岩手山火山防災マップの概要について


1998、10
「岩手山火山災害対策検討委員会委員長」 斎藤徳美


1、 審議経過
 7月22日、岩手山の西側で水蒸気爆発が起きた場合の「岩手山火山防災マップ」が公表され、防災対策が進められてきた。
 その後、委員会では、学識経験者委員、関係市町村防災担当者、事務局などで構成するワ−キング会議を5回、さらには地元関係委員と事務局とによるミニワ−キングを10数回開催し、岩手山の東側でマグマ噴火が起きた場合の被害想定作業を行ってきた。その結果、9月26日開催された「第4回岩手山火山災害対策検討委員会」において、岩手山火山防災マップの骨子が固まった。そして、マップやハンドブックの体裁などについての作業を進め、10月9日の「第2回岩手山の火山活動に関する関係機関連絡会議」を経て、公表、住民配布を行うこととなった。ワ−キング委員は、夏休みはおろか休日もなく、連日深夜にまでわたる作業を行ってきたもので、山がうごめいている状態で、しかもこの短時間で火山防災マップを作成した事例は他にはない。
 火山災害の予知は、いつという噴火の時期はともかくとして、どこで、どのようなタイプの、どの程度の噴火が起きるかを予測することはきわめて難しい。何百とおりものシナリオが考えられることとなる。しかし、困難であっても、そのうちでより可能性のある想定を行なわなければ、先の防災対策が進められない。そのため、検討委員会では、岩手山の西側では、水蒸気爆発による噴火が、薬師岳を含む東側ではマグマ噴火が起きる可能性が高いとのこれまでの検討結果に基づき、東側でのマグマ噴火を想定した火山防災マップの作成を進めてきたものである。
 岩手山は国内でも最大規模の火山であり、災害が及ぶ可能性の高い山頂から20km圏内に県庁所在地があるのは桜島の鹿児島市と盛岡市のみである。たとえ一連の火山活動が噴火なしにおさまったとしても、”生きている岩手山との共生”といった当然のしかもこれまで欠けていた視点で新たな対応を図ることが必要である。本マップはまさにそのスタ−トと位置づけられよう。

2、 東側での噴火の可能性
 9月3日に発生した岩手山南西部の地震(正式な地震名称は決められていない)以降、従前から頻発している西側での火山性地震の数は少ない状況にあるが、同地震が火山活動にどのような影響をもたらすかは、長期的に経過の推移を見守らなければ判断が出来ない。一方、同地震以前からも数は少ないものの、山頂の東側での地震がみられ、また、同地震以降、従来ほとんど発生していない山頂のすぐ西側でもやや規模の大きい地震が発生している。現在、マグマが地表近くに上昇していて、東側ですぐ噴火が始まるとの切迫した事態ではない。しかし、GPS(人工衛星による測量)によって、山体が南北に6cm程度広がっている事などより、山体の深部で規模の大きい地殻変動が進行している可能性が指摘されているため、噴火が起きた場合被害が著しいと推定される東側についてのマップの作成を急いで行ったものである。

3、 東側での過去の噴火
 現在の薬師岳(2038m)は、約6000年前から江戸時代までの間に、何度かのマグマ噴火を繰り返し形成されたものである。平安時代から江戸時代にかけての一時期に、山頂噴火のあったことが確かめられているが、その間のその他の噴火の詳細な時期については明確ではない。文献に記載され、また噴火の規模について明らかにされているのは、1686年(貞亨3年)の山頂噴火である。山頂の御室火口の水蒸気爆発に始まり、西根町・玉山村・滝沢村・盛岡市にまで降灰があり、火砕サ−ジ、火山泥流が発生した。火砕流の発生も推定されている。
 1732年(亨保16〜17年)には、薬師岳の山腹の5個の火口から溶岩が流出した。焼走り溶岩流である。
 
