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「がんばろう!岩手」意見交換会(平成24年1月11日 陸前高田市)

ID番号 N5347 更新日 平成26年1月17日

懇談会の様子1

日時

平成24年1月11日(水曜日)

場所

陸前高田市役所第3仮庁舎

出席者

  • 参加者(敬称略)
    金野ヨシ子(陸前高田商工会女性部部長、陸前高田市各種女性団体連絡会会長)
    長野元子(広田湾漁業協同組合女性部部長兼広田湾支部長)
    新沼茂幸(ヤマニ醤油株式会社代表取締役)
    村上強(陸前高田市認定農業者の会会員、小友営農組合幹事・大豆作業部会長、岩手県青年農業士(平成15年度から平成21年度))
  • 県側
    達増知事
    水野沿岸広域振興局副局長長
    稲葉秘書広報室長

開会

水野副局長
それでは、ただいまから県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を開催いたします。
皆さんには御多忙のところ御出席いただきましてまことにありがとうございます。本日の進行を務めさせていただきます沿岸広域振興局の水野でございます。

知事あいさつ

水野副局長
それでは、開会に当たりまして知事からごあいさつを申し上げます。

達増知事
皆様、こんにちは。県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会ということで御参加をいただきありがとうございます。それから、場所を提供してくださった陸前高田市には改めて御礼申し上げます。
今日は1月11日で、東日本大震災津波から10カ月目ということで、一日一日、またこの1カ月、1カ月、その日、その日、また、目の前のさまざまな被災者支援、復旧、復興といったことに皆さんも携わってこられて、県としても携わってきた10カ月だと思います。犠牲になった方々にお悔やみを申し上げ、そして被害を受けた皆さんにお見舞いを申し上げます。
今年は年の始めから復興という事業に取り組んでいく復興元年ということで、私も先週御用始めから、月曜が休みで火、水、木、金と仕事の日があるのですけれども、先週も火、水、木は沿岸で仕事をし、今週も火、水、木と沿岸で仕事をし、金曜だけ盛岡の仕事をするような格好でありまして、一年の計は沿岸にありということで、今年一年スタートするに当たって、私としてもまず岩手県民全体として、岩手全体として沿岸から仕事をしていくのだという形でスタートしたいと思っております。今日はその中でも特に復興のテーマとして県で掲げていることに安全の確保、暮らしの再建、そしてなりわいの再生とあるのですが、このなりわいの再生に関し、非常に英雄的な努力をされている。また、分野のリーダー、先達をされている、そういう皆さんに今日はお集まりいただきまして、現場からの報告いただきながら、県としての取り組みにも役立てていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

水野副局長
ありがとうございました。それでは、本日御出席の皆様を御紹介いたします。
陸前高田商工会女性部部長、金野ヨシ子様でございます。

金野ヨシ子
よろしくお願いいたします。

水野副局長
広田湾漁業協同組合女性部部長兼広田湾支部長、長野元子様でございます。

長野元子
よろしくお願いします。

水野副局長
ヤマニ醤油株式会社代表取締役、新沼茂幸様でございます。

新沼茂幸
よろしくどうぞ。

水野副局長
陸前高田市認定農業者の会会員、村上強様でございます。

村上強
よろしくお願いします。

水野副局長
県からの出席者でございます。
達増知事でございます。

達増知事
よろしくお願いいたします。

水野副局長
稲葉秘書広報室長でございます。

稲葉室長
よろしくお願いいたします。
また、本日は久保田陸前高田市副市長さんにもお越しいただいております。

久保田陸前高田市副市長
よろしくお願いいたします。

水野副局長
それでは、早速でございますけれども、懇談に入らせていただきます。
懇談は、皆様から2回程度に分けてお話をしていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

懇談

懇談会の様子2

水野副局長
では、最初に自己紹介を兼ねまして、お一人5分くらいで、今皆様が復興に向けて取り組まれていること、あるいは大切にしていることなどをお話ししていただきたいと思います。
それでは、名簿順で金野様からよろしくお願いします。

