「がんばろう!岩手」意見交換会(平成27年2月16日 宮古地区高等学校)

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ページ番号1000857  更新日 平成31年2月20日

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日時

平成27年2月16日(月曜日) 10時30分から11時45分

場所

岩手県立宮古商業高等学校 大講義室

出席者

  • 参加者(敬称略)
    柳澤 優大(岩手県立宮古商業高等学校2年)
    山崎 昂太(岩手県立山田高等学校2年)
    盛合 将貴(岩手県立宮古高等学校2年)
    高坂 理子(岩手県立宮古北高等学校1年)
    長洞 利林(岩手県立宮古工業高等学校2年)
    武藤 日奈(岩手県立宮古水産高等学校3年)
    町平 紅葉(岩手県立岩泉高等学校2年)
  • 県側
    達増知事
    東大野秘書広報室長
    桐田沿岸広域振興局・副局長
  • オブザーバー
    佐々木 巧(宮古商業高等学校長)
  • 司会
    千葉 尚(宮古商業高等学校・副校長)

    ※JIS第2水準にない文字については、JIS第2水準に換えて表記しています。

開会

千葉副校長

 それでは、ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催いたします。
 本日出席頂きました生徒の皆さん、期末テストも終わってほっと一息しているところでしょうか、いろんなスケジュールを空けて参加して頂きまして、ありがとうございます。心から感謝を申し上げます。私は、本日の進行を務めます岩手県立宮古商業高校の副校長の千葉といいます。よろしくお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1


千葉副校長

 それでは、開会に当たりまして知事から御挨拶をお願いいたします。

達増知事

 皆さん、おはようございます。年度の終わりの忙しい時期にこのように集まって頂いてありがとうございます。引率の先生方もありがとうございます。そして、会場を提供してくださった宮古商業高校、ありがとうございます。
 さて、県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会といいますのは、岩手県内あちこち回りながらそれぞれの地域あるいはそれぞれの分野で活躍する人達に集まってもらって意見を聞いて、岩手県の政策に役立てるという、そういう企画です。そして、高校生の皆さんもそれぞれの地域において、また分野という事については高校の授業を受けて勉強してくれているという事だけで岩手の未来に役に立っている、貢献してくれているのですけれども、最近でありますと、それに加えて東日本大震災からの復興でありますとか、岩手のこの地域振興や、あるいは産業振興、そういったところにも貢献してもらっています。また、いわて国体、障がい者スポーツ大会、いよいよ来年という中で、そういうスポーツ振興とか、あるいは国体、障がい者スポーツ大会にあわせて、さらに高めようとしている文化の振興にも高校生は大きく貢献をしてくれていますので、そういう話を聞いて、県の政策にさらに役立てていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

千葉副校長

 ありがとうございました。
 本日の懇談会の進め方についてお話しいたします。この後、出席者の御紹介をさせて頂きます。その後、皆さんから今まで取り組んできた事などの紹介をして頂きます。そして、その次には今後の抱負などもお話し頂きたいと考えております。最後に、自由に発言する時間を取れればいいなと考えております。
 それでは、本日出席の皆さんの御紹介をさせていただきます。
 岩手県立宮古商業高等学校、柳澤優大さんです。

柳澤優大

 宮古商業高等学校、柳澤優大と申します。私は、硬式野球部のキャプテンを務めています。本日は、これからの岩手の復興について詳しく話せたらいいなと思っています。本日はよろしくお願いします。

千葉副校長

 岩手県立山田高等学校、山崎昂太さんです。

山崎昂太

 岩手県立山田高等学校から参りました山崎昂太です。自分は、生徒会長としてみんなのリーダーとしてみんなを引っ張っています。復興はまだまだ先ですが、着実に進んでいるのは、町の風景からも分かります。その復興に自分達も携わっていけるように、今日の議論を熱くしていきたいと思います。今日は本当によろしくお願いします。

千葉副校長

 岩手県立宮古高等学校、盛合将貴さんです。

盛合将貴

 岩手県立宮古高等学校から来ました盛合将貴です。私は、宮古高校で生徒会長を務めており、今回の懇談会で復興について皆さんの意見を取り入れて、自分の学校でも生徒と協力して復興に関わっていけたらいいなと思っています。よろしくお願いします。

千葉副校長

 岩手県立宮古北高等学校、高坂理子さんです。

高坂理子

 岩手県立宮古北高等学校の高坂理子と申します。私は、生徒会副会長を務めております。今日は様々な方から意見を聞いて、もっと学校でも取り組める事があるのではないか、考えていきたいと思います。本日はよろしくお願いします。

千葉副校長

 岩手県立宮古工業高等学校、長洞利林さんです。

長洞利林

 私は、宮古工業高等学校2年の長洞利林です。生徒会副会長を務めさせて頂いております。今日は、復興について話が出来ればと思っております。よろしくお願いします。

千葉副校長

 岩手県立宮古水産高等学校、武藤日奈さんです。

武藤日奈

 宮古水産高等学校から参りました武藤日奈と申します。私は、ここで話し合った結果を水産高校にこの話で出たいい事などを持って帰り、たくさん地域のために貢献出来たらと思います。本日はよろしくお願いいたします。

千葉副校長

 岩手県立岩泉高等学校、町平紅葉さんです。

町平紅葉

 岩手県立岩泉高等学校から参りました2年、町平紅葉です。岩泉高校では、生徒会長を務めています。今回の会で復興に対しての知識、考え等を深めていきたいと思います。本日はよろしくお願いします。

千葉副校長

 ありがとうございました。
 続きまして、県からは達増知事。

達増知事

 はい。

千葉副校長

 東大野秘書広報室長。

東大野室長

 東大野です。よろしくお願いいたします。

千葉副校長

 沿岸広域振興局、桐田副局長。

桐田副局長

 桐田です。よろしくお願いいたします。

千葉副校長

 本校からは佐々木校長も同席いたします。

佐々木校長

 佐々木です。よろしくお願いいたします。

千葉副校長

 まだ緊張しているようですので、御菓子を用意いたしましたので、どうぞぜひ食べてください。持ち帰り出来ませんので、帰るまでに完食して頂きたいと思います。飲み物もどうぞ飲みながら、食べながら。

