「がんばろう!岩手」意見交換会(平成24年1月12日 大船渡市)

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ページ番号1000902  更新日 平成31年2月20日

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写真:懇談会の様子1

日時

平成24年1月12日(木曜日)

場所

大船渡地区合同庁舎

出席者

  • 参加者(敬称略)
    及川雄右(株式会社丸森代表取締役、大船渡地区飲食店組合組合長)
    小川廣文(株式会社小川代表取締役、椿の里・大船渡ガイドの会会長)
    熊谷節子(綾里漁業協同組合女性部部長)
    毛利勝子(大船渡商工会議所女性会副会長、株式会社毛利常務取締役)
  • 県側
    達増知事
    水野沿岸広域振興局副会長
    稲葉秘書広報室長

開会

水野副局長
おはようございます。ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催いたします。
皆様には御多忙のところ御出席いただきましてありがとうございます。私、本日の進行を務めさせていただきます沿岸広域振興局の水野でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

知事あいさつ

水野副局長
それでは、開会に当たりまして知事からごあいさつを申し上げます。

達増知事
皆様、おはようございます。県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会ということで御参集いただきました。お忙しいところお集まりいただきましてありがとうございます。
私は、今年仕事始め、先週の水、木、金で、今週に入って火、水、木と、6日間のうち5日間は沿岸のほうに来ておりまして、県庁にいる時間よりも沿岸にいる時間のほうが長いという仕事のスタートでありまして、1年の最初から復興というビジョンに全県挙げて取り組んでいくという復興元年だということを県民みんなが共有していくためにも、まず沿岸のほうでさまざま発信していこうということでこの企画をしたものでございます。昨日が11日で、大震災から10カ月、この大船渡の地においても大勢の方が犠牲になり、また大変大きな被害があったこと、改めてお悔やみ、お見舞いを申し上げます。そして、10カ月、一日、一日、被災者の皆さんの支援、そして復旧、さらに復興に向けての動きがあった中で、県の復興計画で3つの要素、3つの計画、安全の確保、暮らしの再建、そしてなりわいの再生という、安全と暮らしと仕事という3つのポイントで復興計画をつくりましたが、なりわいの再生ということに関して大変英雄的な御尽力をされている方、またそれぞれの分野でリーダーシップを発揮されている方に今回お集まりをいただいたわけであります。去年はどうしても被災者支援、また応急的な復旧ということが多かったわけでありますが、今年はさらにそこから復興ということに力強く進んでいく最初の年にしなければならないと思いますので、皆様方の御意見を参考にしながらしっかり取り組んでいきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

水野副局長
ありがとうございました。
それでは、本日御出席の皆様を御紹介いたします。
株式会社丸森代表取締役、及川雄右様でございます。

及川雄右
よろしくお願いいたします。

水野副局長
株式会社小川代表取締役、小川廣文様でございます。

小川廣文
よろしくお願いします。

水野副局長
綾里漁業協同組合女性部部長、熊谷節子様でございます。

熊谷節子
よろしくお願いいたします。

水野副局長
大船渡商工会議所女性会副会頭、毛利勝子様でございます。

毛利勝子
よろしくお願いいたします。

水野副局長
県からの出席者を御紹介いたします。
達増知事でございます。

達増知事
よろしくお願いいたします。

水野副局長
稲葉秘書広報室長でございます。

稲葉室長
よろしくお願いいたします。

水野副局長
また、本日は大船渡市の金野副市長様にもお越しいただいております。ありがとうございます。

金野大船渡市副市長
よろしくお願いいたします。

懇談

写真:懇談会の様子2

水野副局長
それでは、早速ですけれども、懇談に入らせていただきます。
懇談は皆様から2回程度に分けてお話しをいただきますので、よろしくお願いいたします。最初に、自己紹介を兼ねまして、お一人5分くらいで、今皆様が復興に向けて取り組まれていること、あるいは大切にしていることなどをお話しいただければと思います。
それでは、名簿順に及川様からよろしくお願いいたします。

