内外情勢調査会盛岡支部懇談会における知事講演「岩手県における新型コロナウイルス感染症対策」

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ページ番号1028659  更新日 令和3年3月4日

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とき:令和2年11月27日
ところ:ホテルロイヤル盛岡

はじめに

 本日は、内外情勢調査会の講演の機会をいただきまして、誠にありがとうございます。今年のテーマは、やはり、新型コロナウイルス感染症対策です。

1 新型コロナウイルス感染症対策

(1) 世界及び日本、岩手県における感染者数等の推移

 《国別感染者数の推移》
 まず、1月からの、世界、日本、岩手県における感染者数の推移を振り返りましょう。
 11月25日現在、世界全体で感染者数5,981万人、死者数141万人となっています。感染者数は米国、インド、ブラジルが圧倒的に多く、欧州、米州を挟んで、日本と中国は、かなり少ない状況です。
 しかし、アジア太平洋で見れば、日本は中国よりも感染者数が多くなっており、インドは「別格」、インドネシアとフィリピンは「例外的に多い」と見ると、日本の感染者数は「例外的に多い」方に近づいているようにも感じられます。タイ、ニュージーランド、ベトナム、台湾の感染者数の少なさを参考にしたいところです。
 ここで、新型コロナウイルス感染症は大したことがないという論について検討しておきたいと思います。日本においても、欧米のようなことはあり得ると見ておいた方が良いと思います。感染者数の局地的な急拡大が起きていますし、それが積もり積もれば全国的にもかなり感染者数が増えていくことがあり得ます。
 また、ただの風邪ではないかという指摘もありますが、新型コロナウイルス感染症は血管壁の損傷を引き起こす例があり、血栓ができ、脳梗塞や心筋梗塞を起こしている例があります。さらに、血栓がたくさん肺胞の先に詰まって肺炎になるという例があります。咳も出ないし、喉や気管支の辺りも平気だが、突然、肺炎で息ができなくなるという例です。そういったことから、新型コロナウイルス感染症に対して、風邪だ、インフルエンザだ、大したことはないという説はありますが、血管壁の損傷が起きる例が、日本においても、そんなに多くはないですが、あり得るということを理解することが大事です。
 そこで、岩手県の場合、検査をして陽性と判定された方々には、まず一旦、病院で、肺のCT検査や血液検査を受けていただいています。今、日本の大都市部では、陽性と分かっても、そのまま自宅待機となったり、自宅から直接、ホテル等の宿泊療養施設に入るというように、軽症の場合、病院での検査を受けないまま療養しているケースがあると、テレビなどで報道されています。岩手県では、そういったことがないように、陽性の方は、無症状であっても、病院での検査をきちんと受けてもらうようにしています。

 《日本及び岩手県における新規感染者数の推移》
 日本と岩手県の新規感染者数の推移のグラフを重ねてみました。
 中国・武漢関係の輸入症例というのは、実は11例しかなかったということです。これは、「新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書」に記載があり、中国人観光客関係で日本の国内に感染者数の波が起きるということはありませんでした。日本で波が起きたのは、3月に、欧州等から300人を超える感染者の入国があって、それが春の流行、いわゆる「第一波」を引き起こしました。
 次に、夏の「第二波」ですが、これは東京の歓楽街から若年層を中心に広がったと見られています。若者は行動力がありますので、急速に広がって、感染者数は春のピークを超えて増えていきましたが、若年層の割合が高く、重症者や死亡者が春より少ない、また、検査体制や医療体制が全国的に春より拡充しているということで、緊急事態宣言は検討されず、ピークに近い頃に東京都で若干の行動制限が行われた程度でした。むしろ、東京都は除外されましたが、「GoToトラベル」が始まった時期です。
 一方で、お盆や夏休みの移動、特に、帰省をどうするかが問題になり、全国の知事たちの悩ましい姿が次々に紹介されましたが、全体として、人の移動は例年に比べてかなり少なくなりました。それが、「第二波」収束をもたらしたと思います。
 この間、岩手県では、7月29日に、初めての感染例が判明しました。春の流行の時は、いわゆる感染者ゼロを続けた岩手県ですが、全国の1日の新規感染者数が春のピークの720人を超えて、倍以上の1,605人にまで至るようになりますと、いわゆる飛び火、県外からの感染例の県内での影響を避けられず、他都道府県由来の感染例が時々見られるようになりました。8月26日には、家庭内での集団感染が起き、6人の感染者を確認しました。
 夏の流行中、国や人口の多い都道府県では、重症者や死亡者が少ないから、春ほどの行動制限はいらない、「GoToキャンペーン」を進めようと、そういう声が大きかったのですが、人口の少ない県では、岩手県のみならず、飛び火による感染が増えて、春よりも状況が悪くなっていました。そこで、「GoToキャンペーン」は良いのですが、やはり、感染者数を少なく抑えるのが大事ではないかという主張が、人口の少ない県の方から結構ありました。全国知事会としてもそういう議論をしていました。
 そして、夏の流行の「第二波」が収束しないでいる間に、秋、冬の「第三波」が始まりました。「GoTo」が継続し、また、8月のような移動・行動の自己抑制がなく、10月には「GoToトラベル」の東京除外の解除、「GoToイート」の本格化があり、感染増の上昇気流が生まれたものと思われます。
 この間、岩手県では、全国の1日の新規感染者数がほぼ500人を下回っていた9月には感染者ゼロが続いていましたが、全国でほぼ500人を上回るようになった10月から感染者が出始め、全国で600人を超えて増加が急になるに従って、11月の岩手県内での感染者の多発を迎えた形となっています。岩手県以外の各都道府県でも、過去最多の1日の新規感染者数の確認が続いている状況です。
 11月下旬に入り、北海道、大阪府、東京都の都市部に、行動制限をかけようという動きになってきました。感染者数の増加ペースが著しい札幌市、大阪市、そして東京都心部に行動制限をかければ、全国の感染者数が減り、岩手県など人口の少ない県の感染者数も減らせるだろうという作戦です。このような地域限定の行動制限という作戦は、全国知事会が流れを作り、国もその方向で動き始めたと言えるのではないかと思います。今週11月23日の全国知事会Web会議、そしてその翌日の11月24日の全国知事会から政府への提言・申入れが、このターニングポイントだったのではないでしょうか。
 「ステージ3」という基準があります。「1週間の人口10万人当たりの新規感染者数が15人以上」に、病床のひっ迫具合や経路不明の感染者数の割合などを併せて目安にするものです。やはり、「1週間の人口10万人当たりの新規感染者数」が大事だと思っています。最近の数字では、北海道32人、大阪府27人、東京都21人、岩手県は5.3人です。
 ちなみに、日本全体を1億2,600万人で計算しますと、日本全体として、1日2,700人の新規感染者が出ると、1週間10万人当たり15人となります。日本全体で最大2,596人まで増加していますが、2,700人まで増加すると、日本全体が「ステージ3」に入ったとみなされるような状態になりますので、そろそろ日本全体として何かしなければならない。と言っても、主なターゲットは、あくまで大都市部ですので、その大都市部で思い切った行動制限などの手を打ちますと、日本全体の感染者数も減っていくということです。
 感染者数が多くても、重症者や死亡者の割合が低ければ良いのだと言われますが、感染者全体の数が著しく増えると、割合は低くても実数は大きくなっていきます。まさに今、東京都、あるいは全国でも重症者の数が少し多いのではないかと言われるようになってきました。
 それから、「オーバーシュート」の問題があります。倍、倍のペースで増えていく状況です。そうなっていきますと、医療崩壊直前のぎりぎりで思い切った行動制限を発動しても、その後2週間、感染者は急増し続けますので、その時に医療崩壊が起き、また、医療以外でも様々な経済社会機能が崩壊するという事態になります。初期の武漢やイタリアなどで起きたことです。そうならないように、最大の警戒を要するという時期に、今、全国はきていますし、また、その中に岩手県もあるということです。

