「がんばろう!岩手」意見交換会(平成30年8月7日 宮古地区)

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ページ番号1000815  更新日 平成31年2月20日

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日時
平成30年8月7日(火曜日)10時30分から11時50分まで

場所
小本津波防災センター 3階集会室兼多目的室

出席者(敬称略)

  • 参加者(敬称略)
    大濱 千佐喜(有限会社宮古マルエイ 営業担当)
    川村 将崇(GEOTRAIL 代表)
    工藤 林太郎(岩泉商工会青年部 部長/岩泉純木家具有限会社 専務取締役)
    茂木 素子(つぴたあれいわいずみ実行委員会事務局)
    吉塚 雄志(田野畑山地酪農牛乳株式会社 乳加工担当)
  • 県側
    知事、沿岸広域振興局副局長、秘書広報室長

開会

高橋室長
 ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催いたします。
 皆様には御多忙のところ御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
 今日は、「三陸の活力ある地域づくりについて」を懇談テーマとし、ここ宮古、岩泉地区で地元での仕事を通じて、また地域づくりなど様々な分野で地域の復興に向けて取り組まれている方々にお集まりいただいております。
 私は、本日の進行役を務めます県の秘書広報室長の高橋と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1


高橋室長
 それでは、開会に当たりまして知事から挨拶申し上げます。

達増知事
 皆さん、おはようございます。県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会ということで、この県政懇談会というのは昔からあるのですけれども、「がんばろう!岩手」というタイトルでやっているのは東日本大震災津波以降でありまして、特に震災復興の現場、それぞれの地域、またそれぞれの分野で活躍している皆さんの生の声を伺って県政に役立てようということがこのテーマになっています。
 きょうは、宮古エリアからお集まりいただいているのですけれども、東日本大震災津波でも被害を受け、平成28年台風10号災害でも重ねて被害を受けたところでもあります。一方、海の幸に恵まれ、また山の幸にも恵まれた豊かな自然に、この建物のあちこちに七頭舞の絵やデザインが展示されているのですけれども、歴史、文化も豊かな地域でありますから、その底力を改めて引き出しながら復興の力、またさらなる地域振興の力に変えていくことができる地域でもありますので、県としてもこのエリアの復興と地域振興にはさらに力を入れていきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。佐々木県議さんもお忙しいところありがとうございます。
 よろしくお願いいたします。

高橋室長
 それでは、この後の進め方についてですが、まず私から御出席の皆様を御紹介いたします。続いて、お一人ずつ自己紹介をお願いいたします。その後、本日のテーマに沿ってお話をいただきますが、お二人からお話をいただきましたら、次に知事がコメントするというような形で区切りながら進めていきたいと思います。そして、最後に自由懇談の時間を設けたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、今日の次第の裏面が座席表になっていましたけれども、座席順に御出席の皆様を御紹介いたします。
 有限会社宮古マルエイ営業担当、大濱千佐喜さんです。

大濱 千佐喜
 よろしくお願いします。

高橋室長
 よろしくお願いいたします。
 お隣がGEOTRAIL代表、川村将崇さんです。

川村 将崇
 よろしくお願いします。

高橋室長
 よろしくお願いします。
 お隣が岩泉商工会青年部部長、岩泉純木家具有限会社専務取締役、工藤林太郎さんです。

工藤 林太郎
 よろしくお願いします。

高橋室長
 お願いします。
 テーブルが変わりまして、つぴたあれいわいずみ実行委員会事務局、茂木素子さんです。

茂木 素子
 よろしくお願いします。

高橋室長
 よろしくお願いいたします。
 お隣が田野畑山地酪農牛乳株式会社乳加工担当、吉塚雄志さんです。

吉塚 雄志
 よろしくお願いします。

高橋室長
 よろしくお願いします。
 県からは達増知事、沿岸広域振興局の小畑副局長でございます。
 また、本日は県議会宮古選挙区選出の佐々木宣和議員にもお越しいただいておりますので、御紹介いたします。
 どうぞよろしくお願いいたします。
 皆様のお手元にお菓子と飲み物を準備しておりますので、どうぞ召し上がりながら御懇談いただければと思います。本日のお菓子を紹介いただきます。

小畑副局長
 では、私から紹介をさせていただきます。
 まず、お菓子でございますけれども、岩泉町特産の食用ホオズキ、これが練り込まれたほおずきブッセでございます。また、飲み物につきましては、本日御出席いただいている吉塚さんが田野畑山地酪農牛乳株式会社で製造されている田野畑山地酪農牛乳でございます。田野畑村の豊かな自然の中で育った牛からとれた牛乳でございますので、御賞味いただきながら懇談いただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

達増知事
 おいしいですね。

高橋室長
 名前のとおりですね。

小畑副局長
 ちょっと酸味がある。

達増知事
 珍しい食用ホオズキの香りがしますね。大きいと思ったけれども、するする入ってしまう、口の中で吸収されて、吸われていくような感じ。

懇談

写真:懇談会の様子2


高橋室長
 それでは、懇談に入らせていただきます。最初に、お一人2分程度で自己紹介をお願いいたします。お話しいただく順番は、大濱さんからの順となります。
 では、お願いいたします。座ったままで結構です。

大濱 千佐喜
 干物を中心としたカレイ専門の水産加工をやっております宮古マルエイの大濱と申します。生まれ育ったのは、海から徒歩5分の宮古市の港町です。昨年2月に8年働いた東京都内のメッキ工場を退職しまして、宮古に帰ってきました。帰ってくるきっかけは、震災で津波の影響が幸いない場所ではあったのですけれども、設備や在庫が地震の影響で被害を受けたことと、それから台風の際、工場が水没してしまったということで、2度の被災で心身ともに疲れてしまっていた両親を見て、支えになりたいなと思い、帰ってきました。
 地元を離れていた10年間に学んだいろんな経験や、少々考えなしですが、行動力を生かして、自社の工場はもちろん、行く行くは地域の力になれればと思っています。現在は仕入れの勉強で、市場に顔を出させていただいたり、営業の仕方などいろいろなことを学びながら働いています。
 地元の人間であると同時に、外で暮らしていた10年間のよそ者の視点を生かして家族や工場、それから少しずつでも地域の力になっていければと思っております。少々変わり者ではありますが、前向きに頑張っておりますので、よろしくお願いします。

高橋室長
 それでは、川村将崇さんお願いします。

川村 将崇
 先ほど御紹介いただきましたGEOTRAILの川村と申します。GEOTRAILという変わった横文字の名前でやらせてもらっているのですけれども、シーカヤックを使ったレジャー事業ですね、ガイド事業をやっております。
 私は、本業は山田町でうどん屋と山田せんべいというお菓子をつくっている「川最」という会社をやっております。そういった会社をやりながら、地域おこし、町おこしのために何かできないかと。私もUターンで、もともとは陸前高田におりましたけれども、戻ってきて会社を継ごうと思ったのですけれども、父親にはまだ継ぐなと言われ、いまだに父親は現役をしておりますが、それをやりながら何か町おこしとか、自分のためになるようなこと、地域のためになるようなことをやってみようということでカヤックガイドを始めさせてもらいました。今は、そのカヤックガイドのいろんなお仕事を通じて、こういった場にもお顔を出させてもらっていますし、山田町の復興計画なんかをつくる際のお手伝いなんかもさせていただいています。いろんな地域おこしのこと、いろんな事業をさせてもらっています。
よろしくお願いいたします。