達増知事

 岩泉ヨーグルトとかが入っている物ですね。

千葉副校長

 本校の校長から少し説明をして頂きます。

佐々木校長

 本日お配りしましたケーキは、メルシーポートという名前のケーキです。フランス語では、「ありがとうございます」という意味を持っております。このケーキは、岩手県産の「ゆきちから」という小麦粉と、あと岩泉ヨーグルト、そしてあとはもう一つ、岩手県産のブルーベリーが入っております。本当にメイドイン岩手という御菓子になります。ちょうど盛岡にあります花月堂さんと本校の商業研究グループが一緒に共同開発した商品になります。いろいろと研究をいたしまして、ネット上で販売していろいろ消費者の方の御意見も聞いたりして、いろいろと研究して作り上げたものでございます。まだ販売しておりますので、お買い求め頂ければ非常にありがたいと思います。
 なお、この研究を長年続けまして、2年前に全国の生徒商業研究発表大会において日本一の賞となります最優秀賞を頂戴いたしました。詳しくは資料ございますので、後ほど御覧頂ければと思います。よろしくお願いいたします。

達増知事

 おいしいですよ、すごく。

佐々木校長

 ありがとうございます。どうぞお召し上がりください。

千葉副校長

 懇談の間も食べたり、飲んだりしながらで構わないから、大丈夫ですよ。

懇談

写真:懇談会の様子2


千葉副校長

 それでは、早速懇談に入って参りますので、よろしくお願いします。
 初めに、自分の紹介も詳しくして頂きながら、御一人2、3分ぐらいの時間でそれぞれ学校あるいは地域で取り組んでいる事などを話して頂きたいと思います。知事からは、御二人ずつ区切る形で質問やコメントを頂く事にしております。
 それでは、名簿の順序に進めていきますので、柳澤さんお願いします。

柳澤優大

 改めまして、私は宮古商業高等学校の柳澤優大です。

達増知事

 あとは座ったままでやりましょう。

柳澤優大

 私達野球部は、地域から愛される野球部、そして応援される野球部を目指して日々活動しています。去年は33年ぶりの東北大会出場を果たし、宮古市の方々に元気と感動を届ける事が出来たと思います。宮古市の方々の祝福の言葉は本当に胸がいっぱいになりました。今年は絶対に私立を倒して甲子園に行きたいと思います。その時はよろしくお願いします。
 自分は、東日本大震災で被災をして、まだ仮設住宅で暮らしているというのが今の現状です。まだまだ苦しい環境で生活している人達はたくさんいると思うので、自分も復興のために何か出来るように考えながら毎日を生活しています。そして、被災者の一人として、これからの宮古市、岩手県の復興に携わる事が出来たらいいなと思います。
 以上です。

千葉副校長

 山崎さん。

山崎昂太

 改めまして、山崎昂太と申します。自分も仮設住宅に暮らしていて、やはり今でも隣の音とかも気になるし、震災から4年経っても問題がたくさんあるなというのは感じています。学校では生徒会活動として生徒会と応援団に取り組んでいます。部活動では野球部ですが、助っ人として相撲部に参加して東北大会にも行っています。もともと山田は、知られていないと思うのですが、相撲が盛んで、自分も子どもの頃相撲をやっていて、その縁で先生から声掛けてもらって、ほかの仲間のおかげで自分も東北大会でいい経験をしてきました。校外のボランティア活動では「いちび」という地域密着型のボランティアで山田高校と岩手大学さんと山田町の商店街の方々と協力して「いちび」を進行しています。山田高校としては、海の運動会の再開を目指して毎年海の清掃活動に取り組んでいます。去年も取り組んだのですが、やはり海のごみ、いまだに漂着物が震災のものかなという物がたくさんあって、まだ震災を忘れられないなというのは感じています。
 最後に、山田高校は人数は少ないですが、個性を持った人達がいっぱいいるので、ほかの高校に負けないようにこれから生徒会長としていろいろな企画に取り組んでいきたいと思います。
 以上で終わります。

千葉副校長

 ありがとうございました。
 知事、お聞きしたいこと等ありましたら。

達増知事

 まず、柳澤君は野球部という事で、宮古商業野球部は最近の活躍目覚ましくて、ぜひその調子で頑張って欲しいと思います。
 地域の人達との繋がりを改めて感じているという事で、スポーツというのは何でも盛り上がるのですけれども、野球というのは特に地域が盛り上がりやすい、そういうスポーツだと思います。そういう意味で、野球の力でかなり復興支援の効果も、そういう貢献もしているなと思うので、元気で健康に野球をしているという事だけでも地域の復興に貢献出来ているし、まして好成績を収めれば、それはもの凄い経験になると思って頑張って欲しいと思います。
 それは山崎君も同じでして、相撲については、私はいろいろ山田の相撲関係にも御世話になっているのですけれども、ブラジルとかパラグアイとか、岩手県から移民して、向こうで岩手県人会というのが出来ているのですけれども、その50周年記念とか、55周年記念とかに私も行くのですけれども、やっぱり相撲が大変人気があって、山田の相撲関係者の方々中心に相撲選手にも行ってもらってブラジル場所とか、パラグアイ場所とかやるとそこの岩手県人や、また岩手県以外の日本人、あるいは日系人という人達に大変喜ばれるというのを思い出します。
 2人とも仮設住宅に住んでいるという事で、仮設住宅は確かに普通の家とは違いますからね、いろいろと不便、不自由なところは多いのですけれども、次に住む場所というのはもうどこに住むかは大体分かっているのかな、高台移転あるいは平地のかさ上げをして、造成して、そしてそこに新しい住宅地を作って、あるいはそういう所に災害公営住宅が建って、そちらのほうに移るような、まだ正式に決まってないとしてもそういう方向で調整をしているのだと思いますけれども、やはり津波というのは地震と違って、地震災害であれば家が壊れたその場所にまた建てればいいのですけれども、津波の場合は同じ場所に同じように建てると同じような津波でまた被害を受けてしまうので、場所を移したりとか、あるいはそこの土地をかさ上げしたりとか、地震災害以上の工事をしないと津波災害の後の住居の再建というのは出来ないので、それでどうしても時間が掛かってしまうのですが、ただそれはそこに新たに住む人達のためにまず必要でありますし、あとは新しいまちを作るという意味でも必要で、震災前よりも安全で、そして震災前よりも経済的にも賑わうように、そして震災前よりも安心していろんな生活が出来るようになる病院、福祉施設の関係とか、あるいは学校、教育施設との関係とか、そういうより良いまちを作っていくという事で一定の時間が掛かっているので、大変なところはいろいろ不便、不自由な事があれば我慢しないで市や町や、あるいは県のほうにどんどん言って欲しいと思いますし、一方でそういうあれだけ大きな津波被害からまち全体が立ち直っていく、そういうプロセスの中で特別な生活をしているという事は、ある意味誇りに思ってもらっていい事だと思うので、そういう将来日本中に自慢出来るような新しいまちを今作っているのだという事で頑張って欲しいなと思います。

