「がんばろう!岩手」意見交換会(平成27年6月23日 大船渡地区高等学校)
日時
平成27年6月23日(火曜日) 13時45分から15時00分
場所
岩手県立大船渡東高等学校 大会議室
出席者
- 参加者(敬称略)
佐藤 樹生(岩手県立大船渡東高等学校3年)
橋本 陸(岩手県立大船渡東高等学校3年)
寺谷 一星(岩手県立高田高等学校2年)
磯谷 茉佑(岩手県立高田高等学校3年)
今野 千尋(岩手県立大船渡高等学校2年)
鈴木 彩香(岩手県立大船渡高等学校3年)
菅野 敏暉(岩手県立住田高等学校3年)
三浦 彪(岩手県立住田高等学校3年) - 県側
達増知事
木村秘書広報室長
菊地沿岸広域振興局・副局長
開会
木村室長
皆さん、こんにちは。それでは、ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催いたします。
本日は、高校生による復興や地域振興等の取組ということをテーマにして、大船渡地区の高校生の皆さんにお集まりをいただいております。皆さんには出席いただきまして、ありがとうございます。
私は、本日の進行役を務めます県庁秘書広報室長の木村といいます。よろしくお願いいたします。
知事あいさつ
木村室長
それでは、開会に当たりまして知事から御挨拶を申し上げます。
達増知事
皆さん、こんにちは。高校生の皆さん、忙しいところありがとうございます。引率の先生の皆さんもありがとうございます。そして、この素晴らしい場所を貸してくださった大船渡東高校、ありがとうございます。
県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会と言いますのは、こういう「がんばろう!岩手」という名前で県政懇談会をやるようになったのは、2011年3月11日の東日本大震災津波以降であります。災害対策から復旧・復興の現場でそれぞれの地域、それぞれの分野で活動している県民の皆さんの意見を聞いて、県の復興施策に役立てるというのが目的でありますが、高校生というのも復興に当たっては大変大事な役割を果たしてくれています。そもそも、普通に高校生として勉強してちゃんと卒業してくれるということだけで、それは地域のためになっているし、また、未来のためにもなっているのでありますけれども、そういう勉強の部分だけではなくて、クラブ活動でやはり地域を盛り上げてくれたり、また生徒会活動やボランティア活動などで地域に貢献をしてくれている、そして復興関係でも様々な復興支援や復興に関する他県の高校生たち、また地域の高校生たちとの交流など、本当に多くのことをしてもらっていますので、そういった話を知事が直接聞くことで県の復興施策に役立てたいというふうに今日は思っていますので、どうぞよろしくお願いします。ありがとうございます。
木村室長
それでは、今日の懇談会の進め方についてであります。この後、私から皆さん方の学校名とお名前を紹介いたします。その後、皆さん方から自己紹介と併せまして、学校とか、地域で取り組んでいることなどをお話しください。さらに、今後の抱負などもお話をしていただきます。最後に、自由に発言をしていただく時間も設けたいというふうに思っております。よろしくお願いいたします。
それでは、本日出席の皆さんを紹介いたします。まず、大船渡東高等学校、佐藤樹生さんです。
佐藤樹生
よろしくお願いします。
木村室長
同じく大船渡東等学校、橋本陸さんです。
橋本陸
よろしくお願いします。
木村室長
続いて、高田高等学校、寺谷一星さんです。
寺谷一星
よろしくお願いします。
木村室長
同じく高田高等学校、磯谷茉佑さんです。
磯谷茉佑
よろしくお願いします。
木村室長
続きまして、大船渡高等学校、今野千尋さんです。
今野千尋
よろしくお願いします。
木村室長
同じく大船渡高等学校、鈴木彩香さんです。
鈴木彩香
よろしくお願いします。
木村室長
続きまして、住田高等学校、菅野敏暉さんです。
菅野敏暉
よろしくお願いします。
木村室長
同じく住田高等学校、三浦彪さんです。
三浦彪
よろしくお願いします。
木村室長
県側は達増知事、それから沿岸広域振興局の菊地副局長です。
菊地副局長
よろしくお願いします。
木村室長
それから、今回の会場校であります大船渡東高等学校の角舘校長先生にも出席をいただいております。
角舘校長
よろしくお願いします。
木村室長
皆さんのお手元に飲み物とお菓子を準備していますので、適宜、食べながら懇談をしていただければというふうに思います。
お菓子について、菊地副局長から紹介をいたします。
菊地副局長
私の方から紹介をさせていただきます。皆様の前にお配りしておりますのは、クッキーの詰め合わせでございます。大船渡市赤崎町の仮設商店街にあるクッキーの量り売り店「オアゾー・スイーツ」さんに御用意していただいたものでございます。当店を営む金野智子さんは、震災当時、勤めていたケーキ店が津波により全壊いたしまして、ほとんどのレシピを失ったわけですが、赤崎町の仮設商店街の建設を機に若くして独立を決意されました。独立当初は、手元に残っていた数種類のレシピからクッキー作りを始め、店の切り盛りの合間に新しいクッキーを作ることに励み、今では40種類以上の中から日替わりで十数種類が店舗に並べられているということでございます。今回は黒糖みそ、それからブルーベリージャム、チョコチップなど7種類のクッキーの詰め合わせを作っていただきました。午前中は大人の方とやったわけですけれども、どなたも手を付けられていなかったものですから、せっかくですので、ぜひ、手を付けて食べていただきながら懇談していただければと思います。よろしくお願いします。
懇談
木村室長