高橋室長
 では、次に工藤林太郎さんお願いします。

工藤 林太郎
 御紹介いただきました岩泉商工会青年部の部長を務めさせていただいて、本業は岩泉純木家具というところで家具を製造しております工藤林太郎と申します。
 先ほど大濱さんが「変わり者」とおっしゃいましたけれども、私の知っている限り、普通の人は誰もいないような気がしているのですけれども、一番普通の人が私と……、違うか。
 私ごとなのですけれども、私は達増知事に非常に一方的に親近感を持っていまして、私は平成8年度に盛岡一高に入学したのですが、そのときに軟式テニス部に入りまして、そのときに知事が国政に立たれるときだか、県政に立たれるときだかに当時コーチをしていただいていたイシモリさんという方が、私が言うのも失礼ですが、「今度みんなの代表になる達増君……達増さんという方が皆さんの軟庭部の非常に有名な先輩なので、ぜひぜひ今後の活躍にみんなで期待しようね」というようなことをおっしゃっていたのがいまだに印象に残っております。
 私どもの工房は、内陸といいますか、岩泉のまちのほうなので津波の被害はなかったですけれども、やっぱり3.11を機に売上げをかなり落としてしまったところがありまして、それでなかなか立ち戻れないところで台風10号ですね。おととしの台風10号で被災をしてしまいまして、工場がかなり……。建物は無事でしたけれども、機械関係を全部修理するようなことになりましたけれども、県と町のなりわい再生補助金もできる限り活用させていただいて、国の中小企業団体中央会さんのほうで、中小企業庁ですか、出していただいているものづくり補助金も活用させていただいて、おかげさまで生産体制は何とか同じレベルまで戻させていただいております。青年部としても活動はさせていただいていますが、もろもろ本業のほうも含めていろいろあったものですから、正直私の個人的なところを申し上げますともう義務感でいろいろとやっていて、会社も私が2代目ですので、経営を存続させなければいけないという前提で事業承継に取り組んでおるような次第でございますので、結構頑張り疲れたようなところが正直あります。ですので、この後もお話しさせていただきますけれども、今後の活動として商工会青年部なり、地元の若者として頑張っていかなければならないことは、引き続き頑張りますけれども、それ以上に自分の楽しみと本業、そして本業を通じて町を活性化できる、そういった取組を引き続き進めていきたいなと考えております。
よろしくお願いいたします。

高橋室長
 ありがとうございました。
 では、次に茂木素子さんお願いします。

茂木 素子
 つぴたあれいわいずみ実行委員会事務局の茂木と申します。私は、2002年に栃木から岩泉に移住しまして、神奈川県出身の夫が岩泉に先に行って移住して、もう10年以上になります。
 2015年につぴたあれいわいずみ実行委員会というのを立ち上げまして、「つぴたあれ」というのは岩泉の方言で、「お風呂に肩まで浸かりなさい。」という意味なのですけれども、若い方でも使う方がいらっしゃらないと伺いまして、つぴたあれいわいずみとして、岩泉のおもてなしですとか、恵みにじっくり浸かってくださいねという意味で、つぴたあれいわいずみ実行委員会というのを立ち上げました。今年で3年になるのですけれども、既に12回イベントを開催しておりまして、岩泉の嫁入り行列を80年ぶりに再現してみようというイベントですとか、商店街で流しそうめんしようという、「いわいずみのみずいわい」というイベントですとか、あと今年で最後になりましたけれども、「いわいずみ手仕事市」というイベントを開催しております。
 2016年に岩泉で台風10号の豪雨災害がありまして、その後ボランティアで手伝うのをきっかけに現在は瀬戸屋旅館という、ここから30キロぐらい離れた旅館で働いておりまして、現在修行2年目です。そして、今日は女将に着物で行ってらっしゃいと言われて、着物でやってまいりました。よろしくお願いいたします。

高橋室長
 ありがとうございました。
 それでは、吉塚雄志さんお願いいたします。

吉塚 雄志
 私は、田野畑山地酪農牛乳株式会社で乳製品の加工を担当させてもらっています吉塚雄志です。山地酪農の説明を少しさせていただきたいと思うのですが、基本的には草しか食べさせないというのを重視してやっております。そして、年中放牧というのがあるのですが、こういった傾斜地ですね、そのまま活用して牛を育てるといったような形で、牛もかなり自由な行動をしながら草を食べて、休んで、水飲んでというふうな形で、今回飲んでいただいているような牛乳を出すということになっていますので、やはり季節で味が違うのが特徴となります。
うちの父を御存じの方もいらっしゃると思うのですが、かなり厳しい父で、男はみんな酪農をやれという人だったのですけれども、私が動物を扱うというのが苦手ではないのですが、あまり合っていないなというふうに思いましたが、そこから迷っていたらたまたま乳製品の加工にたどり着いたという形になっています。
 高校卒業後、北海道のほうで1年間チーズ、ヨーグルトの加工の勉強をして、本当はもうちょっとやりたかったのですが、それもまた家の事情で戻されるというような形です。でも、その後だんだんにヨーグルト、乳製品を販売しだしたのが昨年からなのですけれども、始めたばかりなのでまだこれからというところではあるのですが、だんだん自分が扱っている牛乳の魅力であったりというのを間接的に気づかされるというふうなのを今すごく感じているところです。
よろしくお願いします。

高橋室長
 ありがとうございました。
 それでは、一通り御紹介いただいたところで、ここからは本日のテーマであります「三陸の活力ある地域づくりについて」に沿って、現在取り組まれていることとか課題、今後の方向、御自身の抱負あるいは県への期待なども含めてお話を伺います。先ほどの順番で大濱さんから、今度はお一人5分程度でお願いします。お二人ずつお話をいただいた後で、知事からコメントするという形で進めてまいりますので、よろしくお願いします。
 それでは、大濱さんお願いします。

