草の根地域訪問「こんにちは知事です」(平成19年11月28日)

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ページ番号1001040  更新日 平成31年2月20日

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訪問団体名:姥屋敷いきいき21推進委員会(滝沢村鵜飼)
日時:平成19年11月28日(水曜日)14時30分から15時15分
場所:姥屋敷多目的研修センター

開会

宮舘局長
それでは、おそろいですので、ちょっと時間早いですけれども、よろしいでしょうか。皆さん、こんにちは。ただいまから県政懇談会「草の根地域訪問『こんにちは知事です』」を開催させていただきます。
私は、本日の進行役を務めさせていただきます盛岡地方振興局の宮舘と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。

知事あいさつ

宮舘局長
では、開会に当たりまして知事から一言ごあいさつを申し上げます。

達増知事
皆様、こんにちは。今回「草の根地域訪問『こんにちは知事です』」というテーマでお邪魔いたしました。私、4月から知事に就任いたしまして、それで今、任期4年間のこの4カ年計画を立てているところなのでありますけれども、その中で町内会、自治会あるいは行政区といった、暮らしや仕事の現場に一番身近な、最近ではコミュニティーという言葉を使いますけれども、そのコミュニティーについて県もしっかり目を向けて、守り、育てるのに県も一役買っていかなければならないなと思っておりまして、といいますのも、やっぱり県の仕事がちゃんとうまくいっているのかどうかというのを評価する場というのは、やはりそのコミュニティーの中で暮らしや仕事がきちんとうまくいっているかというところが、県がちゃんと仕事をしているかどうかのこの評価の決め手になると思っておりまして、そういうコミュニティーがどんどん弱っていくようであれば、県としてやるべきことをやっていないということだと思いますし、そういう意味でもまずは今年、今年度は実態調査からということで、市町村の協力もいただきながら、まずコミュニティーの基礎データを調べながら、ただその中でも特にうまくいっているといいますか、いろいろな努力でさまざまな困難を乗り越えていらっしゃる、そういう元気なコミュニティーをまず100選ばせていただき、それを岩手県民皆さんに示して、それぞれ参考にしてもらうという事業をまず今年度着手したところでございます。
そして、この姥屋敷いきいき21推進委員会は、「元気なコミュニティー100選」のその第1次の選考で選ばせていただきまして、今日お邪魔した次第であります。ぜひ皆さんのこの活動の様子を教えていただき、またいろんな意見交換もしながら県政に役立て、また県としてのコミュニティー施策に役立てていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

宮舘局長
それでは、本日のご出席の皆様をご紹介したいと思いますけれども、次第の2ページ目に出席者名簿がありますので、こちらをごらんいただきたいと思います。それから、今日県議会の地元の喜多先生、そして大宮先生にもお越しいただいております。どうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございます。
それでは、選定証の交付に入りたいと思いますけれども、姥屋敷いきいき21推進委員会様におかれましては、このたび「元気なコミュニティー100選」という、先ほど知事がご紹介申し上げましたけれども、の団体として選定されました。これは、自治会や町内会等の地域活動をされる方々で、ほかの団体のモデルとなるような先導的な事例を選定して、広く県内外に情報発信することによりまして、団体の一層の活動促進と県民の地域活動に関する理解と参加を促したいということで、今年度県で創設したものでございます。懇談に入る前に、その選定証を知事からお渡ししたいと思いますので、どうぞお願いします。
(選定証交付)

宮舘局長
姥屋敷いきいき21推進委員会の皆様には、大変おめでとうございました。今後一層のご活躍をお祈り申し上げたいと思います。

懇談

宮舘局長
それでは、早速懇談に入らせていただきます。まず、姥屋敷いきいき21推進委員会様から活動内容につきましてご説明をいただきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

