令和6年度岩手県東日本大震災津波追悼式「未来へのメッセージ」全文
日付・場所
日付 令和7年3月11日(火)
場所 トーサイクラシックホール岩手(岩手県民会館)
発表者
岩手県立大槌高等学校 2年 阿部 豊 さん
未来へのメッセージ(全文)
今朝の大槌町の最低気温は0度。今日私は、朝大槌を出て盛岡まで来ました。東北地方だけではなく、日本全国、そして世界にとっても、3月11日は特別な日です。少し緊張しながら準備をして、震災後に完成した道を走り、この会場まで来ました。
14年前の今日は、大槌でも雪が降っていたそうです。大槌ではあまり雪が降ることがありません。おそらく、今日よりも寒かったと思います。当時の人たちは、まさかあの日に巨大な地震が来るとは思わず、今朝私が感じた「緊張した特別な思い」を持たずに生活していたはずです。地震発生は14時46分。そして、私の生まれ育った大槌町が津波に襲われたのはその約35分後の15時20分頃だと言われています。14年前の今、まさに私が今話しているこの瞬間に、大槌町は津波にのまれ、壊滅的な被害を受けました。
今話をしたことは、私の記憶ではありません。大槌町長をはじめ、あの日を乗り越えた人の話を聞き、この場で話をしています。私の記憶に残っているのは、車で避難をしていた際に津波にのまれそうになって感じた恐怖だけで、それ以外に、恐怖や辛い記憶はありません。私のように震災の記憶を持っている生徒はごく一部で、大槌高校でも記憶のない生徒が大半です。震災を知らない世代が増えつつあり、おそらく私たちが、東日本大震災後最初の「記憶のない世代」と呼ばれる人間だと思います。そういう立場の人間だからこそ、考えることがあります。私たちが「震災を語る」「想う」ことにはどのような意味があるのだろうかということです。自分たちに「何ができるのか」ということです。
不謹慎かもしれませんが、当時3歳だった私にとって、避難生活はわくわくする楽しいものでした。多くの人と話ができる環境が常にあったからです。辛い記憶はなく、本当に大切にされてきた記憶しかありません。しかし、高校生になった今、そのことを振り返ってみると、当時の大人たちが一生懸命私たち子どものために力を尽くしてくれたのだと思いました。「悲しさ」「つらさ」をできるだけ与えないように、大切に守って育ててくれました。それは地域の大人だけではありません。国内だけではなく、世界中の人たちが支えてくれました。みなさんのおかげで、今、私はこの場に立っていられます。本当にありがとうございます。
14年前、町が壊滅的な被害を受けた後、大槌高校は避難所として使われました。避難した人たちは最大でおよそ1,000人だったそうです。避難所開設当初は、体育館で、毛布もなく、教室にあるカーテンを取り、配り、人々は生活をしました。そんな中、自分の自宅が被災しているにも関わらず、高校生が避難所の運営をしていました。私たちの大先輩です。トイレの水がないためプールから水を汲み、お湯が出ない中冷たい水で食器を洗う。その姿を見ていて、当時教員だった先生は「申し訳ない」という気持ちを持ったそうです。これは、現在副校長として働いている先生から聞いた話です。しかし、そういう高校生の姿が大人達にとっての「希望」だったそうです。
震災の記憶のない世代に何ができるのでしょうか。当時の状況を知らない私たちに何ができるのでしょうか。日本全国が被災地です。安全な場所はないように思われます。しかし、日本人はその災害を乗り越え、教訓を生かし、生き抜いてきました。そういう現実を目の当たりにして、私たちができることは何なのでしょうか。それは、人の言葉に耳を傾け、聞いた話から当時を想像すること。そして、今私がこの場で皆さんに話をしているように、自分が感じた想いを他者に向かって話し、当時を一緒に想像することだと思います。もし自分ならどうするのか。それを一緒に考えていくことが、私が思い描く震災伝承の形です。私自身、大人達の話に耳を傾けたことでやりたいことを見つけました。ある方から聞いた話の中に、避難する際に坂を登り切れなかったおばあちゃんが出てきたことがあります。震災では高齢者が多く犠牲になりました。私は祖母と生活をしています。もしも地震が起きたときに、祖母の命を守ることができるのだろうか。あの話を聞いたときに、私が思い浮かべたのは自分の祖母でした。30分で津波が到達する町で、どうすれば祖母や町の人達を助けられるのだろう。町内には高齢者だけではなく外国人の労働者の方もいます。どうすれば、より多くの人たちの命を救えるのだろう。そこで、年齢や国籍によらず、力を合わせて災害を乗り越えるための避難の方法を考えたいと思い、地域の運動会では一緒にリヤカーを組み立てて避難行動を体験してもらう競技を取り入れました。それが人と地域を救うことになると信じて、活動しています。
あの日。津波にのまれた大槌町は、これから明かりのない夜を迎えます。津波にのまれながらも何とか助かった人は、ずぶぬれになって凍える夜を迎えました。雪がちらつく中、寝たら死ぬと思い、何とか暖をとり、声を掛け合いながら助かった人たちがいます。屋上に避難した妊婦さんをみんなで囲み、体が冷えないよう避難した人たちが風よけになり、助け合った人たちがいます。高台に避難した人は、津波と火災によって壊滅した町を見て、絶望を感じていました。火の手がおさまることはなく、一晩中燃えていたそうです。防火絨毯をみんなでかぶり、一夜を過ごした人たちがいます。
今日1日は、ぜひ被災地に思いを寄せてください。私たちは14年前に失われた命を助けることができません。当時の人が感じた痛みを、そのまま受け取ることもできません。しかし、私たちには想像する力があります。想像力の先に、命を守る行動が生まれます。あの日を生き抜き、私たちをこれまで守ってくれた人たちを、一緒に想像してほしいと思います。そして、身近にいる大切な人をどう守るか、少しでも想像し、守るための行動について考えてほしいと思います。14年前。土埃と炎に包まれ、瓦礫だらけの町だった大槌町ですが、今は大きく変化しました。本当に大槌町は良い町だと胸を張って言えます。自信を持って自慢できる町です。もし良かったら身近にいる大切な人と一緒に是非遊びに来てください。震災を乗り越え、絶望から立ち上がり、町を復興してきた人たちに会いに来てください。
最後になりますが、今まで故郷のために手を差し伸べてくださった多くの方々への感謝と、1人でも多くの人が心を寄せてくれることによって1人でも多くの未来の命が救われることを願い、そして、東日本大震災をはじめとする多くの災害で亡くなった方々のご冥福をお祈りし、私からのメッセージといたします。
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