 《国内感染者の推定感染日の推移》
 ここで、春の「第一波」を詳しく見てみましょう。1月中旬から5月上旬における国内の感染者の感染日を推定しているグラフです。我々がよく見るグラフは、陽性者数が公式に発表された日のグラフですので、それより2週間くらい手前にずれた波になっています。
 検査結果が発表された日のグラフでは、春の流行のピークとして4月11日が一番高いですが、感染日のグラフで見ると、3月28日がそのピークであったことが分かります。7つの都道府県に緊急事態宣言が発令されたのが4月7日、全国に緊急事態宣言が拡大されたのは4月16日でしたが、その頃、感染はピークの半分、そして4分の1くらいになっていたことが分かります。
 春の「第一波」を収束に向かわせたのは、3月28日の直前に行われたことというわけです。3月24日に、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の延期が決定されました。翌日の3月25日、小池東京都知事が記者会見を開いて、「感染爆発重大局面」というフリップを掲げ、その週末の外出自粛を要請しました。その翌日の26日には、東京都とその周りの4県が合同で、知事共同のメッセージとして、お互いの県境を跨ぐ移動の自粛、そして、週末の外出自粛を要請しました。ここで、県境を跨ぐ移動の自粛ということがテーマになりまして、岩手県も含め、他の都道府県が一斉に、県境を越えた移動の自粛を県民に呼び掛けるという展開になりました。その結果、感染者数が3月29日から減り始めたということだと思います。
 ちなみに、3月29日というのは、タレントの志村けんさんが亡くなった日でありまして、日本全体に、これは大変だ、何かしなければ、或いは色々なことを諦めて家にいなければという気持ちが広がったわけですが、今述べたような程度の行動制限、そして、国民の皆さんの自己抑制によって、これぐらいの波が収束に向かったということが貴重な経験だと思います。
 では、春の「第一波」がどのように発生したかですが、3月中旬を中心に、この図では、太枠で囲んだ部分の小さな波、小さい山、これが欧米からの感染者、海外からの輸入例という言葉を使っていますが、欧米からの感染者約300人の入国を示しています。ほとんどが帰国者、日本人が旅行に行って帰って来た、仕事に行って帰って来たという方々でした。そのちょっとした波が、日本全体に大きな波を生んだということです。「新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書」では、「3月初めに欧米との往来を止めておくべきだったのに、そうしなかったことが悔やまれる」という政府関係者の発言が記録されています。
 ちなみに、夏の「第二波」ですが、「第一波」収束後、東京のある歓楽街のある業態の接待を伴う飲食店、これがその街には非常に多く、働いている若者の人数も数千人ぐらいいたようですが、そこで検査されない感染が温存されていて、数週間でかなり広がり、それが表に出てきた時には、3月の欧米からの輸入例に勝るとも劣らぬ規模の感染源になっていて、そのまとまった小さな波が大きな波を生んだと解釈できます。
 接待を伴う飲食の場のリスクが高いということは、春の「第一波」の時から専門家が指摘していて、厚生労働省クラスター対策班も詳しい分析結果を公表していました。春の流行を収束させる時に、東京のある歓楽街のある業態の一連の店、そこで働く若者に、より注意を払い、感染拡大の傾向をいち早く見付けていれば、夏の「第二波」というものはなかったかもしれません。さらに、夏の流行の継続である秋、冬の今の流行もなかった可能性があります。
 海外からの多数の感染者の入国や、大人数で接触リスクの高い集団の中で人知れぬ感染拡大があるというような特殊な要因がない限り、日本でひとたび、5月後半から6月くらいの低水準に感染を抑えることができれば、日本では感染の波はもう起きない可能性があります。ニュージーランドと台湾、タイ、ベトナムはそれを達成していると思いますし、おそらく中国も、その域に達していると思われます。
 念のため付け加えますと、1月、2月の武漢からの11例の感染者の入国では波はできなかったわけでありまして、ワクチンがなくても、新規感染を日本全体としてゼロに抑えるというのは夢ではないと思います。

