「いわて幸せ作戦会議(in奥州)」(令和3年2月2日)

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ページ番号1038396  更新日 令和3年4月21日

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日時
令和3年2月2日(火曜日)10時30分から11時50分まで

場所
奥州地区合同庁舎 分庁舎3階 大会議室

出席者

・参加者(敬称略)
 
細田 真弓(特定非営利活動法人いわてNPO-NETサポート 理事)
 佐々木 久美(Gold Renta 代表)
 加藤 紗栄(ユキノチカラプロジェクト協議会 事務局/ブランドマネージャー)
 富川 岳(株式会社富川屋 代表取締役/ローカルプロデューサー)
 及川 順也(岩手銘醸株式会社 専務取締役)
 櫻井 陽(あぜみちデザイン)

・県側
 知事、県南広域振興局長、政策企画部長

開会

八重樫部長

 ただいまから県政懇談会「いわて幸せ作戦会議in奥州」を開催いたします。
 皆様には御多忙のところ御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 本日は、「地域資源を活用した交流人口拡大に向けて」を懇談テーマとし、県南地域の活性化や魅力の向上につながる活動に参画されている方々にお集まりをいただいております。
 私は、本日の進行役を務めさせていただきます県の政策企画部長の八重樫と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 

知事あいさつ

写真:懇談会の様子1

八重樫部長
 それでは、開会に当たりまして、知事から御挨拶を申し上げます。

達増知事
 皆さん、おはようございます。せっかくパーティションがあるので、パーティションの中からしゃべりますけれども、お忙しいところ、今日は県政懇談会「いわて幸せ作戦会議in奥州」に参加いただきまして、誠にありがとうございます。県議会議員の皆さんもお忙しい中、ありがとうございます。
 県政懇談会というのは県内各地域、また各分野で活躍する県民の方々に直接お話を伺って県政の参考にしようというものでありますが、「いわて幸せ作戦会議」という名前にしたのは昨年度からでありまして、昨年度、いわて県民計画、新しいいわて県民計画の基本目標「東日本大震災津波の経験に基づき、引き続き復興に取り組みながら、お互いに幸福を守り育てる希望郷いわて」からちなんで、この「いわて幸せ作戦会議」という名前にしています。
 そして、今日のテーマは、「地域資源を活用した交流人口拡大に向けて」ということであります。新型コロナウイルスの流行で、世界全体として、日本でも感染対策をしながらいろんなことをやっていかなければならないというところでありますけれども、そういう中で自分たちの生活を見詰め直す、仕事を見詰め直す、そして地域を見詰め直すという契機になっていると思います。守るべきものを守り、そして大事にすべきものを大事にし、またやらなくていいようなことはもうやらないようにするなどなど、新しい生活様式という言葉がありますけれども、これは仕事とか様々な分野全体につながっています。そういう中で感染リスクの高い大都会に暮らし、働くよりも、感染リスクが低く人口密度も適切で、人と人との関係というのも豊かで、人間本来そういうところで住んで働くべきなのではないかという見方も今大きく広がっているところでありまして、地域資源を活用した交流人口拡大に向けて取り組んでいる今日の皆さん方は、新型コロナウイルス対策の方向性にもマッチしているというふうに思います。ぜひ皆さんのお話を伺って、県政の参考にしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

八重樫部長
 それでは、この後の進め方についてですけれども、まず私から一通り御出席の皆様方を御紹介いたします。その後、お一人ずつ自己紹介をお願いいたします。その後、本日のテーマに沿ったお話をいただきますが、お二人のお話があった後に知事がコメントするという形で区切りながら進めていきたいと思います。そして、最後に自由懇談の時間も設けたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、座席表に従いまして、本日御出席の皆様を御紹介いたします。特定非営利活動法人いわてNPO-NETサポート理事、細田真弓さんです。

細田 真弓
 よろしくお願いいたします。

八重樫部長
 Gold Renta代表、佐々木久美さんです。

佐々木 久美
 よろしくお願いいたします。

八重樫部長
 ユキノチカラプロジェクト協議会事務局、ブランドマネージャー、加藤紗栄さんです。

加藤 紗栄
 よろしくお願いいたします。

八重樫部長
 株式会社富川屋代表取締役、ローカルプロデューサー、富川岳さんです。

富川 岳
 よろしくお願いします。

八重樫部長
 岩手銘醸株式会社専務取締役、及川順也さんです。

及川 順也
 よろしくお願いします。

八重樫部長
 あぜみちデザイン、櫻井陽さんです。

櫻井 陽
 よろしくお願いします。

八重樫部長
 県からは達増知事、県南広域振興局の佐々木局長でございます。

佐々木局長
 よろしくお願いいたします。

八重樫部長
 本日は、県議会議員の皆様にお越しいただいておりますので、御紹介いたします。
 北上選挙区選出の高橋穏至議員です。

高橋穏至県議
 よろしくお願いいたします。

八重樫部長
 一関選挙区選出の岩渕誠議員です。

岩渕誠県議
 よろしくお願いします。

八重樫部長
 奥州選挙区選出の千田美津子議員です。

千田美津子県議
 よろしくお願いいたします。

八重樫部長
 皆様のお手元にお菓子と飲物を準備しておりますので、召し上がりながら御懇談いただければと思います。
 本日のお菓子を佐々木局長から御紹介いただきます。

佐々木局長
 それでは、本日のお茶とお菓子について御説明を申し上げます。
 まず、お手元のお菓子は、西和賀町のお菓子処たかはしで販売をしております金のフィナンシェと銀のフィナンシェでございます。こちらの商品は、本日御出席いただいております加藤紗栄さんがプロジェクトの事務局を務めていらっしゃいます西和賀町のユキノチカラプロジェクトで商品開発されたものでございます。西和賀町のふるさと納税返礼品にもなってございます。西和賀町は、県内一の豪雪地帯でございますが、雪の恩恵を多く受けた魅力ある資源が豊富な地域でもあります。ユキノチカラプロジェクトでは、雪を町の力に変えるというコンセプトの下、町の事業者、デザイナー、地域の金融機関等が連携し、地域ブランド「ユキノチカラ」を立ち上げ、商品開発、販売に力を入れるとともに、地域ブランドとして魅力を発信していらっしゃいます。金のフィナンシェには西和賀町産の蜂蜜が使われておりまして、銀のフィナンシェは生地に西和賀町産のそば粉を使用し、ソバの実をちりばめた商品となってございます。また、パッケージには西和賀町の雪をモチーフにデザインが施されています。風味豊かな2種類のフィナンシェをどうぞ御賞味ください。
 飲物は、昨年6月に北上市の株式会社更木ふるさと興社から発売された更木桑ほうじ茶でございます。北上市の更木地区におきまして、山間地の冷涼な気候で育った香り、味とともに優れた桑葉が使用されております。すっきりとした味わいの誰でも飲みやすいお茶でございます。どうぞ御賞味ください。

八重樫部長
 どうぞ皆さん、カーリングのもぐもぐタイムではないですけれども、どうぞ食べながらお願いします。

懇談

写真:懇談会の様子2

<テーマ>
地域資源を活用した交流人口拡大に向けて

八重樫部長
 それでは、最初にお一人1分程度で自己紹介を順番にお願いいたします。
 初めに、細田さんからお願いいたします。

細田 真弓
 北上から参りました、いわてNPO-NETサポートの細田と申します。どうぞ本日はよろしくお願いいたします。
 現在は北上に住んで活動しているのですけれども、盛岡生まれ、盛岡育ちということで、8年前に北上に移住しまして、お米の無農薬栽培に携わるところからこの活動が始まっております。そちらに行く前は、庭の草一本取ることのないような毎日を過ごしておりましたので、もう本当にこんなに厳しい世界があるのかと思いまして、衝撃を受けました。それと同時に、本当に間近で見る田園風景の美しさですとか、それから取れたての農産物のおいしさは、今まで何を食べてきたのかなと衝撃を受けるほどおいしかったのを今でも覚えております。
 それがきっかけで北上の生産物農家のオタクになりまして、今のNETサポートの理事という立場になりまして、北上の農産物のPRの事業を行いながら、個人的にはマルシェですとか、朝市の企画を行っております。本日はよろしくお願いいたします。

