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2007年11月22日(木)
第8回平泉文化フォーラム」の詳細が決まりました
 主な発表者について詳細が決まりましたので、お知らせします。

 【基調講演】
         東京大学大学院教授 村井章介先生
           
          『境界論からみた外の浜と平泉』
(仮題)

 【研究発表】
   ● 磯野 綾 氏(千葉工業大学大学院) 
       「平泉の市街地形成 〜建物軸方向の特徴について〜」
   
   ● 関根 達人 氏(弘前大学人文学部)
       「平泉文化と北方交易2 −擦文期の銅製品をめぐって〜」
   
   ● 鈴木 弘太 氏(鶴見大学大学院)
       「12世紀の二つの都市 −平泉末期と鎌倉初期の遺物様相−
   
   ● 前川 佳代 氏(京都造形芸術大学)
       「『苑池都市』 平泉−浄土世界の具現化−」


 その他、今年度の平泉遺跡群で行われた調査についての報告があります。

 ※入場無料となっておりますので、是非皆さんで参加して下さい。尚、受付は9時30分からとなっております。場所は奥州市文化会館(Zホール)です。

2007年3月15日(木)
平成18年度平泉遺跡群検討会終わる
 3月15日(木)に平泉町郷土館ホールで平泉遺跡群検討会が行われました。この検討会は、岩手県が平泉文化について学術的な調査研究をすすめることにより、平泉文化の情報を広く発信することを目的とする事業の一環として行われました。例年平泉文化フォーラムで報告しておりましたが、今年度は11月に行われた第7回平泉文化フォーラムが岩手大学と共催で行われたため、研究部分を本検討会で実施することにしたものです。
 平日ではありましたが、約150人が参加しました。あらためて世界遺産登録を目差す平泉文化への興味の高さが示されたと思います。
 本検討会は岩手県教育委員会と平泉町の共催で行われ、主催者を代表して、岩手県教育委員会事務局所生涯学習文化課中村英俊担当課長と平泉町教育委員会佐藤敏雄教育長が挨拶されました。
 午前は共同研究者による発表を、午後からは平泉遺跡群の調査成果の発表が行われました。
<午前の部>
 「平泉文化と北方交易1−北奥出土のガラス玉−」        関根 達人
 「『聖地』平泉−清衡の平泉創造−」                 前川 佳代
 「中世平泉の市街地形成−中世前史の建物立地との比較−」 磯野 綾
 「12世紀柳之御所遺跡における掘立柱建物の研究」       鳥山 愛子
 「柳之御所遺跡の発掘調査と検討作業」       柳之御所遺跡調査事務所
 講評                                    大矢 邦宣
 
  左写真:「『聖地』平−清衡の平泉創造」について発表する前川佳代氏
  右写真:共同研究者の発表について講評をする大矢邦宣平泉郷土館長
<午後の部>
 「特別史跡無量光院跡第18次発掘調査」         平泉町教育委員会
 「志羅山遺跡第94次発掘調査」               平泉町教育委員会
 「坂下遺跡第10次発掘調査」     (財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター
 「接待館遺跡調査概要」                   奥州市教育委員会
 「長者ヶ原廃寺跡」                      奥州市世界遺産登録推進室

無量光院跡調査報告についてコメントを述べる杉本宏氏(京都府宇治市歴史資料館)
※ この検討会のレジメをPDFファイルで掲載していますので、興味のある方はご覧ください。

・ 共同研究者の発表原稿(PDF) 8.3MB / 表紙 62KB
・ 調査報告1(PDF) 4MB
・ 調査報告2(PDF) 2MB

2007年1月31日(水)
第二回 平泉遺跡群調査整備指導委員会報告
 第二回平泉遺跡群調査整備指導委員会が平成19年1月31日、岩手県庁で開かれました。

 会議内容は次の通りです。
1 協議 柳之御所遺跡整備計画について
   H18年度野外調査成果
   壁材、建築部材検討結果
   整備対象期柳之御所遺跡堀内部地区の再検討状況
   遺構等の表示方法
   案内・解説板等の表示方法
   修景盛土植栽計画
   H18・H19整備工事概要
   ガイダンス施設基本設計
   整備全体計画
   衣川流域遺跡群埋蔵文化財調査結果
2 報告 H18年度平泉遺跡群発掘調査成果
   平泉町
   (財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財 セ ン タ ー
   奥州市
   一関市
   岩手県立博物館
   世界遺産登録推薦書の提出
1−調査成果について西澤調査員が次のような発表をしました。
<概要>
 第65次調査は5月よりはじめた。2調査区(西区:園池西北側、北区:中心建物群北側)を設定した。西区は遺構の空白部分がある範囲で、31次、41次調査に引き続き、3回目の調査である。
 31SB5では部分的に柱穴が検出されていたが、新たに8個検出された。これで5×2間の総柱建物跡となる。他に塀跡が建物にほぼ並行するように3条見つかった。塀に囲まれた部分は道路状として使われたと思われる。