 《岩手県で感染者ゼロが続いたのは、なぜか》
 岩手県において、7月29日まで感染者ゼロが続いたことを振り返りたいと思います。春から夏にかけての全国的、さらに国際的な話題でもありました。
 念のために、いわゆる感染者ゼロという言葉について確認をしておきたいと思います。厳密には、検査で陽性と判明した人がゼロということです。人知れず感染し、人知れず治った人が存在するということはあり得ます。その人が軽症だったかもしれないし、あるいは無症状だったかもしれません。軽症だったり、無症状だったりしても、人にうつす可能性があります。人にうつす可能性がある人が検査を受けないまま存在し、そして、検査を受けないまま、いつの間にか治って、その後、仮に検査を受けたとしても、もう陰性の状態になっているということは常にあり得ます。
 今、この場でもそういうことはあり得ます。今、この場にいらっしゃる皆さんの中に、そういう検査を受けていない陽性者がいるかもしれません。それで我々は、感染対策をしながら、こういった行事を行っているわけです。このことを念頭に置いた上で、感染者ゼロの話をしていきたいと思います。
 岩手県で感染者ゼロが続いたのはなぜかでありますが、まず、「人口密度が低い」ことが挙げられます。
 岩手県は面積も広く、人口密度は1平方キロメートル当たり80人です。東京都が6,354人、大阪府は4,631人、宮城県でも316人ですので、この人口密度の低さというのが、感染リスクの低さにつながっていると思います。北海道は66人で、岩手の80人より少ないですが、200万人都市の札幌市は1,750人という人口密度で、盛岡市が337人ですので、北海道は面積が広く、人口密度が低いですが、200万人都市の札幌の存在というのは、やはり、感染リスクとしては大きいわけです。
 ちなみに、フランスやスペインが、国全体として、岩手県とほぼ同じ人口密度です。居住環境として、岩手県は、フランス、スペイン並みの快適な環境であるということが言えます。そして、東京都や大阪府は少し人口密度が高過ぎるのではないかと言えると思います。
 次に、「真面目で慎重な県民性」が挙げられます。元々そうだったところに、東日本大震災津波の経験が、お互いに助け合う風土や危機管理への高い意識を強化したと思います。
 ちなみに、医療関係者で構成される「いわて感染制御支援チーム(ICAT)」というものがあります。東日本大震災津波を契機として常設された全国初の体制で、大震災津波以降も、台風災害発生時などに、感染症の未然防止や拡大防止に取り組んでいました。そして、様々な訓練や研修会を通じて、感染症に対する備えを、岩手県内各地で日頃から行っていました。
 今回の新型コロナウイルス感染症に対しても、「地域発熱外来・検査センター」の設置支援や高齢者施設等での施設内感染防止のアドバイスなどを行っています。
 さらに、47都道府県の中で、県民のパスポート保有率が低い、留学生が少ないなど、「外国との出入りが少ない」ことも挙げられます。
 それらに加えて、岩手県では、「国に先立った対策」を行ってきたというところもあります。

(2) 岩手県における感染拡大防止対策の経緯

 岩手県における感染拡大防止対策の経緯です。

 《1月~2月》
 2月11日、国が専門家会議を設置する3日前に、医師会や医療関係者、保健所職員等を構成員とする「岩手県新型コロナウイルス感染症対策専門委員会」を設置しました。これが国より早かったということが、マスコミなどで指摘されています。

 《3月》
 3月27日、知事メッセージとして、首都圏との往来への注意喚起を行い、30日には、一部首都圏から来県される方への2週間の外出自粛をお願いしました。3月25、26日に、東京都とその近隣4県が、週末の外出自粛と県境を跨ぐ移動の自粛を要請した直後です。
 移動の自粛のお願いというのは全国ほとんどの県がやっていましたが、岩手に来県した後に、2週間、前にいたところの行動制限を続けてくださいと要請した、そういう県は、岩手県以外に探しましたが、当時、見付かりませんでした。移動の自粛に加えて、移動してきて、岩手県に入ってから2週間の行動自粛もお願いしたというのは、実は、当時としては進んだ取組でした。
 岩手県の新採用職員についても、首都圏から岩手県に入った場合には、2週間の自宅待機を指示しましたが、県内の市町村や企業・団体などでも、同様の対応をしていただいたところが多くありました。
 結果として、この3月末の春の流行の危ない時期から4月にかけての一番大事な時期に、岩手県において、全国よりも一歩進んだと言いますか、一段厳しい移動と行動の制限をお願いし、また、それが実際に行われていたということが、全国的な春の流行時における岩手県での感染者ゼロの実現に、かなり効果があったのではないかと思っています。
 県境を跨ぐ移動の自粛については、そもそも前例がありません。日本において、県境を跨ぐ人の移動に自粛を要請するというのは前例がないことです。
 よく考えてみると、単独の県で、そういう要請を県民に行って良いのか、さらには、例えば岩手県が東京にいる人に対して、岩手県への移動を自粛してくださいとか、岩手県に入ってからの行動自粛は県がお願いしても良いと思いますが、岩手県にまだいない人に対して、来ることを自粛してくださいというお願いをする権利が県にあるのかということは、かなり微妙な、複雑な問題だと思います。
 しかし、当時、とにかく必要に迫られて、各都道府県の知事が、言わなければ事態が悪化する、人の動きを止めなければいけないということで、どんどん行ったというところがあります。後から、国が色々と法律を整備し、また、政府の基本的対処方針の中で、知事が発するメッセージに、ある程度、法的な根拠を与えるような、そういう工夫をしまして、若干整備されてきた方法ではありますが、今、「GoToトラベル」をどうするかという問題と並んで、改めて、全国的な県境を跨いだ移動についてどう扱っていくかということに、日本は直面しているところです。

 《4月》
 4月に入りますが、4月10日に、岩手県版の基本的対処方針を決定しました。国の基本的対処方針に準拠していますが、他に県版を直ちに作ったところを探しましたが見付かりませんでした。岩手県ではいち早く、県版の基本的対処方針を作ったところです。
 この4月10日は、鳥取県で感染者が初めて判明した日であり、岩手県が、全国で唯一の感染未確認地域、感染者ゼロの県になった日でもあります。
 4月16日に、緊急事態措置が全国に拡大され、岩手も含まれるということで、岩手県でも、ゴールデンウィーク期間中、不要不急の外出の自粛や休業の協力要請を行いました。
 しかし、この休業要請の対象となる施設や期間は、全国最小レベルに抑え、学校の休校も、平日ベースで2日間という最小限の休みで、この緊急事態宣言を乗り切りました。
 4月30日、「地域外来・検査センター」を計10箇所設置する経費が補正予算で可決されましたが、「地域外来・検査センター」10箇所というのは、東北で最も多く、全国でも多い方です。県内二次医療圏全てに設置するというところが大事です。
 それから、LINEを活用した情報共有です。PCR検査結果の速報や予防対策などの情報発信を、県の公式LINEアカウント「岩手県新型コロナ対策パーソナルサポート」を開設して行っています。これは今も行っていますので、是非、御自身のLINEの中に取り込んで、活用していただきたいと思います。
 検査結果については、11月上旬まではその日のうちに結果が分かり、知事への報告とほぼ同時に公表されていました。私にその日の検査結果の報告があり、私がそれに了解したと返事を送ると、その情報がこのLINEで一斉に公表されるという、知事とほぼ同時に検査結果を知ることができる情報提供をしていました。
 ただ、今は、検査結果の発表が、当日その日のうちではなく、翌日午後3時となっていますので、私が知ったところとのタイムラグが少しありますが、半日ぐらいであり、丸一日のタイムラグはありません。知事が知り得た時間とほぼ同じくして、情報を共有できるシステムです。