八重樫部長
 ありがとうございます。
 続いて、佐々木さんお願いします。

佐々木 久美
 平泉町から参りました佐々木久美と申します。私は、世界遺産平泉町でゴールドレンタ平泉と申しまして、レンタサイクル、レンタカー、マイクロバス、そして公道用カート、タイヤショベルなどをレンタルする会社と、体験Café+WAと申しまして、いろいろな体験ができるお店、ほかイベント企画やイベント会場としても使える飲食店を経営しております。主に観光案内や平泉を一人でも多くの方に知ってもらうためにいろいろな企画をするために、いろいろな地域、団体と大手会社との連携で観光客を呼び戻すため、いろいろなプランを計画中でございます。
 そして、そのほか私が代表を務めます町民有志団体、町を元気にし隊、NPO法人みんなでつくる平泉と、平泉町社会教育委員会、それと平泉町商工会女性部常任委員として、あともう一つは平泉ユネスコ国際交流会、そして平泉の中学校にてPTAの役員をしておりますし、一部ちょっと講師をさせていただいております。
 最後になりますが、今年開催される東京オリンピックの聖火ランナー平泉代表として走ることになっております。本日はよろしくお願いいたします。
 以上です。

八重樫部長
 ありがとうございます。
 続いて、加藤さんお願いいたします。

加藤 紗栄
 西和賀町から参りました加藤紗栄と申します。今日はよろしくお願いいたします。
 私は、ユキノチカラプロジェクトの事務局とブランドマネージャーを務めております。一昨年、東京から西和賀に移住したのですが、以前は日本デザイン振興会というグッドデザイン賞を運営している団体で働いておりました。そこでの仕事でデザインによる地域振興事業のため西和賀町に来て、ブランドづくりのプロジェクトの企画と運営をさせていただいたことがきっかけです。
 私が西和賀町に初めてリサーチに来た2015年は、ちょうど「消滅可能性都市」という言葉が話題になっており、岩手県内では西和賀町が「一番最初に消滅する町」といわれて、こんなにきれいな美しい町が本当になくなってしまうなんてと心配したのですけれども、町内の事業者さんや農家さんたちは本当に良いものを作っていて、とてもポテンシャルの高い地域なのでなくなるはずがないと思い、そして仕事で通っているうちに独特の雪国文化と美味しい食べものと西和賀の優しい人たちが大好きになって、より地域に根差した活動をしたいと考え西和賀に移住しました。
 私も以前は都会のオフィスビルをハイヒールで闊歩していたタイプなのですが、今は長靴を履いてわんぱくな2歳の息子を毎日追いかけています。よろしくお願いいたします。

八重樫部長
 ありがとうございます。
 続きまして、富川さんお願いいたします。

富川 岳
 富川といいます。今日はよろしくお願いします。遠野から参りました。生まれは新潟県の長岡市というところで、2016年に遠野に移住してまいりました。その前は、僕も東京の赤坂というところの広告代理店に勤めておりまして、それこそスーツを着て街を闊歩しておりました。ただ、もともと生まれが田舎なもので、ずっと東京にいるイメージはなくて、どちらかというと自分がいることで埋もれている文化にスポットライトが当たるとか、地域で頑張っている方に光が当たるような仕事をしたいなというふうに思いまして、岩手に移住してまいりました。
 遠野では、ローカルプロデューサーという肩書で活動させていただいておりますが、デザインとか、アートとか、クリエイティブとか、そういったいろんな手法を使いながら地域の魅力を発信するような活動をさせていただいております。
 まさにそこのパネルに「未来のための伝承・発信」と書いてありますが、僕にとっての地域資源というのは「遠野物語」だったりして、遠野というか、岩手の豊かな文化歴史というのに今のめり込んでおりまして、それをどういうふうに今を生きる人々のために活用していけるか、どういうふうにデザインや情報発信をうまく使っていけるかというところを考えながら活動しています。後ほど詳しくお話しさせていただけたらと思います。今日はよろしくお願いします。

八重樫部長
 続いて、及川さんお願いいたします。

及川 順也
 岩手県奥州市で造り酒屋をしております、岩手銘醸の及川順也と申します。弊社は、地元のお米を使用したお酒造りをモットーに、地域密着型の企業を目指しております。私も東日本大震災まで宮城県の会社で修行というか、勤めておりました。その際に実家の造り酒屋を震災4日後に見に来て、内陸とはいえなかなか厳しい状況で、その際に地元に戻って何かできないかと思い、一から酒造りを覚えて今に至ります。コロナ禍で非常に厳しい状況ではございますが、奥州市唯一の酒蔵として存続していく覚悟です。本日はよろしくお願いいたします。

八重樫部長
 ありがとうございます。
 続きまして、櫻井さんお願いいたします。

櫻井 陽
 こんにちは、あぜみちデザインの櫻井と申します。よろしくお願いします。私は、岩手県一関市の大東町生まれの大東町育ちです。東北大に行って、そのまま宮城県庁に勤めたのですが、大学時代に一関のまちづくりのワークショップに参加していて、そのときは関係人口という言葉はなかったのですが、関係人口的な関わりで土日に一関に戻って活動を進めていて、その中で協力隊の募集があったので、飛び込んでみようと思いUターンで地域おこし協力隊になりました。
 その後、地域づくりや六次産業化などのミッションをしておりまして、国産羊毛の活用、アイウールプロジェクトなどにも関わらせていただいていたのですが、あとは副業で、ちょっとこちらに服を着ているのですが、京屋染物店という会社で広報を担当しておりまして、そういったいろんな活動をして、協力隊が終わってから独立して、今は一人広告代理店のような活動をしながら、本当に一関は面白い人がたくさんいると思っているので、その人たちがより活躍できるようなサポートや、もしくは自分がやりたいことを実現していくような活動をしております。
 あと金山棚田という棚田を去年、2020年から、高齢化で断念した部分もあったので、引き継がせていただいて、一緒にやっているような状況です。よろしくお願いいたします。

八重樫部長
 ありがとうございました。
 皆さんから自己紹介をいただきました。ここからは、本日のテーマであります「地域資源を活用した交流人口拡大に向けて」に沿いまして、現在の皆さんの取組や課題、今後の方向、御自身の抱負なども含めてお話を伺いたいと思います。
 先ほどの順番で、細田さんからお一人5分程度でお願いしたいと思います。お二人ずつお話をいただいた後、知事からコメントしていただくという形で進めてまいりますので、よろしくお願いいたします。
 初めに、細田さんよろしくお願いします。

