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岩手県のあゆみ

ID番号 N1635 更新日 平成26年1月17日

縄文時代から現代まで、岩手の歴史を詳しく紹介します。

豊かな自然に恵まれた広大な県土をもつ岩手県。1876年に誕生してから135年余りとなる岩手県の歴史をご紹介します。

米どころ「いわて」のルーツ

今から約2,300年前、東北地方にも弥生文化が伝わり、一部では水田も造られるようになりました。

稲作の栽培条件は、決して好適地とはいえないですが、岩手県は弥生時代からの米どころであり、胆沢平野からは約2,000年前の水田の跡も見つかっています。

朝廷の支配下から自主の回復

奈良時代、東北地方北部を統一政権の配下に入れようと朝廷側は侵攻を始めます。エミシ側はアテルイを指導者に反撃し、一時は朝廷側の軍に手痛い打撃を与えますが、朝廷側に坂上田村麻呂が派遣され、ついに降伏します。そして、岩手県も朝廷の支配下となったのです。

平安時代の初めには政治の拠点として胆沢城(奥州市)、志波城(盛岡市)、徳丹城(矢巾町)が建設されるなど、律令による朝廷の統一的支配が始まりました。

しかし、朝廷の力が衰えてきた平安時代後半には、安倍氏、清原氏、藤原氏などの地元の有力豪族が力を増大させ、地方を支配するようになりました。

鎌倉時代から戦国時代

兜のイラスト

12世紀末、黄金文化を築いた藤原氏の政権も、四代泰衡が源頼朝によって滅ぼされ、岩手の地は再び外部勢力の支配を受けることになります。以後、戦国時代まで幕府の内紛や南北朝の対立等、中央政治の動向が岩手にも持ち込まれ、豊臣秀吉の天下統一まで岩手でも戦乱が繰り返されました。

そして、県北を支配していた南部氏の内紛に秀吉が介入して九戸城で戦われた天正19年の「九戸政実の乱」は秀吉の天下統一の歩みの最後の仕上げの戦いでした。岩手の地は、戦国時代の終結という節目にも大きな波にあらわれたのでした。

近世、四つの藩、明治維新

岩手県誕生のイラスト

近世の岩手県は、北半は南部氏の盛岡藩領、南半は伊達氏の仙台藩領となりました。後に盛岡藩から八戸藩、仙台藩から一関藩が独立し、4つの藩から構成されていました。

明治時代に入り、維新直後は岩手県の行政区画は目まぐるしく変わりましたが、最終的には明治9年(1876年)5月に現在の県域が決定しました。岩手県誕生の記念すべき年です。

現代

いわて県民計画のイメージ

第二次大戦後の岩手県は、木材伐採や災害のため荒廃してしまいますが、県土の復興と県民生活の安定向上を図るため、「国土総合開発法」を制定し、各事業の総合開発を推進しました。

1970年代には東北縦貫自動車道、花巻空港など高速交通幹線の整備が図られ、1980年以降には、東北新幹線の開業や花巻空港のジェット化など交通体系の整備されるとともに、地域の個性を活かした振興が図られてきました。

県では、平成21年12月に、「いわて県民計画 ゆたかさ・つながり・ひと いっしょに育む『希望郷いわて』」策定し、県民みんなで希望郷いわての実現に向けて計画をすすめています。

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〒020-8570 岩手県盛岡市内丸10-1
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