いわて花巻空港の沿革 その1

ページ番号1047137  更新日 令和3年10月22日

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昭和39年~昭和55年

1 開港0年~開港12年(昭和39年~昭和51年)

(開港0年)昭和39年2月15日

県民待望のいわて花巻空港が供用開始しました。当時は滑走路1200m、運用時間は日の出から日没まで(本当です。)でした。

(注 現在は滑走路2500m、運用時間は8時~19時30分まで)

1,200m当時
滑走路1,200m時の花巻空港

昭和36年12月から3年の月日を経て、上記滑走路及びコントロールタワーのある鉄筋コンクリート平屋建てのターミナルビルが完成しました。総工費は当時の物価で4億5千万(現在の物価では約19億8千万)でした。

ターミナルビル
当時のターミナルビルの様子

昭和39年4月1日

花巻~東京線開設、一番機の就航を祝いました。

いわて花巻空港と東京国際空港(羽田)を結ぶ東京線に、4月1日北日本航空の定期便が就航しました。一番機を見ようと約1千人の見物客がターミナルビル屋上等に詰めかけました。

 

(注)豆知識

当時一番機として着陸したのはコンベア240型機(40人乗り・総重量19.28t)で、

当時の運賃は、大人片道5800円(現在物価で約25,520円)、往復10400円(現在物価で約45,760円)で、1日1往復されました。

一番機
一番機に乗り込む乗客

(開港2年)昭和41年10月1日

航空機の大型化、運航回数の増加に対処した滑走路の補強工事が完了しました。内容として、滑走路の舗装厚を5センチメートルから12センチメートルに嵩上げ強化しました。

この整備により滑走路の航空機重量制限が引き上げられ、60人乗りのYS-11型機(総重量25t)の就航が可能となり、輸送量も大幅にアップしました。

 

(開港5年)昭和44年4月

いわて花巻空港の運用時間が、9時から17時までとなりました。

 

(開港10年)昭和49年10月14日

長嶋茂雄氏(巨人)現役引退の日であります。

2 開港13年~開港16年(昭和52年~昭和55年)

(開港13年)昭和52年6月1日

花巻~大阪線が開設となり、直行便が6月1日就航しました。東亜国内航空(TDA)のノンストップ第1便・YS-11型機64人乗り「とかち」は約2時間半で大阪国際航空に到着しました。

1日1往復でありましたが、経済面、観光など関西と岩手の交流を深める大きな刺激になると期待されました。

YS-11

(注)同年 王貞治氏がホームラン世界記録756号を達成しました。

 

(開港14年)昭和53年9月

昭和46年での第3回空港整備検討委員会において、いわて花巻空港を拡張整備することが最適との結論を得た後、県と同空港拡張反対期成同盟会の間で会談を重ね、昭和53年9月16日の最終会談にて円満解決を双方が認める確認書に調印をしました。

 

(注)第20回日本レコード大賞「UFO]

 

(開港16年)昭和55年5月

花巻空港拡張整備計画の用地取得が終了。

 

昭和55年8月

58年春のジェット機就航に備え、無線誘導装置の整備を進めてきたが、このほど無線着陸装置が完成、8月7日から使用されることになりました。

同装置の完成により、いわて花巻空港の離着陸の安全性が向上するとともにジェット化への施設の一部が本格的に指導することになりました。

 

昭和55年11月1日

いわて花巻空港の新滑走路1,200mが完成しました。

午前9時50分、一番機の羽田231便が銀翼をきらめかせて着陸しました。

1200m
新滑走路1,200m(写真奥が新滑走路)

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