金野ヨシ子
陸前高田商工会女性部の金野ヨシ子と申します。よろしくお願いいたします。
このたびの東日本大震災で、女性部部員の185名のうち40名の方が犠牲になりました。生前お世話になった部員を供養しなければならない、そう思い、女性部活動を始めたいと思い、昨年の7月22日、普門寺におきまして供養と法話を実施し、活動の出発点にいたしました。また、NPO法人きものを着る習慣をつくる協議会の理事にもなっております。本部は京都で、私は陸前高田支部で活動をしております。理事長の中塚先生が通信社を通して全国に着物支援を呼びかけたところ、浴衣、着物、襦袢、草履、下駄、和装小物などが集まり、配付会をすることとなりました。陸前高田では、高田一中と米崎保育園、それから大船渡ではリアスホールとカメリアホールで、気仙沼では気仙沼市民体育館、それから釜石では、釜石市民体育館、去年の6月18日から11月7日まで6会場におきまして約1万点を全国のNPO法人の会員と協賛で女性部も一緒になって配付の手伝いをして汗を流しました。12月に入ってからものづくり支援を始めております。シミあり、穴あり、残っている着物を利用してコースターづくりに取り組んでおります。職場を失った人、仮設住宅に住んでいる人に声をかけて、その
中には女性部の部員もおります。6班に分けてつくっています。ミシン、アイロン、芯、糸等はNPO法人ですべて用意をしております。作成した現物はこれなんですけれども、コースターを1枚つくれば130円の収入となります。1月、今月の末にお金が入るようになっております。これからは、エプロン、箸入れ、小物入れとかも考えております。
岩手県商工会女性部連合会の理事にもなっております。昨年の8月26日に連合会館におきまして会議があり、その中で女性部の要望といたしましてアイロンと湯たんぽをお願いをいたしました。松田会長さんが、全国女性連にお話ししたところ、ぽかぽかプロジェクトを立ち上げてくれまして、全国から女性部員の支援でアイロンが170台、それから湯たんぽ500個、毛布80点、すべて新品で仮設商工会女性部あてに届きました。手分けして部員に届け、残った湯たんぽは住田町の仮設、それから老人ホームには150個を届けて感謝されました。それから10月20日、遠野のまごころネットさんに協力をいただきまして、足湯を2回、会場で実施しております。釜石市仮設住宅と高田高校の仮設には9名で私も講習を受けて参加をいたしました。津波のつらい体験を聞いてあげる心のケアを兼ねています。今日で震災から10カ月を迎えました。夢中で月日が過ぎたと思い、新しい年を迎えたのですが、私たち女性部はどう向き合っていけばいいか、また活動資金を得るためにはどうしたら良いのか、ものづくりがいいのか、お菓子づくりがいいのか、実現に向けて模索しているところです。そして、一つの案として、歴史ある普門寺を震災供養寺と名づけ、3月11日を忘れないためにも、第2日曜日を、毎月お寺参りの日と決め、冥福を祈り、人が集まればにぎわいの再生になると思います。そんな復興に向けての夢を持っております。
そして、最後になりましたが、全国から心温まる支援物資、義援金に感謝しております。ありがとうございました。
以上でございます。

水野副局長
ありがとうございました。
引き続きまして、長野様。

長野元子
広田湾漁業協同組合女性部の部長をやっております長野といいます。よろしくお願いいたします。
うちのほうでは、何せ本所、漁協自体がそれこそ全滅いたしまして、去年までは大漁祭りとか、いろいろそれこそ行事もありまして、最後の行事が去年の2月12日のキャピタル1000で「あがらんせ広田湾」の試食会の料理会があったのですが、それが最後となりまして、それから活動という活動ができなくなりました。最初のころは電気もガソリンも何もないときなので、後にも先にも動くことができなくて、まずとりあえず本部に行って物資の仕分けとか、おにぎりをつくって交代で女性部の皆さんには動いてもらいました。そういう面では、やっぱり浜の母ちゃんというか、いざとなったらば手が空いたというわけでなくても、どこへかければ集まってくるのか、これが地元の母ちゃんたちで、そういう面で本当に一生懸命働いてもらったのが現状でございます。
それと、なんせこの通り、本所自体がやられてしまったので、行事という行事が本当にできないので、後にも先にも、やりたいことを言ったって、浜がこのとおり全然動かない状態で、ともかく海が動いてもらわないことには、何せ陸前高田市は広田湾、それこそ浜の水揚げがあって、活気があって、売り上げがあることによって、このとおり店も繁盛するのではないかと思っていますが、なんぼ商店街ができましたっていっても、やっぱり海の魚とかワカメ、それこそ養殖やってる、親子で手をかけている、自営業の人たちが多いのですけれども、こういう状態がありまして、途方に暮れているのも現状でございます。それで、船がないために、やっぱり収入がなくて、本当にどうしたらいいのだかというので今迷っているのが現状でございまして、何とか自分たちもそれこそ会議開くにも今漁協自体が全滅して仮のプレハブでやっていますけれども、何とか知事さんに、それこそ会議開くような、それこそ本所自体というか、補助金を出してもらえば本当はありがたいのでございますが、くれぐれもよろしくお願いしたいと思います。まず、今のところ現状ではそういうふうにして動きがとれないでいます。よろしくお願いします。

