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希望王国岩手キャンパストーク(平成20年5月10日)

ID番号 N11707 更新日 平成26年1月17日

訪問学校:岩手大学・岩手県立大学
開催場所:盛岡市

希望王国岩手キャンパストーク(訪問学校:岩手大学・岩手県立大学)

  • 実施日:平成20年5月10日(土曜日)
  • 場所:岩手大学

達増知事
皆さん、おはようございます。この岩手大学及び県立大学の新しい「地場産業・企業論/企業研究」講座の第1回ということで大変名誉ある役割を与えていただきまして、感謝しております。
今、玉副学長から話があったように今回のシリーズは地場産業企業論ということで、地元での就職ということを念頭に置いて視野に入れて重点を置いてやっていくわけでありますけれども、グローバル化が進んでおりまして、今の時代の特徴を一言で言うとグローバル化ということに尽きるというふうに言ってもいいと思います。外国に行ったり来たりがしやすくなって、そしてコンピューター、インターネットなどの発達で外国の情報もどんどん入ってくるし、またこちらからも外国にどんどん発信できる。それは、どんどん外国に出る、岩手から東京とか、いわゆる中央に出るだけではなく、外国に出ることすら簡単になってきている時代なわけでありますけれども、逆に、だからこそこの岩手にいて世界を相手にできる、岩手にいて日本全国を相手にできる、そういう時代でもあるわけであります。幕末とか明治の初めのころは本当に江戸に、長崎に行かなければ本も読めなかったわけでありますけれども、今はこの岩手大学あるいは岩手県立大学にいても読むべき本が読めるし、必要な情報をとることができる。
そうですね、結論的な話をしますと、私が今の若い皆さんに期待するのは海援隊ですね、坂本龍馬がつくった海援隊の21世紀版というのでしょうか、そういうのをつくってほしいなというふうに思っております。
坂本龍馬という人は28歳で脱藩をして勝海舟に会いに行ったりして、そして33歳のときにはもう暗殺されてしまって、その5年間しか活躍していないのですけれども、それであれだけのことをやったわけです。ちなみに、ライバルの新撰組のほうも5年ぐらいしか新撰組というのは活躍していませんで、浪士隊が江戸から京都に行って、そして新撰組になって鳥羽伏見の戦いで負けてしまうまで大体5年間ぐらいですね。あの時代というのはすごい密度の高い時代であって、5年間で人間一生分の仕事をするというか、100年分ぐらいの仕事を5年間でやってしまったりする時代だったわけですけれども、実は今もかなり激動の時代でありまして、日本はちょっと低迷、停滞しているようなここ10年、20年なのですが、世界全体を見ますと本当に激動の時代であります。ソ連崩壊から東西対立というのがなくなって、そして途上国がどんどん成長して南北問題というのもなくなっていくような、地球の構造が東西対立とか南北問題とかというのががらっと変わって、本当に一つの地球の中でいろんな人が自由に動きながら、しかし貧富の差は一層拡大したりとか、格差社会化はより厳しくなったりとか、テロとの戦いみたいな今までなかった問題が起きたりとか、そういう激動の時代であります。だから、そういう地球全体を視野に入れながら世のため、人のためになるようなことをして食べていくという新しい21世紀の海援隊。
あれは坂本龍馬が数人の仲間と雑談するようなところから始めて、外国から武器を買って、薩摩が外国から買った武器を、それを海援隊が買って長州に売って、それでお金をもうけながら薩長同盟もやって日本の近代化に資するみたいなことをやって、現代であれば武器商人はやってはだめですよ。武器商人は勧めないのですけれども、そういう地域、地域で欲しいのだけれども、そこにないみたいなものをうまくつないで、そして世の中変えていく流れを手伝うみたいな、そういうことが非常に求められているのではないかなというふうに思っております。
結論をまず先に言ってしまったのですけれども、岩手を代表するグローバル人の一人に新渡戸稲造博士がいますけれども、実はこの新渡戸稲造博士は就職論を述べています。これは、「人生読本」というそういう本の中におさめられているのですけれども、戦前に雑誌に書いた論文というか、記事で「就職難に悩む人へ」という、そういう文章を新渡戸博士が書いているのです。おもしろいからこれを紹介いたしますけれども、まず「就職問題の特にかまびすしいわけ。今さら就職論を担ぎ出すのは時世おくれの感がある」と、いきなり先々において既に時世おくれとか言っているのですけれども、「根本的に言えば就職難は世の中に分業が行われた当初からあったものに違いない。というのは、職業には職業の条件や性質があるに、この条件と性質にがっちり合うものがあってこそ初めて就職の理想が行われるというべきものであろう。しかるに一から十まで、あるいは一から六、七分までも需要と供給があることは甚だまれであって、あたかも何もかにも相性の完全な夫婦が世にまれであると同じことであろう。つまり、四角な職業が四角な人を待ちつつあるに、その穴をねらう人々が三角であったり丸かったりするようなもので、たまたま四角な人があればあるいは大きすぎたり、小さすぎたり、需要と供給の間に完全な適合が欠けるゆえであって、今日のように、あるいは職業紹介所あるいは先輩、友人の奔走あるいは新聞広告あるいは時下の宣伝、その他種々なる手段が用いられるにもかかわらず、一定の四角な穴とこれにはまる四角な人間の相接する折の少なきことを思えば前記のごとき手段、方法が開けない世代には必ず就職問題が一層多かったものに違いない。しかるに、この問題が現今さも新しげに世の中に論ぜられるわけは、後に述べる理由もあるが、それよりはむしろ一層皮肉な下品な理由があるものと思う。現今就職問題の重大になるのは、適者が適地を求めるとか、適所が適者を求めると言わんよりは、すなわち人間や職業の適不適を論ずるよりは、何でもよいから生活の方法にありつくということである。学校では、政治学はやったが、職業は店の番頭でもよい。専門学は工学であるが、探す位置は会計係でもよいというように、ただただ単にありつくのが職業の問題を重大にせしむるのである。してみれば、職は食に通ずるで、職業につくとは食料を得るにほかならない。しからばいかなる食料でも消化する力を養ってきたかと尋ねれば、学んだ学問は専門的にして範囲が狭く、加わるに学ぶ人はいたずらに専門を尊んで常識を怠るがゆえに融通がきかない性格を養ってくるのである。世にたまたま至るところよからざるなしと褒められる人もあるが、これは専門をおさめる一方に常識を備えているがゆえであって、知識一方に走る者はみずから特殊な形の小さな才を磨くものであって、その特殊な小さなものがはっきりはまるような穴は世間には甚だ少ないものである。自分が特殊な学問を建設でもする考えならばいざしらず、職を求めるには最も不適当なやり方と言わねばならぬ。ある人がかつて我が国の高等の教育は、コモンセンスを怠って専門センスにのみ走る恐れありと言うたのに加えて、それゆえとかく反問センスに陥ると言うた。すなわち現在の就職に関する反問の一大原因はコモンセンスを養わない結果である」。
最初、そもそも就職というのはこういう働き手が欲しいという側と、自分にはこういうことができるという側が、それがぴったり合うことはなかなかないから、もともと大変。これはいつの時代においても大変だという一般論をまず最初に述べていて、その後、そういうかちっとした自分の能力と求められる能力をかちっと合わせるのとはまた別の次元で、とにかく何でもいいから仕事につきたいという、そこにまた一つ落とし穴があるぞという話に入っていくわけであります。それで、とにかく仕事につきたいという場合に、コモンセンス、常識が欠けているということが一番問題だということを新渡戸博士は指摘しているのです。
