希望王国岩手キャンパストーク(平成21年5月9日)

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ページ番号1000960  更新日 平成31年2月20日

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訪問学校:岩手県立大学・岩手大学
開催場所:盛岡市

  • 訪問学校:岩手県立大学・岩手大学
  • 実施日:平成21年5月9日(土曜日)
  • 場所:アイーナ

写真:キャンパストークの様子1

達増知事
皆さん、おはようございます。
岩手大学の学生さん、岩手県立大学の学生さん、それからきょうは公開講座ということであり、現職学生以外の参加者の方にも土曜日の午前中から勉強ということで参加をいただいてありがとうございます。「地場産業・企業論」「地場産業・企業研究」ということでありまして、シリーズのテーマがそういう岩手の産業が今どうなっているのか、岩手にはどういう企業があってどういうことをしているのかというのが直接のテーマでありますけれども、その背景にあるのは、1つは自分の就職、どういうふうに職についていくかということなのだと思いますし、もう一つのテーマとしては、結局世の中ってどうなっているのということだと思います。この就職ということと、結局世の中どうなっているのかというのは、コインの裏表でありまして、自分が何をすべきかということをわかるというのは、結局世の中どうなっているのかということがわかることと裏腹なのだと思います。世の中がどうなっているのかということについて目も耳もふさいだままで社会に出ていくというのは余りにも無謀でありますし、逆にまた結局自分が何をすればいいのかという、そういう行動に結びつかないで世の中が結局こういうものさという理解もこれあり得ないのだと思います。
「知行合一」という言葉がありますけれども、世の中のことを知り、わかるということと、自分が何をすべきかわかって行動するというのが一つのことだと思います。なかなか完成された境地に達することは難しく、私も完成された境地に立って知事の仕事をしているわけではないのですけれども、どのくらいの境地に立っているかとか、あるいはどういう境地を目指そうとしているのかというような、そういう大きい総論的な話をまずしたいなと思っております。