細田 真弓
 よろしくお願いいたします。先ほどもお伝えしましたとおり、私のテーマである農業と食という観点からお話をさせていただきたいと思います。
 私が今回のきたかみごはん、NETサポートの理事に携わるようになるきっかけになりましたのが、先ほどもお伝えしたとおり、8年前に北上に移住しまして、そこからぜひ農家と消費者が直接つながることのできる場所をつくりたいということで、町分マルシェというマルシェを企画いたしました。これは2014年になるのですが、地元に全く知り合いがおりませんでしたので、知り合った人、知り合った人を雪だるま式に実行委員会のメンバーに加えていって、最終的に昨年9回目がコロナでできなかったものですから、オンラインで開催いたしまして、今年できることになれば10回目と。県内外から約1万人の方々に御来場いただいております。
 農産物を中心としたイベントにはなるのですが、食器ですとかお花ですとか、伝統工芸品、それから飲食店など80店舗が参加する内容になっております。それに加えて、小さい自然派の農家さんたちのサポートになるようにということで、月に1回、毎年6月から12月に朝市を開催しておりまして、こちらは県内でキャラバン方式で開催しております。朝市ですので、開催時間が朝の8時から10時までと非常に短い時間なのですが、100食近いモーニングが1日で予約完売してしまうほどの人気イベントに育ってまいりました。こちらがきっかけで、近県から来場いただく方も少しずつ増えておりまして、遠方のお客様の定期購入のきっかけなどをその場でつくっていけているかなというふうに思っております。
 そして、きたかみごはんといいまして、北上の農産品のPRを市民に向けて行う活動を5年前から実施しております。こちらのほうは、早朝の収穫体験が5時くらいから始まるのですが、アスパラですとかレタスですとか、そういった収穫体験を親子さんを中心に、お一人でも参加いただいて、大体20名程度で毎回開催しておりました。
 また、畑を会場にしたレストラン企画ですとか、オンラインの料理教室なんかも昨年は工夫して開催を行っております。
 コロナの状況を見ながら今後できることを模索している状況ではあるのですが、やはり私がやってきたことに関しましては、人を集めるイベントになりますので、今までのやり方では非常に難しいと。オンラインも、それからドライブスルーマーケットとか、そういったものも試してはいるのですけれども、やはりなかなか思うような結果が得られないまま昨年は経過しまして、今年はより小さい規模で、頻度を上げてとか、場所を変えてやっていく形が、消費者の方々もそういうニーズになってきておりますので、そういった形での開催を模索しております。
 また、私自身の活動からいいますと、より小さい農家、北上は、どこもそうかもしれないのですが、二極化しておりまして、法人化の大きい農家、それから家族経営、もしくは10人未満の従業員がいる小さい農家がありまして、このきたかみごはんでサポートしている農家さんのほとんどが小さい農家のほうに入ります。この方々がどのようにしていったらば、この状況下で環境も変わって農作物がうまくできない状況も相まって、非常に苦しい状況にございますので、これを一緒に何とか乗り越えたいというふうに思いまして、フードロスの対策も兼ねて、今まで規格外とされていた捨てられていたものから何とか商品を作れないだろうかという企画を一農家に入り込んでスタートしております。
 先ほど、お名刺をお渡しした方にはお渡しできているのですが、うるおい春夏秋冬(ひととせ)という、私の入っているNETサポートの理事の一人が野菜を80種類くらい作っている多品目の農家になりまして、そちらのほうに入り込んで、まずは漬物の加工から、そしてこのまま総菜の加工を作って、子どもたちが来てくれるような場所で販売をしていく予定になっております。私の今後の活動の見込みはそういった形になります。
 以上になります。

八重樫部長
 ありがとうございました。
 続きまして、佐々木さんお願いいたします。

佐々木 久美
 佐々木と申します。私は、一関市から平泉町にお嫁に来まして、数年は自宅にてSKオートサービスという、車を含む機械全般修理・販売、あとその修理したものを全国に陸送するような会社を立ち上げて、夫婦二人三脚で営んでおりました。あるときふと思ったのですが、平泉という歴史あるところに住んでいながら、私は実は全然平泉のことを知りませんでした。そこで、何か平泉のためにできないかなと思い、それがきっかけで平泉町の臨時職員として数年にわたって観光課、総務課、教育委員会、観光協会などをはしごし、平泉に必要なスキルを学びました。
 その後、世界遺産登録を目指していた平泉に貢献したいということもあり、仕事柄マイクロバスを持っていたこともありましたので、平泉の観光に携わるような仕事をしたいと思い、二次交通をターゲットにして、観光案内しながら平成22年にゴールドレンタ平泉という会社を立ち上げました。
 そこから約1年ぐらいなのですけれども、歴史に残る3.11、東日本大震災が起きてしまいました。その瞬間から、やはり生活が一変しまして、かなりの打撃を受けましたが、テレビなどを通じて大変な事態になっていることが分かりまして、私たち夫婦なのですけれども、いても立ってもいられなくなり、被災地に数カ月、ボランティアとして微力ながらお手伝いさせていただいた経緯がございます。
 そして、同年6月には世界遺産登録ということで平泉が登録されたことが始まりで、少しずつ日々の生活を取り戻してきました。日々観光客が増え続けて、約2年半ぐらいですか、今までないくらいの観光客の皆さんに来ていただき、にぎわっていたのですけれども、やはり日々重ねるごとに観光客は少しずつ減っていくということがありまして、観光だけではちょっと生活が厳しいなと感じ始めた頃に、皆さんが御存じのようにAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を踊りながら、まちや会社をPRするような動画がはやったこともあり、これを利用して平泉をPRしたいと考えまして、そこで私は町民有志団体なのですが、町を元気にし隊という団体を立ち上げました。そこで独学で少しずつ準備をし、数々の試練を乗り越えながら、平泉町長をはじめ多くの企業様、そして有志の皆様にお力をいただき、最終的には総勢150人以上の方々に御協力いただき完成させることができました。そして、自社のYouTubeにアップする前に完成披露会をということで、約80人ぐらいの方にお集まりいただき披露して、その後平成26年にはAKB48の公式アカウントにアップされました。
 なお、同年なのですけれども、そのときはいわて国体というものが開催される前の年だったのですが、そこで選手に向けた応援ソング「わんこきょうだいダンス」の動画をアップするということがあったので、それも同じような形で有志を募り、少しでも元気と勇気をということでYouTubeにアップさせていただきました。その際には、本当にたくさんの有志の皆さんに御協力いただいて、すごく感謝するところでもありましたし、その方々とはいまだにお付き合いをさせていただいております。
 その後ですが、ゴールドレンタ平泉2号店としまして、駅前のすぐ近くに開業させていただいたり、今はちょっと採算が取れる見込みがなかったのでやめておりますが、国土交通省の御依頼にて道の駅平泉内の店にも開業させていただきました。半年ぐらいですか、あとはやめてしまったのはちょっと残念なのですが、日々勉強と追求をして観光に専念していたのですけれども、思うような成果が上げられなかったということもあり、観光するに当たって何を求めて歩くのか、すごく知りたくなったのです。やはり観光地にいると、自分だけのところでは見えないものがあるのではないかと思いまして、視察ではないのですが、閑散期を利用して家族でいろんな観光地を観光して回って、いろんなことを学んだところ、五感を感じながら遊べる体験、そして食ですね、あとは思い出づくりの大切さに気づいたのです。そこで、平泉に足りないと思ったことをやってみたくなったのです。ということで、平成31年には体験Café+WAという体験のできる飲食店なのですけれども、料理ももちろん提供しながら、何よりいろんな体験ができる店として営業を始めました。その内容の一つとして、平泉の郷土料理というとはっと汁なのですけれども、皆さん食べたことがあるかとは思うのですが、はっと汁体験をしながら食事していただくということと、たい焼焼き体験、それからガラスエッチング体験や、いろんなイベントを企画して開催したり、あとは私の店には、壁を使ってプロジェクターを介して170インチぐらいの画面を使いながら、今コロナ禍ということもあり、オンライン会議だったり、パブリックビューイングではないのですが、息子さん方の応援に行けなかった方のちょっとした会議みたいなものが開けるお店として、今少しずつですが工夫している状況です。
 なぜこのような場所をつくったかというと、実は私がすごく音楽が好きで、特に歌うことがすごく好きなので、そこが私にとっての元気の源だったので、それを逆に皆さんに伝えようというか、元気や勇気を届けたいということで始めました。現在、地元の一関ケーブルテレビ様の番組で歌わせていただいたり、あといろんなイベントで歌わせていただいたり、あとは自社イベントとしてはプロのアーティストさんや地域のアーティストさんを呼んだり、それを介して恩返しというか、元気と勇気を与えたくていろんなものをやっています。東日本大震災のときに多くのアーティストの皆さんに勇気と希望をいただいたという思いがすごくあって、今このコロナ禍で、実際アーティストの皆さんは歌う場もコンサートする場も持てない、すごく苦しいときだと思うので、逆に恩返しをしたいと思い、音楽を通じて聞いていただける皆さんに元気と勇気を与えるためにこの場所、体験Caféでイベントの開催を続けております。もちろんそういうイベントをするときには、感染対策を万全にした上で行っているので、今後の活動もこのように続けていきたいなと思っております。
 あともう一つ私が今力を入れているのが、平泉に少しでも観光客を呼び戻すためにいろいろ考え、計画して実行していく中で、恥ずかしながら個人的にやるにはやはり力が足りず、限界を感じていることもあり、いろんなワークショップを地域やっているのですけれども、それを通じて大手旅行会社さんと地元地域団体の皆さんとタッグを組んで、少しでも平泉に来てもらいたいということもあり、いろんな企画を考えている段階です。順調であれば、昨年の春からそういう計画したものをスタートする予定だったのですが、このコロナ禍ということもあり、今は計画段階であるということで、いろいろ試行錯誤して活動を考えているところです。
  最後になりますが、平泉は金で有名で、令和元年に日本遺産に認定されまして、黄金の国ジパングとみちのくGOLD浪漫ということで、いろんなことを今追求している段階なのですが、そこでいろいろな御縁もありまして、宮城県涌谷町と気仙沼、そして陸前高田、平泉合同のワークショップに携わるうちに、私が参加できることになりまして、世界遺産に向けて知ってもらうために日々勉強しながらいろんな企画を模索中です。
 地域活動としましては、社会教育委員を通じまして、子どもたちが通う学校のPTA役員として長きにわたり子どもたちと一緒に歩んできた中で、平泉の成長をこれからも推進していきたいですし、いろんな地域団体と携わり、平泉をこれから活性化させるために日々勉強しながら貢献していきたいと思っております。ちょっと長くなりましたが、このような活動をしております。
 以上です。