常識の養成が大切という小見出しがありまして、「世には常識といえば俗才と同じくみなしてただその辺をうまく切り回り、ほどよくお茶を濁す世才と同じく思うものがあるが、常識とはかくのごときあさはかなものではあるまい。常識の特徴は、常に起こりやすい事柄について正当なる判断を下す力である。その判断を誤らざるようにすることは、常に周囲に起こる出来事や、また通常交わる人々の性格を一通り心得ていることが必要であるから、これを常識と称するものであって、ややもすれば常識と天才とは相入れないもののごとく思う人もあるが、我が輩は天才は常識を土台として、その上に立つものではあるまいかと思う。常識は非常識の反対であって、天才の反対ではない。言葉をかえていえばばかげた突拍子もない愚にもつかぬような非常識なことは常識の反対であるが、専門学のごときものは決して常識に反対なものでもなく、両者が並行していくべきものである」。
いろいろ専門的な勉強をした人たちがそういうところから離れて就職しようとするときになかなか就職できない原因の大きな一つが常識が欠けているから。でも、常識というのは専門と反対ではない。専門の勉強をしっかりやっても常識というのは身につけられるし、むしろきちっとした常識があってこそ専門をさらに身につけたり、あるいは天才と呼ばれるようにもなり得るということを言っているわけですね。
「専門の学問を研究するために常識を養うことができないなどという理由はない。いかがとなれば、常識を養うために大いに時間を要するとか、それがために費用がかかるとかというわけのものではない。常識あるものにして世間のことにすこぶる疎い人もある。ろくろく日々の新聞も読まない人もある。常識の有する知識至って少ないものである。ゆえに専らこれを得るために時間や費用を費やす要はない。また、知識を得んがために心を集中するから常識を養うことは困難であるというごときはまだまだ常識の何たるかをわきまえないものと思う。常識の養成は、殊さら脳髄の一部の働きではない。脳髄の働きにおいて、知識の獲得と競争するものでもない。それは、すこぶる簡単にして、だれ人でもその心がけあれば養えるものと思う。なぜなれば、常識は恐らく半分以上直感と本能の運用とも言うべきものであるから。ある医学博士が老子を読みながら我が輩に言うたことがある。一体老子の道というのは常識のことである。ゆえにかの道を求めんには学問の方法では不可能であると。我が輩は、この説に全然賛成はできないが、この博士の言はちょっと奇抜にして一考するの価値がある」。
常識の素養は心がけがあれば養い得るということですね。常識というのは心がけだと。心がけというのは、常識は直感と本能の運用だということだからですね。こういう考え方は、イギリス流のプラグマティズム、日本語で功利主義と訳されていますけれども、ベンサムとか、ジョン・スチュアート・ミルとか、そういう最大多数の最大幸福とか、そういうイギリス流の現実的な哲学思想の流れに沿ったものだと思います。
人生にとって大事なことというのは、何か壮大な哲学的な施策の上に勝ち取られるものだとか経済学でも、社会学でもいいのですけれども、何かそういう複雑怪奇な学術大系を身につけないと人生成功しないとか、そういうことではないので、一種アマチュアイズム、専門的なことを学ばなくても人間に本来備わっている直感、本能、これを注意深く運用していくことでそういう常識というのは身についていくだろうと。
さらに具体的に書いているのですけれども、「聞くところによれば、就職の試験に候補者として出る人々の一大欠点は常識であるという。この場合の常識なる言葉中には、我が輩のしばしば述べる判断力といわんよりは、むしろ日夜周囲に起こりつつある事柄の見聞が主なる題目となっておる。例えば現在の総理大臣の名は何と言うか。今、米が一石幾らするか、あるいは人間普通1日米をどれほど食うか。君の県からだれが代議士として出ているかというごとき、もちろんこれらの事柄を知るには参考書も役に立とうが、別に書物を読まなくともその日、その日の事柄に少しく注意さえすれば、聞くまいと思っても聞かざるを得ない。見まいとしても見ざるを得ない事柄のみであって、仙人にあらざれば必ず知らざるを得ない題目である。ゆえに、これを知らないのは何かそこに欠陥があるごとく思われる。あるいは余りに学問に没頭していたがため、周囲の事柄はさらに気がつかなかった等の理由を述べる者もあるとすれば、そういう人は学者になるにはあるいは適当なるか知らぬが、俗の世の中に処する能力のない者であって、実業界等においては採用しないほうが安全で、かくのごとき人々が就職試験に落第するのは当然のことである」。厳しいことを言っていますけれども。
「我が輩は繰り返して言う。ありふれた問題を知らないがために落第するのではなく、ありふれた事柄に接して無頓着であったというその性格が落第の理由である。もしこの性格上の欠陥がなければひょっとした不注意のため、あるいは一時ど忘れのため答え得ない問題もあまたあり得る。しかし、試験後エイに当たる人は、恐らく常識的質問に及第の理由が果たしてどこにあるやくらいの点には心得のある人であろう」と。
無理をして変にひねくった回答を努力しなくても自然体でいればいい。ただし、日常のそういう当たり前のことにちゃんとふだんから注意をしている、人間として気にかけるべきことについてはちゃんと気にかけているという、そういう性格が大事だということでありまして、これは就職の面接とかに非常に直接役に立つ話ではありますけれども、人生全般について役に立つことかなと思います。
やっぱりイギリス流の現実的、プラグマティックな哲学、思想を書いた人が言っていることなのですけれども、世の中注意が足りなくて失敗することはあるけれども、考えが足りなくて失敗するということは余りない。考えが足りなくて失敗するというよりは、注意が足りなくて失敗することのほうが多いということを言っていて、これは私がいろいろ行政の仕事や、あるいは政治の仕事をやっていて、本当にそうだなと思います。いろいろ国のかじ取りを間違ったりとか、過去いろいろ戦争に突入するとかというときも考えが足りなくてそうなったというよりは、注意が足りなくてそうなったということが多いと思います。ですから、考えることも大事なのですけれども、注意深さということが人生の成功においては非常に重要だということ。これはこの新渡戸博士の趣旨でもありますし、私もそのとおり思いますので、まずこれを冒頭に参考までにお話ししました。
さて、今日手元に用意されているかと思いますが、「スタンダード」という雑誌のコピー、軽米高校の野球部の話ありますね。これは「スタンダード」という雑誌があって、岩手発、岩手から発信するスポーツ情報満載ということで、岩手県内のスポーツ情報雑誌です。非常によくできていまして、これ私が中高校生のころはこういう雑誌はなかったので、岩手県内でどういう中学校、高校がどういうスポーツに強いのかとか、社会人スポーツどういうのがあるのかというのはもう口コミみたいなものでしかわからなかったのですが、今こういう立派な雑誌も出ていて、そういう意味で地方の中で地域に根差して暮らしたり、仕事をしたりするのにどんどんいい世の中になっていると思うのですけれども、軽米高校に野球部があるのですけれども、すごく弱かったのです。
それで、二戸の福岡高校というのはすごく野球部が強いので、とにかく福岡高校には負けてばかり、またそんなに強くない伊保内高校というのが九戸村にあるのですけれども、伊保内高校にもコールドで負けたりしていて、本当にぱっとしなかった。
その軽米高校野球部に新しい監督、柴田監督が着任するのです。この120ページの冒頭、2枚目ですね、コピーの2枚目の120ページの冒頭、「子どもたちを変えて周囲を巻き込む」という新しい段落、節が始まるのですけれども、「柴田が軽米高に着任したのは、03年春である。前年夏の高校野球岩手県大会で、釜石南高を準優勝に導いた直後の転任であった。軽米に来てすぐ、よく耳にしたのは「軽米の子たちは本番に弱いんだよね」「福岡には勝てねぇべ」という大人たちの会話だった。県北の人たちにとって同じ地域の福岡高の強さの印象は強烈で、その壁はあまりにも厚く大きかった」。
福岡高校出身の人いますか。いないか。軽米高校出身の人は。いるんだな。では、その辺の実態はよくわかっているのではないかと思いますけれども。
