「がんばろう!岩手」意見交換会(平成23年12月16日 県立大学)

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ページ番号1000904  更新日 平成31年2月20日

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写真:懇談会の様子1

日時

平成23年12月16日(金曜日)

場所

公立大学法人岩手県立大学

出席者

  • 参加者(敬称略)
    学生ボランティアセンター
    浅石 裕司、八重樫 綾子、早川 陽、土屋 茜、堀籠 恵利、鈴木 佐知子、高橋 沙織
    復興ガールズ*
    野中 里菜、阿部 夏美、米沢 あゆみ、佐々木 遥、山火 利紗
  • 司会進行
    県立大学事務局 高橋一教副参事兼学生支援課長
  • 県側
    達増知事
    稲葉秘書広報室長

開会

高橋課長
ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催いたします。
本日ご出席をいただきました皆さんにはお忙しい中お越しいただきましてまことにありがとうございます。

知事あいさつ

高橋課長
では、開会に当たりまして知事さんからごあいさつをお願いいたします。

達増知事
皆さん、こんにちは。県立大学学生ボランティアセンター、そして復興ガールズ*の活躍については、さまざまな報道また中村学長初め県立大学の先生方からも話を聞いていたところであり、本当によくやってくれていると思っています。県立大学も、東日本大震災ではさまざま大学自体に被害があったり、また学生が被害を受けたりという、ここもまた被災地の一つだったわけでありますけれども、いち早く身の回りの復旧を成し遂げて、現場のほうにどんどん支援ができる。今回の震災からの復興に当たっては、県民の底力を引き出すことと県外とのつながりをつくること、その底力の発揮とつながりづくりというのが2大基本方針だと思っているのですけれども、県外とのつながりづくりというところでは、これはもう想像を絶すると言うと失礼な言い方かもしれませんけれども、皆さんには予想もしていなかったような大きなつながりをつくってもらっているなと大変感心をしているところであります。今日は直接話を聞くことができるのを大変楽しみにしてきました。よろしくお願いいたします。

高橋課長
それでは、本日の出席者を紹介いたします。
まずは県側から。ただいまごあいさつを頂戴しました達増知事さんです。

達増知事
こんにちは。

高橋課長
お隣、県秘書広報室、稲葉室長さんです。

稲葉室長
よろしくお願いします。

高橋課長
続いて、学生側の出席者を紹介します。というか、私から紹介するよりも皆さん自己紹介をしてください。次第の裏に出席者名簿がありますので、それぞれ順番に自己紹介をお願いします。
では、浅石さんから。

浅石裕司
こんにちは、浅石裕司と申します。私は、大学1年生のときにボランティアのサークルをつくらせてもらって、大学近辺の地域の活性化をさせてもらっていました。それがきっかけで2007年の中越沖地震の際には新潟に行かせてもらい、さらにそれがきっかけとなって学生ボランティアセンターを立ち上げるという活動をさせていただきました。今回もすぐ釜石に行かせていただいて活動しました。卒業後は、本学の教員が立ち上げた社団法人で沿岸支援を継続しながら、お仕事をさせていただこうと思っています。今日はいろいろ話しますので、よろしくお願いいたします。

八重樫綾子
八重樫と申します。ずっと学生ボランティアセンターで活動してきまして、これまでの災害支援活動をきっかけとした学生初のNPO法人の立ち上げに向けて、現在代表を務めております。よろしくお願いいたします。

早川陽
現在の学生ボランティアセンターの代表をさせていただいています早川陽といいます。この後、僕もボランティアセンターの活動について報告させていただきますので、よろしくお願いします。

土川茜
同じくボランティアセンターに所属している土屋茜といいます。ボランティアセンターはいろんな活動しているのですけれども、私は個人的にホームレス支援活動に力を入れて活動しています。今日はよろしくお願いします。

堀籠恵利
同じく学生ボランティアセンターに所属している社会福祉学部2年の堀籠と申します。今回の震災直後に私も浅石さん八重樫さんとともに釜石市の支援に入っていました。今日はよろしくお願いします。

鈴木佐知子
同じく学生ボランティアセンターに所属している社会福祉学部2年の鈴木と申します。私は、学生ボランティアセンターでポストカードを販売したお金でフィリピンに井戸を掘ろうという活動を行っています。今日は、その活動も少し紹介できればと思っています。よろしくお願いします。

高橋沙織
同じく学生ボランティアセンターに所属している社会福祉学部1年の高橋沙織です。夏の「いわてGINGA―NETプロジェクト」にスタッフとして参加してきました。今日はよろしくお願いします。

野中里菜
復興ガールズ*リーダーを務めている野中里菜です。よろしくお願いいたします。復興ガールズ*は、今回の震災を受けてから結成したグループで、ボランティアセンターのような歴史はありませんが、今後も活動を頑張っていきたいと思っています。よろしくお願いいたします。