八重樫部長
 ありがとうございました。
 それでは、知事からコメントをお願いいたします。

達増知事
 まず、細田さんは北上をベースにして、農家と消費者をつないで、小規模農家やオーガニックをやっているような農家を守りながら、またマルシェでそういう文化を広げられているということ、大変すばらしいと思います。
 岩手県では、アメリカのシリコンバレーをもじって、北上川バレーと言って、盛岡広域の辺りからずっと一関までを北上川バレーと呼びますが、そこには一次産業、二次産業、三次産業が非常にバランスよく育っているし、これからもそうあろうということでやっているのですけれども、自動車産業とか半導体産業とか、全国有数の大工場があったりするのですけれども、日本のほかの場所にあのぐらいの規模の工場があるところというのは、かなり人里離れた山の上の工業地帯だったり、あるいはもう工業しかないような工業都市で、すぐ近くに豊かな農地とか、それから人が住んでいるまちがある、それが工業と並び立っているというところは日本の中でもあまりないし、世界にもあまりない非常に貴重ないい立地だと思います。都市機能もある中で農業を育てていくというのがすごく大事なことだと思いますので、ぜひ尊重してやっていただきたいと思います。
 佐々木さんは、世界遺産がある平泉で、二次交通は本当に県も平泉関係ではずっと悩み続けているところなのですけれども、それを持っているという強みで様々な活動をされていることはありがたいと思います。フォーチュンクッキー平泉版のやつを見た記憶がありますね。わんこダンスにも御協力ありがとうございました。
 平泉は、世界遺産として岩手県の観光地の中でも多い年だと200万人近く人が来ますからね、岩手の目玉かつ東北、また東日本全体の目玉でもありまして、文化遺産が少ない東日本の中で有数の世界遺産なので、それを地域振興に生かしていかなければならないと思っているのですけれども。思えばつい観光でも歴史探訪の観光というイメージを持ってしまうのですけれども、カフェでいろいろ体験をするとか、そういう歴史に直接つながらないようないろんな体験をしたりコミュニケーションしたりとか、壁にプロジェクターでオンライン会議を映すみたいな、思えば栄えていた頃の平泉というのはそういうところだったのだろうなと思いますね。お寺のいろんな施設も現役で動く中、日本中あるいは海外からも人が来て、商業も盛んだし、文化も花開き、当時の流行の最先端みたいな活動が多分芸能のようなこととか、京の都で行われていたようなことが独自の形で多分平泉の都で行われていて、そういうのもやはり今によみがえらせるような感覚で平泉の観光振興をやればいいのだなと今伺っていて思いましたので、ぜひぜひその調子で進めていってほしいと思います。ありがとうございます。

八重樫部長
 ありがとうございました。
 それでは次に、加藤さん、お願いいたします。

加藤 紗栄
 私が事務局を担当している「ユキノチカラプロジェクト」の御紹介をさせていただきます。
 東北屈指の豪雪地帯である西和賀の地域の魅力を発掘して磨き上げ、発信していくプロジェクトです。2015年に地域ブランド「ユキノチカラ」を立ち上げまして、商品開発からスタートいたしました。最初は、町主導で立ち上げたプロジェクトですが、今は一緒に商品開発をしてきた町内の13の事業者さんと一緒に協議会を結成し活動しています。
 これまで6年間でおよそ45品目の商品を開発してきましたが、商品を作り売ることだけでなく、その商品と一緒に西和賀の魅力も発信していくというプロジェクトです。PRや営業活動などにも力を入れてまいりましたし、そのほかにもツアーなどを開いて首都圏や仙台から西和賀に来て豪雪を体験していただくツアーなども実施してきました。地元の自然ガイドさんと一緒に雪の中をかんじきで歩いて、滝が凍った「氷瀑」を見に行くとか、雪あかりをみんなで作るとか、あと別の年には西和賀の発酵をテーマにしたツアーを開催して、東京から発酵デザイナーの小倉ヒラクさんという方にお越しいただき、ヒラクさんと一緒に西和賀の発酵ポイント、納豆汁作りや、大根の一本漬け、雪に埋めて作る「雪納豆」など、西和賀産独自の発酵文化が感じられるポイントを回って、なぜこの発酵文化が生まれたのか、なぜ美味しいのか、考え体験するフィールドワークを行いました。
 この「ユキノチカラ新聞」も商品の情報と一緒にまちの魅力を発信する内容としています。今日おやつに選んでいただいたお菓子処たかはしさんのフィナンシェもこのユキノチカラ新聞の2ページ目にちょうど掲載していまして、この商品を作っている店主のこととか、それが作られている背景とか、そういったものを読みながら味わっていただき、そこから西和賀にも興味を持ってもらって西和賀に来てもらう、そのような流れをつくっていきたいと思いつくりました。
 今日お配りしているポストカード、これは西和賀の人形送りという伝統行事に使われるワラ人形をモチーフにしたイラストのポストカードです。この人形送りというのは、200年以上前から西和賀で続いている伝統行事ですが、お侍さんを模して作ったわら人形を地域の境の木に結ぶことで疫病退散、無病息災を願う行事です。昨年から新型コロナによる自粛期間などもあり、6月にこのポストカードを作ってキャンペーンを実施しました。ふるさと納税の返礼品や、町内事業者のECサイトでの販売商品などにこのポストカードをおまけとして入れたり、あと町内の各家庭に全戸配布もしまして、町内の皆さんにも県外の親戚やお友達に西和賀の美味しいものと一緒にメッセージを書いて送りましょうと呼びかけました。観光をはじめとして商業が停滞している中、少しでも町内の経済が動くといいなという思いと、またコロナが終息した際には西和賀に遊びに来ていただきたいというメッセージを込めて作りました。
 あと、関係人口の話としては、西和賀の雪をギフトするという取組を始めています。西和賀町は雪あかりや雪合戦など多くのイベントがあるのですが、これらも今年全部中止になってしまいました。毎年多くの方が県外からも来てくださり、そこで宿泊だったり、経済も動く、そして町内の方も毎年楽しみにしているイベントだったのですけれども、それもなくなってしまって、少しでも雪あかりの気分をステイホーム中の御自宅で楽しんでいただこうと思い、「雪あかりセット」を作りました。これは、発泡スチロール箱の中に雪がたっぷり入っていまして、その中にユキノチカラのスイーツとLEDキャンドル、そして雪を積めたバケツが入っています。このバケツをひっくり返すだけでミニかまくらができて、雪あかりが簡単にできるというセットです。思っていた以上に反響が大きく、多くのご注文をいただいているところです。
 私自身も昨年の1月から東京の実家に戻れていなくて、両親に孫の顔を見せたいのですけれども、できないという状況が続いています。また、私とは逆に県外から岩手、西和賀に戻ってこられない人もたくさんいらっしゃると思いますので、そういう方々に少しでも雪国の空気を感じていただきたいと思っています。今年は記録的な大雪だったので、私も東京の友人や家族から心配の連絡をたくさんもらったのですが、西和賀の商品と一緒に雪を詰めて送ったらとても喜ばれました。商品よりも保冷剤代わりに入れた雪のほうを喜んでくれたということもあって、確かに雪はプレゼントになるなと思ったのです。そこがこの企画の種となりました。
 私がやりたいことは、西和賀の「豪雪」という“逆境”をデザインの力で“魅力”に変えていくということです。西和賀に暮らす人にとっては毎日の雪かきや不便さからネガティブな感情を持たれてしまう雪ですが、その雪も、その見立て次第で「邪魔物」から「贈り物」にもなるし、私たちの宝物にもなるのではないかと思います。地域の方々の意識も変えていけたらと思っています。