写真:キャンパストークの様子2

あと冒頭、前書き的に一つエピソードを紹介しますけれども、稲盛さんという京セラという会社をつくって社長さんやって、会長さんやって、今は悠々自適の生活をしている稲森さんという人がいまして、私も何度か会ったことがあり、その人の講演を聞いたこともあるのですけれども、最近書いた本を送ってくれまして、それは「働き方」という本なのです。ずばりこれから働こうとする人たちにちょうどいいような本が送られてきたのですけれども、主題は非常にわかりやすい、趣旨は非常にわかりやすい趣旨で、働くことは万能薬であると、働くことは万能の薬であるというのがその本の趣旨であります。中学校から進学で希望のところに進学できず、また就職も希望のところに就職できず、本当に自分は運がないなと思っていた若いころの稲盛さんだったのですが、あるとき一念発起してとにかく何でもいいからがむしゃらに働こうと心に決めて働き始めたら、どんどん状況が好転していった、物事がうまく進むようになっていったと。だから、くよくよ悩んでないでとにかく働けというのがその稲盛さんの本のテーマでありまして、実はこの「地場産業・企業論」「地場産業・企業研究」のシリーズの結論も結局はその辺になるのではないかというふうにも思うのですけれども、結論を先取りしつつ、もう一回序論のところに帰っていきたいと思います。
さて、就職ということを考えるときに、イコール人生の目的というものと向き合うのかなと思うのですけれども、さて皆さん、人生の目的というのはあると思いますか、あると思う人は手を挙げてください。人生の目的というものはあると思う人は手を挙げてください。
人生の目的というものはないのだと思う人は手を挙げてください。いますね。
どっちも正解です。
それから、わからなくて手を挙げなかった、わからないというのも正解であります。これすごい大盤振る舞いの答えで、すべての試験がこうだったら試験を受ける人はすごく楽かなと思いますけれども、さてどういう意味かをちょっとお話ししていきましょう。人生の目的ですね。
私が大学生のときに読んだ本で、人生というのはこういうものだというたとえ話で、すごく印象に残っている話があります。その本も書いた人がどこからか引用したそういう話でありますので、だれがつくった話かというのはよくわからないたとえ話なのですけれども、自分が船の船長だと想像してください。それで、任務を帯びて船をどこかに持っていく、どこかに航海していくのが自分の任務なのですけれども、その船主というか、自分を雇っている人からどこそこに行けと書かれた指令の紙をもらって、それをポケットに入れているのですけれども、ある一定の場所に行くまでその紙をあけるなと。ある一定の場所に着いたら、その最終的な目的地が書いてある紙をあけて、そこに行けという指示を受けて航海に乗り出したと想像してください。もうすぐ紙をあけていい場所にたどり着くという直前に嵐に遭って、昔の船なので船長さんもいろいろ走り回っている間にばしゃばしゃと水を浴びてしまって、何とか嵐を乗り越えて指令書をあけてみるべき場所にたどり着くのですけれども、ポケットから指令書を出してみたら、それがびしょびしょに濡れていて目的地が読めないようになっている。目的地はあるのです、どこそこに行けというそういう最終目的地は絶対あるのですけれども、ただそれがどうしても読めない状態になっている。それが人生だというたとえ話なのです。戻るに戻れないほど遠くまで来てしまっている。でも、よく読むとこういうふうに書いているのではないかなという見当はつく。そういう中で、さあ、どうしようというのが人生だと。だから、人生の目的というのは絶対にあるのですけれども、ただそれが何であるかは絶対にわからないというものだというたとえ話なのです。自分がなすべきことというのはだれにでも必ずある。それは一種の使命という言葉をさっき言いましたが、天命という言葉もありましたね。これは使命であり、天命という言葉もあります。神の意思とか、神でも仏でもいいのですけれども、何かそういう超越者からの命令みたいなイメージ、そういう自分がしなければならないことというのは必ずあるのだけれども、それが何であるかというのは、これは絶対わからないという、そういう逆説、パラドックスですよね。人生というのはそういうものではないかと。
自分のなすべきことというのが何でそういう逆説的なものであるかといいますと、結局自分のなすべきことというのは自分一人で決められないというところがあるのです。それは、自分を取り巻く環境の中で決まっていくことあるいは決めていくこと。三国志に曹操という人が出てきますけれども、「レッドクリフ」1か2かどっちかでもいいので、「レッドクリフ」見た人いますか。結構いますね。
曹操という人は、「治世の能臣」、「乱世の奸雄」と呼ばれていたのですよね。世の中が平和で落ちついているのであれば優秀な官僚であるだろう。しかし、世の中が乱れて乱世になっていればずるがしこい英雄というのですか、そういうふうになっているだろうということで、だから曹操という人の使命というか天命というのもその世の中の状況によって決まってくるわけです。これは、私たちもそうでありまして、なすべきことというのは幕末の南部藩に生まれていたとしたら、そのときやらなければならないことというのは、今のこの時代のここにいる我々と違ったふうになってくるでしょう。
そして、では自分のなすべきことというのは環境によってもう決まってしまうのか、生まれ落ちた場所、親、それからいろんな条件、家庭の所得、そういった条件で自分のなすべきことというのはもう自動的に決まってしまうのかというとそうではない。なぜかというと、それは周りの環境というのは自分の努力、働きかけによって変えることができるからなわけであります。貧乏な家に生まれたとしても一生懸命お金を稼いでお金を手にすることはできるかもしれないし、親が高校しか出ていない、大学に行ってないとしても自分が高いレベルの教育を受けることも可能。特に民主主義の世の中、今のような世の中になって、そういう自分が環境、周りに働きかけて自分を取り巻く環境を変えるということができやすくなっております。
