日本記者クラブ記者会見 知事スピーチ「東日本大震災津波とこれからの岩手県」

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ページ番号1063152  更新日 令和5年3月24日

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とき:令和5年3月8日(水曜日)
ところ:日本記者クラブ10階会見場

はじめに

 本日は、日本記者クラブでお話をさせていただく機会をいただきまして、誠にありがとうございます。
 今年の3月11日で12年となる東日本大震災津波であります。全国から、また海外からも多くの御支援をいただいており、改めて御礼を申し上げます。
 岩手県では、「東日本大震災津波」と「津波」をつけて呼んでいるのですが、これはほとんどの被害が津波によるものであったということと、明治維新以降に明治の三陸大津波、昭和三陸大津波、そして戦後にチリ地震津波があって、今回の東日本大震災津波という、近代に入ってから4回の大津波があったという中に位置づけられるということもあり、岩手県では東日本大震災津波と言っています。

1 引き続き取り組む復興

 ここ4~5年の主な復興の歩みですが、平成30年(2018年)12月に被災公立学校の再建が完了、平成31年(2019年)3月、宮古-釜石間のJR山田線だった部分を三陸鉄道に移管して、全国で一番長い第三セクター鉄道、三陸鉄道リアス線になりました。
 そして、令和元年(2019年)9月、東日本大震災津波伝承館が開館しました。陸前高田市高田松原にあります。今年の2月末で来館者数が約68万人ということで、大変多くの方々にいらしていただいています。
 令和2年(2020年)12月、宅地造成の完了、災害公営住宅整備完了ということで、やはり津波の震災というものは、壊れた家をその場にそのまま建てるわけにはいかず、高台に移転するとか、あるいは平地のかさ上げをするとか、やはり時間がかかります。令和2年(2020年)12月にようやく宅地造成完了、災害公営住宅整備完了となったところです。
 そして、令和3年(2021年)12月、復興道路が全線開通しました。これは国の直轄事業ですが、岩手の復興のリーディング事業というような性格のものであり、この全線開通でかなり復興が進んだという感じになりました。
 この復興道路として整備された三陸沿岸道路(三陸沿岸を縦に貫く自動車専用道路)に沿って、道の駅がどんどんできています。
 「いわて北三陸」は久慈市にあり、周辺の町村と共同で整備する新しいタイプの道の駅です。
 そして山田の道の駅と合わせて、2つの道の駅は、今年、これからオープンする予定であり、道路の便利さを高めるということのみならず、地域振興、そういう役を果たす重要な拠点になります。
 また、既に完成を見ている陸前高田市内の高田松原道の駅ですが、これは高田松原津波復興祈念公園の中にあり、この復興祈念公園に先ほど紹介した津波伝承館があり、また今年6月、第73回全国植樹祭の会場になります。
 天皇皇后両陛下がお出ましになる全国植樹祭を高田松原道の駅がある復興祈念公園で行うということで、この辺も復興がどんどん進んで、新しいフェーズに入っていっているという実感を湧かせてくれるものです。
 復興の実感については、意識調査を行っており、岩手県民を対象にする復興に関する意識調査では、「進んでいる・やや進んでいる」が合わせて61.1%、令和4年、昨年初めて6割超えというところまで高まってきています。
 「遅れている・やや遅れている」という答えはどんどん少なくなって、13.3%にまで下がってきているところです。
 引き続き取り組むべき課題として残っているものは、まず社会資本です。
 海岸保全施設などで、まだ完成していない部分があり、これを完成させなければなりません。割合からすると、海岸保全施設4.2%、漁港0.9%、港湾3.8%くらいであり、その場所にとってはまだ終わっていないという強い感じがありますが、全体とすれば、かなり完了に近づいているところです。
 ハードの整備は、ほぼ完了してきているわけですが、ソフト面の復興事業として取り組んできたものが心のケアです。
 岩手県こころのケアセンターの相談件数は、令和2年はコロナ禍の関係で一時的に相談件数が下がった格好になっていますが、令和3年になって、また令和元年並みの相談数、7,000件以上の相談数になっており、精神医学の専門家の先生もおっしゃっているのですが、10年経って改めて心のトラブルが起きてくる人もいる。また10年経って直面する課題が色々複雑化してくる。色々経済的な困難、家族の問題、自分の健康など、時間が経てば経つほど心のケアの必要性が無くなっていくというわけでは全然なく、時間が経過するがゆえに必要性が高まる部分もあれば、また続いていく部分もあり、これはニーズに応じて対応していかなければならないところです。
 そして、当初の復興計画では想定されていなかったことが復興に影を落としており、コロナとウクライナ戦争に関連する物価高騰、エネルギー高騰などもそうですが、岩手県、宮城県もそうですし、東北地方共通と言ってもいいのですが、主要魚種の不漁問題、これが復興に影を落としています。
 サケ類は大きいですし、定置網で一度にたくさん捕ることができて、新巻鮭にもしたりしますし、東北の海の幸の中でもドル箱、高く売れる魚種、それぞれの漁協の収入源の中でも大きな割合を占めていたサケが、震災前の取れ高に比べ1.2%しか捕れない、ほとんど捕れなくなっていると言っていい状態です。
 そして、サケほどではないのですが、やはりドル箱のサンマも5.5%しか捕れなくなっています。
 スルメイカは宮古のいか徳利、いかせんべいなど、宮古市の特産として有名ですが、5.9%しか捕れなくなっているということで、このサケ、サンマ、スルメイカの3品種が特に捕れなくなっているという問題があります。
 これは県の水産技術センター、国のそういったセンターや大学の研究施設などと連携しながら、何とか増やすような研究や努力もしているのですが、基本的に気候変動の関係で海水面の温度が上がっていて、サケもサンマも下りてこなくなっているという傾向があるようで、そう簡単に数を増やすのは難しいというところもあり、別途、今までやっていなかった養殖を新たに始めるということに取り組んでいます。
 同じサケ、マス類でも定置網でごっそり捕っていた今までのやり方とは違う、海面養殖のサケ、マス類である「久慈の琥珀サーモン」、「宮古トラウトサーモン」、「岩手大槌サーモン」、「釜石はまゆりサクラマス」など、それぞれの湾ごとに事業化されて、市場での販売も始まっています。
 サケの漁獲量を上回るくらい養殖で捕れるようになってきていますが、ただ激減した漁獲高を追い越す程度でありますので、震災前にたくさん捕れていたのに比べると、まだまだ養殖の漁獲量は少ないのですが、ただ付加価値が高めになっていますので、そこに希望を持っているところです。
 また、ドラマ「あまちゃん」でも描かれましたが、夏が旬のウニは、7月あたりにウニの漁が始まるのですが、ウニを秋冬の頃にも育て、要はそういう端境期に売るようなウニを蓄養する、そういったことを始めています。