八重樫部長
 ありがとうございました。
 続いて、富川さん、お願いいたします。

富川 岳
 ちょっとパソコンを使いながらお話しさせていただきます。想像よりも会場が広かったので、すごく小さくなってしまったのですけれども、後で皆さんに資料を送れたらと思います。
 僕は今、遠野で活動をしておりまして、ローカルプロデューサーという肩書とは何ぞやというふうに思われる方も結構いらっしゃると思うので、活動を御紹介させていただきながら、少しどんなことを考えているのかというのをお話しさせていただけたらと思っております。
 早速ちょっと皆さんにお聞きしたいのですが、柳田國男が「遠野物語」を執筆したのは幾つぐらいだったか御存知でしょうか。そんなマニアックな方はいないですよね。実は、35歳の頃なのだそうです。彼は33歳のときに佐々木喜善さんという土地の人と東京で出会って、「遠野物語」を書こうとその日の夜に日記に書いたと言われています。僕自身今34歳で、彼がまさに「遠野物語」を執筆している最中の年齢でございます。僕自身もやっぱり「遠野物語」にかなり感化されて今活動しておりますので、何か柳田が戦慄させられたときのような感覚で遠野で活動しております。
 僕が今考えていることとしては、今日の地域資源というテーマでもありますが、岩手の文化資源を世界へということで活動しております。先ほど広告代理店出身とお話をさせていただきましたが、せっかく東京ではなくて遠野、それから岩手に来ていますので、この豊かな地域文化掛けるデザインということで、どういうふうにその魅力を発信できるかというのを考えております。地域の事業所の方々のデザインのサポートを仕事としてさせていただいているのですが、遠野で今関わっている組織としましては、遠野文化研究センターの運営委員をさせていただいていたり、遠野文化友の会の副会長をさせていただいていたり、あと遠野遺産認定委員の認定委員をさせていただいておりまして、どちらかというとかなり文化寄りの活動をこの5年間しております。
 地域文化の魅力をどう伝えていくかというときに、さっき加藤さんもお話しされましたが、デザインとか、見せ方が本当に大事だなということを思っております。どうしても堅苦しいイメージを歴史とか文化は持たれやすいのです。60代ぐらいの方々が図書館で一生懸命勉強されているみたいなことがありますが、やり方次第で本当に若い方々に絶対魅力を伝えられると思っていますので、そういったところで僕にできることがあるのではないかなと考えております。
 僕実は新潟の長岡の実家が明治から続いている割烹屋で、今も両親が店を営んでいるのですが、あろうことか僕はお酒と刺身が苦手でして、割烹屋を継げる要素が1ミリもなく生まれてきてしまったので、せめて実家の屋号だけは継ぎたいなと思い、遠野に移住した翌年の2017年に「富川屋」という実家の屋号で一人広告代理店のような、先ほど櫻井さんもおっしゃっていましたが、そういった活動を始めました。
 その年に結構衝撃的な出会いがありまして、今77歳の郷土史研究家の師匠がおります。大橋先生という方なのですが、彼はもともと高校の世界史の先生をされていて、2010年まで続いていたNPO遠野物語研究所というところの副所長をされていました。大橋先生と2017年1月、今ぐらいの時期に出会って、「富川君、遠野物語というのはな、カッパとか座敷わらしは有名だけど、119話の中に水の神の話とか、山の神の話とか、幽霊の話とか、動物との対峙のお話とか、死生観の話とか、いろんなものが詰められているものなんだぞ」ということを教えてもらいました。昔先生たちがいろいろフィールドワークをしていた場所を巡らせてもらいながら、実際ここでカッパと人が出会ったとか、ここの山道で山の神と人が擦れ違ったのだということを教えてもらい、めちゃくちゃ面白いなと思ったのです。
 ただ、自分が面白いなと思った感覚を観光施設に向けてもなかなか底の深さが出ていないなということを感じまして、入り口、間口は広げながら、どういうふうに深い、面白い部分までガイドしていけるか、ちゃんとルートをつくっていけるかというところを考えるようになりました。自分自身も今ツアーのガイドをしていて、延べ500人ぐらいのガイドをさせていただきました。
 「遠野物語」とか地域文化の活動をしている中で、遠野小学校さんの「遠野物語」をテーマにした演劇のプロデュースを2年間させていただいております。
 あとは、ミイラ取りがミイラになったではないのですけれども、僕もしし踊りの舞い手として活動しておりまして、遠野まつりにも2年連続で出ておりまして、ついこの前もしし踊りの練習をしておりました。
 最近やっていることとしては、さっきコロナの話も出ましたが、やっぱり岩手とか遠野になかなか来られない方も結構多いので、離れていても岩手、もしくは遠野を身近に感じられるようなプロモーション、コミュニケーションをどうやったらつくれるかなと考えて、アロマスプレーを開発しました。これは、奥州のファーメンステーションさんという会社と共同で作らせていただいているのですけれども、香りで遠野らしさを届けられれば、遠隔でも身近に感じられるのではないかなということで、今ちょうどクラウドファンディングをしているところです。
 そんな活動をしてきた中で、今一番熱いポイントとしては、縄文とか、蝦夷とか、あとアニミズムとか、自然信仰とか、岩手の豊かな歴史というところが、今まで歴史的にもしかしたら隠されていた部分があるかもしれず、今そこにすごく可能性を感じています。年末年始、高橋克彦さんの「火怨」をずっと読んでいて、新幹線で読んでいたのですけれども、号泣してしまいまして、何かすごく僕自身が「火怨」というか、蝦夷の歴史にすごく魅了されております。
 今岩手の仲間とそういった岩手の歴史、文化というのをどういうふうにプログラムだったり、ツーリズムだったりで体験してもらえるかというところで、IWATE, The Last Frontier.というプロジェクトをついこの間立ち上げました。これは、盛岡、八幡平、釜石、遠野のメンバーで、それぞれ行政単位を越えて豊かな文化を伝えていこうという志あるメンバーと活動を始めております。この写真の背景は、アラハバキという蝦夷の神様を祭っている東和の丹内山神社というところで撮らせていただきましたが、やっぱりそこをモチーフにしたいなと思っていますし、そういった活動をしております。
 同じようにツーリズムとかガイドとか、外国人のメンバーもいるので、国内の方々だけではなくて、今コロナの状況でなかなか難しさはありますが、海外の方にも岩手の深い文化に触れてもらえるようなツーリズムのプログラムをつくっている最中です。
 イメージとしては、この動きを岩手県内に広げていきたくて、蝦夷連合みたいなのをつくりたいなと思っています。例えば県北だったら、大谷史也君という若い青年がいたりとか、西和賀には瀬川然君とかがいらっしゃいますので、何かそういった地域文化に根差しながら活動をしている若手とチームをつくりながら発信するような活動ができたらなと思っています。
 大分話し過ぎていますね。ほかには、いろいろ自主作品を作りたいなというふうに思っておりまして、「遠野物語」に登場する狩人をモチーフにしたオリジナル作品を来年作りたいなと思っています。
 考えていることとしては、今回地域資源を活用した関係人口というところでありますが、岩手の豊かな文化や歴史は、これからの時代に本当に生きるのではないかなと思っていまして、やっぱり都会に住む方々は癒やしだったりとか、新しい生き方だったりとか、いろいろ模索されている状況だと思うので、そういったところで岩手の文化とか歴史に触れてもらって、癒やされたり、新しい学び、今の現代人が忘れていることに気づけるのではないかなと思います。あと岩手県民の方々にとっても、そういった外の方々が興味を持ってくれているという状況を伝えられると、誇りや郷土愛につながったりすると思っています。僕自身遠野で小学校、中学校、高校で授業をさせていただいていますし、今大学の非常勤講師もさせていただいているのですが、そういった着眼点、視点で、地元の子どもたち、次の世代を担う子どもたちにめちゃくちゃいい場所じゃんというのを伝えている最中でございます。
 最後に、最近知ったのですけれども、「もののけ姫」のアシタカはどこ出身か分かりますか。実は、蝦夷の末裔なのです。それもうちょっと早く知りたかったなと思いますし、岩手の今の子どもたちもそれを知ったら、めちゃくちゃ肯定感があるのではないかなと思ったりもするので、いろんな切り口で郷土史、郷土愛を高められる方法というのはあるのではないかなと思いますし、それが文化、歴史に秘められているのではないかなというふうに思ったりもします。ちょっと長くなりましたが、そういった観点でローカルプロデューサーとして今遠野を拠点に活動させていただいております。
 すみません、長くなりましたが、以上です。

