「がんばろう!岩手」意見交換会(平成30年6月12日 久慈地区)

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ページ番号1000818  更新日 平成31年2月20日

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日時
平成30年6月12日(火曜日)10時30分から11時50分まで

場所
久慈地区合同庁舎 6階 大会議室

出席者(敬称略)

  • 参加者(敬称略)
    戸崎 ミユキ(久慈青年会議所 理事長)
    岩舘 ひろみ(久慈地下水族科学館もぐらんぴあ スタッフ)
    星野 智美(洋野町地域おこし協力隊)
    大澤 忠久(旭町記念誌刊行委員会 会長)
    越戸 優(株式会社越戸商店 代表取締役社長)
  • 県側
    知事、県北広域振興局長、秘書広報室長

開会

高橋室長
 ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催いたします。
 皆様には、御多忙のところ、また、足元の悪い中御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
 今日は、「復興のその先へ ~次の世代につなぐバトン~ 」を懇談テーマとし、この久慈地区で仕事を通じて、あるいは様々な分野での地域活動を通じて地域の復興に向けて日頃取り組まれている方々にお集まりいただいております。
 私は、本日の進行役を務めます県の秘書広報室の高橋と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1


高橋室長
 それでは、開会に当たりまして知事から挨拶申し上げます。

達増知事
 皆さん、改めましておはようございます。県議会議員の先生方もお疲れさまでございます。
 県政懇談会というのは昔からあったのですけれども、「がんばろう!岩手」というタイトルがつくようになったのは東日本大震災津波以降でありまして、特に東日本大震災津波からの復興の最先端、それぞれの地域、また、それぞれの分野で活躍する皆さんの生の声を伺って、県の施策に反映させるということでやっています。久慈地域は、東日本大震災津波に加えて、平成28年台風第10号の被害も受け、そこからの復旧・復興も合わせて進めているわけでありますけれども、地元の底力と、そして、様々なつながりの力で、力強く復興を進めているなというふうに感じています。是非、特に復興の今といいますか、様々直すべきところを直した上に、なりわいの再生、生活の再建、そういった住んでいる人それぞれが自分がやりたいこと、やるべきことをきちんとできるようにしていくというのが進まないと真の復興とは言えないと思いますので、そういったことが今の段階、どのように進んでいるのか、そこに県としてどう支援すべきかというのを見極めていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

高橋室長
 それでは、この後の進め方についてですが、まず、私から一通り御出席の皆様方を御紹介いたします。その後、お一人ずつ自己紹介をお願いいたします。その後、本日のテーマに沿ってお話をいただきますが、お二人からお話があった後に、知事がコメントするというような形で進めていきたいと思います。最後には自由懇談の時間を設けたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、お手元の座席表に従いまして、本日御出席の皆様を御紹介いたします。
 久慈青年会議所理事長 戸崎ミユキさんです。

戸崎 ミユキ
 よろしくお願いします。

高橋室長
 久慈地下水族科学館もぐらんぴあスタッフ 岩舘ひろみさんです。

岩舘 ひろみ
 よろしくお願いします。

高橋室長
 洋野町地域おこし協力隊 星野智美さんです。

星野 智美
 よろしくお願いします。

高橋室長
 旭町記念誌刊行委員会会長 大澤忠久さんです。

大澤 忠久
 大澤です。よろしくお願いします。

高橋室長
 株式会社越戸商店代表取締役社長 越戸優さんです。

越戸 優
 越戸です。よろしくお願いします。

高橋室長
 県からは達増知事、県北広域振興局の南局長でございます。

南局長
 よろしくお願いします。

高橋室長
 また、本日は私の正面、後方の席で恐縮でありますが、久慈選挙区選出の県議会議員の中平均議員、九戸選挙区選出の工藤大輔議員でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 皆様のお手元にお菓子とお茶を準備しておりますので、召し上がりながら御歓談いただければと存じます。まず、本日のお菓子を紹介いただきます。

南局長
 では、私のほうから本日お手元に御用意させていただきましたお菓子について、若干説明をさせていただきます。
 本日お手元にございますお菓子は、洋野町の板垣菓子店さんの南部もぐりと窓岩というお菓子2品でございます。板垣菓子店さんは、今から約90年前にJR八戸線の種市駅開業を機にオープンした老舗の菓子店でございます。NHKの「あまちゃん」の放送をきっかけに、お手元のこの南部もぐりが大変全国から注目を集めておりまして、今では地元の人たちだけではなく全国のファンからも愛されている、そういった菓子店でございます。

達増知事
 潜水ヘルメットの形をしているわけですよね。

南局長
 そうですね、ありがとうございます。
 今回は、その南部もぐり、そしてこの窓岩、2つのお菓子を用意させていただきましたが、今知事のほうからもお話がありましたように、この南部もぐりは南部ダイバー、潜水夫のヘルメットの形をしたものでありまして、中には三陸産の昆布を入れて炊き込んだ白あんが、ずっしりとした形で入っています。
 あと、こちら窓岩でありますけれども、洋野町の江戸ケ浜付近にございます珍しい岩、奇岩、まさに岩に窓のような穴が空いた岩がありますけれども、それをモチーフに作られたもので、これは三陸ジオパークのジオサイトの一つになっているところでございます。栗と刻んで炊き上げた白あんをパイ生地で包んだものでございます。いずれも白あんをベースとしてはおりますけれども、それぞれ異なる食感、そして風味というのをお楽しみいただければと思います。どうぞお召し上がりください。よろしくお願いします。