2 将来発生しうる巨大地震津波対策

 そういった最近の復興の近況でありますが、そこに日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震に伴う大津波への対策が求められることになり、これが新しい課題となっています。
 東日本大震災津波の後、国の方針として、国の中央防災会議専門調査会で基本的に2つのレベルの津波を想定しています。
 比較的頻度の高い津波、数十年から百数十年に1度程度の頻度で到達する津波で、これは防潮堤、水門等のハードで守れる程度の津波です。
 もう一つ、最大クラスの津波は数百年から千年に1度程度の頻度で到達する津波で、これは場所にもよるのですが、東日本大震災津波規模で、防潮堤、水門だけで完全に防ごうとすると、20メートル、30メートルというような非現実的な高さを造らなければならないので、そうはせず、避難といったソフトと組み合わせて守るという、多重防災型のまちづくりで減災によって命を守り、財産も守れる部分は守ろうという方針になっており、最大クラスの津波、東日本大震災津波などを参考にしながら、県も、そして各市町村も復興を進めてきたわけであります。
 そこに国の方から日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震というのが、近く発生が危惧されるので、それに対応して備えておかなければならないという話が出てきたわけであります。
 千島海溝沿いの巨大地震は、岩手県に対しては東日本大震災の津波より低い、弱い津波なわけですが、日本海溝沿いのほうが多くの地域において東日本大震災の津波を上回るものがあり、そうしますと既に完成している様々な避難施設などが、実はそこも浸水想定地域に入ってしまうというようなことが今問題になってきています。
 まず最初に、地元の被災地の皆さんが驚いたのが死者数の想定で、国の方針として最悪事態に備えましょうと、季節も冬は雪が降って積もっていたり、路面が凍結したりしていて逃げ足が遅くなるだろう。また、1日の中でも昼はまだいいけれども、深夜、暗いところで避難となれば、昼の避難よりも避難のスピードが鈍るだろうと、そして国の方針として、防潮堤、水門などの防災施設が全て破壊されてしまうことも想定して浸水区域や被害を想定せよということでありましたので、その最悪事態で計算しますと、日本海溝型の地震で、冬、夕方18時頃起きますと、7,000人の死者が出るという予測になってしまいます。
 岩手県の場合、東日本大震災津波の死者・行方不明者数は合わせて6,255人でありましたので、それを上回る7,000人の人的被害が予想されます。
 これについては、県が岩手県内の浸水区域や、また被害想定を県としてよりきめ細かく計算して報告書を作成するという作業の中で、どうすればこれを減らして、ゼロに近づけることができるかというような方向性での検討を行い、避難速度を速くする、そして避難開始の時間も早くする、それぞれスピードを速くするというのと、あとタイミングを早くするという、それぞれ早くすることによって約9割は死者数を減らすことができるというような計算をしたところであります。
 この死者数とともに被災地の皆さんが驚いたのは、せっかく新しく造って、そこを避難場所に指定していた施設が、実は日本海溝型地震まで視野に入れると津波浸水地域になってしまうという問題であり、久慈市の場合ですと、久慈市役所で浸水深5.83メートル、ほぼ6メートルの浸水が襲ってくるという想定になりまして、久慈市は市庁舎の移転を検討しているという状況になっています。
 当初避難場所として想定していたところだけでは覚束ないということで、新たに川の上流の方にあります県の久慈地区合同庁舎の5階と6階を緊急避難場所に指定するなど、県も一緒になって、そのような新たな想定に対する新たな対策をつくっているところであります。
 こうしたところで、地元、これは釜石市の野田市長さんなどは、この前も「復興のゴールが遠のいた気持ちがする」というように発言していまして、大体10年間復興に取り組んで、復興のまちづくりがほぼできてきたなという段階で、さらに大きく強い地震、大きな津波に対応する備えをしなければならないという新しいテーマが出てきて、そこに対応しなければならないということになっています。
 ただ、そういう科学的な国からの助言は、基本的にはいい話だと思っており、東日本大震災津波からの復興が、まず計画に沿ってできたとしても、それ以上の備えをしなければならないという、そういう科学的、技術的根拠のあることであれば、そこにはやはり備えなければならないわけであり、気持ち面では復興のゴールが遠のくような気持ちとか、色々複雑なところはあるのですが、しかし、これはやらなければならないことで、県としても市町村と一緒に備え、個人と地域と行政が自助、共助、公助、これを組み合わせて犠牲者ゼロを目指していきます。
 庁舎移転や避難ビルの整備といったハード面の対策については、国が補助を行うという支援スキームがあります。
 一方、ソフト面、避難の仕方を検討したり、避難速度向上のための様々な取組、また津波防災、新しい備えの普及啓発など、ソフト面の市町村の事業に対しては県がそれを支援します。
 ソフト面に対しては、国の補助事業がありませんので、まず県は、国の補助スキームがないソフト面の支援について、来年度予算案に計上して、今県議会にかけているところであります。