水野副局長
ありがとうございました。
続きまして、ヤマニ醤油の新沼さんよろしくお願いいたします。

新沼茂幸
陸前高田のヤマニ醤油です。震災後は「陸前高田のヤマニ醤油です」と必ず陸前高田を頭につけるようにしています。というのは、約250日ぶりの11月21日に念願の営業再開を果たすことができましたが、営業を再開したといっても陸前高田で復興したのではなく、陸前高田、花巻東和町、盛岡の3ヵ所に分かれて再スタートを切ったからです。ですから、ヤマニ醤油株式会社は陸前高田の醤油屋ですよ、という強い思いがあります。
ヤマニ醤油は明治元年に陸前高田で創業し、私で4代目になります。よく聞かれる質問で、「ヤマニさんは何でヤマニさんと名づけたのですか」というのがあります。私の名字は新沼です。ですから、ヤマニの「ニ」は新沼の「ニ」です、と答えます。また、初代・新沼善吉は跡取りではなく次男でして、普通は本家から山などの財産をもらって別家になると思うんですが、初代は、醤油屋の権利が欲しいと、隣町の本家・糠塚から譲り受けて醤油屋を始めたのが明治元年です。思うに、初代は次男でありながら夢を持って醤油屋を始めたのだと思います。ヤマニ醤油の「ニ」は二番目の「ニ」だと、私は解釈しています。
私は大学卒業後にすぐ、家業を継ぎました1980年です。祖父が高齢、父が病気であり、すぐに家業の醤油屋を継ぎました。正式に代表取締役社長になったのは、父が亡くなった35歳ですが、そういう事情で社長の役割は30年ぐらいやっています。代表取締役社長になり、ある金融機関の方から「ヤマニさん、商売で一番大事なことは何ですか」と聞かれたのを思い出します。あまりにも哲学的な質問で、何だろう…優しさかな、商品かな、お客さんかなと…、いろいろ自問自答して、結局その方にはわかりませんと正直に答えました。その方は、「ヤマニさん、商売で一番大事なことは継続することですよ」と言いました。そのときはまだ30代で、何とも感じなかったのですが、今回被災し、商売を続けられない状況になって、やはり続けるということが一番大事なことなんだなと実感しています。 当時、目の前で自宅と蔵、設備がすべて流されているところは、しっかりと見ました。この状況では醤油屋を続けることは不可能とその時は思いましたが、翌日事務所跡から奇跡的に製造レシピを見つけだすことができました。本音でいえば醤油屋を続けたくて、危険を顧みずに回収に行ったのではなく、御先祖様に怒られないように、もしまた醤油を造りたくなった時の可能性のために行ったのです。そのときの気持ちは、まだ100%やる気持ちではありませんでした。避難所に行って一番うれしかったのはお客様からの声援でした。私が一番大事にしてきたのは、お客様とのつながりです。あと、もう一つはヤマニらしさ。今風に言えばブランドだと思います。ヤマニはスーパーなどに卸さない御用聞き販売を創業から守ってきました。その長年のお得意様が「ヤマニがなくなると困る」と真剣に言ってくれたので、設備も何も失いましたが、もう一度やろうと決心しました。ただし、この状況では、新しいビジネスモデル、それも180度転換した画期的なビジネスモデルが必要だとすぐに判断できました。避難所で大枠の実現可能なアイデアはイメージできました。これが、そうです(参加者に書類を提示)。

達増知事
復興計画。

新沼茂幸
そうですね。これは金融機関から見れば事業計画、私は夢実現のシナリオと考えました。
文章ではなく、図で書かれています。よりイメージしやすくカラーで作成しました。大学の恩師から、自分の思いや考えは図にしろと、徹底的に厳しく教わりました。画期的なビジネスモデルにはもう一つ、プロとの連携が必要と考えていました。私が今までやってきた御用聞きは人とのつながりを大事にしてきたので、これからは、もう一つの人脈、その道の専門家の方々との連携が絶対に必要と考えていました。実はヤマニ醤油株式会社は社員ゼロの、妻と私の2人だけの権利会社になりました。でも、一番大事に考えているのは、今まで築いたお得意様とのつながりです。一度、陸前高田を出ましたが、力をつけて何らかの形で陸前高田にお返し、貢献したいと思っています。醤油づくりのように、段階的に長期的なビジョンでやっています。4年-3年-3年と、私の年齢55歳を考え、10年をスパンに取り組みます。陸前高田に戻ってこられるのは、最短で3年、遅くとも6年後と考えています。お客様の信頼を維持しながら、できれば全国ブランドまで持っていきたいと思います。