高橋室長
 ヘルメットからいただきます。

南局長
 ヘルメットからどうぞ。

達増知事
 南部もぐりはよく食べているので。窓岩は初めてなので、窓岩をいただきましょう。

南局長
 昆布を刻んで白あんと一緒に練り上げた形で、非常に重みのあるずっしりとしたお菓子で、私も大変大好きなお菓子です。

懇談

写真:懇談会の様子2


高橋室長
 では、懇談に入らせていただきます。最初に、お一人2分程度で自己紹介をお願いいたします。お話しいただく順番は戸崎さんから順にお願いします。
 それでは、お願いします。

戸崎 ミユキ
 久慈青年会議所で本年度、理事長を務めております戸崎と申します。今年度、「Change yourself~すべては未来のために~」というスローガンを掲げて青少年育成であるとか、地域魅力発信であるとか、活性化運動、それから今回のテーマでもあります防災・減災というものにも取り組んで活動、運動を展開しております。今日は、皆さんの御意見を聞きながら参考にさせていただきたいなというふうに思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

高橋室長
 それでは、岩舘ひろみさんお願いします。

岩舘 ひろみ
 私は、久慈地下水族科学館もぐらんぴあで勤務しております岩舘ひろみと申します。もぐらんぴあは、2年前の2016年の4月に東日本大震災から復活しました。そこで今働いているのですが、私は広報の担当として、もぐらんぴあのPRのほうを担当させていただいております。全国で知らない方も多くいると思うのですが、その方たちにも久慈市のもぐらんぴあは復活して頑張っているよというのを今後も伝えていけたらなと思います。本日はよろしくお願いいたします。

高橋室長
 よろしくお願いします。
 それでは、星野智美さんお願いします。

星野 智美
 洋野町地域おこし協力隊 星野智美と申します。私は群馬県前橋市出身であり、どうして岩手県に来たかというと、昔、浅田次郎さんの小説「壬生義士伝」というもののドラマを見て、そこで盛岡藩士の吉村貫一郎という実在しているかどうか分からないのですけれども、その方の熱い生き方を見て感動して岩手県が好きになり、旅行に訪れてからもっと好きになりました。そして、東日本大震災があって、今と同じ子どもたちと関わる仕事に就いていて、そこから岩手県の子どもたちに何かしてあげたいという強い思いが出て、昨年度から地域おこし協力隊として子どもと関わる活動をしています。どうぞよろしくお願いいたします。

高橋室長
 よろしくお願いします
 では、大澤忠久さん、お願いします。

大澤 忠久
 野田村の大澤忠久と申します。本業は、久慈市内で保険代理業のほうに勤務させていただいております。妻1人、子供3人ですが、子どもたちはみんな出て行っているので、今妻と2人暮らしです。
 旭町というのは、野田村にある町内会で運営していたのですが、東日本大震災で全戸が流失ということになりまして、それぞれ避難所から仮設住宅で避難生活を続けてきて住宅再建をということになったときに、町内の全戸がみんな移転とか、そこに戻るということができなくて代替地に行く方、元の場所に残る方、あとは自分で土地を見つけて再建される方とそれぞれになってしまいまして、平成27年に解散式をやろうということになったときに、この記念誌の刊行を有志でやりましょうということになりまして、集まって1年かけてやって、ようやく昨年末に刊行することができました。お手元にも置いていますので、後日御覧になっていただければと思います。本日はよろしくお願いします。

高橋室長
 よろしくお願いします。
 それでは、越戸優さん、お願いいたします。

越戸 優
 越戸商店の越戸です。私は、昭和56年にこっちに戻ってきまして、親父と2人で魚屋をやっているわけですけれども、最初に帰ってきた年に車がほしいものだから200万で株をやって、儲けて良い車を買おうと思ってやったら倒産株でゼロになり、そして、2008年には5月に社長になったのですけれども、9月にはリーマンショック、そして2011年にはあの大震災、工場とかみんな流されましたけれども、そうした中で、なぜ今もってその仕事ができるかというのは、生産者による日々の水揚げに助けられて、今まで仕事ができているのだなとつくづく思っている次第でございます。本当に、日々生産者の漁民の皆さんには助けられております。よろしくお願いします。

高橋室長
 よろしくお願いいたします。
 それでは、一通り御紹介をいただいたところで、ここからは今日のテーマであります「復興のその先へ ~次の世代につなぐバトン~ 」に沿って、現在の取組内容ですとか、課題、今後の方向、御自身の抱負あるいは県への期待なども含めてお話を伺います。
 先ほどの順番で戸崎さんからお一人5分程度でお願いいたします。2人ずつお話しいただいた後、知事からコメントするというふうに進めてまいりますので、よろしくお願いします。
 それでは、お願いいたします。

戸崎 ミユキ
 久慈青年会議所のほうの活動といたしましては、震災前からいろいろ防災・減災に関する活動、講演会であるとか、セミナーであるとか、子どもたちを対象にしたかるた大会というものをやっていたのですが、震災がありまして、JCは全国にありますので、一番早く何が必要なのかというところで、ネットワークを活用して、いろいろ物資のほうをいただいて各所を回らせていただいた経緯がございます。
 私は、その震災の年に入ったのですが、まだ3月には入会していなかったので、一緒に活動したというわけではないのですが、いろいろ子どもたちを元気にしようということで、鯉のぼりにどういうふうになりたいかとかそういったものを書いたりする事業を行ったりですとか、震災のときは瓦れき撤去、炊き出し、支援物資とかそういったものをやらせていただきました。
 震災の年、島原のほうと交流を持ちまして、事業として小学生十数名とそちらのほうに行かせていただいて…。

