「いわて幸せ作戦会議(in釜石)」(令和8年6月15日)
日時
令和8年6月15日(月曜日)13時30分から14時50分まで
場所
釜石PIT
出席者
・参加者(敬称略)
三上 佳月 (浜町の宿 花月邸 オーナー)
臺 隆裕 (大槌町地域おこし協力隊)
松永 いづみ (NPO法人吉里吉里国 理事長)
水島 壽人 (釜石市専任移住コーディネーター)
・県側
達増 拓也 知事
村上 聡 沿岸広域振興局長
小國 大作 政策企画部長
開会
小國部長
それではお揃いとなりましたので、ただ今から、県政懇談会「いわて幸せ作戦会議in釜石」を開催いたします。
皆様には御多忙のところ、御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。本日は、「若者・女性に選ばれる三陸地域を目指して」を懇談テーマとして、釜石地域で様々な分野でふるさと振興に向けて取り組まれている方々にお集まりいただいております。
私は本日進行役を務めさせていただきます政策企画部の小國と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
知事あいさつ

小國部長
それでは開会にあたりまして知事から挨拶を申し上げます。
達増知事
皆さんこんにちは。
お忙しいところ、ようこそ、この県政懇談会「いわて幸せ作戦会議in釜石」に御参加をいただきましてありがとうございます。岩崎県議もありがとうございます。
ここは本当に音が、音響施設がよくて、話していても気持ちがいいんですけれども。県政懇談会は、昔から知事が、岩手県内各地域、各分野で活躍している人の声を伺ってそれを県政、政策に役立てるということで、昔からやっているんですが、今「いわて幸せ作戦会議」と名乗っているのは、今の県の県民計画、県の総合政策の計画(「いわて県民計画(2019~2028)」)の基本目標に、「お互いの幸福を守り育てる希望郷いわて」というフレーズがあるので、「幸せ作戦会議」というふうに銘打っております。
この釜石、大槌では、まず4月22日からの林野火災、改めてお見舞いを申し上げたいと思います。大変大きな被害だったんですけれども、日本の東側から多くの消防隊が来てくれまして、地元消防隊と、県外からの消防隊が力を合わせて民家への延焼を食い止めたということで、昨日ですか、サーモン祭りも無事開かれたということで、よかったのではないかなと思います。もともと乾燥しやすい岩手沿岸地方で、1961年には三陸フェーン大火という、宮古市を中心に、2万6,000ヘクタールですね、桁違いの延焼面積の林野火災が過去にも起きていたりするんですけれども、気候変動のせいで、極端な乾燥が起きやすくなり、また強風と組み合わさって、大規模林野火災のリスクが高まっています。
また、今、世界の紛争・戦争が、輸入されるものの価格とか、あと石油化学製品の物価高騰、あるいは供給不足、そういった形で、地方の経済社会を直撃するような、地球規模の問題、世界的な問題が、この地方の暮らしや仕事を直撃する時代になっているんですけれども、一方で、この地方でやっていることが、世界のどこからでも見ることができて、評判のいいことについては、世界中で話題になったりとか、世界中から観光客が来たり、世界中に物を買ってもらったりとか、そういうチャンスが広がる時代にもなっております。
今日おいでの皆さんは、そうしたピンチの中でチャンスを生かして、この釜石、大槌で活躍しているということで、そのお話をぜひ伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。
出席者紹介
小國部長
それでは、この後の進め方についてですが、まず私の方からお一人ずつ御出席の皆様を御紹介いたしますので、1分程度で簡単な自己紹介をお願いしたいと思います。
その後、本日のテーマに沿ってお話をいただきますが、お一人ずつお話が終わった都度、知事がコメントするというような形で、区切りながら進めて参りたいと思っております。そして最後に、自由懇談の時間も設けたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
それでは座席表に従い本日御出席の皆様を順次紹介させていただきます。
浜町の宿 花月邸オーナーであります、三上佳月さんでございます。
三上 佳月
初めまして。三上佳月と申します。簡潔に話すのが苦手なのでちらちら原稿見させてください。すいません。6年前に、かまいしDMCに転職するために、東京から縁もゆかりもなかったこちらに引っ越しました。それで、社内結婚をしまして、今、1歳児の母です。
昨年1月に民泊事業で起業して、それに続いて、ちょっと予想外だったんですが夫の家業である眼鏡屋の代表を急遽承継しました。その他に釜石国際外語大学校の英語講師や通訳、あとはオーストラリア人の旅行手配の業務受託とか、そしてですね、月2回ほど「姫神」のギタリストをやってた大久保さんという方と一緒に「和美東」というバンドでチェリストのお仕事をさせていただいております。
地方の若手の方の多くがそうだと思うんですけども、各所人手不足で引く手あまたという状況です。自分で言うのもなんですが。それで本当に周りに助けていただきながら何とか何とかやっていて、これでも一応悩みに悩んでこの仕事はやりたいなということと、家計に必要だなということに絞ってやっているつもりではあるんですけども、それぞれの事業とかの成長に焦らないことと、あと、日々ですね、毎日の取捨選択を的確に行うっていうことで、何とか生きていきたいなと思っています。よろしくお願いします。
小國部長
ありがとうございました。
続きまして、大槌町地域おこし協力隊の臺隆裕さんです。
臺 隆裕
はじめまして。臺隆裕と申します。本日は貴重な機会をいただいてありがとうございます。簡単にですが、自己紹介をさせていただきます。
私は大槌町で生まれ育ちまして、音楽とともに生きて参りました。
高校1年生のときに東日本大震災で被災をしまして、その後たくさんの方に助けていただきながら、高校生活を送りました。その先を考えたときに、いつか、伝承というものを誰かがずっと続けていかなくてはというふうに思いまして、東京の音楽学校に進みまして、20歳からプロトランペット奏者として、10年間、30歳まで活動してきました。
今まさに知事の後ろに書いてある、「未来のための伝承・発信」というところと「よりよい復興」というところ、まさに私のテーマだなと思って見ていたんですけれども、これを成し遂げるためにはやはり大槌の元に戻って、大槌の空気を吸って、大槌の人と話して、この地元のものを食べていかないと、何もできないなというふうに感じまして、30歳を区切りとして、昨年大槌町に戻りまして、地域おこし協力隊として、大槌町観光交流協会で、今おっしゃっていただいた「サーモン祭り」、昨日だったんですけれども、主担当として会場を回させていただいたりですね、あとアニメフェスタだったり、そういったものもすべて担当させていただいております。
今日は、いろいろと皆さんの御意見も聞きながら、楽しい会になればいいなと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
小國部長
ありがとうございます。
続きまして、NPO法人吉里吉里国理事長であります、松永いづみさんでございます。
松永 いづみ
吉里吉里国の松永いづみと申します。
私は震災後の復興支援員として、釜石市、大槌町に支援員として入ったのが2012年の秋ぐらいに来て、そのあと、こっちの人と出会いがあって結婚させていただいて、吉里吉里国には、一昨年、2年ほど前から理事長を継いで、今おります。震災後立ち上がって、海がなくなったけど森が残ったということで、林業を中心に活動を展開しております。私自身は林業にほとんどつながりがなかったんですが、今、色んな課題がいっぱいあるという分野で、私にできることというのを精一杯、色んなところでやらせていただいております。以上です。今日はよろしくお願いいたします。