及川雄右
私は、大船渡町でホテル業をしております及川と申します。よろしくお願いします。一昨年大船渡の飲食店組合というのがありまして、その役員改選のときに今まで長年続いていた役員を人心一新して若返りを図ろうということで大船渡地区飲食店組合長ということでスタートさせていただきました。
その中で、組合として何か事業をしなければならないだろうということをずっと思っていたのですけれども、それがなかなかできず経過しているわけなので、何とかこれを適宜組合として事業を進めようということで、その最初として、知事も推奨しておりました地産地消弁当だったり、あとはやっぱり地場産品を何とかPRということで、大船渡をPRしたいということで、サンマを使ったご当地バーガーだったり、1年間そういうことに取り組んでいて、さあいよいよ昨年の4月、5月ぐらいから組合加盟店で販売しようと、スタートを切る直前に今回の大震災ということで計画が頓挫してしまったという経緯があります。その後、組合として何か加盟店の救済策をということで、やっぱり1店舗、1店舗が津波で全部失われてしまったものですので、それぞれが融資を受けて、それぞれの事業展開するのは本当に厳しいという状況だったので、そういう、元々は救済策ということで進めてきたのですが、ちっちゃい店舗で一番経費のかからないような店舗でスタートさせようということで組合のほうでいろいろ検討した結果、それだったら小さいお店の集合体のようにして、屋台村をつくろうという発想がスタートです。なんとか、瓦れきの大船渡の街に明かりをともしたいとか、そういうちっちゃい店を集合体にして、大船渡を元気にしたいという意味で、そこから屋台村というものをスタートさせてきました。飲食業界から大船渡を元気にという言葉を合言葉にして、組合としてスタートしたのですけれども、やっぱりこっち側と行政との、まだまだ考え方のずれだったり、時間の経過だったりというものがあったので、最終的にはそれぞれが店舗をバラバラに構えるという状況にあったのですが、なんとか、飲食店組合という枠を外して、その屋台村というもので一緒に頑張りたいという人たちを集めて、最終的には20店舗で構成しております。
何で屋台村なのかというと、屋台村と言っても私たち全く知らないもので、いろんな各地の屋台村を視察して勉強して、その中で一番コミュニケーションのとりやすい形態は屋台村ということで、例えば帯広の北の屋台なんかでは毎晩のように市長さんが屋台村を訪れたり、行政の方も来て市民とコミュニケーションをとって酒を酌み交わしながら意見交換をしたり、本音で話したり、またそこからまちづくりのヒントを得られるのかなというふうに感じるので、こういうふうに行政の方々に来ていただいて、本音で話し合えるような、そういった屋台村にしたいというふうに思っています。活動としてはそういう状況です。

水野副局長
ありがとうございます。
続きまして、小川さんよろしくお願いします。

小川廣文
株式会社小川の小川と申します。よろしくお願いします。皆さんにいっている意見交換会のプロフィールの中には椿の里・大船渡ガイドの会という名前のほうが出ていますので、そちらのほうからお話しさせていただきますと、2年ほど前に椿サミットを目標にガイドの会を立ち上げるようにということで、ガイドの勉強会を重ねていきながら25名のメンバーでガイドの会というのをつくっております。それは主に椿サミット、また観光振興に何らかのお手伝いができるのではないかなということで立ち上げておったのですが、震災の関係で椿サミットも中止というふうになったので、今度はそれを一般の方々に向けるということで今取り組んでいる最中です。今日東海新報さんに1月1日のイベントをカラーで載せていただいておりますので、見ていただければありがたいなというふうに思います。それもさんりく基金の助成をいただいてやらせていただいたものであります。
また、私どもの碁石海岸レストハウスというものを9年ほど前から担当させていただいているわけなのですけれども、非常にお客様が不足で大変苦労しておったのですけれども、さまざまなアイデアを提出することによって、旅行会社の方々がこちらを向いていただいたということで少し元気になってきたのですけど、3月11日に岡山のお客様方40人ほどのお昼を出して、そのあとにこちら(県合同庁舎)にお邪魔しまして、「さんまらーめん」のポスターのことを計画、打ち合わせをさせていただいて、その後、2時に私はここを出まして、花巻のほうに移動したときに地震が来ました。ということで、「さんまらーめん」のポスターもできないでおったのですけれども、何とかつくっていただいて、今現状11社で始めたのですけれども、6社が営業させていただいているという状況です。
震災のときに、私ども碁石海岸レストハウスは、建物自体は大丈夫だったのですけれども、本社、工場等が……沿岸部の……、木工団地のところにありましたので、丸太が入って事務所が全壊という形になったり、工場は流失してしまいまして、なくなってしまったということでおりましたけれども、元気なくてもしようがないということで、何かやらなければいけないということで、周りの方々に聞いてみたら、まず食べ物がないということだったものですから、お店にあったものを何か出したいなということで、末崎町に限ってなのですが、うちにあったものをまとめて、被災の、市役所から入ってくる情報で、(避難所に)何人入っているというのが分かりましたので、分けて配布したということがありました。それが講じていろんなイベントをやっていく中で、あの時もらったとか、あの時こんなことをしてくれたなとか、そんなような話がいっぱい聞かれまして、いろんなイベントには多くの方々が参加していただくという形にはなりました。
ガイドの会ですけども、ただ何もしないわけにいかないので、市内の方々にも何か元気になっていただきたい、また元気を出すのは市内の方もそうなのですけれども、観光客が来なければ何にもならない。この被災の現場を形に何か残すなり、記録をするなり、それからモニュメントするなり、何かの形に残して、これをよその方々に、今度はより、私たちは苦しいのですけれども、いい実験材料だったり、いい経験を皆さんにお話しすることによって、それが次の起きるだろうと思われる次の震災時に役立てていただくような工夫をしようではないかということで、今いろいろ勉強させていただいております。そんなことを復興に向けてというか、今やっていることを次につなげるように形につなげたいなということで思っております。5分くらいになると思いますのでやめますが、それと「さんまらーめん」も順調に今進んでおりますので、ぜひお願いいたします。