「厚く大きかった。だが、柴田は「大人がそういう意識で見ているから、子どもたちも影響を受け、簡単にあきらめたり、夢がもてなくなってしまうのだ」と悔しく思った。初めて野球部員を見たときには、「未来を感じない子どもたち」という印象を抱いた。その表現の意味を柴田は「子どもたちが周囲の人から「頑張れ」と言ってもらえない状態」と説明した。どうせやったってダメだと思われたり、彼ら自身もそう思っている。そういう気持ちで高校野球をやっている子がいるのかと思ったら、教師としても一野球人としても人間としても、何か悲しくなった。熱い思いがこみ上げてきた。何とかしてあげたいと思った」。柴田は、子供たちの秘めた力を信じた。しかし「目標は何?」「夢は何?」と聞いても「甲子園です!」と顔をあげて答える選手はいなかった。「今までこの子たちにはっきりと「甲子園に行くべー 行くための練習をするべー」と本気で言ってあげた、そんな勇気を持った大人たちがいなかったからなのだ」と感じた。
ここを私読んだときに、実は岩手全体も同じような問題を抱えているのではないかと思いました。全国の中で47の都道府県があるのですけれども、岩手というところ、何となくほかの都道府県に比べて地味というか、目立たないというか、そしてそれで当然当たり前、岩手から全国に何かするというのは大それたことではないか、まして岩手から世界にどうのこうのなんていうのはあり得ないことではないかみたいな、もちろんそう思っていない人も少なからずいるし、実態は決してそんなことはないですけれども。
そうですね、井上ひさしさんという小説家が「吉里吉里人」という小説を書いています。これは岩手県の大槌の吉里吉里がヒントになって岩手県が舞台になっているのですけれども、そこで吉里吉里国という独立国をつくってしまう話なのです。吉里吉里人が吉里吉里国という独立国をつくってしまう。これは、岩手県人が岩手を独立国にして、東北本線がそこに入るときに税金を取ったりするのですけれども、その中に吉里吉里語の教科書というのがあって吉里吉里国の国語の教科書の説明が延々と続く井上ひさしさんらしい描写があるのですけれども、そこで説明されているのは岩手弁の方言の説明なのですね。お寿司の「すし」と煙の「すす」の「すし」と「すす」の区別がつかなくなるまで両方しゃべる練習をしろとか、そういうことが国語の教科書として書いてあるのですけれども、吉里吉里語を上手にしゃべる最大のコツは、「いわれのない劣等感を持つことである」というふうに書いてあって、根拠のない劣等感を持てば非常に上手に吉里吉里語がしゃべれる。逆に言うと、根拠のない劣等感を自信なさそうにもそもそ、ぼそぼそしゃべると非常に岩手弁らしく聞こえるという、これは井上ひさしさんのいろんな経験や屈辱や、また野望とか、そういうのがない交ぜになったすごい、文字どおりコンプレックスに満ちた複雑な文学的表現なのですけれども、ただ岩手にはそういうお話がちょっとリアリティーを持ってしまうような、そういうところが岩手にはあるということは言えるのだと思います。
ですから、私は知事として、岩手はすごいんだぞということを岩手県民にまず、これは岩手に生まれ育ったという人だけではなく、岩手に住民票がある人だけではなく、およそ今岩手に関係をしているすべての人を岩手県民あるいは岩手県人と私は呼ぶので、ここにいる人たちは皆その中に入ると思いますけれども、全国有数、世界に通用するものがあるのだということを強調してやっていきたいと思っているのです。
それで、「岩手ソフトパワー戦略」というのを私の任期4年間の4カ年計画「いわて希望創造プラン」という任期4年の4カ年計画がありまして、レジュメにそれが書いてありますね。「いわて希望創造プラン」と、レジュメ2に話が入っていますけれども、「いわて希望創造プラン」の中で、ソフトパワー戦略というのを掲げておりまして、この辺詳しくは県庁ホームページを見てもらえれば、その中に「いわて希望創造プラン」の前文なども入っているのですけれども。このソフトパワーといいますのは、もともと国際政治の分野で使われるようになった言葉でありまして、軍事力より経済力より本質的に国の運命を決めるのはソフトパワーだという使われ方をいたします。これは、ハーバード大学のジョーゼフ・ナイという国際政治学については世界一の学者と言っていいと思います。僕は、このジョーゼフ・ナイ教授の講演を、これくらいの講演をジョンソン・ホプキンス大学にいたときに聞いたことがあるのですけれども、すごい頭がいいです。やっぱり世界一頭がいいのではないかと、その分野では。と思ったのですけれども、こうやってしゃべっていて何の原稿も見ないでよどみなく、つっかえることなくペラペラ、ペラペラと1時間半しゃべり続けるのです。もうアンドロイドじゃないかみたいな感じのしゃべり方だったのですけれども、そういう人がおります。
そのジョーゼフ・ナイ教授がこのソフトパワーという言葉を使ってはやらせているのですけれども、特にアメリカのイラク戦争を察して、アメリカの力の本当の源泉というのはアメリカのソフトパワーにあったはずだと、魅力的な大衆文化、そして民主主義体制の信頼と。この文化的魅力と道義的信頼によって同盟国を引きつけて、そして途上国をも引きつけてきたはずだと。イラク問題の解決に当たっても、そういうアメリカのソフトパワーを前面に出していかなければならないのに、まず軍事力で押しつけようとしている。あとは経済力で、札束でひっぱたくようなやり方でやろうとしている。これでうまくいくはずがないので、ちゃんとアメリカの持つ力の最大のよさはソフトパワーにあるという原点に帰れということをジョーゼフ・ナイ教授は言っています。
ちなみに、アメリカの国際政治学をやっている学者さんのほとんどがイラク戦争には反対でありまして、その辺は世論調査とか、あとは報道とかとは全然違います。やっぱりいろいろ今のままではだめだ、ああしたほうがいい、こうしたほうがいいという提案は、やっぱり学問の分野からどんどん指摘されているところであります。
岩手においても軍事力みたいなものは都道府県にはありませんので経済力、岩手の経済力というのはそんな悪くはないのですよ。岩手県は人口が日本全体の大体100分の1ぐらいなのですけれども、経済力、総生産とかは大体100分の1くらいで、そういう意味で人口が47都道府県中32位で、経済の総生産額も32位ぐらいなのです。そういう意味では、決して著しくおくれた経済ではないのですが、ただ所得が37とか38とか所得がちょっと下がる。生産している割にはその所得が県内に残っていないというところにちょっと問題がありまして、そういう意味で県政課題としても何とか県民の所得を高める、県内の所得を増やしていくことに力を注いでいかなければならないと思っております。
経済力ではそんな感じなのですけれども、私はソフトパワーというのは簡単に定義すると文化的魅力と道義的信頼で相手を動かす力、文化的魅力と道義的信頼ですね。そこから出てくる力と定義していいと思うのですけれども、これが岩手には物すごくある。その象徴が平泉の文化遺産でありますけれども、今世界遺産登録されるかどうか、ユネスコの会議にかけられているところでありますけれども、平泉のすごいところは、まず人と人との共生、平和の理念、これがまちづくりの中心理念になっていることなのですけれども、中尊寺を建てるとき藤原清衡公が願文、願いの文章、願文というのを出しているのですけれども、奥州に戦乱が相次いだわけですね。前九年役、後三年役、それは東北の安倍氏とか清原氏とかそういう豪族同士の戦いでもあったし、そういう蝦夷と呼ばれた東北豪族対中央から来た源氏の武者との戦いでもあったのですけれども、もう敵も味方も関係なく蝦夷の中央から来た官軍の平氏も区別なくその死を悼み、命を尊ぶということが書かれているのです。こういう徹底した平和主義のモニュメントが首都建設の中心にあるという例は世界を探してもなかなかございません。
さらにすごいのが人と人との共生だけではなくて、人と自然との共生、今で言う環境問題ですけれども、これもしっかり踏まえていてその願文の続きには、人間だけではなくて鳥獣、魚介、鳥や獣や魚、貝類、魚介ですからね、貝類に至るまでその命を尊び死を悼むということが書かれていまして、徹底的な平和主義に加えて環境主義、21世紀の今の世界こそ欲している必要としているそういう理念が900年前に宣言されて、しかもそこに人の力やいろいろ手間暇かけてそういう理念を形にした都がつくられていたというところが平泉のすごさであります。