小國部長
ありがとうございました。
続きまして、釜石市専任移住コーディネーターであります、水島壽人さんです。
水島 壽人
水島壽人と申します。本日は貴重な機会をいただきましてありがとうございます。
私は、神奈川県の鎌倉市の出身で、もともと東京の企業で働いておりました。生活の基盤は常に首都圏にあり、もともと東北とも岩手とも縁もゆかりもなかったのですが、2011年の東日本大震災の後、あの年の4月に、復興支援ボランティアとして陸前高田、それから、ここ釜石、大槌という3ヶ所に足を運んだことが、結果的に私の人生を大きく変えるきっかけになりました。
東京で岩手を応援する活動を様々しておりまして、例えば「岩手わかすフェス」や「岩手郷土芸能祭」などのお手伝いをしているうちにどんどん岩手が大好きになり、岩手にはまり、「趣味は」と聞かれると「岩手です」と答えるぐらいになっていきました。2019年に会社を辞めて独立をするというときに、釜石の仲間から声をかけていただいて、そこから半年間、東京から釜石に通って、三陸沿岸の地域の企業さんの採用支援の仕事に携わらせていただきました。
その際にお会いした、三陸沿岸の地域の企業の経営者の皆様のふるさとに対する想いや、このふるさとを何とか良くしていきたいんだという情熱を感じまして、それが言葉にできないぐらい私にとっては魅力的に映りました。この人たちと共に、この地域の未来を作りたいという想いが決定打になって、2020年の6月に、地域おこし協力隊として釜石に入って、釜石市民になったというところです。
というようなもっともらしいことを申し上げましたが、自分としては、気づいたら大好きな岩手に移住をしていたというのが正直なところで、自分自身としてはごく自然な成り行きでこうなったというところです。本日はどうぞよろしくお願いします。
小國部長
ありがとうございました。
県からは、先ほど御挨拶申し上げた達増知事、それと、沿岸広域振興局 村上局長でございます。
また、本日、岩手県議会から、釜石選挙区選出の岩崎友一議員が御出席でございます。
懇談

<テーマ>
若者・女性に選ばれる三陸地域を目指して
小國部長
皆様のお手元に、お菓子と飲み物も準備させていただいております。
召し上がりながら御懇談いただければと存じます。
それでは村上局長から、本日のお菓子、また、懇談テーマを紹介いたします。よろしくお願いいたします。
村上局長
どうぞ、召し上がりながらお聞きいただければと思います。お手元の資料にも、県政懇談会の茶菓の御紹介という資料もお配りしております。「大槌城山ポテト(アップル)」でございます。製造元の「菓子工房エルマーノ」さんは、昭和24年創業、現在の店主で3代目となる老舗の菓子店でございます。東日本大震災津波で被災されましたが、店舗を再建され、大槌の魅力をお菓子にのせて発信したいとの思いで、新商品の開発にも意欲的に取り組んでおられます。このお菓子は、一番人気の「大槌城山ポテト」にりんごを乗せて焼き上げたものでございます。昨年発売された新商品でございます。さつまいもペーストにバターや生クリーム、白あんを加えて、なめらかでコクのある味わいをお楽しみいただけるというふうに思います。
また、飲み物として、これは皆様御承知の、釜石の「仙人秘水」も御用意しております。
お馴染みかと思いますが、どうぞ御一緒にお楽しみいただければというふうに思います。
続きまして、本日の懇談テーマについて説明をさせていただきます。改めてになりますが、本日の懇談テーマは、「若者・女性に選ばれる三陸地域を目指して」とさせていただきました。当沿岸地域におきましては、若者・女性の多くが進学期・就職期を機に県外へ移動し、人口が、残念ですが、県平均を上回るスピードで減少しておりまして、復興を進める上での大きな課題となっております。
そのような中で県では、岩手県民計画第2期の政策推進プランにおきまして、重点事項の一つに、「社会減・自然減対策」を掲げておりまして、当振興局といたしましても、ジェンダーギャップ解消であったり、移住・定住の促進に向けて、市町村と連携した取り組みを推進しているところでございます。
今回の県政懇談会におきましては、地域で様々な活動に挑戦されている皆様方から、現在の取り組みや今後の展開、取り組まれている中での課題など、様々なお話や御意見をいただき、若者・女性に選ばれる地域を目指すための取組の参考にさせていただきたいと考えてございます。どうぞよろしくお願いいたします。
小國部長
それでは早速、懇談に入らせていただきたいと存じます。
ここからはテーマに沿いまして現在の取り組みや課題、また、今後の方向、御自身の抱負、さらには県への期待なども含めまして、お話を伺って参りたいと思います。それでは先ほどの順番で、お一人5分程度を目安にですね、お願いしたいと存じます。お一人ずつお話をいただいた後、知事からコメントを頂くという形で進めて参ります。よろしくお願いいたします。
それでは初めに、三上さんの方からお願いいたします。
三上 佳月
よろしくお願いします。お菓子が美味しくて、初めて食べました。ありがとうございます。
まず私なんですけども、5足ぐらいのわらじを履いている幼子の母ということで、かつ、夫はなんと今、水産アカデミーにお世話になっておりまして、漁師見習いをやっていて、抱負も課題も事業ごとにあるし、お伝えしたいこともたくさんあったんですけども、今日はテーマを踏まえたときに、なぜ私が、今後も岩手に住み続けたいと思っていて、どんなビジョンを持ってそれを思っているのか、お伝えできればなと思っています。なぜ今の生き方をしているのか、その課題と抱負を説明したいと思います。
もともと釜石で就職すると決めた理由ですが、インドネシアで幼少期を過ごして、1997年のジャカルタの暴動で、政府のチャーターした避難便で帰国した私なんですけれども、五体満足に生まれて中流階級の安定した家庭に育った自分の人生、社会格差の根本解決に少しでも寄与することで使っていきたいと幼いながらずっと思っています。その手法をいろいろ模索するために、色んな場所に行って多くを学びました。
社会人5年目ですね、2020年なんですけども、ずっとしばらく抱いていた違和感に対する答えが見つかった気がしていて、自分の価値観やビジョンを整理したところ、答えとして、日本で、風土を生かした持続可能な暮らしを追求しながら、その周りで育つ子どもたちが平和を望める教育をしていきたいと決めました。全国で転職活動をした末に選んだのが釜石でした。豊かな風土に恵まれて、植民も被植民もほぼ免れた歴史が育んできた日本の人間の生き方、すでに世界で多くがお手本としている日本の暮らしや価値観なんですけども、搾取の構造が前提に作られてきた資本主義社会が崩壊すると言われている今、かけがえのないヒントを世界に提示すると思っています。
それで、土地に寄り添う日本の暮らしの文化と価値観が特に脈々と生き続けてきているのが、unbeaten tracksとも言われてきたこのみちのくだと思っていて、引っ越してきて7年目になる今も日々それを実感しています。驚いているのは、岩手の自然と生活文化が未来に与える可能性っていうのを信じて人生を追求する人、地元の方も、外から来た方も両方、老若男女ですね、次から次へと出会うんですね。私の仮説は間違っていないかなと、これからも追求して然るべきかなと今は感じています。
実は、すごいポジティブすぎるかもしれないんですけども、温暖化が進んでいる今、10年もすれば、今は一部の人だけが気づいているこの土地の可能性に色んな人が気づくようになって、岩手は慌てなくても人がこぞって住みたがる場所になる可能性すら考えています。