水野副局長
ありがとうございます。
続きまして、熊谷さんよろしくお願いいたします。

熊谷節子
綾里漁協女性部の熊谷です。よろしくお願いいたします。綾里漁協では、被災当初は組合員の安否確認、漁船、養殖施設、家屋等の被災状況の確認作業を行い、保険金の支払い手続き等、所定の事務処理を行いながら、組合員の生産手段である漁具や漁船、養殖施設等の確保への取り組みを、補助事業の導入により最優先に行ってきました。また、組合の震災対応や業務の取り扱い内容を、組合員に周知するために「JFりょうりだより」を発行し、全組合員に配布しました。さらには、直接組合員からの要望や意見を聞くために部落座談会を開催しました。現在、漁船、漁具の取得にかかる補助事業については、県や市との連絡を密にして、組合員に必要な情報を迅速に提供して対応しています。
被災前の状態まで、復興するには相当の年月を要すると思われますが、今後は組合員とのコミュニケーションをこれまで以上に密にして、一日も早く活気あふれる漁村を取り戻したいと願っています。
綾里漁協女性部としては、直接復興支援となるような活動はしていませんが、漁協で開催した購買品の展示会の際、来場者や出展業者に「さけ汁」をふるまい、ささやかではありますが、復興の景気づけを行いました。これからは、浜の母ちゃんの元気を復興に活かすような活動できたらと考えております。
以上です。

水野副局長
ありがとうございました。
続きまして、毛利さん。

毛利勝子
大船渡商工会議所女性会副会長をしております毛利です。私自身は株式会社毛利で今は震災前はしばらく会社には出てなかったのですが、被災してから会社に出て朝から働いております。それで、女性会は皆さんの安否確認のために、被災してから皆さんで集まりました。それで、大体100人近いメンバーがいるのですけれども、その半分以上が皆さん被災してまして、それでも亡くなられた方は1名だけだったのです。それで、皆さんで安否確認して、よかった、よかったということで、それで女性会としては半分以上の皆さんが被災していましたので、それぞれの復興が大変なもので、女性会に来て、皆さんと一緒にして何かやりたいというところまでまだいってないのです。それで、女性会に、商工会議所女性会太鼓というのがありまして、一部若い人たちが太鼓メンバーになっていまして、それで復興に向けて、まず太鼓で皆さんで元気づけましょうということで、いろんなイベントがありまして、朝市とか、あと先ほど話しました碁石さんの1日の初日の出のそれに行って太鼓たたいたりいろいろしました。それで、太鼓というのは皆さん元気づけられて、本当にいいものだねと皆さんには言われました。太鼓のメンバーと、それからあとは女性会の人たちの太鼓の人たちだけでは大変だということでお手伝いもらったりもしています。
それから、女性会の取り組みといたしましては、太鼓は別として、被災前は映画とかそういうのもやっていたのです、リアスホールで。それで、今後またそういうのをやりたいなと、それは皆さんに無料でしていただいて、何かいい映画があったらば取り組みたいというようなことも考えております。
それから、あと北上、花巻、ここら辺の女性会の人たち、盛岡とか、皆さんに応援いただいていろいろと元気づけられて、あちこちに行って皆さんとお話をしたり、コミュニケーションをとっております。私の会社では、ほとんどと言ってもいいぐらい魚市場前なので、海のすぐ前なので、被災してしまったのですけれども、でも三つあったうちの一つだけはまあまあ残っていまして、そこをベニヤ張ったりなんかして、急遽皆さんに食材を届けなければならないということで、被災して間もなく、3月11日に被災しまして、3月の末ぐらいには冷蔵庫のものを全部出しまして、それ45号線沿いのある一画で皆さんに安く……。タダでやってもよかったのですけれども、タダでやればいろんなことが起きるので、では安く、それこそ1,000円のものは100円とかというような具合で皆さんに提供しました。そうしたら、食べ物が皆さんなかったもので、それはすごく皆さんに感謝されました。冷凍庫なもので、魚類が入っていたものでね。それでも、被災してない分だけなもので、ほんの少しだったのですけれども、それでもまず喜ばれました。今は会社でまだ、これから3月ぐらいまでに復興するため、復興というのは、建物を建てるのにいろんな補助金とかもいただいているのですけれども、3月ぐらいまでに建物に手をかけないと、それが無駄になるということで、それでとにかく早くやりたいと思っていてもなかなか道路状況というのですか、かさ上げとか、そういうのがはっきりしてないのでなかなか手がけられないということもあります。でも、今の時点ではまずまず皆さんに食材を届けたりなんかしながら、まずやっています。