八重樫部長
 ありがとうございました。
 それでは、知事からコメントをお願いいたします。

達増知事
 加藤さんには、岩手県西和賀町に移住、定住していただき、誠にありがとうございます。そして、このユキノチカラというのは、ともすれば人口減少著しい消滅可能性都市とかいう目で見られる西和賀町の価値を逆転させるような企画で、大変ありがたいことであります。この「沢内三千石およねの出どこ」とか、歌に歌われているように、江戸時代から結構生産力があり、富みの蓄積もあって、文化もあり、そしてお菓子とか、そういうものも発展していたところで、岩手県側の奥六郡と秋田県側の仙北三郡を結びつける交通の要衝ですから、実は非常に力がある地域なはずなのです。そういうのがお菓子屋さんの高橋さんとか、そういうところに潜在力があって、いろんなものを発掘して、かつ今風のデザインを施していただいて、大変ありがたいと思います。
 白木野人形送りも最近盛んにテレビのニュースで報道されていて、新型コロナウイルス対策にぴったりだと思いますし、おうちで雪あかりもある種必要に迫られて、地元でイベントができない分、通販でということなのですけれども、これがうまくいけば、コロナでなくても、いつでも毎年これをやるようになって伸びていけば非常にいいのではないかなと思います。ぜひこの調子でやっていただきたいと思います。
 そして、富川さんは、遠野市に来ていただいてありがとうございます。10年前に「遠野物語」100周年の年に、まだ震災前ののどかな時代、岩手県の事業で荒俣宏さんと高橋克彦さんに県内のミステリースポットを回ってもらって、「岩手ふしぎ旅」という本にまとめて、その中でやっぱり遠野はすごいと。「遠野物語」をはじめ、亡くなった人が死後の世界で、その人が好きなものに囲まれて楽しんでいる絵を描いて奉納するみたいな、やはり江戸時代から交通の要衝で、資本の蓄積もあって、かなり力のあった遠野ですから、それで「遠野物語」みたいなものがちゃんと残って伝わって今に至っているのだと思いますので、ぜひそれを発掘、発信していただきたいと思います。
 宗教学者の中沢新一さんが「アースダイバー」といって、東京とか京都、大阪かな、そういうところの地理を深めて解説するようなことをやっているのですけれども、それにヒントを得まして私はローカルダイバーというのを思いついたのですけれども、地域のスポット、スポットに潜るわけです。朝ドラ「あまちゃん」をやっていた頃に、海女のイメージと併せて思い出したのですけれども、海だけではなくて、遠野のようなところにも深く潜って、ローカルダイバーとして貴重な歴史や文化を発掘すると、そういうことを日本中でやるとすごくうまくいくし、岩手は潜れば潜るほどいいものが出てくるということだと思います。それは、県北とか西和賀にもあるので、チーム蝦夷が成功するとますますよくなるのではないかと思いますので、期待したいと思います。

 

