応援してくれることは間違いないと思いますので、そのつながりだけはもっともっと広げていって、普代村にそうやって遊びに来た人たちが普代の人と会話できるような、そういう何かうねりをつくりたいなと思っております。
 以上でございます。

東大野室長

 知事お願いします。

達増知事

 岩手の包容力とか、人の良さというのは「あまちゃん」で、何があっても「まあ、まあ、まあ」みたいなことでよく描かれていたと思いますが、そういう強さがあるのだと思います。隣近所が非常に濃密につき合い、プライバシーがないみたいなものも、いざというときに助け合いができるということで、危機管理の知恵なのですよね。都会でそういう近所のプライバシー、目を気にしなくていいというような生活は孤独死とか、そういういざというときに誰も助けてくれないということにもつながることでありまして、今日本全体としてやっぱりいざというときのことも考えて、普段からのつながりが大事という方に大きくバランスが移ってきている、そういう時代だと思います。いわゆる田舎というのは、そういうことが得意な地域なので、そういうことを生かしていくのが大事ですよね。そういうことを漁業や農業の担い手となる人に出てきてもらうために体験してもらうというのはやっぱり大事だと思います。
 漁協でも最近水産高校をはじめ、漁業というものがどういう仕事かということを説明して歩いて若い人たちにどんどん来てもらうというようなことをやっているところもあり、壁をなくしていくことがやっぱり大事だと思います。体験したいときに体験できるとか、何か近寄りがたいことではないようにしていくこと。担い手が少なくなっていくというのは、岩手町のキャベツをやっている若い人たちとこの間話したのですが、担い手が減っている分、1人当たりの面積がどんどん広がって、1人当たりの収入は増えているのです。だから、海の方も1人当たりの養殖の面積とか、収穫量をふやしていくこともできるチャンスでもあるので、そういう発想も持ってもらって、やる気や、関心がある人たちにどんどん参入してもらうチャンスだと思います。
 そして、普代バイパスができて、料金を取る高速道路と違って、降りたり、乗ったりすることがただで自由自在にできるので、やはり普代のあの町全体がパーキングエリアというか、道の駅というか、沿岸を縦に移動する際に、休憩するなら普代村とか、せっかくだから普代村。そこで歩行者天国を見たり、歩いたり、「すき昆布」を買って帰ったりとか、そういうふうにしていくといいのだと思います。
 ストロー現象という言葉があって、道路が便利になると田舎から都会や町の方に人も物も吸われていくのではないかという話があるのですが、四国と本州のように、四国の端の方で、通り道になっておらずどんどん高速道路が延びていくと、その延びた先から吸われていくというのがあります。この辺だと新幹線もそうですが、新幹線が八戸まで延びる、青森まで延びる、秋田まで行くとかというときに、盛岡はただ素通りされるだけになるのではないかというおそれがありましたが、全然そういうことはなく、通り道というのはそこで降りる人が出てくるので、いいみたいですよ。むしろ、その端になってしまった秋田とか、八戸、そして青森の方が吸われてしまって、いろいろな会社の支店、営業所は盛岡にあれば秋田には要らないとか、青森、八戸は要らないというふうになってしまって、端ではないようにしておくということが一つ大事なことであるようですね。ちゃんと通り道になっていて、どこにでも行ける、どこからでも来れるようにしておくことのメリットというのがあって、沿岸を縦に貫く復興道路は、沿岸の各市町村が孤立しておらず、端でもなく、どこにでも行けるということで一つ一つが交流の拠点になっていくということなので、それを県としても支援していきたいと思います。

東大野室長

 それでは、皆さんにそれぞれ御提言いただきましたが、先ほど言い足りなかったとか、あるいはもう少し聞いてみたいという話があれば、御発言いただきたいのですが、いかがですか。

三田地勇治

 女性にとっての、住みやすさという話が先ほど少し出ていましたが、一番感じるところはどういったことですか。普代は保育料とか多分安いと思うのですが、そういうところに重きを置くのか、病院がもっと選べる場所とか。