阿部夏美
復興ガールズ*サブリーダーの阿部夏美です。総合政策学部2年です。この後復興ガールズ*の活動についてリーダーと発表させていただきます。よろしくお願いします。

米沢あゆみ
復興ガールズ*デザイナーを務めている米沢あゆみです。今日はいろいろ話を皆さんから聞ければいいなと思っております。よろしくお願いします。

佐々木遙
同じく復興ガールズ*の会計を務めている佐々木遙と申します。今日はよろしくお願いいたします。

山火利紗
同じく復興ガールズ*の山火利紗です。私は、復興ガールズ*の中で、私たちがデザインしたキーホルダーのデザインを担当していました。今日はよろしくお願いします。

高橋課長
以上、学生の出席者を紹介いたしました。
なお、本日は県盛岡広域振興局の中田局長さんにもお越しをいただいております。後方の席で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

中田局長
よろしくお願いします。

高橋課長
また、私の左手のほうになります、本学の相澤理事長、中村学長初め、本学の関係者も同席をさせていただいております。よろしくお願いいたします。
申しおくれましたが、私は本日の進行役を務めさせていただく学生支援室の高橋と申します。学生たちの活動現場にしょっちゅう足を運んでいるという関係から、今日はこの役を仰せつかりました。どうぞよろしくお願いいたします。では、座らせていただいて進行させていただきます。

懇談

写真:懇談会の様子2

高橋課長
では、早速懇談に入らせていただきますが、今日はマイクがないので、それなりに大きな声でしゃべってください。学生さんたち緊張していますか。そんなふうに見えないのだけれども(笑)。いつもどおりにお願いしますね。
では、まずは両団体、両グループから日ごろの活動をプレゼンテーションをしていただきたいと思います。まずは、学生ボランティアセンターから。

早川陽
では、これから学生ボランティアセンターの今までの復興支援の取り組みについて報告させていただきます。
3月11日に震災が起こって今まで9カ月ほどたちましたけれども、その9カ月の間にどういう活動をしてきたかということと、今後冬に向けて、また来年に向けてどういった活動を考えているかということを報告させていただきたいと思っています。
まず、3月11日に震災が起きて3日後の3月14日に、本学にある普段私たちが活動拠点としている学生ボランティアセンターを学生災害ボランティアセンターとして開所しました。実際本学も避難所になっていたので、住民の方や大学の近辺に住む学生たちの不安の語らいの場にしたり、被災地がどういう状況になっているのかというのを新聞などを通して私たちスタッフが情報を集めるということを行っていました。
その1週間後、3月21日から、私を含め学生ボランティアセンタースタッフ3名が先発隊として陸前高田市の災害ボランティアセンターの運営設置支援に入りました。このときは、現地のセンターがまだ立ち上がっていなかったので、本当に小さいテントから始まって、必要なものをそろえたり、ボランティアを受け入れるために活動してきました。その翌日の3月22日からは、釜石市の災害ボランティアセンターの設置運営支援に入りました。
学校の開始が延びたことから、学校が始まる4月17日までの約1カ月間、うちのスタッフでシフトを組み、絶えずうちのボランティアセンターのスタッフが陸前高田、および釜石市の災害ボランティアセンターの支援に入れるような体制を組みながら活動して、4月17日までに延べ250名の参加となりました。
この震災が起きたとき、実は海外で活動しているスタッフたちもいましたので、そのときの様子をお伝えします。

鈴木佐知子
では、ちょっと震災の活動とは離れてしまうのですけれども、「IDO(井戸)プロジェクト」について紹介します。3月8日から17日、震災があった日を含めて、私や八重樫さん、浅石さんなど、約10人の学生がフィリピンを訪れていました。私たちがポストカードを販売して、そのお金を資金としてフィリピンに井戸を掘ろうというプロジェクトです。井戸を掘るお金が集まったことから、ちょうどこの期間にフィリピンを訪れていて、井戸掘りと、障がい児との交流を行っていました。
これ(投影画面)が実際のフィリピンの様子です。右下の写真はフィリピンの小学校の様子、食事の写真などもあります。フィリピンでは、ホームステイをして、実際の生活の体験をしてきました。
そして、3月11日です。この日は震災が起こった日なのですけれども、私たちにとっては井戸を掘ってきれいな水が出た日でもあります。ちょうど水が出たというときに、岩手、宮城で震度7という情報がメンバーの携帯電話にツイッターなどを通して入ってきました。フィリピンのテレビでも、国際版のNHKのニュースなどで報道されていました。その様子を見て、岩手、宮城とかで起こっていることなのですが、自分の住む県での出来事とは思えないというのが私としての感想で、それぞれ行ったメンバーも不安な気持ちや、離れているので何かしたくてもできないという焦りなども抱えていました。しかしその中でも残りのプログラムを行って、無事に帰ってくることができました。
フィリピンから帰国して、被災地の活動に入り、春、夏は中心メンバーとして活動する人たちも多かったです。
現在IDOプロジェクトは、フィリピンの子供支援や、フィリピンでも台風などの災害が多いので、日本での被災の経験を生かして防災にも目を向けて取り組んでいこうとしています。また、フィリピンに行ったメンバーがつくったポストカードも、ちょうど今日学内でイベントがあるので、そこから販売を開始してきます。
IDOプロジェクトの紹介は以上です。