団体員
座ったままでいいでしょうか。

宮舘局長
どうぞ。

達増知事
これ、そうだ、ここの水なのですね、このグンダリの湧水というのは。

団体員
そうです。たしかおらほから行っているのだと思います。

達増知事
グンダリ沢。

団体員
沢があるのです。

達増知事
では、いただきます。

団体員
そこのところをボーリングしたのですよ。

団体員
浄水器使っている。

達増知事
まろやかな口当たりが。

団体員
企画早々の認定であります。本当に光栄に存じております。本当にありがとうございます。
ここの地域の状況等を説明させていただきますが、この地域はごらんのとおりの岩手山ろくなわけですが、標高が350から500の地帯に昔から既存の農家、姥屋敷というここの部落が14戸、今部落というようなのは他では使わないようですが、14戸ずっと400年以上続いてきたわけですね。そこへ戦後引き揚げてきた人たちが開拓として入植をして、あと若干の今新規というか、新しく新住民といいますか、新しく来た人が何軒かありまして、約100戸の自治体です。ここの自治会は、コミュニティーという、21にしても、農協さんにしても、ここは単独農協で頑張って組合長さんなり理事さんなんかおられますけれども、単独で頑張っています。みんな一緒というか、一つですので、ほかと遠隔、離れていますので、昔は特にも自分たちで協力していかなければ生きていけないというところだったわけですね。お互いどの人も皆兄弟と同様に来る人たちが生活しているわけですから、今帰りに見ていただける洞畑-鬼越線というようなのもつくる。ボランティアでもなければ何でもない、自分たちの必要とするところは自分たちでやる、こういうことです。ボランティアでは全くないです。
それで、洞畑-鬼越線という道路のことを話しさせていただきますと、自動車というか、車社会になる以前は細い山道で馬車も通れないところだったわけですが、生活道として盛岡、役場に最短距離のところなものですから、その道路が、山道ですね。そこを私らも子供で入植して3年生、4年生から米を買いに行ったりなんかして歩いたという生活道路です。そこがあるとき時点で、何年か前になるのですが、林道ということで整備してもらったのですが、林道という名前なものですから、車は、冬はストップということになってしまうというようなことで、狭過ぎるということがありまして大変だったのですけれども、あるとき、私らの長年の要望だったのですが、何十年という要望だったのですが、なかなか実行されなくていたのですが、新年会のとき前村長さんが、お酒の席で要望したら、なにあれっぽっちのところ自分でやったらいいだろうという、自分たちでやれと、こういうことからの話で、やれと言うならやるよというようなことで、農協さんにもいろいろな負担もかけながら協力してもらって、みんな一緒になって、二冬にかけてつくったということですね。通っていただければ、一番上で1回上って見てもらえば、眼下に盛岡のまちが見えます。直線道路であります。たった1,500メートルの整備だったのですが、地権者14軒、そのうち4軒だかが盛岡の人が持っているわけですね。盛岡とかニュータウンの人がですね。そして、それをあとの人たちにもお願いをして、理解していただいて無償協力をしていただきました。立ち木も直径で40センチ、50センチというような木も道路沿いに立っていたわけですが、それも、もうどれだけどうだということなく地権者には本当に快く協力してもらえたことが、幾ら自分たちがやろうとしても個人のことですから、だめと言われればだめなわけですが、やはりこの姥屋敷の14戸の人たちが昔からの縁故が下のほうにあるものですから、そこの人たちがお願いするというのは、やはり全く知らない人が行って頼むのと違って、許してもらえるというか、おまえさんたちかわいそうだなということでやらせてもらったということですね。本当にありがたかったなと思っております。土地のことだけは、これはお金でも解決できないものですから、本当に助けられたと思って感謝しています。
今は7メーターの幅員をとりましたので、今後どんな時でも生かされるだろうなと思っております。私達が、下の川まで広げたのです。そこに団地があるのですが、役場の方というか、学校に行く生徒さんもいるし、道路がその先狭くて危険だな、あれを広げることは私らの力ではもう大変なことだろうということです。

達増知事
上の山団地。

団体員
上の山でなくて、そこは朝日が丘という団地があるのです。ここを下ったところ。蒼前神社までなのです。そうしますと、この岩手山というのは岩手県のシンボルで象徴であって、盛岡の奥座敷だと、こう私ら思っていますので、そうすると今でも随分利用していただいていますけれども、それを広げれば蒼前のお祭りにしても、岩手山、鞍掛、春子谷地、網張温泉、相の沢牧野といったものについて全く便がよくなって、みんなの憩いの場ということになるように、ひとつあわせてご協力のほどもお願いしたいなと思って、今日見ていただけばわかるかと思いますが、そんなことです。

達増知事
知事選挙のちょっと前にこちらのほうへお邪魔したときに、ちょうど作業をしているところに出くわして、目撃いたしましたったけれども、いや、すごいなと思ってあのとき拝見いたしましたが。

団体員
あの道路も素人の我々がやることですから、カーブでも何でもやっぱりスムーズに曲げるということにはいかなかったのですけれども、技術の秋場さんがいてくれて、あれを人の土地をうまく広げられたと、ということです。
それから、ここではいきいき21といいますか、村のまちづくり委員会というのの一環なわけですけれども、ヤマブドウ酒というか、ブドウのジュースとかジャムもやってみようということで、そういうものも始まったのですが、今秋場さんのつくったもの、ワインはだめだっていうことを言われましたので、まだ取るのを(保健所の認可)取っていませんのでジュースですが、このほうは秋場さんが一生懸命やっていますので、後で説明させてもらいます。