その平泉は突然変異的にそこにばっとできたわけではなく、それ以前からの縄文時代にさかのぼる岩手の風土のなせるわざだと私は思っておりまして、そういう人と人との共存、共生、人と自然との共生、共に生きるという感覚は縄文時代から連綿として続いてきていたのです。それが花開いたのが平泉文化であり、そしてそういう風土というのは近代、現代に至るまで残っていると思います。
司馬遼太郎さんという作家がいます。知っている人、司馬遼太郎知っている人。有名ですね。「坂の上の雲」という日露戦争小説が今ドラマ化されているし、あとは坂本龍馬の「龍馬が行く」も書いたりしていますね。その司馬遼太郎さんが文芸春秋に「歴史を紀行する」という連載を1年やったことがあって、12の都道府県をピックアップして1年12カ月12の都道府県を毎月1つの県についてそこの歴史と風土を解説するようなのを書いていたのですが、岩手県も取り上げられているのですけれども、あの司馬遼太郎さんが明言をしていますが、明治以降における日本最大の人材輩出県、それが岩手県だというふうに明言、断言しています。原敬、新渡戸稲造、後藤新平、斎藤実あるいは石川啄木、宮澤賢治とかですね、そういう政治、外交、文学、それだけではありません。いろんなあらゆる分野で明治以降の岩手県というのはすごい人材を輩出していまして、ある者は東京に行き、ある者は外国に行き、ある者は岩手の中にあって世のため、人のために尽くしていた。これについては日本一だというお墨つきをあの司馬遼太郎さんがはっきりしています。この本は文春文庫から今も出ていますので、簡単に買うことができるし、図書館にあるかもしれません、「歴史を紀行する」。「きこう」というのは旅という意味の紀行文の「紀行」ですね、「歴史を紀行する」、それはちょっと持ってきてないのですが。
かわりに持ってきたのが盛岡タイムスという新聞が盛岡市内で出ているのですけれども、盛岡タイムスというのが「いわて365人人物ごよみ」というのを出していまして、これは盛岡タイムスが365日毎日、今日生まれた偉人とか、今日亡くなった偉人、これ誕生日とか命日とかに絡めて岩手の偉人、先人を紹介した連載が1年間ありまして、365人毎日連載ができてしまうというところがすごい。これは書いた人たちが自画自賛ではあるのですけれども、全国見てもこんな本はないのではないかというふうに盛岡タイムスの関係者がここに書いています。
例えば今日は5月10日ですよね。5月10日、今日生まれた先人、偉人としては芳川顕雄という人が紹介されていますね。一関学院高校出身の人はいますか。一関学院高校の創立者です。この人は一関市に明治27年の今日生まれまして一関中学、今の一関一高を卒業し、駒沢大学に進んでお寺の住職になります。本業は曹洞宗の和尚さんなのですけれども、司法省に引っ張られて東京や大阪の少年審判省に勤務。少年審判、少年に対する裁判のようなものですね。この人は日本における少年審判の第一人者になって、司法省、内務省から派遣されてアメリカ、欧州各国を2年間にわたり滞在し、各国の少年裁判制度の調査などをして日本に帰ってきてその報告書を出したり、そういう少年審判関係のいろんな役についたりして、昭和13年に一関に戻ってきて勤労青少年のための私立夜間中学を設立し、校長となり、昭和15年には商業学校の創立ということで、それが一関学院高等学校、あの野球や駅伝が強い蜂のマークの校章の高校ですけれども、それに今なっているというように、毎日毎日そういう偉人、先人の紹介が行われております。
そういう縄文以来の平泉文化に見られるような自然と一体となった共に生きる、そういう風土、そういう中で筋を通す生き方、本物を見抜く力、そういうものをこの岩手というのははぐくむことができる、そういう場所なのだと思います。
そういう中で、宮澤賢治みたいに宇宙にまで感覚が到達していくような、そういう人も出てくるし、新渡戸稲造博士のように岩手から中央に出る、東京に出るとかというのをすっ飛ばして外国に行ってしまうというような、そして当時の最先端のものをゲットして、それを持って帰るというような、そういう人物がたくさん出ております。
ですから、今岩手で学んでいるということは、これはもう本当にすごいことでありまして、そこに皆さんは名誉と誇りを感じていただいていいと思います。そして、そういう風土と歴史と、そして先人たちの積み重ねの上に、今自分たちがいるのだということを自覚して、その辺それこそ注意深く確かめながら自分の勉強をしたり、あるいは今回のこの地場産業・企業論の講座のシリーズでも、今ばりばりで活躍している地元企業が次から次に登場していろいろ自己紹介したり、またワーキンググループをつくってそういうところを回って歩いたりすることですけれども、ぜひ注意深く接して自分の目で見て、聞いて、そういう中でまず自分の中にそういう無限の可能性につながっていくような、そういう力を、ソフトパワーを自分の中に育てていってほしいと思います。
ソフトパワーというのは国家とか、あるいは地方自治体とかについて言えるだけではなく、個人についても言えるわけでありまして、仕事につくというのはどんな形であれ、誰かのために何かをすることなのですね。人に喜ばれて学校であります。そこが勉強と仕事の違いでありまして……。
それですね、この辺で学生時代、社会時代の経験のほうにちょっと戻って語りますけれども、学校の勉強、試験、レポートというのは100点をとれば最高なわけですよね。合格点がとれれば御の字で、100点とったら万々歳なのですけれども、社会人になりますと相手を満足させなければだめなわけですよ。物を売りたい、何かつくってこれを部品として使ってくださいというときに、幾ら自分として100点満点のできであっても相手が喜ばなければ、これは仕事にならないわけですね。だから、そこが勉強と仕事の決定的に違うところではないかなというふうに思います。
世の中全体が今何を求めているのか、そして取引先が何を求めているのか、あるいは消費者が何を求めているのか、そういったところにきちんとこたえていくことが重要で、ひとりよがりだとそれは芸術にはなりますけれども、仕事にはならない。専門的研究の中に誰も価値を認めないものを研究するというのもあってもいいのかもしれませんけれども、ただそれであれ大学内の先輩なり上司なりのオーケーが出ないとそういうことはやはりできないでありましょうし、仕事というのは自分以外の他者を納得させて進めていくこと、それが仕事の本質であります。
なかなか大変ですよ。私も社会人としてのスタートは外務省という役所に入るところから始めているのですけれども、最初の1年は何が何だかわからないまま過ぎていきました。やれと言われたことをやるのですけれども、それじゃだめだとか、何回も言われ、やり直し、やり直し、どうしてだめなのかよくわからないし、どう直せばよくわからない中でひどい目に遭ったという印象を持っています。
社会人の世界は手取り足取り教えてくれるということは余りないものでありまして、自分自身で芸を盗む、仕事のやり方を自分で調べてやっていく、そういうのが求められます。そこが学校との違いですね。学校だったら教えてくれないのが悪いというのがあり得るのですけれども、ただ大学ぐらいになるともう教えてくれないほうが悪いというのはもうだめですね、自分で学ばなければだめですね、大学ぐらいまでになると。社会人は、まして誰も教えてくれないというのは言いわけにはなりませんで、自分がちゃんとできなければならない。
私が仕事していて、こうなんだなと仕事の勘どころをつかんでうまくやれるようになったなという実感は3年目くらいからですよね。今よく若い世代が就職して3年以内にやめる割合が非常に高い。1年以内にやめる割合が非常に高いということを聞くのですけれども、どうもうまくいかないという理由であれば、それは我慢したほうがいいと思いますよ。やっぱり私の経験からすると3年間ぐらいはなかなかうまくいかないものでありまして、我慢することが多い。それがあるときふっとわかってできるようになる。そこは新渡戸博士が言う直感と本能が出てくるというやつなのかもしれないのですけれども、仕事の世界ではそういうことがあります。