早川陽
次は、先ほど紹介した災害ボランティアセンターの運営支援の様子です。これが(投影画面、以下同様)陸前高田市の災害ボランティアセンターでマッチングをしている様子ですが、最初は本当にこのようなちっちゃいテントから始まって、9カ月の確かな歩みというのを日々実感しているところです。
こちらが災害ボランティアセンターで、こちらは炊き出しをするという情報を浅石さんや八重樫さんが住民にお知らせをしている活動の風景です。
その支援が終わった後に、今度は各地でのイベントを開催しました。ユニセフと共同しながら関西の学生たちを岩手に呼んで、そして被災地に行って子供たちの遊び相手になったり、関西ということでたこ焼きをたくさんつくってもらって振る舞ったり、先ほど達増知事からも県外のつながりということをおっしゃられましたけれども、少しずつ県外の学生とのつながりをふやしていっているというところです。こちらがたこ焼きの様子です。
私たちも、「つながり」や「コミュニティー」というあたりをキーワードにしながら普段から活動しているのですけれども、これは夏までの間に釜石市を中心として応急仮設住宅でのコミュニティー形成のため「お茶っこサロン」をしている風景です。
このような活動の流れとともに、実際私たちもいろいろなところで活動できたわけですけれども、一方では全国の学生の力を生かしたいということを思いました。学生を全国から迎えるためには、活動場所がなければいけないし、交通手段や来てからの宿泊拠点が課題です。岩手から遠ければ遠いほどその確保が難しいという現状がありましたので、私たちボランティアセンターのスタッフが中心となって、そういう環境をつくって、ぜひ全国から来て力を発揮してもらおうと考えで、いわてGINGA―NETプロジェクトという活動をさせていただきました。ここからは、それをまとめた5分ぐらいのDVDがありますので、そちらで活動の風景の様子をご覧いただきます。
(DVD視聴)
ということで、夏休みの2カ月間の間、全国から146大学、1,086名の学生が岩手を訪れてくれました。実際にそこで何かを感じて学んで、その1,086名はまた全国に戻って、地元でまたいろんなアクションを現在も起こしてくれています。帰った後の地域での学びに変わるという動きもつくり出せたことがよかったなと感じています。
次に私たちボランティアセンターが今回の活動に至ったプロセスについて、2004年からの流れを簡単にスライドを流します。時間が足りないのでかなり割愛させていただきますけれども、お配りした資料でご覧になっていただきたいと思います。
2008年に設立して2010年までの3年間で、毎年3回ずつ、災害ボランティアセンターの設立を意識したり、災害時の活動を意識した合宿を組んできました。そういったことが今回まさに生かされたというのがスタッフ全員が感じている実感です。
次はその活動を機に設立したNPOいわてGINGA―NETの紹介に移ります。

八重樫綾子
いわてGINGA―NETは今申請中で、来年に法人としての設立を目指しています。これまでの災害支援の活動や学生ボランティアセンターでの活動で自分たちが学んできたこと、得てきたことを今度は伝える側になっていく必要がある、そういう思いから、主に学生支援、地域防災、災害支援、まちづくりをテーマとしたNPOの立ち上げに現在動いております。
今後の動きとしては、こんどの年末年始にかけて、冬のプロジェクトが今動き出しています。年末年始にかけて全国から約50名の学生たちが滞在しながら沿岸で活動をしていきます。そのための準備も今行っております。
これは先日取材していただいた記事です。県内の5大学の学生たちにも声をかけて、大学を超えた学生間のネットワークづくりにも現在取り組んでいるところです。
このように全国の学生ボランティアの受け入れ、岩手の学生のコミュニティーづくり、さらに若者の人材育成という3点をまずは大きな事業として動かしていきたいというふうに思っております。
以上で学生ボランティアセンターと、NPOいわてGINGA―NETの紹介をさせていただきました。ありがとうございます。

