希望郷岩手スクールセッション(平成22年7月8日)

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ページ番号1000978  更新日 平成31年2月20日

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  • 訪問学校:一関学院高等学校
  • 実施日 平成22年7月8日(木曜日)
  • 場所 一関学院高等学校

写真:希望郷岩手スクールセッションの様子1

生徒
起立。

生徒
注目。お願いします。

生徒
着席。

小野寺校長
それでは、これからスクールセッションが始まるわけですが、講師の先生を紹介します。
本日の講師の先生は、岩手県知事の達増拓也先生であります。今日は、お忙しいところを先生においでいただきました。高校生というこの若い時期、知事さんにお会いして、いろいろお話をお聞きすることは恐らく皆さんの人生にとっても、とっても有用な1こまだと思っております。
皆さんのお手元に知事のプロフィールがありますが、知事さんは岩手県盛岡市の出身であります。盛岡第一高校を卒業後は、東大法学部に学ばれ、卒業後は外務省に入省されまして、シンガポール日本大使館書記官であるとか、外務省官房総務課長補佐等を歴任されております。その後平成8年から衆議院国会議員として連続4期を務められ、お手元のところにあるような11の役職をいろいろ担って歴任されております。平成19年からは、岩手県知事として、岩手県県政にご貢献をいただいているところであります。
今日は、皆さんに、「高校生の皆さんに期待すること」と題しまして、先生の学生時代、あるいは外交官時代、知事としてのいろいろなお話をいただけると思っております。
先生は、外交官として、東南アジアから日本を見つめ、またアメリカに渡って大学院に学ばれ、アメリカから日本を見つめ、また代議士になられてからは、日本の中央から日本を見詰め、そしてまた岩手県知事として、県民の中のお一人として、いろんな角度から総合的に、世界的に見ていただいていると思います。私たちでは経験し得ない多くのキャリアをお持ちでございます。今日は、たくさんのことを吸収していただいて、将来に向かって豊かな発想と実践力のある人になっていただくためにも、ぜひ心に火がつくお話をいただけると思います。
それでは、先生、どうぞよろしくお願いいたします。