それでは、懇談に入ります。まず最初に、自己紹介ということで、一人2、3分程度で自己紹介と、それから、今、皆さんが学校ですとか地域で取り組んでいることなどを話していただきたいというふうに思います。お二人ずつ話していただいた後に、知事からお聞きしたいことなどをコメントするような形で進めて参ります。
それでは、名簿の順で、まず大船渡東高校の佐藤さん、橋本さんの方からお願いします。
佐藤樹生
昨年8月から大船渡東高校で生徒会長を務めさせていただいています佐藤樹生です。
本校が取り組んでいることとして、愛知県安城市の安城学園との交流が一つとなります。震災から毎年、「盛の七夕祭り」に合わせてお越しいただき、そして支援をしていただいております。昨年は安城学園の文化祭に招待していただき、生徒会の数名と本校の太鼓部が安城へ行って参りました。私は都合が悪く行けなかったのですが、太鼓部の人たちが向こうの文化祭で演奏してきて、それがとても好評だったそうです。少しは恩返しできたのかなとは思っております。これからもこのような交流をして、被災地の現状を発信していきたいと思っております。
木村室長
では、橋本さん。
橋本陸
私は、大船渡東高校の生徒会議長をやっております橋本陸といいます。
私は、自主的に三陸鉄道の観光案内と防災や救急救命に関する活動をさせていただいています。昨年の11月にバイスタンダープロジェクトというプロジェクトを立ち上げさせていただいて、救急救命士の方に協力いただきながら一般の方に応急手当の指導をしています。
達増知事
テレビで見たことがあるような気がする。
橋本陸
本当ですか。
達増知事
テレビのニュースで取り上げられたよね。
橋本陸
はい。
達増知事
思い出しました。
橋本陸
そのとおりです。バイスタンダーというのは、救急現場に居合わせた人のことをいうのですけれども、救急隊などの専門家が来るまで、私たち一般市民バイスタンダーが応急手当をすることで大きな効果があることがわかっています。私の講習会では、けがや心肺停止に対する応急手当の他に、低体温症に対する保温や搬送など地震や津波などの災害時に予想される傷病に対する応急手当の指導もさせていただいています。その他に、医療用ヘリコプターを運航する宮城県のNPO法人オールラウンドヘリコプターさんで、ボランティアスタッフとして広報活動やイベントでの救護活動を通して助かる命を助け合える世の中を目指して活動させていただいています。
木村室長
ありがとうございます。
では、知事の方からお願いします。
達増知事
生徒会として他県の学校との交流活動もしっかりやって、安城学園との交流というのを成功させていること、これは岩手県にとっても非常にありがたいことでありまして、大変良くやってくれているなと思います。
それから、救急救命の啓発活動をいろいろやっているということで、いろいろ自分が関心を持った分野とかに、高校生というのは、これは皆さんもそうなのですけれども、中学生と違うのは、大人の社会に通用するようなことができるようになるというのが高校生の中学生との違いで、大人の皆さんに役に立つような救命救急の普及活動とか、そういうことが自分の関心のある分野についてできるというのが大変いいことなので、ぜひ、その調子でやってほしいと思います。
木村室長
それでは、次は高田高校の寺谷さんと磯谷さんお願いいたします。
寺谷一星
私は、高田高校生徒会副会長の寺谷一星です。
私は、正直、現在は直接復興や地域振興に関わる活動は行っていないのですが、今後、私は生徒会長になるつもりでいるので、学校全体を動かし、生徒全員で仮設住宅の方々と交流を深めたり、ごみ拾いなどのボランティア活動を行い、地域の復興や地域振興に関わっていきたいと思っています。
東高校さんと少し内容が変わる点があるのですが、自分たちも昨年から県外の高校ではなくて一関の高校の方々とかに学校に来ていただき、交流を深めたりなどして、自分たちが震災当時から復興が徐々に進んでいるという姿を見ていただいたりなどはしていました。
木村室長
では、磯谷さん。
磯谷茉佑
私は、高田高校生徒会長の磯谷茉佑です。
達増知事
この間、落成記念式典のときに挨拶をしていましたよね。
磯谷茉佑
はい。
達増知事
覚えています。
磯谷茉佑
ありがとうございます。今、自分が活動のテーマとしているものは、地域の方々の気持ちなどの内面的な部分のサポート、それから、昔から続いている式典やお祭りなどのサポートである内面的な部分での復興に携わるというテーマで動いています。神戸大学の方々と一緒にボランティアを行っていて、赤崎の「復興市」というものを行っています。年に4から6回ほど行っています。それには仮設住宅の方々や家の中で引きこもっている方々が、外に足を運ぶ人が増えたという声や、地域の特色になりつつあること、また、震災後に離れてしまった友人などに会うことができてうれしいという声が上がっています。これからもこういう活動を行っていきたいと思っています。
達増知事
一関の高校との交流とか、あと、神戸大学の人たちと一緒に活動とか、そういう広がりのある活動、大変いいと思います。今、寺谷君は副会長として会長を目指す、そういう指導を磯谷さんから受けているという、そういう関係にあるので、しっかり大丈夫ですか、引き継いでいけそうですか。
磯谷茉佑
はい、すごくしっかりしているので。
達増知事
では、その調子で頑張ってほしいと思います。
寺谷一星
ありがとうございます。
達増知事
中にこもっていたような人たちが外に出てくるような活動をするというのは、とてもいいことだと思います。何か世の中を動かしていくときに肝心なのは、相手の心を動かすというところでありまして、心が動けば体も動くということで、外に出なかったような人たちも外に出る。いかにして相手の心を動かすかということが、これは生徒会活動とか、あらゆる社会的な活動のポイントなのだけれども、そういうところを高校時代からしっかりやっているというのは大変いいなと思いました。