ちなみに、私の両親はともに高校卒業で大学には行っておりませんで、そもそも「達増」というのは盛岡に出てきて私で5代目になるのですけれども、大学に行ったのは私が初めてであります。ですから、前例がないので、一族郎党大学進学というのはどういうものか全然わからなくて、しかも東京のほうの大学に入ってしまったものですから、みんな目を白黒させておりました。ですから、そういう意味でも自分のなすべきことというのは自動的に決まっているわけではない。ただ、周りの環境から離れて勝手気ままに、自由自在にできるわけでもないわけですよね。いきなりアラブの王様になりたいと思ってぱっとなれるわけでもないわけであります。
「俺の空」という漫画読んだことある人、本宮ひろ志の「俺の空」という漫画、あれは主人公が最後にアラブの王様になるというところで終わるのだけれども、あれはやっぱり漫画でありまして、普通はそう簡単にできることではありません。
人間というのは、あるいは世の中というのでもいいのですけれども、無限に近い可能性がある一方で、また無欲さというのも無限に近いといいますか。
最初は船長さんのたとえ話が印象的なのは、それが全知全能のそういう神の境地みたいなものも人間には理解できるのだけれども、でも一方で人間というのは決して神ではない、全知全能ではないという、そういう人間の限界というのも深く自覚している、そういう人間という存在あるいは世の中というもの、それは言いかえると「人生とは」ということなのですけれども、人生というのはそういう無限の可能性と無限の限界というのか、それが両方ともにあるというところがみそなわけです。
宗教というのは、そのつき合い方を間違うと身を滅ぼしてしまうのですけれども、つき合い方を間違えないと人生を非常によくしてくれると思います。人生で成功していくためには何らかの形で宗教的な生き方というのをしなければならないと思います。宗教的な生き方というのは、そういう無限の可能性と、あとは謙虚さですね……。(私は漢字が苦手で、漢字検定とか受からないのではないかと思っているのですけれども……。)謙虚さ、この無限の可能性ということを信じつつ、同時に謙虚さを保ち続ける、これが人生成功の秘訣だと思います。
人生の目的は必ずあるということを言いました。そして、人生の目的、自分がなすべき使命、天命ですね、それをきちんと果たすことができれば、もうそれはこの世に生まれてきたかいがあるということで、神の御心にもかなう、そういう天の道にもかなうこの上ない最高の人生を送ることができる。人生の目的を果たすとか、天命を果たすとかというのはそういうことです。そういう人生を送る可能性、そういう無限の可能性というのはすべての人にあります。ただ、それは黙っていても簡単にできることではなく、一生懸命やらないとそうはいかない、そういう謙虚さを同時に持っていなければなりません。
それで、宗教的であることがいいと言ったのは、例えばキリスト教の神様を信じていますと、神とともにあれば何でもできるという、そういう無限の可能性を信じることができるわけですよ。神の御心にかなえば、もうそれは恐れるものはない。ただ、同時に神の前に立つとき、神ならざる人間というのは、これは全知全能ならざる原罪を背負った、失敗して当然、うまくいかなくて当然、そういう弱い存在なのだと、そういう無限の可能性と謙虚さを同時に持つということが信仰をうまくやっているとできるということです。キリスト教でなくてもそれは中国の儒教、こういう天というものを本気で信じるということでもいいのです。天が命じた自分の使命というのがあるはず。それをそのとおりやっていれば何をやったってうまくいく、自分はそういう無限の可能性があるはず。しかし、天の道をぴったり歩み続けることというのは、全知全能ならざる自分にはそう簡単にはできないのだと、天の道から外れる危険性というのは常にあるし、そもそもなかなか天の道にはきちっと乗れないのではないかという、そういう謙虚さを持つ。これは仏教徒でもいいですし、ある意味無宗教でもいいのです。
要は、そういう無限の可能性を信じることと謙虚さもそうですね、無限に対応させる絶対の謙虚さですね。これを同時に持つことができれば別に無宗教でもいいのです。ただ、完全無宗教でこういう境地を達成するというのはなかなか難しいですけれども、でも逆に何かの宗教に入れば絶対この境地に達することができるかというと、またそうでもないのです。
新渡戸稲造博士みたいにキリスト教徒としてかなりこういう境地になっていた人もいます。あと宮沢賢治さんも仏教徒としてこれに近かったと思いますし、原敬さんはあまり宗教という感じはないのですけれども、ただ伝統的な武士道感覚で天命という感覚は強く原敬さんも持っていたと思いますし、こういう天命というイメージと、あとはデモクラシーですよね。デモクラシーというのも一種の宗教みたいなところがありまして、デモクラシーの原理に従って民主主義の道をきちんと歩んでいれば何も怖くない、どんなこともうまくいくという一種の信仰のようなものがあります。そういったところが原敬さんにはあったのではないかなというふうに思います。
デモクラシーも何をやってもうまくいくというだけではなくて、ただ上手にやらないとデモクラシーというのは衆愚政治、何をやってもうまくいかないとんでもない政治になってしまうところもあるわけでありまして、いずれ何かそういう筋道の通った生き方をしていこうというふうに志すときに無限の可能性と絶対の謙虚さというのを自分の中に持つことができるということで、就職とかいろんな自分の生き方を考えていくときにこのことを忘れずにやっていくとうまくいくのではないかなと思っております。
これは個人についてだけではなくて、県というものについても同じだと思っていまして、岩手という県にも使命とか天命とかがあると思っています。今この岩手というのが世界の中で、また長い歴史の中で、今ここの岩手というのが何をなすべきか、これをことし1年かけて10年計画、新しい長期計画として文章にしていこうということになっているのですけれども、その場合にもこの岩手が持っている無限の可能性ということをちゃんと信じてやっていくということと同時に、絶対の謙虚さを持って人間のやることには限りがあるわけでありまして、いろいろうまくいかないケース、そういうのを想定しながら謙虚にやっていかなければならない。