写真:希望郷岩手スクールセッションの様子2

達増知事
はい、皆さん、こんにちは。
貴重な時間をいただいて授業を1つするのですけれども、一関学院高等学校は、さっき校長室で設立者、創設者の芳川先生、林先生の写真を見てきたのですけれども、歴代校長先生の名前が書いていましたね、この学校要覧に。
林頼作初代理事長、そして芳川顕雄初代校長先生ですね、このお二人がつくられた学校で、この芳川先生はお寺の和尚さんだったのですけれども、同時に少年審判という、今でいう少年裁判ですね、その専門家で、当時の司法省、今でいうと日本の法務省に当たる司法省のほうから依頼されて、東京や大阪の少年審判所の審判員を務めるという、そういう国のすごく大事な仕事をした先生であります。そして、司法省、内務省のほうからアメリカ、ヨーロッパにも派遣されて、日本というのは江戸時代から少年裁判というのはあまり発達していなかったので、少年裁判というのは普通の裁判、罪を罰するというのだけではなく、未成年というのは過ちを犯すものですから、だから過ちを犯すのはとにかくだめという普通の裁判の論理だけではできない教育、どうすればそういう過ちから立ち直れるかとか、そもそも過ちをなるべく犯さないようにするにはどうすればいいかとか、そういう教育の面が非常に重要で、そういう教育と裁判を組み合わせたような考え方というのは日本に昔はあまりなかったので、芳川先生がまず自分でいろいろ工夫をし、アメリカ、ヨーロッパの制度も学んで、日本の少年審判の第一人者でいらしたのですね。その先生が国の仕事を一通り片づけた後、ふるさと一関に戻って立派な学校をつくられ、そして今に至っているというのは本当に素晴らしいことだと思います。
一関というところは、江戸時代には伊達藩の北のほうに位置するところだったわけですけれども、伊達藩のこの頭脳の役割を果たしていました。伊達藩の途中から田村藩になるのですけれども、伊達藩の一部田村藩、仙台の伊達藩の藩校で教えるような先生をどんどん出して、建部清庵、大槻3兄弟、そして芦東山という東山町のほうの出身で江戸時代の刑法の、やっぱり法律の関係ですけれども、第一人者の人が出ています。そうした人が仙台で仙台藩士に教育をして、そういう伊達藩の頭脳の役割を果たしていました。そして、伊達藩の魂の役割を果たしていた地域が平泉であります。
平泉は、昔東北全体を治める中心でありました奥州藤原氏、東北全体を治めていたころの中心が平泉で、伊達藩初代伊達政宗公も、東北全体の王者を目指した伊達政宗公も、東北全体をかつて治めた奥州藤原氏、平泉を都とした藤原氏に学ばなければならないということで、平泉の町を大変大切にして、保存とか修復とかに努めたそうであります。この一関、そして平泉のあたりが伊達藩という大きい藩の頭脳、魂の役割を果たしていた。
明治維新の後、この一関は、今度は岩手県の南のほうの大事な場所を占める役割を果たすのですけれども、岩手のためにも貢献する人材たくさん出ているこの一関でありますし、また東北全体の中でも過去の歴史の経緯もありますし、宮城県、仙台でも活躍する人がたくさん出ています。
最近は、宮城県と岩手県を中心にして自動車工場の新しいのがたくさん建ってきていまして、日本の自動車生産の中心はこれから東北のほうに移ってくるのではないかという見通しもあります。そのときに、私は中東北という言葉を使うといいと思っているのですけれども、東北6県を北東北、南東北に分けるやり方があるのですが、北東北が青森、秋田、岩手、南東北は宮城、山形、福島と。そうすると、この一関の南のところが北東北と南東北のこの境になるわけですけれども、ここは境目の場所というよりは、中心ですからね。平泉が東北の北と南のちょうど中間地点で、平泉が東北の地理的など真ん中だったように一関というところも、この東北のちょうどど真ん中にありますので、一関を中心にして岩手の県南のほうと宮城の仙台から北のほうを中東北というふうに位置づけると、ちょうどその辺が東北の経済、産業、文化の中心になっていくのではないかと考えています。勝部市長さんも、そういう中東北という考え方で一関のまちの振興を図るということで大変素晴らしいと思っています。
ということで、今日はここ一関学院高校でこういう授業をすることができるのを大変楽しみにしていて、嬉しく思っているのですけれども、まずきょうのメニューで、そうですね、「高校生の皆さんに期待すること これからの人生をどう生きていくか」というのがテーマであります。
そうですね、中学校と高校の違いというのを皆さんどんなふうに感じているでしょうか。
はい、じゃ、ちょっとあなた、一番前にいて。中学校と高校の違い。

生徒
中学校と違って高校は部活にもすごく力が入っていて、コースも分かれているし、将来に向かって大事なところだと思います。

達増知事
はい、いいですね。そういう感じだと思います。
1年生にも聞いてみようかな。こちらが1年生ですね。では、一番端の方。

生徒
高校は、勉強も自分でしっかり取り組まないと、中学校は授業でできない分は家庭で学習できたのが、高校は部活もしっかりやらないといけないので、授業もすごく大変だし、自分でしっかりいろんなことをノートに書いたり、自分でまとめるところが多くなって、中学校と比べて自分がやらなきゃいけないところが多くなったと思います。