高橋課長
では続いて、復興ガールズ*。

阿部夏美
それでは、復興ガールズ*の活動について説明させていただきます。
私たち復興ガールズ*は、岩手県立大学総合政策学部2年の女子学生9名で結成したグループです。リーダーである野中が東日本大震災後の被害状況を知り、何か支援をしたいと考え、同学部のメンバーに声をかけたことがグループ発足のきっかけです。
私たちの活動の目的は、被災地の仕事の復興の手助けをすることです。支援活動には、瓦れきの撤去や募金活動などもある中、なぜ被災地の職に焦点を当て活動をしてきたかというと、同年代の方が内定取り消しで苦しんでいる様子が身近に感じられたこと、また私たちの所属する学部が総合政策学部といって、1つのものをさまざまな視点で見ることができる力を養う学部なので、その力を生かして何かできることはないかと考えたからです。
本日のプレゼンテーションでは、(1)「銀座イベント」に向けた活動、(2)「銀座イベント」で扱った商品、(3)活動を振り返って、そして、その後についての大きく3つに分けて発表していきたいと思います。
まず初めに、銀座でのイベントに向けた活動についてお話しさせていただきます。被災地の仕事の手助けという目的のため、私たちは東京でのイベントを企画しました。被災地企業の商品をPRし、販売するという形での支援を目指しました。県外でイベントを行うことで、被災地域に住んでいる方々と被災されなかった地域にお住まいの方々をつなぐパイプ役のような存在になれればと考えてきました。
この企画は、結果的に仲のいい友人同士でスタートしました。そのため、販売をお手伝いさせていただく企業さんを見つけることから始めなければなりませんでした。そもそも企画というもの自体について経験がなかった私たちにとって、外部の方々との交渉はとても大変で、直接打ち合わせの際にはさまざまな面で自分たちの甘さを痛感しました。
企画の詳細を決めていく中で、私たちは沿岸に実際に伺うことを大切にしてきました。伺うには丸一日かかってしまいますが、自分たちで運転し、何度も足を運びました。やはり企業さんにとっては、仕事として商品を販売している以上、学生にイベントを任せるということには大きな不安があったことと思います。そこで、私たちは実際に各企業さんのもとへ足を運び、私たちの思いや考えを直接伝えることにこだわってきました。
外部協力団体の方々との交渉、打ち合わせももちろん大変でしたが、そのような仕事以外の部分も私たちの想像よりはるかに大変でした。運営主体としてやるからには、売上金の処理や集客のための宣伝、在庫の管理や発送という細かな仕事がたくさんありました。特に集客については、活動拠点とイベント場所が離れているため、不安も多く苦労しました。
実際に行った集客への活動としては、フェイスブック、ユーチューブでの情報発信やポスター、ビラづくりなどがあります。また、各種報道機関で取り上げていただくため、マスコミ各社にも自分たちで足を運びました。
私たちメンバーは仲のいい友達同士で集まったグループだったため、お互いを知っていて楽しくできるという利点はありました。しかし、仲がいいからこそ、正直に言えなかったり、気を使ってしまったりすることがありました。この活動は、あくまでも沿岸の方々のためにやりたいと思ったメンバーが集まり、さまざまな企業さんに協力を得ていることをメンバーで何度も確認しました。話し合いでは、お互いの考えを遠慮せずぶつけ合うことができました。その結果、今まで見えなかった部分が見えてきて、お互いを今まで以上に知り、自分とは異なる考えを持ったメンバーとも協力してやってこられました。
私たち復興ガールズ*のこの企画は、やり始めたときは自分たちだけでしたが、本当に多くの方々に支えられて成功することができました。東京銀座の銀河プラザでのイベントでは、2日間で何と70万円ほどの売り上げを残すことができ、アンテナショップの方々にも高く評価していただけました。大学の先生に相談した際に紹介していただいた手づくり村の佐々木さんを初め、たくさんの出会いの連続でした。また、私たちのことを全く知らない方々もフェイスブック上で応援してくださり、イベント当日にいらしてくださった方もいました。この企画を始めなければ絶対出会わなかった方々とお話しする機会が得られたことに感謝するとともに、いろいろな考え方や人とのつながりの大切さを学ぶことができ、メンバー全員が成長できたことをうれしく思います。
こちらは取り上げてくださったメディアの一覧です。県内のメディアのほか、NHK仙台放送局や毎日新聞、朝日新聞、読売新聞などの全国紙にも取り上げていただきました。
次に、銀座イベントで扱った商品についてです。陸前高田市の高田松原は津波で被災し、7万本あった松は1本を残し、倒れてしまいました。その倒れた松を使って、オリジナルキーホルダー「松光」をつくりました。この商品(投影画面)が松光という名前のキーホルダーです。この松光という名前には、松が残した復興の光という意味を込めています。商品企画やデザインを復興ガールズ*が担当し、麻製のケースも私たちが手づくりしています。
私たちは、被災地を訪問し、地元の方々や企業の方々と直接お話ししてきました。その積み重ねが東京を初め各地の人々に対して被災地の状況や思いを伝えることにつながりました。
2つ目は、宮古市にあるカレー屋さんのレトルトカレーです。
3つ目は、早野商店さんの食用ホオズキの商品と三陸のワカメです。大船渡出身のメンバーが地元のワカメを販売して応援したいと考えていましたが、震災の影響で販売体制が整わず断念してしまいました。しかし、三陸産ワカメ全体を忘れないようにしてほしいという話から、宮古のワカメを販売しました。さらには、ワカメの消費拡大が漁業の復興につながるように、ワカメを使った料理レシピを考え、1カ月にわたって毎日ウェブで紹介したり、レシピ集を配布したりしました。
4つ目は、三陸鉄道のグッズです。三陸鉄道は、沿岸のまちをつなぎ、地域の人の足として欠かせないものです。少しでもお手伝いできればなと思い、グッズを販売させていただきました。
5つ目は、盛岡手づくり村の三陸商品の詰め合わせです。
6つ目は、田野畑村にあるNPO法人ハックの家の商品である裂き織りのコースターです。このコースターは、私たち復興ガールズ*が海をイメージしてデザインしたものです。
次に、活動を振り返って、およびその後についてです。今回企画を進めていく中で、企業さんから多くのメッセージをいただきました。画面は、ハックの家さんからいただいた手紙です。「初めは、学生だけで行う企画と聞いてとても不安であったが、企画を進めていくうちに学生たちの復興に対する本気の気持ちが伝わり、今では本当に感謝している」という言葉をいただきました。カリー亭さんからも温かいメッセージをいただきました。
また、今回私たちの企画をきっかけに沿岸地域の2社のコラボ商品もつくることができました。このようなことから、私たちの活動を通じて、各企業さんには少しかもしれませんが、元気を届けることができたのではないかと思っています。
また、今までは沿岸地域の企業さんの6つの商品を販売していましたが、新たに声をかけていただいているものもあり、できる限り企業活動の支援に取り組んでいきたいと考えています。
これまで私たちの活動を通して前に踏み出す力や考え抜く力、チームで働く力などの社会人基礎力も成長しました。11月22日には仙台で、社会人基礎力育成グランプリ北海道・東北地区大会に参加し、みずから積極的に活動したことなどが認められ、1位を獲得してきました。来年2月には地区代表として全国大会に出場してきます。
画面は、銀座イベント後の活動です。県内を初め、トヨタ関連の東京でのイベントや関西でのイベントにも参加してきました。
明日、17日には、陸前高田市において私たちの活動報告や支援金贈呈式を兼ねた主催イベントも行ってまいります。
復興には、まだまだ長い時間がかかります。そのため、私たちは新しく後輩のメンバーを8人加え、現在16名で活動しています。今後も継続的に頑張っていきたいと思っています。ご清聴ありがとうございました。