達増知事
きれいな色ですね。

団体員
多分においしいと思います。いろんな活動の中で、やはり農協さんが、ここでは酪農をすごく大きくやって成功しているものですから、自治会としても活動がしやすいということですね。やはり経済的に苦しいと何もできませんのでね。というようなことで、地域としては一丸となって、兄弟、仲間で頑張ってきているということです。今では道路も車だから小岩井を回らなくても行けなくはないのですが、何としても、小さい時に石油をしょって上がってきたとか、米をしょって上がったというところの思いというか、思い出はものすごく強いものがあるのです。それと、盛岡には最短距離で今行けるということでございます。冬期間もおかげさまでずっと通してもらえるようになったものですから、本当に感謝したいなと思っております。そんなところでございます。余り褒められるほど大したことやったわけではないのですけれども。

宮舘局長
ありがとうございました。ただいまのご報告があったように、平成17、18年度ですか、マイロード事業ということで用地交渉やら重機なども自分たちで用意して、ほとんど住民力でその道路整備されたというふうに聞いておりますけれども、現在ヤマブドウのその特産化といいますかね、そういったものにも取り組んでおられるということで、ちょうだいしておりますけれども、昭和57年には姥屋敷地区は全国の村づくりコンクールで天皇杯も受賞されていますものね。そういう長い活動の終結したものだったのではないかと思いますが、ではこれからは自由な形で意見交換を進めてまいりたいと思います。知事に司会といいますか、進行をお願いしたいと思いますので、よろしくお願いします。

達増知事
やっぱり農協さんの力が大きいという話があったのですけれども、酪農農業協同組合ということで、酪農だけではないのだと思いますけれども、でも主力も酪農がとにかく主力なのですね。

団体員
そうですね。うちの場合は専門農協ということで酪農専門農協でございますし、うちの組合は野菜もやっております。ただし、田んぼは40ヘクタールぐらいあるのですが、これ90%はもう転作になっておりまして、ほとんどが牧草です。総合農協さんもありますので、うちは野菜には手を出さないといいますか、暗黙の了解でずっと来ていますけれども、うちは酪農だけで専門でございます。これについては、近くに小岩井農場さんがあり、小岩井乳業さんがありますので、条件としては一番いい条件だろうなと思っています。今のところは恐らく日本で一番ぐらい小さいとは思いますけれども、組合員数は51戸なのですが、生産者は今24戸です。若干今の世の中で何か担い手、担い手と言いますけれども、50過ぎればもう農業者ではないよと言われるのかなと思って生きていますが、うちの連中は年がいっても頑張っています。

達増知事
とれた牛乳は小岩井さんが買う格好になっているのですか。

団体員
そうですね、今生産者独自でブランド云々いろいろやっていますけれども、強力なブランドがすぐそばに大きく、ここから4キロぐらいですか、ありますので、とても小岩井のブランドを追い越すというのはかなり至難のわざだと思いますので、我々はもう、昭和27年から酪農が始まっているのですが、以来ずっと小岩井さんに出荷という感じになっていますので、余りそっちのほうには手を出さないといいますか、これから個人的にはあると思いますけれどもね。

達増知事
これもちょっといただきます。この水もおいしかったのですけれども、こっちの水は甘いぞという歌がありますけれども、砂糖の甘みとは違う甘みのある水で、これは滝沢村の水道部で商品化をしているのですよね。なるほど、なるほど。

団体員
いずれこの水はグンダリ沢のそばにボーリングをして、全く外気に触れないでそのままの水道水なのです。今度行く旧御蒼前様の手前に大きなタンクがありますが、あそこへ入っています。まだグンダリ沢の水を使えばまだまだ何ぼふえても大丈夫です。

達増知事
ミネラルウオーターがそのまま水道に流れているような格好ですね。
あとは道路のほうですけれども、秋場さんが設計をされたわけですか。

団体員
設計というよりも、やれと言われたので、また幾らかのレベル見たりそんなの、元大工やっていたったものだから、そっちのほうで、ではこういうふうに広げようということで、みんな、このほうもいいのではないかなという、やっぱり設計というのは自分たちが歩きやすい道路ということでやりましたので、見ては余りスムーズな曲がり方でないけれども、結構大変でした。