達増知事
うん、すごく実感している感じがしていいですね。
じゃ、3年生にも聞きましょう。中学校と高校の違い。高校生も3年目に入り、どんなふうに感じますか。

生徒
義務教育と、そうじゃない違いです。

達増知事
端的に答えてくれました。
中学生までは、やっぱり子供として扱われ、義務教育でもありますし、まずやらなければならないことが決まっていて、まずそれをやりなさいという感じだったと思うのですけれども、高校は、そもそも高校に進むこと自体自由に選択して選ぶことでありますし、またもう子供扱いというよりは、かなり大人になったような世界が広がっていると思います。
高校生の活動というのは、半分大人の世界に入ったのと同じだというところが中学校と違うと思います。君は、甲子園の星になるという、そういう希望をプラカードに書いてくれているけれども、それからさっき一年生の生徒さんが言ったように、クラブ活動の質も量も全然違う。これは、野球部の場合だと、もう甲子園というのを目指す、そういう高校野球という、もうテレビでも放映されるし、大人たちが真剣にそれを見て、大人たちが真剣に応援したり、また大人たちが真剣に評価する、そういうことを高校生で既にやっているわけです。そういう意味で、高校生の皆さんに期待することは、それぞれ自分がこれというのを選んで、そこに勝負をかけてほしいということであります。それは、野球であってもいいし、また授業の中身であってもいいし、いずれにせよ高校生がやれる活動というのは、全力で勝負をかけるに値することばかりであります。それしかないと言ってもいいのだけれども。
クラブ活動でも本当に真剣に打ち込んでいれば、それは全国にフィールドが広がってくるわけです。野球だったら甲子園だけれども、ほかにもインターハイとか国体とか、勝ち進めばそういう全国が舞台になる。そして、勉強の中身のほうも、高校で教える勉強というのは難しいと思います。
私も中学校から高校に入って、その難しさに最初は大変驚きました。僕は、中学生のときに全県一斉の模擬テストみたいなやつでベストテンに入ったこともあるのだけれども、だから中学校で教える中身については、もうほぼ完璧に近いくらい身につけて高校に入ったのだけれども、でも高校の授業に直面して、全然楽じゃないなと思いましたね。1年生の皆さんは、まさにそういう4月、5月、6月を過ごしたと思うのだけれども、やっぱり予習、復習とかきちっとやらないとついていけないですよね。小学校、中学校ぐらいまでだと予習、復習を余りしなくても、学校で教わるだけでかなり身についたと思いますが、高校だとそうはいかない。やっぱりかなり自分で努力しないと高校の授業というのは身につかないと思います。
でもその1つ1つ、英語であれ、かなりレベルが高くなっているし、理科とか社会のそれぞれの分野も大変レベルが高いのですけれども、大人になってそれを仕事にしていこうと思えば、高校で教えているのは全部もう基礎中の基礎ですね。それを身につけないまま、その方面で社会に出ることはできません。工学、何か機械をつくったり、その機械で何かを発明したり、開発したり、エンジニアとか、そういう専門の方向に進んでいこうと思ったら、高校の数学で教えることというのは、これはもう全部身につけておかないと全然先に進めない。それから、英語で身を立てよう、通訳とか、あるいは翻訳の仕事とか、英語で身を立てようと思っても、これは高校で教える英語は、これ全部ちゃんと身につけておかないと、もうそこから先には進めない。
何でやっぱり高校の授業が難しいかというと、それがもうそういう社会に出ていくことに直結しているからなのですね。やっぱり世の中そうそう甘いものではないので、その基礎中の基礎でも身につけるのは大変なのですが、ただそれだけに本気で真剣に取り組む価値があります。そして、自分の将来というのがクリアに決まってきている人であれば、その方向に向けて必要なところに集中してやっていくといいでしょうし、まだ漠然としていて、どういう方向に進むか絞り込むことができていない場合には、やはり広目にいろんなことに挑戦し、そしてそのいろんなことそれぞれに真剣に挑戦していくのがいいと思います。
さっき、クラブ活動はスポーツの話をしましたけれども、ここは音楽室なので、そういう音楽とか文化関係の分野でも、やっぱり高校生の活動というのは大人の評価にたえ得るような、そういう本格的なものですので、真剣勝負、全力で当たっていく、そういう価値があると思います。
また、授業とか、それからクラブ活動とか、学校の枠組みの中できちっと決まって、その中でやること以外にもうちの手伝いとかでもいいのですよね。あるいは、地域のボランティア活動みたいなこととか、そういう学校の外でやる活動についても、やはり高校生がやるようなレベルになってくると、これはもうそのまま社会人と直接やりとりするような真剣勝負になってくるので、いずれにせよ本気で勝負をしていくということが高校生の皆さんに期待することであります。