それを実現のものとするために、より色んな方が住みやすいこの土地に合った生き方がしやすい地域にしていくべきだと思っています。抽象的な話ばっかりしたんですけれども、なぜそれが今の私の生業に至ったのかというところですが、出産を機に、家で働ける時間を増やしながら、当初釜石に来たときの志に少しでも近づきたいと思って、産休後、それまでに勤めていたかまいしDMCをパート勤務に変更して、二足のわらじでやっていこうと、民泊を中心とした小規模観光サービスとして、宿の花月邸を起業しました。
私が釜石に引っ越してきたときに、職場から徒歩5分で、チェロの練習ができる蔵もあって、格安だったので購入した空き家だったんですが、住めば住むほど、その家と周りの環境の美しさとそして住み心地のよさに感激する日々で、今の釜石には、やはり外貨で営む生業もなければいけないと考え、この家ならば外の方を釜石に呼ぶ力があると思って、民泊を始めました。エバレット・ブラウンさんなど、確たる文化人の方々から強い後押しを受けたのも動機となりました。万が一、民泊が軌道に乗らなかった場合と思って、家で働く時間でも補えるとお受けしたのが、短大の英語講師と旅行手配業務で、それは今も大事な安定した収入源になっています。そして民泊開業の半年後、夫の母であり、家業の眼鏡屋の前代表が急逝しました。ここ(釜石PIT)の斜め向かいという一等地で、土地も建物も所有物件で、義理の母が震災のときの全損の再建のローンを亡くなる半年前に完済した店です。震災だけでなく本当に数々の試練を経て、おじいちゃんの代から数えれば70年生き残ってきた店で、継ぐか悩みに悩んで、今でも、今日も悩み続けているんですが、また一つ、釜石から地域の店を無くしてしまうことの善し悪しを、岩手で、他の人にも倣ってもらえる持続可能な暮らしを模索するっていう自分の軸と照らし合わせ続けて考えていると、どうしても閉じるという決断ができておりません。
本当は息子が伸び伸び遊べる緑に囲まれた古家でオフグリッドな生活をしたい。こんな街中でなくてですね、でも、タイマグラ婆ちゃんだって、山の麓に町があったから、あそこでの暮らしを追求できたし、もし町がなくなったらどんなに現代的な山中での暮らしをしても、病院などがなくなって、やっぱり都市に戻るしかなくなるだろうと思い、町を最小限の形で維持していくことも、地方都市の自然資源を生かした暮らしの追求には必要なのではないかというのは、今の私の仮説であり、思いであります。
結論として週3日、勤続50年のベテラン従業員さんと眼鏡屋を開け、英語講師を週4コマ、その合間で民泊と他の仕事をしています。
民泊は今年1年で予約も含め、105人泊。9割以上が外国籍のお客様です。まだまだなんですけども、時間が本当になくて、手がかけられていない事業の中でも予約が確実に入っているので、手応えを感じています。
眼鏡屋は義理の父母が年金を収入減にやっていたため売り上げ確保に苦戦していますが、承継から半年たって、今年の目標月商には何とか届くようになってきているので、悩みながらもう少し様子を見たいと思っています。県の方、自治体の方にお願いしたいこともあるのですがちょっと5分で収まらなかったので、最後に今後の抱負だけお伝えしたいです。
生業が大きく変わって1年が経ちましたが、今はこの5足のわらじの生き方をしばらく挑戦してみるべきだと。もしかすると、私の前提としている仮説が間違っていなくて、この生き方でも何とかなるかもしれない、自分の生きるベストの選択肢かもしれない、と思っています。なので、5年後ぐらいに今の挑戦の行く先のめどが少し立ってくると思っているので、家計のための借金はしないこと、すこやかに生きることを最低条件に、慌てず、引き続き挑戦を続けてみたいと思っています。ありがとうございます。
小國部長
ありがとうございました。では知事からコメントをお願いいたします。
達増知事
釜石に来てくださってありがとうございます。私からも御礼申し上げます。
やがて釜石の時代が来るというか岩手の時代が来るというか、生活と仕事のバランス、そして大切な人と一緒に過ごすっていうこと、自然の豊かさ、食べ物の美味しさとか、そういうのを総合的に考えて、やっぱり、東京のようなところじゃないだろうという、当たり前の結論だと思うんですけれども。
地方から東京への人の流れっていうのは、実は、一定のペースで、滔々と流れているわけではなくて、実はやっぱり高度成長時代とか、バブル直前の異常なバブル経済で東京が盛り上がっていたときとか、そういう、異常なときにどどどどっと地方から都会に、そういう時は岩手から、高度成長の頃は年2万人とかいうペースで人が出ていて、バブルのころは1万人くらいなんですけど、1990年代は、1,000人とか2,000人しか出てない時期もありましてね、1990年代、特に1995年というのは、329人しか転出超過してない年もあったりしまして、そういう、人々が正常な状態になってですね、やっぱり地方の方がいいと思う時期もあるんですけれども。
ただ、2000年代に入って、本当は10年周期ぐらいで東京一極集中、地方回帰って波のように実はあったのが、2010年代に地方回帰がなくて、30年ぐらい続いて、東京一極集中になっちゃっているのが最近なんですけれども。だからといって、東京が成功しているのかとか、その東京の繁栄によって日本全体が経済で成功しているかっていうと、全然そうじゃないですからね。日本全体が失われた30年とか言われているのは、東京一極集中を30年続けちゃったから失敗しているので、ちゃんと地方回帰していれば、こうはなってないんだと思います。そういう中で5足のわらじというのは、大変かもしれませんが、一方地方にも、都会にあるような仕事はある。ただ、それだけでは食べていけないっていう法則のようなものがあり、複数の仕事を組み合わせれば、食べていけるし、それぞれ外国人を相手にしたりとか、都会でやるような仕事を地方でやることもできるということで、まさにそのようにされているんじゃないかなと思います。非常に他の人たちの参考になるんじゃないかと思いますので、この調子でぜひぜひ。ありがとうございました。
小國部長
それでは続きまして、臺さんの方からお願いいたします。
臺 隆裕
改めまして、臺隆裕と申します。よろしくお願いいたします。珍しい名字でございますのでぜひ覚えていただけると嬉しいです。
今回のテーマと、私の人生の経験というところで、交差するところが多々あるなというところがあるので少し、お話をさせていただければなと思います。私20歳から、プロトランペット奏者として日本全国で演奏活動をさせていただいて、それと並行してチャリティーコンサートであったり、防災のイベントでの講演活動というところも、たくさんさせていただきました。
その中で出会ったお客さんの数であったり、私が関わった生徒さんたち、色んな高校・中学校でも教えてきたので、数万人規模になると思うんですけど、必ず、私の人生とか音楽を話す上で必ず大槌というところがすべての根源になっているので、大槌出身でこういう経験をしたので、皆様に会えていますという、震災自体はすごく悲しくて辛いものではあるんですけれども、その後につながったご縁というところはすごく恵まれた人生だなと私は思っているので、それは包み隠さず、子どもたちにも、お客様にもお伝えして活動してきました。
関東でずっと生活する中で、家に帰っても帰った感じがしないといいますか、ずっと、10年近く関東に住んでいたのにもかかわらず、家に帰ってもなかなか気が休まらないというか、だけれども月に1度、大槌に帰って中高生の音楽指導などさせていただいていたんですけれども、まず花巻駅で降りて、何かがどっと取れて、新花巻で、何かが肩からどっと取れて、釜石線に乗って景色見て大槌に着く頃には、「帰ったな」っていう気持ちになるというところがあって、これが郷土愛なのか、何かストレスなのかちょっとわからなかったんですけれども、とにかく僕は大槌に来ることですべてをリセットしてまた元気になって、大槌から関東に戻ってっていうところがあったので、その上で関東で活動する中で、色んな良くない言葉を浴びたりとか、なかなか震災伝承というところは難しいところもあるので、色んな見方があるので、批判などもあったんですけれども、そういったお声もすべて大槌のためにつながればいいなというところの思いで、頑張ることができました。
