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(社)内外情勢調査会盛岡支部講演「東日本大震災津波 災害対応と復興」

ID番号 N5191 更新日 平成26年1月17日

とき:平成24年3月13日
ところ:ホテルロイヤル盛岡
対象者:社団法人 内外情勢調査会盛岡支部会員等

1 はじめに

昨年3月11日に発生した東日本大震災津波によって、極めて大きな被害が生じ、多くの尊い命が失われました。あらためて亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、被災された方々にお見舞いを申し上げます。

また、発災以降、県内のあらゆる団体から、そして国内外から多大なご支援や励ましをいただいており、厚く御礼申し上げます。

発災1年となる3月11日を迎え、陸前高田市と合同で追悼式を実施しました。犠牲になられた方々は、ご家族にとってかけがえがなく、地域のためにもそれぞれの分野で一生懸命ご努力いただき、大きな貢献をいただける方々でありました。犠牲になられた方々のふるさとへの思いをしっかり受け継いで、住む人々も訪れる人々も元気にして幸せにする岩手の沿岸を必ず甦らせるべく、復興を強力に推進していくことを、改めて決意しました。

2 東日本大震災津波の発生と災害対応

(1) 超巨大地震と大津波

平成23年3月11日14時46分、「平成23年東北地方太平洋沖地震」が発生し、県内では、大船渡市や釜石市などの震度6弱をはじめ、盛岡市で震度5強など、県内全域で震度4以上の地震を観測しました。地震の規模は、国内観測史上最大のマグニチュード「9.0」であり、1900年以降、世界で発生した地震の中で、4番目の規模という超巨大地震でありました。この超巨大地震は、三陸沖から茨城県沖までの、複数の震源域で地震が連動して発生し巨大化したもので、そのエネルギーは、実に阪神・淡路大震災の約1,400倍、関東大震災の約45倍という大きさ。本県でも2分以上の揺れが続きました。

その後、本県沿岸部に巨大津波が次々と襲来。また、北海道から沖縄県までの広範囲で津波を観測しました。本県沿岸部では、震源域に近いことや、さらにリアス式海岸という地形により、非常に高い波高となって、大船渡市綾里湾、宮古市重茂海岸、そして田野畑海岸などで高さ20メートルを超える津波が押し寄せました。多くの箇所で防潮堤を乗り越え、最大遡上高が40メートルを超えたとの報告もあります。

4月7日23時32分に発生したマグニチュード7.1の余震をはじめ、東日本大震災津波の発災以降、全国各地で大きな地震が相次いでいることから、今後も地震や津波に対する警戒が必要であり、防波堤や防潮堤の整備、防災計画の見直しなど、対策を急ぐ必要があります。

(2) 歴史的被害

このような巨大地震ではありましたが、中尊寺金色堂をはじめとする平泉の文化遺産もほとんど無傷であるなど、地震そのものによる本県への被害は少なかったと言えます。

しかし、この地震によって引き起こされた大津波が深刻な被害をもたらしました。本県における死者、行方不明者の数は5,900人を超え、2万4,000棟を超える家屋が倒壊・半壊いたしました。世界最大水深の防波堤としてギネスブックに認定されている釜石港湾口防波堤や、万里の長城と呼ばれた宮古市田老地区の二重の防潮堤なども破壊され、街が広範囲に流され、集落が消滅してしまったりするなど壊滅的な被害を受けました。大槌町や陸前高田市では町長や多くの職員が犠牲となり、市役所などの庁舎も損壊しました。

また、県内の111漁港のうち、108漁港が破壊され、1万4,300隻あった漁船の9割が被害を受けました。

私は、発災翌日にはヘリコプターで上空から陸前高田市から宮古市まで、そして、3月16日からは4日間かけて実際に足を運んで沿岸の被災した12市町村全てを回りましたが、この世のものとは思えないような被害の凄まじさでありました。沿岸部における生活・社会インフラや住宅などの資本ストックの被害は、推定で3兆5,000億円となり、沿岸部全体の資本ストックのうち、約半分47.3%が消失しました。

明治29年(1896年)の明治三陸大津波の本県の死者数約1万8,000人に次ぐ犠牲者でありますが、当時とは異なり、発達した防災技術が整備されている中での犠牲者の規模であります。これだけの被害が先進民主主義国の近代的都市機能もある人口集中地帯で起きたのは初めてと言っても過言ではなく、世界が初めて経験するような歴史的な大災害でありました。