水野副局長
ありがとうございました。
次に、村上さん。

村上強
小友町から来ました村上です。よろしくお願いします。津波の影響により、私の住んでいる小友町の田が大規模に被災をしました。まず、町内で農家として生活してきましたが、実際できるのかなあなんて思いながら、最初のころはそう思ってました。ですが、残されたハウスや畑で野菜をつくり、私と同じような農家の方12人といち早く産直を開き、高田の人たちの生活に役立ててもらうため、高田での農業を頑張ってとの思いでやってきました。また、小友町内の被災を免れた農地で転作大豆を栽培し、何とか残された農地を管理し、少しでも農業収入や農地を荒らさないよう限られた人と機械で活動してきました。
転作大豆を栽培し、いろいろな人、また民間会社にいろいろ御支援をいただきました。まずは、農業機械が大規模に被災し、どう作業するかと悩んだところ、農業機械の会社からトラクターなどの機械を支援してもらったり、市の緊急雇用の方々に作業を手伝ってもらったり、またいろいろ各地からたくさん来ていただいたボランティアの方々に草刈りなどを手伝ってもらい、また収穫には奥州地区や一関地域の認定農業者の会の皆様方に刈り取り、乾燥、調製を支援いただき、大変助かりました。来年も営農して恩返しができればいいなと思っています。
いずれ高田の農地の整備もされると思いますが、一人ひとりの農家は被災される前の生活に早く戻れればいいと思っています。そのために早急な農地の整備や、整備されてからの農業支援の補助事業、今回でしたらば東日本大震災農業再生対策交付金ですか、それはあくまでも、どちらかと言ったら整備されてないうちから機械買ってどうなのかなと思う部分もちょっと、どういう考えがあるかわかりませんけれども、私はちょこっと思うので、整備されてからもこういう資金があればいいのかなと思っております。
そして、復興に向けて全国各地から本当にたくさんの支援いただきました。全国でなく、地域の人にもまたたくさん支援をいただき、助け合いの気持ちを大切にしながら、また農業で頑張りたいと思っております。
以上です。

水野副局長
ありがとうございました。今皆さんが復興に向けて取り組まれていることや大切にしていることをお話しいたしましたけれども、知事、何か質問等……。

達増知事
それぞれの皆さん、まず当事者の方々がお力を振り絞ってやっていらっしゃるということに加えて、全国の仲間あるいはお客さん、全国からの支援が大きく力になってくるのだと思いました。
復興の基本政策は、地域の底力を把握することと、プラスつながりの力を強めること、やはり地域外、岩手県外からのいろんな力を復興に生かしていくことが基本戦略、あるいは基本的な考え方だと思っていまして、やはりそういったところの商工会、また商工会女性部のネットワークや漁協女性部の全国ネットワーク、またヤマニ醤油の顧客の皆さんとのつながり、そして農業関係もやはり農業機械の会社あるいはボランティアとかも含めて、そういう全国からの支援をいただいている。これからもそうなのだと思います。あとはそうですね、漁協の建物を早く直したいというのは本当にそのとおりで、発災直後、私がまずやらなければと思ったのは、漁業をやっている皆さんが希望を持てるようにしなければならないということで、最初に現地視察をしたときに宮古で大井漁協会長をつかまえて、ここは漁協の復興を核とした復旧という作戦でいくべきでしょうと。そうすれば地域、地域で力を合わせやすいですし、あとは全国ネットワークの力、全漁連に対して水産庁、国が補助するとか、そういうことができるんです、そういう中で国に対しても国の予算で漁協の建物を直せるようにというのは繰り返し言っていて、まだそのとおりにするという回答は国から出ていないんですよね。だから来年度予算に向けてとか、今年の一つのテーマはそこだと思っていますので、船については比較的好調な仕組みができてきていると思うのですけれども、そこもうまくやっていければと思っています。

水野副局長
それでは、次に、今復旧に向けて取り組まれていることとか、大切にしていることをお話していただきましたけれども、その中で日々いろんな活動をなさっていると思うのですけれども、その中で困っていることとか、あとは今後どんなことに取り組んでいきたいとか…

達増知事
あと一つだけ。ちなみに、大豆というのはお米に比べると収入がどのくらいになるのでしょうか、同じ面積で。

村上強
残っている農地が別に米でもよかったのだろうけれども、水が来ないような状況で、もともと転作の大豆もつくっていた地域なのでやっていたのですけれども、国の政策を応用して、まず1反歩当たり、今回はまず交付金が出るよというようなことがポイントでまずやっていました。

水野副局長
それでは、今後取り組んでいきたいと思っていることを金野さんのほうから。

金野ヨシ子
そうですね、やはり商売が流されてしまった人は、仮設店舗の申込みをしているんだけど、まだなんです。なかなか商売をやるところまでいけず、当初は暮れまでには、23年度までには、開業できるかなと思っていたのが延びて、まだ働けない状況なので、できるだけ早く仕事に出たいかなと。不安・悩みを抱えている人達への心の支えになることも必要だと思います。