 《5月~6月》
 5月8日には、県民への冷静な対応、思いやりのある行動の呼び掛け、そして、5月15日に、知事定例記者会見で、「県は感染者第1号になってもその人を責めない」と述べました。
 ゴールデンウィークの始まりから5月に入る頃、緊急事態措置が続く中で、県外ナンバーの車に対する差別や偏見、嫌がらせ、いじめが出てきました。そこでまず、医療関係者の方々、そして、県外からの往来や転居された方々に対して、冷静な対応を心掛けること、思いやりのある行動をとることを県民の皆様に呼び掛けました。
 そして、感染第1号問題です。新型コロナウイルス感染症は誰もが感染し得る病気です。県民一人ひとりが、「自分が感染したらどうなるか」ということを考えてほしいということで、「感染した方には共感を持っていただきたい。感染した方を責めないでほしい」、特に感染第1号の方については、「県はその感染を咎めません。県は優しく対応します」ということを述べていました。

 《7月~8月》
 そして、7月29日、岩手県で最初の感染者が確認されましたが、記者会見で、感染者への誹謗中傷については、「犯罪に当たる場合もある。鬼になる必要性もあるかもしれない」と述べました。
 感染者への誹謗中傷は人権擁護の観点から決して許されるものではありませんが、それに加えて、症状がある方の受診控えや検査控えにつながるおそれがあります。誹謗中傷を恐れて病院に行かない、検査も受けない、そうなりますと、先ほど述べた見えない感染が拡大してしまう可能性があります。
 県のSNS発信に対するリプライなどで誹謗中傷や偏見、差別的なものがあればそれを保存するという、具体的な方策も公表しました。

 《9月~10月》
 9月に入って、9月4日に岩手県で23例目、そして、10月3日に24例目ということで、9月のほぼ1カ月間は感染者ゼロが続きました。

 《11月》
 しかし、11月に入り、感染源の推定が困難な事例が続きました。県外由来と特定できない経路不明の感染が続き、いわゆる市中感染のおそれがあるという事態になりました。
 そして、11月11日に、一気に8人のクラスターの発生がありました。
 19日には、盛岡市長と共同臨時記者会見を行い、クラスター対策への協力、感染対策の改めての徹底を呼び掛けました。
 24日には、知事メッセージとして、重症化のリスクが高いと言われている高齢者と基礎疾患のある方への一層の注意をお願いし、今日に至っているところです。

 《日本及び岩手県における新規感染者の推移》
 改めて、全国の新規感染者数と岩手県の新規感染者数の推移を重ねたグラフを見ますと、全国の感染者数がかなりの数に上ると、岩手県でも感染者が出てくるという傾向が見えます。そして、岩手県の感染者数が今ぐらいに増えているというのは、日本全体の感染拡大がかなり由々しい事態になっているということではないでしょうか。
 岩手県で感染者ゼロが続くくらいに全国の感染者数が減るように、さらに、できれば全国的にも感染者ゼロが続くようにしていくべきであり、そういう転換点を生み出すべき局面に、今、きています。

(3) 知事たちの動き

 《全国知事会による働き掛け》
 日本における新型コロナウイルス感染症対策の中で、知事や知事会の動きは特記すべきだと思いますので、紹介します。
 全国知事会においては、普段、年2回しか総会を開かないのですが、今年はWeb会議等により、会議を13回開催しています。国への緊急提言や、国民への呼び掛けを盛んに行っています。
 夏には、「新型コロナウイルス対策検証・戦略ワーキングチーム」を設置し、PCR検査等の検査体制の構築、外出自粛・休業要請等の運用や法的な枠組みの在り方、偏見・差別やデマへの対策など、報告書をまとめました。

 《有志知事等による働き掛け》
 いわゆる「イクボス知事同盟」、岩手県を含む17県の知事で構成する「日本創生のための将来世代応援知事同盟」では、特に、将来を担う子どもたちや若者が未来へ希望を持てるように、緊急共同メッセージ「子どもたちと未来を新型コロナウイルスから守ろう!」を発表しました。
 東北6県・新潟県、そして政令指定都市の仙台市・新潟市では、4月24日に、大型連休期間中における、外出の自粛等の協力を呼び掛ける共同宣言を出し、5月8日には、緊急事態宣言の期間が5月31日まで延長されたことを踏まえ、県境を跨ぐ移動の自粛等の協力を呼び掛ける共同メッセージを出しました。

 《岩手県からの働き掛け》
 岩手県単独では、4月23日、9省庁等に対し、「新型コロナウイルス感染症対策に関する緊急要望」を郵送しました。
 また、6月10日と16日には、リモートで8省庁に要望活動を行いました。
 さらに、11月17日には、上京して要望活動を行いまして、郵送、Web、訪問という形で、県単独の政府等への要望を行っています。
 次に紹介したいのは、知事インタビュー等の取材です。岩手県で感染者ゼロが長く続いたこともあり、情報番組へのリモート出演や新聞・雑誌等の取材など、かつてない数多くの取材を、全国的なメディアから受けました。
 珍しい例としましては、7月5日、AbemaTV「新しい別の窓」、これは元SMAPの稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾のお三方が、インターネットテレビで生放送している番組で、そのお三方のファンの皆さんが大勢注目してくださいました。
 そして、7月9日、「香港フェニックスチャンネル」、これは、皆さん海外出張で、ホテルに泊まりますと、アジアはもちろん、欧米でも、この「香港フェニックスチャンネル」が、大体、衛生放送チャンネルで見られると思います。そのニュースで、岩手の食べ物が良いという私の話に合わせて、岩手の肉や魚、お米の写真を大きく映して放送していただきまして、観光・物産の宣伝になったところです。
 岩手県で感染者が確認された7月29月以降の取材では、誹謗中傷問題をテーマとした取材を多く受けました。その中には、「ワシントン・ポスト」の取材もありました。
 9月14日に記事になりましたが、岩手県で最初の感染者が確認された時、感染された方の会社には攻撃的なメッセージが100件ほどありましたが、「よくぞ公表してくれた」、「よくぞ検査を受けてくれた」などの感謝や励ましも100件あり、花も届いたということです。
 それを踏まえて、攻撃する側の声だけではなく、攻撃に反対する人々の声もあり、それを大事にするべきと述べたのが、記事になっています。