地震直後から県内全域で停電が発生し、ガスや水道のライフラインが全面的に供給停止となりました。また、三陸鉄道やJR山田線、大船渡線の線路と駅舎は津波に流され、IGRいわて銀河鉄道やJR東北本線、東北新幹線も止まり、沿岸部の道路は寸断されました。県内全域で電話がほとんどつながらない状態となり、特に沿岸部では通信施設が津波によって破壊されてしまいました。

このような、かつてない規模の大災害、被害状況という極限状態の中で、私たちは、前例にとらわれない取組を行ってまいりました。

(3) 初動対応

ア 避難、そして人命救助

地震発生直後の14時49分、気象庁が岩手県沿岸に大津波警報を発令しましたが、当初は、予想される津波の高さを「3m」と発表しました。その後「6m」と訂正し、さらに「10メートル以上」と訂正しましたが、その頃には県内全域が停電となっており、テレビも見ることができない状況となっていました。

沿岸市町村では防災無線を活用するなどしてぎりぎりまで避難を呼びかけました。

発災直後は、何よりも人命救助が優先されます。まず、自衛隊に対し派遣を要請。さらに、緊急消防援助隊にも派遣を要請し、それぞれ同日中に被災地に入ってもらいました。

沿岸被災地では、大津波によって破壊された建物などがガレキとなって街全体を覆い、再び津波が襲来するかもしれないという極限状態の中、辛くも生き延びた方々の中には、地元の消防団や警察と協力するなどして、生存者の救助に当たった方々も多くいらっしゃいました。

また、「釜石の奇跡」と呼ばれていますが、釜石市の海沿いにある鵜住居小学校と釜石東中学校の児童・生徒達が自主的に判断して、普段の避難訓練以上に高いところ、高いところへと逃げて、最終的に開通したばかりの三陸縦貫自動車道にまでよじ登り、当時学校にいた全員が助かりました。本県の場合、小学校・中学校の管理下において組織的に避難した児童・生徒は全員助かっています。

沿岸部の振興局に勤務する県職員も、発災直後から、非常電源のある合同庁舎に避難してくる地域住民を受け入れ、津波や地震に関する情報の提供や炊き出しなどを行いました。

発災2日目の早朝から、陸上自衛隊や海上自衛隊、航空自衛隊、各県の緊急消防援助隊、海上保安庁、DMATすなわち災害派遣医療チームなどが総力を挙げて、人命救助や行方不明者の捜索を開始しました。

また、県庁からの「峠攻略隊」が、内陸から沿岸に向かう県道の峠ルートを確保していきました。釜石市鵜住居地区では、三陸縦貫道に直接乗り入れする道路を、国の了承をもらって、地元の方々と共に切り開き、救急車などの搬送道路として活用しました。

イ 危機管理体制の構築と情況の把握

発災と同時刻の14時46分に県庁内に「岩手県災害対策本部」を設置し、15時45分には第1回災害対策本部員会議を開催しました。

しかし、県内全域で電話がほとんどつながらず、特に沿岸部では、通信施設が津波によって破壊されるなどして、通信が途絶した状態でありました。また、道路は大量のガレキで寸断されており、災害対策本部に入ってくる情報は断片的なものでした。

一方、本県では、平成20年の岩手・宮城内陸地震の教訓を踏まえ、震災前から防災訓練で、自衛隊第9師団の司令部、DMATやヘリコプターの本部を県庁内に設置するという形で行っておりました。それが今回はうまく機能して、緊密かつスムーズな連携を図ることができました。そして、まずは自衛隊の通信を活用して情報収集を行いました。

その中で、陸前高田市や大槌町の市庁舎等が流されたり、町長や幹部職員が犠牲になっているとの情報が断片的に入ってきましたが、自衛隊などは人命救助を第一に活動していますので、災害対策本部として市町村の情況や動きに関して、詳しい情報を得る術がありませんでした。

一方、沿岸部の振興局などに勤務する県職員が、当日から津波被災地の状況の確認を順次行っていったほか、発災翌々日の13日には、県庁から県職員を被災市町村に一斉に派遣し、状況把握を行わせるとともに、自らの判断で市町村の業務支援を行ってくるよう指示をしました。大槌町に派遣していた職員が県庁に戻ってきて、詳しい状況がようやく分かったということがありました。そのような中、NTTの協力により、衛星電話を被災市町村に設置することができました。

3月15日には、内陸の市町村長に集まってもらい、津波被害を受けた市町村への支援を依頼しました。また、3月16日から4日間で沿岸を回った際にも、市町村長や市町村幹部に会って、状況を直接聞くとともに支援を約束しました。

また、発災直後から7月27日まで、延べ人員61万人以上にものぼる自衛隊が岩手県に入り、救命、行方不明者の捜索、次いで、避難所のきめ細やかな運営支援や三陸鉄道のガレキ撤去などに献身的に対応してくれました。