八重樫部長
 それでは、続きまして及川さん、お願いいたします。

及川 順也
 私は東日本大震災まで、酒蔵に戻る前の修業で宮城県にあった問屋会社に勤めておりました。そこで東日本大震災の影響を受けて、その年の5月に酒蔵に戻りました。その頃の酒蔵というのは、弊社が古かったというのもあるのですけれども、南部杜氏と呼ばれる春から秋にかけて農家をされている石鳥谷から紫波にかけての方々に、米作りができない冬場の期間に弊社にお越しいただいて、半年間かけてお酒を造るというような流れでした。その当時、私の父から、これからは高齢化で若手で酒造りをするのが必要になってくるだろうからという理由で、私と、当時私の一つ上だった20代の者、2名がそこに混じって一から酒造りを始めました。
 酒造りというのは、はたから見ているとお米を発酵させて、搾っていって、もしかしたらあまり重労働には感じられないかもしれないのですが、弊社の場合、設備的にも古かったというのもあって、すごく苦労しました。数年かけて酒造りをしていたのですが、素人の2名が入っているというのもあり、賞にも入らずに、本当に苦労した時期が6年、7年ございました。
 私と、その当時入った酒造りの若い者が、7年ぐらいかけてやっと自分たちでも酒造りができるようなところまで何とか体制を整えることができました。2年前から、私と2人で酒造りに入った者が酒造りのトップである杜氏、そしてあとは社員で酒造りができるようになりました。初めてお酒で岩手県のコンクールに出品して、2019年度に岩手県知事賞という第1位の賞をいただきまして、去年2020年も2年連続で賞をいただくに至りました。
 弊社としましては、岩手銘醸という名前なのですが、メインブランドは岩手誉という名前でお酒を造っております。当時、2年前からなのですけれども、県外のお米、山田錦というお酒造りに関しては一番有名なお米があるのですけれども、この山田錦というのは寒冷地では作れないという理由で、宮城県までしか栽培できないお米なので、何とか岩手誉、岩手にこだわって酒造りがしたいという理由で、そのタイミングで全量岩手県のお米、特定名称酒と言われる純米酒以上の米は、今9割近くがこの奥州市と金ケ崎町で取れたお米を使用しております。今回岩手県知事賞をいただいたお米も杜氏の父親が世界遺産の平泉の麓で作った結の香というお米を使用しております。
 今このお酒の業界というのは非常に厳しい状況ではあるのですが、四、五十年前は岩手県も酒蔵が50社ございました。それが今は21社と、約半分。その頃は、本当に弊社の岩手銘醸という会社は一番下、50社中一番下、南部美人さんと弊社が一番下を争っていた時期です。皆さん御存知だと思うのですが、南部美人さんは今では本当に岩手県でも有名な酒蔵になりまして、ものづくりというのは非常に面白いなと。やり方一つでそうやって一番下だった会社さんが今トップに来ている、そして世界に発信している、私はそこにすごく今魅力を感じております。
 そこで、今回地域資源を生かしてということなのですけれども、弊社ではもちろんこの地元のお米を使用しているのですが、今年の夏には初めてリキュールの製造を考えております。このリキュール、奥州市で製造するに当たりやはり江刺産リンゴ、全国的にも有名ですので、こちらを使用して開発したいなと考えております。弊社で特産品、地元の江刺りんごを使った商品を製造することによって、地元の酒屋さん、飲食店さん、農家さんに還元できればと考えております。
 また、2017年からは海外輸出のほうにも積極的に取り組んでおります。おととしには、香港、台湾の商談会に参加して、弊社の商品を御案内させていただきました。大手の酒蔵さんにはやはり価格の面で負けてしまうのですけれども、弊社にしかつくることができない独自の価値を御理解いただき、御案内させていただいているという状況です。弊社の商品を通して、このコロナが終息した際には海外の皆様にこの奥州市、岩手に足を運んでいただければと考えております。
 私は、前沢商工会青年部の部長をしておりますが、今は後継者不足など本当に深刻な状況です。やはりこれからの岩手を支えるには、若い人材が必要不可欠になると思いますので、魅力ある仕事を提供できる環境づくりにお力をお貸しいただければと思っております。
 私も弊社の規模では海外輸出、ここはすごくハードルが高いと感じておりましたが、ジェトロ盛岡様等をはじめ産業振興センター様の御支援のおかげで、徐々にではありますが、海外輸出も進められており、今月には初めてアメリカへの輸出も決まっております。その企業に合った行政の支援が非常に大切だと痛感しております。これからも御支援を受けつつ、海外輸出を積極的に取り組む所存です。
 よろしくお願いいたします。

八重樫部長
 ありがとうございました。
 続いて、櫻井さん、お願いいたします。

櫻井 陽
 櫻井と申します。今取り組んでいる地域資源を生かした取組としましては、去年若者文化振興事業補助金が採択になりまして、摺沢水晶あんどん祭りの取組、自分の地元、摺沢という土地でお盆の時期に六角形の大きなあんどんの絵を描いてまちに飾る、まちが美術館になるようなイベントなのですけれども、そちらでいろんな商品の企画したりですとか、あとフライヤーをリニューアルしたりですとか、そういった取組をさせていただいたのですけれども、今年ちょっとコロナでなかなか開催が難しいという状況になりまして、一回中止も検討されたのですが、オンラインでウェブサイト上と、あと新聞広告のほうであんどん祭りという絵を皆さんで御覧いただくようなイベントを企画させていただきました。
 なぜオンラインにしたのかというと、そこでやり取りをしていたデザイナーの臼澤さんという方が、摺沢出身で東京で今デザイナーをされているのですが、その方と話していったときに、こうしてオンラインで仕事ができるのだから、そういう取組もできるのではないかという話になって、全部オンラインで企画を進めていったという流れがあって、それが本当に関係人口のような取組かなと思っております。
 今金山棚田の取組もさせていただいていて、金山棚田は金山孝喜さんという82歳の方がずっと続けてこられたのですが、機械も入らない土地で1人で続けていくというのはやはり難しいと思っておりまして、私が入ったとしてもなかなかしんどいなという部分もあるのですが、50枚ぐらいあるこの田んぼを1人1たんぼという形でオーナー制度にできないかと考えております。昔田んぼは家族や地域とかでやる作業だったと思うのですが、そういう形で継続して景観を残していくような取組ができないかと思っております。
 先日、遠恋複業課という取組でマッチングのイベントにも参加させていただきまして、ちょうど明日マッチングイベントに参加された方とちょっと打合せをさせていただくのですが、そういった形で都市と地方の人が関わりながら、今の地域資源を残していくような取組ができていくといいのかなと思っております。
 ただ、その窓口になる人がなかなか少ないのが現状だと思っておりまして、先ほどローカルダイバーというお話がありましたけれども、地域にそういう方々が、西和賀の然さんとか、富川さんもそうだと思いますし、ここに集まっている皆さんもそうだと思うのですが、その方々の右腕というか、そういう方もちょっと多くない状況なので、ローカルダイバーを増やしていくような取組を今後できていくといいのかなと思っております。
 そこで、ちょっとお願いしたいことを2つ考えてきております。1つは協力隊時代に思っていたことなのですが、県内市町村の成功事例の横展開を県で支援していただければと思っております。花巻のリノベーションまちづくりですとか、あと西和賀のユキノチカラプロジェクト、これは六次産業化の成功事例だと思いますし、あとは協力隊の活用としてはネクストコモンズラボさんの取組とか、協力隊導入に当たってはすごく成功事例だと思っていますので、そういった各自治体の取組を横展開していくような支援をしていただけると、視察にも行くのですが、ローカルの活動をしていく人ももう少し深く関わって支援していただけると。補助ですとか、あとは行政の担当者との交流ですとか。先日、協力隊受入れ拡大セミナーというのにスタッフとして参加させていただいたのですけれども、その中で行政間の連携とかも担当者同士で相談できるような環境があると、そういう企画も進みやすいのかなと感じたところでした。
 もう一つは、それを展開していけるプレーヤーの人、ローカルダイバーを増やしていき、そこを支援してほしいなと思っております。各地域おこし協力隊ですとか、復興支援員さんが派遣されて、そういった活動をされているのですけれども、そこにさらにもう少し協力隊や復興支援員さんを派遣するとか、そういった取組ができていくと、相乗効果で地域が盛り上がっていくのではないかなと思っております。
 関係人口の窓口にも、普通の人はなかなか難しいと思うのですが、こうやってローカルで深く関わって活動されている人は結構関係人口の窓口にもなると思いますので、そういった施策をちょっと検討いただければと思っております。
 以上です。