(4) 社会経済活動の落ち込みに対する対策

 社会経済活動の落ち込み、すなわち、イベントの縮小や消費の縮小に対する対策についても紹介します。

 《県と市町村との連携》
 まず、市町村との連携が重要です。
 4月14日、「新型コロナウイルス感染症対策に係る県と市町村との意見交換会」を開催しました。この時期に、知事と市町村長が全員集合というのは、他県ではやっていなかったと思います。その後、県の総合出先機関である広域振興局ごとに、対策本部地方支部会議を行っています。
 9月には、市町村が、地域の実情に応じて地域経済の回復等に必要な事業を実施できるよう、「新型コロナウイルス感染症対策 市町村総合支援事業費補助」を創設しました。

 《経営の支援》
 事業者への経営支援としては、県内中小企業者の資金繰りのための保証料補給、無利子・低利子の融資の実施、市町村と連携しての家賃補助、この家賃補助は国より先に事業化しました。商工会議所等を通じた販売促進支援も実施しています。
 家賃補助は、当時、国と地方の間で、休業補償をめぐる議論がありまして、休んだ事業者をどう支えるかに関心が高まっていたのですが、岩手県では店を開けているけれど、お客が来なくて苦しいという事態が主流でしたので、休業していない事業者を支援するのにどうすれば良いかということで、国に先駆けて家賃補助を始め、その後、国も家賃補助を事業化するという流れとなりました。
 観光・宿泊事業者に対しては、経営継続支援金や「地元の宿応援割」を実施し、鉄道、バス、タクシー等、公共交通事業者にも支援を実施しています。
 飲食店や小売店等の感染防止対策のための備品購入経費や、飲食店がテイクアウトや宅配、移動販売など業態転換に要する経費の支援も行っています。

 《消費喚起》
 消費喚起策としては、「買うなら岩手のもの運動」として、3月12日、「スタートアップセレモニー」を行いました。
 当時の安倍首相が、2月16日に、大型イベントの自粛要請を行い、そして、2月17日に、3月2日からの一斉休校の要請を行っており、一気に物の消費が減って、特に、当時は、卒業式、謝恩会などで使われる花が一気に売れなくなり、そして、給食用の牛乳が余っているということがありました。
 まず、スライドの写真では、花を掲げながら、牛乳を飲んだりしていますが、花と牛乳の消費拡大を中心に、それ以外の県産品も広く示しながら、農林水、商工関係者が一堂に会して、セレモニーを行いました。
 ホームページとして、「買うなら岩手のもの総合サイト」を立ち上げて、地域経済の回復に取り組んでいます。
 国の緊急事態宣言が解除された6月19日には、観光のリスタートに当たり、「いわての新しい観光宣言」を行いました。
 「新しい生活様式」に対応し、「観光宣言」では、「感染症対策に取り組む」、「変わらない良さで、新しい取組を進める」、「いわての良さを県内・県外の皆さんと共有する」の3本の柱を立てています。

 《団体との連携》
 大学のトップ、経済界の代表、そして県知事をラウンドテーブルメンバーとする「いわて未来づくり機構」というものがあります。
 7月10日、岩手県医師会の小原会長、岩手医科大学の小川理事長を招き、「いのちと健康を守り、生活となりわいと学びを支える岩手宣言」を行いました。
 この「岩手宣言」の抜粋を読みますと、「その場に合った感染対策をみんなで工夫し、生活、なりわい、学びの場での新しい日常を進めていきましょう。医療関係者をはじめ、県民生活に不可欠なサービスの提供に従事している皆様に、感謝と思いやりの気持ちを持って応援しましょう。児童・生徒の皆さん、岩手県内外で学生生活を送っている皆さんは、自己実現に向けて、厳しい時期だからこそ将来のことをしっかりと考えてほしいと思います。私たちは皆さんの未来を応援しています。県民みんなで、いわての変わらない良さをさらに磨き上げ、県外の皆さんとも共有しながら、お互いの幸福を守り育て、豊かな生活、なりわい、学びを実現しましょう」というものです。
 今もその通り、通用する原則と言えます。
 岩手県体育協会、私はその会長を務めていますが、そこでは、「団結・結束 スポーツいわて宣言」を行いました。「『新しい生活様式』のもと、新しいスポーツの在り方を新たな発想で創造していきましょう」ということを述べています。
 「岩手芸術祭総合フェスティバル」では、「いわて文化芸術創造宣言」を行いました。「今こそ、岩手県民みんなで、新型コロナウイルスによる様々な困難を乗り越え、新しい文化芸術をつくり上げていきましょう」と述べています。

 《イベントの開催》
 10月3、4日には、岩手産業文化センター・アピオで、全国的なイベントである「ゆるキャラグランプリ」が開催されました。
 約14,000人の方々が来場し、感染防止対策を徹底して、来場者からの感染者は報告されていません。

 《新たな技術や仕組みの導入による産業振興等》
 新型コロナウイルス感染症対策では、新たな技術や仕組みの導入による産業振興が大事です。
 ICT(情報通信技術)の活用です。
 中小企業者へのテレワーク導入促進、食産業事業者へのオンライン商談促進、文化・スポーツイベントでのデジタル技術の活用などに取り組んでいます。
 この続きは、第4章の「ポストコロナの岩手」でお話しします。

2 岩手の地域医療

 第2章としまして、コロナ禍で重要性が再認識された岩手の地域医療について、お話しします。
 岩手の地域医療の特色として、全国有数の規模を誇る県立病院、三田俊次郎氏が私財を投じて創立した岩手医科大学、そして、特徴ある市町村の取組があります。

(1) 県医療局、県立病院

 まず、県医療局、県立病院についてお話しします。
 岩手県の県立病院は、岩手県医療局の下に置かれています。医療局は地方公営企業法上の地方公営企業であり、特別会計での独立採算制となっています。その経営の責任は、管理者である医療局長になります。
 独立採算制と言いますが、毎年度、約200億円を県の一般会計から医療局に繰り出しています。県立病院では、へき地医療、救急医療、小児医療、高度・専門性など採算性の面から民間医療機関による提供が困難な医療を担っているからです。岩手競馬の岩手県、奥州市、盛岡市に対する債務が累積330億円あり、巨額な債務と言われていますが、毎年200億円の一般会計から繰り出しというのは、かなりの額になりまして、岩手県の保健医療・福祉政策の一つの特徴になっています。
 「県下にあまねく良質な医療の均てんを」。これが、岩手県医療局の創業精神です。