水野副局長
ありがとうございます。
4人の方にお話ししていただきました。知事…

達増知事
それぞれの団体が大震災前からさまざまな地域振興にしっかり取り組んでおられて、そういう実績に基づいて大震災後も非常に力強く対応されてきたなということがよくわかりました。復興というのは壊れたものを直していくというのも大事なのですけれども、復興の「興」は地域振興、産業振興の「興」で、そういう地域振興、産業振興の部分で、上向きの取り組み、流れ、そういうのを復活させることが復興ということだと思っておりまして、ただ設備、施設を直していくだけではなく、岩手地産地消弁当とかの取り組みもそうですし、「さんまらーめん」の取り組みもそうですし、漁協女性部、商工会女性会の活発な活動を復活させていくような復興というのを目指すべきなのだなと改めて思いました。
なお、屋台村の有限責任事業組合の仕組みとか、大震災以前になかったような新しい大震災対応のための独特の取組みを編み出しているというところも、それは大変すばらしいことだと思っていまして、そういう、ただもとに戻すというだけではなく、大震災で対応したさまざまな新しい取り組みも通じながら以前の地域振興、産業振興を回復していこうというふうにすればいいのではないかというふうに思いました。

水野副局長
ありがとうございます。
それでは、続きまして、最後ですね、お一人5分ぐらいで日々の活動の中で困っていらっしゃることとか、あるいはまた今後復興に向けて、今後取り組んでいきたいと思っていることなどをお話しいただければと思います。
また及川さんから。

及川雄右
今知事言われたように、やはり本当の意味での復興というのはもともとあった町に戻すということではなくて、もともとあった街をもっと魅力的な街にするということが本当の意味での復興だというふうに私たち思っていて、その中で大船渡は漁業だったり、農業だったり、商工業だったり、観光だったりということで、魅力のあるまちづくりにできる可能性というのがいっぱい秘めているというふうに常々感じていまして、大船渡屋台村の役割はその中で何なのかということを、店主みんなが明確にして今、一つの方向性に向かっているところですが、要はそれぞれの分野で頑張っている人たちが、そこには明かりは灯りますけれども、常に感じているのが電柱は立っているのですけれども、そこに街灯がないということで、そこまで行くのにやっぱり夜は歩いて行けない状態。暗くて歩けない。結局車で行くしかないということで、そういう日々の不都合な点を感じているところなので、そういったところの整備っていうのもやっていただきたいなと思っております。
それから、やっぱりあとは大船渡市のグランドデザインというのですか、そういったものをはっきり市民の方々に早く示さないと、結局ばらばらな状態でそれぞれがそれぞれやってしまうと。そうすると、なんとなく統一感のない、魅力的と感じられないような街に最終的になってしまって、そういった絵をきちんと市民の方々に見せて、大船渡市はこういうふうにしたいのだとか、どういうふうになりたいんだとかということの、その辺は市と県と国で連携をとりながら、やっぱりスピード感を持ってそういうグランドデザインとか、市の将来像を形として見せることが。そうしないといいも悪いも結局出ないまま進められるというもので、そこをきちんとコミュニケーションとれるようなところを。まあ、その場を屋台村にしてもらって、意見交換とか本音で話をしてもらえばいいかなというふうに思っています。グランドデザインというか、こういうまちづくりがいいんだというふうなことを、例えばそれぞれの各分野の精通した人を中心にして、やっぱり客観的に見られる外部アドバイザー的な方を動員するとか、そういうふうなことをして、地元ではなくて外から見た客観的な意見を取り入れながら大船渡市をつくっていってほしいなと思います。屋台村に関しても、私たち地元の人間だけでやったのでは、やっぱり外のところが見えないので、屋台村にも外部アドバイザーが入って、いろいろ全国のいろんな先進地やいいところをアドバイスしてもらって、屋台村として小さなコミュニティーというか、自治会組織もつくって村長さんがいたり、副村長さんがいたり、民生委員さんがいたりということで、小さなまちづくりということで今進めています。外部アドバイザー的な人がいれば、もっともっと魅力のある、客観的に見てもらうようなことができるのかなというふうに思っています。そういうのがあればなというふうに思います。

達増知事
外部アドバイザーといえば藻谷浩介さん、政策投資銀行の、あの人が多分日本で一番被災地の市町村、青森から福島に至る千葉のほうもかな、全部きちんと見ていて、大震災前から地域振興の達人なので、県の復興計画の専門委員になってもらっていますので、フォローアップを今このくらいまで来ているよというのを見てもらいながら、また広くあちこちも見ていられるから、そういうのを整理してもらってアドバイスというのを藻谷さんにお願いしたほうがいいですね。