これからの人生をどう生きていくかというのは、今真剣勝負をしていれば、その中から自然に見えてくると思います。思いっきりやってやって、そしてその中からその分野で自分にどれだけのことができるかというのが見えてくるし、またある分野やっている間に、実はほかのほうをやりたいという気持ちが強く出てくるかもしれません。そういったことというのは、やっぱりやってみなければわからないわけですよ。自分が一体どういう人間なのか、自分に何ができるか、そういうのはやっぱりやってみないとわかりません。黙って座ってぼんやりしてあれこれ考えて自分はこれから何をすればいいかというのを考えていても、なかなかわからないので、とにかく目の前のこれというものにどんどん挑戦していくのがいいと思います。
私は、高校時代、クラブ活動はソフトテニスをやっていまして、ただこれは盛岡市の予選で敗退し、県大会には進めないくらいの実力でした。それでも高校3年生まで、インターハイ予選までちゃんと続けてやっていました。大分毎日夜遅くまで練習して、かなりへとへとになってへばりながらやっていたのですけれども、ただそういうスポーツと自分の関係というのも、やっぱりそのくらいやってみなければわからなかったなと思っていて、スポーツ選手にはなれないなとは思ったのですけれども、でもたしなみで、ずっと大人になってもスポーツやっていくということはできるなと思ったし、その後硬式テニスもやるようになったのですが、外交官時代にいろいろアメリカ人とかシンガポール人とか、外国人とテニスしたりして仲よくなるのにも役に立ったし、やっぱり高校時代は本当につらくて苦しくてやめたい、やめたいとばかり思っていたのですけれども、それでも最後までやり切れば、何かかんかその後役に立つところもあるなと思います。
あとは、私は高校時代にスター・ウォーズファンクラブというのに入っていました。「スター・ウォーズ」というのは、1978年に日本で最初のものが公開されるのですけれども、そのとき私は中学校2年生で、あっ、これはすごいなと夢中になり、高校生になってからスター・ウォーズファンクラブに入りました。スター・ウォーズファンクラブというのは、公式のオフィシャルのファンクラブでありまして、アメリカロサンゼルスに本部があります。英語で申込書を書いて、会費もドルの為替、外国為替というやつをつくって、それをロサンゼルスまで送りました。だから、そういう趣味みたいなものでもいいと思うのですよ。やっぱり高校生にもなればそれくらいのことができるようになってくるので、趣味の分野でも社会人がやるような、そういう趣味をやることができるようになると思います。
スター・ウォーズファンであったこと、今でもスター・ウォーズファンなのですけれども、それがどう役に立っているかというと、やっぱり「スター・ウォーズ」の映画を英語で吹きかえなしで見たい、あとは本になったものを、英語のものをそのまま読みたいという、そういう意欲が強くわいてきて、英語の勉強をするのにすごく役に立ったと思います。僕が英語の勉強を本気でやりたいなと思ったきっかけは、「スター・ウォーズ」に出てくる人たちの台詞を生のまま英語で聞きたい、わかりたいというところが原点でありまして、ですから趣味でも本気で打ち込むといろいろ役に立つところがあるのではないかと思います。
知事になってからなのですけれども、知事として心がけているのは、岩手県を好きでいることで、一番岩手を好きな人間でありたいというのを目標にしています。好きこそ物の上手なれという言葉がありますけれども、知事としていろんな能力があるといいのですけれども、農業に詳しいとか、あとはいろんな法律に詳しくて、条例つくったり、そういうのが得意だとか、あとはお金の計算がものすごく上手で、県の予算なんかを早くうまく決めることができるとか、ただそれはもう森羅万象、あらゆる人間活動、経済社会活動とか、それから人の暮らしのいろんなあらゆる分野に知事の仕事は関係しているので、すべてについて上手にできるようになるというのは生身の人間にはなかなか難しいところであります。