磯谷茉佑
ありがとうございます。
木村室長
それでは、大船渡高校の今野さんと鈴木さんお願いします。
今野千尋
私は、大船渡高校生徒会副会長を務めています2年の今野千尋です。
私は、県内、県外の様々な高校と交流を行い、現在の大船渡の状況や震災当時の状況を伝えてきました。また、それぞれの高校とこれからどうしていかなければならないかを話し合ってきました。私たちのような被災地にある学校では、ボランティアや河川清掃など身近なところから活動をしていくこと、また、自分自身の将来について一人一人が考え、少しでも地域の復興に貢献することが重要だと思います。被災地以外の高校では、できるだけ多くの被災地から学び、いつ震災が起きてもいいように対策を立てることが重要だと考えています。私は、これからも生徒会としての交流を通してお互いの学校の今やらなければならないこと、これからについて話し合っていき、お互いの地域のために活動していきたいと思います。また、私自身が将来地域に貢献できる仕事について、地域のために頑張っていきたいと思います。
木村室長
では、鈴木さん。
鈴木彩香
私は、大船渡高校生徒会で事務局長をさせていただいています鈴木彩香です。
先ほども言ったように、大船渡高校生徒会では、復興の取組の一環として他校との復興の交流をしていて、内容としては、一緒に大船渡のまちを歩いたり、復興に向けて一緒に考えたりしています。県内では水沢高校、県外では鳥取東高校や上鶴間高校などと交流してきました。今の大船渡の姿などを県内だけではなく県外などにも伝える取り組みをしています。
私個人としては、地域での復興事業に積極的に取り組んでいて、一つは、まず私は、陸前高田に住んでいるのですが、その陸前高田に「若興人の家」というのがあって、「若興人の家」は他県の大学生の方と陸前高田が連携して行っている事業で、
達増知事
「わこうど」の「こう」は復興の「興」の字を入れて「若興人の家」と。
鈴木彩香
はい、そうです。というのがあって、私はその事業に参加したときに、一緒に高田のまちを歩いて、地元の私たちにしかわからないことを大学生の方に伝えて、大学生の方々から全国に高田の魅力を伝えるという事業に参加しています。その事業に参加して思ったのが、一本松があることでたくさんの人に足を運んでいただいているのですけれども、高田の魅力というのはまだ伝わっていない部分がたくさんあると思うので、一人でも多くの人に伝えることによって、高田もどんどん変わっていくのではないかなと思いました。
また、その他に、私は昨年、大船渡高校の先輩が立ち上げたイベントにも参加しました。そのイベントというのが、東京の方と連携して先輩が行ったイベントなのですが、大船渡高校の有志を募ってバンド演奏やダンスで、日本舞踊などのパフォーマンスで、小さいお子さんからお年寄りまでを元気付けようということで立ち上げたイベントです。それが近くのショッピングホールをお借りして行ったのですが、やっぱり小さいお子様のために一緒に歌を歌ったり、お年寄りのために日本舞踊をパフォーマンスしたりと行ってきました。私もこれからも復興に向けてたくさんの事業に関わっていきたいと思うので、今日はたくさんの意見を聞いて、これからにつなげていきたいなと思っています。
木村室長
ありがとうございます。
達増知事
大船渡高校でも他校との交流を盛んにやって、話し合ったり、いろいろ考えたりとかということをしていて、大変いいと思います。
それから、復興への貢献ということをいろいろ考えて、地道なボランティア活動から、またそれぞれ自分が将来どういうことをやっていくのか、ということまで考えていくという、そういうこともいいと思います。
「若興人の家」の大学生も大人なのですけれども、そういう人たちもやっぱり現地の高校生にいろいろ教えてもらうということが大変ためになっていると思うので、大いに役に立っていると思います。いろんなイベントとかも工夫しながら、いろんなことに挑戦していってもらいたいなと思います。
木村室長
それでは、住田高校の菅野さんと三浦さんからお願いします。
菅野敏暉
岩手県立住田高等学校、陸前高田出身の菅野敏暉と申します。私は、生徒会長をしており、クラブは硬式野球部に所属しています。
私たち住田高校では、様々なボランティア活動を行っています。その中でも被災地の復興のために取り組んでいるボランティアについて紹介します。私たちの学校では、毎年11月頃に陸前高田に赴いて、桜の植樹を行うボランティアをしています。具体的には、被災した場所とそうでない場所の境目に桜の木を植樹します。そうすることによって、将来的に同じような災害が起きても、その桜の木よりも高い場所に避難すれば安全という目印を作るという、安全なまちづくりへの第一歩となるボランティア活動に参加して、私も含めた生徒一人一人が、地元の復興のために少しでも力になれればと思い、活動しております。これからも被災地でボランティア活動があれば積極的に参加していき、地元が住みやすいまちになっていけばと思っております。
私からは以上です。
木村室長
では、三浦さん。
三浦彪
同じく、岩手県立住田高等学校の三浦彪です。生徒会議長をさせていただいております。
住田高校で主に今活動している内容は、海外派遣事業や、町内と学校の交流をする体験講座や、あとは、敏暉君が言った桜ラインというのは、住田高校の全員がやってきたのですけれども、その他に個人個人で受けられるボランティアがあります。