大濱 千佐喜
 先ほど自己紹介でも少し触れさせていただきましたが、前職が水産加工と全く縁がないメッキ屋さんということで、業務の内容は品質管理をしていました。本来私はこの場に呼ばれている方とは違って、まだまだ地元にお返しができていない、成果が出せていないという状態なので、あくまで妄想といいますか、意見としてでしかお話しできないのですが、お声がけいただいたということで、いろいろ考えをお話しさせていただきます。
 震災後も一番復興が進んでないと言われているのが水産加工、水産関係の事業だというふうに伺っています。市場でお話を聞いても、例年不漁であるですとか、それから震災後とれる魚が変わってきているとか、とれる時期がずれてしまったりとか、場所が変わってきたりですとか、そういういろんなことが重なって、ここ何十年かで比べると魚の質がそんなに良くなくても、魚がとれないということで値段が高騰化してしまうというようなことがたびたびあります。そういった中で実際市場に足を運んでいても、実情弊社も前浜以外の原料に頼っている状態で、水産加工を盛り立てていくのに何ができるのかなと考えたときに、まず大前提として魚がとれたら本当に活力を取り戻せるのかというところに争点があると思います。私見ではありますが、魚がとれるようになったからといって、すぐに活力が戻るものではないと感じています。というのが、環境や、社会全体が、いろいろ変わってきている中で、今までと同じやり方では魚がとれたからといって、突然、活力に繋がるとは思えないのです。
 今、宮古の水産加工屋さんで皆さんいろいろ頑張って、踏ん張ってやってくださっている中で、個人的に私が感じた部分は、アピールがとても苦手なのかなという部分です。良いものをたくさんつくっていらっしゃる事業者さんがたくさんいます。もちろんうちも高級食材ではないですけれども、一般家庭向けの商品として精いっぱい自信を持って物はつくっています。ですが、同じライバルとして全国や、もっと広げれば世界で水産加工を取り扱っている業者さんと並んだときに、アピールがうまい、下手で、商品があってもまず食べてもらえないという実情があります。なので、今一番必要なのは自己の強みや、できないこと、協力が必要なこと、そういった自己分析ですね。自社の強み、弱みというのをしっかり理解して、その上で宮古としてどういう商品を売り出していくかが大事だと思います。目的や、ゴールをより明確にして、商品を売り出していく必要があるのではないかと強く思っています。私ごとではあるのですけれども、7月から復興庁と楽天さんのマーケティングの講座に行かせていただいて、同じ三陸で頑張っている宮城県や、福島の沿岸の業者さんとお話しする機会をいただいているのですけれども、そこで宮城の仙台、石巻、気仙沼の方とお話しする中で、やっぱり宮古はそういうアピールがちょっと弱いのかもしれないと実感しています。今、私の立ち位置でできることは、まずは自分が体現をして、こういうふうにすれば、魚がとれなくても活力というのは戻ってくるのだよという事例を見せることだと思っています。そうすれば、ほかの事業者さんにも、うちもやってみようかなというふうに思っていただけるのかなと、できることを少しずつ始めさせていただいています。
 それから、もう一つ感じるのが、先ほど少し雑談で触れさせていただいたのですけれども、宮古の事業者さんはとても負けず嫌いで、シャイな方が多いのかなと思うので、同じ地元、協力しようよというよりは、おまえはライバルだ、だから俺の秘密は見せないぞみたいな。そういう雰囲気が少なからずありまして、それは盛り上がっているときはすごく良いと思うのですけれども、こうして伸び悩んでいるときは、やっぱりいがみ合うのではなくて、お互いないものを補いながら協力してできる、そういうグループづくりといいますか、仕組みというのをつくっていく必要があるのかなと感じています。
 まだ具体的にこういう活動があったらいいのかなとか、先頭に立ってこうしましょう、ああしましょうとできていないのがお恥ずかしいのですけれども、そういったところで少しずつでも発信をしながら活動できればと思っております。
 ちょっと支離滅裂ですが、私の意見は以上です。

高橋室長
 ありがとうございました。
 次に、川村さんお願いします。

川村 将崇
 テーマが三陸の活力ある地域づくりということなので、率直にこの三陸の活力を高めるにはどうしたらいいかと考えたときに、やっぱり自分みたいな若者、20代とか30代の方にもう少し頑張っていただかないと、いろんなことが多分できないのではないかなと思っています。私が住んでいるところは山田町というところなのですけれども、全くもって20代がいません。今私は27歳なのですけれども、同世代がほとんどいないと。息子の保育園に行っても、幼稚園に行っても、親はみんな30代、40代で、全く自分らの20代の世代がいません。なぜいないか。これは、働くところがないからという率直なところなのですけれども。だから、よく働くところもないとか楽しむところもないと、言われればいっぱい出てくるのですけれども。
でも実際小学校、中学校、高校で働くところがないと言っている割には、求人はいっぱい来るし、実際のところそういう話とは矛盾しているのです。小中学校のうちから何がやりたいのか、何をしなくてはいけないかというのを、私の場合は明確に何になりたいというのがあったので、それに向かって中学生から高校生になって、すぐ社会人になったので、地元企業に就職して、そこで自分の夢をかなえたのですけれども、そういった子どもたちが少ないのではないかと思っています。いろんなこういう地域おこしの活動とか、今地域の子どもに公園をつくろうという活動とかもしているのですけれども、そういった中で子どもがやっぱり何をしたいか、何になりたいかというのが全く聞こえないのです。だから、カヤックガイドをしていて、自分がお客さんで、例えば都会の子どもとか、岩手県外の子どももそうですけれども、何をしたい、何になりたいと聞いても、ぱっと出てこない。それでは、何か世の中だめになるのではないかなと率直に思って。なので、自分の中では学校に入っているときに、もう少し世の中を子どもたちに見せたほうがいいのではないかなというのはすごく思います。職場体験も1日とか、山田町内は1日とか2日ですけれども、1日、2日では世の中わからないので、もっと長い期間、長い期間ではなくても、選択肢ですね、いろんなことをやらせる、体験させる、手に触れさせるというのが多分一番だと思います。なので、私はうどん屋をやっているのですけれども、うどん屋のところに職場体験に来ても、うどん屋になりたいのかとよく聞くのですけれども、うどん屋になりたいわけではないと。では、飲食店やりたいのかと言ったら、飲食店やりたいわけではないと。では、何やりたくて来たのだと言われると、何になりたいかわからないですけれども、有名だから来ましたとか、そういった率直な子どもの意見とかを聞いて、何かちょっと悲しくなって、その人たちがそのまま大人になったときに、果たして地元に残るか、帰ってきてくれるかと思ったら、帰ってこないし、自分の同世代も何人かは漁師になりたくて帰ってきたというのはいますけれども、それも指折り数えるぐらいしかいません。このままでは、本当に宮古と合併してしまうのではないかなと、すごく自分では今思っていて、そのようにならないためにも子どもたちにもう少し世の中を見せてほしいというのが要望の一つです。
 もう一つは、今「やまだくじら大学」という地域コミュニティをつくる活動をしています。これは何かというと、山田町の宝を見つけて、それを磨いて共有することを楽しむ人たちが集まって得意なことを、例えば趣味でもそうですけれども、得意な趣味の人が集まってコミュニティをつくると、輪をつくるということです。
 今まで山田は、おのおのが楽しむことしかなくて、だから趣味、娯楽はパチンコしかないとかという現状で。そうではなくて、もう少し楽しいことをみんなでやろうよとか、もう少し輪を広げようよという活動を今くじら大学という中でしています。そういった大人になってからの輪づくりも、なかなか大人になるとないので、例えば消防団とか、それこそ商工会青年部や商売のつながりとかしかないので、そういう趣味のつながりとかがないと、地域で例えば飲み会を開くとか、お金が落ちるとかというところまで波及しないのではないかと思って、そういった輪づくりを今しています。これからももっともっといろんなイベントもそうですし、輪づくりをたくさん頑張ろうと思っていろいろやっております。