 《岩手県医療局の誕生・沿革》
 昭和5年、戦前ですが、農山漁村の産業組合による医療施設が岩手の全県に拡大していきました。産業組合というのは、今で言う農協でありまして、その病院が厚生連の病院ということになります。ちなみに、昭和6年から8年にかけて、新渡戸稲造博士がこの産業組合岩手支部長を務められていました。新渡戸博士の人道主義が厚生連系病院の急速な増加の背景にあったのではないかと思われます。
 戦後、厚生連は、財政力がなく、資金面に問題を抱えていて、医療事業を実施することが難しいという状況でした。そこで、県が経営することが望ましいということで、昭和25年に県が一括買収し、さらに国保連病院と併せて、医療局を設立しました。医療局の病院数は25から始まって、増えたり減ったりしながら、今は20で、これは全国最多の県立病院数です。

 《東日本大震災津波で被災した3病院の再建》
 東日本大震災津波では、沿岸地域の3つの県立病院が大きな被害を受け、医療機能を失いました。全国からの医療支援チームをはじめ、多くの皆様から御支援を頂き、使命感を持って、仮設病院で地域医療を守り続けました。
 大槌病院、山田病院、そして高田病院です。平成28年から30年にかけ、この3つの県立病院は全て再建されて、災害に強い病院となり、沿岸地域の医療提供体制再生の象徴として開業しています。

 《県立病院の現況(果たしてきた役割)》
 県立病院は二次医療圏という言葉が鍵になるのですが、「一般道路を利用して概ね1時間以内で移動可能な範囲」を二次保健医療圏として、岩手県を9つの二次保健医療圏に分けて、その9つの圏域ごとに、基幹病院となる県立病院が設置されています。地理的にも、機能的にもネットワークが作られている、これが岩手の県立病院の特徴です。
 令和元年度の外来患者のうち県立病院が占める割合は42.7%で、大変大きな役割を担っています。救急患者数に占める県立病院の割合は約65%、救急車で受け入れる方に占める県立病院の割合は約67%です。手術等の実施件数でも、やはり県立病院の占める割合が高くなっています。

(2) 岩手医科大学

 そして、県立病院とともに、岩手の地域医療に大きな役割を果たしている岩手医科大学です。
 岩手県には、国公立の医科大学や大学医学部がありません。一方、私立の岩手医科大学があります。そこには、日本の近代化の在り様に関わる歴史があります。
 「医術は済生の根本、良医を養成して、新附の蒼生を慈恵せよ」と述べた創立者三田俊次郎、「誠なる哉、誠なる哉、誠なくして真の医はありえぬ」と述べた初代学長三田定則、このお二人が歴史を作りました。

 《岩手医科大学の創立》
 明治5年に「学制」、明治8年に「医制」が公布され、明治13年に全国の公立医学校は30校に達し、岩手県にも明治9年、岩手県医学校が設立されました。
 しかし、明治20年に、府県立医学校費用を地方税から支弁することを禁止する勅令が公布されて、岩手医学校をはじめ、全国の多くの府県立医学校が廃校となってしまい、東北で存続できたのは唯一、宮城医学校のみでした。岩手県を含む北東北に医療の空白が生まれます。
 三田俊次郎氏は、医療の空白による地域医療の貧困を憂い、私財を投じて、明治30年、私立岩手病院を設立、明治34年に私立岩手医学校を設立します。
 この岩手医学校は、明治45年に、医療制度改革で、一旦廃校となりますが、昭和3年、三田俊次郎氏の情熱と努力が認められ、私立岩手医学専門学校として生まれ変わります。
 その後、戦後の教育改革で、昭和22年に岩手医科大学となり、初代学長に三田定則氏が就任します。
 三田定則氏は昭和天皇の覚えめでたく、昭和22年に昭和天皇が岩手県を訪れた際、公務後、宿舎の小岩井で、「岩手には三田がいる筈。会いたいから呼ぶように」とおっしゃられ、定則氏と面会をされたそうです。
 明治政府が、地方にきちんと医学校を作らないので、地元の志ある方が発奮して作られたのが岩手医科大学となったということです。

 《医系総合大学への発展》
 岩手医科大学は、医系総合大学へと目覚ましく発展し、昭和40年歯学部開設、昭和55年高次救急センター開設、平成9年附属循環器医療センター開設、平成19年薬学部開設、平成29年看護学部開設、そして、医・歯・薬・看護の4学部を同一キャンパスに擁する医系総合大学になりました。

 《新附属病院の開院》
 令和元年9月、北東北最大の病床数1,000床を有する新附属病院となり、矢巾町に開院しました。引っ越しが一大オペレーションだったことが記憶に新しいのではないでしょうか。
 高度救命救急センターや総合周産期母子医療センターなど、小児、周産期、救急部門の機能強化について、県が支援しています。
 日本全国を見ても、1,000床以上の病床数を持つ病院は岩手医科大学附属病院を含めて21病院しかありません。アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の医学部附属病院が1,059床であることからも、その巨大さをお分かりいただけると思います。
 病院内部は、廊下、病室、手術室など、全てが広く、最新かつ高度な設備があり、「ここで研修しよう、ここで働こう」という医師、看護師など医療関係者が、全国から、また、海外からも大勢やってくることを期待します。