水野副局長
長野さんは今後に向けてとか、今困っていること。

長野元子
困っているところは、広田のほうが道路がちょっと狭いので、何とかやっぱり道路の幅、何十年とそのとおり1本道路になってますが、何とか道路だけは早く確保してもらいたいと思います。それとせっかく黒崎温泉という温泉がありますけれども、宿泊設備がないのです。まして、この震災になってから泊まるところがなくて本当に皆さん困っているみたいだけれども、やっぱり自然のいい温泉があるのにもかかわらず、やっぱりそこに早く、いち早く泊まるお客さんを置けばそうすると売り上げになるのではないかと思います。手っ取り早いのは、やっぱり予算もわかりますけれども、宿泊をしたほうが何かそこから伸びていく感じが出てくるのではないかと思いますので、この自然が豊かな、本当に眺めのいい、初日の出で結構(人が)来たみたいですが、何とかその場所を本当に有効に活用してもらったほうが発展になるのではないかなと思っていますけれども。

水野副局長
漁協関係では何か今後に向け。

長野元子
漁協関係では合成洗剤の影響で、やっぱり気仙川の川から流れて、それこそ栄養分が海のほうに流れてくるのもさておいて、皆さん洗濯やっている、それこそ食器洗うにしても合成洗剤が海のほうにも良くないということで、体のほうにも、まして良くないということなので、何とか合成洗剤を呼びかけていますが、なお一層呼びかけて、プランクトン、それこそ海の中のプランクトンを良くしていかないと、この津波で大分、海の底が汚れてしまいましたので、やっぱり手っ取り早い方法がそういう洗剤というのは本当に貴重な合成洗剤が何よりもいいということが、データでも、それこそ出ていますので、このほうを呼びかけていきたいと思っています。合成洗剤追放。何とかそのほうが早いかなと思っていますので、頑張ります。

水野副局長
ありがとうございます。
新沼さんは今後に向けてとか、今はいろいろ取り組んでいらっしゃるのですけれども、困っていることとか、今後に向けて。

新沼茂幸
困っていることだらけですよ。言ったらきりがない。震災前は、私は困っていることがあると自分で抱え込んで、自分で解決しようとする、人の話を聞かない閉鎖的な性格でした。被災後はあまりにも困っていることだらけなので、反対に積極的にその道の専門家聞くようにしています。そして代わりにやってもらう方針に変えました。自分の弱みを受け入れ、温かく支援してもらっています。相手も解決できなければ他を紹介してくれます。解決策が見つかるまで、真剣に相談に乗ってくれます。ですから、困っていることは何も恥ずかしいこととは思わなくなりました。困ったら助けてもらう、そのかわり自分しかできないことがあると思いますので、それでお返しすればいいのだと思います。私はそういうスタンスでやっています。

水野副局長
今後、取り組んでいきたいことは何かありますか。

新沼茂幸
今、私はパソコンをちゃんと覚えておけばよかったなと思っています。人と直接会って話をする御用聞きは得意なのですが、メールとかツイッターとかさっぱりわかりません。今後、ネット上のコミュニケーションツールは共通言語として是非覚えたいと思います。今後の私の仕事は、いろんな人や組織と連携を組んで、その中でのまとめ役になると思います。その、ネットワークづくりは醤油づくりに似ています。今までの経験を生かし、信頼のネットワークで真の復興を目指します。一つ一つ新しいことに取り組んでいきます。

水野副局長
村上さんは、今行っている中で困っていることとか、農業の関係でこういうふうにしていきたいとかありますか。

村上強
まず、今回残っているところで大豆を植えたというようなことでしたが、できれば早急に残ったところに、どちらかといったら食べていかなくてはいけないので、米をつくりたいというのが本音なのです。何とか水を早急に通していただければ、また違う発展になって、また違う、ちょこっとでも、被災はしたけれども、ちょこっと残っているところには少し寛大に考えて大豆をまかせてもらえればまた違うのかなと、いいのかなと思っています。ただ、さっき言った、機械はまずそういう補助事業があるので、買う見込みだなという部分はあるのですけれども、どうしてもみんなそうだろうけれども、やっぱりどっちかといったら油の経費と恐らく種苗代、肥料代の経費がちょっと圧迫するのかなというようなところがあるので、集落営農組織の法人会社でしたら余り苦労しないのですけれども、まだ任意の組合なので、個人の農家として見てもらっていれば油の免税等々も利用できればいいなと思ったりもしています。それで、余り農業のところに、ちょっと違うところになってしまうのですけれども、小友町に金融機関がないので、年寄りの人も困っているような状況なので、郵便局なり、農協さんなり、漁協さんなり、どの金融機関でも構いませんので、お金が近くにおろせるようなところがあればいいななんて思っております。

水野副局長
ありがとうございます。
今日、先ほど知事があいさつ申し上げましたように、なりわいという関係で皆さんにお話しいただいているのですけれども、高田市の復興計画が策定になって、今後復興に向けて進んでいくのですけれども、それぞれのお立場で、商工の立場とか、漁協の立場、あとは商売の関係、農業の関係で、今後高田市の復興計画と併せて、今後どういうふうな町にしていきたいというふうなお考えでしょうか。ちょっとお聞きしたいなと思うのですけれども。
これから高田は、将来100年、200年、長いスパンでの復興になると思うのですけれども、どういう町に今後、今、自分がやっている面からでいいのですけれども、していきたいなと。あるいは全体的な考えでもいいのですけれども。