高橋室長
 ありがとうございました。
 それでは、知事お願いします。

達増知事
 大濱さんの話の中で、水産加工、なかなか復興しないということでした。確かに漁獲量の問題、漁獲量が少なくなっているとか、地球温暖化のせいか、とれる魚が違ってくるという状況の中で、漁師さんはまだ、量がとれない分価格が上がって収入はそれほど下がらなかったりということがあるということですけれども、加工会社のほうは数が少なくて、しかも原料が高くなるというのは非常にきつい話なので、大変なのだと思います。でも、加工施設、工場が復旧して、物をつくれる体制になっていれば、原料の入手先を変えたりしてでも、やっぱりちゃんと生産できる体制があって、生産しているということはいいことなのだと思います。魚がとれたときに地元のものを使うことができるというのは、漁師さんたちにとってもそれは希望でありましょうし、また一時的に外からの原料を使うというのも、これはもうありだと思います。地元のものを地元で加工して売ることができるというのがきれいな姿ではあるのですけれども、要は少しでも収入がアップするように、それぞれ漁師さんも加工業者さんも、またその関係の運送だったり、氷屋さんだったり、お店屋さんだったり、全体として少しでも収入アップにつなげるためのやり方はいろいろあると思うので、その中で工夫をしてもらえればと思います。
 その中で、アピールの問題とか、あとは協力の問題ですね。これはやっぱりアピールはしたほうが良いし、協力もしたほうが良いので、そこはいろいろ工夫していきたいところですね。その辺は、県でもみんなで一緒に商談会をやったり、展示会をやったり、そういう機会をつくるようにしていますし、アピールというのも結局不特定多数に向かって情報を一斉に広げようとしてもなかなか届かないので、営業活動みたいな感じでピンポイントでビシッ、ビシッ、ビシッと知ってもらうということの積み重ねというところがあるのだと思います。
 東北で比較しても、気仙沼とか人口も多く、生産量も多いようなところは、どうしてもお客さんや業者と接する機会も多くなり、知られやすくなる。情報量も多いので、宮古に比べるとよく知られていて、盛んな感じはするのですけれども、一方で気仙沼は多くの人が生活していて、多くの人を食べさせていかなければならないということにもなります。一方で、岩泉町の食用ホオズキというのはなかなか人に知られていなくて、知る人ぞ知るではあるのですけれども、関係している人たちの収入を確保できればいいという観点からすれば、そのくらいはもうかなり知られてきているのではないかなと思います。ですから、まずは関係者が食べていく、収入を確保するというのに釣り合うような営業活動、アピールというのをうまく工夫していくことが必要なのかなというふうに思っています。
 川村さんの話の中では、若者が少ない、それは働くところがないからと言われがちだけれども、実は求人はいっぱいあるということですが、そうとおりですよね。岩手沿岸は、岩手の中でも求人が多く、人手不足の度合いが高いわけで、いろいろ見てみれば働くところはいっぱいあって、食べていく道というのはいろいろあるのですよね。ただ、就職活動というのは、ともすると自分探しみたいなイメージで、自分には何ができるのか、何が向いているのかと自分を見つめがちになるのですけれども、自分を見つめているだけでは就職はできなくて、世の中を知らないと就職というのはできないのですよね。どういう仕事があるのか、またどういう仕事がどのくらいの収入につながるのかとか、そういう世の中を知らないと就職はできないので、まさに子どものころから、まずは地元の地域のことをよく知るというところから始めないと、就職活動というのにつながっていかないのは、本当にそのとおりだと思います。地元の若い人たちが自主的にいろいろ子どもに地元を紹介するような企画をやってくれているというのは非常にありがたいことですけれども、行政もやはり子どもたちに地元を知ってもらうという企画はどんどんやっていかないとだめですね。