(3) 市町村における独自の地域医療

 市町村における独自の地域医療を紹介します。

 《旧沢内村の取組》
 旧沢内村、現西和賀町沢内ですが、深澤(ふかさわ)晟(まさ)雄(お)という村長がいらっしゃいました。
 深澤村長は、「生命尊重こそ政治の基本」を信念としていました。深澤村長は、明治38年沢内村に生まれ、一関中学校から仙台二校を経て東北帝国大学に進み、上海、台湾総督府、満州重工業開発などに勤務し、終戦後、沢内村に戻って、英語講師となります。
 当時の沢内村は、貧しく、栄養失調や衛生環境の悪さから、乳児死亡率は約7%、これは全国最下位であった岩手県の中でも最も高い乳児死亡率でありました。
 深澤氏は、昭和29年沢内村教育長、昭和31年沢内村助役になっており、村の状況を憂いて、一念発起し、昭和32年村長に立候補して、当選します。
 旧沢内村では、医者にかかることは家の財産を失うほどの出費になる「かまど返し」、つまり、破産するという考えが強く、病院を受診する人が少なかったそうです。
 当時の国民健康保険法では治療費の半分を患者が負担していましたが、深澤村長は、憲法25条の生存権の保障であるとして、昭和35年に65歳以上の医療費を無料化、翌36年には1歳未満の乳児の医療費を無料化し、さらに無料となる高齢者の年齢を60歳に引き下げました。
 これは、当時の日本の地方自治体としては前代未聞の政策でありました。効果はてきめんで、昭和37年に、日本の地方自治体として初めて乳児死亡率ゼロを達成し、日本中の注目を集めました。

 《一関市国民健康保険藤沢病院の取組》
 もう一つ、藤沢病院と佐藤(さとう)元美(もとみ)院長を紹介します。「住民とともにつくりあげる医療」の全国的に有名な例です。
 佐藤元美先生は、旧千厩町(せんまやちょう)出身で、県立千厩高校、自治医科大学医学部を卒業後、岩手の県立病院に勤務します。その後、平成4年に藤沢町福祉医療センター所長、平成5年に国保藤沢町民病院院長になりました。平成17年からは事業管理者です。
 藤沢病院で有名なのが、地域住民と医療者との対話の場「ナイトスクール」です。
 藤沢病院が開院間もない頃、住民から待ち時間が長い、だから「診察なしで薬だけほしい」というような要求が出て、それを認めない病院にクレームが寄せられ、住民と病院の間に摩擦が生じたそうです。
 そこで、佐藤先生は、夜に、地域に出向いて、地域住民と医療について率直な意見をやり取りし、お互いが腹を割って話し合い、地域医療に対する住民意識を変えました。住民は医療の運営者でもある、病院を利用するだけではなく、住民が病院を支えて、育てる役割を担うのだと考えられるようになり、多くの医療機関の手本となっています。
 今年度、藤沢病院は、自治体立優良病院表彰の全国自治体病院協議会長表彰と病院開設者協議会長表彰を受賞しています。
 佐藤元美先生の母校、自治医科大学は、医療に恵まれないへき地等における医療の確保向上及び地域住民の福祉の増進を図るため、全国の都道府県が共同で設立した学校です。
 岩手県から自治医科大学医学部に入学して、医師になった方々は累計106人おり、そのうち9割が県内に定着し、岩手の地域医療の現場で活躍されています。この定着率は全国トップクラスで、岩手の医療提供体制の確保に大きな貢献をいただいています。

3 地域医療を担う医師の確保

(1) 医師の養成・確保・定着・偏在対策

 岩手県は医師不足問題の先進県です。第3章は地域医療を担う医師の確保についてです。
 まず、医師の養成・確保・定着・偏在対策です。

 《地域医療を担う医師確保の必要性》
 なぜ、地域医療を担う医師確保が必要なのか。
 それは、まず、医師不足になると患者の診療機会が失われるということです。受診のために時間的・経済的コストがかかり、受診をあきらめる可能性もあります。
 また、医師不足になると病院が成り立たなくなるということです。勤務医の勤務環境悪化で離職が連鎖、医師の充足を前提とした経営計画が行き詰まり、地域医療体制に大きな影響が出ます。
 これに対しては、国、自治体の関与による対策が必要でありまして、言い換えると、市場原理だけでは駄目だということです。

 《岩手医科大学医学部定員及び医師奨学金貸付定員の増加》
 岩手県では、まず、医師確保に関する専担組織である医師支援推進室を設置して、全国からの医師の招へい活動、医師の勤務環境改善、キャリア形成支援などを行っています。
 そして、岩手医科大学と連携し、医学部の定員増を行いました。平成19年度が80人だったのに対し、現在は約1.6倍の130名となっています。これは小規模の大学医学部を新しく1つ設立したようなものでありまして、かなり事態を改善しました。奨学金の貸付枠も拡大し、55名の貸付枠を確保しており、これは全国で一番多い人数です。
 しかし、まだ医師は足りません。

(2) 県民総参加型の地域医療体制づくり

 平成20年度に、県民総参加型の地域医療体制づくりを始めました。
 医師の業務負担が増えていたところに、仕事で忙しいなどの理由で、安易に夜間救急にやってくる患者が少なからずおり、現場が想像以上の忙しさとなるということが、岩手に限らず、全国津々浦々で起きていました。
 病院勤務医の業務負担の増大は、疲れ果てて離職する医師の増加、そして残った医師へのさらなる業務負担により医師の離職がさらに増加するという、医師不足の悪循環を引き起こしつつありました。
 そこで、全国初の試みとして、「県民みんなで支える岩手の地域医療推進会議」を設立し、地域医療を支えるための県民運動を始めました。
 「県民みんなの力を医療の力に」をスローガンにし、県内の保健医療分野、産業界、学校関係団体、行政等々、あらゆる団体が参画した運動を展開し、「医療機関(病院と開業医)の役割分担を知っている」という人は、平成20年47.5%から令和2年59.0%に増え、「医療機関を受診する時、どちらかと言えば診療所を受診する」という人が平成24年62.2%から令和2年69.7%に増え、やみくもに病院に行くのではなく、まず身近な開業医にかかるという行動変容を促しています。
 平成30年12月に、10年間の成果を振り返るシンポジウムを行いました。
 また、厚生労働省の第1回上手な医療のかかり方アワードにおいて、厚生労働省医政局長賞自治体部門優秀賞をいただきました。
 厚生労働省は最近になって、上手な医療のかかり方キャンペーンを行っています。デーモン閣下が出演するテレビコマーシャル、「かかりつけ医を持ちましょう、むやみに病院に行くのではなくて、まずは身近な開業医」というキャンペーンを最近になって国もやるようになってきました。

(3) 地域医療基本法の制定に係る国への提言活動

 岩手県は、地域医療基本法の提言活動も行っています。
 医師の地域偏在を根本的に解消するには、全国レベルの施策が必要であり、地域医療基本法(仮称)の制定によって、医師の不足、地域偏在を解消すべきという主張です。
 平成23年に地域医療基本法草案を作成して、提言を続けてきました。パンフレットの作成、ホームページの作成、シンポジウムの開催、有識者との対談などを行ってきています。