質疑応答まであと5分になってしまったのですけれども、次に何で外務省で働くことになったかのお話をいたしましょう。私は、大学で法学部に入ったのですけれども、政治経済に関心があって、法律は余りやらないで政治経済をやっていました。特に国際政治、国際経済に関心があって何か外国絡みの仕事がしたいなと思っていたときに、大学3年生のときに外務省主催の懸賞論文コンクールがあったのです。それに応募したところ、外務大臣賞という1等賞をもらいまして、商品として東南アジア5カ国2週間旅行をもらい、行った先々で大使館の日本外務省の外交官が出てきて、その国で日本がどういうODA、経済協力をやっているか。学校を建てたりとか、コンピューターを購入したり、日本語学校に寄附をしたり、そういうところを現場を案内してもらうというのが2週間あって、それでたくさんの外務省職員の人たちと直接会って話す中で、この人たちと仕事をしていくのは非常にやりがいがある、この人たちとだったらやっていけそうだなという確信を得たので、外務省に入ろうと思い、試験を受けて入ったわけです。
今は国家公務員試験の中に外交官試験も一緒になって区別がないのですけれども、当時は国家公務員試験と外交官試験が分かれていて、外交官試験のほうで受けたのですけれども、大学4年生で受けたときには1次で落ちてしまったのです。1次が筆記試験で2次が面接なのですけれども、面接で落ちたならそれは適性がないということなのだろうと思うのですけれども、1次で落ちたというのは基本的な学力で落ちているわけなので、ちょっとこれはもう一年大学に残って勉強してもう一回挑戦してみたいなと思い、単位を落としてわざと留年して大学に5年間いて、5年目で、その1年間は徹底的に勉強しましたね。大体1日12時間ぐらいずつ、午前中4時間、午後4時間、夜4時間という12時間勉強をばっと毎日やるようなのを1年間やって、あれはやり過ぎでした。あんなにやらなくてよかった。口述については余裕でパスみたいな感じになるくらいやったのです。それで5年生で試験には合格して、面接でも合格して外務省に入りました。
私は努力しないと成功しないタイプでありまして、ここは本当に自分の根本を戒めるというか、事実そうだから意識しなくてもそうなるのですけれども、やっぱりなかなか成功するには努力が必要ですよ。
あとそれに関してエピソード。私は東京大学の法学部に入って、「ドラゴン桜」というドラマがあり、マンガ、原作の、あの「ドラゴン桜」に書いていたような感じで、とにかく過去問を調べて過去問の傾向と対策ばかりがっとやって、それで東大の法学部に現役で合格したのです、文科I類ですね。私は、高校のときに高校の総合の成績のベストテンに入ったことはなくて、盛岡一高だったのですけれども。だれも東大に現役で受かるとは思っていなくて、一方こいつは確実に受かるだろうというのが同じときに不合格で、彼は翌年1浪で合格するのですけれども、盛岡一高に受かりましたと報告に行ったら、職員室がお通夜のようにシーンとなっていて、受かるべきやつが落ちたことでショックをみんな受けていて、私がそこに入っていってすごく浮いたというような、そういう感じだったのですが、そうやって無理に東大に入ってしまったものですから、入った後に非常に苦労しました。
灘高とか開成高校とかそういう超一流高校から入ってきた人ばかりで、何か日常の会話だけならいいのですけれども、ゼミでの討論とか、そういうときでも話の中になかなか入っていけないのです。発言してもスルーするというか、聞いてくれない。反応がなくて、何かやっぱり一流難関校から入ってきた人たち同士で話がどんどん進んでいく。今でも私のしゃべりにはなまりがあって、当時はもっとひどかったから聞き取りにくいのであろうかとか、それこそ井上ひさしさんの吉里吉里人のように根拠のない劣等感のようなものがわいてきたりもしたのですけれども。
逆に何か実績をつくっておかないとみんな話聞いてくれないのではないかと思って、外務省の懸賞のコンクールに応募したのです。みんな現金なもので、それで外務大臣賞をとったらみんな私の話を聞くようになってきたのですね。私の発言にちゃんと反応が返ってくるようになった。それもいかがなものかなとも思うのですけれども、ただ世の中そういうところがありますので、やっぱり何か自分のやりたいことをやるとか、伝えたいことを伝えるというときには実績をつくっていかないと難しいということが世の中にはあります。
そういう中で、そうやって大学生活をよりいいもの、楽しいものにしようと思ってやったことがそのまま就職につながっていったわけでありますけれども、その後衆議院議員をやり、そして知事に選んでもらって、今岩手県知事の仕事をしているというのも公務員として働いているという点ではその延長上にありまして、外務省で働いていたときからやっぱり改革ということを念頭に置いていましたね。当時の日本はまだバブル経済の前の大変な羽振りのいい時代で、21世紀は日本の世紀になるのではないかと言われていたような時代だったのですけれども、でもよくよく考えてみると輸出して稼いだお金をうまく国内で回すことができないで、働く人たちは非常に狭い家に住んで、東京のほうなんかでは通勤時間も通勤地獄、満員電車に1時間あるいは2時間揺られて働くような、生活は非常に貧しかったわけです。だから、そういう生活そのものが豊かになるような真の経済大国にしていかなければならないという問題意識があり、それはいまだにそうですね。あれから25年ぐらいたつわけなのですけれども、外務省に入ったときから数えると20年たつのですけれども、当時の改革の課題というのが実は20年たった今でも達成されていないし、むしろ悪くなっていますよ。輸出主導型の経済から内需主導型経済に切りかえようというのは20年前に言われていたことですよね。輸出でがんがんもうけるのではなく、どんどん国内に投資し、そして国内で消費が活発化し、地域の商店街が繁盛し、地方の中小企業が活性化して、それで日本全体の経済がよくなる。
アメリカ、ヨーロッパというのはそういう構造なのですよ。地方経済が国民経済全体を引っ張るのは成熟した先進国の当然の姿でありまして、それが日本はまだ経済社会構造は途上国型というか植民地型ですよね。首都一極集中というのは、それは植民地の特徴でありまして、首都だけが宗主国につながっていて、そして首都に出なければ幸せになれないみたいなのが植民地の経済社会構造なのですが、日本はもともとそういう構造があったのがここ10年、20年ぐらいで一層悪化しているような感じです。
ですから、少なくともこの岩手においては何とか内需拡大型の経済社会構造、この地域の中で投資が行われ、地域の中で働いて稼ぎ、地域の中で商店街も繁盛し、中小企業が活性化するというふうにまず岩手の中でもしなければならない。これ20年前はまだグローバル化がそれほどでもなかったから、やっぱり東京の力をかりないとそれができなかったわけです。国の力でそれをやる。ただ、あれから20年たって今であれば東京がだらしなくても、日本政府がだらしなくてもそれをすっ飛ばして岩手が直接世界と結びついて、世界中ではお金は余っていますからね。だから原油高とか起きているのですからね。余ったお金の使い道がわからなくてとりあえず原油買っておこう、値上がりするから小麦に投資しようということで穀物やら原油の値段が高くなっているので、世界中で余っていて行き場を失っているお金というのをいかに岩手に引っ張り込んで世の中のためになるようなところに投資させていくか、世の中の役に立つ勤労、働いている人のところにそういうお金が回るようにするかというのが課題なわけです。
最初に戻ると、県は県でそのためのいろんな方策を考えてやっていくのですけれども、行政、公だけではうまくいかないといいますか、それこそ海援隊みたいな民間の力、そういうやる気と能力のある民間人、私人が集まって世界に直接乗り出してやろうではないか、世界が直接いろいろ引っ張ってこようではないかというのが花開けば岩手において一気に来ますので、そういうことを今県としてもそういう民間力がばっと出てくるようなお手伝いをしようというのを含めて考えているところであります。
ちょっと時間がオーバーしましたが、私からの話は以上で終わります。ありがとうございました。
○司会 達増知事ありがとうございました。引き続き質疑というふうなことで時間をとらせていただきます。