高橋室長
 それでは、工藤さんお願いします。

工藤 林太郎
 本当に私、お二人の意見聞きながら、そうだよなと思いながら伺っていたのですけれども、やっぱり地域を動かすのに非常に大きな力が必要、パワーも必要なのですけれども、私が岩泉で感じているのは、大濱さんもおっしゃったように、地元民はどうしても地元の魅力を発信するのが苦手だったり、それをそもそも地元にいるがために気づけないので、広められないということがあるのではないかということはずっと感じています。
 岩泉で地域を活性化させたり、引っ張っていっているのは、こちらの茂木さんもそうですけれども、Iターンで外部からいらっしゃった方が非常に多いと感じています。食用ホオズキを手がけている早野商店の早野さんも矢巾の御出身でいらっしゃいますし、そういうところからも、地元の人ではできないきっかけづくりというのは、私は外部からいらっしゃった方の力が大きいのではないかと考えています。
 私どもの岩泉純木家具では、なかなか新卒採用というのがタイミングが難しかったので、中途をメーンにやってきていますけれども、結構外部からいらっしゃった方の引き合いが多くなってきていまして、今木工の職人をやってくれている人間は宮城県の出身で、3年前に来てくれています。私の今の考え方で、外部から変わり者をむしろ引っ張ってこようかなと、そこから元気を地元に波及させていければいいかなということを考えています。その結果、来春の新卒で事務方を1人欲しいなと思っていて、事務と経理の仕事なので、ある意味地元のパートの人でもできなくはないのですけれども、それだと本当に事務作業をするだけで終わってしまうので、波及効果ということを狙って、有料の求人サイトなんかにも登録して募集したところ、青森出身で関東の大学に通っている4年生が1人興味を持ってくれていまして、来月、1週間お試し作業をしてもらうことにしています。
 そういったところを考えて、いろいろやっていく中で、今回この「いわてグラフ」の3ページ目に、岩泉の明日の林業をつくる会という、その会のことが掲載されていますけれども、私はこのつくる会の創立のあたりから、間接的、直接的に携わらせていただいています。最初のきっかけの一つになったのが、震災の一、二年後だと思いますけれども、これは県の税でありますいわての森林づくり県民税を使わせていただいて、岩泉町で当時の小本保育園の仮設園舎に遊具をつくるというような事業を御提案いただきまして、うちの会社で受けさせていただいたのですが、このときにやりとりさせていただいたのがこの写真の一番右側に掲載されている岩泉町林業水産室の今村室長でした。そのときに地元の木を使って何かしたいなとか、地元の林業を盛り上げたいなという話を今村室長としておりまして、結果的に岩泉の明日の林業をつくる会という会の立ち上げにつながりました。ここの写真に載っている四方は、一人も岩泉町出身がいなくで、今村さんは御結婚を機に岩泉におうちを建てられた方ですけれども、残りのお三方も、このつくる会を運営していくに当たって、優秀な人材を確保しようということで、森林コンダクターという肩書で採用した人たちです。一番左の松永さんなんか、私が銀河プラザで家具のイベントをやったときに訪ねてきてくれて、岩泉でこういうのを募集しているのだけれども、ちょっと興味あるのだけれどもというお話をいただいて、私それも一緒にやっているのですという、そういうところから採用につながった面もあるのではないかなと思っています。
 先ほど自己紹介のときにお話させていただいたように、義務感でいろいろやらなければならないというのがなかなかつらいです。商工会青年部についてもお祭りとかそういうところを取り仕切ってはいるのですけれども、どうしても組織として硬直化しがちな、トップダウン的な縦割りで、特に上に行けば行くほど縦割り感が非常に強くなってくるので、どうしてもなかなかやりづらい面があります。そういった中で自分が楽しめるイベント、要は運営する側が楽しいイベントというのは参加する側も楽しめることに確実につながってきていて、それをなさっているのが茂木さんです。私は茂木さんが主催するイベントには大抵顔を出させていただいているのですが、本当に楽しくやらせていただいています。やっぱりそういうことを企画できる人をまず育てたいなということも私の今の目標の一つです。
 恐らく昨日知事にも御挨拶させていただいたと思いますが、「トビタテ!留学JAPAN」で今回フィンランドに留学するタカハシさんも、木育のイベントを機に私と知り合いになりまして、今回うちにインターンということをさせていただいています。留学先がフィンランドということで、非常に税金が高いことがバックになってはいますけれども、福祉先進国であったり、それから男女共同参画の世界トップレベルのところでもありますので、そういったところで、先ほどのお話にもありましたように、いろいろ外を見てきてもらうことで、それを地元に生かしてもらうきっかけになればいいなと考えています。
 その留学なさるタカハシさんもそうですし、先ほど申し上げた関東の大学生というのは女性の方なのですが、どうしても男社会になりがちな家具づくりとか製造業で、いかに女性が男性と差がなく働くためにはどうすればいいのかなということは、本当にこれからなので、その2人、もしくはお三方の力をかりながら進めていきたいと思っています。たまたま関東の大学生もジェンダー論というところも専攻なさっているということで、女性の働き方、そういったことは非常に興味があるということもありまして、ちょっと私と話が合うところがあって、今回お願いしようかなと思っていますし、再来年の春にも実は女性の職人候補に既に内々定を出していまして、この方も奥州市もご出身の方なのですけれども、工業高校を卒業して、今山形の専門学校で木工を勉強していると。高校時代にうちのことを知っていただいて、働きたいというお話もいただいたのですけれども、ちょっとそのときはなかなか採用のめどが立たなかったので、今は申し訳ないけれどもということを申し上げたら、ではちょっと勉強してくるので、その間に何とかということで、実は既に内々定を出している女性の方もいらっしゃいます。
 実際進めていくと、産休制度の問題とか、それから育児をするに当たって、フィンランド、北欧のほうのようにゼロ歳児から託児できるところなど、相当しっかりとしたものというところまでは、恐らくなかなかまねできないところでもありますし、行政にすぐにそこまでというのは非常に難しいことだと思っています。しかし、そこまではできないにしても、会社として何ができるか、働き方にしても同じ、朝から同じ時間に出勤して退勤するということだけが全てではないはずなので、時間短縮だったり、フレックスであったり、そういうところも柔軟にやっていきたいなと思っています。
 その中で、やっぱり教育と子どもたちとの接し方というのは、本当僕も大事だなと思うのですけれども、地元で何かやっているとほとんど子どもと顔を合わせる機会がなくて、この間岩泉高校に就職ガイダンスということでお招きいただいて行ってきましたけれども、高校生と話したのは何年ぶりなのだろうという、やっぱりそういうところですね。先ほども川村さんからも話がありましたように、職場体験というと1日だけで終わってしまいますし、何か特に地元ならではの密着性も、特にこういう近しい地域でもあるので、何とかそういったところは進めていきたいなと思う次第です。
 あとは、それに関連してですけれども、商工会さんを通じていろんな専門家派遣制度とか補助金関係もいただいておりますけれども、やっぱりそれもどうしても短期間のものになってしまいがちで、いわゆるPDCAサイクルというところの「P」のあたりは専門家派遣の方でできるのですけれども、チェックの部分、それを振り返って、その結果がうまく出ているのか、要は挑戦した内容は正しかったのか、そもそもあさっての方向に挑戦してしまっていたのかなという、そこの見極めがなかなか難しいところがあります。もし今後中小企業だったり、団体への補助の新しいものができるような場合に年単位とか、あとは1年間であっても四半期ごとに足を運んでいただいて、その後の展開というのを協議できるような、そういうこともあると非常にいいのかなと思っています。そういったところで、地元の企業の経営力とか、活力というのをつけていくことで、林業というと食べ物ではないので、非常に差が出にくいというところもあって、なかなか難しいところが正直あるのですけれども、それもやっぱり補助金頼みではなくて、産業としてしっかり成り立ってこその林業とか木材業だと思うので、その礎の部分、経営力というのを長い目でつけていただけるような、そういうことがあると大変ありがたいかなと思っています。
 あとは、木育という点から言うと、森林環境税が導入されるということをこの間勉強会で伺ってきましたので、そうなってくるといろんな山の整備とかにも当然お金が落ちるはずなのですけれども、いい形での木育、木とか林業、山に関する、一般の方に知っていただく、そういった機会をぜひ自治体とか県のほうでもつくっていただきたいですし、それがもし民間の側からそういうのを本当に効果的にやりたいということがあったら、是非それは酌み取っていただければうれしいなと思います。