<55SX2>
 再調査の結果、5個の柱穴規模が大きくなった(特に、1,9,21,20)。このうち柱穴番号1,9、21は以前調査されたものよりひとまわり以上大きくなった。平均径1m以上、深さも1m前後、周辺の柱穴より際立って大きい。
 一部抜き取りがある。柱痕が確認できないものもある。断面から柱痕の径を計測すると、だいたい30cm前後である。床面は平らではない。遺物がはいっていたので、 サ フ ゙ ト レ2をいれた。1層は フ ゙ ロ ッ ク混じりの粘土層、2層が砂層である。2層は地山、P1が1層を切っている。遺物混入+粘土 フ ゙ ロ ッ ク混入から人為堆積と推測されたが、貼床か埋土の残存かは難しい。 この部分では貼り床を張ってから柱穴を構築したようだ。全床面については言えるかは不明である
柱穴エレベーションでみると、さきほどの柱穴(1,9,20,21)は際立って大きく、深い。 他とは区別される。小さい柱穴は張り出しなどに使われているが、どのような構築のされ方をしたのか今後検討したい。
<31SB5>
 以前は9個の柱穴が見つかっていたが、新たに8個検出され合計17個となった。
 断面?Fで見ると左側がえぐれ、P153 P152底面 レ ヘ ゙ ルが揃っている。えぐれは底面 レ ヘ ゙ ルより低いので、後世の削平でなくなったと思われる。このことより、もともとは18個柱穴を持つ建物跡と推測される。他の建物よりきれいにつくられ、柱穴の大きさが平均90cm 深さ50cmであり、さきほどの竪穴建物跡より小さいが、中心建物跡群とほとんど同じ大きさである。
 下図に柱穴の断面を並べた。一部(財団)岩手埋文で調査した図面もはいる。以前は建物跡かどうかわからなかった。断面図から確認すると、抜き取りらしき痕跡がある。一部柱痕跡確認した。今回の調査でも抜き取りと考えられる痕跡、断面図で赤色部分が柱が腐った跡の堆積した土であり、柱痕跡の部分がいくつか確認された。したがって、全部の柱を抜き取ったのではなく、一部は上を切った可能性がある。平面的にも検出した段階で丸く見えたものもある。掘り下げの途中で痕跡の見えたものもいくつかある。このことより、柱穴番号250、147は一部廃絶の段階で残っていたもと思われる。今回の出土した遺物量は少ない。細片が多くて手づくねかロクロか分からなかったものが多くある。前回の調査も同じだと思っていたが、4倍くらいのかわらけが出ていることがわかった。その中には手づくねかわらけも含まれていた。建物の軸線は20度東に傾くので、柳之御所遺跡の中で最初の建物と考えていたが、手づくねかわらけがはいることより、手づくねかわらけが使われる段階までは建物跡が残っていた可能性がある。したがって、当初調査段階では軸の向きでもって古いと考えていたが、若干時代が下がる要素はある。

2006年7月20日(木)
 第一回 平泉遺跡群調査整備指導委員会報告 
 第一回平泉遺跡群調査整備指導委員会が7月19日(水)〜20日(木)に開かれ、遺跡整備や遺跡調査にかかわる助言・指導をいただきました。
 
7月19日は平泉町役場会議室で行われました。
   ○ 柳之御所遺跡整備計画
     ・堀・土塁
     ・遺跡の変遷
     ・建物についての学説と検討
     ・ガイダンス施設基本計画
   ○ 各市町等平泉遺跡群調査計画
     ・奥州市・奥州市教育委員会
     ・一関市教育委員会
     ・平泉町教育委員会
     ・(財)県埋蔵文化財センター
     ・県立博物館  
 
7月20日は現地視察を行い、その後平泉町郷土館で助言・指導などが行われました。
   ○ 現地視察及び指導・助言
     ・柳之御所遺跡
     ・無量光院跡
     ・瀬原?U遺跡
     ・坂下遺跡
   ○ 柳之御所遺跡園池修景案
   ○ その他
     ・平泉文化共同研究について
     ・世界遺産登録について
 
2007年3月6日(火)
 だいぶ春めいてきたものの、今日は西風が冷たいです。園池の内部工事がほぼ完了し、実際に水をはったところです。計画水面にはなっていませんが、だいたいのイメージがわかると思います。まだ、池周辺や中島の芝はりが終わっていない部分があります。


2006年11月7日(火)
 今年度の調査が終了して約一ヶ月が過ぎました。この間に保護盛土工事がすすみ、ほぼ遺跡全体が約1mの盛土で覆われています。茶色の盛土が置かれている部分は池の復元工事が行われる場所です。この日は天気が悪く、低い雲がたち込めた日でした。

2005年10月28日(金)
 平成17年度調査で「修羅」(右写真)と呼ばれる木製の運搬具が出土しました。
 修羅とは、自然の股木を利用したY字形のソリのことを言い、重いものを運ぶのに使用されました。この道具は、古代には古墳の造営、戦国時代には築城の際にも使用されていました。全国の例では、8メートルを超す巨大な修羅も確認されていますが、今回、柳之御所遺跡から出土したものは長さ130p、幅73cmと小型のものです。出土した場所から、写真に見える凹部に横木を渡して、池に使用する景石などを載せて運んだのではないかと推測しています。


                                 「修羅」出土状況→
2005年9月10日(土)
 9月10日(土)の午後1時から、柳之御所遺跡の現地説明会が行われました。午前中にも団体客への説明が行われ、合わせて約300名の方が見にきてくれました。天気はくもりでしたが、少し蒸暑いさが感じられる1日でした。

(現説遠景:現説の参加者と束稲山)

(現説風景:中村担当課長挨拶)
 今年度の調査は、園池にかかる橋と池の形を明らかにする目的で行われました。下の写真は確認された橋の柱跡について、杉沢昭太郎調査員が説明しているところです。

(橋跡遠景)

(橋跡近景:杉沢調査員の右側に見える白線の丸が柱痕の一つ)
 橋跡は東西方向に長い4間×1間の掘立柱による施設です。桁行きは7尺(約210cm)、梁行きは10尺(約300cm)の間隔で柱が並んでいます。柱痕跡から、太さが約21cmの柱が使用されていたと推測されます。下の写真は園池跡北側の景石が見つかった部分です。1m近い大きさの石もあります。



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