千葉副校長

 次は、盛合さんと高坂さんお願いします。

盛合将貴

 自分は、震災で家族は全員無事でしたが、家が全壊する被害に遭いました。家が全壊という被害に遭った事で凄い不安な気持ちとか、喪失感とかいっぱいでしたが、一番上のお兄さんから、自分とは遠くに住んでいて、その兄から何回も連絡をされた時が凄いうれしかったと感じています。
 自分は震災直後、母の働いていた保育所でラジオを聞いて生活をしていましたが、そのラジオの情報で誰が生きていて、誰が行方不明なのかという内容ばかりで、人はそんなに簡単に死んでしまうのだなと感じた時がありました。
 私達の学校では、宮高祭という文化祭で募金活動を実施したり、震災直後から毎年交流している青山学院との協力で製作した缶バッジの売り上げを東日本大震災義援金として寄附したりしました。また、生徒の中には宮古市で行われている市民ワークショップに参加している人もいます。自分も登録はしているのですが、まだ参加した時は無いので、参加した人から具体的な活動を聞いていますので、自分も周りの人が復興に対してどんな考えを抱いているか直接話してみたいので、参加してみたいと思っています。
 今回の懇談会でも皆さんの意見を聞いて、自分の学校で出来る事や青山学院さんと協力して出来る活動を考えていきたいと思っています。

千葉副校長

 高坂さんお願いします。

高坂理子

 私達の学校では、取り組みとしてボランティア活動や復興交流や防災を学ぶ事などしています。ボランティア活動では、仮設住宅に掃除に行ったり、田老児童館の祭りの準備をしに行ったり、田老の体育大会では応援団のヨサコイや運営を手伝うなどの活動を行いました。復興交流では、盛岡二高、盛岡四高、不来方高校、平舘高校の皆さんと交流させて頂きました。昨年も不来方高校の文化祭に参加させて頂き、田老の海産物を販売させて頂きました。逆に本校の文化祭では、不来方高校のほか盛岡四高、平舘高校に参加して頂き、本校で提供しているサンマ焼きや食堂、餅まきなどを手伝って頂くなど、様々な協力をする事が出来ました。先月は平舘高校に行ってスキーへと招待して頂きました。平舘高校の生徒会の方々に付いてもらい、様々な交流をする事が出来ました。盛岡二高さんには田老にボランティアに来てもらった後、宮古駅で交流を行いました。そして、宮古駅周辺の地図を作成し、案内する事が出来ました。私達の学校では、防災を学ぶ事が出来るので、そして現状を知り、将来に生かしていくような事が出来る授業があるので、そこでもっと将来を考えていき、もっと考えていけたらいいと思っています。

千葉副校長

 ありがとうございます。

達増知事

 盛合君は、東日本大震災津波発生直後、本当に苦労したと思いますけれども、でもその経験というのは今に、あるいは将来に生きるものだと思うので、ぜひそれを糧として自分の希望する進路のほうに進んでいって欲しいなと思います。
 そして、青山学院高校との交流、そういう遠く離れた、また都会の高校との交流というのは大変刺激にもなって有意義だと思います。向こうにとっても東日本大震災津波の被災地の高校、また岩手県宮古市の特色あるそういう風土に育まれた高校という事で、向こうにとっても大いに学ぶ事が出来る交流事業なので、大切にしていくと本当に双方に有意義だと思います。それは、高坂さんの岩手県の内陸のほうとの交流もそのとおりでありまして、同じ岩手の高校同士でもそれぞれ自然風土とか違う所でやっていますからね。また、そういった所でお互いに大変学ぶ事が多い意義ある交流になると思います。
 田老は、東日本大震災津波の被害を特に大きく受けた地域の一つなわけですけれども、昔からの津波に対する歴史の積み重ね、そしてそこから立ち直っていく歴史の積み重ねもある所なので、それを地元の皆さんとまた育てて、そしてそれをもとにして復興を進めていけば、また世界の田老ですからね、世界中に対して津波と復興、津波からの復興という事を発信していける場所にまたなっていけると思うので、頑張っていきましょう。

千葉副校長

 次は長洞さん、武藤さんお願いします。

長洞利林

 私は、工業の長洞利林です。生徒会副会長を務めさせて頂いておりますが、私はいろんな資格に挑戦していて、1年生の頃に第1種電気工事士を取得しました。昨年11月頃にはものづくりコンテストで岩手県大会電気工事部門で4位の入賞を果たす事が出来、とてもうれしく思っています。また、本校では資格取得に力を入れており、全国工業高校情報公開ジュニアマイスター制度では3年生が中心にシルバーとゴールド。シルバーは23人、ゴールドは5人が認定され、今年は昨年より増えていて、自分もシルバーを今年申請を出しました。学校の活動では、生徒会活動では復興交流として県内外で復興交流事業を進めていて、遠野緑峰高校や盛岡工業高校などとも交流しています。また、石川県立金沢工業高校との交流では、震災を知ってもらうという事で仮設住宅の訪問なども行いました。
 以上です。