先ほどの指導の話なども含めてたくさんの方に、大槌の魅力などをお話してきたんですけれども、とある高校生が、受験勉強で、もうしんどくなってしまって、ちょっと親に内緒でお小遣いで夜行バスで大槌に行ってきたんですって言われて、大槌に行って、何するでもなく、ただ民泊に泊まって、1日中ふわふわっと町内回って、お店の人と話して帰っただけですべてが楽になりましたって言ってくださって、僕自身、地元の人間だからそう思っていたのかなと思っていたのが高校生でも、僕の故郷にそういうふうに感じてもらえるんだなと思って、これってつまり第2のふるさとになり得る町なんだなというふうに思いました。
この第2のふるさとというところをうまく発信していきたいなと、音楽も含めてやっていきたいなというふうに思いまして、その子どもたちへの指導もそういうテーマで、関わるようになって、今、年に何回か会いに来てくれる、もう大人になった20歳超えた子達も会いに来てくれたり、大型イベントがあれば、昨日のサーモン祭りとかもですね、関東からわざわざたくさんの大学生であったり、遊びに来てくれたりですね、そういうのもあって、やっぱり大槌というところが何かの安心するような羽を休めるような場所になり得ているんだなというふうなのはすごく、期待があるというか、いくらでも料理のしようがあるところなんだろうなと感じているところです。
併せて、私もその30手前のときに、様々なところで、講演活動であったり、大槌をテーマにした曲を書いたりですね、震災前の大槌の道の名前を使った曲を書いたり、色んな活動していたんですけれども、その中で、その復興とは何だろうかというところをもう10年近く悩みました。
何をもって復興と言うべきなのか、私は、何をもって復興と胸を張っていいんだろうかと、大槌町は復興しましたと胸を張れるんだろうかと、大変悩んだんですけれども。一つ今出た答えとしては、文化の復興が、私の追い求める復興だなと思っております。それは震災前の大槌の人の空気感を作ること。特に文化芸術に対して価値が生まれるような町になることが、復興なのではないかなと私は思っております。それは郷土芸能であったり方言であったり様々な形に残っていないものに対してなんですけれども、先ほどちょっと配らせていただいたんですけど、ステッカーを今日お渡ししておりまして、私観光交流協会で、帰ってきてですね、去年からやっていたところだったんですけれども。大槌に改めて帰ると、これってどういう意味なんだろうっていう方言がたくさんありまして、携帯でメモをしていたら100何十個とたくさん出てきまして、それを一つ、何か形にできないかなと思って観光交流協会の事務局長に話をしたら「じゃあグッズにしてみよう」と言ってくれて、この今お渡しした「なあどでぃ?」というのは、「なあど」っていうのが「そなた」っていう意味合いがあって、大槌はもともと城下町だったのでお侍さんもいたので、なので「そなた達」、「でぃ?」ってのが「どう?」って意味で、「あなたたちどう?」「あなたどう?」っていう意味で、「最近どう?」っていう時に、海側の地域の人が使う言葉なんですけれども。
これがまた山側であったり町方であると、全然狭い、(人口が)1万人切った町なんですけれども、言葉のニュアンスも全然変わってきて、それに紐づく歴史もちゃんとあってっていうのが面白いなと思って、こういうグッズ展開とかもさせていただいているところでございます。
今回のテーマで言うと私が帰ったトリガー的には震災とかそういう特殊な生い立ちがあったと思うんですけれども、ふるさとに帰ってきて思うのは、「我が町に何かあるでしょう」という期待感をずっと持っていました。それは何なんだろうかと、我が町にはきっと何かすごいものが埋まっているはずだっていうすごい期待感を持って、大槌に帰ってみたら、たくさんの何かがあったんです。言葉も含めて、歴史も含めて、目に見えないところで、本当にたくさんの、世に出しても全然恥ずかしくない、楽しい文化、面白い文化、魅力ってのがたくさんあって、きっとそれを期待している若者はたくさんいるんだろうなと思っています。
岩手県内各市町村それぞれに魅力がたくさんあって、表面に出ているものと出てないもの、出してはいけないものもあるとは思うんですけれども、それでもこの若者たちが期待するのは自分の血に流れているもの、自分が育った環境が何かすごい環境だったんじゃないかっていう期待感だと感じています。なので、私個人としてはこれからもこの大槌町をどんどん掘り下げたりして、大槌町ってすごく色んなものがあるんだよっていうのを、私よりも下の世代たちに伝えて、そうしたときに、そんな町だったら帰っていいかもなっていうところは思うんじゃないかなと。お仕事がないとか、なかなか就職ができないとか、教育ってところは、ちょっと私の範疇ではなくなってしまうというか、難しくなってしまうんですけれども、ただきっかけとして戻ってくればあとはアイデアと、若いうちは失敗しても大丈夫だと思っているので、アイデアさえあれば色んなことができるかなと思うので、まず私にできることとしてはそういった魅力の発信、皆さんが気にかけている大槌町というのは面白いものがたくさんあるんですっていうのを声を大にして、そして音楽とともに届けていくというのがこれからの私の人生かなと思っているところでございます。以上でございます。
小國部長
それでは知事、お願いいたします。
達増知事
やっぱ大槌のパワー、すごいですよね。東日本大震災直後、ものすごい大ピンチだったわけですけれども、そこから、強靱さで立ち上がり、復興に邁進して、今日に至って、山火事がそこに重なってきたんですけれども、跳ね返したというところだと思います。江戸時代、盛岡藩、南部藩の代官所があって沿岸の一大拠点だったっていうことと、あとは吉里吉里善兵衛さんのような、豪商、大商人がいたりとか、文化も高く経済力もあったんだと思いますね。そして、近現代になってからもの漁業のパワーっていうのがやっぱりあったと思いますし、そういう浜の力に、文化とか経済とかの力も加わって、大槌のパワーの背景にあるんだと思うんですけれども。大槌で受験生がリセットできた経験の話というのは、大槌高校のはま留学が成功しているっていう話を思い出させますね。
都会の方から大槌高校に入ってきて、すごい伸び伸びと、釣りが大好きな男子高校生に話を聞きましたけど、すごい好きなことをやって、もう、本当幸せそうに、勉強もしながら、釣りをしていて、そして、何か残さなきゃってことで活動もいろいろやって、他の人のための活動もやっているってところが、偉いので、そういうところ足り得るんだと思います。トランペットは、さっきオリジナル曲みたいな話もありましたけど、講演とトランペットを組み合わせるとき、どんな曲を演奏したりしているんですか。
臺 隆裕
これも自分の曲であるんですけれども、大槌の昔あった駅前から続いていた通りの名前で、飲み屋街の通りがあったんですけど、それが「七軒町」という名前なんですね。
それが、そこに昔、おっしゃったように勢いがあった頃の人たちはそこで飲んで歩いて、コミュニケーションをとってっていう話を、父からも、その友人たちからもいろいろ聞いていて、それをイメージした曲を作って、昔、大槌にはこういう通りがあってってお話をして演奏して、その上で、もう一度そういう活気のある大槌、飲み屋街が賑やかな大槌が戻ってくるように、すごくポジティブな意味でお届けしていますというふうにお話をして演奏させていただいています。
達増知事
なるほど。そういう、語る中身のある曲を演奏している格好なんですね。なるほど、わかりました。ありがとうございます。
(三上さんは)チェロの練習をしてもいいような家ってことで、(臺さんは)トランペットの練習も結構、伸び伸びとやっていた?