高橋課長
両チームありがとうございました。
それぞれ持ち時間の中で説明していただいたわけですけれども、まずは知事さんから、ここのところちょっと聞きたいなどというようなところがありましたらばお願いいたします。

達増知事
報道は、華やかなところとか、にぎやかなところを報道するのですけれども、それぞれ大変なところとか苦労したところとかも直接聞くことができて、非常によくわかりました。
今回の大震災というのは、これだけの大きな被害や大きな犠牲が成熟した先進民主主義国で起きるというのは、世界史上初めてと言っていいような、人類が初めて経験すると言ってもいいようなことです。万単位の犠牲が出るような大災害というのは、発展途上国で起きた場合は、直すべき家も簡単な家であったり、そういう中で軍隊式に、があっと避難してもらい、また、があっと直したり、復旧、復興のプロセスが比較的単純だったりもするのですが、これだけ豊かで成熟した社会が一瞬にして破壊されたというところを復旧、復興させていくというのは非常に複雑なプロセスになります。ただ、被災地を取り囲む岩手内陸から、また日本全国、そこにすごく豊かな社会と豊かな経済があるということは、これは発展途上国での大災害にはないメリットでもあります。そうしたところをいかに生かしながら復旧、復興していくかというところ、行政限りではなかなかできないようなところを、それぞれ単純に分ければボラセンのほうは社会の力を引き出したり、あるいは連れてきたりしてくれて、また復興ガールズ*は経済の力を連れてきたり、引き出したりしてくれたなと。それぞれ行政ではなかなかうまくできないようなところを見事にやってもらったなと思います。
ボラセンは、災害ボランティアの訓練をしていたというのが偉いですね。すごいことだったと思います。先見の明ですね。行政のほうでも、岩手・宮城内陸地震のときに、緊急医療チームDMATの動きが混乱したなどの反省があって、その後遠野を後方支援基地にしながら釜石で大地震とか津波が起きたと想定して自衛隊や緊急防災機関を含めた訓練を1回やったことがあったので、それで今回は動きがかなり違ったというところがあり、やっぱり訓練はすごく大事だなと思います。
そういう訓練も過去の何もないところからスタートした復興ガールズ*は、ビジネスのシビアなお金を媒介にきちっと仕事をしていくという世界にうまく飛び込んだり、また連携したりして、うまく形にできたところがすごいと思います。そもそも企業とか会社とか民間の分野というのは、アイデアをぱっと速攻で形にしていくような力を持っているので、そういうところを引き出したのがすごくよかったと思います。
ということで、質問というよりも感心したことをまず言わなければと思って話をさせていただきました。