一方、県には4,000人くらいの県職員というのがいまして、その4,000人で分担して仕事をします。ですから、農業に強いでも法律に強いでも、それからお金の計算に強いでも、僕よりうまくできる人がいるのです、ちゃんと県庁の中に。ですから、そういった人たちがみんなで協力して、岩手県の仕事をやっているのですが、知事として気をつけていなくてはならないのは、まずみんなが気持ちよく仕事をすることですよね。そして、うまくやっているときには、うん、これはいいぞと、ちゃんと褒める、そしてもっと頑張ってもらうように激励をする。うまくいっていないなと思ったときには、ここはどうなっているのかとか、いろいろ質問の形できちっとやることを促すというのが基本ですね。そして、今岩手がどうなっているのか、どこでだれが困っているのか、そういうことに知事は敏感でなければなりません。そういうのは自分の担当の仕事に一生懸命になっていて、あまり世の中のことを見ないでいると、岩手の県民の暮らしや仕事の実態がわからなくなってしまうので、そういうところをちゃんと見て、ここをこうしたほうがもっとよくなるのではないか、ここが今まずいのではないかというのをいち早く発見して、それに取り組んでもらうというのが知事の仕事の基本だと思っています。
そういう岩手が直面するいろんなトラブルとか、時には危機の形で襲ってきたりするのですけれどもね。地震とかインフルエンザなんかは特にそうなのですが、そういうときにめげずに最後まで粘り強く問題解決の陣頭に立っていくためには、この岩手が好きであるということが一番大事だと思っています。どんな組織でも、その組織のことを一番好きな人がトップになれば、世の中うまくいくと思います。日本であれば、日本のことを一番好きな人が総理大臣とかそういう立場に立てばいいと思いますね。そうすると、そういう人の周りに能力のある人が集まってきて、具体的な仕事はそういう能力がある人が手分けしてやってくれます。ただ、そういう能力ある人たちが本気で仕事をする、また集まってきてくれるためには、トップリーダーが、その集団全体のことを本当に心から強く好きであるということが大事だと思っていますので、そこを知事になって心がけているところであります。
これは、知事だけが岩手のことを好きであればいいかというとそうではないので、皆さんにも一人一人岩手のことを好きになってほしいと思います。岩手というのは、それだけ好きになるに値する県でありますし、素晴らしい歴史の蓄積があるし、豊かな自然とか、いろんな人が協力しながら産業も結構いい線いっていますし、農林水産業、商工業、いろんな新しい挑戦も実を結んで生まれているところがあります。そういう意味では、一人一人自分が知事になったつもりで、岩手が今どうなっているのか、そして岩手のどこでだれが困っているのか、それを知ろうという気持ちを持っていると、岩手全体がよくなっていくと思います。
これ、ごろ合わせみたいなのだけれども、知事という漢字は「知る事」というふうに書くんですね。何で「知る」という字が組織の代表の肩書きに出てくるのかというのは、なかなかこれは不思議なところなのですけれども、知事の仕事の核心は岩手のことを知ること、岩手が今どうなっているのか、どこでだれが困っているのか、その岩手を知るということは知事だけではなくて、すべての岩手県民ができることだし、あとやっぱり知るというのは楽しいことです。喜びがあります。いいことばかり知れるわけではなく、いや、ここにこういう隠された地域資源があるなとか、一関でもエゴマというイタリアのオリーブオイルに匹敵、まさるとも劣らないすごく良質な油がとれる、そういうエゴマというのを栽培している農家が一関にあって、それを発見したときすごく嬉しかったのですけれども、いろんなそういう発見があります。もちろんいろんな問題点を発見し、これはすぐ直さなければならないのだなという、そういう仕事で大変なところもあるのですけれども、これも岩手県民みんながそういう岩手に関する喜怒哀楽をともにして、楽しいところは一緒に楽しみ、そして問題点には一緒に取り組んでいくと岩手はますますいい県になっていくと思います。
最後の皆さんに期待することというのは、最初に言ったとおり、自分はこれに打ち込むというところで勝負をしてほしいということであります。全力で勝負をすれば、結果はどうあれ後悔はせず、また必ず自分に役に立つ、そういう後悔しない将来に向かって進んでいける、そういう結果が必ず得られると思いますので、それぞれの分野で勝負をかけていってほしいと思います。
さて、宿題のような形でメッセージボードに現在好きなこと、あるいは将来の夢、将来従事したいと思う職業、それから現在不満に思っていることから何か書いていただくというのをやっていますので、それを見せてもらいたいと思います。はい、見せてください。
逆さまになっている人もいますが、そうだな。新聞社とかが書いているから、それちょっと逆さまだから、直したほうがいいよ、それ。僕は読めるけどね。でも、写真に撮ったりしているからね、正しくしておいたほうがいいと思いますが。
やっぱりスポーツ関係がありますね、甲子園の星とか、プロ野球選手とか。ダンサーというのがありますね、世界に認められるダンサー。あと獣医になりたい、これはどういう理由や背景があるんですか。じゃ、獣医になりたいというのを説明してください。