達増知事
歩くと歩きやすい。

団体員
ええ、そうですね。

達増知事
そういうのは一々やっぱり図面はつくるのですか。

団体員
いえ、その場、その場で設計し、そこでやり方を出して進めたいという。

達増知事
それはみんながわかればそれでいいのですものね。

団体員
そうです。

団体員
1年目は北側をやったのです。そっちこっち直さないで北側をずっとやった。2年目は……いや間違えた、北側というか、道路の片側を広げた。

団体員
1年目は南側をやったのです。2年目は北側をやった。そっちこっちいじらないで、現道に沿ってこうずっと。

団体員
片側を広げたといいますか、7メーター以上になるように。もともと狭いところですからところどころに駐車帯があったわけです。そこのところを広げていくとここは10メーターぐらいになるということもあるわけです。だから、地権者が来ていれば腹を立てるのだろうけれども、見てくれていて、いいよと言ってくれたわけなので、本当に助かったなと思っています。

達増知事
そうですね。地権者を含めて地域の人たちがやっているからそうなるのでしょうね。

団体員
そうだと思いますね。かわいそうになったのでしょうね。

団体員
やっているときなんか、雨のときなんかヒューム管が斜めになってそのまま流れる事態もありました。

団体員
わき水でね。

団体員
わき水で。

団体員
雨とかでね、砂を置いて木の板にあげるわけですね。それが、水路になってくると上に浮かぶのですね。ちゃんと水糸に合わせたつもりで少しよそ見していると、もう帳張がずれてくる。雨が多い年だったので、二冬とも、農繁期を避けて冬だけ、11月にやったのですがね。私らとしては自己満足ですが、すごく立派な道路になったなと。末代の宝だと思っています。一番上のところは、カーブして川のへりを通るところを避けて真っすぐに突き破って下るようにしたのです。そうしたらそこを一生懸命にやってくれた人が、天の岩戸を開いたということで、一気に明るくなった。お金の面では役場さんにはいろいろと迷惑かけたわけですけれども、農協さんにも本当にいろいろと迷惑かけました。ぜひ、私らつくった先を蒼前神社まで車で行くわけですが、その区間の狭いところを見て、ああ、なるほど岩手山のふもとの象徴でシンボルの道路です。憩いの場に行くにはこれを広げればいいなと見てもらえれば最高だなと思っていますので。

達増知事
本当にここはもう岩手山の一部という感じですものね。

団体員
ちょうど盛岡から並んでくる、ズームアップしたというか、角度がありますね。

達増知事
向かう、ここに来る途中、だんだん近づいてきましてね。

団体員
きょうは天気がよろしいから。みんなは気心がわかっているから、それと酪農家の人たちというのは皆さん大きな機械を使うことに慣れています。毎日使っていますからね。プロばっかりだったものですから。

達増知事
牧草をとったり、集めたり、運んだり。

団体員
持っていたし、重機も自分、自分で持っていますからね。大きなバックホーでも何でも。

達増知事
バックホーも皆さん持っているものなのですか。酪農のほうでは何に使うのですか、バックホー。

団体員
特に堆肥の切り返し、堆肥というのは問題が大きい。

達増知事
堆肥もバックホーでいじるのですね。
本当にもうしょっちゅう使っている、手足のように使いこなしているのでしょうね。

団体員
それにしても、私ら農協なものですからですが、自治会長さんに物申されれば、まあ、やむを得ずということですな。本当にもう何か自治会の農業部門の感じですから、何かやれと言われると、はあというだけの話。

団体員
夏祭りもこの地域で、8月、終戦というか、戦争で引き揚げるときに兵隊で亡くなった人、引き揚げてきてから亡くなった物故者の慰霊の会も8月14日に夏祭りと、それから拓魂祭と言いまして、更に敬老会と一緒に兼ねてやるのですが、その拓魂の催しというか、それを農協さんがやってくれるのです。夏祭り、敬老会は自治会でという分担でやっていますが、一緒に1つにまとめて、敬老会に、村から予算がなくなったものですからどうにか続けています。

団体員
敬老会は53年に自治会独自で初めて催しています。村のほうから補助をもらっていたけれども、その方の補助も切れてもずっと続けて、休むことなく現在まで継続してもらっています。
それこそこの道路の問題については、実は広域農道の関係なのです。広域農道が小岩井農場からお蒼前さんに通るという計画だったのです。それがいつの間にか通らなくなったということで、そして通らなくなった時点から我々はどうしてもあの道路を拡幅したいという、観光面でも、雫石の長山方面からの盛岡に通ずる最短距離として、あそこを、大宮先生もわかっておられると思いますが、そういうことで本当は通してもらえるのだろうということだったのですが、それがいろいろな事情で通らないということになった時点から、我々はどうしてもあれを通したいというふうに思うようになったのです。今まで何回か村にも陳情して、請願して、議会も受けて、そしてやってくれるだろうということで、村長さんもやってやるという話はしたのですが、柳沢のほうをやってからやってやるよということになった。何ぼ待っていても柳沢の方が終わらないです。そこで、しびれを切らして、とにかく来るたんびに、またここでは4つの集落があるのですが、この集落のところの公民館長が副会長ということになっていて、副会長さんたちと一緒に役場に陳情は何回かしたのです。そして、私になって20年ぐらいたったのかな、ということで、村長さんはいよいよやれということになりまして、そういう経過もあったのです。