東大野室長

 成田様いかがですか。どの辺が大切かと。

成田敦子

 住みやすさというといろんな切り口があると思います。家庭を持っている人や若い世代の活躍されてる方などによって住みやすさというのもいろいろあると思います。私にすれば、やっぱり子供メインというか、私は3世代で同居しており、一緒に住んで7年目なのですが、1年くらい前に3世代の同居というのがいいことなのだなというのをすごく実感している最中です。

東大野室長

 どの点がすばらしいですか。

成田敦子

 やっぱり仕事にも集中できますし、母親としてのオンオフがすごくできる環境だと思います。じいちゃん、ばあちゃんが一緒にいてくれて、家に帰ると家事とかしている間にもじいちゃん、ばあちゃんが子供たちと会って一緒に遊んでくれるとか、あとその中でもだんなさんも協力してくれて、一緒に寝かせてくれたり、お風呂に入れてくれたりといった家庭の環境がいいと思います。実感している最中です。そういう家庭がもっと増えてくれれば経済的にも、気持ち的にシェアできるというか、すごくプラス・マイナス・ゼロに近いような感じでいけたらいいのになと思います。

東大野室長

 水上様はいかがですか。

水上千穂

 確かに成田さんに言っていただいたようにいろんな切り口があるのであれなのですが、私は久慈市に住むときに大変だったのが不動産屋さんとのやりとりで、まず探すところから始めますが、いろんな不動産屋さんに行って物件を探してみたり、久慈市のホームページを見たり。いい物件を見つけて、不動産屋さんに行ったら、「予約が1件入っているのでキャンセル待ちになりますが、よろしいですか」と言われて、「いいですよ」と言って、そのまま1週間くらい経っても連絡が来なかったので、もう決まってしまったのかなと思い連絡したら、「空いていますよ、キャンセルありました」と。その時点で私はもう住むと決めていたからいいのですが、住もうと思っている人からしたら、「えっ」ということになるので、そこのやりとりをもうちょっと、難しいところだとは思うのですが。
 あと住んでみて思ったのが、私は独身ですが、仙台と東京に住んでいたときがあって、震災があってから戻ってきたのです。仕事で久慈市に来て、最初はひとり暮らしで広い部屋にしようと思って、広い部屋を借りたのですが、いざ住んで何カ月か経ったら、逆に今度は孤独になってきて、私は仕事柄人と会う機会が多いので、何とか皆さんに助けられて生きているのですが、それがない人たちといったらあれかもしれないのですが、そういうかかわり合いが苦手な人からしたら、ちょっと悪い部分もあるのかなというところがあります。だから、もうちょっと、なかなかプライバシー的な部分もありますが、出会いの場をもっとふ増やしてあげたり、地域に住みに来た人が見えやすいような仕組みがあればいいなと思います。広報だけだと、あるのはわかるのですが、やっぱり何かちょっと踏み込みづらいという部分があったりします。

三田地勇治

 やっぱり踏み込みづらいですよね、やっている行事はわかりますが。

水上千穗

 一人で向かうのが結構恥ずかしいという部分もありますよね。皆さんが一致団結しているからこそ。

達増知事

 お一人様問題みたいな。

水上千穗

 そうですね。

達増知事

 レストランや食堂に入るのがちょっとみたいな。それはいろんなイベントでもそうですよね。お誘い合わせみたいなことができるといいのでしょうね。ひとり暮らしするときに管理人さんがいる昔風の「めぞん一刻」みたいなアパート、下宿屋みたいなアパートとか、あと朝御飯出してもらえる下宿とか、そういう選択肢は考えたり、探したりしましたか。

水上千穗

 女性専用とかあったらいいなと。男性と女子とシェアはきついですが、女性専用でシェアハウスとかあるのだったら、逆に私は見ていて思ったのが、空き家がすごい多いのに部屋がないのです。それが何でと思って、もうちょっとどうにかしてくれないかなみたいな。

