エンターキーを押すと、ナビゲーション部分をスキップし本文へ移動します。

  • トップページ
  • 震災復興
  • くらし・環境
  • 産業・雇用
  • 県土づくり
  • 教育・文化
  • 県政情報

現在の位置 :  トップページ  ›  岩手県プロフィール  ›  いわての人


ここから本文です。

いわての人

ID番号 N1642 更新日 平成26年1月31日

岩手が輩出した先人たちを紹介します。

石川啄木(1886年~1912年)

石川啄木の写真

南岩手郡日戸村(現・盛岡市)出身。本名は一(はじめ)。盛岡中学(現・盛岡第一高等学校)時代から文学を志し、明治35年上京した。与謝野鉄幹の指導を受け、詩集「あこがれ」を刊行した。翌年、母校渋民小学校の代用教員となるが学校と対立し免職。以後、北海道や東京を巡り、創作に没頭、「一握の砂」を刊行し評価を得た。
しかし、貧困と病のため渋民の地に戻ることなく、26歳の薄幸の生涯を閉じた。

宮沢賢治(1896年~1933年)

宮沢賢治の写真

稗貫郡里川口村(現・花巻市)出身。盛岡中学から盛岡高等農林学校(現・岩手大学)に進み、卒業後、教師を経て花巻に羅須地人協会を設立、農民の教育、指導にあたった。文学、農業、教育、宗教、地質学と様々な分野に才能をあらわした。後年は病に冒され、37歳で永眠した。
代表作には、詩集「春と修羅」、童話「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」などがある。

原 敬(1856年~1921年)

盛岡市出身。政党政治の基礎を作った総理大臣。外務次官、朝鮮公使を経て、伊藤博文らとともに立憲政友会を創設、大正3年政友会総裁となる。大正7年、わが国初の爵位を持たない総理大臣となり「平民宰相」と呼ばれた。

新渡戸稲造(1862年~1933年)

盛岡市出身。思想家、農学・法学博士。国際連盟事務次長などを務め、諸外国の日本理解に尽力した国際人。昭和8年にカナダで開かれた太平洋会議には日本代表として出席した。「われ太平洋の橋とならん」は有名。

関連リンク

このページに関するお問い合わせ

秘書広報室 広聴広報課 広聴広報担当(広報)
〒020-8570 岩手県盛岡市内丸10-1
電話番号:019-629-5283 ファクス番号:019-651-4865
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。




Copyright (C) Iwate Prefecture Government All Rights Reserved.