海外派遣事業は、毎年2月に行われて、オーストラリアで多くの体験をしてきて、オーストラリアの方々と交流をしてきます。
町内と学校の交流では、体験講座をしておりまして、講師を招いて町内の中学生と一緒に地元の体験をしています。
個々のボランティアとしては、その一環として「森の保育園ボランティア」というのがありまして、ボランティアは期間内で募集されていて、自分たちで決めて、その期間で活動しております。自分の個人的な活動なのですけれども、自分は昨年度、名古屋で、名古屋の高校生たちと意見交換会をしてきまして、たくさん震災についてお話ししました。一昨年度なのですけれども、名古屋の高校生さんたちが高田に来ていただいて、一緒に名古屋の高校生さんたちが作ったアイスの販売をお手伝いしておりました。
以上です。
達増知事
桜ラインは、私もいろいろ報告を受けていますけれども、全国的にも知られた取組で、それにみんなで参加しているというのは大変いいと思います。
それから、他校の高校生との交流や、また、海外派遣でオーストラリアにも行ったりとかということで、広く大きく交流する中で地元のことを伝えたり、また、復興のこととか震災のこととかも伝えていくというのは大変大事なことなので、その調子で頑張ってほしいと思います。
木村室長
皆さん、ありがとうございました。
それでは、続きまして、今度は、一人2、3分程度で、皆さんが復興とか地域を元気にすることについて、こんなことをしてほしいというようなこと、それから、将来の自分の夢とか、どんなようなことをしていきたいか、というようなこと、今もお話が少しありましたけれども、そういうことについてお話をいただきたいなというふうに思います。
それでは、先ほどと同様、二人ずつお話しいただいて、それから、知事からコメントするというような形で、また同じような格好で進めていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
それではまた、名簿順で、佐藤さん、橋本さんの方からお願いします。
佐藤樹生
復興では、地域の復興などについて望むこととして、本校は全校生徒が441人いまして、そのうち仮設の利用者が52人います。私は震災では津波も特に被害はありませんでしたが、全校生徒の中にも結構被災に遭った人が多く、そして、その仮設の利用者が年々減ってはいるのですが、いまだ10人に1人が利用しているという状態となっております。なので、この仮設の利用者が一日でも早く減ることを私は願っています。
私の将来の夢として、私は食物文化科に在籍しておりまして、調理のことに関して勉強しています。高校を卒業後は、調理関係の短期大学校に進む予定です。将来、地元に戻るかはまだ決まってはいませんが、少しでもここの地元に関わるようなことをしていきたいと思っております。
木村室長
では、お願いします。
橋本陸
私の自分自身の将来の夢についてなのですけれども、高校卒業後に短期大学に進学しまして、救急救命士の資格を取りたいと思っています。資格を取ったならば、地元の大船渡の方に戻ってきて、できれば消防に入りたいなと思っているのですけれども、そして防災とか救急のレベルをもっと向上させたいなと考えています。
こういうふうに考えるようになったのには、二つ、今でも後悔していることがあるのですけれども、まず一つ目が、東日本大震災のときで、私が一時的に避難していた避難所の方に、津波でびしょ濡れになって低体温症を起こしている老人の方がいらっしゃったのです。でも、当時、応急手当に関する知識も何もなくて、ただ服を替えてあげたりとか、ストーブの近くで温めるということしかできなかったというのが後悔しているところで、実際、その方がその後にどうなったかというのは全くわかりません。
二つ目なのですけれども、同居していた家族が急性心筋梗塞を起こして、自宅で心肺停止状態になって救急車で運ばれたということがありました。救急車が来るまで、自分が心肺蘇生法を実施したのですけれども、結局、救うことができなかったというのが後悔しているところで、心肺停止になる前に気付くというのも、何で自分が気付けなかったのだろうという後悔があって、救急救命士の勉強をして、もっと知識を付けたいと思いました。
そして、ここで皆さんにちょっとお聞きしたいのですけれども、救急車が来るまで大体全国平均でどのぐらいかかっていると思いますか。三択でお願いしたいのですけれども、大体5分ぐらいかなという方、手を挙げてもらえますか。いらっしゃいますか。8分ぐらいかなという方、いらっしゃいますか。8分。それ以上という方は。ありがとうございます。それ以上が多かったのですけれども、最新の消防白書では8分半ぐらいかかっています。人間は心肺停止状態になってから5分を経過すれば助かる確率というのはぐんと下がってしまって、助かったとしても何らかの障がいが残って、社会復帰というのが難しくなってしまうのです。ですから、バイスタンダーによる応急手当が必要になると考えていて、自分自身、救命士として人を助けるには、バイスタンダーの人から命をつないでもらう必要があると考えています。なので、自分の技術、知識を高める以外にも、一般市民の方にもっと実践的な応急手当の講習を開いて、助けられるようにしてもらいたいなと思っています。それが私の夢で、バイスタンダーがつないでくれた命を病院へつないで、助かる命を助けられるようにしたいなと思っています。
以上になります。
木村室長
では、知事からお願いします。
達増知事
それぞれ自分の将来、方向性をしっかり見定めているところ、感心しました。
調理というのは、人々の生活を支え、豊かにし、また、いろんなビジネスとの関係でも大変大事な分野で、21世紀、経済の主流も観光とかそういうサービス業系の産業が大事になってくると言われているのですけれども、そういう中で調理が占める役割というのは、ますます大事になってくると思います。
