岩手県の希少野生動植物の保護の基本的方向
はじめに
野生動植物は、生態系の重要な構成要素で、その多様性によって生態系のバランスを維持していると言われており、人類の豊かな生活に欠かすことのできない役割を果たしている。
また、野生動植物は、生態系、個体群、種等の様々なレベルで成り立っており、それぞれのレベルでその多様性を保全する必要があり、その地域に本来生息・生育する種が普通に見られる状況を維持するような配慮が必要となっている。
しかし、現在、地球上では、過去40億年あまりの生命の歴史上、かつてない速さで野生動植物種の絶滅が進行しており、我が国においても、生息・生育地の破壊や乱獲などの人間活動により、多くの種が絶滅し、あるいは絶滅の危機に瀕している。
種の絶滅は自然生態系の多様性を低下させ、そのバランスを変化させるおそれがあるばかりでなく、人類が受けることができる様々な恩恵を永久に消失させることになる。
本県においても、野生動植物は、県民の生活基盤である自然環境の維持のため大切な役割を果たしている。また、医療・食糧などの遺伝的資源、保健休養の文化的資源及び山菜などの経済的資源などとして、県民の豊かな生活に欠かすことのできないものである。
しかしながら、県が平成13年3月に発行した「いわてレッドデータブック」によると、自然が豊かであるとされる本県においても、多くの種に絶滅の危機が生じており、すでに絶滅した種を除けば
1,014種が保護上重要な種であることが明らかとなった。
絶滅のおそれが生じた要因は、多岐にわたり、開発などに伴う湿地や広葉樹林などの生息・生育地の消失、植物の盗採のほか、社会経済構造の変化による一次産業の大規模・画一化に伴う森林、原野等生息・生育環境の変化などの要素も加わってきている。したがって、従来の規制措置のみではもはや生物多様性の維持は困難と考えられる。
国においては、平成4年に、野生動植物の種の保存を目的として、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律」(以下「種の保存法」という。)を制定したが、この法律で保護の対象とされているのは、国レベルで絶滅のおそれが高い、限られた種(57種)のみで、このうち、本県に生息・生育しているのは7種のみであり、今後の追加指定も極めて厳しい状況である。
したがって、本県の多くの希少野生動植物の保護を図るためには、種の保存法だけでは限界があり、よりきめの細かい、かつ総合的な対策が求められる。
このため、本県の希少野生動植物の保護対策を推進するにあたり、その基本的な方向について、取りまとめた。
1 本県の自然環境の特徴
本県は、北海道に次ぐ広大な面積を有し、十和田八幡平や陸中海岸の国立公園に代表される豊かで優れた自然に恵まれている。また、早池峰山や五葉山には固有の希少植物種が生育している。
しかし、植生自然度を見ると原生的自然の占める割合は10.9%で、全国17位、東北6位と、原生的自然の割合はそれほど高くはない。
一方、原生的自然にかわって、北上高地を中心に広大な牧野、原野、二次林などの二次的自然が分布している。
これらの二次的自然域は、古くから続いてきた人間の農林畜産業などとの調和の中で形成されてきたものである。
こうした環境に絶滅危惧種のイヌワシが全国で最も多く生息していると見込まれる。
2 本県の野生動植物の現状
県は、平成9年度から県内の野生動植物の現状を調査し、その結果を「いわてレッドデータブック」として平成13年3月に取りまとめた。
これによると、本県には約13,200種の野生動植物が生息・生育しているが、このうち、何らかの要因により絶滅のおそれが生じているか、存続基盤が脆弱な種や最近減少が著しい種など(以下「希少種」という。)は、
1,014種に達している。
絶滅のおそれが生じている主な要因は、次のとおりである。
ア 生息・生育地の消滅、減少
・ 乱開発などによる自然度の高い森林の減少、特に樹洞のある大木の消滅
・ 生息・生育に適した湿地環境の消失、悪化
・ 河川改修などによる生息・生育環境の消失、悪化
イ 植物の盗採
ウ 生息・生育環境の改変、悪化
・ 単純一斉人工林の増加と、構造的林業不況からくる手入れ不足による過密化及びそれに伴う林内植生の衰退、生物相と餌動物の貧困化
・ 大規模な人工草地の造成による植生の単純化
・ 農地の近代化に伴う、生息・生育環境の改変、悪化
エ その他
・ 化学物質などによる環境汚染
・ 営巣地へのカメラマンなどの接近
・ 移入種やカラスなどの増加による他種への圧迫
・ 諸外国での渡り鳥の密猟、乱獲
3 希少野生動植物の保護対策
3-1 保護の考え方
野生動植物に対する認識の共有
ア 希少野生動植物の保護は、希少なものだから守るというだけでなく、県民の生活基盤である自然環境が危機に瀕しているという認識を共有することが必要である。
イ 野生動植物は、生態系の重要な構成要素であるだけでなく、生活環境の豊かさの指標にもなるとの認識から、全ての県民の責任において保護・保全すべきものと考えていくことが必要である。