千葉副校長

 武藤さん。

武藤日奈

 私の出身は山田町で、震災で家が全壊して、中学校の頃は仮設住宅で生活をしていました。高校に入る時に、私が宮古水産高校を志望して、父の仕事場も宮古だったので、今は宮古に引っ越して来て、そちらから学校に通っている状態です。
 山田町でいつも生まれた時から住んでいて、震災を受けて家に帰りたいという気持ちが強くなって、その時親がちょうど遠出していていなかったので、友達のお母さんが大沢に、自分が住んでいる所に連れて来てくれて、見た時には見た事の無いような景色になっていて、そこでまたショックが大きく、家の人がいるかという不安もたくさんあって、当たり前に住んでいた町が無くなり、そういう大変な思いばかりしていたのですが、今は町自体の復興はとても進んだと思うのですが、人の気持ちの部分で全然立ち直れていない人も多くいると思うので、そういう人を支える活動がたくさん出来たらという思いがありました。
 それで、高校に入って私は応援団副団長を務めており、部活では柔道部の部長をやっていました。水産高校では文化祭でファッションショーが一番有名だと思っています。そのファッションショーのリーダーも任せられて、たくさんの人に見て頂き、涙してくれる人がたくさんいて、とてもうれしかったです。
 生徒会で執行委員としてたくさんの行事に参加し、西和賀町のほうへ行き、西和賀高校の生徒会の皆さんとスノーバスターズという活動をし、地域の人のために雪かきをして来ました。宮古水産高校は、太鼓部や海洋技術科のマグロはえ縄実習、管理コースの缶詰などがとても有名だと思います。文化祭の時の管理コースの販売は、毎年朝のうちに始まって、すぐ売り切れる状態なくらいとても人気があります。太鼓部はいろんな所へ演奏しに行き、その地域の人達などを太鼓の演奏を通して元気付けてくれていると思います。それと先日の実習船「海翔」の竣工式があり、たくさんの人に祝われて、これからその船を使って実習する人達が大人になってから船に乗りたい、海が怖くないという思いが生まれて、たくさん復興に関わって、海のほうの復興に関わっていく仕事をしてくれたらいいなという思いがありました。
 以上です。

千葉副校長

 ありがとうございます。

達増知事

 長洞君はいろいろ資格を取る事、またいろんなコンテストに出る事を盛んにやっていて大変頼もしいと思います。岩手県は農林水産業が盛んな県でありますけれども、ものづくり産業、製造業も力を入れているところですし、また先行している電気、電子、ものづくりとITとか、そういうコンピューター、通信関係とかにも関わる大変大事な分野なので、ぜひいろんな知識、技能を高めて世のため、人のために活躍出来るように頑張って欲しいなと思います。
 また、非常に楽しい分野でもあると思うので、私も数学が苦手で理系のほうには進まず、文系のほうに進んだという過去があるのですけれども、組み立て工作キットとかは好きで、いろいろとはんだ付けして組み立てるような、そういうのは中高校生の頃いろいろやっていたし、今でも「大人の科学」という雑誌で組み立て式の卓上自動掃除機とか、センサーで机から落っこちないようになっている物を組み立てたりとか、最近でもやっているのですけれども、いわば一生ものの分野でもあるので、ぜひやりがいを持って、また楽しく進んでいって欲しいなと思います。
 武藤さんは、応援団とか、柔道部とか、生徒会、ファッションショー、本当に凄いたくさんいろんな事をやって大変素晴らしいと思います。ぜひその調子で自分が縁を持った分野とか、あるいはやりがいを感じる分野をどんどんやっていく事が将来にも繋がっていくと思います。
 そして、私が岩手の中高校生によく言うのですけれども、好きなものを増やして欲しい、今好きなものをより好きになって欲しいと。好きなものが多いほど人生は豊かになりますし、また既に好きになっている事でもより深く好きになっていく事で自分を高めたり、あと共通な同じものを好きな人達と繋がっていったりもするので、やはり好きなものを増やす、また今好きなものをより好きになるという事が人生の成功の秘訣でもあると思うので、その調子で頑張って欲しいと思います。
 あとは、山田の大沢は、私も鮭の定置網で採るのを見学させてもらって、朝早くというか、夜中の2時頃でしょうか、船で定置網の所まで行って、そして漁協の組合長さんが指揮を執って、そしてそこの鮭を、定置網で採れている物を船に積んで持って帰ってというようなのを一緒にそこに参加した事があって、大沢の漁港の様子とか、あとその周りの町の様子とかはよく覚えています。過去の記憶、思い出というのは、これは消えませんので、残しておけばいつまでも残しておけるので、過去はもう永遠ですから、誰もそれを奪う事は出来ないので、自分の中の過去の思い出というのは大事に出来るし、していくといいのではないかなと思います。
 よく忘れるとか言いますけれども、私は人生において忘れるという事は無いという考え方をしていまして、ただ思い出せなくなる事があるだけであって、しばらく思い出せないでいた事でも、何かの拍子に思い出すという事はあるのです。だから、これ勉強でも、思い出す訓練をするといいですよ。試験対策なんかは、覚えよう、覚えようとそこに力を入れると、なかなか覚えられないみたいになるのだけれども、思い出すというところに力を入れて訓練をしますと、わかりやすいのは一問一答形式の問題集を解くという事なのだけれども、そこで思い出す練習をして、その時思い出せなかったものは繰り返し練習する事で、大体試験範囲は思い出せるようになるとかという事があるので、これはそういう勉強もそうなのですけれども、過去の思い出もそういう時々思い出していれば、それはもうずっと定着して、いつでも思い出せるようになるので、そういう大切なところを自分の中に作っておけば、一生の財産になると思います。
 そして、これは山田、大沢に限らず、東日本大震災津波で昔と違うふうになってしまう所はたくさんあるのですけれども、でも昔の良かった所というのは、人々の記憶の中に、思い出の中に永遠に残りますので、それは誰もこれ以上奪う事が出来ないものとして人の中に残り続けるので、それを大事にしていきたいなと私も思っています。