質問者
岩手県立大学総合政策学部の学生です。本日は、ソフトパワーだとかそういったことで県土全体的な、岩手というものを盛り上げていこうといったことについていろいろとお話し聞かせていただいてありがとうございました。
地方経済によるブングテール効果といいますか、商店街だとかを活性化させることによって、全体的なお金を持ち込んでいこうというふうなことだったのですが、知事トップとしての政策として岩手県をどういうふうな方向に持っていこうとするのか、例えば自動車産業とか最近だんだんといろいろな話が出てきておりますし、例えば大船渡港を利用して外にいろいろな商品を直接持っていくというふうなこともできるようになってきてはいると思うのですが、県としてどういうふうな方向で成長させていきたいのかというふうな考えをお話しいただけませんか。

達増知事
やれることは何でもやる。所得の向上につながるようなことは、盛り上げることは何でもやるということで、第1次産業から始まって農林水産業。岩手の農林水産物は大変クオリティーが高く、結構高く売れるのです。ただ、いろいろ流通の途中で中間的にあちこちにお金が行くようになってきて生産者のところに余りお金が残らないような仕組みになっているので、これをできるだけ生産者にお金が残るような、そういう流通の工夫をしたり、あるいは加工や流通のところまで地元でやるように、そういう岩手の農林水産業については全国総合でベストテンに入るくらいの力がありますので、これは活用していきたいと思っています。
そして、物づくり産業、製造業については、今は岩手の雇用が有効求人倍率1を切るということで、人手不足の反対、労働力が日本のほかの場所に比べると労働力が得やすいということもあって誘致企業がどんどん進出してきていまして、いわば雇用先が少ないということが逆に新しい会社が来るそういうメリットになっているわけですね。これは有効求人倍率が1になっていくまではやっぱり人が余っているというのをひとつ売りにしてそういう工場にどんどん来てもらおうと思っているのですけれども、並行して技術の高さ、そういうクオリティーの高さということを売りにして、人手不足になってきたとしてもやっぱり働いてもらうなら岩手の人というようなふうにしていかなければならないと思っています。
実は今でもトヨタ系の自動車工場や部品工場は世界有数のクオリティーの生産、製品を出しているのですよね、国際的な賞もとったりしています。それは、東芝さんとかの半導体関係もそうです。情報時代とか平泉とか言ったのですけれども、自然と一体になって自然に働きかけて、そこから成果物を引き出してくるというのは農林水産業がまずそうなのですけれども、実は工業、製造業もやっぱりそうでありまして、物と心が一つになって魂が物の中にこもって、そしてすぐれた製品になるというような、実はそういうのは岩手というのは全国有数な可能性があるのではないかと思っていまして、そういうのは県であれば工業高校への支援とか、そういうのが直接やれることもいろいろありますので、そういう物づくり人材育成とかをやっていこうと思っています。あと第3次産業は観光が一つの目玉でありまして、やっぱり岩手の魅力をお金にかえる観光ですよね、そういうところに力を入れていきたいと思っています。