達増知事
 長崎県でしたっけ。

戸崎 ミユキ
 そうですね、はい。そちらのほうと交流を持たせていただいたりということをしております。
 知事もおっしゃられた台風10号ということがありましたので、去年、防災・減災に対して、もうちょっとここに力を入れていったほうがいいのではないかということで、5カ年計画というのを立てさせていただきまして、去年はアンバーホールのほうで未来創造フォーラムというのを開催させていただきました。その内容としましては、「ホンマでっか!?」にも出ている武田邦彦先生に講演をしていただいたり、あとは日本青年会議所のほうでも震災を忘れないで伝えていこうということで歌をつくっているのですが、今そちらのほうを歌手の川嶋あいさんという方に来ていただいて歌っていただいたり、あと小中高生を対象に標語を募集しまして、632通応募いただき表彰を行いました。
 一番力を入れたのは映像でして、できればこの場で皆さんに見ていただきたいなというのがあったのですが、時間がないということだったので、ユーチューブのほうにも上がっておりますので、是非見ていただきたいなと思ったのですが、今後、その映像をもとに伝えていこうということで去年はやらせていただきました。今年の4月には各所にスタンプラリーの設問を置いて、子どもたちが市内を回って勉強するような事業を開催させていただきました。1年で終わるものや一過性のものではなくて、継続して伝えていくことが大事なのではないかということで、その年、その年、いろんなものを考えて、同じものになることがないように伝えていければいいなというふうに思っております。

高橋室長
 ありがとうございました。
 では、岩舘ひろみさん、お願いします。

岩舘 ひろみ
 私は、東日本大震災が起こったときはまだ中学生だったのですけれども、その当時はテレビとかで被害状況などを見て、とても心を痛めたのを覚えております。そして、高校3年生になってからなのですが、同級生5人と一緒にあまくらぶというものを結成いたしました。ちょうど「あまちゃん」が終わって、ちょっと一旦ブームがおさまったぐらいの時期だったのかなと思うのですけれども、せっかく全国から久慈市が注目されたので、それをこのまま終わらせるわけにはいかないかなというので、同級生が声をかけてくれて、一緒にやらないかというので結成して、久慈市をPRしよう、元気にしようというのを目標に活動してきたのですけれども、久慈市内でのイベント活動をはじめ、盛岡市など市外のイベントに呼んでいただいたり、あとは東京のほうでもPR活動などを行ってきました。
 活動は、高校3年生の1年間という短い期間だったのですけれども、その活動を通して私自身の考えが変わりました。当時は進学希望で、久慈市に残るという考えは正直あまりなかったのですけれども、その活動を通して久慈市の人の魅力といいますか、そういうのをすごく感じまして、このまま久慈市に残って何か活動ができないかなという気持ちで、今はないのですけれどももぐらんぴあができる前のまちなか水族館という仮店舗の施設に就職して、またそこで観光に携われればなと思いました。
 2年前の2016年に、もぐらんぴあが新しくオープンしたのですけれども、震災から5年経ってやっと元の場所に戻ったのですけれども、復興のシンボルのような場所で働けることがとても誇りに思います。そして、まだ知らない方も多いというのが事実だと思いますし、そういうのを伝えていく立場だと思うので、震災あって大変だったけれども、もぐらんぴあは復活したというのを多くの人に伝えていかなければいけないなと思っております。

高橋室長
 ありがとうございました。
 それでは、知事、お願いいたします。

達増知事
 戸崎さんは、久慈青年会議所初の女性理事長ということで、本質的には女性であろうが男性であろうが、理事長は理事長なのですけれども、でも今まで女性理事長というものがなかったというのを新しい歴史を開いたということは、これはやっぱり大事なことだと思うので、マイペースで良いと思うので、頑張っていただきたいなと思います。
 全国にネットワークがあるJC、そして地域に根差したJCということで、地域に根差しながらも広くオールジャパンでもいろんな活動を展開しているところが大変心強いと思います。特に、子どもたちを元気にと、そして、青少年育成というところで震災から立ち直り、また、地域を良くしていくような人材の育成ということで、非常に良いなと思います。
 子どもたちに対し青少年健全育成をやるときに、家庭とか学校とかもあるのですけれども、家庭でもない、学校でもない、斜めの関係などという人もいますけれども、そういうところからのお兄さん、お姉さんとか、おじさん、おばさん、近所の人みたいな、そういう人たちが構うということが非常に大事なので、そういう役割をばんばん果たしてもらえればなと思います。
 岩舘ひろみさんは、あまくらぶ以来ということで、あまくらぶは本当にすごい輝きを放った1年間だったと思います。「あまちゃん」のドラマは終わって、何か見たい、何か参加したいと思っている「あまちゃん」ファンの人とか、久慈の地元の皆さんとかにちょうどうまく応える形で活動を展開し、もう本当にドラマ「あまちゃん」の中の主人公たちと同じように、東京とか遠く離れた大阪方面とかのファンの人たちがあまくらぶを応援に久慈まで来るとか、そしてまた東京のほうでも活動したりとかで、そこにファンの人たちが集まったりとか、大変地域としても県としても助けてもらったなというふうに思います。
 まちなか水族館も可愛らしくて良かったし、さかなクンをはじめいろんな人たちが手伝って助けてくれて、そういう様々なつながりの力の一つの象徴みたいな施設でもあったのですけれども、やっぱりもぐらんぴあのほうが良いですからね。復活して良かったと思います。亀とか代表的なキャラクターもいろいろいるし、久慈特有の魚の選び方や見せ方とかもあって、いろんなイベントの拠点にもなるので、是非この調子で発展させていってほしいと思います。