4、 マグマ噴火の被害想定の概要
 薬師岳が形成後(約6000年前以降)、最大規模の噴火の一つとされ、噴火の形態や規模がある程度明らかにされている、1686年の噴火と同規模の噴火が起きた場合を想定した。また、火口はこれまで繰り返し噴火をしている現在の薬師岳山頂火口を想定した。
 西側の水蒸気爆発の想定の際にも強調したように、この想定はあくまで、薬師岳山頂火口から、1686年の噴火と同規模の噴火が起きた場合の被害を想定しているものである。実際の噴火では異なるケ−スが当然考えられるので、噴火の状況に即した対応が必要となることはいうまでもない。この点は特にご留意戴きたい。
 土井宣夫委員(地熱エンジニアリング且謦役技師長・理学博士)によると、1686年には8回程度断続的に噴火がおき、降り積もった火山灰・スコリア(黒い軽石のようなもの)などは、約8,500万m3に達すると見込まれる。また、北東斜面から一本木方向などに火山泥流が発生し、泥流は砂込川、生出川を流下して北上川へ、諸葛川を流下して雫石川に流れ込んでいる。火砕サ−ジの発生も確認され、古文書の記述から、火砕流の発生も推定されている。また、同年の噴火では、マグマはすべて山頂から噴石や火山灰等として吹き上げられ、溶岩流としては出ていないが、1732年の山腹噴火で溶岩流が流下しており、溶岩の流出も当然考えられる。また、同年の噴火では、山体の雪が大量に溶け、火山泥流が発生したことが推定されている。そのため、以下の項目について、災害予測を行った。
 なお、本火山防災マップの作成の基となったのは、土井委員の22年余にわたる岩手山の噴火史に関する調査・研究の成果である。その無償提供がなければ、作成は不可能であったことを付記しておきたい。

(1)  噴石
 火口から吹き上げられた高温の岩塊のうち、ある程度以上の大きさと重さをもつ岩塊は風の影響を余り受けずに弾道放物線を描いて火口の周辺に落下する。空気抵抗を受ける限界の大きさと1686年の実績から、直径5cm程度の噴石が降下するのは、火口から4km以内と想定される。

(2)  降下火砕物
 火口から吹き上げられた火山灰やスコリアで、上空の風によって運ばれ、降り積もる。マグマ噴火では、これらは上空高くまで吹き上げられ、偏西風と呼ばれる上空の西風にのって、火山の東側方向に降り積もる。1686年の噴火の堆積物は8層以上に区分され(一連の活動中8回以上の噴火があった)るが、分布は北東〜南東3方向に大別される。これら3方向での堆積物の厚さから全量を約8,500万m3と見積もっている。最悪の場合、すべての噴火で同じ方向に降ること、あるいは全量が一回の噴火で噴出することを想定し、距離別の降灰の厚さを見積もっている。また、どの方向に降灰するか限定は出来ないため、可能性のある東側一帯について堆積厚さを示してある。すなわち、全域にこの厚さで堆積するわけではない。この想定では、盛岡市や玉山村の一部でも10cm以上の降灰の可能性がある。

(3)  溶岩流
 高温のマグマが火口から噴出し、山腹を流れ下る。1686年にはマグマは全量火砕物として噴出し、溶岩流としては噴出していない。マグマの何割が火砕物、溶岩となるかはわからないため、全量が溶岩流として噴出した場合(火砕物約8,500万m3を密度で換算した約5,100万m3)を想定した。流下方向は、火口の西側は大地獄谷と鬼ヶ城の火口壁のためすべて焼切沢に流れ込み、北東方向には斜面、南東方向には沢に沿って流れるとした。全域に溶岩が流下するわけでない。流下する方向によっては、山麓の集落の一部にまで到達する可能性がある。

(4)  火砕流
 高温の噴出物が、沢などに沿って山腹を時速100km以上といった高速で流れ下る現象で、高温で破壊力が大きいため建物や動植物に壊滅的な被害をもたらすことになる。岩手山では過去約6000年の間に火砕流の明確な堆積物は確認されていない。しかし、1686年の噴火時に”火柱が倒れた”との古記録があること、積雪時での火山泥流が発生していることから何らかの形で発生を考慮する必要がある。火砕流が発生する形態として、噴煙柱が途中で崩壊して火砕物が冷える間もなく斜面を流れ下る形を想定した。この場合、1686年の噴火によるスコリア堆積物が酸化したあとがみられる(温度600度以上)、溶結していないこと(900度以下)から火砕流の温度を800度と想定した。火砕流の規模を堆積物から直接的に推定しがたいため、現在の火口東斜面の状況から、30度以上の急斜面で厚さ2mの火砕物が崩落、流下するとして、噴煙柱が崩壊する方向別(7方向)に数値シミュレ−ションを行った。到達範囲は火口から5km程度であるが、地形の影響を考慮して範囲を想定した。