達増知事

 不動産マーケットのあり方という問題があって、空き家はたくさんあるはずです。昨日、藻谷浩介さんと対談をする機会があって、全国で11%か13%かの空き家率だから、十軒どころか、七、八軒に一軒くらいは空き家になっているということで、それがうまく活用されれば住むところに不自由はないはずです。そういうものが不動産情報としてちゃんとマーケットに乗ってないのだと思うのです。だから、市町村がどうやるか、県として今見守っているところですが、もう少し市町村の背中を押して、うまく空き家の活用ですよね。全国的には取り壊さなければならないのをどうするかみたいな後ろ向きの課題になっていますが、前向きに人が住むようにと。
 あと3世代の良さというのは、やっぱりいざというときに助けてもらえるとか、手伝える、協力できるということなので、ひとり暮らしの場合も熱が出たときに助けてもらえる人や、管理人さんがいるとか。僕も学生時代はアパートを2回移りましたが、管理人さんが住んでいるようなアパートに住んでいたので、やっぱり病気になったときとかは助かりました。食べ物を持ってきてもらったりとか。
 あとアメリカに留学したときに1年間は普通のアパートひとり暮らしでしたが、2年目はアメリカ人3人と計4人で一軒家をシェアして住んだりとかもして、それはかなり現地情報を教えてもらえるというのが助かりましたよね。よく分からない情報とかも教えてもらったりとか。何か人と人がつながる仕掛けを町の中にいろいろつくっていくというのが大事かなと思います。

東大野室長

 宮本さんが種市に住み始めの頃はどうでしたか。

宮本慶子

 そう考えてみると、いわて復興応援隊の事業で来たので、家探しとか、全て役場の人がやってくれたというところがあったので、すごく楽だったと思います。ということは、外の地域で少しでも興味がある人にそういう物件探しから手続までやってあげる組織というか、そういう役割の人がいればいいのかなというふうに思いました。

達増知事

 なるほど、不動産屋さんよりむしろ役場の方に情報が集まっているかもしれない。

東大野室長

 町田さんが入ったときには。

町田恵太郎

 私も同じく。

東大野室長

 野田は大変な状況だったのですが。

町田恵太郎

 私はずっと仮設住宅に入っています。私はお酒が好きなのですが、入ったその日に仮設住宅の方と飲む機会がありまして、その日のうちに意気投合というか、仲よくしていただいて。

東大野室長

 役場関係の仕事だと情報も入って来やすいところはあるのですね。それ以外で入ると地域となじむための、きっかけづくりが難しい。

水上千穂

 痛感していますからね。
他県から来た人を受け入れやすく空き家をというのが久慈市のホームページにあったのですが、最初知らなくて、入れるのかなと思ったら、住民票が岩手県外にないと。それはそれでいい方法だと思うのですが。

東大野室長

 もう時間的に最後の辺りにかかっているのですが、他に聞いてみたいこと、知事に聞いてみたいことでも結構ですが、ございませんか。知事でなくても、事務方の私たちにこの際、言っておきたいでも結構ですが。よろしいですか。

知事所感

東大野室長

 最後になりますが、知事から一言コメントお願いします。

達増知事

 今日の県政懇談会というのは、これで終わりになりますが、もう二度と会わないということはないわけでありまして、これからもまたあちこちで一緒に仕事をしたりとか、そういうこともあると思いますし、是非何かあればいつでも、まずこの県北振興局の方に言っていただいてもいいですし、あるいは私のところに直接でもいいですし、そしてせっかくだから今日集まったこの6人でまた「じぇし会」は既にそういういろいろやりとりやっているのでしょうが、「じぇし」だけではなく、男子も合わせていろいろ情報交換をやると、地域全体として良くなっていくのではないかと思うので、またさらに一緒に頑張りましょう。今日はありがとうございました。

東大野室長

 どうもありがとうございます。

閉会

東大野室長

 これで県政懇談会を終わらせていただきます。お疲れさまでした。

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