千葉副校長

 それでは、町平さんお願いします。

町平紅葉

 岩泉高校の町平紅葉です。僕が岩泉高校で取り組んだ事は、海外派遣事業と被災地見学です。
 今年度、岩泉高校では、パリ派遣とウィスコンシンデルズ市への短期留学派遣事業がありました。私はパリ派遣のほうに参加して、知事とも一度お会いしております。
 僕は、岩手への復興支援の感謝を伝えるためにパリ派遣に参加しました。パリ派遣には、岩泉高校の代表生徒17名が県の代表として参加し、自分達の演舞をもって岩手が元気になったという事をたくさんの支援を頂いたフランス、パリのほうに伝えるという役割を果たす事が出来ました。
 ウィスコンシンデルズの短期留学については、私は参加していないのですが、岩泉高校ではそういった海外との交流などが多く、グローバルな視野を広げられるいい学校だと思います。
 そして、被災地見学では、僕は出身が田野畑なのですが、地元を訪れました。田野畑の復興状況を僕はあまり知ろうとしていなかったのですが、この活動で今まで知らなかった沿岸地域、田野畑の島越、羅賀といった地域の復興状況を知る事が出来、自分達の村の復興について考えるいい機会になりました。復興について、自分達のやれる事をまだ模索している段階なのですが、少しでも自分達の村などの、復興に貢献出来ればと思っています。
 そして、僕が今取り組んでいる事は、学校で生徒会新聞を作っているのですが、そこでジオパークのジオサイトについてをお知らせしています。ジオパークといっても48カ所あって、多くの場所の、全てを知るという事は難しいのですが、せめて自分達の周辺地域のジオパークのジオサイトをしっかり知ってもらって、地元愛を高めてもらいたいと思っています。
 ジオサイトを知るには、強い興味を持っていないといけないのでしょうが、今復興にジオパークが大きく関わっていると考えているので、そういう意味からも皆さんにジオパークを知ってもらいたいと思っています。
 以上です。

千葉副校長

 ありがとうございます。

達増知事

 そうですね、町平君は去年パリにも一緒に行って、中野七頭舞、大変素晴らしい演技で、パリの復興報告会に集まった人達の満場の喝采を浴びて、大変素晴らしかったです。
 そして、生徒会紙でジオパークを取り上げるというのは、これはありがとうございます。岩手県も三陸ジオパークというのをどんどん普及、宣伝していこうと思っていて、そういうのを生徒会紙で取り上げてもらうというのは大変助かります。
 三陸ジオパークは、もともと岩手の沿岸というのは国立公園にもなっていて、全国的にも有名だったのですけれども、それをさらに、ただ景色がいいというだけではなくて、どういう科学的な理由でそういう地形になっているのかとか、またそういう地形を生かしてどういう産業とか社会とかがその地域にあるのかというような、そういう観点からより広くその地域を理解して、またそれを対外的にも発信していけるという事で、地域のためにもいい企画だし、また県外とか、さらに外国の人にも岩手を理解してもらうために非常にいい企画だと思ってやっています。
 ジオパークの中のジオサイトとしては、震災遺構もあって、そういう意味で東日本大震災津波というものを踏まえて、その後復興していく岩手の沿岸地方というのを理解して、対外的にアピールしていく、そういう総合的な事業になっているので、ぜひ頑張って欲しいと思います。

千葉副校長

 ありがとうございます。
 それでは、続きまして、今度は高校生の皆さんが持っている自分の夢ですとか、将来どんな事をしていきたいかというような事、あるいは地域の復興も含めて、これからの岩手に望む事などについてお話し頂きたいと思います。
 では、柳澤さん、山崎さん。

柳澤優大

 私が今思う事は、この震災を決して忘れてはいけないという事が一番だと思います。この後の将来の方々に伝えていき、もう二度とこのような、岩手県もそうですが、ほかの県もたくさんの被災者を出しているし、命を失っている方々もたくさんいるので、もう二度とこのような思いを絶対にして欲しくないので、伝えていけたらいいなと思っています。
 あと10年、20年したら、岩手県、宮古市は必ず復興すると思うのですが、被災者の心の傷は何年経っても、何十年経っても消える事は無いと思うので、その消えない心の傷を生きている自分達がどうしたら癒やしていけるか考えながら生活していかないとならないのではないかと思います。
 将来自分は、調理師になりたいと思っています。実際避難所で生活してみて、一つのおにぎりだったり、御菓子だったり、食べ物を食べられる幸せというものを改めてこの震災から感じさせられたので、この被災された方々にもうこのような思いをして欲しくないと思って、調理師になる事を決めました。将来は、この宮古市で店を開いて、この宮古市のために何か出来たらいいなと思っています。
 そして、今生きている幸せを当たり前とは感じないで、亡くなった人の分まで恥じないような人生を歩んでいきたいと思います。

千葉副校長

 山崎さん。

山崎昂太

 僕が岩手に望む事は、まちづくりの面で、子ども達の遊び場を早く作って欲しいという事です。例として、山田町の町民グラウンドに仮設住宅が建っています。中学生は、自分も中学生の頃、その町民グラウンドで練習をしていました。震災を受けて、仮設住宅が建って、練習の仕方も工夫しなければいけなくなったし、やはりもどかしいというか、練習場所が無いというのは一番の問題でした。さらに、そこに住んでいる住民の皆さんも、中学生のために場所は提供したいのだけれども、自分達はまだ先の生活が見えていないから、やはり仮設を出る事が出来ないからというので、悩んでいるというのも耳にします。
 山田高校では、その子ども達の遊び場が無いため、そのために「いちび」、先ほど紹介した「いちび」で子ども達の遊びを提供しています。そこでは、小さい子どもから出来るペットボトルボウリングとか、輪投げとかというのをやって、一緒に遊んであげて、そして笑顔で帰ってもらうという、そういう事をして、未来の山田に出来る事を少しでもやっています。
 あと、私は将来の夢は救急救命士になる事なのですが、自分自身、3月11日、津波に流されて、九死に一生を得て助かりました。そこで、その時は周りに何も無くて、絶望でしかなかったのですけれども、やはり助けられた命なので、その分、亡くなられた人の分まで人を助けて、少しでもその人達の分まで全力で生きようと思っています。将来的には、宮古で働いて、地域のために救急救命士として、一人でも多くの命に関わって、一人でも多くの人のために仕事をしていきたいと思っています。
 以上です。