生徒
私は自分のうちで犬を飼っています。

達増知事
はあ、はあ、犬を飼っている。

生徒
動物が好きで、絶滅の危機に瀕している野生動物にも興味があります。病気や怪我負った動物たちを助けてあげたいと思って獣医という仕事に憧れています。

達増知事
動物のお医者さんですね。はい。ありがとうございます。
あとは、高校野球の監督というのも、1年生にして監督を目指しているというのもすごいけれども、それはどういう理由なんでしょう。

生徒
もちろん高校生としても選手を目指しているのですけれども、野村さんみたいなプロ球団の監督も憧れます。でも自分は、一関学院の沼田監督に憧れてこの高校に入学しました。自分にとって、高校球児の指導者は特に輝いて見えるので、将来は沼田監督のようになれればと思っています。

達増知事
いいですね。はい、頑張ってください。
こっちが1年生。ちょっと1年生のほう、ははあ、1年生でも結構職業を具体的に書いている人もいますね。
柔道整復師になりたい。これはどういう理由、背景があるのですか。

生徒
今、自分は怪我をしていて、大好きなバスケットボールを十分にやることができていなくて、今日も周りの人からたくさん助けてもらいました。自分も将来は怪我に悩むスポーツ選手を助けて、好きなことを思いっきりやって欲しいと思っています。

達増知事
はい、いいですね。はい、わかりました。
あと、3年生のほう、もう一回。心理カウンセラーになりたいというのはどういう理由、背景がありますか。

生徒
前から心理学に興味があって、高校生になって、人間関係の難しさとか、いろいろ考えさせられることがあったので、もうちょっと人間の心理を知って、困っている人などを助けたいと思ったので、私は心理カウンセラーになりたいと思いました。

達増知事
そうですね。これからますます大事な分野だと思うので、いろいろ調べてみてください。
あとは、デザインにかかわる仕事につきたいというのは、そうですね、例えばどんな仕事かとか、ちょっと説明してください。

生徒
特に私はグラフィックデザイナーをしたいと思っています。それは、もともと写真や絵などに興味があり、それらを組み合わせて雑誌や広告、パッケージなどのデザインをしたいと思ったからです。今広告や雑誌は、いろんな人々に当たり前に毎日触れる世界になっていて、多くの人々に訴えかけることのできる手段の一つでもあると思います。その手段を活用して、私は自分の作品を多くの人に見てもらえるような仕事をしたいと思っています。