高橋室長
 それでは次に、星野さんお願いいたします。

星野 智美
 私は、震災当時、学童保育所で働いていて、あの時間、いつもだったら、子どもたちは学校から学童保育所に帰ってくるのですけれども、学校から指示が出なくて帰されない状態でいました。子どもたちが帰ってきてからは、避難ができるようにドアを外し、いつでも逃げられるような状況をつくり、食べ物などをきちんと把握したりしました。あとは、お父さん、お母さんのことをすごく心配していた子どもたちの不安な様子を見て、保護者への連絡もしました。道路は信号が止まったりして渋滞だったり、そういった状況の中で過ごしていました。テレビをつけると、もう何も言葉にならない岩手県の様子が出ていて、子どもたちとお母さん、お父さんのお迎えを待っていました。
 町では、東北のほうに電気を流そうというので、計画停電があって、お店とかは閉店時間を早めたり、あとはガソリンがやっぱり足りなくなってしまって、ガソリンスタンドもいくらまででお願いしますという、そういったようになってしまいました。洋野町に来て震災を経験した方たちのお話を聞いたり、あとは群馬で岩手県出身の方、陸前高田、住田町だったり、そういった方に出会って、震災当時のお話をいろいろお聞きしました。友達を亡くした方、家を流された方、いろんな方々がいて。大変申し訳ないのですけれども、私が育った群馬県はあまり地震がなかったりするので、私自身、無防備な気持ちでいるのだなと思っています。
 震災が起きてから、不登校の子に出会ったり、家庭環境が複雑な子に出会ったりして、東北の子どもたちや親を失った子たち、学校に行けない子たちのことを考えるようになり、そういう思いが結構強くなってきて、洋野町の地域おこし協力隊の募集要項を見て、子どもたちに何かしてあげたいという思いがずっとあったので、今現在勤めている放課後児童クラブを回って、子どもたちの様子を見て、現場を見て、役場の方に伝えたり、地域の方に伝えたりする橋渡し役となる活動をしています。
 洋野町は、関東、群馬と違って協力体制が素晴らしいです。たぶん岩手県全域がそうなのだと思います。日曜日に消防団の演習を見てきましたが、今住んでいる地域では、消防団が何かあったら出ていくのですごいなと思います。こういったことがあるから何かあったときに隣の人を助けるとか、子どももやっぱりそういう命の大切さを知っているからこそ、「死ね」という言葉を発しないように気をつけていたりとか、すごく勉強になることが多々あります。
 これからちょっとしたことでも良いので、子どもが「ああ、この瞬間ほっとしたな」というような空間をどんどんつくっていけたらなと思っていますので、いろいろ頑張っていきたいと思います。

高橋室長
 ありがとうございました。
 では、大澤さんお願いいたします。

大澤 忠久
 先ほど自己紹介のときにも話しましたけれども、野田村で私が住まわせてもらっていた町内の全戸が流失ということで、親の生まれたところなので以前から住んでいて、野田のお祭りとか、あとは私も消防団にも入っていまして、消防団活動とか、あとは村で地区ごとに分かれてスポーツ大会とかもやっているのですけれども、そういう大会にも参加させてもらって、いろいろ交流させてもらっていたのですけれども、大震災でコミュニティや町内というのが分かれてなくなってしまうということになったのですけれども、平成28年3月の解散式のときに、皆さんが持っている思い出を1つの本にまとめてみようということで、有志で立ち上げて、皆さんからも一言思い出を寄せてもらって、あとは村とか町内の歴史に詳しい方がいたので、その方から寄稿をいただいたり、いろいろな方から寄稿をいただいて、ようやく昨年刊行することができました。思い出に浸るだけではなくて、次の世代に、何かあったら逃げなければならないというようなことを伝えたいという思いもあって、刊行しました。
 あと本業のほうなのですけれども、東日本大震災のときもそうだったのですが、保険会社の担当者と一緒に野田村へ災害確認に行ったところ、みんなそこに住んでいたわけですけれども、全然跡形もないような状態になっていましたので、「ここは田んぼか、畑か」というようなことを言われました。あと、その後の個人の再建とかにもいくらかは役に立ったかなという思いもありますし、台風10号のときには久慈市内のほうでも保険で対応させてもらったところもありましたので、本業でもこれからそういう災害に強い保険の説明などもして、何かあったときには役に立ちたいなと思いますし、地元でもまだまだ消防団活動とか、お祭りで村を盛り上げたいという思いはありますので、そういう方向で頑張っていきたいと思います。
 
高橋室長
 ありがとうございました。
 では、知事からお願いします。

達増知事
 星野さんには、地域おこし協力隊として岩手県洋野町においでいただいて、私からも御礼申し上げます。
 群馬県は、江戸時代は上州として重要な街道が走っていて、江戸とそれ以外のところをつなぐ交流の拠点でもあり、また、明治の初めは繊維関係の近代化の最前線にもあって、実は非常にセンスが良く感受性の強い、そういう皆さんが住んでいるところで、そして、県外のことについても非常に敏感に捉えてくださる、そういうところなのではないかと思いますし、また、星野さん個人がやはりそういう思いを抱いてくださって、洋野町の子どもたちのために働いてくださっているというのは、非常にありがたいことであります。
 子どもたちがほっとする瞬間をということでしたけれども、それが何よりで、子どもはただでさえいろんな不安があり、夜やいろんなものが怖いし、そういうものを大人以上に常に持っているわけですので、まして震災の記憶とか、復興の大変さとか、そういったものもあれば守ってあげなければならないところが非常に多いので、よろしくお願いしたいと思います。
 大澤さんは、旭町記念誌を刊行されて、こういう本をまとめられるというのは、ありそうでなかなかないですね。やはり震災前のことというのは、震災があって建物などは物質的には失われているのですが、ただそれ以前にあったことというのは、これはもう永遠で、そういう思い出というものは、思い出し続ける限りなくなることはないので、このような形で思い出すことができるようにして永遠のものにするというのは、非常に大事だと思います。
 そして、趣旨として、いざというときは逃げるのだというのを次の世代に伝えるというのは一番大事なことですので、ぜひしっかりこの震災津波の教訓が次の世代にも伝わっていくように、思い出も伝わり、また教訓も伝わるようにということで、大変素晴らしい活動だと思います。

