令和7年度岩手県東日本大震災津波追悼式「未来へのメッセージ」全文

ページ番号1096868  更新日 令和8年3月18日

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日付・場所

日付 令和8年3月11日(水)

場所 トーサイクラシックホール岩手(岩手県民会館)

発表者

岩手県立釜石高等学校 2年 森 真心 さん

未来へのメッセージ(全文)

 今日釜石は穏やかな朝を迎えました。私はいつも通り朝を迎え、いつも通りの釜石の街並みを歩き、ここに来ました。私たちはいつもと変わらない日常の中で、今この会場に集まっています。

 しかし、その「いつも通り」が決して当たり前ではないということを、私たちは知っています。15年前の今日、私が暮らす釜石や多くの街は一瞬で多くの尊い命や日常を奪われました。友達と学校へ向かう子どもたち、職場へ急ぐ大人たち。いつもの時間に、いつもの景色がありました。まさか、その数時間後に、街の姿が大きく変わるとは誰も想像していなかったと思います。

 震災直後、釜石では電気・水道・ガスも止まり、人々は先の見えない不安と向き合う中、長い時間を耐えながら過ごしました。暗闇の中で、人々は声を掛け合い、寄り添いながら不安な夜を越えてきました。厳しい寒さが続く3月の夜、いつ元に戻るのか分からない街を眺めながら耐えるのは、どれ程辛かったことでしょう。明日が来ること、また会えること、普通に暮らせることが決して当たり前ではないと、私たちは思い知らされました。冷たい食事も、明かりのない夜も多くの人が経験しました。

 震災直後、私の家でも電気や水道・ガスが止まったため、ろうそくの明かりで過ごしたり、車の中で車中泊をしていたと両親から聞きました。震災当時の記憶がほとんどない私にとって、この事実を聞いたとき、強い衝撃を受けたことを覚えています。明かりのない暗闇の中、怖がる私を、両親は長い間守ってくれました。震災当時、多くの人が不安の中、互いに支え合いながら懸命に生きてきたのだと実感しました。

 現在釜石は、乗り越えてきた人たちのたゆみない努力や、温かな支援によって復興が進んでいます。こうして復興が進み、釜石に新しい街の姿が戻りつつあるのも、多くの人が前を向いて諦めずに復興を行ってきたからだと思います。整備された道路に、新しい建物、同時に震災を知らない世代の子供たちが増えています。

 私自身も震災当時は2歳だったため、当時の鮮明な記憶はありません。そのため、震災を経験した方々の教訓や当時の記憶を決して色褪せることのないように、自分自身も教訓を語り継ぎたいと強く思い、活動をしています。

 私は夢団という防災・伝承活動グループで語り部の活動を行っています。震災から年月が経過した今だからこそ、自分の言葉で少しでも多くの人に伝えていくことが大切だと思います。記憶がないからこそ、自ら学び、受け取り、語り継いでいく責任があると感じています。実際に夢団の活動の中で、多くの人と関わり、自分自身の防災への意識が変化していると感じています。記憶のない世代だからこそ、出来ることがあると思います。

 3月11日という日を、岩手に住む私たちはどのような思いで迎えているのでしょうか。かつて被災地と呼ばれたこの地で生きる1人として、震災を知らない世代に語り継いでいくことが、私たちの使命だと思います。

 震災は一瞬で多くの尊い命や日常を奪いました。しかしそれと同時に、人と人とのつながりやたくさんの教訓を私たちに残しました。失われた日常を胸に、私たちはこの出来事を決して忘れてはいけない、そして同じ悲しみをもう二度と繰り返さないために、記憶を受け継ぎ、次の世代に繋げていきます。15年前の今日から続く時間の中で、私たちは大切な記憶と教訓を胸に未来へ歩み続けていきます。

 3月11日をいつまでも忘れずに、大切にしていきたいです。

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