千葉副校長

 ありがとうございます。

達増知事

 柳澤君の伝えていく事が大事というのは、本当にそのとおりだと思います。あと心の傷が何年経っても消えないというのもそのとおりで、今年は阪神・淡路大震災のほうの20周年で、神戸のほうに私も1月に行って、それで兵庫県知事さんと対談をしたりしたのですけれども、20年経ってもやっぱり傷というのは消えないのです。その傷というのは、愛情に基づいているものなので、好きだった人、好きだった場所、そういったところ、失った事への思いなので、やはりそれが残っているというのは辛い事ではあるけれども、消えないというのは、それは愛の証明なので、その記憶を常に全開してほかの事が考えられないようになってしまうというのはまずいのだけれども、心の中の1カ所に置いておいて、時々出して見るぐらいなふうに出来ればいいのだと思います。
 これから未来に向けて新しい経験、新しい体験、これはみんなしていくわけで、その中に新しい喜びとか希望とか、そういう傷を消してしまうものではないのだけれども、傷があってもより力強く楽しく生きていけるような事をどんどん心の中に増やしていけばいいのだと思っています。
 その中で食べ物というのは非常にありがたいもので、命や健康のために絶対必要なのだけれども、私は過去食べたおいしい物の味を思い出すというのを時々やるのですけれども、これは非常に幸せな気持ちになる事で、これはみんなにも勧めたいと思いますけれども、自分が過去食べた物の中で一番おいしかったのはあれだなとかというのを思い出す。これ最初のうちはうまく思い出せないかもしれないけれども、これもやっぱり一種訓練で、やっているうちにより上手に、よりクリアに思い出せるようになるというところがあるので、そういうのをやってみるといいと思います。それだけおいしい物を食べるというのは結構人生を左右するだけのインパクトがあって、そういう事を提供出来る場がこの宮古市にあるというのは素晴らしい事なので、大変いい志望を持っているなと思っていました。
 山崎君は救急救命士という事で、宮古市は消防隊、消防団、そういった関係の皆さんも江戸時代から続くような伝統があって、立派な先輩方がたくさんいます。そういう人たちの過去の業績をしっかり引き継いで、地域のために、困った人のために貢献出来るようになっていくという志は大変いいと思います。
 あとは子ども達の遊び場の問題は、これはきちっと対応していかなければならないですね。これは県も、山田であれば山田町役場と一緒に出来るだけ子ども達の遊び場、運動するスペース、それを確保していくように工夫していきたいと思います。

千葉副校長

 それでは、盛合さん、高坂さん、お願いします。

盛合将貴

 私は中学に入っていた時、先生方から話をもらい、募金活動にも参加する事が出来ましたが、高校に入ってからは自分で動かなければ参加出来ないのだという事をつい最近実感しました。なので、これから復興に関わるものだけでなく、いろんなボランティア活動に参加したいと思っています。
 また、これまでの高校生活では自分の忙しさばかり気にして、周りに目を向ける事が出来ていなかったので、周りを見て生活していきたいと思っています。
 先ほど話した宮古高校と青山学院の交流が今年を節目として、もう一度交流の意義やどんな活動をしていきたいかを考えようと思っているので、お互いの学校で生徒会や生徒、先生方と話し合い、何をもって復興というのかを考えていきたいと思っています。
 以上です。

千葉副校長

 高坂さんお願いします。

高坂理子

 私は、震災以降、宮古全体が店が少なくなり、前のような明るい商店街が無くなってしまい、暗くなっていると感じました。それは盛岡二高を案内した時にも感じた事です。盛岡から来て宮古を案内するとなった時に、やはり店が少なくて、宮古駅の近くだと宮古を象徴するというか、そういうお店が近場に無いので、とても案内とかしづらいと感じました。それに、夏になると観光客がたくさん来るので、もっと宮古駅周辺にそういうものがあったら、もっと宮古とか岩手をアピール出来るのではないかと感じました。
 私は、将来美容師になりたいと思っています。そのために今は大切なコミュニケーション能力を身に付けたいため、人と話す事を大切にしています。そして、専門学校に行ったらマッサージなども科目として選択して学んで、岩手に戻って来た時にお年寄りの方々にマッサージして、癒やせたらいいなと思っていますし、若い人にももっとそういう事を広めていけて、もっと明るくしていけたらいいなと思っています。
 以上です。

千葉副校長

 ありがとうございます。

達増知事

 盛合君の話で、中学生の時と違う、高校生になって改めてという話があって、やはり高校生はある分野においては大人と対等に行動が出来るというところが中学生と決定的に違うと思います。それはボランティア活動についてもそこに専念すれば大人並みのボランティア活動が出来るし、またこれはスポーツも特に高校野球というものは、これは大人達を唸らせ、大人達を感動させる、そういう事が高校生には出来るので、思い切ってやっぱり高校生、これだという分野で勝負に出る事で大人社会に通用し、そしてまた全国にも通用するような事が高校生には出来るので、思い切ってやって欲しいなと思います。
 高坂さん、美容師を目指したいという事で、美容師さんは誰もが理容、美容には通うわけでありまして、それでちゃんと衛生的な生活が出来るようになるという事と、あとは仕事で髪型は大事ですから、仕事がきちっと成り立つためにも髪をきちっとやってもらわなければならないという事で、世の中にやっぱり無くてはならない大事な仕事だと思います。そして、工夫すればするほどみんなの生活や仕事がより良くなる、そういう仕掛けを美容師さんというのは出来るし、またマッサージなどもあわせてお年寄りのケアというようなところでも活躍出来ますから大変いいと思います。
 そして、宮古駅周辺のこれからの事については、宮古市さんが市役所を駅の海側のほうというのですか、そっちのほうに移すという計画があって、それで私も市長さんから、あれは三鉄の事務所からだったかな、ちょうど三鉄の2階から見て宮古駅から新しく市役所が出来る場所とか、今の商店街のほうとか見下ろして、ここをこうする、あそこをこうするという構想を宮古市長さんから直接聞きました。かなりいいまちになっていく、今までと全然違う宮古駅周辺になっていく、そういう計画が立っているので、県も宮古市のそれに協力をして、沿岸の中心ですから、観光客の皆さんにも喜んでもらって、三陸鉄道ももうかるように宮古駅前を発展させていきたいと思います。