(4) 地域医療を担う医師の確保を目指す知事の会

 今年1月には、「地域医療を担う医師の確保を目指す知事の会」を発足しました。
 平成31年2月に、国は、医師の地域偏在の状況を示す医師偏在指標を公表しました。岩手県が最下位であると大きく報道され、岩手県内で改めて医師不足問題が注目されました。全国的にも医師不足問題に関心が高まりました。
 私は、これはチャンスだと思いました。国が医師不足問題を正式に取り上げ、エビデンス、根拠を示し、それが国民の関心を引いたのは初めてと言って良いのではないかと思います。今までの国の議論の中では、職業選択の自由とか、居住移転の自由という憲法上の権利を引きながら、医師が都会に多くて、田舎に少ないのは市場原理に基づくもので、是正の必要がないという論法だったからです。
 この医師偏在指標の公表は、医師少数県同士が連携し、医師不足と地域偏在の解消を国に強く訴えていくきっかけとなりました。
 また、最下位であると全国的に大々的に報じられた岩手県は、運動の先頭に立つ大義名分を得ることができました。同じく最下位の新潟県とともに、医師の偏在指数下位の県を中心に呼び掛けて、今年の1月31日、青森、岩手、福島、新潟、長野、静岡の6県知事が発起人となって、「地域医療を担う医師の確保を目指す知事の会」を発足しました。
 その後、秋田、山形、茨城、群馬、栃木、宮崎の6県にも御参加をいただいて、12県の知事の会となっています。知事の会では、医師不足の解消、偏在是正に向けた国への政策提言、医療関係者・行政関係者の理解促進、国民の機運醸成を行っています。
 8月には、コロナ禍に負けず、厚生労働省の橋本前副大臣に提言を手交しています。

4 ポストコロナの岩手

(1) 「いわて県民計画(2019~2028)」の推進・強化

 第4章「ポストコロナの岩手」として、まず、「いわて県民計画(2019~2028)」のことからお話しします。
 「東日本大震災津波の経験に基づき、引き続き復興に取り組みながら、お互いに幸福を守り育てる希望郷いわて」が基本目標です。
 「幸福を守り育てる」というのは、新型コロナウイルス感染症対策の方向性とも、ポストコロナ社会の在り方の検討の方向性とも一致しており、県民計画の基本方向、進む方向に揺るぎはないと考えています。
 県民計画には、新型コロナウイルスの流行で注目されている分散型社会、地方の暮らしやすさ、東京一極集中、豊かな自然、先端技術の活用などが既に盛り込まれています。むしろ主要な政策として位置付けてありました。
 コロナ禍で明確になった課題については、県民計画上の取組を強化していきたいと考えています。
 テレワーク等の多様な働き方の定着・加速化、ICTを活用したビジネスの創出などです。

(2) 地方創生・ふるさと振興の推進・強化

 地方創生、ふるさと振興の観点から見てみましょう。

 《地方の良さの再認識》
 6月に内閣府が発表した「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査」では、東京23区に居住する20代の方の約4割が地方移住への関心が「高くなった」、「やや高くなった」と回答しています。地方移住への関心がこれまで以上に高まっています。
 昨年と今年の7月から9月の岩手県と東京都の人口の社会増減を見ますと、岩手県では社会増、つまり岩手県への転入超過が続いています。
 東京都では、3カ月連続で社会減、東京都からの転出超過がこれまでに例がない多さで続いています。特に8月の4,514人の減少というのは比較可能な平成25年7月以降、最大の転出超過です。
 8月にブランド総合研究所が発表した「都道府県SDGs調査2020」の中で、都道府県民の「愛着度」が、岩手県は昨年の36位から4位に急上昇しました。
 コロナ禍で感染者ゼロを長く維持したこと、それが国内外から広く注目されたことが、岩手県、岩手県民の良さの再認識につながったのではないかと言われています。

 《「第2期岩手県ふるさと振興総合戦略」の推進》
 「まち・ひと・しごと創生法」に基づく地方創生は、昨年度から2期目の5年間が始まっており、岩手県でも「第2期岩手県ふるさと振興総合戦略」を策定し、取り組んでいます。
 計画に盛り込んでいる取組に加え、情報発信の強化や安全に安心して暮らし・働ける環境のPR、移住に関心のある方のニーズに即した情報発信の充実、テレワーク機運の高まりに対応したテレワーク環境に係る情報発信の強化やサテライトオフィス誘致に向けた取組を進めています。

 《ポストコロナの岩手》
 感染防止対策=地方創生であり、今度こそ東京一極集中の是正です。移住・定住とICTを強化すべき時です。
 第1章で述べたことから分かりますように、大都市部は新型コロナウイルスのような新型感染症に対して極めて脆弱です。大都市は感染が広がりやすく、食い止めるために、経済を止めるような行動制限が必要になりますが、地方の人口の少ないところは、基本的な感染対策をしていれば、感染はあまり広がらず、経済を止めるような行動制限には至らない可能性が高いです。
 首都直下地震を想定した時の東京の脆弱性という問題に加えて、感染症に対する東京の脆弱性に直面した日本において、地方創生は東京一極集中の是正として勢いを増すでしょうし、そうしなければならないのではないでしょうか。

おわりに

 今、私たちがすべきことは、新型コロナウイルス感染症拡大防止対策の徹底であり、検査体制の強化、医療提供体制の整備、基本的な感染対策の徹底、思いやりのある行動と冷静な対応です。
 そして、仕事、暮らし、学びの場の見直しの機会です。それぞれの場面に応じた感染対策の徹底と必要な見直しから、やらなくて良いことと、やるべきこと、やりたいことの区別がついてきて、新しい仕事、新しい生活、新しい学びの姿が見えてくるでしょう。
 コロナ禍で重要性が増した地域医療の確保はますます重要で、県民、関係機関等が連携した医師確保の取組が必要です。
 そして、新たな技術や視点を取り入れた取組の強化として、情報通信技術を活用した多様な働き方、再認識された地方の暮らしやすさを生かした交流やつながりの拡大を進めて参りましょう。
 岩手県としましては、引き続き、新型コロナウイルス感染症対策に真剣に取り組み、仕事、暮らし、学びの場の見直しを通じて、岩手における地方の良さの再発見を大いに進め、幸福度の向上、「お互いに幸福を守り育てる希望郷いわて」を目指して参りたいと思います。
 御清聴ありがとうございました。

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