高橋室長
 それでは次に、越戸さんお願いいたします。

越戸 優
 震災とかなんとかということではなくて、水産加工業は震災前から決して良いわけではなかったわけです。そして、普代はバイパスができるということで、お客さんとかはもう店にも寄ってくれないのではないかなと思って、震災前から楽天でインターネット販売を始めていたわけです。そして、震災に遭って、岩手県から楽天のふるさと割の補助をしていただいて、3割引きにしたところ爆発的に売れたわけです。
 岩手県のサケの漁獲方法というのは定置網で、刺し網とか、そういったのは禁止なわけです。そうすると、久慈、宮古、釜石、大船渡もみんな定置網だから、鮮度管理が大体均一だと。それによって、我々がないときはあっちからも買えて助けられたのかなと思います。鮮度管理が均一だからどこに売ってもおいしい、おいしいと言ってくれるし、味がぶれない。小売店舗もやっていますから分かりますけれども、お客さんは1週間前に食べておいしかった、また行って買ってみたらやっぱり同じ味だったと。それで満足するのだけれども、違う味だったらもうがっかりして二度と買わないと。そういったものづくりの原点は、やっぱり均一な味をお客さんに伝えて、それを買ってもらうということが一番良かったのかなと思っています。やっぱり北海道ブランドのイクラとか魚は日本でも海外でもすごく支持が高いわけです。そうした中で買って、楽天、あと今は海外にもやっていますけれども、ずっと支持されるということは、やっぱりそういったことで、震災前からブランド化とか、そういったものにも業界で取り組んでいたのだけれども、これがブランドだというふうな感じで、そのとき分かった感じです。
 そして、海外の取引先の中で、大阪に400年続いている仲買さんがいます。その会社の人と知り合ったのだけれども、大阪の仲買といえども、どんどん日本の市場はしぼんでいるわけです。そういうことで、その方が東南アジアとかをいろいろ歩いた結果、タイのバンコクに辿り着いたということです。そして、自分ももう日本だけではなく、タイで日本の商品の良いところや味とかそういうぶれないところを取り扱ってもらおうとしたら、たまたまその人とめぐり会ったのです。ずっと高いのだけれども、定置網で獲れたものの温度管理もしっかりやって、絶対浸透圧とかそういったのは絶対商品にぶれがないということを説明したら分かったというふうになって、今もそうやって続いています。今年は、特に回転ずしなんかも全部輸入物に切り替わって、国内では売れない中、海外の市場ではその取組ができているから、そういったことで売っていこうと。
 そういうふうなことで、復興庁や経済産業局の手助けをもらって3年目になりますけれども、青森、岩手、宮城の3県の水産加工業者が会社をつくって、海外に向けて三陸産のブランドを売っていこう、北海道に負けないで売っていこうということで、また今年もタイとかインドネシアに行って商談するのです。震災に遭ったのだけれども、時代の移り変わりや大阪の取引先の人との出会いなど、400年続くには、やっぱり自分も変わらなければならない。例えば、小売店舗でも、親が建てた同じ場所で50年も60年も続けて仕事をやっていられるということは、田舎だからできるのだけれども、都会だったら絶対あり得ないわけです。そういったことだなと。やっぱり世の中の移り変わりにできるだけついていき、あとは国や県の方針の情報をいち早くいただいてついていく、それしか方法がないわけです。震災後に経済産業局とか復興庁のおかげでいろんなところへ行かせてもらって、待っていても何も仕事がないなというのをつくづく思っております。

高橋室長
 ありがとうございました。
 では、知事から。

達増知事
 越戸商店さんは、今年1月に工場も見学させていただいて、力強く復旧・復興を果たして、去年の様々な漁獲量の低減ということもあったのですけれども、日々の水揚げがあるということがやっぱり強みになっていて、それをきちんと加工して、あと販路を確保し発展されていることで、非常に力強く思います。
 特に、今伺った、鮮度管理が均一で味がぶれないという特色は、岩手で共通するものなので、大いに発信していきたいと思いますし、北海道ブランドに追いつき追い越せで三陸ブランド、三陸鉄道というのもありますし、来年は三陸防災復興プロジェクトというのを展開して、復興道路や三鉄も宮古・釜石間を引き受けて、三陸というのが一つのエリアとして実質的にも今まで以上にまとまっていける、これも一つの復興の成果だと思うのですけれども、それを商売にも生かしていくことができるようにしていきたいと思います。
 また、タイのほうに売ることができるようになったというのは非常に良いと思います。私も去年の12月、バンコクへ行ってきたのですけれども、皇室、王室の関係も深く、タイの皆さんは基本的に日本のことが好きなので、他の東南アジア諸国と比べても、あるいは中国とか東アジアと比べても、トラブルが少なく、また解決するのも良いということを聞きましたし、日本のものに対するニーズもしっかりあるということで、大いに期待したいと思います。