水野副局長
ありがとうございました。
続きまして、小川さん。

小川廣文
私が担当しているのは観光に関することが多いわけですけれども、どうしても観光というと世界遺産というものがあって、世界遺産イコール平泉と。平泉だけは非常に元気なのですけれども、あとは平泉を見ながら指をくわえているという状況があるので、その辺を何とかしたいものだなというふうに思っているのですが、やはり平泉から見える全県、平泉から見える県気仙地域というものをもう一回見直しする必要があったり、平泉と気仙地区の金山というのは切れないものだろうというふうに思いますので、金山を使った何かしらのアピールをできたり、要は具体的には金山というものを使ったり、三陸観光、気仙観光というこういうことを考えると、やはり元気出そうといっても、元気に出しているのはお客さんだけで、住民は元気ない。何かというと、それは外貨を稼ぐという行為をしなければだめだというふうに思います。例えば漁協で魚をとったと。とったらば市場で魚が揚がったと。そうすると、我々がお客さんにお昼を提供できる、御飯を提供できる、じゃあ、泊まるところがあるのか、というふうにつながると思うのです。これがなかなかうまくいってない。あれどこだっけ、あれどこだっけとつながりがないということになると、頑張っているのだけれども、肩透かしにあってるというような風向きもあるので、それがつながっていくような形の観光というものをとった場合にはそれが必要ではないかなというふうに思います。さまざまなパンフレット等、岩手県全体のパンフレットを見ていますと、気仙ということが非常に小さくしか載ってなかったり、もしかすると忘れているのかなと思う状況もありますので、その辺をもうちょっとアピールしたような状況がこの三陸に必要なのではないかなというふうに思っています。
地元が元気になるというのはいろんな方法あろうかと思いますけれども、市のほうで、県のほうでこういう形にしたいというのがはっきり見えてきて、そしてそれに我々がどんな形で応援できるかということもありますけれども、やはり一番早くとっかかりができるのは、この震災を利用するということだったり、この震災を……、私どもガイドの会としてもお客様が来られたときにはこの震災を利用してくださいという話をしています。利用しないと同じことが起きる。過去にもいろんなデータがあって、その過去のデータを見ているとわかるのだけれども、時間がたつとどんどん忘れてしまうから、何らかの形をとって過去を利用すると。それから、未来を選ぶということを、前に戻すのではなくて、新たなものをつくっていくということがやはり大事だと思うので、その新たなものというときにやはり外貨というものが非常に大事なものではないかなと。それには、やはり観光というのはいっぱいお金が落ちると思いますし、やり方によってはどんなサービスが出てくるかわからないし、地元が元気になるということは、やはり労働力が、職場があるということだったり、国の政策がどうのこうのという意味ではないのですが、労働力がある。そして、そこにお客様が入っても安心できるとか、安全だとかということが提供できるような形があるのではないかなと。そうすると、やはり手っ取り早くやるのは……、手っ取り早くという言い方がいいかどうかわかりませんが、手っ取り早いのは、やはり観光に目を向けていち早くやっていくと。たまたま平泉が今脚光を浴びているわけですから、道路網の整備だったり、観光網の整備だったり、デザインの整備だったりというものは机の上でもできることがいっぱいあると思うので、そのことがどんどん進められてくると、非常に我々はありがたいかなと、希望が持てるのではないかなというふうに思っています。
そういった意味では、働くとお金が動くわけで、お金が動くと人が動くわけで、そうすると優秀な人材を地元にどんどん呼び寄せることができると。人が言っているということになると、どういう人が言っているかというと優秀な人材だけが外に出て行ってしまって、そうでない人だけが中でじっと我慢していると、我慢しているのは、辛抱強いという言い方をすればそうなのですけれども、案外、何やっていいかわからなくて我慢しているということだと思うので、こういうことやれる、こういうことをやれるというのを提案を我々も考え合わせながら、やはり広く見られている方々にそういった提案をしていただくと希望が持てるというか、夢が持てる、そんなことができるような気がしております。そんなことができると、やはり水産、漁業、加工、そうすると加工を使った観光というものがでてきたり、どんどん広がってくるものがあると思うので、そんなところに早く手をかけられる。時間も許しながらでしょうけれども、やはり早く手をつけられることによって、何か元気になったように見えると。元気になるのは栄養剤ではなくて活力の元気であると思うので、それを一つの、余り難しくない方法でできるのは観光ではないかなというふうに思うので、知事さんもいろんなところで観光振興の話はされているように新聞等で見ているのですけれども、もう一度この気仙地区を見直していただいて、新たなものを提案していただければ非常にありがたいかなと思っております。

達増知事
せっかく大船渡市とか、陸前高田市とか、住田町とかという地名もかなり全国的に知られて、あと「頑張っぺし」という言葉もかなり広く知られるようになっていますし、情報発信していくべき時なのだと思います、金山のお話とか、そういう歴史の話とか。観光もいろんな観光商品づくりとか、そういうDC(デスティネーションキャンペーン)なりのオーソドックスな手堅い準備は進めているのですけれども、プラスアルファ県外広報とかとあわせて情報発信の方が、岩手の近代化以降は最大の情報の発信になるでしょうから、県も頑張っていきたいと思います。