高橋課長
ありがとうございます。
浅石くん、ボラセンの訓練というのは、どのような必要性があって始めたのですか。

浅石裕司
私たちは、例えば西和賀町に泊まりがけで行って、雪かきのスノーバスターズなどをやらせてもらっているのですけれども、どこかに行って例えば1週間活動するという場合には活動の拠点や食糧の入手先、さらには入浴施設なども含めて地域資源の中から確保する必要があります。
岩手は広いので拠点となる場所を探しておくなど災害に備えるに当たって、生活の糧となる地域資源を把握しておくことも大事なのかなと思っていたわけです。

高橋課長
ボラセンの原点はどこにありましたか。

浅石裕司
ボラセンの原点は新潟県の中越沖地震のときですね。そのときは夏だったので私たちもテントを持っていって雑魚寝をして活動させてもらっていたのですけれども、全国から学生も一般の方もたくさんボランティアに来てすごく混乱したのです。そこで、私たちが受け付けて、ではあなたはここをお願いしますといういわゆるマッチングをさせてもらいました。それを大学でもやろうということになってボラセンの設立につながった次第です。

達増知事
阪神・淡路大震災のときに、あれが日本のボランティアの第一歩みたいに位置づけられていますが、すさまじく混乱していたのですよね。それが中越のころになると、阪神・淡路を大分参考にしつつも、しかし違う場所で起きるし、違う人が行くから戸惑ったりもする。そういうのに比べると今回のいわてGINGA―NETの取り組みは、すごくシステマチックにかちっとやられていて、これはすごいと思いますね。

浅石裕司
そこがやっぱりいろいろ苦労したところでもあるのですが。

達増知事
現場では、ああでもない、こうでもない、ああしなきゃ、こうしなきゃとかすごい議論をしながらやっていたわけですか。悩みながら。

八重樫綾子
そうですね。やっぱり完全にマニュアル化できない活動というのが余りにも多かったので、今日はどうしていこうかと日々組み立てていくのが一番苦労したところです。

高橋課長
八重樫さんは、8週間住田に泊まり込んだと聞いていますが。

八重樫綾子
はい。私は2カ月間ぐらい滞在しっ放しで、毎週200人の学生が入れかわりでやってくるので、いろんな対応を行っていました。

達増知事
答えは現場にあるという言葉があって、これは製造業、ものづくり産業でよく言われる言葉で、だから社長さんたちも常に工場の中を見て、そして改善をやっていかなければならないというあたりから広まった言葉なのですが、災害の場合も答えは現場にありで、被災者の皆さんが何を求めているのかということも地域によって違うし、人によって違うから、現場に行ってみないとわからない、実際動いてみないとわからないというところがありますね。それはなかなかマニュアルにはできなくて、また答えを探しながら手探りで、また働きかけなければわからない。間違いを犯さないと真実がわからないというようなところもあって、だから大変なのではありますが、そのプロセスをくじけず、めげずにやっていけば、さまざまなことが解決されていくのです。すべてが解決するわけではないけれども、さまざまなことが解決される。行政も、特に県だけでやるのではなく、市町村と一緒にやったり、また行政以外の主体と一緒にやるときは、コーディネーションの世界で、知事、部長、課長、現場の担当とラインで命令し、それに従うというラインで動くのではなくて、みんなで相談しながら、対等な関係の者同士で相談しながらやっていくと、そこはもう絶対に議論になり、苦悩を抱えながら仕事をすることになるわけです。しかし、そうでないところはきちんと対応できないというのが現実だし、そうやれば解決していくことがどんどん増えていくということですよね。その辺は同じなのだと思います。

高橋課長
さて、復興ガールズ*のほうは、企業さんといろいろやってきたわけですが、企業さんに指導されたこと、怒られたこと、どんなことがありましたか。

野中里菜
まず、私たちが企業さんの手助けを少しでもしたいという思いから、電話をかけて面会時間をいただき、企画書をつくって持っていったのですけれども、私たちがこうしたいという気持ちばかりで企画書をつくっていたので、相手の企業さん側には何が利点があるとかという部分が不十分で、「この企画に参加して私たちはどういう利点があるんですか」とか、自分たちが考えていなかったことを聞かれまして、もう一回企画書をつくってきてくださいと返された企業さんもありました。