私は、知事の仕事をするときにも岩手県民の力を一つに合わせる、そういう民主主義的なプロセスをきちんと経て岩手県民、そして県職員もちろんですけれども、それ以外のいろんな経済界の皆さん、大学関係の皆さん、いろんな社会活動をやっている皆さん、そうした人たちの知恵と力を総結集してやっていきさえすれば岩手は無限の可能性を持っていて、できないことはない、やりたいことはやれるということを信じていると同時に、しかしまず知事である私自身全知全能ならざる普通の人間、神ならざる人間でありますから大きなしくじり、間違い、判断ミスをする可能性というのは常にある。そして、そういう可能性というのは県職員それぞれも持っているし、また県民一人一人も持っている。そういう中で、どうやってみんなで話し合って物を決めていくのかということを常に心がけて仕事をするようにしております。
どっちかに偏ってしまうとやっぱりだめなのです。無限の可能性だけ信じて傲慢……。謙虚さが全くなくなってしまうと無茶をやって失敗してしまうでしょう。一方、謙虚さのほうに偏ってしまって、どうせ何をやったってだめなのだと、世の中厳しいのだから、新しいことに挑戦したってうまくいかないのだから今までどおりでいいのだみたいな、そういうふうに萎縮してしまうのもだめでありまして、この無限の可能性と絶対の謙虚さのバランスが大事であります。
そういう中で、例えばこの間の県立病院診療所の無床化の問題みたいに岩手県民の利益のためにどうすればいいのかという決断をしていかなければならないわけですけれども、そういうせっぱ詰まった状態の中でこういう無限の可能性を信じつつ、絶対の謙虚さも忘れないで物を決めていくというときに本当の自由というのが発揮されるのです。自由な主体性というのは、何の束縛もないところで自由というのは発揮されるものではなくて、むしろ限定された環境、厳しい環境の中でやりたいことと、そして自分、そして自分たちの限界とそのせめぎ合いの中で決断をしていくときに本当の自由というのがそこで発揮されるわけです。
だから、何の抵抗感もないようなところで、きょうの朝御飯何にしようかとか、きょうの昼御飯何にしようかと一見自由に決めているようでいて、そういうのというのは結構周りに流されていたり、コマーシャリズムの影響を受けていたり、結構気ままに何か決めるときというのは全然自分の主体というものが突き詰められてなくて、本当に自由には決めてないことが多いですよ。悩んで、悩んで、本当にぎりぎりの中で決断を迫られたときに、よし、もう自分はこうすると決めたその決断というのが本当の自由な主体性の発揮でありまして、若い皆さんもいろいろ進学のときとか、あるいはいろいろクラブ活動をやっていてそういう経験はいっぱいしていると思います。スポーツなんかはそういう決断の連続だと思います。私は、ソフトテニスを中学校、高校、あと大学時代もサークルでやっていたのですけれども、次に相手がどっちに打ってくるかを見きわめて右に走る、左に走るとかという、あれはまさにせっぱ詰まった中で決断しなければならない。そういう中で、自分を信じて動けばうまくいくということを信じながら、また相手に虚を突かれるかもしれない、そういうせめぎ合いの中で、でもやっぱり瞬間、瞬間決断して、体を動かさなければならないわけでありまして、そういう意味ではスポーツというのは自由という感覚を身につけるのには物すごくいいと思います。すぐれたアスリートというのは本当に自由な生き方という感覚を身につけていると思います。
スポーツだけではなくて文化、芸術のほうもやっぱりすぐれた文化、芸術の、これは合唱でもオーケストラでも、あるいは絵を描いたり、書道をしたりとか、そういうのでもいいのですけれども、それもやっぱり瞬間、瞬間どう音を出すか、どういう音を出すか、またどういう色でどこに描くか、どういう筆遣いをするかという、そういう決断を迫られて、瞬間、瞬間、無限の可能性、絶対の謙虚さとを両方持ちながら究極の決断をしていく作業で、文化、芸術の分野でも自由の感覚というのは高めることができると思います。
あとそうだ、そうだ、忘れてはならない。学問というのが実は一番いいですよ。これは、論語とか孟子とかそれを読むとよくわかりますけれども、先生から物を教わるという、そういう体験ですね、これも先生が言っていることを100%ただ受け入れるだけでは学問になりません。そこは自分なりに批判的に本当にそうなのだろうか、実はこうではないか、そういう目で見なければだめなのですけれども、ただ逆に100%先生の言うことを否定したのでは学問にならないわけです。だから、先生というのはやっぱり偉くてすごくて勉強もしていて、何でもよくわかっている。そういう先生という存在も無限の可能性がそこにあると同時に、でも先生も人間ですから間違っていたり、失敗したりしているかもしれない。そういう先生の無限の可能性、絶対の謙虚さというものと生徒の側の、生徒のほうも先生の教えるいいことをちゃんと吸収しつつ、間違ったところはすぐそれを乗り越えて、先生を越えていける力を持っている、そういう無限の可能性があると同時に、でも先生に比べれば自分は全然勉強が足りないし、そう簡単に先生を越えることはできないという、そういう絶対の謙虚さ。だから、学問というのをしっかりきっちりやっているとかなりそういう本当の自由という感覚は身についてきます。
そういう本当の自由という感覚を身につけていくことが社会に出たときに、やはりこの上なく役に立つわけであります。社会に出たときに求められるのは、上司の言いなりになって機械のように動く存在ではありません。
落語家の師匠と弟子の話とかでよくありますけれども、師匠は手とり足とりは教えてくれないのです。いろんな職場でも、私が経験した外務省というところもそうでしたけれども、全然手とり足とり教えてくれなくて自分で探っていかなければならないわけですよ。芸を盗むというか、こういうときにどうすればいいのかというのは、手とり足とり教えてもらうわけではないので、自分で学んでいかなければならないのですね。ですから、もう本当に働き始めてすぐ、さてどうしようかという、そういう究極の決断を迫られる場面が多々出てくるのですけれども、そういうときに悩んで、悩んで、自分の全存在をかけて主体的な決断をして、真の自由な決断をするという感覚が、これも社会に出たらどんなところでもすぐ要求されますね。
