岩手県沿岸及び沖合域における海棲哺乳類の調査
吸盤装着型タグを利用したハクジラ類の潜水行動
天野雅男(東京大学海洋研究所大槌臨海研究センター)
宮崎信之(東京大学海洋研究所大槌臨海研究センター)
近年クジラ類の生態研究においても,陸上動物と同様野外での直接観察によって,その生態,行動,社会構造などを調査する手法が導入され,一部のフィールドでは目覚ましい成果が報告されている.しかし,この方法では水面上,もしくは水面下数メートルにいる間の行動を観察できるだけであり,深い水中での行動を直接知ることはできない.クジラ類の生活の大部分は,直接見ることのできない水中にあり,クジラ類の生態を知るためには,水中での行動を知らなければ,ほとんど何も知らないのと同じということとになる.また,クジラ類は水中生活に完全に適応し,優れた潜水能力を持っているとされているが,実験的操作がほぼ不可能であることと潜水の直接的なデータが乏しいため,その生理学的な適応についての研究も遅れている.これらの理由により,クジラ類の水中行動を調査する方法が渇望されてきた.最近,水深計などを含む機器を動物に装着して,間接的に水中での行動をモニターする手法が開発され,アザラシなどの鰭脚類や海鳥類に応用され,さまざまな成果が報告されているが,終生上陸しないクジラ類では,装着と回収が困難であることから,このような手法の適用例はごく少ない.本研究では,近年開発された吸盤を用いて機器を遊泳中のクジラに直接取り付ける方法を導入し,日本近海に生息し,これまでに水面上の生態行動について研究が行われている数種のハクジラ類へ応用して,ハクジラ類の行動生態の総合的な理解を深めることを目的とした.
従来,クジラに機器を取り付ける方法としては,動物をいったん捕獲し,ハーネスあるいはボルトを用いて装着することが一般的であった.しかしこの方法では,動物に与えるストレスが大きく,その程度を把握することも困難である.吸盤を用いてクジラに吸着させる方法は,捕獲が不必要である点と体に傷をつけて装着しなくてすむという二点で,動物に与えるストレスが最小限に押さえられる.また,遊泳中のクジラに直接装着するため,装着前後の行動から影響を直接評価できる.さらに,捕獲にかかる莫大な金銭的,人材的支出が不必要であるため安価にすむ.吸盤という不確実な装着装置を用いているため,長期の装着は不可能であるが,吸盤タグは,回収可能であり安価であるため,多くの個体に繰り返し装着が可能であり,その点で装着期間の短さを補完できる.
吸盤タグは,耐圧性シンセティックフォームを材料とし,そこにTDR(time
depth recorder,米国Wildlife Computers社製,Mk6型)と電波発信機(米国ATS社製,5902型)を取り付け,プラスティックチューブで自動車のルーフラック用吸盤をつないだものである(図1).TDRには,水深,温度,タービンの回転による遊泳速度のデータが記録される.タグをクロスボウあるいはポールを用いて,遊泳中のクジラが浮上したときに装着した.吸盤は自然に脱落し,タグは水面に浮くようになっている.この後,発信機からの電波を受信して,位置を探査し回収する.回収後TDRのメモリに蓄えられたデータをコンピュータに出力することで,潜水データを得た.回収には,多くの場合それほど困難がなかったが,熊野灘沖でのマッコウクジラでは,タグが長時間クジラについていたこともあり,船と陸上からの探査では発見できず,最終的に航空機を利用して発見に至った.

Fig. 1.本研究で使用した吸盤タッグ
本研究では,コビレゴンドウ,マッコウクジラ,ミナミハンドウイルカの3種のハクジラ類への装着を成功させ,それぞれ潜水行動データを取得することができた.コビレゴンドウについては,北海道室蘭沖において,2個体に対して装着し,各7,6時間の潜水データを得た.また,マッコウクジラについては,和歌山県沖熊野灘および小笠原父島沖で,合計4頭について装着,各62,13,17,14時間の潜水データを,ハンドウイルカについては鹿児島県長島海峡において,3.5,8,11.5時間の潜水データを得た.
コビレゴンドウは,日中の間は比較的浅い潜水を行ない,行動も不活発だが,日没後には100mを越えるような深い潜水を繰り返し行なっていた(図2).おそらく,主な餌生物であるイカ類の鉛直移動にあわせて,潜水のコストが少なくなる夜間に,採餌を行うものと考えられる.潜水パターンを主成分分析により解析したところ,潜水が深く長くなるにつれ,潜水パターンはより急激な潜水へ向う方向とより緩やかな潜水へ向う方向二方向に分離していた.この二つの潜水パターンは,それぞれ深く潜るための潜水と,水平に移動するための潜水ではないかと考えられた.

Fig. 2. タッパナガの潜水行動
マッコウクジラは,いずれの個体も多くの時間,30-45分の水深約400-1000mへの潜水を約10分の浮上時間を挟んで繰り返し,夕方から夜間に社会行動や休息のために長時間浮上する時間があった(図3).最大潜水深度は,小笠原父島沖で記録された1320mであった.マッコウクジラは,中深層に生息するイカ類を主な餌とし,これらの大潜水は採餌のためと考えられる.実際にほとんどの大潜水は明瞭な底部を持つU字形で,底部では,深度,速度が顕著に変化しており,活発に活動していることが明らかとなった.これまで,マッコウクジラがいかにして餌を捉えるのかは,全く不明であり,待ち伏せと積極探査の説が対立していたが,今回のデータで,彼らは積極的に餌を探査し,追尾して捕らえることが明らかとなった.小笠原での一頭を除く3頭は,67-94%の時間,採餌潜水を行っており,かなりの時間採餌活動に当てていることが明らかとなった.小笠原では,日没後顕著に潜水深度が浅くなる傾向が見られた.餌生物の鉛直移動に伴って採餌深度を変えているのか,あるいは昼間と夜間で異なる餌生物を採餌しているのかは,興味深い今後の検討課題である.また,この傾向は熊野灘では不明瞭であったが,これは両所における餌条件の違いと考えられる.

Fig. 3. マッコウクジラの潜水行動
ハンドウイルカおよびミナミハンドウイルカについては,これまでニュージーランドおよび北米で,吸盤タグの装着が試みられたが,いずれもイルカがタグの装着を嫌うために失敗し,ハンドウイルカについては,吸盤タグは不適当であると報告されてきた.しかし,今回3頭のミナミハンドウイルカに対して,タグの装着を成功させ,これが必ずしも当てはまらないことが明らかとなった.イルカはタグの装着当初は,激しく行動するが,数十分後には行動が安定し,群れの他の個体と行動の差異がなくなった.これまで報告されているように,群れ全体が調査船を避けるようになるということもなく,本種に対しても場合によっては,吸盤タグが有効であることが確認された.いずれの個体も,行動パターンにより頻繁に潜水パターンを変化させており,採餌行動時には,群れは散開して,やや深い潜水を行っていた(図4).また,日中よりも夜間に深く潜水する傾向が見られ,最大潜水深度は76mであった.
以上の研究結果から,吸盤装着型タグは,簡便でありながら,クジラ類の潜水行動調査に極めて有効であることが確認された.ここで得られた詳細な潜水行動プロファイルは,世界で初めて得られたものであり,今後も引き続きくわしく解析していくことで,新たな知見が得られるものと期待される.

Fig. 4. ミナミハンドウイルカの潜水行動