高橋室長
 一通り皆様からテーマに沿って日頃の活動やお仕事の内容、思っていることなどお話を伺ったところです。まだ予定の時間まで余裕があります。男性、女性の別、あるいは年代もちょうどうまくばらけましたので、結構遠慮されていたのかなというような感じもありました。先ほど言い足りなかったこととか、あるいは他の方からお話を聞いていて、ちょっと質問があるとか自由で結構です。ここからは自由に御発言いただければと思いますが、いかがでしょうか。

戸崎 ミユキ
 では、ちょっと知事に。モニュメントをつくるケルンの会というのがありまして…。

達増知事
 ケルン。

戸崎 ミユキ
 はい。行ったことはございますか。

達増知事
 ありますよ。

戸崎 ミユキ
 そうなんですね。

達増知事
 秋篠宮殿下、妃殿下についていきました。

戸崎 ミユキ
 ありがとうございます。いつも3.11にそこでイベントを開催しており、私たちもケルンの会と一緒にやらせていただいているのですが、人数がどんどん減ってきているなというふうに感じていまして、久慈の式典の後とかに行って夕方ともしびをやってという、たぶん沿岸のほうはやられているのかなというふうに思いますが、そういった活動は、私たちができる活動と自助、共助、公助とありまして、市とか県にやっていただきたいというところがありますので、ぜひそういったことも含めて、これからの活動に御協力をいただければなというふうに思います。

達増知事
 県が直接関わっている追悼施設としては、陸前高田市の高田松原のところにつくる追悼祈念公園プラス津波伝承館という建物は今建設中で、来年のラグビーワールドカップに間に合うようにオープンという予定なのですけれども、公園のほうは国の事業がメインになるので、国土交通省と一緒にやっているのですけれども、オープンの暁には岩手、さらに国交省的には東北のそれぞれ追悼の場のネットワークをつくっていくことが大事だという話をしていて、陸前高田のそこに行くと久慈のケルンのことも分かるようにしていきましょう。そこに案内機能を持たせたいと思いますし、あとはいろいろ同じ時間に何かやるとか、あるいはお互い行ったり来たりし合うみたいな、そういう工夫もしていくと良いのではないかと思いますね。
 お盆に同時に花火を打ち上げるという企画があったりするし、何かそういうのにヒントを得て、同時に何かやるとか、いろんな工夫ができると思います。やはり追悼ということや、追悼の場があるのだということは広く知られ、またずっと情報がなくならないようにしていかなければならないので、工夫したいと思います。

戸崎 ミユキ
 よろしくお願いします。

達増知事
 はい。

高橋室長
 他にはいかがですか。
 星野さんは、洋野町の地域おこし協力隊ということでこちらに来て、お休みのときとかはどんなふうに過ごされているのですか。

星野 智美
 休みの日は洋野町の大野キャンパス、この間は大野の食材を使ったランチバイキングがあるので行ってみたり、中野の白滝に行ってみたり。あとは東北エモーションが走るので、復興支援員で協力していただいていた宮本慶子さんが洋野エモーションを皆さんに広めていって、まだ地域の方たちが一生懸命続けて頑張っているので、私も土曜、日曜の行けるときには行って、一緒に手を振って参加したりなど、地域を回ったりしている日もあります。

達増知事
 そうですね、八戸線も大事ですからね。三鉄だけではなく、JR八戸線も大事にしていきたいと思います。

高橋室長
 元々の地元の方からこういうことを教えてもらえればなとか、あるいは周りの方から何かお勧めとかというのは。

星野 智美
 震災のときのことでもいいですか。

高橋室長
 はい。

星野 智美
 震災が起きてまだ地域が落ちついていないときは、子どもたちはどんな遊びをしていたのかなと。分からなければ構わないのですけれども、もしこんな遊びをしていたなどあったら教えていただきたいです。

高橋室長
 子どもたちがどんな遊びをして過ごしていたか。

星野 智美
 すごく辛い状況だったと思うし、それでも子どもは、あまりそういうのは分からないから笑って過ごしたり、大人を励ましたり、たぶんそういう力があって周りの人たちを支えていたと思うのです。ではすみません、質問が。震災のとき、皆さんいろいろあったと思うのですけれども、何か大変だったときにでも光とか、頑張ろうという気持ちになれたこととか、話せる程度でどんなことがあったか教えていただけますか。

高橋室長
 そうですね。

達増知事
 組織的には、久慈市の旧山形村を舞台に、地元の子どもだけではなく、その周辺やあるいは都会の子どもも連れてきて、川でワイルドに遊んだり、木に登ったり、木に何かぶら下げて、それで遊んだりとか、そういうのがありましたよね。今も継続している部分もあるのではないかと思うのですけれども、震災で中断したようなものもあるかもしれません。そういう震災前にやっていたいろんな子ども行事というものの中で、復活させたほうが良いようなものというのは、検討していくと良いと思います。

星野 智美
 ありがとうございます。

高橋室長
 大澤さん、どうぞ。

大澤 忠久
 野田村ですけれども、流通が他の地区と比べれば良かったみたいで、その日のおにぎりが1個2個だけとかというような困ったことはなかったのかなと思っています。食べるものの支援とか物資、衣類とかの支援も結構早めに来てくれて、ちょっと落ちついてからは炊き出しなんかが三沢基地とかいろんなところから毎週来て応援していただいて、何とかやって来れたのかなという気はします。
 子どもたちに関しては、やっぱり遊び場がちょっと少なくなってきたので、家の中にいることが多い子も中にはいたみたいですけれども、中学校のグラウンドに仮設住宅をつくっていたのですけれども、今はもう野田の仮設は解消し、今またグラウンドとして使えるようになったので、徐々に外で遊ぶ子が増えてきたなという実感はあります。