質問者
いろいろと説明していただきましてありがとうございました。

司会
ありがとうございます。次の方。

質問者
岩手大学工学部の学生です。本日はわざわざ忙しい中、ありがとうございました。
質問なのですが、本日は岩手から発信した人材についていろいろ語っていただいたわけなのですけれども、逆に県外の人材を岩手に呼び込むための今行っている政策を教えていただきたいと思います。

達増知事
これも農林水産業から始まって、それぞれ農業、林業、水産業、担い手不足というところがありますので、これは県外からどんどん脱サラ、サラリーマンやっていたけれども、やめて農業をやりたいというような人たち、これは団塊の世代の年配の人たちでもいいですし、あるいは若い人たちでもいいですけれども、そういう人たちをどんどん呼ぶということをまず農林水産業でやっています。あとは人に来てもらうためにはやはりソフトパワーだと思っていまして、文化的魅力と道義的信頼。今年の2月に県議会で岩手文化芸術振興基本条例というのを可決してもらいまして、文化芸術について総合的に振興していく、平泉が世界遺産登録になりそうというのがきっかけで、そういう文化財に始まって郷土芸能。鹿踊りなんていう、ああいう鹿の格好をして太鼓をたたいて踊るとかというのはなかなか世界にないのです。あれは非常に縄文っぽい、アニミズムっぽい自然と人が一体になった芸能でありまして、そういう世界的に見ても通用する、そういうものを岩手の中で発掘し、そうした地域資源という言葉があるのですけれども、それを学びたいとか、ビジネスにしていきたいとか、そういう形で人材を引きつけるというのが基本的な戦略ですね。
あとさっきの質問で最後答えなかったのは、第3次産業で観光がメインと言ったのですけれども、行政として働きかけやすい、音頭とりやすいのが観光なのでそこに力を入れているのですが、本当は創造産業という言葉があるのですけれども、典型的なのはメディア芸術というアニメとか、ゲームとか、マンガとか、そういうたぐいのやつ、あと音楽、演劇、そしてその関連産業ですね。そういう創造産業を全国の中でも岩手はすごいというふうにしていければかなり人が集まり、また経済もよくなると思うので、なかなか行政として直接やりにくい分野なので、まさに皆さんの頑張り、奮起を期待したい分野でもあるのですけれども、そういう国家戦略の話に戻ると文化的魅力や、また不正がない、働いていても裏切られたりしないとか、そういう信頼というのを確保することがまず人やお金を招き寄せる基本戦略だと考えています。

質問者
ありがとうございました。

司会
もうお一方、先ほどの。

質問者
岩手大学人文社会科学部の学生です。本日はありがとうございました。
今日は平泉の話がありましたが、平泉の文化遺産登録に向けて、周辺住民による景観に対する取り組みなども見えるので、行政以外の分野との連携も大事になってくると思っているのですけれども、この平泉の文化的魅力をこれから岩手から全国あるいは世界にどのように伝えていけばいいのかをどのように考えているかを教えてください。

達増知事
まず、平泉の価値、世界遺産にふさわしい価値、その確信はさっき言った平和と環境の理念、それを地方政権として自立した、地方政権として形にしたというところだと思うのですけれども、そのことをまず岩手県民がちゃんと理解して、そして県内の人にも説明できるようになり、そして対外的にアピールしていく、そこが基本だと思っています。そういう基礎ができた上でいろいろ観光振興があったりとか、文化芸術イベント的な事業があったりとかするので、ここは教育委員会にもお願いして、もう小中学校からちゃんと平泉がなぜ世界遺産なのかというのがちゃんとわかるように県民でそういう理解を深めるようなことをまずやって先に進んでいきたいと思っています。

質問者
ありがとうございました。

司会
次の方いらっしゃいますか。

質問者
岩手大学工学部の学生です。興味深い話ありがとうございました。
一番初めに常識力という話があったのですが、常識というのは人によって文化のバックグラウンドとか、そういうことによっていろいろ違うと思うのですが、そういういろいろ違う常識がぶつかり合う中で知事さんというのはいろいろな決断をしていかなくてはいけないと思うのですが、決断するということは正しい決断ではないと思うのですけれども、よりよい決断をするために、決断するときに心がけていることというのを教えていただけませんか。