達増知事
必要に迫られたとはいえ決断ですよね。そういうやり方でやると決めたというのは。

団体員
だから、林道規格であるものだから、勾配がきついということで、冬場は通行止めになったのです。それで、滝沢の中で通行止めになる生活道はここだけだったのです。何か差をつけられたようで本当に嫌でした。それでも、何ぼ通行止めにしても歩いたのです。役場も仕方なく黙認して、何しろふるさと交流館とか、それから北高とか、そういうところに行くための最短なのです。だから、どうしても歩きたかった。まず、おかげさんであの1,500メーターは解決したのですが、あとの800メートルが問題なのです。今日おいでになればよく実情はわかると思います。

達増知事
だんだん早く見たくなってきましたけれども、次の方からもご意見伺って。

団体員
私は2代目で一番若いわけなのですけれども、それでおやじとか近所の人から聞いていた話ですと、やっぱり旧昔の姥屋敷という、昔からあった地域に開拓者が入ってきて快く受けて受け入れてくれたということが最大の要因であって、はしと茶わんしか持ってこなかった者に対して温かく迎えてくれたということがまず第1歩だったのかなと。そして、その後ずっと開拓者は斧と鍬で畑を起こしていったわけなのですが、そしてその起こしたのがやっぱり何年もずっと続いているというのは、つい最近になってから出たものではなく、その苦労の積み重ねが集落を形成したのではないかなという感じがしています。そして、そのチームワークというのは天皇杯でもあらわれていますけれども、あとは綱引き等でも全日本に行って結構やってきたという、そのチームワークが、やっぱり揺るぎないチームワークがあったのでないかな。そして、村の中でも特別日本一小さい学校と、日本一小さい自治会と、日本一小さい農協が3つあるのです。それが貧しい、小さいを脱却するための道路だったのではないかなと思っています。そのためには、本当に自治会長さん初め、組合長さんが渾身の力を込めてやってくれたのだなと思っています。そして、私ども若い者はそれを必ず継承していかなければならないなと思っています。

達増知事
綱引きもやっているのですね。

宮舘局長
そこにあれがありますね。

達増知事
本当にチームワークですよね。

団体員
そうですね。

団体員
あの綱引きは全国に何回行ったのですか。

団体員
5回。

団体員
5回行ったのだがね。そのたび皆さんから協力いただいてバスで応援に行ったりしてね。あの金沢というレスキュー隊がずっと優勝していたわけですね。それをストップさせたのがここ、初めてストップさせたというのがここなのですね。花平ホルスタインクラブというのが、あのストップさせたときは……

達増知事
ホルスタインクラブ。

団体員
ええ、あのときはあの会場の応援団が全部うちの方に応援したっけね。金沢の応援団とまたぴったり席が隣同士で、あれでもう向こうは泣いて、こっちは勢いあったけれども、あのときのあれはもう忘れられないですね。本当にすごかったな。

知事所感

宮舘局長
それでは、よろしいですか。一応一通りお話しいただきましたので、ではこの辺でこの知事懇談は終わらせていただきたいと思いますが、知事から何かございますか、所感。

達増知事
いや、本当に聞けば聞くほど早く現地を見に行きたいという気持ちになってきているのですけれども、地域の歴史ということを本当に前向きの力に変えるような形でしっかり受け継いで力に変えて、またそれを次の世代にもということが本当すばらしいと思いますね。なかなかどこでもうまくいっているということではないと思うのですね。ですから、そういう長い歴史というのを本当に自分たちの力にして、それが地域の団結にもなるということは、ある意味すごく恵まれたことでもあると思います。もちろん関係者の皆さんのいろんな努力のたまものではあるのですけれども、地域資源という見方からすると本当にすばらしいものを持っていらっしゃると思うので、ぜひぜひまたこれを生かして未来につなげていっていただきたいと思います。今日は、どうもありがとうございました。

閉会

宮舘局長
皆様、本日は本当に貴重なご意見をいただきまして、ありがとうございました。
これをもちまして県政懇談会「草の根地域訪問『こんにちは知事です』」を終了させていただきます。ありがとうございました。

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