第20回・企画展「岩手の雑穀と昔の脱穀・調製器具」
展示期間:平成15年10月7日 〜 12月23日
| ◎雑穀栽培の変遷 | |
| 雑穀の中でもヒエは、弥生時代の遺跡である登呂遺跡で発見されていますが、栽培種かどうかは不明とされています。その後、3世紀末から6世紀中頃にいたる古墳時代の各地の遺跡には、米、麦、ヒエ等に加えてソバ、大豆、小豆等が見られており、畑作物として耕作されていたことが明らかになっています。 本県においては、米については、弥生式遺跡とされる水沢市佐倉河常盤遺跡から出土した籾痕土器によって弥生時代後期(紀元3世紀ころ)に栽培されていたと推定されていますが、雑穀はいつ頃から耕作されていたものか明確ではありません。しかし、遅くとも奈良時代から平安時代にかけては、狩猟・採集とともに麦やヒエ、大・小豆、アワ、ソバ等を中心とした焼畑耕作を主とした農業が行われていたものと思われます。なお、中尊寺金色堂の基衡棺からは、詰め物に使ったヒエの種子が多量に出たとされています。 これらの穀物は、あまり気象に左右されずに生育することから、本県では冷涼で高原の多い盛岡以北の畑作地域に普及しました。特にも、原野や山林に火を放って草木を焼き、耕耘や施肥を行わないで播種する焼畑耕作で生産されており、軽米町では、江戸時代を経て食糧難時代の第2次大戦中や戦後はもとより、昭和30年頃まで盛んに行われました。 |
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| ◎雑穀の種類と特徴 | ||
| 1.ヒエ(稗) ヒエは強健で耐寒性に富み、冷涼で湿り気の多い土地や、長雨や日照の少ない気象下でも、また、荒れ地や痩せ地でもよく生育する作物として、かつては飢餓年には多くの人々を飢えから救ったといわれる。特にも岩手県においては、天候によっての豊凶差が少なく、蛋白質や脂肪に富んだ穀物として、また、茎葉は家畜の飼料として優れていたこと等で、昭和38年には全国のヒエ作付面積3万2百町歩の約40%、全国収穫量30万3千石の50%を本県産で占めた実績がある。 手刈りしたヒエは、島立てにより乾燥し、ヒエ束を逆さにした臼に叩きつけるか、Y字型のまどりで脱穀した。脱穀したヒエ(玄ヒエ)は、よく洗ってゴミや塵を取り除き、1〜2時間から1昼夜水に浸けて、十分に吸水した玄ヒエを蒸し籠に入れて蒸す。蒸し終えたヒエは天日や火力で乾燥して、摺臼等で精白し、ヒエめしや粥、団子などで食された。 |
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| 2.アワ(粟) アワは、イネの伝来以前の主食とされており、主要食糧の三穀(アワ、ヒエ、キビ)中では最も重視されて、全国的にも作付面積が多い。他の雑穀と比べて品種改良も進んでいる。なお、アワにはうるち(粳)種とモチ(糯)種とがあり、水田を持たない農家ではモチ種を珍重した。 生育は、高温多照で乾燥する気候を好み、耕土が深く、肥沃で地下水の低い壌土又は砂壌土に適しているが、本県では、焼畑に適した作物としても普及した。 アワの乾燥は、畑の島立てではなく、家の近くに「あわゆら」と言う専用のはせを組み、穂を下にして乾かした。脱穀は刃を上に向けた鎌に束を押し付けて穂切りをし、掛け矢を小型化し柄を長くしたような粟槌で叩く、いわゆるアワ独特の「切り扱き」法が行なわれた。 |
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| 3.キビ(黍) わが国へは、ヒエやアワより遅れて中国から伝播したとされ、承平年間(931〜936年)の文献に「黍」が表示されている。北海道へは明治初年に導入された。 キビは、高温で乾燥する気候で肥沃な土壌を好むが、酸性土壌や干ばつにも強い。ヒエに比較して生育期間が短いので寒冷地にも適応し、我が国の至るところで栽培された。 収穫法は、穂だけ刈り取る法と根元から鎌で刈り取る法がある。穂の刈取りでは、結束して軒下などに吊して乾燥し、木槌等で脱穀する。また、根元からの刈り取りでは、小束に結束してはせ掛けするか、島立てして後熟を促し、脱穀機等で脱穀する。 |
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| 4.ソバ(蕎麦) 日本でソバが栽培され始めた年代の記録がないが、『続日本紀』によれば、養老6年(722年)7月の干ばつの折、日照りの害で枯死した作物の代作として、当時の天正天皇がソバを奨励した記録がある。 ソバは、冷涼な気候に適し、焼畑や痩せ地等でも作りやすいことから、古来から農家に重視され、畑作地帯では主食として用いられていた。また、ソバは生育期間が短く、土地利用上有利なこと、病害虫や雑草害もほどんと無く作業が楽なこと、加えて美味で、栄養に富む食材であったことなどによって多くの農家が耕作した。 ソバは、霜や風によって脱粒しやすいため、穂の70〜80%が黒く成熟した時期の朝露のあるうちに刈り取る。のち、島立てか稲はせに掛けて乾燥し、唐竿で打ち振るか木槌で脱穀するが、面積が多い時は脱穀機を使用する。 |
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| 5.アマランサス アマランサスは、主に中南米やアンデスを起源として世界に広がったが、日本には、多くは江戸時代以降に渡来し帰化した十数種がある。 アマランサスの種子はリジンに富む蛋白質、スクアレンのほか不飽和脂肪酸などが多く含まれ、食品としての機能性が高い。 子実用アマランサスは、茎頂部に穂を着生し、穂が直接開帳する種と、穂がひも状に細長く下垂する種に大別される。穂の色は多様で、真紅色、赤褐色、帯褐色、黄色、緑色等があるが、子実の色とは関係ない。子実は微細で粒形は変化に富んでおり、1g粒数は1,400〜2,000粒の範囲のものが多い。収穫は穂首か、根元からの刈り取りで、日干しや島立てで乾燥する。脱穀は唐竿か木槌で行う。 |