高橋室長
 ありがとうございます。
 続いて、茂木さんお願いします。

茂木 素子
 工藤さんのお話で、外部からの変わり者が岩泉を元気にしているような話を受けて、ちょっと何か動揺して、何を話したらいいのかと思っているのですけれども。私は栃木出身で、神奈川出身の夫と娘と息子と、家族4人で暮らしています。2002年に岩泉に来まして、もう10年以上経つのですけれども、いまだにやっぱりこうやってよそ者と言われて、十何年経って、いつになったら私は岩泉の茂木さんになるのかなと思いながら聞いています。でもそれが良い面もあって、よそ者の人イコール変わっていると思われたら、ちょっと何かはみ出しても、あの人、よそ者だからねとなるので、すごく楽に生きているところもあります。
 つぴたあれいわいずみ実行委員会では、いわいずみ手仕事市とか、いわいずみのみずいわいというイベントなど、過去3年間で12回ぐらいいろんなイベントを開催してきたのですけれども、いわいずみ手仕事市は過去6回開催しまして、今回で6回目で最終回といたしましたが、2日間で3,500人御来場くださいました。ただ、そのときに補助金を申請したのですけれども、申請が通らず、本当に低予算で、いろんな人に頭を下げ、ボランティアで協力していただいて開催しましたが、やはりボランティアでやるということで、事務局の負担も大きくなりますし、年々来場者数が増えるということで駐車場の問題とか、空き店舗を借りるときのやりとりとか、すごく煩雑なことが増えてきまして、とりあえず一回休もうというか、やめようと思いまして、今回やめました。
 いろんな話を伺いますと、イベントをしていくことで、かえってやっている方たちが疲れていく、疲弊感が増していくと伺います。そうではないあり方というか、イベントを主催している方も楽しくて、来ていただく方も楽しむことが大事で、何回かイベントを商店街で開催していますが、商店街でもともと頑張っていらっしゃる方たちにも楽しんでいただきたいと思って、そのためにはどうしたらいいのかなと考えると、関わっていただく方たちに充足感を持っていただくということでした。そして、どうしたら充足感を持っていただけるかなと考えると、やっぱり褒めていただくことも大事ですけれども、批判も大事かと思うのです。こうしたよそから来た人たちの集まりで、好きに岩泉でやっているというふうに思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、批判を受けることでさらに伸びていくと思いますし、無関心でいられるよりかは批判をされた方が、褒められて有頂天になるよりは、何か変わっていくのではないのかなと思います。資金面で言えばもちろん補助金が通ったら通ったなりにやれることも変わってくると思いますが、私自身、資金がない中でどう活動を続けていったらいいのかなと考えまして、今度いわいずみどんぐり学園という新しいプロジェクトを考えました。いわいずみどんぐり学園というのは、もともとドングリを食べる文化が岩泉にありまして、2016年の台風10号の豪雨災害前までは道の駅いわいずみでどんぐりパンですとかどんぐりクッキー、どんぐり麺、どんぐりラーメンなど販売しておりましたが、店舗も工房のほうも被災しまして、現在販売、製造はされておりません。商店街にある中松屋さんに伺ったところ、どんぐり生チョコクッキーは販売されておりますが、普段県内外からお越しくださったお客様が、岩泉でドングリを食べていたという文化があることを知って、何か食べてみたいと思ったときに、買える場所がないのです。そういう文化はやっぱり残しておきたいと思いますし、今70代、80代の方たちがお元気で、なおかつ教えたいという気持ちを強く感じますので、そういう方たちから是非お話を伺って、何度も挑戦してやっていきたいと思い、いわいずみどんぐり学園というのを立ち上げました。これは例えばどんぐり学園で遠足しましょうと言って、そうしたらドングリ拾いに行くだけなのですけれども、そうしたらそんなに予算も何もかからないけれども、そのプロジェクトの中でずっと続けていくことはできるのかなと。これを5カ年計画で考えておりまして、今それをつぴたあれいわいずみ実行委員会のみんなに、「5年でやるよ」と言って、みんな5年は覚悟してねとずっと洗脳している最中です。そんなことをしております。

高橋室長
 ありがとうございました。
 では、知事お願いします。

達増知事
 地域振興において、外部からの人材というのはなくてはならないものと言ってもいいくらい鍵になる存在なので、留学支援などもしてもらって、そういう外部人材をつくるというか、内部の人にもそういう外部の部分を身につけてもらうみたいな、そのくらいしてまでそういう外からの視点とか、発想というのは大事なのです。私も高校を卒業した後東京に行って、アメリカで暮らしたり、シンガポールで働いたりもし、また東京でしばらく働いて、岩手に戻ってきているので、特に外務省で働いていたときの癖で、外国を見る目で岩手を見るみたいなところが結構あります。外務省での仕事は任地、行った先、シンガポールならシンガポール、どこが強みか、どこが弱みか、その中で日本が協力して、日本のためになるような部分はどこか、そしてまず今すぐやらなければならない優先順位ですよね。これは今手を打っておかないとチャンスが逃げてしまうとか、これはちょっと後回しというか長期的にやればいいなという目で結構岩手を見て、どこが強みか、どこが弱みかという感じでやっていますよね。
 人口減少対策の議論をするときに、1995年は岩手からの人口流出が329人しか流出していないというのは僕がいち早く発見し、ずっと岩手にいた県職員よりも先にそういうのに気づくみたいなところがありました。人口減少というのは、ある一定の割合で岩手から都会に人が流れていくと思いがちなのだけれども、年によって全然違うのです。バブルのころは1万人ぐらい流出するのですけれども、90年代は1,000人とか2,000人しか流出しない時期があり、一番少ないのが1995年の329人。1995年というのは、僕が外務省を辞めてこっちに戻ってきた年でもあって、僕と妻と息子がいないと329のマイナスというのは332になっていました。戦後岩手は人口流入になったことはないから、1995年が人口流出が一番少なかった、その記録を伸ばすのに3人分貢献しているのですけれども、そういうこともあるから、やっぱり外からの視点や発想はものすごく大事だなと、なくてはならないなと思いますよね。足りないと思ったら、身内を留学させて、外部性をつけさせるぐらいしたほうが良いことだと思います。
 茂木さんは、いろいろイベントをやられているようですが、イベント疲れ、それは工藤さんが言っていたように既存の組織で今までやっていたことをベースにやろうとすると、どうしても同じことを繰り返して疲れていくというパターンに陥る危険性があるので、うまくそれを回避することが大事なのだと思います。こうすれば絶対オーケーというのがなかなかないことではあるのですけれども、やはり主催者側も楽しめるということが大事なのだと思います。いろんなところで、お祭りなどの主催者側の人数が減って、残った人たちがとにかく苦行のようになっていくというのは、岩手の幾つかの場所でも起きていて、そういう話も聞くのですけれども、休んだほうがいいと思ったときには休むというのも決断だと思います。そういう中からまた新しいアイデアが出てきたら、そっちをやったほうが良い場合もあるわけですから、楽しめるということを大事にしていくのが良いのだと思います。ありがとうございました。

