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凧(たこ)は中国から伝わり、『紙老鴟(しろうし)』『紙鳶(しえん)』などとよばれていました。
平安時代はとてもめずらしく、宮中で中国人の芸としてひろうされていました。そのころは、まだ凧の日本名はなく、室町時代になって、ようやく『イカノボリ』『イカ』などとよばれるようになりました。
戦国時代、武士たちは、みかたに自分の位置を知らせるために、凧をあげたり、手紙をくくりつけてとばしたりするために、凧あげがうまくなければなりませんでした。
江戸時代になると、町民にも凧がひろまりました。
ところで凧というよびなですが、京都や大阪では昔ながらの『イカノボリ』というよびかたをしています。それに対抗してか江戸っ子が勝手に『タコ』とよぶようになったのでしょうか???
『物の名も蛸(たこ)や故郷のいかのぼり』・・・・これは京都の伊藤言徳が江戸に来て句会でよんだ作品です。
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