(5)  火砕サ−ジ(爆風)
 火山爆発による土石まじりの爆風で、火砕流ほど高温ではないが、高速で、樹木や家屋をなぎたおす。1686年の噴火では、2回の火砕サ−ジが発生したことが堆積物から確認されている。古記録では、火口から約8km離れた地点で樹木が吹き落ちたとの記録があるが、堆積物が確認されたのは火口から4.8kmの地点までであること、距離が離れると風速や温度も低下することから、火口から5kmの範囲を危険な区域と想定した。

(6)  土石流
 火山灰が厚く堆積したところで降雨によって発生する。西側同様、20cm以上降灰が予想される傾斜10度以上の渓流で、10年に1度の大雨(165mm/日)が降った場合に土石流が流下し堆積する範囲を想定した。火山灰の堆積した範囲に限られるが、降灰の範囲は限定できないため、起こりうるすべての渓流について示している。方向によっては山麓の集落の一部にまで到達する可能性がある。

(7)  融雪による火山泥流
 冬期には岩手山には2mを越える積雪があり、火砕流により雪が急激に溶けて大量の水が火山灰を含んで時速数10kmと高速で流れ下り、下流側で広範囲に氾濫する。規模の想定は容易ではないが、火砕流の項で想定した7方向ごとの火砕流量、積雪量から融雪水量を求め、シミュレ−ションにより火山泥流の到達範囲を想定し、さらに河道の流下能力、河床の比高などの地形解析を加えて氾濫する範囲を想定した。火砕流の流下する方向で発生するものであるから、すべての範囲で火山泥流が流下し氾濫するものではないが、被害の範囲は最も広く、松川、生出川、砂込川、諸葛川、黒沢川などの流域で氾濫する可能性がある。
 なお、岩手山では過去に大規模な山体崩壊(岩屑なだれ)が発生している。発生の可能性は低いものであるので、約6000年前以降の実例を別図として表示している。
 西側での水蒸気爆発とは異なり、被害の範囲が広域に及ぶことや、様々な噴火の形態があることから、火山防災マップとともに、マップ作成の目的、マップ作成の前提条件、噴火の形態や危険性、対応の仕方などをわかりやすく説明した「岩手山火山防災ハンドブック」(6ペ−ジ)を作成配布する。
 マップは、西側の水蒸気爆発とあわせ、また、冬期の融雪による火山泥流も含めた1枚のものとして作成した。なお、西側での水蒸気爆発はマグマ噴火のように高温のものではなく、融雪による水量は想定している10年に一度の大雨より多くならないため、既に公表の想定を変更していない。


 火山防災マップがつくられても、防災対策の構築は今後の課題として残される。むしろ、本格的な対応はこれからスタ−トするものである。また、実際の噴火は想定とは当然異なる場合がありうる。その場合には、生じた現象に応じてすみやかな被害予測と対応が不可欠となる。そのため、建設省岩手工事事務所、岩手県土木部砂防課、岩手県総務部消防防災課を事務局とした「岩手山火山災害対策検討委員会」を基本とし、その体制の強化を図りつつ、今後とも継続して火山災害対策にあたることとする。
 また、従前の「岩手山火山対策検討会」は、浜口博之東北大学教授、木謙一郎東北大学名誉教授、野口晉孝盛岡気象台台長、土井宣夫地熱エンジニアリング且謦役技師長、斎藤徳美岩手大学教授の5名の学識経験者からなる「岩手山の火山活動に関する検討会」として改組し、火山活動の現状や今後の見通しについて行政に助言する役割を担うこととしている。研究機関・行政・報道機関が相互の理解と信頼のもとに連帯して、地域の安全のために貢献できる体制を、全国にさきがけて、岩手火山防災のため構築できればと切望する。

【注】  西側で想定した水蒸気爆発は、地下の水蒸気や熱水が加熱され、地表の土砂を吹き飛ばすもので、噴火の一形態である。
 マグマ噴火は、マグマの噴出により、溶岩流、降下火砕物の噴出、火砕流、火砕サ−ジなど様々な噴火を生じる。マグマが熱水と接触すると規模の大きいマグマ水蒸気爆発を引き起こす。東側では、噴火の一時期にマグマ水蒸気爆発がしばしば生じている。

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