臺 隆裕
やっていました。家でもやっていましたし、海っぱたでも、川とかでもよく吹いていました。
達増知事
海とか川かっこいいですよね。
臺 隆裕
下手だと怒られちゃうので、頑張って吹いていました。
達増知事
ありがとうございます。
小國部長
ありがとうございました。それでは続きまして、松永さん、よろしくお願いします。
松永 いづみ
よろしくお願いします。
私は震災のときにちょうど青年海外協力隊でアフリカのマラウイというところで活動しておりました。震災のときには日本が大変なときに、海外支援をするということもあって、帰国して復興支援員として釜石市に入ってきたのがきっかけで、こちらにおります。そのときから、何か私にできることがあれば、もう、全力でやっていこうというスタンスは、今も変わらずです。文化もですね、言葉も、常識すら割と違ってくる地方で私に何かできるのかなあっていうのを、日頃、今も割と思ってはいるんですけれども。知らないからこそできることとか、東京にいたからできることっていうのも必ずあって、それを今、仕事にできているなあというのがあります。結婚を機にこちらに移住という形にはなったんですけれども、まず自然とともにある暮らしっていうのが、ここにずっとあって、これからもきっとあるであろう、文化、食文化含めてあるというのが、私にとってはとても新鮮で面白いです。
その辺にある、草っぱらのヨモギが食べられるとか、それが夕方の夜の食卓に上がるとか、そういったこの地域の人たちにとっては割と日常のことでも、一つ一つやっぱりすごく面白くって。私も知らないことがこんなにたくさんもあって、逆に私はこの地域に本当に生かされているというのを、日頃感じております。
復興をきっかけに、先ほど知事がおっしゃっていたような、大槌には本当に立ち上がる強さっていうのはとてもあってですね、吉里吉里は特に、自分たちの地域を自分たちで守るという思いっていうのがとても強くて、もう本当にそこに憧れと、尊敬としかなくってですね。この前の山火事のときも本当に私は、見るしかできなくって、できることは何かないかっていうのを、何かできることあったらやるよっていうのを言っていったら、日頃吉里吉里国では、林業で山に入るだけではなくて子どもたちへの木工教室をやったりだとか、「薪まつり」っていうイベントをやったりだとかっていうのをしているんですけど、避難所の子どもたちに向けて木工教室やってくれという話があって、そこに木工の、木の実だったり、そういったものを持っていって、ものづくりをする。そのあとも、「あそび基地」というイベントをみんなでやろうという話になったときも、地域の子どもたちがやっぱりこのままゴールデンウィークに入ってしまって、2週間ぐらい音信不通になって、子どもたちも発散もできず、学びたいっていう思いも叶えられずというのは危惧されていた時期もあったので、そこで、もう思いっきり子どもたちが走り回って叫び回って、ストレス発散できるようなイベント、友達と会う場所っていうのが必要だという話になって、そういったイベントをしたりとかですね。
森に関わることっていう思いで、吉里吉里国っていうのはあるんですけれども、そういった地域の人たちと一緒に何か作っていくとか、日頃のネットワークがあるとか、顔が見える関係っていうのは、よく地方を指す言葉として言われはするんですけれども、その中に自分が居られているっていうのがとても嬉しく、幸せだなあと思うところです。
移住の魅力としてはですね、やっぱり初め、ここに来たときには、エンターテインメントみたいなものも少ないですし、何もないと。シャッター街が並んでしまっていて、特に震災後だったので、やっぱり崩れてしまった家屋だとかっていうのがとても多かった。
そこからやっぱり色んなものが立ち上がっていって、色んな人たちが集まってきて、自分たちを作っていくっていうのを本当にやっているところっていうのを途中でずっと見られていて、私の価値観みたいなのもとても変わっていってます。
今は、東京の方の教育旅行などの受け入れもしていて、この地域に来たときに、何もなくてつまらないと言っている子どもたちに薪割りをさせたりとか、火おこしをさせて、自分たちで物を作って食べるということを少しだけでもわかってもらうと、本当に、美味しそうにこう、この辺(顔)を黒くしながらですね、楽しんでいる子どもたちを見ると、やっぱりまだまだこういった需要っていうのはあるなっていうのを感じるのと、そのかけ橋になるっていうのは、私のこの地域での役割なんではないかというのも感じながら、色んなことをしています。
吉里吉里国の代表とは別にですね、今、大槌学園、吉里吉里学園の地域コーディネーターという仕事もやらせてもらっています。主に総合的な探究の時間の、「ふるさと科」という地域を学ぶ授業の、地域側の先生を探すコーディネーターです。この地域コーディネーターっていうのも、地域のつながりのですね、深さというか強さをとても感じる仕事で、先生から「何々団子づくりの先生を探してほしい。日程はこういう候補日です。」(と依頼があり、)地域のネットワークのキーになる方にその話を持っていくと、「それだったらばここのグループの人たちに声をかけるといい」と言って、それを私は本当に御用聞きで聞いて回ってつなげてというのは、主な仕事なんですが、子どもたちに教えたいっていう思いも一緒に、子どもたちに届けなければいけないなっていうのを改めて感じています。やっぱりこの地域の、文化、食文化含めて、そういった思いみたいなのも、ここの子どもたちは日頃受け取って暮らしているのも、羨ましいところではあります。都会の方から来た子たちにはやっぱり、ここがかわいそうとか何もない場所ではなくって、逆に何でもできるワクワクがとっても詰まっている場所なんだよ、そういうのを選んで今ここにいるんだよというのも伝えていきたいと思っております。ありがとうございます。
小國部長
それでは知事からお願いいたします。
達増知事
ありがとうございました。
マラウイで協力隊をやられたということで、復興っていうのは、途上国の開発、デベロップメントですよね、「開発」、「発展」と、2通り訳すんですけども、いずれデベロップメント。
復興とは何かってのは私もずっと考え続けているんですけれども、デベロップメントなんだと思うんですね。まずインフラを直したり新しく作ったりっていうところから始まって、経済開発、産業のデベロップメントをやるんですけれど、非常に大事なのは、ヒューマンデベロップメントで、人材育成、教育とか訓練とか、そういったところで、この経済、社会がちゃんと回っていくようにするということで、復興っていうのは、そういう国々の開発とすごい似ているなと思っているところに、2015年に国連がSDGsを採択し、持続可能な開発目標ですね。Sustainable Development Goals。
誰一人取り残さないっていうのは、我々も岩手の復興をそういうふうにやってるよなあというふうに感じましたし、そしてジェンダーギャップ解消みたいなのも入っていて、これ復興にも大事なんだよなあと思いながらやっていましたし、ちょうど世界の、国々の開発、発展、デベロップメントっていうのが、途上国だけの問題じゃなく先進国の中にも、まだまだこう、ジェンダーギャップの問題みたいな未開発なところがあるし、先進国、途上国共通のデベロップメントっていう概念がちょうど国連の方から出てきていて、復興にこれは役立つなと思っております。復興もそういうSDGsの一つというふうに取り組めばいいんじゃないかなと思っています。
色んなインフラがあって自然が守られて、食べ物などに文化もあって、そこで子どもが育っていくっていう、やっぱこのヒューマンデベロップメント部分がしっかり発展することが大事で、そういうことをやられている、松永いづみさんには本当に私からも御礼を申し上げたいところなんでありますけれども。薪割りとか、火起こしとか、体験には事欠かないんだと思います。是非、その調子でよろしくお願いしたいと思います。ありがとうございます。