金野ヨシ子
今はまだ泊まる施設がないので、陸前高田市震災復興計画の中に「『けんか七夕』、『大庄屋の復元』など景観に配慮したまちづくりを図ります」とありますので、今泉街道の中に観光客を呼び込むまちづくりを取り入れながら、それにふさわしい風情ある「宿場民宿」があれば、やはりそういった観光スポットといいますか、やはり要所要所で陸前高田らしい観光誘致ができて、来る人で賑わって。そんな地元にしたいなと。

水野副局長
被災地を余り見せたくないというような、そういうふうな意識も地元では大丈夫ですかね、そういう意識。被災地を興味本位みたいに来られて見られるのはというのは結構報道なんかにもあるのですけれども、そこら辺は逆に見ていただきたいというか。

金野ヨシ子
私はやはりそれは来て、遠くからテレビの映像でしか見てない人たちが、ここに来て初めてその悲惨さが分かる。そういった人が多いと思います。たぶん、こういうのを何年か前だったら、無理ですよね、震災前なら。やはり、そういうふうに来ていただいて、そしてそこに宿泊施設を整えて、見学してもらって、徐々に復興する街並みを見ていただければ、なんとなく私たちも復興に向け力が湧いてくるんではないか。ただ、その日過ぎてしまえば、お金が落ちていかないですので、やはりお金を落とす手段を考えて。それが一番です。

水野副局長
普通は宿泊施設があったり、整備が必要だと。ありがとうございます。
長野さんは漁業、漁協の関係とかで具体的な復興というか……。

長野元子
そうですね、雇用のほうが一番主だと思うのですが、やっぱり浜の場合だとワカメでも作業でも何でもですけれども、結局親子でやっと船立ててやってる、跡取りの息子たちが結構出てきていたので、これからの時期にこうやってやられてしまったのですが、やっぱり浜というのは仕事は幾らでもできるのです。

達増知事
エゾイシカゲガイとか。

長野元子
はい。それこそね。せっかくのとこに来て、今最盛期目前で全部やられてしまったので、それにつけてもやっぱり堤防でも岸壁でも、ともかく浜が回復しないことには雇用の場がないです。そうするとみんな逃げてしまうと、自分たちはやっぱり陸前高田市に生まれて、心から惚れ込んで、ここの陸前高田を誇りに思っているので、余り人口が減らないように、仕事する場所があれば相当増えていくのではないかなと思いますので、何とか浜のほうの、それこそ漁業が、幾らでも仕事すれば、それこそパートだろうが、母ちゃんたち働く力はあるので、そこをやっぱり回復してもらいたいと思いますので、雇用のほうよろしくお願いします。それとやっぱり老人ホームというか、失礼ですけども。私ちょっと老人になってきましたので、広田にはそういう施設がないのです、どういうわけだか。小友、米崎それこそ陸前高田とかってあるのですが、広田だけは何かなかったので、やっぱりこれからは広田の山のそれこそ仁田山というか、いいところもあるのです。そういうところにどんと建ててもらえば、最悪のときはやっぱり緊急的に避難するようなところも確保してもらえればというようなことで、これからのことも考えて、現実、こうやってまさかということが起こったので、ある、ともう考えて調べてもらったらば発展していくのではないかなと思いますので、ぜひお年寄りが避難所にできるところも、そういうところもぜひお願いしたいと思います。

水野副局長
ありがとうございます。
新沼さんは、今は盛岡あるいは花巻ということなんですけれども、将来的には陸前高田ということで、ちょっとこれからの町がどういうふうに復興するか、気にはなりますよね。高田はどういう町になっていくかというのは、どういうふうにお考えですか。

新沼茂幸
今は、2つイメージがあります。一つは楽しい町。夢みたいな話ですが、ディズニーランドのような町です。8月にワタミさん企画の復興祭が陸前高田であったのですが、とてもみんな笑顔で楽しそうでした。働く人も自信に満ち、全国から支援に来た人もワクワクしていた。私は職人でもありますが、性格的に商人です。商人の役割は町を明るくすることだと思います。そしてどんな時でも笑顔で接するのが商人だと思っています。楽しい町です。
あともう一つは、独居老人でも安心して住める、孤独死しない寂しくない町が理想です。東京に住んでも誰も話し相手がいないと、孤独死の問題はあると思います。私たちには子どもがいませんので、一人になったときの身近な課題として実感できます。