達増知事
うん、すごい、本格的ですね。うん、いいと思います。
あと、岩手全体をどうしたい、こうしたいというのを書いてくれた人もいるので、あとはみんなより一段高く掲げているので、その子育てをもっと本気で支援できる岩手というのをちょっと説明してください。

生徒
今、日本は先進国が少子化ということが叫ばれているのですが、やはり子供が減っていく社会に成長というのはあり得ないと思うので、やっぱり子供を育てる人がやはりどういう収入とかそういうのを関係なく、子供を産んで育てることにやっぱり負担を感じさせないような社会が必要だと思っています。

達増知事
うん、うん。この子供の数が減っている少子化というのは、今、日本が直面しているすごく深刻な問題だと思います。岩手県でもやっぱり問題なので、どうしてそういうことになってきたのか、またどういうふうにすれば直っていくのかというはすごく大事なことなので、引き続き興味を持ってもらえるといいと思います。
やっぱりいろんな経済や社会の困難とか乱れがしわ寄せでちっちゃい子供のところに行くというところがあって、どうも親御さんの仕事とか暮らしがうまくいかないことが児童虐待になっちゃったりとか、またなかなか景気が悪くて順調に結婚とか家庭を築くとかというのができなくて、子供の数が減るとかというところもあるので、子供がたくさん伸び伸びと暮らしていけているというのが世の中全体うまくいっているかどうかの1つの目安だと思うから、岩手としても子育て支援にはもっと力を入れていきたいと思っています。
では次、子供の次はお年寄り。お年寄りに優しい岩手と書いてくれた人がいますが、ちょっと説明をしてください。

生徒
岩手が高齢者が多いのと、これからも高齢化が進むと思ったので、お年寄りが住みやすい優しい岩手になれたらいいなと思って書きました。

達増知事
はい。やっぱりお年寄りには優しくしないとだめですね。いろいろ頑固でかかってくるお年寄りとかもいるのだけれども、でも今までどのお年寄りもいろいろ苦労して、日本で戦争を体験したりとか、あと戦争直後の貧しい時代を体験したり、この一関ではカスリン、アイオン台風を経験したりとか、そういう苦労を、我々にははかり知れないような苦労を重ねて、いろいろ働いたり稼いだりして今の世の中の土台をつくってくれている皆さんだから、やっぱり優しくしなければだめだと思います。
そして、我々若い世代にとっても、将来年をとってもみんなに優しくしてもらえるというのがあれば安心して我々も年をとっていけるだろうから、それはお互い順番で若い我々はお年寄りに優しくし、そうすると後で我々も優しくしてもらえる、そういう歴史的なちゃんと希望が持てるような岩手にしていくためにも、お年寄りに優しいというのはすごく大事だと思います。ありがとうございました。
というわけで、もう時間が来てしまいました。そうですね、先生方から何か感想のようなこととかあれば伺いたいと思いますが。
でも、みんなすごく真剣に考えていますね、自分自身のこと、あるいは岩手のこととか、あと自分の関心のある分野についてユニークなことを書いてくれた人もいて、良かったと思います。そういう興味、関心を大事にしながら、好きなことについてはそうそう、とにかく岩手全体を好きになるということに勝負かけるのはとりあえず知事と、それを直接補佐する仕事の人たちがまずやることだと思うので、高校生の皆さんは、まず今自分が好きなことというのをさらに好きになり、そして好きなことを広げる中でそこに勝負をかけていく、そういうことをしていってほしいと思います。そういうことの中で何年か後にはそれが岩手が好きということにつながってきているのではないかなと思うので、その調子で皆さん頑張ってください。
終わります。

生徒
起立。注目。ありがとうございました。

達増知事
ありがとうございました。

小野寺教頭
では、皆さんで知事に拍手を送りたいと思います。

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