小國部長
ありがとうございました。それでは続きまして水島さんからお願いいたします。
水島 壽人
改めてよろしくお願いいたします。
今私は、釜石で主に三つの取組を担わせていただいているというか、活動させていただいています。一つは地域の外の皆様と釜石をおつなぎする、移住コーディネーターです。二つ目が、これも今地域の大きな課題になっていますけれども、事業承継の支援に関わる事業承継コーディネーターです。それから三つ目が、今日目の前に座っている三上さんも仲間なのですが、地域での新たな挑戦を後押しする、「かまいし起業塾」の企画運営です。これらすべて「人」に関わるというところで共通しているのですが、さらに言うと、お一人おひとりの生き方や、その方の幸福みたいなところに関わらせていただいているということが、今、自分の取組で共通しているところかなと思っています。その方お一人おひとりの幸福に向き合うという視点から、本日のテーマである、「若者や女性に選ばれる三陸」について少しお話をさせていただければと思っております。
移住してから、「かまいし起業塾」や、あるいは「釜石コンパス」のような高校生のキャリア教育などに関わらせていただく中で、一つ気づいたことがですね、釜石では、市民の皆様も、高校生も、例えば、地場の企業に勤めている若い20代の皆様も、例外なく、皆さん「釜石が好きだ、釜石のために何かをしたい」って言うんですよね。自分が育ってきた首都圏、例えば神奈川の鎌倉と比べると、このあたりが釜石は突出しているなというのがすごく感じるところで、これがすごく釜石の、大槌などもそうなのだと思いますけれど、大きな特徴なのだろうなと感じています。今、釜石では、「復興の過程でたくさんの大人の人たちに支えられてきたので、今度は私が地域を支える側に回りたいんだ」という高校生が起業したり、最近だと、夜、街が暗くなってしまうので、街に明かりを灯したいんだということで、釜石で生まれ育った20代、30代の人たちが、「灯りプロジェクト」を立ち上げて活動しているような形で、すごく新しい息吹が生まれてきているなということを実感しています。
若者たちだけではなくて起業塾をやらせていただいていると、やはりこの街のために何かをしたいとか、自分の夢を実現したいんだという、様々な世代の方がいらっしゃって、そういう方々と接していること自体が私にとっての幸せだみたいなところはあります。自分自身としてはこういう皆さんの夢とか希望に寄り添って、その実現に向かって、何か少しでもお手伝いになることをコツコツとしていけたらというふうに思っています。
釜石は、皆様もご存じの通り、復興のプロセスにおいて、ともに復興を目指していこうという志のある方が関係人口としてたくさん関わってきてくださいました。今も多くの皆様が関わってくださっています。釜石の中でそういう想いを持っているたくさんの方々と、それから地域外から釜石のことを想ってくださる方々、そういった方々と一緒に釜石の未来、三陸の未来を作っていくということが、今、私の想いになっています。今日皆様のお手元にチラシを置かせていただいているのですが、7月3日に、釜石で「地域の人事部全国フォーラム」というものを開催します。「地域ぐるみで人を育てていきましょう」というような取組なのですが、釜石は、これまでの歩みと同様に、地域内外の様々な人材、あるいは企業が集まって進めていくプラットフォームを「釜石の人事部」として動かしていきたいですし、システムにしていきたいなということを今強く感じています。
私自身、神奈川や東京から岩手を応援する活動をしてきましたけれども、今も、「岩手わかすフェス」の実行委員として、東京にいる岩手や釜石の出身の人たち、若い人たちと一緒に活動するのがライフワークになっているんですが、首都圏にいる、岩手や三陸、釜石、大槌などに想いを持って関わってくださる方と、地域の中で今新しい取組をしている若い方々をつないで、新しい岩手を作っていく、新しい地域を作っていくことのサポートをしていけたらいいなというのが今、私の想いです。
今回の「地域の人事部全国フォーラム」も、「育成」をテーマに掲げているんですが、私自身が、外から地域おこし協力隊として移住してきたということは、私自身に非常に大きなサポートを、地域の方がしてくださっていたということですが、一つ、ぜひお願いしたいことが、今、地域の中で何かを新しいことを始めようとか、様々な思いを持って活動しようという、特に若い世代の人たちに、直接、投資をしていただくということがすごくこれから大事なんじゃないのかなあということを、今強く思っていますので、ぜひその辺りを考えていただいて、県の皆様とも一緒にこれからも取組を進めていきたいなと思っております。以上です。ありがとうございます。
小國部長
ありがとうございました。それでは知事からお願いします。
達増知事
水島さんも釜石に来てくれてどうもありがとうございます。
震災以降のこの、15年を見てらしてですね、その、進歩発展ぶりもご覧になって、釜石のためにという、高校生もいれば若い人たちもいて、その辺は15年前には予測できなかった動きだと思います。元に戻すだけじゃなく、15年であれば、「15年後にこうあればいいな」と、10年なら「10年後にこうあればいいな」っていうところを目標にして、それがビルドバックベターというですね、震災のときよりも世の中よくなる、地域がよくなるようにという目標の掲げ方をしていたんですが、これほど若い人たちが、想像してなかったような新しいことを地域でやってくれるっていうのは、想像してなかったようなことだと思います。それを生かしていくためにも、地域の外からの協力というのも、これも15年前発災直後に、予測してなかったくらいたくさん多くの人に来てもらっているし、また色んなことをやってもらっていて、これもすごいと思いますね。そしてこの地域の人事部みたいな、こういうメソッドといいますか、やり方というのは、これはさすが、都会で編み出されて発展してきたやり方なんだろうなという、そういうのはどんどん域外から岩手に入ってきて、こういうのを取り入れながらやっていくっていうのが非常にいいと思いますので、どんどんやっていただきたいなと思います。
発展、開発、デベロップメントにおいては、投資というのはやはり決定的に重要なので、そういう若い人たちに投資っていうのが大事だと思いますね。色々、官民ファンドでクールジャパンがうまくいかなかったって話題になっていますけれども、うまくいくような形の、復興の投資、さらに復興のその先に行くような投資を、県としても工夫していきたいと思います。ありがとうございました。
小國部長
ありがとうございました。
それでは一通りテーマに沿ったお話を伺ったところでございます。先ほどまでにですね、皆さん言い足りなかったことでありますとか、また全体を通した御自身の感想であるとか、また、テーマに関わらないことでも結構です。御自身の携わっている、お仕事、生業に関するお話でも結構です。何かあればと思いますが、いかがですか。
三上さんお願いします。
三上 佳月
皆さんお話ありがとうございました。涙が出そうになったりとかすごい笑顔になったりっていうお話ばかりでした。今お話を聞いて、改めてお伝えしたいなと思ったことが三つありまして、一つは、普通に日々生きていて幸せなこと。あと二つ目は県や自治体の皆様にお願いをしたいこと。あと三つは、せっかくこんな機会をいただいたので、矢面に立つ覚悟で、正直な感想っていうのを言いたいなと思うんですけど。まず一つに幸せなこととしては、息子が走り回れる場所にすぐに行けるっていうこと。根浜のキャンプ場、こすもすファーム、さともりさん、伊藤さんの農園とか、ちょっと行けば東和のビオガーデン、タイマグラのキャンプ場って、本当に幸せですね。こんな恵まれた環境はないと思っています。あとは、食ですね。松永さんもおっしゃっていましたが。魚を子どもが食べないなんて、本当にそれは食べている魚が違うからと思うんですけど、息子は1歳で、ナマコでも魚大好きで、野菜一つとってもやっぱりこの北上山地のエネルギーってすごいなって。それは私たちも本当に幸せに感じているのと、町で子どもと歩いていると、声を皆さんにかけてもらえる。東京ってないんですよね、それが。本当に人見知りをしない子なんですけど、もう語り尽くせないぐらい本当に地域のおじいちゃんおばあちゃんにお世話になっていて、あとは自治体の方々とか、水島さんもそうなんですけど、色んなSOSに応えていただいている、個人にフォーカスして助けてくださっているってことは幸せだなと思っています。