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| ◎雑穀の脱穀と調製器具 | ||
| 1.脱穀器具 ○まどり 収穫した豆類、ソバなどの雑穀をムシロに広げて天日乾燥し、束ねた後に叩いて脱穀、脱粒するのに用いる。自然木の二又枝を利用する。 ○木刀 脱穀に使用するが、脱穀した後に残る穂切れなどの再脱穀にも利用する。自然木利用。 ○唐竿(くるり棒、れんが) 大豆、麦、アワその他雑穀の脱穀に使用。柄を両手に持って上下に振ると、打撃部が回転して、ムシロに広げた穀物をひらたく打って脱穀する。 |
![]() まどり |
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![]() 唐 竿 |
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| ○槌(あお)、鍬台(かんだい) 穀類の穂をたたき、脱穀に使用。 ○穀打台(麦打台) 主に麦の脱穀に使用されるが、大豆などの脱粒にも利用される。この台に穂先を打ち付けて脱穀する。 |
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| ○千歯 稲、麦の脱穀や大豆の脱粒に明治時代から昭和10年頃まで使用されたが、足踏み脱穀機の普及により使用されなくなった。刃の間隔を変えて稲用、麦用として使い分けした。 なお、動力脱穀機が普及してからも、種子取用に使われた。 ○足踏脱穀機 穀類の脱穀に使用された。水田の少ない県北部では、稲の他に広く雑穀の脱穀、脱粒に使用された。 ○動力脱穀機(ヒエ、マメ脱穀機) ヒエ、マメ類の脱穀に使用する。回転ベルトで強打して脱穀する。昭和24年に試作品が出され、二戸郡、九戸郡や青森県の一部に普及した。 |
![]() 千 歯 |
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| 2.調製器具 ○篩(とおし) アワ、ヒエ、マメなど穀物の選別に利用する。網面は、竹や糸、金網を使用するものもあり、地域、用途により異なる。 ○箕(み) 脱穀又は脱粒した穀物と殻など夾雑物の選別に使用した。また、穀物、いもの運搬等にも利用された。 ○唐箕(とうみ) 脱穀した籾、麦、大豆等に混入する桿切れ、わら屑、ごみ、未熟粒の選別や玄米中の屑米除去にも使用される。手回しのハンドルにより4枚羽根の羽根車を回転させ、風力により選別する。 ○かすり 穀類をすくって、運んだり、かますや俵等容器に入れることに使用した。 ○じょうご 穀類を袋、俵等に入れるために漏斗として使用した。 |
![]() 篩(とおし) ![]() じょうご |
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| ◎雑穀を利用した食事 | ||
| 県北畑作地帯を中心に営々として生産されてきた雑穀は、かってはこの地域における食の基本であった。この雑穀は、今なお本県の伝統的な郷土食の材料として他に誇れるものであり、また、近年は、無農薬の自然食品としても注目されている。 この雑穀料理の基本食について、大正時代の末から昭和の初めころの食生活を著した「聞書 岩手の食事」(農文協)に次の一文がある。 「水田が少なく、畑作と焼畑耕作が主である県北の人々の主食、つまりいのちを支える基本食料は、なんといってもヒエである。しかし、中には水田を持ち、主食の中に米を少々か、あるいはたくさん組み入れることのできる農家もある。この地域の畑の輪作はふつう、ヒエー小麦ー大豆であるから、ヒエに次ぐ重要な食料は小麦である。また、あらき(荒起)といわれる焼畑では、アワ、ソバ、大豆がつくられており、焼畑の耕作を主としている農家では、アワ、ソバも主食としての役割を果たしている。基本食をごはん(粒食)、こねもの(粉食)、もちの3つに分けると、こねものの割合がとびぬけて多く、もちを食べることは割合に少ない。もちは、米とアワのいとこもちが主で、米もちは主にお客用に搗く。こねものが多いのは小麦とソバの生産量が多いためで「もち」と名づけられた間食のたぐいも多いが、ほとんどは小麦粉、ソバ粉によるこねものであった」 |
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| ◎今後の雑穀生産 | ||
| ヒエ、アワ、キビ、ソバ等の雑穀は、コメやムギに比べて蛋白質や脂肪の含量が多いうえに、消化率がよく、ビタミンB含量が高いなど極めて優れた食品である。加えて、近年は無農薬、減化学肥料栽培の可能な自然食品として注目されて、需要が拡大している。 これら消費の増加に伴って、取引価格も高まっており、除草や脱穀等の労力がかかるものの、畑作地域や転作田における有利な作物として期待されている。今後においては、本県に適した畑作物として、新しい栽培技術・省力機械体系の確立のもと全国に供給する産地として再構築されることが望まれている。 |
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参考文献
「岩手県農業史」/ 岩手県
「軽米町誌」/ 軽米町
「日本の食生活全集B 聞書 岩手の食事」/「日本の食生活全集 岩手」編集委員会
・農文協
「みちのくのそば」/ 藤原武利 ・みちのく食品株式会社