ウ 避難者の安全と健康の確保

津波により多くの家屋が破壊され、生活の場所を失った被災者の避難場所として、沿岸地域を中心に、学校や集会所などに多くの避難所が設けられ、最大5万4,000人の方々が避難しました。避難所に避難した方々は、津波から逃げのびたものの、着の身着のままで避難所生活を送ることになったため、水や食料品をはじめ、衣服や毛布などの生活物資、医薬品などが圧倒的に不足しました。

そこで、県では、滝沢村の産業文化センター「アピオ」を支援物資の発送拠点基地として、食料品の調達や、生活物資の輸送に全力を注ぎました。

しかし、燃料不足が特に深刻で、総理大臣に電話で直訴したほか、東北経済産業局、資源エネルギー庁、経済産業省、そして、消費者庁にまで働きかけましたが、4月になっても改善しませんでした。

発災直後からの停電で、ガソリンスタンドで給油ができず、緊急車両の燃料確保ができない状況でした。盛岡市内では、確保した電源車1台を使って、1ヶ所のみで緊急車両への給油を行いました。市民もガソリンを求め混乱する中、ガソリンスタンドに配置した職員が、混乱への対応と給油を続けました。釜石市内では、被災をまぬがれた数少ないガソリンスタンドに車が殺到し、緊急車両の給油にも支障を来す状況でしたので、市内にある廃業予定だった給油所に依頼して、県職員も配置して緊急車両専用給油所を設置しました。

また、昨年2月、ニュージーランド・クライストチャーチで発生した地震災害の教訓を参考に、先進国に見合った避難生活を確保する、という観点から、3月下旬に、希望する避難者の方々について、仮設住宅等へ移るまでの間、一時的に内陸のホテル等に移送して、体を休めていただく取組を行いました。これは、後から国において災害救助法の対象としてもらいました。

避難所の食べ物も、おにぎりやカップラーメン、パンなど、炭水化物ばかりにならないように、野菜や、生野菜が運べないのであれば野菜ジュースなど、栄養バランスやカロリー量なども考えて食事を提供することを早い段階から心がけておりました。

応急仮設住宅は、被災県で最も早い3月19日に着工し、民有地も活用して建設を進め、お盆前の8月11日に必要戸数を全戸完成させました。その後、避難者の応急仮設住宅への入居が完了し、10月7日には全ての避難所を閉鎖することができました。

「答えは現場にある」という言葉がありますが、人命救助と避難者支援を最優先したこれら初動対応の取組は、現場にいる人たちが「現場力」を発揮し、そして、前例にとらわれない工夫と努力で対応していった例であり、国が後になってから法律の適用を認めるということもありました。

初動対応の取組としては、平成20年の岩手・宮城内陸地震の教訓を活かし、自衛隊、DMAT、緊急消防援助隊などと県が連携して救命・救助活動を行うことができ、また、県内のあらゆる団体と内陸市町村が沿岸地域を支援するというオール岩手で震災に向かっていく体制が出来ていったと、考えています。

(4) 全国・世界中からの支援

日本中、あるいは世界中から、とても多くのご支援をいただいており、大変ありがたく、様々な機会を通して感謝を申し上げています。

発災直後の混乱の中、アメリカ、イギリス、中国の緊急援助隊が岩手県に入り、人命救助や行方不明者の捜索などに尽力いただきました。また、クウェートやシンガポールなど、多くの国々からのご支援や、赤十字などを通じた義援金や寄付金、スクールバスや学習道具の提供、激励の手紙、更には、スポーツでの横断幕や追悼コンサートなど芸術を通じた祈りなど、海外から多大なる支援をいただいています。

このような多くの国際的支援は、本県では初めてのことであります。

国内においても、全国各地の法人や個人の皆様から、多くの義援金や寄付金、支援物資などが、震災直後から続々と寄せられており、本当に助かっています。被災した子供たちの学習資金等に活用するために、いち早く創設した「いわて学び希望基金」にも多くの寄付金が寄せられ、このたび支援内容をさらに拡充したところです。また、多数のボランティアの方々が被災地に入り、ガレキ撤去から仮設住宅での被災者支援活動など、様々な取組を行っていただいています。そして、天皇皇后両陛下をはじめ皇族の方々がご来県し、被災地や避難所、仮設住宅などをご訪問され、県民に大きな勇気をいただきました。