それで、お願いしたいことなんですけれども、やっぱり、日本全体が、地域が小さくなっていくっていう必然性の中で、この岩手の魅力をどう作っていくのかっていう時に必要になってくるバリューとしてはっきりできるためには、柔軟性が必要かなっていうふうに思っているんですね。これまでの価値観とかに縛られないで、土地をひたすら見つめて、人々と時代の流れを見つめて、その時に必要な動きをしていかなきゃいけないってのは、すみません、なんかこんなこと言われなくてもって感じなんですけど、でもやっぱり自分が生きていて今ここに生活していて感じているのは、そういうふうに動こうとしている若手が個人で起業したりとか、サラリーマンじゃない生き方を選ぼうとしている若手が、やっぱりちょっとサポートが足りないなと思っていて、例えば、ファミリーサポートサービスっていうのが、地域にはあるんですけども、それが釜石は全然機能してないんですね。サポートしてくださる方にとってもフェアな制度になっていないし、実際、やっぱり日曜日とか保育園が動いてないときに、どうしても預けなきゃいけないことって多いと思うんです、私みたいな生活をしていると。預ける先が全然なかったりとか、自然が好きでここに生きているので、そういう価値観を尊重していただきながら預けられる場所とかがあったら本当に幸せで、それを自治体の方が汗水垂らして、個人個人でサポートするのではなくて、地域の「何かをしたいな、手伝いたいな」って思っている方々いっぱいいるんですけども、その方々が動きやすい、マッチングできるような制度として作っていただけたら、よりいいんじゃないかな、これからの未来、岩手に必要な人々をより柔軟にサポートできる制度みたいなのがどんどんできてくると。アジャイルというか、挑戦をしながら、軌道修正しながら完璧じゃなくていいので、できていくと、起業する人って何も完璧を求めないでやっていると思うので、そういうところも生かしながら作っていただけたらいいかなと思っています。
最後、日々感じていることの感想としてなんですけども、岩手の方々って、自然も厳しいし、協調、調和をすごい重視する性質があるかなと思っていて、そのせいかあんまり誰かが声を上げて、何かを変えていくみたいな草の根的なアクションが非常に向いてないんじゃないかなと思っています。やっぱり岩手は、ある程度、誰か号令を出せるべきと定められた人が号令を出してくれることが結構必要かなと思っていて、それでもう一つ、県の方とか市役所の方って本当に優秀な方が多くて、「助かった」っていうことがすごいたくさんあるんですけども、優秀であり静かな情熱を持っている方に溢れているなと思っているんですけど、一方で、真面目過ぎて、何かルールを作っていくことというかルールを重視する、守ることにエネルギーとその優秀さを注がれている感じがどうしてもしてですね、今の色々変化がある時代の中で、もっと、自治体の方々が、柔軟に動くっていうことをできる教育なんですかね、わからないんですけど、そういう動きができたらいいなと思っている中で、今、釜石市のオープンシティ・プロモーション室のメンバーってのは本当にそういう方々が集まってて、驚くほど自由な発想を持たれた方で、すごい楽しみな取組を色々してくださっているので、それも最後に付け加えておきます。ありがとうございます。
小國部長
ありがとうございました。他にいかがでしょうか。
では、臺さん。
臺 隆裕
皆さんのお話を聞いた上で、いろいろメモをとっていたんですけれども、ちょっと気づいた点がありまして、私もUターンではあるんですけども、地域に帰ってくるって時に、二つトリガーというか、ルートがあるなと今話聞いていて感じたんですけれども。
一つはもう準備がちゃんと整っている町に行くこと。教育であったり、お仕事がしっかりできるような状態っていうのを行政が作ってあるところに行くっていうのが、多分一番安心なパターンではあるんだけど、きっと御三方、お話聞いていた限り、「とりあえず行ってみよう」があったというふうに聞いていました。この二つ、どちらにしてもきっと情報がないと、「しっかりと整っている状態ですよ」っていう情報、もしくは、「こんなに面白い場所」っていう情報のどちらかがないと人がきっと来ることは難しいんだろうなと思っていて、そうなったときに情報発信というところがかなり課題を感じています。というのも、先日の山林火災のときなんですけれども、大槌町の行政の話になってしまうんですけども、その公式的な情報発信がずっとなかったりして、民間の各事業者さんであったり個人が山火事の様子を上げてたりして、「まだここ燃えているのか」ってのが3日前の写真だったりとかして、かなり混乱があったので、観光交流協会っていう組織自体が、普段から町外と町内の両方の窓のような、窓口になっていたのもあったので、関東で地元を心配されてる出身の方であったり、逆に町内で、すごく心配されてる方も集まっていたので、私が各地域全部回って、毎日昼と夜に、山火事の様子をお届けしてすぐに消してっていうのをずっと繰り返してたんですけれども、やはり、それができる人が私以外にいなかったというところと、あとやはり町の様子を届ける、普通の観光という意味でも、情報を届けるっていうところがなかなか難しいところがあるなというふうに感じていて、なおかつ他の観光交流協会、観光物産協会さんとかそういうところを色々リサーチしたときにも、町の魅力、イベントとか、単発イベントのような、打ち上げ花火みたいな、この日だけが盛り上がるってのは見えるんですけれども、全体でずっと面で面白そうだなって見えるところってなかなか見つからなくて、情報発信であったり、そういったものが、県全体ができる人がどんどん増えていったらより面白い県になるなというふうに感じているところでございます。
あとは先ほど三上さんのお話にあったところで大変共感だったんですけれども、私も関東にいたときにですね、岩手県の物産のイベントとかも結構行っていたんですけれども、「岩手のこれが日本で一番です」っていう謳い文句がなかなか見つからなくて、おっしゃったように多分協調性とかというところで、本当に人柄が、岩手県民が日本で一番優しいと思ってるので、でも、逆に言えばやっぱり商売上手な人たちの方に食われてしまうような空気感があったりとか、「あそこもいいですけど、うちもおいしいですよ」ぐらいの温度感で売ってるところが多々あるので、「ここが日本一です」っていう商品とかそういうのがあったら、大槌もそうなんですけれども、「日本でここにしかないです」って誇れるもの、私は、先ほどお話したとおり大槌に帰ってきて、大槌の土を踏んだときに、「日本で一番いいのはここだな」と僕は思って帰ってきたので、そういうものをなんか上手く咀嚼して情報発信したり、人に届けるようなことができればなと思って聞いていました。まずは情報発信のところで、年齢問わずできる人が増えていけば、よりたくさんの方が、岩手県にお越しになるのかなというふうに感じておりましたので、もしそういうところの支援などしていただければ大変ありがたいなと思って聞いておりました。以上です。
小國部長
ありがとうございました。他にいかがでしょうか。
では松永さん。
松永 いづみ