3 復興を通じた地域振興

 岩手県は、過去に戻る復興ではなく、未来に追いつく復興をしようということを当初からスローガンにしていました。
 10年なら10年かけて10年前の2011年の状態、つまり2011年から10年経った時点で2011年の状態に戻すと、それは10年前の過去を10年後に再現するという、過去に戻ってしまうような復興になり、10年遅れた岩手沿岸がそこにできてしまうわけです。
 そうではなく、10年かけて復興するなら、ちゃんと10年後にこうなっていなければならないという、10年後のあるべき姿に10年かけて追いついていくような復興をしようというようにお互い言い合って取り組んでおりました。
 これがその後、国連の防災機関の方からビルド・バック・ベターという言葉が出てきまして、それを我々もやろうと、そしてやっているのだと気がついたのですが、ビルド・バック・ベター、よりよい復興と岩手では訳していますけれども、それをずっとやってきたというところであります。
 ちなみに、今年は関東大震災から100年で、岩手出身の後藤新平さんが復興に活躍したのですが、その後藤新平、当時復興院総裁の考え方も、前よりよくするという意味での復興を東京にしなければならないという方針でありました。
 岩手県には沿岸と内陸の間に北上山地という壁があり、沿岸と内陸の間の行き来が難しく、また北上山地の東側がそのまま海に突っ込んでリアス式海岸になっているものですから、沿岸の縦の移動も、峠やジグザグの道が多くて非常に困難だったわけです。
 そこで、復興道路というのは非常に意義あることになります。
 沿岸を縦に貫く復興道路と、宮古-盛岡、釜石-花巻間で沿岸と内陸を結ぶ復興支援道路。これは、国の用語で復興支援道路ということになるのですが、いずれこの道路整備によりまして、先ほどは道の駅の話をしましたが、全国各地で地方が取り組んでいるクルーズ船の誘致に関しましても、盛岡のさんさ踊りまで見に来ることが今はできるようになり、クルーズ船の誘致にも弾みがついています。
 盛岡市は、最近ニューヨーク・タイムズ紙の今年行くべき52の旅行先の2番目の街に選ばれ、非常に盛岡市は勢いがあるのですが、クルーズ船で寄港する人たちにも立ち寄ってもらえるくらいの道路事情になったということであります。
 また、岩手沿岸と内陸地方の中間に位置する遠野市に企業進出が増えており、右肩上がりに新規、増設企業数が増えてきています。
 特にSMCという空気圧制御機器、主に工作機械、工場で動く機械の空気圧で制御する部分を作っている会社なのですが、世界的にも国内的にも圧倒的なシェアを誇っているSMCが遠野にサプライヤーパークという、自社の工場を中心に、そこに部品を納入する下請もそこに集めて、サプライヤーパークを造るという構想を出し、実際にその建設が始まっているところであり、復興道路の効果が様々出ています。
 港湾の利活用、貨物用コンテナの増大にもつながっていますし、もともと震災前から岩手で見られた自動車、半導体関係の産業集積も、復興道路の効果も相まって、さらに増えてきていて、最近岩手県の北上市が不交付団体になったというのがニュースになりましたけれども、岩手県初めての不交付団体、そういった経済の調子の良さが出てきているところです。
 新しいタイプの物流拠点も色々できており、アマゾンジャパンの盛岡デリバリーステーションでありますとか、プロロジスというマルチテナント型物流施設、プロロジスのプロロジスパーク盛岡といった新しいタイプの物流拠点もできてきているところです。
 やはり復興道路などのインフラ整備の効果もあって、スポーツの全国大会、国際大会もやりやすくなっています。
 特にラグビーワールドカップ2019岩手・釜石開催は、この復興道路のおかげで東京から釜石まで日帰りでやれるようになったというのが大きかったと思います。