水野副局長
続きまして、熊谷さんよろしくお願いします。

熊谷節子
綾里漁協女性部のことでは、今まで活動の中で困ったなという部分はありませんでした、震災前は。それで、私たちは漁協の傘下団体ですので、役職員の皆さんの御支援、御指導いただきながら活動してまいりましたので、本当に何もなかったのですけれども、この震災によって仮設に入っている方々がたくさんありますので、こんなことやりましょう、あんなことやりましょうというとき、お話がなかなか出しにくいような状態です。
それから、津波で亡くなった女性部員もいますし、あとは高齢化になっておりますので、一番これからの組織の問題ですね、年々、女性部員が減ってきましたので、これはやむを得ないのかなと思っておりますが、ただ私たちは女性部の部員数をなくしたくないと思って、二、三年前には歳とってきたからとても作業にも出かけられないし、やめたいという申し出が連鎖的に出てきたのです。それで、これではだめだなと思って、事務局さんと2人で家庭訪問しました。そして、作業には出なくてもいいから、会費制だけでもお願いしたいのですがとお話ししたら快く受けていただいて、それだったらいいですという答えでした。それで、まず余り大きな減少はないのですけれども、現在は組合員が475人のうち部員が415名で87.4%入っております。それで、気仙管内ではまず良いほうではないかなと思っていますけれども。
もう一つですね、この震災を機会に冠婚葬祭の簡素化をしたいなと、このチャンスを狙ってやりたいなと思って、これからOBの部長さん方と相談して、役員の方とは相談しましたけれども、OBの会長さん方と相談して、綾里の復興委員会に提言したいなと思っております。やはり簡素化しないと経済的にも大変なんですね。それが、もともと大船渡市でもやはりみんなで話し合っているのだけれども、ここからこうしましょうということが今まではできなかったのです。だから、この震災を機会に何とか簡素化を進めていきたいと思っております。以上です。

達増知事
漁協を中核とした復旧というのを岩手県としては漁業の復興の基本にしていまして、漁協を核とした復旧というのは、これは国の復興構想会議のほうでは路線対立というのがあって、この際漁協以外の大企業などがどんどん参入する復旧を進めるべきだという意見と、やっぱり困ったときはまず漁協の中で助け合い、そして全国の漁協の県漁連、全漁連の中で、系統でどんどん支援していくのをまず基本にすべきだという、その2種類の考え方があって、岩手からは岩手の実態考えれば漁協の中で助け合い、漁協同士のつながりの中で復旧を進めていくのが現実的だからそうさせてもらいたいということを強く主張して、国の方針の中では両方盛り込まれることになったのですね。宮城県のほうでは、既に遠洋漁業をどんどんやりたい企業とか、あと、でっかい水産加工工場とか、そういう大企業が地域漁業の中で大きい役割を占めているようなところが宮城県にはあるので、そういう大企業をどんどんさらに呼び込もうというほうがいいと思えば、それをやればいいと。岩手はそういう実態はありませんので、漁協が中心になって復旧、復興を進めていくと。それを県も支援するという仕組みにしたのです。それは漁協にとっては実は楽ではない話で、漁船を集めたりとか、漁具を直したりとかというのも漁協ごとにやっていかなければならないから、すごく大変なことを実はやってもらっていると思っていて、本当にそこは今まで10カ月大変だったと思いますが、これからも来年度に向け、その労をねぎらいたいと思うのですが、でも今の話の中で、大震災前にやってなかったようなことを取り組んだりとか、また特に女性部がいろんな漁協の中での役割をどんどん積極的にいろんなことをやっていこうというのは、すごくこれは心強いなと思いました。やはり岩手の漁協もより強くなっていかなければならないし、より経営力を高めて、よりまた漁業の経営力もですけれども、地域経営もそうですね、地域の福祉とか、地域振興そのものにも漁協がやっぱり中心になってやっていく力は強めていかなければならないという局面ですので、そこを県としても支援していきたいと思いますので、頑張ってください。

水野副局長
では、毛利さん。

毛利勝子
皆さんのお話を聞いているとかなりいいお話でして、それで商工会議所女性会というのは商店の奥様たち、会社の奥様たちの集まりでして、それでそれの内助の功と言ってはちょっとあれなのですけれども、そういうような感じなのです。それで、私たち商工会議所女性部というのは、ではこれからどうしたらいいかなということを皆さんで考えているのですけれども、とりあえずはまず、先ほども話したのですけれども、自分の家、会社、そういうのを立て直しして、それからでないと何もできないのではないかなというような話なのです、今のところは。でも、女性会はやっぱり何かしなくてはならないということで今のところは考えていることなのです。まだこれをやりますというようなことまではいってないのです。例えば何かするにあたっても、県のほうとか、国のほうからこのぐらいのお金が来るのですけれども、それはどうやって使ったらいいかという話になるのです。それは、ではこうこう、私たちが使いたいという方向性のものには使えないようなお金が結構あるのです。では、それはどうやったらいいか、そういうのもいろいろと考えています。だから、講演会をやったらいいか、それともそういうのにはじゃんじゃん使っていいと言うし、ではもっと私たち自身がいろんなことをやりたいといったものにはなかなか使えないとか、難しいお金が結構今あるのです。だから、そういうのはもうちょっと幅を広げて自由にこういうふうな、例えば先ほど言いましたのですけれども、ああいうのがやりたいとなれば、ではそういうのにもじゃんじゃん使って、では市民の方にストレス解消とか、そういうのに良いのではないですかとか、何か幅を広げて考えていただきたいと思うのです。
それから、私たちの太鼓のことなのですけれども、太鼓も今は被災してしまって、太鼓自身は今、古い太鼓を洗ったりなんかして、張り直しして、そしてやっています。それで、浅野太鼓さんというところが私たちのところの太鼓なのですけれども、その方から3台とか出してもらったり、あとは地区の公民館で被災した太鼓がありまして、それを直したりなんかして、それをやっています。それとあと練習場所が全然ないもので、商工会議所でやっていたのですけれども、商工会議所が被災してしまったもので、どこもやるところがなくて、今のところはお願いして長安寺太鼓さんの道場に行ってやっていますけれども、それもいつまでもお願いするわけにもいかないし、商工会議所さんはこれからどこに建つのかもちょっと私たちはわかっていませんので、とにかく状況がどのようになっているかというのがほとんど把握になっていませんので、それらも明確に出てくるといろいろとやることも考えられると思います。あとは地元になれば市場とか、そういうところがどのようにこれからかさ上げとか、そういうのも、どのようになっていくか、どのような方向性で進んでいくかということが……、でもあそこら辺は仮設の商店で加工場とか、出荷屋さんとか、そういうのがいっぱい来ています。でも、それなりになるのか、それともうちではあそこは建て替えしたいと思っているのですけれども、だけれどもあそこのかさ上げはどのようになるか、市場がどのぐらいになるか、それらも全然わかっていませんので、それらを早くどのようになるかというのを知りたいのです。それをお願いしたいと思います。