水野副局長
楽しい町というのは一体どういうイメージなのですか。

新沼茂幸
単純に、ただ楽しい、幸せということ。理屈や言葉じゃないです。気持ちのいい、心地よい、嫌なことを忘れる。そんなイメージです。

水野副局長
ありがとうございます。
村上さんは農業関係で、高田の農業の、そこら辺をどういうふうに考えていますか。

村上強
恐らく当面田んぼをつくる、田んぼを直すということはまだ。米をつくるなり、また転作でそれぞれ作物つくっていくなり、野菜つくっていくなりになっていくと思うのですけれども、当然高田町内で賄っていければいいのでしょうけれども、実際問題老舗の酒屋さんもいなくなってしまった状態ですし、お隣の?油屋さんも徐々に復活しているようなので、何軒かあった?油屋さんもいなくなっている状態ですし、当然味噌屋さんもいないよと。その中で、こうやってつくっていくときにも、そういう高田にあった民間の会社の人に売り込もうかなと思っていた時期にこうなってしまったような状況なので、何とかその人たちを早く、逆に早く復活させてほしいなというようなことがまずあります。どこの地区もそうなのでしょうけれども、あとはまず何とか高田のブランドというものが何となく浜のものはたくさんあると思うのですけれども、農業に関してはキュウリとか、ちょこっとしたトマト類しか実際ないのですけれども、その数も、つくってる人の数も少ない状態なので、新たなブランドづくりができるような野菜類もあればいいななんて思っております。

水野副局長
イチゴなんかも前は……

村上強
一応、今は何人かで冬キャベツをやっております。

水野副局長
室長のほうから何か質問等あれば…

稲葉室長
質問というのはあれですけれども、皆さんそれぞれ大変な思いをされたところから、皆さんの力もいただきながら頑張っているという姿がすごくよくお話しの中でわかってきましたので、そういう力をみんなで助け合いながら、やっぱり昔あったお店が元通りになってほしいという思いは皆さん思っているのだと思いますし、そういう企業の方々もいずれはそういうふうになりたいというふうに思っていただいていると思うので、そういうことはみんなで連携しながら、少しずつ前に進んでいけばいいなというふうに感じました。これは本当に皆さんの手伝ってもらっているという、来るときにボランティアセンターに寄ってきたのですけれども、いろんな人に支えられているというのは運営もそうですし、ボランティアに来ていただいている方もそうだなというのは改めてわかりましたので、本当に地域の皆さんが頑張っているということと、それをみんなが支えてくれているというのは改めて感じたところでしたので、こういうことを契機にしながら少しずつ前に進んでいければいいなと思いました。

水野副局長
金野さんは先ほど普門寺のプロジェクトというか、普門寺でお寺参りとかという、今までも、被災前も陸前高田の観光施設として一応扱っていたというか、皆さんに訪問してもらったりしていたのですけれども。

金野ヨシ子
私のイメージとしては、東京にとげぬき地蔵ってありますよね。ああいう観光的なイメージをした仕組みをつくるにはちょうどいいチャンスだなと思ってます。やはり、単独では無理ですので、連携をしながら、要所要所でそういうところを見るコースを作れば、やはり陸前高田だけでは、どうしても無理だと思いますので、岩手県商工会には現在、27商工会女性部がありまして、県女性連が柱となりまして、平成25年2月から3月頃に観光客を呼び込むPR企画を検討しています。これに参加したい各女性部が、商工会の連携でやろうかなという話がちょっと出てますので、そうなればいいかなと。ぜひ実現に向けて行動し、皆様のお越しを楽しみにしています。

水野副局長
長野さんは、私、一昨年、広田湾大漁祭りですか。あれに参加させていただいたんですけども、ああいうのはいつごろから始まればいいなと。

長野元子
そうですね、今年は難しいかもしれないけど、来年からは何とか。15年やってきましたので、去年はなかったので、今年はこのとおり何とかアワビから何から、それこそ開口もなかったものですから。

水野副局長
物がなかったですもんね。

長野元子
物がない。船がないので、やっぱり船が。全然開口も、やっぱりね、それこそ、アワビがないというところもありますし、開口すれば来年あたりでやっていけたらいいのではないかなと思っています。欲を言えば、今年からやってもらってもいい。

水野副局長
女性部の方々がお菓子ですか、食品加工というのですか、やって売ったりしていましたよね。

長野元子
はいはい。

水野副局長
ああいうのも始めたいなというような気持ちもあるのですか。

長野元子
あれは女性部のほうでつくってちょっとやっています。

水野副局長
そういうのも徐々に始めていきたいというような……。わかりました。
新沼さんは花巻の佐々長醸造さんと提携したというか、どういう言葉使っていいかちょっとあれなのですけれども、施設をお借りしてやったという形ですか、そこら辺の連携のお話をしていただければ……