バイトしたことがある人も、バイトでもそういう体験はしているでしょう。これは、コンビニとかファストフードのお店で働くような場合にも一人一人のお客さんとの接し方とかでそういう究極の判断というのを求められるものなのだと思います。ですから、普通の勉強と、あとはクラブ活動、趣味の活動みたいなことをやるのが就職にとって大事だというと、この就職そのものを考える「地場産業・企業論」コースの存在意義を疑わせしめるようなことになってしまうのかもしれないのですけれども、そこは相互作用、補い合う関係でありますからね。
つまり、学生生活を就活だけにはしないでくれということであります。就活は大事だからやらなければだめなのですけれども、ただ就活以外の本当の学問とか、クラブ活動的なこともやってないと社会に出たときに困るぞということを言いたいと思います。普通の学問というのも社会人になっていくために非常に役に立つということをあえて指摘したいと思います。
ということで、私の学生時代、社会人時代の経験から学生に対しアドバイスという話は大体そんなところにしておきまして、次に2「いわてで学ぶ学生に対する期待」、このお話に移りましょう。
(1)いわて希望創造プランにおける4つの重点目標。いわて希望創造プランというのは、私の任期4年間に対応する県の4カ年計画です。ここで4つの重点目標として挙げているのは雇用の……簡単に単語で言うと雇用、その前に所得があります、所得、雇用、人口、医療……。謙虚すぎるのもよくないのですけれども。この4つの目標があります。所得をふやす、雇用もふやす、人口は人口減少に歯どめをかけるというものです。医療は医師不足を初め地域医療の危機的状況を克服しようと。これは、岩手が直面している4つの大きな危機的状況、重要課題がそのまま4つの大きな目標になっているということであります。
岩手の県民所得というのは、西暦2000年には1人当たり260万円の平均所得だったのが2001年に240万円にがくっと落ちてしまいまして、以来240万円水準を低迷しています。日本全体が景気の回復が5年だか6年だか続いていざなぎ景気を超えたと言われてきたのですけれども、日本全体を平均すると五、六年かけて、2001年というのはITバブル崩壊というのと、あとは小泉内閣になって公共事業を減らしたり、国から地方へのお金の流れが激減したのです。そういう民間部門と公的部門の両方でお金の流れが一気に減ったのがこの2001年に起きたことでありまして、日本全体国民所得が落ち込みました。しかし、その後、大都会東京のようなところとか、あとはトヨタの工場がいっぱいある愛知県とか、そういったいわゆる勝ち組の地域は物すごい勢いで経済が伸びていって回復して、2000年の頃よりも良くなっていったのですけれども、それ以外の普通の地方、岩手を含めて、わかりやすく言うと田舎な地方はここの落ち込みからほとんど回復していないのです。平均すると緩やかな回復。でも、その中で急激に伸びていったところと全然伸びなかったところと、いわゆる勝ち組、負け組的に2つに分かれてしまっている。その関係で、雇用も岩手県では有効求人倍率がなかなか1を超えない。つまり、働きたい人の数のほうが職の数よりも多い。差し引きすると失業ということが出てきてしまう。これは岩手だけではなくて日本の地方全体が直面した危機であります。
その結果、人口ということについても人口減少……。人口減少と言っても社会減という言葉がありまして、生まれる、亡くなるという人口の増えたり減ったりと別に、生きている人が外に出ていく、また外から岩手に入ってくる、この差し引きに注目してほしいのですが、人口の社会減。岩手から県外に出ていく人のほうが差し引き多いのです。それが去年が6,500人くらい、おととしは6,800人くらいだったのです。人の出入り、差し引きでマイナスそのくらいになっています。これが西暦2000年のちょっと前、1998年とか99年は差し引き1,000人くらいだったのです。岩手から出ていく人の数のほうが1,000人多いくらいだったのです。
ところが、やはり経済的な低迷の中で、毎年、毎年人口流出が1,000人ぐらいだったのが2,000人になり、3,000人になり、4,000人になり、5,000、6,000とふえていって、おととしがピークの6,800、去年は人口減少に歯どめがかかって6,500になっています。これは岩手県内に仕事を増やそうという官民挙げての努力が実を結んできているということと、あとは東京とか愛知県とかの今まで景気がよかったところの景気が激しく落ち込みましたね、去年は。そのせいで人口吸収力が落ちたというところもあります。そっちのほうで働けなくなってしまったから戻ってきたとか、向こうに行かないとかということも起きているそうです。
この西暦2000年、この直前の98年、99年のあたりというのは小渕恵三内閣でかなり地方に大盤振る舞いの経済財政政策が行われていて、かなり地方にお金が行き渡るような政策がとられていました。その結果、県民所得水準も高かったし、人口流出もそれほどではなかったということで、この人口流出も20歳ぐらいの人たちは岩手から出ていく数のほうがずっと多いのですけれども、30歳ぐらいになって県外から岩手に戻ってくるという数がかなりあると差し引き1,000ぐらいでおさまるのです。その後、今世紀に入って戻ってくる数が激減したがゆえに最悪6,800のマイナスになっていたのです。おととし6,800人のマイナスになっていたころというのは、県から出ていく人の数というのはそんなに変わってなかったのです。戻ってくる人の数が激減してそうなったのです。だから、岩手の若い人たちの行動パターンとすれば、若いころ、それは大学、短大、いろんな専門学校進学あるいは高校卒業してすぐ就職する人も結構いるのですが、そういう人たちが一旦岩手を離れるというのが結構いるのですけれども、その中のかなりが、実は30歳ぐらいになる頃に戻ってきていたという傾向があるのです。それは、やっぱり岩手の中に働く場があれば岩手で働きたいということなわけです。でも、今世紀に入ってからの所得、雇用の低迷のせいで岩手に戻っても働き場がない。30歳ぐらいですから、そろそろ子供もいたりしまして、家族を食べさせなければならないということで、それなりの職場がないと戻ってこれないということで、県の希望創造プランという4カ年計画はちゃんと戻ってきて働けるようにしようということなわけです。所得、雇用、人口はそういう経済関係の目標であります。