達増知事
魚市場はつくっている途中だったやつを引き続きやると。きちっと完成させるというのが基本なんですよ。いつごろできるんでしたっけ。

水野副局長
来年度早々に再着工になるのですよね。着工というか、今の、また工事が始まるのですよね。

金野大船渡市副市長
来年度中にはと思っているのですけれども、完成がですね。

毛利勝子
完成が来年ですか。

金野大船渡市副市長
(来年度)中にもう1回という気持ちはありますけれども。

達増知事
そうですね、まだ正式にいつ完成というのは正式に決まっているわけではないから、厳密に答えると、いつできるかわからないということになるのですけれども、気持ちとしてはそういうことです。やってみるとまたいろいろ工事の難しさが出てきて変更になったりというのは工事とかよくあるのですけれども、基本はつくっている途中だったものですから、それをきちっと完成させて漁業、そして水産加工の拠点にしていきたいということです。

毛利勝子
うちはそこの真ん前なのです。

水野副局長
先ほど及川さんから、外部アドバイザーの話で、屋台村で外部アドバイザーを入れると。何か自分たちの発想ではない、目からうろこみたいなアドバイスなんかもあったのでしょうか。

及川雄右
結局そういうアドバイザーを入れないと屋台村をつくるということが目的になってしまって、つくった段階で満足してしまう。目的はつくることではなくて、つくった部分をどういうふうに大船渡の元気を取り戻すための屋台村としての役割を果たすかということを……。そういうアドバイザーいないと、そういうふうにいけなかったということですし、だから屋台村ができた時点で、そこからのスタートです。

水野副局長
配置なんかもアドバイスできるのですか。

及川雄右
その辺は相談しながら。そのためにいろいろ視察したり、いいところを取り入れたりしているので。ただ、仮設店舗なので。

達増知事
この間、前を車で通りまして、かなり目立っていますよね。

及川雄右
限界があるのですけれども、仮設店舗なので、その中でいかに屋台村というイメージを出そうかということでいろいろアドバイス……

水野副局長
一つ一つはそんなに中は広くないですよね。

及川雄右
そうですね、全部同じです。

水野副局長
同じ間取りですよね。

及川雄右
ええ。要は、いろいろ学んだのが、1人の店主に対してお客さんが放射状に8人座れると、それが一番コミュニケーションを一人でとれる限界だそうです。それが大きな店になると、コミュニケーションとれなくなるので、だからそういう施設を。