高橋室長
 それでは、お待たせいたしました。吉塚さん、お願いいたします。

吉塚 雄志
 一番最後ということで、ちょっといろいろ緊張しているところもあるのですけれども、まず弊社の商品として、今販売しているのは、会社を始めた1996年から牛乳をずっとメーンでやっています。私が生まれたのが1994年なので、私が生まれて2年後から始まっているという形です。そのときから中学校、小学校であったり、高校であったりという体験学習のほうも、ずっとここ十何年は受け入れしています。受け入れはしているのですが、なかなか酪農家自体が増えない、それどころか減っていっているというのが現実です。岩手県は、やっぱり畜産県ということにはなってはいるのですが、やっぱり私がいる田野畑村でも、恐らく酪農家が10軒はないです。10年前、20年前となると、やっぱり何十軒とある。そう考えると、かなり減っているというのが現実です。一つとしては、後継者がいないというのが一番の問題にはなっていると思うのですが、そもそも先ほど純木家具の工藤様がおっしゃられたように、地元にいるとどうしてもそれが普通になっているので、地元の良さに気づきにくいという部分があるかなとは思います。私の父と母は、どちらも千葉県出身なので、御縁があってこの山地酪農というのをやることになったのですが、千葉からこっちに来たときに、やはり田野畑の自然を魅力に感じて、なおかつ、この山地酪農というのが山をそのまま使う、表土を削らないということは絶対やらなければいけないと。そして、もしこれがうまくいくことで、もっと酪農家が増えたらと。よく父が言うのは、TPPとかも酪農家の減少にそこまで影響していないのではないかというのも最近は言っています。私も、酪農家さんもそうですけれども、山地酪農家ももっと増えればいいのかなとは思いますが、まだいまだに2軒というふうな、ちょっと厳しい状態ではあります。
 山地酪農をやるに当たって、一つはお金を生むまでに何十年かかる、まず山をつくり上げてからでなければ意味がないというところがあるので、やはり特殊なやり方なので、それこそ特殊な人間でなければ、ちょっとおかしい人でなければできないと言ってもいいものです。ですので、なかなかこれを増やすというのは簡単なことではないなというのを最近すごく感じています。
 会社としても今製品をどんどん増やしていっています。今ヨーグルト、チーズ、バターは私が専門でつくらせていただいているのですが、そのほかに岩手町にある菊池牧場さんをいうところにお願いして、岩泉の龍泉洞黒豚さんと私の家の山地ビーフを使用してドイツ仕込みのソーセージ関係の商品を作っていただいて、商品を増やしているという形です。
 また、近隣の市町村さんで取り扱っている海藻類だったりも弊社で仕入れて、盛岡に発送だったりして販売させていただいています。
 今後の課題としましては、まだ乳製品のほうは製造を始めたばかりなので、まず安定したものをつくり、お客様からの信頼を受けるというのが第一かなとは思います。
 あとは、弊社も宣伝というのがやっぱりちょっと苦手なものなので、今後はそういう宣伝にも力を入れて、どんどん顧客を増やすというのもやっていかなければいけないなと思います。
 私の考えなのですが、三陸には山の幸、海の幸というのがすごくたくさんあって、それこそ地元の方は毎日食べているものであったりなので気づかないのですが、私も北海道に1年間研修して、もちろん北海道のものもおいしいですが、やっぱり地元のワカメが食べたいなとか、やっぱりおいしかったなとかと思うこともあるのです。ですので、そういったものをワカメ単品として売るのも良いとは思うのですが、山のもの、海のものを混ぜたレトルト食品であったりとか、そういう融合をさせて、三陸の特産品として販売できていったら、もっと地元のもの、三陸のものが世に出るのではないかなと考えています。
 もう一つが、会社のことではないのですが、私は地元の郷土芸能のほうもやっていまして、名前が甲地(かっち)鹿踊り保存会というのですが、これももうかなり古くから伝わる伝統芸能になっています。一番下の子は保育園児、一番上が80代の方というふうにかなり年齢層が広いということで、すごいことだなと自分でも思うのですけれども、年齢層としては、20代、30代が中心となって今動いています。昔は、もっと踊る場面というのがすごく多かったのですが、そもそもイベントがなくなったりとか、若い人が減ったりということで、あまり踊る機会が少なくて、踊っても年に4、5回しか踊らない、せっかく人数がいてもそれぐらいしか踊れないというふうなのがあり、私としてはやっぱり悔しい部分があります。岩手県にもかなりの郷土芸能がたくさんあるけれども、やっぱり私たち自身も知らない郷土芸能というのがすごくいっぱいあると思いますし、甲地(かっち)鹿踊りというのも知らない方がたくさんいらっしゃると思うのです。

達増知事
 甲地(かっち)鹿踊り。

吉塚 雄志
 はい。そういった知らない郷土芸能が私は好きなので、ユーチューブとかで有名なものも拝見するのですが、あまり知られていないようなものを見て、「わあ、すごいな」と思っているのですけれども、そういった自分たちの地元にある郷土芸能というのをもっと、まず自分たちから誇りに思って、いろんなところで踊るというふうな体制を自分たちから発信できればいいなと思います。なかなかそれは難しいことなのかなとは思っていますが、今20代、30代が主体となって郷土芸能もやっているので、もっとこれからそういう踊る場面を増やしていけたらいいですし、地元だけで踊るのではなくて、もっといろんなところで踊れるような状態ができたらいいのかなとすごく思っています。

高橋室長
 ありがとうございました。
 では、知事お願いします。

達増知事
 山地酪農、うまくいってほしいですよね。酪農版短角牛みたいな、山で育てる牛の酪農ということで、そういうのが良いと思う人は世の中にたくさんいるはずですので、そういう人たちに利用していただけるような持続可能な形でいけるのではないかと思います。
 また、加工品もどんどん展開しようとしているというのも良いですよね。やっぱり付加価値をつけて、より高収入につなげるというのが基本でありましょうから、是非乳製品もそうですし、ソーセージも、やっぱりまだ日本国内、こだわりのソーセージというのは、まだまだこれから伸びる余地があると思います。菊池牧場さんは、あそこは泊まったこともあってよく知っていますけれども、腕は確かだからいいのではないかと思います。
 やはりまた宣伝の話なのですけれども、来年、三陸防災復興プロジェクト2019というのをやります。これは、もともとは三陸鉄道が宮古釜石間も引き受けて一本につながって再出発というときに、それを大々的に全国に知れ渡るように宣伝しようというところから始まった企画なのですけれども、今回西日本豪雨災害があった中で、西日本のほうの対応を見たり、直接知事さん方から話を聞いていると、東日本大震災津波のことが風化し、せっかくの東日本大震災津波の経験が生かされていないところがあって、やはり改めて東日本大震災津波の経験、そして平成28年台風10号の経験というのも非常に大事なので、そういうのを発信していく必要性というのも痛感しています。そういう震災に関する発信、そして復興の姿を見てもらいながら、三陸鉄道も宣伝し、ひいては岩手沿岸三陸の物産や観光のPRを一斉にやろうという企画となります。当初は「三陸防災復興博覧会」という名前も案もありましたが、陸前高田市や被害が大きかった地域から、博覧会という雰囲気ではちょっとないという声もあって、三陸防災復興プロジェクトという名前となりました。三鉄のフルオープン後であり、そして釜石のラグビーカップの直前となる来年6月、7月、8月頭までの2カ月半にわたり行うもので、釜石のラグビーワールドカップの宣伝もそこで大々的にやろうということなのですけれども、まずは三鉄沿線、三鉄の駅舎などを活用して、いろんな展示とかイベントをやると。全ての市町村にも実行委員会に参加してもらっているので、市町村ごとにもいろんなイベントをやろうという話で準備をしています。主なイベントの概要は、大体実行委員会のほうでつくって、県のホームページでまず見ることができる状態にはなっているのですけれども、それもそれぞれ生かしていただいて、自分のところでやっていることの宣伝とかPRにもそのチャンスを生かしてもらうと良いと思います。
 来年やってみてうまくいったら毎年続けるというか、岩手沿岸で常に三陸防災復興プロジェクトをやっているような状態、つまり、常にどこかで震災、防災に関する発信が行われている状態にして、また、そうすることにより、復興の勢いで活力ある物産や観光を知ることができるし、体験、消費することもできるので、常にそういう状態に岩手沿岸はありますよというふうにしていきたいと思っています。大きい要素である三陸鉄道というのも、それが一本化するというのは結構大きい話ではあるのですが、道路ですよね。道路が復興道路ということで、高速化して、岩手沿岸というのは歴史上初めてというか、明治近代化以後初めて、実質的に一つになると言っていいと思うのです。
 ここ、小本もインターの出口がすぐそばにあるのですけれども、高速道路が出来る前と比べれば、宮古に本当にすぐに行けるようになりました。そして、山田もそんな遠くないという感じになってきているし、田野畑のほうもそうだと思います。こういう隣の市や町や村に行くのに、かつてはものすごく時間かかっていたのが、今はもう一瞬で行けるようになってきているし、どこかに集まるというのも集まりやすくなっているので、そういう高速道路効果により岩手沿岸というのが震災前とは違う使い方ができるようになることをうまく活用していきたいですね。人が動きやすいというのは、物も動きやすいし、また情報も動きやすいから、今までのようなそれぞれの地域からの個別の発信だけではなくて、広い三陸沿岸をフルに使いながら、情報の発信も重層的にやれるようになるので、やらなければならないというふうに思っています。