八重樫部長
 ありがとうございました。
 それでは、達増知事からコメントをお願いいたします。

達増知事
 及川さんは、岩手銘醸、岩手誉ということで、最近は岩手でトップクラスのお酒を造っていて、大変頼もしく思います。
 四、五十年前、私が小さい頃、テレビで、「ところでな」というコマーシャルをやっていて、「銭はたまったか」と、「ところでな」と、なかなか訪問者にお酒を飲ませない、「嫁コもらったか」とかいろいろ言いながら、ということで岩手県民みんな岩手誉という名前は、特に50歳以上の人たちは知らない人はいないブランドですので、今海外への輸出も進み、中国、台湾、香港など、アジアはどんどん経済規模が拡大し、中間層から富裕層がどんどん増えて、その中で日本食プラス日本酒というのは、もうこれはブームを超えて定着、ワインと同じように、また、ワインの隣のジャンルみたいな位置づけもありますが、いずれ日本酒というのはもう人類にとって必要不可欠なものとして定着していますので、世界的に需要がどんどん増えると思いますので、頑張ってほしいと思います。地元の酒米を使ったり、あとリンゴでリキュールというのも非常にありがたいので、よろしくお願いしたいと思います。
 そして、櫻井さんですけれども、アイウール、あのネクタイは非常にいいですね。あれはどこにつけて出ていっても恥ずかしくないので、大臣に会うときとか、そういうときにつけて歩きますが、今日は県南の大雪見舞いで大雪っぽいネクタイをつけてきました。
 そして、摺沢あんどん祭りをオンラインでというのは、これも必要に迫られてコロナ対策でやったのだと思いますけれども、そういうのがうまくいき、盛り上がるなら、コロナがなくてもそういう展開が期待できるのだと思います。
 そして、様々な事例、県が横展開を支援というのは、本当にそのとおりで、横展開の時代に入りつつあると思います。非常にいい事例が各地域にありますので、横展開の時代ということを県でも意識してやっていきたいと思います。
 そのときに、ローカルダイバーに注目しつつということで、ローカルダイバーという言葉は私が提案して、国の復興構想会議の報告書にも載っていて、日本政府としてもそういうローカルダイバーが増えていくようにというようなことを復興の中で唱えていまして、本家の岩手県としては改めてそういう人たちをつないだり、横展開をしたりとかしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

八重樫部長
 ありがとうございました。
 皆様から一通りテーマに沿ったお話を伺ったところですけれども、先ほど言い足りなかったことだったり、あるいは他の出席者のお話を聞いて思ったこと、何でも結構ですので、御自由に御発言いただければと思いますが、いかがでしょうか。
 皆さん地域の魅力を発見して、それを磨き上げて発信しておられるということで、まさに地元の人たちを巻き込んでいくことが大切ではないかと思います。それによって、関係人口だったり、人が人を呼んで、広がりが出てくると思うのですけれども、そういった地域の人たちが一緒に活動したり、魅力に気づいて発信をしていったりというようなところ、いかがかなというところで、加藤さん、どうでしょうか。

加藤 紗栄
 地元の方との関わりですね。

八重樫部長
 はい。

加藤 紗栄
 私の場合は、以前より東京から西和賀へ仕事で来ていましたので、徐々に関係を積み重ねてきたということもあると思います。また、やはりこのユキノチカラプロジェクトの活動により自分たちの商品が売れたり、町外でも話題になっていくことで、よりこのプロジェクトに対して積極的に取り組んでくれるというところがあるような気がします。この高橋さんのフィナンシェもユキノチカラをきっかけに東京駅で販売をされるようになって、東京駅で買った神戸の方が美味しいからとわざわざ高橋さんを訪ねてきたというエピソードがありました。何かそういう小さいけれども嬉しい出来事の積み重ねが、地元の方々のモチベーションをまたさらにアップさせるのかなというふうに思います。

八重樫部長
 ありがとうございます。
 富川さんも長岡、まさに奥羽越列藩同盟の長岡から遠野に来ていただいて、遠野に戦慄させられたというお話を伺いましたが、地元の人なんかも巻き込んでおやりになっているのかなというところで、その辺をお願いいたします。

富川 岳
 長岡から参りまして、地元の方と一緒に何かやるということは、前提かなと思っていまして、東京にいるとやっぱり発注される側、受注する側というような感じで役割がはっきり分かれるのですけれども、せっかく岩手というか、こういうローカルにいるからには、何か一緒のチームになって、パートナーとしてやっていきたいなという思いがずっとあります。そういったときに、僕は文化とか歴史が今軸になっているのですけれども、そういった教育も含めて、そういった郷土史を切り口にしていくと、いろんな幅広い世代の方々とつながることができるなと思っています。さっき師匠が77歳という話をしましたが、そのぐらいの世代から、あとは小学校とかで授業をすると、本当に10歳とか、そのぐらいと、プラス親御さん世代の方々も、どうやら移住者が授業をしてくれたらしいということで、30代、40代ぐらいの方々にも知ってもらえたりもしていますので、そういった郷土史を切り口に入っていくと、いろんな世代の方々とつながることができるのだなということを活動していた中で思ったりしました。

八重樫部長
 ありがとうございます。
 あと、細田さんですけれども、まさに北上というのは古代から日高見国ということで、桃源郷のようなところなので、そこで豊かな食をやっていただいているということ、本当にありがたく思うのですけれども、まさに農家に入り込んでいってやっていただいているということで、盛岡から来ていただいて、北上の食の豊かさに気づかれたということですが。

細田 真弓
 盛岡に住んでいた頃は、あまりそういったつながりがなかったものですから、盛岡も今いろんな取組を頑張っていらっしゃるなというふうには思うのですけれども、北上といえば二子さといもだったり、きたかみ牛、アスパラガスという基幹の軸になる農産物があるのですけれども、非常に新規就農者中心に多様化しておりまして、例えば果樹、ブルーベリーだったりとか、リンゴはもともとあるのですけれども、あと在来系のお野菜を作られる方だったりとか、作り方、それから農産物の種類、そういったものが本当に目に見える形のまちの規模といいますか、コミュニケーションを取りながら、今晩の食卓には誰々さんのこの里芋が乗っているねみたいな形で、おいしさもより一層感じられるというふうなまちづくりを目指しながら。それだけだと農家さんも難しいところもあるので、外への発信を忘れないように、そういったツールをみんなでシェアしながら取り組んでおりました。

八重樫部長
 ありがとうございました。

知事所感

八重樫部長
 まだまだ皆さんからお話をいろいろ伺いたいのですけれども、予定の時間になってまいりましたので、最後に知事から御所感をお願いしたいと思います。

達増知事
 大変頼もしい力強い取組の話を聞くことができて、私も希望がより高まったなというところであります。
 そして、県南ということで広く各地域から今日はいらしていただいていて、北上川バレーという話をしましたが、狭く北上川沿いだけではなく、左右の山のほうにも広がった県南エリア、遠野も含めて、西和賀も含めて、そこのところ、10万人規模の市が4つ並んで、西和賀や遠野もあるのですけれども、そういう地域の可能性というのはなかなかほかにないよさがあるのではないかと思います。四、五十万人規模の都市1個だと、中央にものすごく集中し過ぎてしまって、そこに大都会があって、離れたところはやっぱりさびれて、真ん中には大都市固有の問題がいっぱいあるわけですけれども、4つに10万規模で、そして中規模な都市機能が4つ続いて、その周りにも旧市町村の単位があり、それぞれの市が山沿いのほうの地域振興についてはいろいろ苦労されて、過疎に悩んでいるということはあるのですけれども、ただまだまだ可能性のある、そういうまとまりだと思います。それぞれの市の中での地域振興、これも非常に可能性があるのですけれども、それが束になったとき、県南の広いまとまりの中で、さらに全国や海外から人を呼び寄せる、地元の人たちが地元に住み続けようというふうになる、そういう力が出せるエリアだと思いますので、頑張ってまいりましょう。よろしくお願いします。ありがとうございました。

八重樫部長
 ありがとうございました。
 ここで、県議会議員の菅野ひろのり議員を御紹介いたします。及川順也さんが江刺産リンゴを使ってリキュールを造るということでしたので、ぜひ菅野ひろのり先生の御協力をいただいて、お願いしたいと思います。

閉会

八重樫部長
 それでは、以上をもちまして県政懇談会を終了したいと思います。本日はどうもありがとうございました。

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