本当に色んな人たちが集まって、今の町っていうのができていっているんだなって改めて思うところと、やっぱり共生するとか調和するっていうところは、多分すごく、色んな人たちが今まで言ってきて、今に至ってるのかなっていうのは、思いつつ、ただ、やっぱり、手挙げをして、意見を言うっていうのは、やっぱり言いづらい雰囲気っていうのは確かにあると思います。
それが、単に叩かれるっていうことではなくって、それを言ってもいい場所みたいなのがあると、もっともっと色んな人たち、思っていること、やっぱりいっぱいいっぱいみんなあるんですよね。「ここはもっとこうなったらいいのにな。」でも、それを言っちゃうと、そのあとの責任とか、すごい真面目な方が多いので、そこにも責任を負うようにっていうのを感じてしまうっていうところを、何かどうにかできないかなっていうのは、私も思っております。子どもたちがやりたいことを言えるっていうのが、今の子どもたちはあると思うんです。
大槌高校は、「マイプロジェクト」というので、色んな子どもたちが自分が関心あることっていうのを、言葉にして深掘りして発表すると。町民の人たちに聞いてもらうっていう場所が今できているので、その姿にですね、やっぱり大人たちはすごく、緊張感というか、焦ってしまう感っていうのは少なからずある。なので、大人の「マイプロジェクト」をやったらいいんじゃないかとか、割と私もそうなんですが、やっぱり言葉に出していくっていうのを、言いやすいのは移住者なんだろうなというのも思っているので、そこをですねぜひ、地域の人とマッチングできるような場所、もう一つ私が最近、一昨年からやり始めているのは、「おおつち100年之業協同組合」という、特定地域づくり協同組合の取組を大槌町ではやっていて、今一次産業を回る人達ですね、午前中は何かをして、午後吉里吉里国に来るとかっていう色んな働き方をしていて、そこで人材が行き交うっていうのも、とてもすごく、刺激になっていたりします。
木でチップをかけたものが山に放置されていて、一方農業だとそれを色んなところで買い取って土を作るとかっていうのも、その人が吉里吉里国に来る時期があって、そこで、
これってもしかしたら地域内で循環できんじゃないのっていう話にもなったりしていて、まだ事業化とか、具体的に動きっていうのはまだ2年目なのでできてはいないんですけれども、そういった人が交流することで、まず、色んな情報がマッチングしていって、色んな火花が広がっていく。そういった場所だったり、情報だったり、マッチングできる何かっていうのがあると、そこで挑戦してみたい若者が集まってきたりとか、あと若者だけではなくて、リタイアして色んな技術や知識を持った人たちっていうのも、すごく色んな知恵を持っているので、そういう人たちも含めて集まる場所があったらいいんじゃないかなと。ぜひそういったものを県全体で、面白い取組みたいなのがいっぱい生まれてくるようになったらいいなと思います。
小國部長
ありがとうございました。
間もなく時間になりますが最後、水島さんいかがでしょうか。
水島 壽人
すみません、時間のない中。
今、松永さんからも、安心してものを言えることが必要ではないかというお話があったのですが、昨年、私が、ある30代の女性の方からキャリアの相談を受けた際、その女性がおっしゃっていたのが、職場でも、家庭でも、「女性はこうあるべきだ」ということを常に言われ続けて、私は耐えられないので、この地域から出て行きたいんだということでをおっしゃっていて、結果的にその方は、仙台に出て行かれたのですが、「いずれまた、ふるさと、地元に戻ってきたいですか」と聞いたら、その方は全く逡巡することなく即答で、「いや、一切もう戻ってくるつもりはありません」と。「外からふるさとを応援したいんです」ということをおっしゃっていたのが、ものすごく私の中では印象に残っていて、今、振興局の皆さんと、「さんりくウーマン・ネットワーク」のメンバーとしても活動させていただいていますが、先ほど松永さんからもお話がありましたが、この地域が安心して暮らせる、安心して様々なことに挑戦できるんだという地域にしていかないと、せっかく外からたくさん人が関わってくださったり、あるいは入ってきてくださったりしても、この中にいる方が生きづらさを感じて外に出てってしまうと本当に意味がないなあと思いますので、これは県にお願いするというよりは、県全体で皆さんと一緒にそういう意識を持って、古い常識や意識の解消に、ここにいらっしゃる皆様と一緒に取り組めていけたらいいなと思っています。以上です。
知事所感
小國部長
大変ありがとうございました。それでは時間になります。皆様本当にありがとうございます。
それでは最後に知事からお願いいたします。
達増知事
大変貴重な意見ありがとうございました。
県の政策に役立たせることができるようなお話もいっぱい伺うことができたと思いますし、若い人たちとか新しいことをやろうとしている人たちを、もっと応援しなきゃならないなということを改めて思いました。
そして、第2ラウンドのテーマとして、なかなか手を挙げて言いづらい雰囲気とか、調和を重んじすぎて柔軟性に欠けるんじゃないかとか、あとは、女性に関する伝統的な役割分担意識の問題とかもそうですね、やはりそういうところはあると思います。
あと情報発信の必要性っていうのは、逆に言わなくてもわかるみたいな行動様式とか、あまり言わないようにする雰囲気とか、それと相通ずるところがあると思うんですけれども、まずやっぱり、事実を発信していくことですよね。こういうイベントがありますっていうのもそうですし、こういうことをやっていますとか、こういう活躍している若い人がいます、こういうのを募集していますとかですね、こういうのを売っています、サービス提供していますとか、まず事実は発信しやすいと思うんですよ。気持ち、感情とかあと意思、こうすべきとかっていうのは、場合によっては正反対のものが、反撃を食らう可能性があるんですけど、事実については、特に本当に事実であれば、反論の余地がありませんで、関係ないって言って、無視されることあるかもしれないけど、関係ありそうと思ってキャッチする人っていうのはゼロではないでしょうし、事実を提供してくってのは反撃を受けにくいので、事実を提供するっていうのを軸にしながら、そこに雰囲気や相手を見計らいつつ感情、気持ちをのせたりとか、意思を発信したりとかいうふうにしていくとですね、いいんじゃないかと思っております。
岩手の人が消極的でおとなしいっていうのはよく言われるし、そういう面もあると思うんですけど、わんこそばで蓋をするまでやめさせないっていう、ああいう攻撃的なおもてなしの文化っていうのも、ありますんでですね、何かやるときはやる、結構攻撃的になることもあるっていう、そういう面もありますので、岩手の人たちのそういうところを引き出しながら、それは岩手県民一人ひとりが自分の中にもあると思うので、そういうところを引き出すメソッド、引き出し方っていうのもあると思うんでですね、今までそういうのが、あまりなかったのは、やり方がよくわかんなかったってところもあると思うので、そういうやり方もまた事実として発信できる情報なので、そういうふうにしていけばいいのかなと思いました。今日はどうもありがとうございました。
さらにいろんなことができるということも感じましたので、県としても、まずこの地域、さらに岩手全体でそういうチャンスを生かして発展させて、その中で幸福、ウェルビーイングを感じながら暮らしたり働いたりできるようにしていきたいと思います。ありがとうございました。
閉会
小國部長
皆様、本日は貴重なお話をいただきまして大変ありがとうございました。
いただきました御意見、お話の内容等々につきましては、県の関係部局、広域振興局等々で共有し、今後の県の施策に活用させていただきたいと存じます。
これをもちまして県政懇談会を終了いたします。ありがとうございました。
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