達増知事
利益を出さなければならない、企業の存在理由は利益を出すことにあるから、そういうところから切りかえされたのでしょうね。

高橋課長
さっき説明してくれた商品をめぐって、何かやりとりはありましたか。例えばキーホルダーでは、スタヂオサボさんといろいろやりとりしたのですよね。

野中里菜
心のよりどころになるものを残したい、高田松原の松を使っていいものをつくりたいと思っていて、デザインは私たちが考えました。いろんな方に持ってもらおうと思ったので、4種類をデザインし、それぞれ意味を込めてネーミングしました。

高橋課長
今知事さんに見ていただいているのが、そのキーホルダーですね。

達増知事
キーホルダーとしてはちょっと変わっていますよね。どの辺に工夫の背景があるのでしょうか。

山火利紗
キーホルダーのデザインを私たちが考えたのですけれども、あちら(投影画面)で見ると一番右側と一番左側のキーホルダーには丸い円が3つずつ入っています。これは私たちが沿岸地域に赴いていろいろな人からの意見を聞いていた中で、今回の津波を引き起こしたのも海なのですが、沿岸地域の方々にとって海というのはすごく存在感が大きい、生活の糧にもなっているものでして、それでやっぱり沿岸地域とは切り離せないということから海をイメージしてデザインしました。左側のものは、波をイメージして線をかいて、海の泡と波をイメージしてつくりました。
右から2番目のものは、これは高田松原の松を使ってつくったキーホルダーなので、松の葉をイメージしたラインを入れ、その下のところに陸前高田市の「Takata」という文字を入れました。
4つめの隣の芽が生えているようなデザインでは、復興のF、アルファベットのFです。Fに、芽生えるような、これから芽が芽生えていくようにという願いも込めてデザインしました。

達増知事
キーホルダーというのは、長方形とか円形、楕円形が普通だと思うのですが、細長いのはなぜなのでしょうか。

山火利紗
これは、製作をお願いしているスタジオサボさんが普段扱っているキーホルダーがこういったスタイルのキーホルダーで、スタジオサボさんのこだわりでこういうデザインになっています。

達増知事
自信のデザインなんですな、専門家の。

高橋課長
今扱っている商品は幾つでしたか。

野中里菜
8団体の商品と、個人として2人の方の商品を扱っています。

高橋課長
これからもっと拡大するのですか。

野中里菜
そういう話をいただければ。ただ、私たちは沿岸地域のことを買われるお客様に対してしっかり説明したいので、私たちも実際に現地に出向いて商品を取り扱っていきたいというふうに考えておりました。

高橋課長
復興ガールズ*は、これからもっと幅広く活動していきたいという話ですが、もう一枚お配りしたペーパーはこれからの活動計画ですか。

野中里菜
そうです。来年度の向けての計画です。私たちは5月下旬に結成したグループで、東京を初めとして県内外に赴いて活動を行ってきたのですけれども、活動を行うときにフェイスブックを使って皆様に情報を発信していたところ、海外の方からも応援や頑張ってくださいという激励をいただいていて、今後できたら海外にも目を向けて企画を行っていけたらと考えております。

達増知事
フェイスブックは、今年はアラブの春というさまざまな政治運動や改革運動を引き起こしたのだけれども、こういう展開はフェイスブックからあるのですね。

高橋課長
ボラセンのほうは、情報提供・情報発信はどうやっているのですか。

早川陽
まず、いわてGINGA―NETプロジェクトに関しては、プロジェクトの公式ホームページをつくっているので、そちらで随時、活動の様子や次の活動について報告、発信していますし、ほかに私たち学生ボランティアセンターのブログがあり、そちらで書き込みをしながら活動記録もして、さらにそれが外への発信にもなっているというふうになっています。
私たちは、フェイスブックやツイッターで自分たちのアカウントをつくって発信ということはまだしていないので、そういうところは復興ガールズ*の取り組みも参考になるかなと今話を聞いていて思っています。

高橋課長
ボラセンの今後の展開として、近くは冬銀河……。

達増知事
冬銀河っていいですよね。

八重樫綾子
どれくらいの学生が集まるかなと正直不安でもあったのですけれども、全国に発信をしたところ、総勢約50名の学生たちが年末年始の大晦日も元旦もまたいでまた集まってきてくれています。仮設住宅にお住まいの自治会長さんから早速ご連絡をいただき、年明けのイベントをぜひGINGA―NETのメンバーでまたしてもらえないかというお話もいただいたので、ぜひそういった、現地でそれぞれその場で出たニーズにどんどん柔軟にこたえていけるような活動を年末年始に行きたいと思っています。

達増知事
お茶っこサロンというのは本当にいいと思いますよ。私も仮設住宅団地を何カ所も回っているのだけれども、コミュニティーを育て維持していくというのは並大抵のことではなくて、いろんな刺激やみんなで何かするきっかけづくりが大事で、それはすごく役立つと思います。さらには、学びの部屋とか学習支援とか、これはやっぱり学生の得意技でありましょうから、こういう自分たちの得意分野で活躍というのもいいですよね。