それから、救命救急、消防というのも、自分自身が、橋本君が体験したように、現状課題が多い分野ですから、もっともっと改善されていかなければならないところなので、これから非常にやりがいのあるところだと思いますので、それぞれ頑張ってほしいなと思います。
橋本陸
ありがとうございます。
木村室長
それでは、高田高校の寺谷さんと磯谷さん、お願いします。
寺谷一星
私も自分の夢について少しお話ししたいと思います。
私は、将来、卒業後に大学へ入学し、大学で教育学を学んで、将来は中学校の先生として活動していきたいと考えております。中学校の先生になることができたら、地元に帰ってきたいと考えています。そして、自分は祖母と暮らしていたのですが、津波で祖母の家が全壊してしまったので、祖母と一緒に近くの避難所で何週間か暮らしていたので、その経験などを自分より後の世代に伝えていきたいと考えております。祖母は震災で、祖父が亡くなっているのですが、その大切な形見などとかも失くしてしまったので、それはやっぱり東日本大震災を経験した人にしかそういうのはわからないと思うので、それをどういうものだったのかなどを伝えたいと思っています。
木村室長
では、磯谷さん、お願いします。
磯谷茉佑
私は、仮設住宅の方々や地域の方々の生きがいとか、そういうものを自分たちの力でもう少し大きくしてあげたりしていきたいと考えております。一つの案なのですけれども、私の学校の前のグラウンドには、まだ、仮設住宅の方々がいっぱいいらっしゃって、その理由というのは、仮設住宅の方々が他の地域に引っ越すときに、他のコミュニティーに移るときに、体はもちろん、心にもストレスを加えるということについて不安があるからではないかと考えました。不安とはまた違うものかもしれませんけれども、誰でも日常では違う環境になり、ストレスなどを抱えてしまうと思います。
そこで、今まで私が経験してきた「市」をすることによって、地域の方々がいろんな人たちとコミュニケーションをとるという形によって、他の地域の方々ともコミュニケーションをとりやすくなるのでは、と考えました。また、仮設住宅ごとにテーマを決めれば、他の仮設住宅の方々が、違う地域の仮設住宅の方々がどういうことをしているのかというふうに疑問を抱き、足を運んだりすることもあると思います。そうすれば、他の地域の方々とも、もっともっとコミュニケーションの場が増えて、引っ越しやすい、そういうふうな環境になってくると思います。こういうことを学校で実現するのは少し難しいと思いますけれども、少しでも近づけるように活動していきたいと思っています。
また、私は将来、福祉又は保育の道に進みたいと思っているので、震災があってこういうことがあったんだよ、というふうに小さい子どもに教えるだけではなくて、そうだったけれども、それがあったからこそこういうことがあったのだよ、というふうにプラスの方の事柄をもっとたくさんの方々に伝えていきたいと考えています。
以上です。
達増知事
寺谷君は、教育の分野、中学校の先生を目指したいということで、磯谷さんは福祉や保育で、やっぱり子どもたちに、東日本大震災のことや復興のことを伝えたいというのは大変いいことだと思います。今日の午前中は、陸前高田市のコミュニティホールで大人の人たちとこういう県政懇談会をやってきたのですけれども、コミュニティホールや、その隣の消防の施設は、震災前になかったような大変立派なものができていて、陸前高田市のまち全体も一定の時間はかかるけれども、もうすぐ確実に目が覚めるような、全国の人たちに自慢できるような、そういう新しいまちになりますから、そこに至る過程を知っている者として、またそれをこれからの人たちに伝える役割、担う人として大いに活躍できると思うので、頑張ってほしいと思います。
あと、仮設住宅に住んでいる皆さんにもっと元気になってもらうために、どんどん外に出てもらう、それで情報共有とか、情報交換してもらうことは大事だと思います。ともすれば、こもりがちになったりするのですけれども、私もプレハブ仮設住宅というのは何回か泊まったことがありますけれども、やはり復興のための特別な基地みたいなもので、生活に必要な道具とか設備は揃ってはいるけれども、その中にだけいたのだと、やっぱりちょっとまずいなと思うので、できるだけそこは外に出て、まちの中とか、あと、いろんな人たちとの交流とかをした方がいいと思うので、どんどん促してあげてください。
木村室長
ありがとうございます。
それでは次に、大船渡高校、今野さん、鈴木さんお願いします。
今野千尋
私は、私の部活動について少し話したいと思います。
私は、現在水泳部に所属しています。今、被災地の水泳部は、みんなプールが流されたり、通える状況ではなくなったりして、水泳を続けるのが難しい状況にあります。震災前は、気仙地区の水泳は県でもトップクラスのとても強いチームばかりが揃ったところでした。私も小さい頃から水泳を選手としてやっていて、そのチームの一員でした。しかし、震災後、プールが流されて、その選手たちは水泳を辞めた人もいれば、内陸に転校した人もいました。それで、今残っている選手たちは、みんなプールを間借りして、他の内陸の水泳部とは違う、毎日、毎日、プールを間借りしてお金を払いながら、震災前よりもちょっとつらい練習をしています。だから、私たちの他にもまだまだ水泳を続けたい人はいるし、たくさんの選手になりたい人たちがこの大船渡にもいるので、今は震災で他の復興を進めることが優先かもしれないけれども、大船渡は水泳が盛んだった地域なので、水泳をまた復活させることによって、大船渡が少しでも復興に近づくと私は思うので、私の夢は、大船渡の水泳の人口がもっと増えて、水泳を今頑張って、つらい状況でも活動している選手たちが少しでも楽しく、震災前のようにたくさん記録を出して泳げるような環境になることです。そのために、私自身も少しでも大船渡にも選手が復活したのだよ、ということを知らせるために、今少しでも多くの記録を出せるように努力しています。