ウ 生態系全体の保全を通して野生動植物の保護を行うことは、生命の尊重、思いやりの心を育て、さらに県民の社会生活空間の保全と、持続可能な生産活動につながるという認識が必要である。
生物多様性の維持
ア 野生動植物は、相互に関連しあって生態系を形成していることから、希少種の生存の基盤全体を保護し、生物多様性の維持・向上を図る視点で、対策を講じる必要がある。
イ 希少種を栽培などにより種として保存すればそれで良しとするのではなく、それぞれの分布地域で、個体群として維持することを基本として対策を講じる必要がある。
ウ 本県在来の生態系を破壊するおそれのある移入種の排除対策が必要である。
種の生態等に応じた対策
希少種の中には、イヌワシなど生態系の食物連鎖の上位に位置し元来個体数の少ない種もあれば、アツモリソウなど以前は普通種であったが近年減少の著しい種もあり、一様ではない。
このため、それぞれの種の生態や生存圧迫要因に応じた保護対策を講じる必要がある。
保護対策の基本
希少種の保護対策としては、野生動植物保護の重要性について県民の理解を深めるための「普及啓発」や「生息・生育地の維持・改善」、「調査研究」の推進を基本とし、「希少種のうち、絶滅のおそれが高いため特に緊急に保護を必要とする種については、あらたな規制措置を含む特別な対策を積極的に講ずる」など、これらを相互に関連づけながら総合的に実施する必要がある。
3-2 基本的対策
普及啓発
希少野生動植物の保護に対する県民一人ひとりの認識が重要となるので、生物多様性の重要性について普及啓発を図るとともに、家庭や学校、社会教育の場などで、積極的に自然環境教育に取り組むことが必要である。
生息・生育地の維持・改善
ア 野生動植物の多様性を維持するためには、その基礎として多様な自然環境を保全し、その連続性を保ち、持続的に管理することが必要であるため、土地利用において、この点に配慮する必要がある。
イ 希少種の良好な生息・生育環境はできる限り保全するとともに、生息・生育環境の悪化が進んでいる地域については、良好な環境に誘導するよう努める必要がある。
ウ 生息・生育地の維持・改善にあたっては、農林業などとの調和が重要となる。
このため、県土を生産基盤とする産業活動に、野生動植物との共存の手法をより一層取り入れ、生物多様性の向上が図られるよう、関係機関との連携に努める必要がある。
調査研究
ア 希少野生動植物の保護管理対策を的確かつ効果的に進めるためには、生物学的知見に基づく科学的判断が重要である。
イ 調査研究を効率的に実施するため、県内の野生動植物に関する情報を収集・提供する拠点の整備や、研究機関、大学、博物館等による情報のネットワーク化を図る必要がある。
また、保護団体との連携にも努める必要がある。
ウ 希少野生動植物の生息・生育情報の管理にあたっては、原則的には、生息・生育地情報を明らかにして地域住民とともに保護していくことが望ましいと考えるが、乱獲などの問題もあるため、種によっては生息・生育地情報を厳密に管理することも必要である。
エ 希少野生動植物の生息・生育状況を的確に把握するため、また、保護対策の効果を検証するためにも、継続的に希少野生動植物のモニタリングを行い、「いわてレッドデータブック」を定期的に見直す必要がある。
オ 草地、二次林、農地周辺などの人がつくりだした二次的自然域に適応している種の生存と、農林業などの産業活動との調和を図るため、生物多様性に配慮した産業活動のあり方について調査研究を進め、得られた知見の普及を図る必要がある。
3-3 緊急に保護を必要とする野生動植物の保護対策
指定種の選定
ア 希少種の中から、緊急に個体の保護を必要とする種(以下「指定種」という。)を選定し、保全を図る必要がある。
イ その際、絶滅のおそれの高い種すべてを指定種とするのではなく、規制的措置により効果的に保護対策が図られる種を選定する必要がある。
ウ 指定種の選定にあたっては、専門家による選定委員会などを設置し、県民の理解が得られる明確な選定基準を設けたうえで、選定する必要がある。
指定種の選定基準の考え方
@ 個体数が極めて少ないか、大幅に減少している種
A 県内の大部分の生息・生育地で、生息・生育条件が明らかに悪化している種
上記@またはAに該当し、加えて、保護対策が効果的に図られるよう、商品価値が高く採取・捕獲の対象となりやすい種、保護活動の盛りあがりのある種、知名度の高い種、一般の人が見てわかりやすい種などを考慮する。
指定種の個体の保護
ア 指定種の個体の保護を図るため、採取・捕獲、有償、無償を問わない譲渡し・譲受けを原則として禁止する規制措置が必要である。
イ 指定種のうち、違法に採取・捕獲された動植物が販売流通経路にのることを防止するため、流通過程を監視する必要のある種(以下「特定種」という。)については、流通過程における登録・認証・届出制の検討を行う必要がある。
ウ 既に法律等により採取が禁止されている植物を含め、現に盗採が後をたたない種については、当該植物の流通経路を明確化し、譲渡し・譲受けを監視することで、盗採行為についての認識を新たにさせ、結果として盗採防止を図ることも検討する必要がある。