 嶋津事務総長が言っていたのですが、東京にいる人たち、また東京に泊まる海外からのVIPが、復興道路ができたので釜石に日帰りし、また東京から日帰りする人に合わせて、試合時間を午後の早い時間に設定したりもしたのですが、そういうことでもしなければ、岩手県の釜石市のような地方の中のさらに地方のまちで、ラグビーワールドカップの試合をやるというのはできなかったと思うのですが、そういうことができるようになったということであります。
 スポーツと言えば、大谷翔平君、佐々木朗希君がいよいよWBCの本番に入っていくところでありますけれども、菊池雄星君、そして野球以外でもスキージャンプの小林陵侑君、スノーボードで岩渕麗楽さん、スポーツクライミングの伊藤ふたばさんといった、国際大会に出たり、または国内でトップになるようなスポーツ選手が最近岩手からどんどん出ています。
 ちなみに、文化系でも色々、合唱とか、吹奏楽とか、岩手の若い人たちが全国上位進出、トップになったりするようになってきているのですが、顕著なのは芥川賞受賞や芥川賞候補、直木賞候補に岩手在住あるいは岩手出身の人たちが最近どんどんノミネートされて、受賞もしているというところがあります。
 大谷現象と私は呼んでいるのですが、なぜ大谷翔平君のような人が岩手から出たのかとよく聞かれ、食べ物がいいからだとか、ストレスが少ない生活がいいとか色々言っているのですが、1つ、地方における社会資本整備と人材育成というのを今日新たな切り口として用意しました。
 岩手県は去年から岩手県の150周年をやっており、大体どの県も150周年を最近迎えているわけですが、そういう150年の岩手の歴史を振り返る中で、岩手の場合、新幹線と高速道路が岩手にまで来たというのがやはり大きなターニングポイントになっていることに気づきました。
 1970年代から80年代、岩手では高速交通時代などという言葉が使われているのですが、この新幹線と高速道路が東京と岩手を結びつけることで、1980年代に県内に投資がどんどん進むのです。
 1つはリゾート、リクルートによる安比の開発、プリンスグループによる雫石の開発、そして国際興業グループの夏油開発、それぞれスキーリゾートです。
 そして、盛岡市には主要な生命保険会社がそれぞれ自分の会社の名前を冠したビル、○○生命ビルというのが盛岡にたくさん建つわけです。
 それで、盛岡市が一気にビジネスをやれる市として、都市として生まれ変わっていくところがあるのですが、そうした投資に並行して北上の運動公園とか、奥州市Zホールなど、公の公共施設、スポーツ、文化、そして交流関係の公共施設も80年代から90年代にかけてどんどん造られます。
 日本全体としては、80年代から90年代というのはバブルがはじけて、そこから日本の低迷が続く、失われた10年、20年、30年が続く、間違ったことをした、よくない時代というイメージがあり、地方においても無駄な公共事業が行われた、無駄なリゾート開発が行われた、そして無駄なイベントも当時あったという、非常によくないイメージがあるのですが、岩手県の場合、そうした民間と公共の投資の上に、雫石世界アルペンスキー大会が行われたり、国民文化祭が行われたり、90年代前半にそういうのが集中するのですが、三陸・海の博覧会というのがあって、その頃、別の都道府県、どこかでは、そういう地方博がものすごく巨額な赤字を出して問題になったりしたのですが、岩手の場合、三陸・海の博覧会は逆にかなり黒字を計上し、そのときつくったさんりく基金というものは今でもあって、様々使われるものとして今でも残っています。
 そういったイベントが90年代前半に集中し、大谷君はじめ、今活躍している若い人たちがそういった基盤の上に生まれ育ち、世界に羽ばたいていっているということがあるのではないかと考えています。