千葉副校長

 それでは、長洞さん、武藤さんお願いします。

長洞利林

 僕は地域の復興についてで、地域の人達が今最低限の生活を維持出来るように支援とかして頂きたいなと思っています。今仮設住宅とかで高齢者の方が結構一人なので、そこのところをやってもらいたいなと思っています。
 あと復興についてですけれども、復興の計画とかに高校生自体が参加する人数が結構少ないかなと思っています。あと行ってみると結構地元の人達がその計画に不満とかそういうのを出すのですけれども、逆に改正案を出す人が結構少ないなと感じているので、住民こそがもっと自主的努力のようなのを積極的になっていけたらと感じています。
 あと僕自身将来の夢なのですけれども、情報処理とかを行うIT関係のような、エンジニアのようなところに就きたいなと考えています。震災で情報が結構少ないというか、山田高校さんの方も言っていましたけれども、そういう時の情報の普及とか、ニュース、テレビで結構NHKさんは流していましたけれども、そのニュースというのは見ている人達全員に配っているニュースなので、自分が欲しいというニュースは結構新聞とか細かいので自分で探すしかなかったので、そういうところの情報を伝えるシステムとか、そういう事についてプログラムとか電気関係の話ですけれども、そういうところで尽力していきたいなと思っています。

千葉副校長

 武藤さんお願いします。

武藤日奈

 先ほども言ったのですが、私の地元が大沢なので、大沢の復興や山田の復興について話したいと思うのですが、今やっと大沢内を走れる新しい道路が出来たばかりで、新しい家を建てるための山を削って平らにするなどという作業がやっと4年経つ今始まったばかりなので、まだどのように、どんな形になるのか分からないのですが、時々大沢に帰って思う事は、前みたいに海を中心とした町だったので、海を囲んで家が建つという事はもう無いという実感があります。そこで、私も海が好きなので、ちっちゃい子も安心して泳げる海が少なくなってしまったので、今は海岸の復興などもやって進んでいってればいいなと思います。こっちに来てから自分自身が一度大きな怪我をして、松葉杖を使っていたので、その時に思った事があって、学校に来るにもバスかJRを使って来なければならなくて、そのバスを使う時に松葉杖だと足が痛くて、バスの段差を上るのも大変だし、降りるのも一人では無理だったので、そういう事を経験した時に、老人の方は怪我をしていなくてもやはり年で足が痛いなど言っていて、その段差を行くのは大変だろうなといつも思っていたのですが、JRを利用した時に段差が少ない事と、この時期、東北はすぐ道が凍るので、バスだと氷の上に降りる事もあるだろうし、滑ってしまう事もあるだろうなと思い、JRだとその分駅なので、氷も少ない、段差も少ないし安全だろうなというところで、沿岸の三陸鉄道の復興やJR山田線の震災を受けた部分の復興のほうも進めていって欲しいなという思いがありました。
 以上です。

千葉副校長

 ありがとうございます。

達増知事

 長洞君の情報処理、そういう方面を目指したいというのはいい方向性だと思います。震災直後、私も岩手県としての情報発信については、普通にあるテレビのニュースの枠だけではとても足りないなとやっぱり思っていて、普通の番組を無くして特別番組で震災情報を流してくれてもいたけれども、ただあれは岩手県以外の事もたくさんあったし、本当は岩手県としてのニュースの中で、またさらに宮古、山田、岩泉、それぞれまた個別に大事な情報がいっぱいあったから、あの頃は一日中というか、24時間、東日本大震災津波関係の情報だけ流す、そういうチャンネルが欲しいなと思ったり、あとは岩手県だけでも1チャンネルぐらいあっても、北は洋野町から南は陸前高田市まで12の市町村の情報がそれぞれあって、なかなか洋野町の情報とか野田村や普代村、田野畑村の情報まで順番が回って来ないみたいな事があったので、そういう情報というのは、やっぱり今あるような情報の技術やシステムだけではなく、もっと必要としている人にぴしっと届いていくような仕掛けを作っていかなければならないなという事を考えていたのを思い出します。
 高齢者の人達初め、被災者の皆さんに最低限の生活というのは私も気を付けなければならないなと思っています。被災者イコール復興者の皆さん一人一人が健康、心と体の健康を確保して、もちろん安全も確保して、働きたい人は働き、学びたい人は学ぶと、そして日々安心して生活を送る事が出来るというのを一人一人について確保していかないと、それは本当の復興とは言えないと思っていて、復興というのは突き詰めれば一人一人の復興で、一人一人がそれぞれ必要な事がちゃんと得られて、そしてやりたい事が出来るようになるというのを実現するのが復興で、そのためにいろいろ建物を直したり作ったり、いろんな経済、産業政策をしたりしていて、建物や施設が直ればそれでいいというわけではなく、一人一人がちゃんと必要なものが得られてやりたい事が出来るというのを確保していくことが復興と考えています。そういうふうにしていきたいと思います。
 そして、武藤さんからは山田、大沢の復興の関連で泳げる海を作っていくというのは大事だと思います。なかなか砂浜を復旧する事についてお金を工面する事が大変だったのですけれども、国のほうで砂浜の復旧のためにも国の復興予算を使っていいという判断を最近してくれたので、山田でも既に1カ所、そういう砂浜を復旧する事業が山田で実現していて、あといろいろ岩手のほかの所でも砂浜の復旧という事も本格的にやれるような体制になっているので、進めていきたいと思います。
 それから、バスはバスでバスの役割があるけれども、鉄道にも鉄道の役割があって、両方必要だと考えています。三陸鉄道のほうは、まず復旧を果たしましたけれども、山田線の宮古釜石間の部分についても、これはJR東日本さんが直して、直った後は三陸鉄道が経営をやっていくという事が決まりましたので、宮古で着工式、3月7日にやりますので、そこから宮古釜石間の鉄路も復旧が始まります。これも出来るだけ早く直して、北リアス線、南リアス線、真ん中も繋がって三陸鉄道できちっとやっていこうというところです。