木村室長
では、鈴木さん、お願いします。
鈴木彩香
私も将来についてなのですけれども、私も将来は進学して、最終的に地元に戻ってきて建築士としてやりたいと思っていて、私の家も震災で被災しました。高田も見てのとおり、まちの中心街はほとんどなくなってしまって、私もその状況を見て建築士という夢を持ちました。
私は、高田の一番好きなところは、やっぱり人々の温かさであると思います。家族とか親戚だけに留まらなくて、近所の子どもなど、世代を越えて笑って話せるのが私は本当に好きです。高田にも「動く七夕」という行事もありますけれども、今はかさ上げ作業などもあって、場所を確保するのが難しいというのをよく聞きます。なので、そのお祭りもあって、人々の温かさというのを確認する場面でもあると思うので、建築士としてやっぱり新たな建物を建てるだけではなくて、人々のコミュニケーションをとれるような場所も確保するということも考えています。
今は市営住宅もどんどん建ってきて、その市営住宅にもコミュニケーションを重視したバルコニーというか、そういうのを設けられていたりするのですけれども、今住んでいて、公園とかがやっぱり少ないなというのも思いますし、高校生としては図書館がなくなってしまって、勉強する環境が本当に少ないなというのを私自身も思いますし、よくそういう声を聞きます。今、現時点では、やっぱり高校生ですし、やることは限られていると思うのですけれども、でもこれから大学に入って勉強して、地元に戻ってきたときには、小さいお子様もたくさんの人が安心して暮らせるような建物とか環境作りをしていきたいなと考えています。
以上です。
達増知事
まず、今野さんの水泳の話ですが、東日本大震災の被害を受けた沿岸地方では、スポーツ関連の施設がかなりやられて、なかなか復旧していない、替わりのものができていないというのも多く、スポーツ関係の皆さん、特に高校生には、非常に不自由をかけていて、申し訳ないということを改めて思いました。プールもそのとおりなので、そういう中で練習をしている皆さんには本当に頭が下がる思いでありまして、また、そういう中でいい成績を示す選手がいるというのは本当にすごいことなので、ぜひ頑張ってほしいと思いますし、県としても体育施設の復旧・復興というのもこの復興の中で大事な要素と考え、直していくようにしていきますので、みんなで頑張りましょう。
それから、鈴木さんは建築士を目指したいということで、陸前高田の復興というのは、まず、復興計画にあるいろんな建物とかはもうすぐできるのですけれども、まちの発展というのはそこから始まるみたいなところがありますので、いろんな新しいものを建てるとか、あるいは古いものをリフォームしたりとかということもこれから大事になってきますし、活躍の場というのはたくさんあると思います。
今日午前中、大人たちと気仙地区の将来の話をしたときに、いかに若い人たちに地元で働いてもらえるようにするかということを考え、そして、行動に移していかなければならないということで、大人たちも大変そこは心配したり、また、いろいろ考えて行動に移したりもしていて、いろいろ知識、技能を身に付けた若い人たちが地元で活躍する、それは働いて稼いで食べていくことができる、そういう地域をちゃんと作っていこうと、大人たちも頑張りますので、みんなで頑張りましょう。
木村室長
それでは、住田高校の菅野さん、三浦さん、お願いします。
菅野敏暉
私が復興について望むことは、復興した後に人が集まりやすく、震災前よりもさらに活気のあるまちづくりをしていただきたいということです。
具体的にショッピングセンターやスポーツに関する利便施設などを一つの場所にまとめ、そこにたくさんの人が集まり、交流が盛んになることによって、まちの活性化につながると考えたからです。今、陸前高田市では、店などがばらばらにできていて、集まる人も点々と集まっている感じで、すごく寂しいと感じることが大変多いので、一つの場所にまとめて、まちが盛んになることを提案したいです。
また、陸前高田市には、先ほど大船渡高校の鈴木さんからも出たのですけれども、素晴らしい伝統があります。「動く七夕」や「けんか七夕」があるのですけれども、私の出身が陸前高田市の気仙町なのですけれども、気仙町は被災して町内会の解散などが相次いで、気仙町民がばらばらになっている状態なので、唯一、気仙町民が一つになれる祭り、「けんか七夕」があることによって一つになれていると思います。復興のかさ上げなどで中止なども一時考えられたのですけれども、何とか地元の建設会社さんとも協力して続けることができたので、これからも私も気仙町民としてこの素晴らしい伝統を守っていきたいと思いました。
また、私ごとですが、私は仙台の方に進学して、環境土木工学について勉強したいと考えています。その後、地元に戻り、災害に強く、住みやすいまちづくりに携わっていきたいと思っています。そのために、今日、他の高校さんから様々な意見があって、すごく新しい考えも増えたので、これからの残りの高校生活で進学するまでの間に何ができるかを考えていきたいと思いました。
私からは以上です。
木村室長
では、はい。
三浦彪
僕が復興や地域振興で望むことは、先ほど敏暉君が言ったように、できるだけ早く復興できて、まちが盛んになるようにと、あと震災を受けたところと震災を受けていないところの方々が手を取り合って、みんなで協力して復興や地域振興ができたらいいと思っております。