このような様々な「つながり」をさらに増やしていく取組として、「いわて未来づくり機構」という産学官連携組織において、国内外にある潜在的なアイディアの発掘と被災地ニーズのマッチングを行う「いわて三陸復興のかけ橋プロジェクト」を、昨年12月にスタートさせました。

復興は長く厳しい道のりであり、全国の方々の支援が継続して広がっていくことが大切です。このプロジェクトを通じて「思いを形に、善意を支援に」というふうにして、一日でも早く復興を成し遂げてまいりたいと思います。

(5) 進化する自治体

一方で、圧倒的な大災害を前にして、自主的な形で現れてきた自治体間の新たな「つながり」があります。

発災直後には、全国から警察と消防のチームが入ってきてくれました。また、秋田県と青森県から、それぞれおにぎりやりんごジュースなどをたくさん送ってもらいました。

津波で大きな被害を受けた市町村の行政機能支援のため、県から職員派遣等を行いましたが、県市長会・県町村会を通じた県内市町村からの人的派遣、そして、多くの県外市町村からの支援をいただいています。また、県に対しても、全国の都道府県等から多くの応援職員を派遣いただいています。

このような全国の自治体からの支援は、国からの指示・誘導によるものというよりは、それぞれの自治体の主体的判断により行っているもので、震災を契機に今まで見られなかった大規模な自治体連携が広がったと言えます。

県内でも、例えば、遠野市が沿岸被災地後方支援拠点として活動したり、住田町が陸前高田市や大船渡市の支援をしたり、一関市が宮城県気仙沼市の被災者のために応急仮設住宅建設用地を提供するなど、内陸市町村が独自の判断で、沿岸被災市町村の支援を行いました。

また、関西広域連合、東京都、静岡県は、それぞれ岩手県内に現地対策本部を設置して、発災直後の物的支援から、復旧・復興に向けた人的支援、さらには被災地の支援事業など、総合的かつ継続的な支援を行っており、大規模災害時における相互支援の体制として、非常に有効な取組であります。

このように、今回の災害を契機として、地方自治の現場では大きな変化が生じています。地方自治の現場が未曾有の被害を受け、自治体職員が犠牲になり、庁舎も破壊され使えなくなるという事態に直面しましたが、それぞれの市町村が底力を発揮して何とか乗り越え、それを他の市町村や都道府県が支援するという自治体同士の連携の輪、つながりが広がって、今までにないオペレーションに挑んでいます。これは、日本の地方自治の一つの進化だと言ってよく、基礎自治体である市町村がたくましくなっていると感じています。

(6) 国への働きかけ

1923年の関東大震災では、後藤新平らが発災1ヶ月後に帝都復興院を立ち上げ、4ヶ月後には復興計画が国会で可決されました。すみやかに対策を進めることができたのは、大臣や議員たちも被災地・東京にいたからと考えます。何が起きているのかが分かれば、何をすべきかも分かるわけでありまして、まさに「答えは現場にある」ということで、復興に向けての答えも被災地にあります。

岩手県は、発災直後から、300項目を超える提言や要望を、機会ある毎に総理大臣や関係大臣に要望してきました。

また、私は、被災県の知事として東日本大震災復興構想会議のメンバーとなり、第1回の会議の場において、4つの視点として、(1)復興の起点としての追悼・慰霊を大事にすること、(2)国際協力事業としての復興、(3)国家的プロジェクトとしての復興と、復興の象徴としての平泉、(4)科学的・技術的必然性と社会的・経済的必要性に基づいた復興計画の策定と積極的な財政・金融政策が不可欠であることを訴えました。

そして、その後も復興構想会議において、(1)復興道路の重点整備、(2)水産業の再生、(3)二重債務問題対策、(4)まちづくり、(5)財政上の措置、の5つの提案を行いましたが、それらは、6月下旬に内閣総理大臣に対して行われた「復興への提言」の中に盛り込まれました。「復興への提言」の中には、本県が主張した、復興の核として取組を進めていく「復興特区制度」についても国の支援等を明記していただきました。「復興への提言」に盛り込まれた多くは、そのまま国の「東日本大震災からの復興の基本方針」及び補正予算につながりました。

ただ、復興に向けた政府の動きは遅く、大規模な復興予算を盛り込んだ3次補正予算の成立まで8ヶ月、復興庁の設置に至っては11ヶ月も要しました。そのため、県では国の3次補正予算の成立を先取りした県の補正予算を10回にわたり編成して、水産業の復興や港湾施設の本格的な復旧工事、事業者の二重ローン問題解決のために設立する「岩手県産業復興機構」への出資などにいち早く取り組みました。

一方、国の3次補正予算の成立が遅れたことにより、被災者を雇用する企業への助成金が、3次補正予算成立以前に被災者を雇用した場合には適用されないというような弊害も生じています。