高橋室長
 岩舘さんは、震災時は中学生だったので…。

岩舘 ひろみ
 そうですね。中学2年生でした。

高橋室長
 ちょっとお姉さんぐらいの年代かと思いますけれども、どんなふうに見ていましたか。

岩舘 ひろみ
 震災があってからしばらく部活動がなかったり、学校行事にも影響があったりとか、普段どおり生活できない部分はちょっとあったので、そこでちょっと動揺でもないですけれども、そういうのは感じました。ちょっと不安になる部分もありました。

高橋室長
 ありがとうございました。
 今になってやっぱり思うことというのもあるのかな。そういえばみたいな。
 南局長も着任して2か月ですが。

南局長
 私も今、皆さんがお話しするのを伺っていて、いろいろと震災の頃のお話をして、涙ぐみながらという話もいろいろとあるのですけれども、私も実はあまり人にお話ししたことはないのですけれども、自分の姉をやはり震災で亡くしているのです。ですから、今いろんな形でどんどん復興が進んでいるとはいっても、やっぱり心に抱えたいろんな悩みというか、そういったものが、心のケアというのが今でもずっと大事だというのがあるのですけれども、個人的なことを言わせてもらえば、例えば震災のときの津波の映像を見るとかというのは、やっぱり今でもできないというのがあるのです。ですから、震災から本当に復興で立ち直って、新しい、次の世代に向かってというふうに走っていくためには、本当の復興というのは、こういう心のケアも含めてやっていかなければならない部分があるのだと思っています。
 先ほどいろいろと涙ぐむ場面を見ながら、皆さんも震災について、いろんな思うところがたくさんあるのだろうなというのは、私も改めて思い出してしまったところがあるので、これから後ろを向くのではなくて、常に前を向いていくという、そういう思いで皆さんと一緒に頑張っていければいいかなというふうに思っていますので、よろしくお願いいたします。

高橋室長
 改めて、今日のテーマですけれども、「次の世代につなぐバトン」というふうに副題がついておりましたけれども、よりよい復興を目指していく上で、これを次の世代に引き継いでいきたいと思うようなものについて、改めて思うことがあれば。先ほどのお話につけ加えたいとか、逆にこんなことを聞いてみたいということでも結構ですけれども、また一通りお話しいただけますか。いかがなものでしょう。

戸崎 ミユキ
 私は、活動ではなくて個人のことなのですが、うちは結構海が近くて、震災でちょっと被害に遭ったのです。やはりその当時、体調があまりよくなかったりしたのですが、うちの周りは全壊のおうちがほとんどでして、そのときに高校生のボランティアさんとかに入っていただいていたのです。それを見たときに、こうやって休んでいられないなという、頑張ろうというふうな気持ちになりまして、自分たちが経験したから伝えられることというのがあるのかなと。今の青年会議所の活動から伝えていくものとか、自分たちが伝えられるものを今後、自分の経験も含め、伝えていけたらいいなというふうに思っています。
 伝え方というのはいろいろあると思うのですが、どうしても関心がなくなり、風化していくというのをよくテレビでも言われているのですが、そういったことも含めて考えながら、これから伝えていければなというふうに思っています。

高橋室長
 ありがとうございました。岩舘さん。

岩舘 ひろみ
 私の実家は、東日本大震災のとき被害はなかったのですけれども、台風10号で実家が被害にあってしまいました。両親が飲食店を経営しているのですけれども、2か月半ぐらい休むことになって、それで片付けとかに追われたのですけれども、本当に1人だと何もできないなというのをすごく感じました。やっぱり近所の方とか地域の方の支えとかがないと、被害に遭ったときって不安でどうしようもなくなってしまうなというのを実感したので、人の支え合いということがすごく大事なのだなと、気持ちの面でもとてもそう感じるところがあったので、もしそういうことがあったときは、人の支えとかが大事ということやそのとき感じたことを忘れないように伝えていくことも大事だなとすごく感じました。

高橋室長
 では、星野さん、お願いします。

星野 智美
 岩舘さんのお話にもあったように、私は洋野町に来てかなり多くの方々に助けていただいています。子どもと接する先生の姿を見たり、親御さんやおばあちゃんだったり、すごく熱心に地域の方たちが本当の親のように子どもたちと接している姿が本当に素晴らしいなと思っています。
 はじめは、短い期間でも良いから陸前高田や大船渡に何か協力したいと考えていたのですけれども、洋野町からでもその思いは伝わるということで、今は皆さんのことを見ていて、きっと、私は見えないものってあると思うので、言葉とか行動とかではなくても、思いから、そこから次に行動とか何かに伝わって、洋野町から沿岸、全国に広がっていくと思っているので、次世代の子たちには、今気付かなくても、いつかあんなことあったなとか、そういうことを感じて、いつかつなげていってもらえたらなという思いで日々過ごしています。

高橋室長
 ありがとうございました。大澤さん、どうですか。

大澤 忠久
 震災当時、我々は炊き出しとかで御飯をいただいていたのですけれども、ボランティアの方々が手弁当で来て作業されているのはすごいなと思いました。なかなか自分は行けてはいないのですけれども、そういう活動を広めていったりとか、あとは子どもたちが本当に安心して住み、学校に行けるような状況をこれからつくっていければなと思います。通学路にしても、水害とか心配なところは避けていけるような形でつくっていったりとかできれば良いかなとは思います。
子どもはこの地域だけではなく、全体的に少なくなっているので、子育ての支援とかもお願いしたいなとは思います。

