馬印(うまのかね)  


一戸城出土 「馬印」

 
  
昔から、馬は人々と様々な形で関わってきました。農耕や物資の輸送に使用されたり、金に代わる年貢(ねんぐ)や、馬市での現金収入源としても人々の暮らしをささえてきました。人も、健やかな馬の成長を願って神社に絵馬(えま)を奉納(ほうのう)したりと、人と馬の関わりは歴史的に切っても切れないようです。
ここで紹介する一戸城(いちのへじょう)出土の『馬印(うまのかね)』も、馬に対する人々の思いの一つの遺物(いぶつ)といえるかもしれません。
それでは、馬産地(ばさんち)岩手の背景もふまえて、『馬印』についてみてみましょう。

馬淵川流域(まべちがわりゅういき)を中心とした岩手県北部から青森県東部の地域は、中世は「糠部郡(ぬかのぶぐん)」と呼ばれていました。この地方は古代から名馬の産地として名高く、鎌倉幕府が派遣した御家人も多くは牧場経営に深い経験を持った人々でした。南北朝時代以降活躍する南部氏(なんぶし)もそのような武将だったと言われています。糠部には、九部(戸)四門の制と呼ばれる牧場制度がありました。現在残っている一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)などの地名も、この牧場の呼び名によるものというのが一般的です。

さて、京や鎌倉に送られた「糠部の駿馬(しゅんめ)」が、どこの牧の産であるかを示す焼印(やきいん)を押す道具−それが『馬印』です。この糠部の馬産を示す資料として一般に知られているのが、室町時代後期の八条近江守房繁(はちじょうおおみのかみふさしげ)の作といわれている「永正五年(1508)馬焼印図」です。《原本はありませんが、江戸時代後期成立の『古今要覧稿(ここんようらんこう)』に載っています。》この中に糠部郡九箇所の馬焼印図が載せられています。これから、一戸七ヶ村の馬の雀(すずめ)の焼印を押したことがわかります。

出土品をよーくみると、雀の形をしているようですね。つまり、この出土品が文献の記録を証明)したことになり、画期的な発掘だということになります。この馬印は一戸城の城内から昭和61年に発掘されました。これは糠部の馬産を証明することはもとより、城内で焼印を押した可能性も強いことから、中世の城館(じょうかん)の機能を考える上でも貴重な発掘と言えるようです。

馬に焼印を押す、というのはちょっとかわいそうにも思えますが、岩手の牧場の馬に誇りをもって、大切にした証しとも言えるかもしれませんね。