医療というのは、これはちょっと別な世界の話で、やはり医師不足で病院できちんと診てもらえるかどうかわからないという状況だとなかなか岩手で暮らすというのは大変ですから、今の医師不足、医療の危機を克服して、医療の面でも安心して岩手に住めるようにしていこうと。岩手は医師不足は深刻なのですけれども、でもかえって都会のほうこそたらい回し事件とか、救急車で病院にというのだけれども、うちの病院は満杯です、うちの病院は満杯ですと言って結局死んでしまったりする事件というのは、岩手では基本的に起きてないでしょう。むしろ都会のほうで起きている。岩手はお医者さんが足りなくて大変なのですけれども、一方病院間の連携というのがすごい緊密だし、また病院と開業医の連携も緊密ですので、いざあたったと、これは脳卒中ですけれども、あたったというときに、すっと手術ができる病院に運ばれるという、そういう体制自体はむしろ都会より岩手のほうが恵まれていると言ってもいい。今回の診療所無床化という決断もそういういざ命にかかわるときにたらい回しにさせない体制をまず守るという発想でやったことでありまして、そういう意味では守るべきところを守っているわけであります。
岩手ソフトパワー戦略の推進ということを先ほど先生から指摘をいただきましたけれども、医療は医療としてそうやって整備していくのですが、やっぱりちゃんと働いて稼げる岩手にしていかなければならないというときにカギになるのがソフトパワーと考えております。ソフトパワーというのは、簡単に定義をしますと、魅力と信頼ですね。岩手の豊かな自然にはぐくまれた農林水産物、そしてそういう魅力だけではなく、それをちゃんとまじめな農家の皆さん、まじめな漁師の皆さんが衛生面にもきちんと配慮して安全、安心な食料を生産、収穫している。そういう魅力プラス信頼の力でお金を稼ぐことに結びつけていこうというのがこの岩手ソフトパワー戦略の考え方であります。第1次産業がそうですし、製造業、第2次産業においてもトヨタ系の組み立て工場、関東自動車工場が金ヶ崎にあります。北上には、東芝の世界最先端の半導体の工場もあります。それはそういう最先端だという魅力プラス世界に通用する精密なものを歩留まりよくきちんとつくっているという信頼でもあります。そういう優れたものをまじめにきちんとつくることができる、そういう岩手だというソフトパワーを高めていく。
あとは第1次、第2次産業のほか、第3次産業というのが岩手でも割合からすると、これは半分以上、岩手の県民総生産の半分以上は第3次産業でありますから、観光業をはじめこれもまた岩手の魅力と信頼で付加価値を高めていく、それが岩手ソフトパワー戦略ということであります。
平泉のユネスコ世界遺産登録の推進でありますとか、あとは文化芸術基本条例というのを去年つくって、今まで以上に岩手県内の文化芸術を振興する、特に郷土芸能を振興しようということで郷土芸能の発表会、そういう場を増やしたりとかしています。そういうのにちょうど呼応して早池峰神楽がユネスコ無形世界遺産に今年登録されることが決まっていまして、そこは本当に我が意を得たりなのですけれども、そういう伝統文化、そういうものを岩手の魅力、岩手のイメージとして、そこでつくられるものは魅力的だと、買うなら岩手のもの、そして雇うなら岩手の人、行くのだったら岩手県というような、そういうイメージを高めていこうというのが岩手ソフトパワー戦略です。
ですから、広告業界とか、あるいは経営論の世界ではブランド力という言葉を使うのですけれども、ソフトパワーというのはブランド力のことでもあります。ブランド力というのは結局魅力と信頼なのです。魅力だけではだめなのです。やっぱり商品がいい、物がいい、信頼できるという、安全だ、安心だという信頼がないとブランド力にはなりません。信頼だけだといま一つ、いまいちなので、プラス何かをそこに、魅力、そこには文化的な、芸術的なプラスアルファというのがあるとブランド力が高まる。岩手ソフトパワー戦略というのは、この岩手のブランド力を高めていこうという戦略にほかなりません。
ちなみに、ソフトパワー、ブランド力を高めようというのは就活にも役立つ発想だと思います。一人一人が社会に出ていくときに自分をアピールしていかなければならないのですけれども、そこで何をアピールするかというと、それはやっぱり魅力と信頼ということになるのだろうと思うのです。自分はちゃんとまじめに働きます、うそはつきません、時間は守る、約束は守る、そういうことをちゃんとわかってもらう、感じてもらう、プラス何かスポーツをやっていたとか、楽器ができるとか、あるいは源氏物語を原文で全部読んでいますとかでもいいでしょうし、何かそういうスポーツとかも含めた文化的な魅力ですよね、そういう個人、個人のソフトパワーを高めていくということがこの21世紀に成功していくための秘訣でもあると思います。
さて、私がしゃべる時間はもう終わっていて、県内で就職するメリットというのを言わなければならないのですけれども、これはこの後、私以降の授業の中で県の担当職員や、また企業人の皆さんが県内で就職するメリットについてはいろいろ言ってくれると思うのですけれども、親や親戚がそばにいるとか、同級生、いざというときに頼りになる人がそばにいるとか、営業をするときでも助かるとか、いろんなメリットがあります。それから、県外から県立大学や岩手大学に入ってくれている人もいっぱいいるわけですね。そういう皆さんにとっては、やはり大学で培った人脈というのがそのまま生かせるというのはすごいメリットだと思いますし、そういうメリットというのはどこの都道府県でも地元就職のメリットとして言えるのだと思うのですけれども、岩手は、県が地元就職ということに本気で取り組んでおりますし、そこに大学の先生の皆さんも一緒にやろうと言って、そして地元の企業の経済人の皆さんも一緒にやろうと協力して、それで今回の「地場産業・企業論」、「地場産業・企業研究」という、そういうコースもできているわけですが、そういう産官学3業界、官というのは役所、産官学の学は大学、そういう産官学の連携とネットワークで地域の経済、社会を盛り上げていこうという、そういう体制が岩手には確立しておりますので、それが岩手県内で就職するメリットと言っていいと思います。
是非この岩手で働くということを自分の無限の可能性、それを絶対の謙虚さとともに見つめて自由な決断として選ぶ選択肢に入れてもらえればと思います。ありがとうございました。