エ 希少野生動植物の違法な採取・捕獲を防止するため、また、県民への啓発を図るため、アの規制に違反して採取・捕獲された動植物の所持を規制の対象とすることを検討する必要がある。
オ 指定種の生態に応じて、繁殖期における近距離での写真撮影や、営巣位置が特定できる写真等の公開など、生息に悪影響を及ぼす行為の規制措置を検討する必要がある。
保護区の設定
ア 指定種を保護するためには、生息・生育している環境を保全することが重要であるため、指定種のうち、特に生息・生育地の保全を必要とする種については、生息・生育地の保護区を設定して、環境改変行為、立ち入りなどの規制や生息・生育環境の改善を行う必要がある。
イ 生息・生育地などの中で、核心部をなして重点的に管理すべき地域(コアエリア)と、その周辺にあって緩衝機能を有し、指定種の生息・生育状況やその生息・生育環境を定期的にモニタリングする必要のある地域(バッファゾーン)を区分して保全に取り組む必要がある。
ウ 保護区は、対象とする種が現に生息・生育している場所のみでなく、水源地や餌の供給地など、その種のライフサイクルを通じて生存が確保されるために必要な地域を含める必要がある。
エ 保護区の設定にあたっては、特に希少な単一の種の生息・生育地である場合だけでなく、複数の希少種が生息・生育し全体として極めて重要な生息・生育地である場合も、設定の対象にすることも検討する必要がある。
オ 保全する地域内で、対象種の生態に応じて、人為的環境改変(改善)が対象種の生息・生育にとって望ましいものである場合は、積極的にこれを行う必要がある。
カ 各種の私権制限が伴う保護区の設定とその運用は、地域の理解と協力を得ながら進める必要がある。
なお、場合によっては、土地の買い上げ等の支援策の充実を検討する必要がある。
キ 生息・生育地などの保全を行うには、地域住民の協力が不可欠であり、各種の保護団体とも連携を図りながら保全の体制を整えることが必要である。
ク 極めて重要な生息・生育地については、生息・生育環境の保全を図るため、民有地の私権を制限しても保護を優先する必要がある。
このため、充実した損失補償制度なども検討する必要がある。
指定種の保護管理事業
ア 指定種のうち、各種の規制のみでは個体数の回復が困難と判断される種については、保護管理事業を行う必要がある。
イ 保護管理事業は、農林業などとの調和を図りつつ、対象種の生息・生育環境の積極的な改善、繁殖の促進を図るほか、必要に応じて個体の人工増殖を行うことも検討する必要がある。
ウ 個体の人工増殖に基づく野生復帰が必要な種については、種内の遺伝的変異に留意し、系統保存に努める必要がある。
エ 保護管理事業の推進にあたっては、事業推進の基本的事項を明らかにした計画を策定し、計画的効果的に進める必要がある。
オ 指定種のうち、生物多様性を効果的に高めることのできる種を保全目標種として定め、生息・生育数や繁殖状況などを定期的にモニタリングしつつ、生息・生育環境の改善などに努める必要がある。
4 保護対策の実施にあたって
希少野生動植物保護の主体と役割の明確化、推進体制の整備
ア 保護対策を総合的に推進するため、行政、県民、事業者、保護団体等の各主体の合意形成のもとに役割を明確化し、各主体がそれぞれの役割分担のもとに連携して取り組む必要がある。
イ 行政内部にあっても、関係部門の連携のもとに施策の推進を図る必要がある。
ウ 保護を図るための各種の規制を行う場合は、充分な監視体制などを整備する必要がある。
保護活動への支援
希少野生動植物の保護に取り組んでいるボランティアなどに対する支援措置を検討する必要がある。
条例の制定
ア 緊急に保護を必要とする種に対しては、採取・捕獲及び所持などの規制措置が必要であり、そのための新たな条例の制定が不可欠である。
イ 保護の実効性を確保するため、違反行為に対しては、罰則の設定や違反者名の公表について検討する必要がある。
ウ 少なくとも、規制措置を行うためには条例が必要であるが、保護対策の基本
である「普及啓発」、「生息・生育地の維持・改善」及び「調査研究」について条例に盛り込み、保護の実効性を高める必要がある。
5 まとめ
いわてレッドデータブックを踏まえ、希少野生動植物を保護するためには、その生存基盤である地域生態系全体を保全し、生物多様性を維持するという視点で保護対策を講じる必要がある。
そのことが、生命の尊重、思いやりの心を育て、さらに県民の社会生活空間の保全と、持続可能な生産活動につながるという認識が必要である。
保護対策は、「普及啓発」、「生息・生育地の維持・改善」及び「調査研究」を基本とし、「希少種の中でも緊急に保護を必要とする種については、採取・捕獲禁止や違法品の所持などの規制措置を行うほか、保護区の設定や、種の生態に応じた保護管理事業」を積極的に行う必要がある。
これらの保護対策を総合的に推進し、実効あるものにするため、新たな条例の制定が必要不可欠である。