千葉副校長

 それでは、町平さんお願いします。

町平紅葉

 僕の将来の夢は教員になる事です。僕達生徒や児童は、家族以外の大人と接する中、一番長く時間を過ごしているのが教員だと思っています。その教員は、震災の時など不安になった生徒達を支えたり、様々な場面で子ども達の支えになれる仕事だと思うので、僕は教員になりたいと思っています。また、長く教員を続けていくと震災自体を経験しない子ども達と接する機会もあると思うので、震災についての記憶を伝えていくためにもそういう仕事に就ければいいと思っています。
 僕がこれから岩手に望む事は、もっと産業、特にも観光業の発展だと思っています。先ほどもジオパークによる観光振興からの復興について言いましたが、今の田野畑で言うと鵜の巣断崖や北山崎などはジオサイトとして写真は出ているのですが、実際行ってみてもう一度来たいというリピーターを生み出す施設・設備などがまだ十分でないのですが、情報発信を活発にし、ジオツアーで地域を盛り上げていけたらと思っています。
 以上です。

千葉副校長

 ありがとうございます。

達増知事

 将来どういう仕事に就きたいかというのを考え、そして決めていく時、その志望する職に既に就いている人の話を聞いたり、そういう人に実際会ってみると非常に参考になるのですが、教員は周りにいっぱいいると思いますので、先生方に早い段階からいろいろ聞いて、どういうふうにして先生になったかというのをどうか積極的に聞いて、そして自分の志望校を固めていくといいのではないかなと思います。
 そして、観光業、ジオパークなどを通じて観光振興していくというのは岩手にとって非常に大事です。もともと国立公園でもあったという事で、岩手の沿岸地方はそこに住む人達のものであると同時に、日本国民全てのものでもあるのです。だから、国道45号線とか国の予算で作って、国が管理する道路があったりするのも、それは日本国民全てに岩手の沿岸地方というのは来てもらう価値があり、また岩手の沿岸で水揚げされた水産物、海の幸や、またそこで生産されたいろんな物も全国の人達に利用されるべき物なので、それで国道45号線というのがあったし、また今はもう復興道路でさらに高速道路、高規格道路、そういう新しい道路が今建設されている。また、この復興という事に国の予算がどんどん措置されているのも被災者、復興者の人達、同じ日本国民としてそこを支えなければならないという事プラス岩手沿岸の復興というのが、それは日本全体にとって必要な事だからやっているというところがあります。だから、上手くやれば岩手の沿岸地方というのは日本中から人が来て楽しんでもらったり、仕事やいろんな役に立つ、そういうところでありますので、県としてもそういうふうに復興していく事を目指すし、また地元の皆さんにもそういう事に協力して欲しいなと思います。

千葉副校長

 ありがとうございました。
 皆さんから一通りお話し頂きました。大分それぞれの思いを話しして頂きました。時間が随分経過しました。自由懇談の時間ですけれども、時間の関係で御一人ぐらい、誰かお話ありますか。

柳澤優大

 自分は、今宮古市の赤前に住んでいるのですけれども、高台移転だったり、復興公営住宅が建っているのですけれども、どうしても高齢者の方が仮設住宅に増えていて、そういう人達はお金も無かったりしていると思うので、高齢者のための住宅を作ったらいいのではないかなと思うのと、あとは赤前にはグラウンドというか、球場があったので、またみんなが集まれるような場所を増やしていって欲しいなと思います。

達増知事

 それは大事なポイントで、県や市町村が作っている災害公営住宅は、お金が無い人でも入ってもらえるような、そういうものとして作っていますので、お金が無いからとか、そういう理由で住む所が無い、路頭に迷うという人は一人も出ないようにしていきます。
 あとは赤前グラウンド、そういう運動出来る所、遊べる所というのは、これは増やしていかなければならないので、頑張っていきましょう。

千葉副校長

 ありがとうございました。
 それでは、もう少し時間取りたかったのですけれども、予定の時間になりました。もし、県知事宛てに高校生が何か要望や意見を申し上げたいという時にはどのような方法があるのでしょうか。

達増知事

 今日で終わりというわけでもないので、またこれと全く同じメンバー、同じ形で集まるというのは特に予定は無いですけれども、私の都合が良ければ県庁知事室に来てもらえばいつでも会えるし、手紙を書いてもらってもいいし、あるいは私も時々宮古のほうには来ていますし、あと宮古には県の事務所があるので。

桐田副局長

 魚菜市場のそばにありますから、いつでも来てください。

達増知事

 そこに伝えてもらえば、それは私にいつでも伝わるようになっています。

千葉副校長

 分かりました。

知事所感

千葉副校長

 それでは、最後に知事からお願いします。

達増知事

 大変それぞれ皆さん立派に今の高校生活を送りつつ、また将来についてもしっかりした考えを持っているので、大いに私も元気が出てきました。力付けられました。頼もしいと思います。ぜひこの調子で進んでいって欲しいと思いますし、自分を育てていくという事を通じて、また地域にも貢献してもらうと、岩手の将来は明るいなとまた私も思う事が出来たので、頑張っていきましょう。皆さんとは、またどこかいろんな所で会うのではないかなと思うので、お互いに頑張っていきましょう。ありがとうございました。

千葉副校長

 ありがとうございました。
 皆さん、本日は貴重なお話を頂きまして大変ありがとうございました。

閉会

千葉副校長

 これをもちまして県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了いたします。ありがとうございました。

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