高橋室長
 それでは、皆様から一通りテーマに沿ったお話を伺ったところです。
 大体予定の時間に近づいてきて、ちょっと自由懇談という感じにはならないのですけれども、さっき言い足りなかったこととか、あるいはかなり話が絡んでいたので、ほかの方のお話を伺って、何か今気がついたこととかもあるかもしれませんので、是非お話しされたいというふうな方ということで。
 では、工藤さん。

工藤 林太郎
 うちの工房のスタッフからぜひお伝えしてくれと言われたことなのですけれども、国道455号線の道路沿いの草がかなり生い茂っていて、岩泉側のほうは草刈り進んでいたのだけれども、先月末の時点で盛岡側のほうがかなりわさわさになってきています。例えば、薮川とか外山あたりでトラック同士がすれ違う際に、御近所の方がその草の中にいたら気付かずに草をかき分けて行ってしまいがちなので、ご予算の都合ももちろん大変だとは思うけれども、何とかお願いしたいということを申しておりました。

高橋室長
 はい。
 それでは、どうしてもこれだけはという方がいらっしゃったら。
 では、お2人、お願いします。

達増知事
 それぞれどうぞ。

高橋室長
 茂木さん。

茂木 素子
 私、どんぐり学園の遠足まで話していて、学園祭をお話しするのを忘れていました。11月24日に今年初めていわいずみどんぐり学園祭というのを、うれいら商店街で開催します。これは、いろんな雑貨とか、模擬店とかの形式をとって、ドングリの食文化ですとか、産業の面から、そういった面で幅広い年代の方に楽しんでいただけるような、お祭りですけれども、ちょっとふざけて、でも内容は真面目に開催したいなと考えておりますので、よかったらいらしてください。

達増知事
 縄文時代の人もドングリ食べていたみたいだから、非常に古代ロマンみたいなものもあっていいのですよね。ぜひぜひ。

高橋室長
 では、大濱さん。

大濱 千佐喜
 2点、すみません。もっと市の役所の方と、それから事業者と距離とか意見交換とか、お互いに交流できる場というのがすごく欲しいなというふうに思っています。民間だけではできないこと、行政だけではできないことというのがやっぱりそこの連携でいろいろできてくるところもありますし、言い方次第では大変失礼になるのですけれども、やっぱり民間としては、理解していただいていないのに、支援をしてあげるよ、これあげるよと言われても、欲しいものではないときも正直あるのですよね。物ができたからいいでしょうではなくて、続けるために活力を持てるようにというふうになると、そういったところの意見交換のこういう場をたくさん設けていただいて、一緒のチームとして頑張れるような、そういう組織づくりというのは是非やっていただきたいなと感じています。それから先ほど未来の子どもたちに向けてというようなお話はたくさんしていただいたので、私のほうからはうちの会社、私、30になったばかりですけれども、30代、上は70代、平均年齢58歳と大変高齢な職場になっております。これからどんどん後期高齢者が増えていきますし、若い子たちのための取組もですけれども、その一環として後期高齢者が生き生きと生活できる、やりがいを持ってできる仕事環境というようなところにも力を入れて、ここで年をとりたいなと思っていただけるような環境づくりも大事ではないかなと思っています。そういったところもいろいろと行政、民間、意見交換しながら協力してやっていければと思っていますので、よろしくお願いします。

高橋室長
 では、皆様ありがとうございました。

知事所感

高橋室長
 最後に、知事からお願いします。

達増知事
 行政、民間の意見交換の場は、かちっとした組織を立ち上げる手もありますけれども、三陸防災復興プロジェクトみたいなイベントの実行委員会の延長上に宮古エリア準備会とか、市町村ごとでも、エリアごとでもいいのですけれども、制度化して定期的にではなくても、まずはイベントの準備のために意見を聞きますとかでもいいから、何かかんか名刺交換ができる機会ぐらいでもいいので、その辺から始めるといいのではないかと思います。
 あと郷土芸能の話をさっき言い忘れていたのですけれども、郷土芸能漫画というのが出始めていて、「鬼踊れ!!」という東京の高校の郷土芸能部が舞台になっていて、東京の高校だけれども、鬼剣舞とか鹿踊りとか、岩手のやつを取材して、それを踊る漫画があるし、あと最近は広島の安芸高田市で神楽甲子園、毎年全国から高校の神楽を集めてやっているのですが、それを題材にした漫画も連載が始まっています。その神楽甲子園には岩手県からも葛巻高校だったかが行っているということで、高校生たちのおかげで、結構郷土芸能というものの良さが日本に広まり始めていますが、岩手は沖縄と並ぶ郷土芸能の宝庫で郷土芸能団体が1,000ぐらいあります。岩手か沖縄かというところで、沖縄というのはちょっと特殊でもあるから、岩手は日本で一番郷土芸能が盛んな県と言ってもいいくらいなので、県としても郷土芸能にも力を入れていきたいと思います。
 ということで、今日は非常に参考になる意見をたくさん聞くことができましたし、また皆さんが地域で頑張っている姿は非常に心強いので、何かあればどんどん県のほうにも言ってきてほしいと思いますし、私に直接でもいいので。このメンバーでまた会うというのは、そういう予定は今はないのですけれども、いろいろ仕事上、またどこかで会う機会はありそうな感じはしますので、よろしくお願いします。

高橋室長
 それでは、皆様、本日は大変ありがとうございました。

閉会

高橋室長
 これをもちまして、県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了いたします。

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