司会
大変ありがとうございました。早速ですけれども、若干質問をさせていただいて、学生にまたいいお話をしてもらえればと思いますが、どうでしょうか。
どうぞ。

質問者
大学名は岩手県立大学社会福祉学部福祉経営学科の学生です。
質問なのですけれども、先ほど話されていた岩手で学ぶ学生に対する期待ということで、いわて希望創造プランにおける4つの重点目標ということで、4番目の医療についてなのですけれども、地域医療ということを挙げられていたのですけれども、岩手は自然が非常に多くていいところという印象を、私は県内から来て感じているのですけれども、岩手は山間地、過疎地域というのが多いと思うのですけれども、そういうところでは高齢者の住民が多くを占めていると思います。そういうところは病院が少なくて病院まで家からの距離がかなりあるところで交通費がかさむですとか、急病のときに救急車の到着まで時間がかかるですとか、診療費のほかに交通費が多くかかってしまうということなどさまざまな問題を抱えていると思います。
先ほどのお話では、病院間の連携が非常にいいということだったのですけれども、そういったことというのはある程度の利用状況というのが整った施設を挙げられたと思うのですけれども、今も話させていただいた山間地と過疎地域においてのこれからの県で展開……今県で展開されている計画と、今後どういった計画が必要だと知事は思われていらっしゃるのかお答え願いたいと思います。

達増知事
県立病院、それから国民健康保険病院といって、国保病院という、これはイコール市町村でやっている病院なのですけれども、言いかえると自治体経営病院ですね。自治体経営病院というのは結構各市町村にあって、そこの附属の診療所とか、そういうものも含めるとかなりのエリアをカバーしています。それでも車で30分以上かけないとそういう最寄りの医療機関に行けないという人もいっぱいいるのですけれども、その30分かけて通ってくれているような人のほとんどは、実は病院とか診療所ではかなり把握していまして、あの人の容体どうなっているだろうかなというのは結構お医者さんたちの頭の中には入っているのです。
それで、過疎地においてもこれから特に強化したいと思っているのは在宅ケアですね。これは在宅医療、在宅介護が大事なのですけれども、そうやって病院や介護施設に来てもらうというだけではなく、こっちから出向いていって家族や、また地域の人、市町村の保健師さんとか民生委員さんとか、そういう保健関係の役についている市町村の人たちがいます。それと協力しながら地域包括ケアという言葉があるのですけれども、そういう地域包括ケアというのを津々浦々、特に農村、漁村、山村の過疎地にいかに構築していくかということが課題だと思っていまして、それで今年度から岩手県庁の保健福祉部の中にも地域医療担当課長というポストを初めてつくりまして、地域医療を専門にデザインするスタッフをそろえまして、今年度からそういう県と市町村、そして病院介護関係者が、医療圏という言葉があるのですけれども、複数市町村から成るそういう広域の医療圏ごとに協議の場を持って、それぞれの地域包括ケアのデザインというようなことをやろうとしているところです。
ただ、前提として医療従事者が増えないと大変なのです。そこはおととしから岩手医科大学の定数増ということを初め、また去年、ことしと定数をふやすことができているのですけれども、それに加えていろいろ岩手ゆかりの、岩手出身でほかの県で働いているお医者さんとかスカウトをやって、どの都道府県もやっているからスカウト合戦で大変なのですけれども、そういうときにまたソフトパワーが大事だと思って、岩手はちゃんとした地域医療を本気でやろうとしている、そこで働くことは生きがいがあるという形をちゃんとつくってですね……。給料高いというのは、これはソフトパワーと言うよりはハードパワーの世界で、あまり安すぎるのはまずいから、そんなに見劣りしない額にはしているし、つけようと思っているのですが、プラスソフトパワーで全国からお医者さんを引き寄せたりしています。