おわりに

 復興事業を通じ、復興道路のみならず、港湾の整備でありますとか、また市町村毎に新しい中心市街地の整備があって、そこに新しいスポーツ施設や文化施設、交流施設ができているのですが、そういったものをうまく生かしていくことで、今大谷君たちが羽ばたいている、それと同じようなことを10年、20年、さらにその先に岩手から若い人たちがどんどん羽ばたいていくことに繋げていけるのではないかと、そういうふうにしなければならないなと考えています。
 岩手から全国に、そして海外へと、「お互いに幸福を守り育てる希望郷いわて」というのが現在の県の総合計画の基本目標にあるフレーズでありますけれども、大谷君の例を見ますと、地方の地域がそこにある様々なインフラ、社会基盤も併せ、そして人々のソフトの力も、ソフトパワーも併せて、県民一人一人をエンパワーして、世界に羽ばたける人は羽ばたいてもらい、またその日の生活にも困るような人については、それをケアしていくような形でエンパワーする。
 岩手県民にとどまらず、岩手に出入りする人たちも含めて、全ての県民プラス岩手に関わる全ての人をエンパワーできるような、そういう機能を果たすことが県として今求められていることであり、東日本大震災津波からの復興の進むべき先でもあり、また誰でも一人一人エンパワーしていくということを通じて、恩返しもしていくことができるのではないかなと思っているところであります。
 御清聴ありがとうございました。

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