僕の夢は、声優になることなのですけれども、声優になって早く活動できるようになったら、震災などのテレビとかでナレーションをやりたいと思っております。自分が中学生のときに、震災直後にすぐその次の日に震災を受けたところを見に行ったのですけれども、その状況とか、そういうのもみんなに伝えたいと思っております。
以上です。
達増知事
菅野君の震災前よりもいいまちに、人がたくさん集まる、交流ができるようなまちにということについては、陸前高田市さんの方でもいろいろ考えてまちづくりの計画を立てていて、まだまだこれから中身が固まっていくようなところもあるので、気が付いたら、どんどん提案していくといいと思いますよ。
環境土木工学を学びたいということですけれども、陸前高田市の高田松原は、県も一緒になって復旧のことをいろいろ検討しているのですが、なかなかそう簡単にあの松原がばっと元には戻らず、まだ具体的な再生計画という格好にはなっていない。
菊地副局長
そうですね、まだ、そこまでいっていません。
達増知事
ですので、まだまだこれから活躍の余地があって、江戸時代は、100年とかかけていたのでしたか、菅野杢之助さんとか土地の地元の商人が何世代かかけて植えていって作った高田松原ですからね。江戸時代は技術とかそういうのはないので時間もかかったのでしょうが、現代の我々もかつて江戸時代の人たちが何かみんなで工夫して高田松原を作っていったような、何か我々なりの工夫をして再生させる取組をしていかなければならないなと思います。あそこは、松原の前にまず、砂浜の再生というのもまだ具体的な計画にはなっていない。
菊地副局長
ええ、そうですね。試験的にやってみて砂が付くかどうか、ちょっと試してみてからですかね。
達増知事
そういう意味では、やっぱり自然環境の再生というのが一番難しいですね。まちの復旧・復興とかは、時間はかかるけれども、まだいろいろやりようがあって、今、がっとやっているわけですけれども、そこは本当に大事な分野だと思います。
気仙町の皆さんの「けんか七夕」ですけれども、私は知事として東日本大震災が起きて大変なことになる中、とりあえず皆さん、まず家を失った人たち、避難所で生活をし、仮設住宅ができるに従って仮設住宅に移るという中で、ここで地元に踏み留まって、これだけ被害を受けた地元を復旧・復興させていこうという力が、どのくらいそういう力が湧き上がるだろうかということについては、かなり心配したところもあったのですけれども、私の予想以上にそういう地元の底力というのは強かったなと今思います。陸前高田市だけではなく、それは大船渡市もそうだし、岩手の沿岸全域がそうなのですけれども、お祭りというのは一つの象徴で、とてもお祭りどころではないのではないかなとか思っていたのですが、やっぱり地元の人たちが率先してお祭りはやりたいと。お祭りをやることで、地元で踏ん張ろうという、そういう力もまた高まってきて、そういうことを岩手の沿岸あちこちで目撃しました。そういうお祭りということに象徴されるような伝統とか文化とか、そういう地元の力というのはとても強いし、大事だなと改めて思います。
声がいいので、いいかもしれないですね、声優。いろんな活躍の場があると思うし、また、伝えたいことがあるというのは大事ですよね。私も去年、いわて若者文化祭という企画を若者活躍支援という県の新しい政策の柱の中で、若者の文化祭というのを盛岡の会場でやって、桑島法子さんというベテランの奥州市出身の声優さんに来てもらって、それでトークをやったのですけれども、「宇宙戦艦ヤマト2199」という、私がそれこそ中高校生の頃にはやった「宇宙戦艦ヤマト」のリメークでヒロインの森雪さんの声をやった桑島法子さんなのですけれども、いろんなアニメの声で活躍しているのですが、しばらく前から、宮沢賢治の詩の朗読というのに力を入れていて、それで岩手でも、普段の活動は、仕事は東京でやることが多いけれども、岩手に戻ってきて、岩手で宮沢賢治の詩の朗読をするというのを一生懸命やってくれたりしていて、何か、親が朗読していたのを子どもの頃聞いて、それが残っていて、それを再現したいというようなことを言っていて、そういう自分が少年少女だった頃に体験したことで、これはいろんな人に伝えたいという、そういうものがあると、やっぱり伝えたいものがあると、それは伝える力になります。これは、外国語の勉強なんかでもそうなのですけれども、やっぱり伝えたいものがあると必要に迫られて英語とか外国語というのは上達します。よく言われるのは、友達ができれば、友達と話をするとか友達に手紙を書くとかで、ぐぐっと英語は上達すると言われるのですけれども、伝えたいものがあって、これは何とか伝えなければと本気になると自然に伝える力は付いてきます。ですから、まず、伝えたいものがあるということが非常にいい出発点だと思うので、ぜひそれは大事にしていってください。
木村室長
皆さん、ありがとうございました。一通りお話を伺いましたので、これからは自由懇談ということで、これまでのこの懇談全体を通じて、他の学校の皆さんのお話とか聞いた感想でも結構ですし、今日のテーマの復興とか地域振興とかということに関わらず、何か話したいこととか、せっかくですから、知事にこの際ちょっと聞いてみたいこととか、本当に何でも結構ですので、何かあったら自由に手を挙げてもらって発言をして。
はい、どうぞ。
橋本陸
私からは、ヘリコプターの有効活用について、ちょっとお話をさせていただきたいのですけれども、御参考までに資料をお持ちしましたので、お時間があるときに見ていただければうれしいです。