質問者
ご回答ありがとうございました。地域包括ケアというものに非常に興味を抱きました。私も今後地域包括ケアについてちょうと調べて勉強させていただきたいと思います。ありがとうございました。

司会
ほかにありますか。

質問者
岩手県立大学総合政策学部2年の学生です。
岩手県には使命と天命があると知事はおっしゃいましたが、知事が今考えている、今の岩手県の使命と天命とは何なのか、教えていただけないでしょうか。

達増知事
では、教えましょう。21世紀になっても世界には紛争が絶えません、テロとの闘いなんていうことで、また新しいタイプの戦争が起きたりしています。そして、地球環境問題が深刻さを増しております。そういう中で、岩手県というのは縄文時代から人と自然との共生、そして人と人との共生ですね、こういう理念が深く根をおろし、そしていろんなときに花開いているのです。例えば平泉、あれを私は早く世界遺産にしたいと思っているのは、世界遺産にしてもうけようとかという発想ではなく、平泉の中尊寺の供養願文という文章、藤原清衡公が書かれた文章に中尊寺というのは敵も味方も関係なく、前九年、後三年の合戦で、あるいはそれに先立つ蝦夷と中央軍との戦いで死んだすべての人を弔い、また人間だけではなくて鳥やけだもの、魚介類に至るまでおよそ命のあるものすべての命を大切にしよう、その死を悼む、そういう理念が中尊寺の建立のときに文章としてつくられているのです。
こういう戦争をなくそう、環境を守ろうという、そういう文章が平安時代の終わりごろにばっちり出ていて、今もそのモニュメントが残っているというのは世界になかなかないことなので、これを世界の人たちに早く知らせたいと思って、だから世界遺産に早く登録したほうがいいと思っているのですけれども、そういう岩手の人と自然、人と人との共生の理念というのは宮沢賢治の童話の中にも出てきているし、新渡戸稲造博士のいろんな反戦の努力とか、そういうところにも出てきているし、また私たちの普段の暮らしとか、郷土芸能というやつもそうです。郷土芸能というのも、あれは人と自然が出会うところに神がおりてくる、村を挙げてお祝いしようというような、そういう人と自然、人と人との共生を象徴する郷土芸能というのが岩手には1,000もあって、沖縄と並んで全国1位であります。そういったところに岩手の使命、天命があると思っています。

質問者
ありがとうございました。

司会
本来もう少し質問をお受けしたいのですが、時間が押していまして、大変申しわけありませんけれども……。

達増知事
簡単に社会人学生の方。

司会
では、最後にしたいと思います。

質問者
すみません、私も学生なのです。県立大学でカウンセリングの講座を受講しています。
これは質問というよりもお願いでございますが、今もお話しいただきましたが、ソフトパワー、知事さんのお話ありがとうございました。ただ、問題は実践の段階で、いろんな団体に参加してみますとだいたいボランティアなのです。地域にもすばらしい場があったり、教育の場で一番いい場所にもかかわらず、なかなかそういうプランをつくる方たちが地域にサービスしないというような感じがいたします。
それでお願いでございますが、実践を、そういうプランをつくられた方たちに地元でお働きくださるようにお願いしたいと、こう思っております。お願いであります。質問ではありません。

達増知事
県職員に現職のときから地域貢献するようにと言っていますし、特にOBになった皆さんは重要な戦力だと思います。そして、岩手というのはもう一つ別の言葉で岩手の使命、天命を語ると、巨大な学びの場たり得ると思うのです。最近岩手に来る修学旅行の生徒の数が増えているのです。これは盛岡市内も中高校性が五、六人単位で歩き回っているのを盛岡市内に行くとよく見ますし、また山のほうでは木登り体験とか、海ではサッパ船アドベンチャーとか、あとは農村に行くと農作業の体験ができるとか、そういう人間にとって本当に大切なものは何かということを学ぶために、岩手というのは物すごくいい場所と評価が高まってきているのです。
平泉に絡むのですけれども、松尾芭蕉とか西行法師とかは俳句や和歌の日本一の達人ですけれども、自分の道を究めるために、やっぱり平泉に来なければならなかった。自分の道を完成させるには平泉に来なければならなかったということで、岩手で学ぶことがそれぞれの短歌、俳句の道を完成させるために不可欠だったということで、そういう学びの場として岩手が全国、さらには世界貢献できればいいなと思っています。

司会
ありがとうございました。残念ながらもう時間になりましたので、引き続きご質問がある方はレスポンスカード等に書いていただければ、またご回答いただくような手はずをとらせていただきたいと思います。本日はありがとうございました。
(終了)

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