新沼茂幸
特に支障はないのでお話しします。今は花巻市東和町にある、佐々長醸造株式会社様の製造施設でヤマニ醤油を作っています。社員50名の岩手一大きな老舗醤油屋です。ヤマニ醤油株式会社のブランド価値を高く評価し、またヤマニの味をつなげたい私の願いを聞いていただき、ライセンス契約を結びました。ヤマニ醤油株式会社がライセンサー、佐々長醸造株式会社がライセンシー、陸前高田営業所をサプライセンシーとして元従業員を代表に独立させました。機能別に陸前高田と花巻、盛岡と戦略的連携を結んでいます。一番大切なのは、お得意様の笑顔と事業を継続することだと考えました。普通この状況下でできることは、OEM契約を結んで自社で販売をするということだと思いますが、私はあえて前例のないライセンスマネジメントの道を選択しました。財務状況から考えても、この方法しかないと思います。パートナーシップ経営です。同じ目的を共有した仲間による、信頼のネットワークです。ヤマニ醤油株式会社はブランドを守ります。
今国や県にお願いしたいことは、被災後、今までの人生を見直し、前向きに夢と希望を持って動き出した若者がいます。特区でも何でもいいのです。その起業の夢がつぶれないように、しっかりサポートして頂きたい。はじめが肝心です。醤油づくりも同じです。行政が枠組みをつくり、最初は資金援助などを積極的にする。そしてだんだん立ち上がり、勝手に動き出す。そうなったら行政は、暴走しないように見守るだけ。または、手入れ・てこ入れをすればいいと思います。言うほど簡単ではないと思います。醤油づくりでも、最初の麹づくりが一番難しく、失敗が多いのも現実です。でも、そんな若者が、でも、だめだろうなと諦めないうちに今は、行政が後押ししてもらえればいいなと思います。

水野副局長
村上さんは、今、県のほうでも田んぼの除塩とかも昨年はやったりしたのですけれども、そこら辺で何か、新沼さんがおっしゃたように、県のサポートをもう少しこうしてほしいとかは。

村上強
正直語れば県の人たちに一生懸命やってもらったっていうのがあるんですよ。普及センターとか一生懸命になってやってもらったなというような状況だったので、大変助かったと思います。逆に今回、いつもだったら、こんなに協力してもらったのかなと思うくらい協力してもらったような形で大変助かりました。

水野副局長
ありがとうございました。
皆さんのたくさんのお話しありがとうございます。

知事所感

水野副局長
それでは、最後に知事のほうからお願いいたします。

達増知事
お寺さんのところを復興の中心に生かしていくということは、岩手全体だと中尊寺さんとか、まあ、あそこは東北全体で平泉が復興の象徴ってところがありますし、中尊寺だと、本堂だと思うのですけれども、東日本大震災犠牲者霊位っていう位牌っていうのか、それを立てていて、全国から来た人、誰でもお参りできるようになっていて、そういう工夫はすごくいいんじゃないのかなと思います。仮設商店街の店舗がなかなか遅れ気味っていうのは、後でよく(事務局は)説明をしておいてください。いろんな事情でそうなっているという報告は上がってきていて、非常に大事ですからね、どんどんお店を開くということが非常に大事ですから、それは早くやらなきゃならないと思っています。宿泊ということは、県が直接やれることとしてはスポーツ合宿とかの施設が県のやつをやってたんですけれども、陸前高田はやっぱり岩手を代表するそういうスポーツの合宿所でもありますので、あれはきちっと直す方針でいまして、スポーツ関係宿泊施設というのは県がちゃんとつくります。 全くの新規の起業支援というのは、それは臨時の体制、大震災前からそういう起業家支援というのは県政の一分野として重点分野だったのですが、復旧、復興支援という3月11日以降の動きの中では、やっぱり壊れたところの修繕とか、被害を受けた経営者たちのグループ補助みたいなそういうところに、そこは目を向けなきゃならないところですから、目をつけるのですけれども、実は全くの新規の起業というのも復興に向けてものすごく大事なところなので、そういうのがどんどん出てくる、出てこないで復興の勢いが全然違うでしょうから、やっぱり全くの新規の起業支援というのもそこはやっていかなければならないと思います。農業は陸前高田、これだけ被害を受けた中で、県としても陸前高田の農業というのをより強化していこうということで、土地改良事業の震災復興版みたいなやつとか、あとは今まで以上に園芸作物に力を入れて、県の沿岸南部農業研究所でしたか…

水野副局長
研究センター。

達増知事
研究センターが陸前高田にあるから、そこを強化して、そういう高収入につながるような農業を陸前高田でやれるようにしていくという一大方針のもとやろうと思っているので、今まで、かつて以上に協力的っていう感じがしているのは、そのとおりなのでして、どんどん活用してほしいと思います。
以上でございます。

水野副局長
様々、貴重な意見ありがとうございました。

閉会

水野副局長
では、時間になりましたので、以上をもちまして県政懇談会「がんばろう!岩手」意見交換会を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

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