達増知事
ありがとう。
橋本陸
私たちの住む大船渡市、また、陸前高田市というのは、山に囲まれていて交通面ではあまりいいとは言えないのです。ですから、災害時にはヘリコプターによる物資輸送とか、救急患者の搬送というのが必要となると思います。だからこそ高台にヘリコプターが降りられるヘリポートを作っていただきたいなと考えているのですけれども、昨年度の「みちのくALERT」という防災訓練がありましたけれども、実は、自衛隊のヘリコプターが着陸した場所というのが津波の到達しているはずの河川敷なのです。あまり実践的ではないのかなと不安になりましたし、実際に災害が起きたときにどこに降りるのかなというのも不安に思いました。大船渡病院の方にヘリコプターが降りられる場所が2か所あるのですけれども、1か所が救急ヘリとか、ドクターヘリの大きさしか降りられないヘリポート、もう1か所が、普段、駐車場に使っている場所を臨時ヘリポートとして利用していまして、実際に災害時に活動するときに大型ヘリコプターがきちんと降りられて、荷さばきができて、給油できる場所というのが必要かなと考えました。
あとは、先ほど渡した資料なのですけれども、民間ヘリコプターの活用についても検討していただきたいなと思いました。民間ヘリコプター、医療用のヘリコプターを運営しているところがあるのですけれども、そこの団体では、救急患者ではない患者さんの搬送とか、あとは、医師だけ搬送する、機材のみ搬送するというのは、もうやっています。これは、ドクターヘリだったら基本的には救急患者さんしか搬送しないと思うのですけれども、そこを上手く民間の方も使い分けながらやっていただければ、私たち住民、岩手県民、大船渡市民としては安心して生活できるかなと思いました。民間と行政との連携というのは、ちょっと難しいところもあるらしくて、一度、ヘリコプターの団体の方から、ある県立病院に提携のお願いをしたそうなのですけれども、病院側は、県がいいと言えばいいですよ、と言うし、県は、病院がいいと言えばいいですよ、といわゆる任せきりというような状況があったという話も聞きましたので、ぜひ、そこは上手く調整して活用していただければうれしいなと思います。
達増知事
そうですね、これは県の振興局でも研究してみましょう。民間と行政の調整というのは時間がかかったりもしますけれども、でもきちんと理路整然と分析をしていけば、それぞれの良さを生かしたやり方というのを調整することはできるし、その方がいいと思うので、その辺は研究していきましょう。
橋本陸
よろしくお願いします。
木村室長
他には何かないですか。何でも、まじめな話だけではなくてもいいですけれども、何か。いいですか、よろしいですか。
それでは、ないようですので、皆さん本当にありがとうございました。
知事所感
木村室長
それでは、最後に知事から総括的にお話をお願いします。
達増知事
皆さんがそれぞれ自分の将来のこととか、また、今、自分の高校生としてできること、やりたいこと、やらなければならないことについて深く考え、そして、活発に実行しているということは大変頼もしく感じました。
今、テレビで「あまちゃん」の再放送をしていますけれども、あれも高校生が主役のドラマで、高校生の活躍を上の世代がきちっと理解して背中を押すところは押して、そうすると地域振興も復興も上手くいく、また、東京や東京を通じて全国に対して何かするということも上手くいくという、そういう教訓が、あの「あまちゃん」のドラマだと思っていまして、あれはそのとおりなのですね。若い世代と皆さんの親の世代、さらにおじいさん、おばあさんの世代、それぞれが活躍して、地域というのは上手くいくのですけれども、やっぱり、中でも一番活躍が期待されるのは皆さんの世代でありますので、思い切って、どんどん前に出ていってほしいなと思います。
そして、いろいろ交通、通信などが便利になり、コンピューターやインターネットも発達していて、昔の高校生にできなかったようなことが、今の高校生ではできるということもあるので、そういう地域の最先端であり、かつ、時代の最先端にもいるということで、頑張ってほしいなと思います。県としては、まず、東日本大震災からの復興、そして、人口減少対策などのふるさと振興、地域振興という言葉もありますけれども、いずれ、そういう振興していくというのを進めるのですが、復興の「興」の字とふるさと振興とか地域振興の「興」の字は同じ「興」の字で、英語にするとプロモーションという言葉なのです。プロモーションという英語の意味は、さらに自分の力を高めるとか、偉くなる、出世するという意味もあり、また、自分を宣伝して売り込んでいくという意味もあるのですけれども、復興も、そしてふるさと振興、地域振興というのも、要は地域の力を高めて、そしてどんどん地域外とのつながりを強くして、そのつながりの力も高めていき、そして、どんどんパワーアップしていくということです。その中で、個人一人一人もどんどん自分の力を高めて、そして、いろんな人たちに自分の力を役立ててもらえるように、そういう、どんどん広がりを持っていくということなので、まず、それぞれ皆さん自分の力を高めるということを頑張って、そして、それが地域の力を高めることにもなるということで、その調子で進んでいってほしいと思います。今日はどうもありがとうございました。
閉会
木村室長
では、皆さん、本当に今日はいろいろお話をいただきましてありがとうございました。
では、これをもちまして県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了いたします。
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