高橋室長
 ありがとうございました。越戸さん、いかがですか。

越戸 優
 私は、子どもたちとかに伝えていくというのは、イベントとかお祭り、そういったのがあれば、孫が行くところにじいちゃん、ばあちゃんも行くし、いろんなことを教えながら、また地域が連携していけるような、そういうのがやっぱり一番良いんじゃないかなと思います。今、核家族化が進んでどんどん家でもおやじとは一緒に食べないとか、そういう人たちが結構多いから、そういったものがあれば、ではみんなで行ってみようとか、子どもたちが行けばじい、ばあもかなという、そういうふうなことで何とか連携していってくれればと思います。

高橋室長
 ありがとうございました。
 越戸さんは、会社の経営者として地元の高校卒業の方たちの採用というのもずっとされていますよね。

越戸 優
 はい。

高橋室長
 若い人たちが地元に残ってもらうのにというか、そんな観点で何かこういった地域にというふうなお話ってありますか。

越戸 優
 残ってくれるというか、漁師さんや水産加工は汚いとか、そういうふうなことを言われて、なかなか後継者が育たないです。いろんな方とお話しするのだけれども、やっぱり収入がないところには後継者は育たないです。だから、今、私も子どもたちにも言うのだけれども、60歳になって、お父さんもう定年だよと、おまえたちやりなさいと言っても言うことを聞かないのだけれども、生前贈与でやるよと、もう自分の給料は減らしてもいいからと言うのだけれども、都会が楽しくて、なかなか自分の子どもでも、ましてやよその子どもたちに私の言うことを聞けというふうなことも言えないですし。水産とか漁師というのは、最低賃金に近いような状態ではなかなか人も集まりませんし、少しずつ賃金を上げられるように何とかやっていかなければならないのです。みんな大手就職サイトなどに金を使ってどんどんやっていますが、100万円、200万円かかるわけですよ。それでも人がいないから、うちも研修生の寮を第1号で補助金をいただいて建てて、今ベトナムから来ていますけれども、最初の頃に比べると2年目、3年目になれば、どこでもほしいからどんどんそのレベルが下がっていくのです。そうすると、最低賃金よりもちょっと上げれば来るとか、上げられなければやっぱり難しいとか、そういったことを考えていかなければならないかなと思います。
 賃金を上げることは本当に大変なのだけれども、会社に人がいなくてだめになったというよりは、やっぱりいくらかでも伸びたほうがいいわけです。3年ぐらい前にもやっぱりうちも来なかったのですが、この久慈広域で高いほうの給料にしないと来ないのかなと思って、やったら来てくれるようになって、毎年入ってくるようにはなったのですけれども。

高橋室長
 すみません、無理にお願いしまして。
 予定の時間になりましたけれども、改めて皆さんの話も思い返しながら、これだけは話しておきたいなということがあればお願いします。よろしいですか。

知事所感

高橋室長
 それでは終わりに、知事お願いいたします。

達増知事
 「次の世代につなぐバトン」ということで、震災津波の体験、教訓を伝えていくということは、起きたこと全てを再現して、またそれを理解してもらうというのは、やっぱり量的に難しいところがありますし、また、経験した個人のうちに留めておいても良いような記憶というのもあったりしますので、経験した側からすると、まず引き出しに入れて取っておけば良いのだと思っていて、常にみんなの前に見せる部分は、引き出しからそのとき出せる部分とか、あと相手によって出したほうが良い部分とかを出していく。そういう相手とのコミュニケーションの中で、どのくらい伝えられるかなんていうことをいろいろうまくやれる場として、このイベントやお祭りがあるのだと思うのです。追悼の式典のような厳かな部分から観光物産フェアやお祭りみたいな、あまくらぶもそういうところで活躍してもらいましたし、そういう場をいろいろつくって、そういう場に応じて何を伝えていくかというときに、震災津波の深刻さというのがあるし、また、とにかく逃げなければならない、逃げることが第一という教訓、あとは震災前のこの地域というのは、それはそれで非常にのどかなところだったのだよとか、そして震災を経験したけれども、ものすごく活力があって、これからどんどん発展もするし、いろいろ生産もするし、観光地としても賑わっていくのだよみたいな、そういうことをいろんな形で伝えられれば良いと思います。
 来年、県で三陸防災復興プロジェクト2019と称して、6・7・8月の頭までの2か月ちょい、いろんなイベントをやるのですけれども、それもそういう試みでありまして、その中でこれは毎年やったほうがいいなとか、これはこの市だけではなく、ほかの市町村でもやったほうがいいなとか、そういうふうにいろいろ工夫しながら、次の世代にバトンがつなげられるようなイベントやお祭りとか、あといろんな制度、仕組みを整えていきたいなというふうに思っています。
 そして、次の世代が働いて食べていけるようにするということがまた非常に大事で、そこはそれぞれの企業に生産性を高めていただくという努力と工夫も必要ではありますけれども、働く条件ということについては、狭い意味の雇用条件だけではなくて、やはり周りの住みやすさですね、教育、医療、福祉とか、あと自然環境や歴史文化も含まれていくのだと思いますが、そういう全体として選んでもらえるようにするためには、やはり行政も頑張らなければならないし、またJCはじめ、地域の団体とか住民有志が頑張ってやるところもあるので、そういうチームワークで働いて生活するというのを選んでもらえるように、県も頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

閉会

高橋室長
 それでは、皆様、本日は貴重なお話をいただき、誠にありがとうございました。
 これをもちまして、県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了いたします。

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