高橋課長
冬銀河ではおひとり暮らしの方と一緒に年越しをするのですか。

八重樫綾子
そのようなこともできたらいいなという構想の一つではあります。仮設住宅の中でもしかしたらおひとり暮らしの方、お一人で年越しをされる方がいるのではないかなということから、もし声をかけて、よかったらうちでとお声をかけていただけたら、お宅にお邪魔して年越しということもありかなと思っています。

達増知事
僕もこの間泊まってきたのだけれども、テレビはすごい立派な大きいテレビがあるし、みんなで何かやるという設備は、炊事の設備はきちんと整っているから、そういう年越しみたいなことは楽しくできると思いますね。本来であれば家族や親戚が集まるシーズンなので、そうする人たちもいるだろうけれども、したくてもできない人たちもいるだろうから、それはすごくいい企画だと思います。

浅石裕司
フィリピンに井戸掘りに行ったときに言われたことがあります。それは井戸掘ることだけならばお金を送ったほうが早いのです。ではどうして私たちが行くのかというと、あるNGOの方に「君たちは起爆剤だ」と、そう言われたことがあって、「そこに君たちが行くことで特別な空間が生まれて、人々が集まってきて、気づいたら地域のコミュニティーが生まれる」と。私たちは現地にずっといられないのですけれども、その発想と同じところがあるのかなと思って、私たちもきっかけづくりのお手伝いになるのかなと思っていました。

達増知事
いろんなやる気につながるのですよね、そこの人たちの。外から来てくれたことで現地の人も動くし、帰った後でも、あのとき来てくれたなというのは何年もずっと先まで残りますから、そういう意味でどんどん積極的に入れば入るほど、またつながりをつくればつくるほどそれは成果になると思います。

高橋課長
復興ガールズ*も自分たちが動いたことによって、沿岸の企業さんが元気になってくれたのかな。

野中里菜
そういうようなメッセージをいただいたり、イベントを行うたびに私たちは報告のお電話を企業さんにそれぞれしているのですけれども、喜んでくださったり、今後も頑張ってほしいなどといわれます。

高橋課長
さて、終了予定時間の4時がだんだん近づいてきました。きょうは、出席している12人の学生全員に発言してもらおうと思っていたのですが、残りの時間ではどうもできそうにありません。ごめんなさい。残りの時間で、発言していない方を中心にこれだけは言いたいということがあったらお願いします。米沢さん、ありそうだね。

米沢あゆみ
やっぱり復興というのは何年もかかっていくことなので、次は後輩につなげられるようにみんなで頑張っていきたいと思います。

高橋課長
ボーイズも入ったのですよね。

米沢あゆみ
はい。名前をどうしようかと考え中です。

高橋課長
ボラセンチーム。

堀籠恵利
私自身も実家が宮城県で被災している地域なのですけれども、今ここの岩手県に来て岩手でも同じ状況があって、地元でも同じ状況があって、私が宮城県だから宮城県の支援とかではなくて、みんなで東北が一丸となって支援を続けていける体制があればもっと強くなれるのかなと思うので、私も1つだけでも、ちっちゃいことからでもまた復興支援を続けていきたいなと思っています。

知事所感

高橋課長
さて、皆さんからいろいろお話を聞いてきましたけれども、だんだん終わりの時間が近づいてきました。では、最後に知事さんから感想をお願いします。

達増知事
私も今日皆さんの話を聞いてやる気が出てきました。知事をやる気にさせるくらいですから、被災地の人たちもいろいろやる気になると思います。そういう心を動かしていくというのは、本来は政治や行政の究極目標は心を動かしてみずからいろいろやってもらうというところにあるわけですが、なかなか容易なことではありません。けれども、皆さんはもうそれが既にできているし、これからもできると思うので、ぜひぜひこの調子で頑張ってほしいと思います。先生方の指導のたまものというところもあると思いますので、先生方もこの調子で頑張ってください。今日はありがとうございました。

高橋課長
知事さんには、学生並びに本学に対しても激励のお言葉をいただきましてありがとうございました。

閉会

高橋課長
学生の皆さんも、いろいろ貴重なお話をありがとうございました。
閉会の前に1つお知らせがございます。本学は、今夜、学生が主催するイベント、夢灯りが行われております。イルミネーションをともしながら活動の発表や展示、それから模擬店などもやっています。ボラセンもやるんですよね。

堀籠恵利
そうですね。学生がつくったポストカードを販売して、またそのお金をフィリピンの支援にします。

高橋課長
そういうようなイベントが今日これから行われます。
それから、今日は、知事さんを歓迎して、イルミネーションを若干早く点灯します。この時間から点灯を始めますので、お帰りの際に皆様眺めていただければ幸いでございます。
以上、インフォメーションでございました。
では、これをもちまして県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終了いたします。ありがとうございました。

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