清流気仙川の名所

ツイッターでツイート
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1014504  更新日 平成31年2月20日

印刷大きな文字で印刷

気仙川流域には歴史的・文化的資産が数多く点在しています。

清流気仙川

写真1
鮎釣り解禁日の様子
写真:普段の気仙川
気仙川

「清流気仙川」として親しまれるこの川の、良好な水質で育つ“アユ”。アユ釣り解禁日前1ヵ月は禁漁となり、解禁日の釣果を期待し数多くのファンが釣り竿を並べます。

河川の水質は、一般的にBOD(生物化学的酸素要求量)で表されますが、気仙川や大股川のBODは、概ね環境基準を達成しています。

種山ヶ原

写真:風の又三郎像
風の又三郎像(種山高原星座の森)

気仙川支流大股川上流域に広がる種山ヶ原は、三陸沿岸と内陸部の境にある高原で、気象の変化が激しく一日にいくつもの顔を見せてくれます。ここの風景に魅せられた宮沢賢治は種山ヶ原を舞台に「風の又三郎」など数多くの童話を残しております。

写真2
種山高原

【義経北行伝説】

写真:義経_判官山
判官山

「義経が平泉衣川館で藤原泰衡に襲われ、妻子を手にかけ自害」これってホント?。 NHKの大河ドラマ「源義経」の放映で義経ブームが興っていますが、その義経の最期は?。 平泉で死んだはずの義経、しかし江刺、住田、遠野、釜石、川井、宮古…青森…竜飛、 そして蝦夷地へ点々と、義経の逃避行の伝説が残っています。 この気仙川流域である気仙地方(住田町・陸前高田市・大船渡市)と遠野は古代から金の産地として知られており、平泉の黄金文化を支えてきましたが、この産金地を辿るように義経は北に向かって行きました。 気仙川の上流域、住田町には次の三箇所に義経主従の伝承が残っています。

朝方の快晴も束の間、深い山並みからは次々と雲が湧き上がってきます。

葉山

写真:弁慶 引き

弁慶が崖を登る際に踏ん張った時に足跡が岩に刻まれた。(住田町上有住字山脈地)気仙川河畔の岩場に幅70cm、長さ2mの弁慶の足跡と伝えられる足形の窪みがあります

写真:弁慶の足跡大
弁慶の足跡

赤羽根峠

写真4
赤羽根峠 旧道
写真5
赤羽根峠 新道

気仙と遠野の境であった赤羽根峠では、義経の愛馬「小黒号」が力尽きた。

(住田町上有住字百合ヶ沢)峠は現在トンネルにより改良され、義経が通ったとされる旧道赤羽根峠、今では通行する車も無くひっそりとしています。

PDFファイルをご覧いただくには、「Adobe(R) Reader(R)」が必要です。お持ちでない方はアドビシステムズ社のサイト(新しいウィンドウ)からダウンロード(無料)してください。

このページに関するお問い合わせ

沿岸広域振興局大船渡土木センター 住田整備事務所 治水整備チーム
〒029-2311 岩手県気仙郡住田町世田米字川向102-1
電話番号:0192-22-8182 ファクス番号:0192-46-3715
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。