水野副局長
ありがとうございます。
あと小川さんは、今ガイドの会とかもやって、震災後も観光の方はガイド……

小川廣文
観光で来た方はほとんどないです。観光と言われても被災地を見るとか、それからどんな状況だか話を聞かせてほしいという状況。あとはボランティアに来たのだけれども、作業だけしてよくわからないというので、関東から来る方も多いのですけれども、高田のボランティアセンターに入って、高田のボランティアで来たのだけれども、よくわからないと。花巻にわざわざ行って泊まって、次の日に早く帰ってくる。そしてお昼に市内を見てもらって、お昼食べているところでガイドの職員、被災している職員を30分ぐらいの体験談の話をするというプログラムをつくっています。それで、お客さんはただ見るだけでよくわからないと。それと写真を見せたり、あとは体験の話をしたりということで、岩手日報さんの記事をずっと貼って、こんなふうだったのですと見せると、割とああと、前の様子がわからないので、どうなっていたかわからない。前はこうだったので、今はこうなりました。見にきたらどうでしたかというと。ですからその方々、ボランティアに来た方々を、ただボランティアに来て終わって、ボランティアに来て本人たちがここに来ているわけですけれども、その方々に何かあって東京に行ったのかもしれないし、何かでさまざま大船渡、三陸に来ていただいたのを、私はそういうことを利用する必要があると思います。震災も利用するし、ボランティアに来た方を、私の勝手な言葉ですと、ボランティアを地元化してしまいたいなと思っています。というのは、ボランティアの方々に、例えば名前をいただいて、書いておいて、私の勝手な考えでは大船渡市といえば、椿なもんですから、椿の植樹をしてくれとか、植樹に名前を入れるとか、もしかするならば1万円くださいと言って、椿を1万円で植えてもらって、年に1回なり2回なり椿油をやると。そして、椿の何かがありましたらどうぞと。そうすると、また来てもらったり、泊まったり、食事したりしてもらう。それから、地元のボランティアの方々を地元化にすることもできるだろうと。ですから、ただ手伝ってもらって、来た方は、多い方は、私が知っている中では四、五回来ているのです、ボランティアに。その方々は、ただ来て、自己満足という言い方はよくないと思いますが、自己満足で帰られてしまう。それを地元でもありがたいと思っているということを何らかの形でアピールしてあげる。そうすると来た甲斐が増すのではないでしょうか。そうすると、この来た町が好きになるのではないかなと、ましてや、自分の名前がある木とか、自分の名前がある何かがあるということになると、やはり気持ちが地元のほかに自分が応援している町ということだとすると何かでなんとか物産展とか、なんとか会とかといったときに、自分の街だというふうになってくるのではないかという、様々な地域からいっぱい人々が行ってですね、大船渡のものを応援したいと買っていただくのですけれども、今度は買う人をもっと増やすために口伝えで増やすためには、そういったボランティアの方を利用するというのは失礼な言い方かもしれませんが、地元化にしていくのも一つだろうと。そうすると、交流が多くなると外貨が落ちてくるし、人の色々な意見も入ってくるだろうし、そうするとやはり違った意味で街の活性化にもつながるだろうと、そうしながら、ボランティアのガイドをやっていけるのではないかなというふうに思っています。
子供たちに伝えたいという親が多いです。保育園の園長先生が、保育園の先生が団体で来て、それを子供たちに伝えたけど、よくわからないと。そして、親に話したら、実は行ってみたいという人が結構いたという話を言っていましたよね。やはり、最後には共通して皆さんに言っているのは、いるのは、これを利用してくださいねという話を必ず言ってくださいねと言っています。どんな話をしても構わないので、この震災を必ず利用してくださいねと、明日には起きますよと、すぐ隣で起きますよということをお話しして、この地元化とボランティアの方々をもっと考えていくと非常に外貨も稼げるし、楽しいのではないかなというふうに思っております。

水野副局長
ありがとうございます。稲葉室長……。

稲葉室長
それでは、先ほど知事からも情報発信という話、今のお話しとも共通しますけれども、ボランティアなどではやっぱり地域を、被災地を支援したいという気持ちがあって、1回限りではなくて、その地域とつながりたいという思いを持っている方が結構首都圏とかにはたくさんいらっしゃるというお話も聞いていますので、そういう継続した支援、つながりがきちんとできるように県としても情報発信を積極的にやっていきたいと思っています。復興の状況ですね、被災の当初はこうだったけれども、今ここまで立ち上がりつつありますというふうなところを定期的に伝えていく、その復興写真展のようなものも今少しずつ始めさせていただいていまして、被災前はこういう状況だったというのと直後、そして今の様子というふうなことを見ていただくと、改めて被災地の大変さがわかってくれるのと、立ち上がりつつあるというのを御理解いただけるというのと、何度も来ていただける方もいらっしゃるのですけれども、関心が少しずつ薄れてきているというのも言われていますので、そういうところを何とか継続した支援をいただきたい、あるいはあとはそういうのを力に地元も頑張っていければというふうな気持ちで、情報発信を今もやっていますけれども、これからもどんどんやっていきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。

水野副局長
ありがとうございました。

知事所感

水野副局長
それでは、最後に知事のほうからお願いします。

達増知事
ボランティアは受けたほうも一生のものですけれども、やるほうも一生の思い出で、それがより豊かな思い出になると有意義ですよね。防災関係の知識、情報、しかも生のそういう体験とかというのは非常に貴重なものなので、そういうのを提供していくというのはすごく大事だと思います。
県の復興計画は8年。最初に五、六年で大体めどをつけて、その後はもう次の時代への移行期間というような位置づけなのですが、復興の暁には日本全国何か大災害があったところに岩手からいろんな経験した人たちがすっ飛んでいって、単純なボランティアもやれるでしょうけれども、ボランティアの受け入れの仕方のアドバイスとか、こういうことをやったらうまくいったよ、なんていうことまで立ち入ってお手伝いできるということについては岩手の人たちは全国有数、世界有数のそういう大震災復興専門家みたいになっていくでありましょうから、復興の暁にはそうやって受けた恩を県外、国外にどんどん返していけるような岩手になればいいなと思っていまして、そういう理想を磨きつつ、まず一日一日頑張ろうかなと改めて思いますので、頑張ってまいりましょう。今日はありがとうございました。

水野副局長
ありがとうございました。

閉会

水野副局長
それでは、本日は貴重なお話ありがとうございました。以上をもちまして、県政懇談会を終了いたします。ありがとうございました。

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