達増知事
新渡戸博士も常識の確信というのは直感や、あるいは本能のあらわれという一種理屈を越えたそういう意思みたいなものだと言っていたわけですけれども、本当に難しい決断というのは理屈を越えた決断をしなければならないわけですよ。というのは、理屈で計算してこっちのほうがいいとわかるのであれば、それはもうそのとおりやればよくて悩む必要もなく、政治問題にもならなかったりするのですけれども、理屈では割り切れないようなことが最終的に決断を求められる問題として残るので、そういうときにどうすればいいかということについてはいろんな論語、孟子とか、リーダーかくあるべしというような、そういう蓄積があって、そういうのを参考にしながら、抽象的にですけれども、知事の仕事として気をつけていることは、一つは知事の仕事は知ることに尽きると思っていまして、漢字で知事というのは「知る事」と書くからですけれども。岩手が今どうなっていて、岩手のどこにどういう人が困っていて、どうすればその問題を解決できるかということが知る事ができればもう問題は解決していく。もちろんただ知って満足しただけではだめで、行動が伴う知行合一でないとだめなのですけれども、そういう知行合一としての知る事というのをまずきちっとやっていく。ふだんは、とにかくアンテナ高くして岩手が今どうなっているのかというのをちゃんとわかるようにという情報収集を心がけています。そして、決断するときは達増個人で決断してはだめですよね。個人の好き嫌いとか、そういう狭い了見で決断してはだめで、誰が知事であってもここはこうだろうというような感覚を岩手という架空の人格が存在して、その岩手君あるいは岩手さんが今決断するとしたらこういう決断をするだろうというような発想で物を決めるようにしています。そうやって個人のそういう、人間というのは全知全能では絶対ないのですよね。
そうだ、この話も時間があればやろうと思っていたのですけれども、全知全能というのは、これはキリスト教の神様に対してささげられている言葉であって、オムニポテントという全知全能というハレルヤの歌の中にも出てきたりしますけれども、神様なのですよ、全知全能。人間は絶対全知全能ではないというのが人間の定義でもあるのですけれども、一方論語、孟子の中に良知良能という言葉があるのです。これ孟子が言い始めた言葉で、それを王陽明という人がはやらせて、幕末の吉田松陰がまたすごいこの良知良能が好きで、幕末の志士たちの間にもはやった考え方なのですけれども、実は用意はしてきてあって、この良知良能というのは「孟先生が言われた。人間が学問をしないのにできること。それを良能という。人間が考えないで知ること。それを良知という。ねんねこの中に抱かれている幼児でも親を愛することを知らない者はなく、少し成長するとその兄を敬うことを知らない者はない。親に親しむのは仁であり、年上を敬うのは義である。ほかでもないこの良知良能を天下に押し及ぼすと仁となり、義となるのだ」ということを孟子が言っていて、新渡戸博士が言った常識、この直感、本能のあらわれとしての常識というのも結局この良知良能のことだと思います。人間だれでもそういう何か事に当たったときに適切な判断ができる、適切な行動ができる、そういう良知良能というものがすべての人の中にあるという考え方なのですけれども、私はこれを信じていまして、人間は全知全能ではないけれども、良知良能はある。だから、全知全能であれば何でもできるのですけれども、できないことはあるし、わからないこともあるのだけれども、ただトランプのゲームあるいは麻雀のゲームとかをイメージしてもらえばいいのだけれども、手元に来た麻雀牌の配牌あるいは手元に来たトランプのカード、それをベースにして何とかやりくりして勝っていく力、そういうものは人間の中にあるぞと。いきなり自分の欲しいカードや牌を最初に引いてくるような能力は神にしかないのですけれども、こういうのが欲しいと思ってこうやって、これではないのだけれども、まあいいか、こっちに使えるだろうとか、そういうやりくりをしながら先に進んでいく力ですね、これが良知良能であり、新渡戸博士が言うところの常識だと思うので、私が最後に決断をしたり、行動したりするのも最後はこの良知良能が決め手になるということです。

質問者
どうもありがとうございました。

司会
もう一件ぐらいいただきたいのですが、どうですか。

質問者
岩手大学工学部の学生です。本日は貴重なお話しいただいてありがとうございました。
文献とか、新渡戸稲造さんとか、スターダードとか、盛岡タイムスとか、文献からの話が多かったので、もっと知事自身が岩手についてどう思っているのかなという話をもっと聞きたかったなというのが正直な感想です。
まず、国の債務残高が大体850兆円近くありますけれども、1人当たり660万ぐらい借金を抱えているような状態になるわけですけれども、それについて岩手からどのようにしてこの問題を解決するためにどのような改革を行っていこうとかという考え方を持っているのかなという話を聞ければなと思います。よろしくお願いします。

達増知事
文献を引きながらですが……。借金の返し方の理想は上杉鷹山という、これは江戸時代の米沢藩主で江戸時代の大名、殿様の中で一番改革がよかったとも言われている人なのですけれども、米沢藩がやっぱり物すごい大借金で首が回らなくなったときに上杉鷹山公がやったのはきちんとした産業振興計画を立てることなのです。漆をたくさん導入して植えて、その漆の実からとれるロウとか、それを売って、それで借金を返していく。最初は借金で首が回らなくなっているのに、さらに借金を重ねて漆の苗を買ってくるのですけれども、でも漆がちゃんと育ってロウがとれるようになってきたら、これこれこういう計画でちゃんと借金を返していくことができますというのを江戸だか大阪だかの大商人に見せて、その大商人が我々もお金を貸して利息をいただいて食べていくのが商売ですから、こういう立派な計画、しっかりした計画であればお貸しいたしましょうというふうに、お金をさらに借金を重ね、そして産業化を軌道に乗せていくのですね。その過程で過去の借金については棒引きしてもらうなんていう交渉も成功させているのです。
借金は、きちんとした計画に基づく借金というのはばんばんやったほうがいいのです。むしろそういういい借金をしないと経済を発展、成長させることはできません。だから、借金を恐れてはならないのでありまして、私も大学入ってすぐローンでパソコンを買い、月々返済して、ただこれバイトが大変でやっぱり非常に苦しんだ経験はありますけれどもね。ただ、それによって得られたものというのは大きかったので。
今、日本が借金に困っている本質は、そういう信頼できる計画を立てられないでいることなのです。だから、私が今岩手にいて考えているのは、少なくとも岩手の中だけでちゃんと信頼できるような計画を立てて、岩手の中においてちゃんとお金を借りて事業を成功させて、利息を返していく、借金も返していくような仕組みを岩手の中でできないかなということと、それがうまくいくような話であれば全国に対しても応用できるでしょうから、日本国民の借金もそうやって返していくということを考えています。

質問者
ありがとうございました。
(終了)

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