国には、復興庁が設置されたこともあり、被災自治体の要望、提案をどんどん実現してほしいですし、また、国としての主体的な国家プロジェクトとしての復興事業という気概で積極的に取り組んでほしいと思います。つまり、東北全体の復興、日本全体の復興という観点から、関西や西日本を巻き込んだ、日本の経済再生につながるような大規模な投資や事業に国として主体的に取り組んでほしいと思います。

3 復興に向けた取組

(1) 岩手県東日本大震災津波復興委員会の設置から復興計画の策定

発災から1ヶ月後の平成23年4月11日。県民みんなで力を合わせ、希望に向かって一歩ずつ復興に取り組んでいくとの思いを込めて、「がんばろう!岩手」宣言を行いました。

同じ日に、県内の学識経験者、市町村、産業界、関係団体代表者で構成する「岩手県東日本大震災津波復興委員会」の第1回委員会を開催し、まず「東日本大震災津波からの復興に向けた基本方針」を報告いたしました。この基本方針を貫く2大原則として、(1)被災者の人間らしい「暮らし」、「学び」、「仕事」を確保し、一人ひとりの幸福追求権を保障する、(2)犠牲者の故郷への思いを継承する、を掲げました。この2大原則は、かつてないような大災害からの復旧・復興という大事業を成し遂げるための核となる理念であり、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉にも通じるものです。

復興計画の検討に当たっては、関東大震災後に帝都復興院を立ち上げた後藤新平にならい、科学的・技術的な必然性に基づき、社会的・経済的な必要性に立脚した地に足の着いた検討を行う必要があると考えました。そのために、各界の代表者からなる委員会と、その下に津波防災技術専門委員会と総合企画専門委員会を設置しました。

さらに、計画案に対するパブリックコメントを実施し、378通650件を超える貴重なご意見をいただきました。

そして、平成23年8月5日開催の第6回復興委員会において「復興計画(案)」を取りまとめ、8月11日に開かれた臨時県議会において議会の承認を経て「復興計画」が策定されました。沿岸地域をはじめ岩手全体が力強く復興するための地域の未来の設計図としてオール岩手で策定したものであります。

また、被災した市町村の復興計画の指針となるものであり、委員の方々にも大変な協力をいただいて、発災から5ヶ月という早いスピードで策定しました。

平成23年末までに、被災12市町村全てにおいて復興計画が策定されており、いよいよ岩手全体で復興を進めていく体制も整い、今年は復興元年として、実質的な復興のスタートとなります。

(2) 復興計画の概要

次に、県の復興計画の概要について、説明します。

計画の期間は8年間。これは、できるだけ早期に復旧・復興を成し遂げるという意志を示したものでもあり、また、平成31年度に策定が予定される県の次期総合計画との関係を見据えたものであります。8年間を、基盤復興期間3年間、本格復興期間3年間、さらなる展開への連結期間2年間、の3つに区分しています。

そして、「人命が失われるような津波災害は今回で終わりにする」との決意のもと、「人間本位の復興」、「地域資源を生かした復興」、「開かれた復興」などの考え方を踏まえて、復興の目指す姿を「いのちを守り 海と大地と共に生きる ふるさと岩手・三陸の創造」とするとともに、復興に向けた3つの原則として、「安全」の確保、「暮らし」の再建、「なりわい」の再生、を掲げました。

「安全」の確保では、防潮堤の整備などのハード面と、避難計画などのソフト面を適切に組み合わせ、被害をできるだけ最小化するという「減災」の考えにより、再び人命が失われることがない多重防災型まちづくりを行うとともに、災害に強い交通ネットワークを構築します。

「暮らし」の再建では、依然として4万2,000人を超える方々が応急仮設住宅などに避難していることから、住宅の供給や仕事の場の確保などによる生活の再建を早急に行い、併せて、医療・福祉・介護体制などのシステムや教育環境の再構築、地域コミュニティ活動への支援を行います。

「なりわい」の再生では、生産体制の構築、基盤整備、制度面の支援等による地域産業の再生を進めます。

このうち、商工業分野では「中小企業等への再建支援と復興に向けた取組み」及び「ものづくり産業の新生」を、観光分野では「観光資源の再生と新たな魅力の創造」及び「復興の動きと連動した全県的な誘客への取組」を、それぞれ掲げており、様々な取組を進めていきます。

商工業の支援事業の一つである「中小企業等復旧・復興支援事業費補助」、いわゆるグループ補助金は、当初、予算規模に対して応募が多い状況となり、なかなかすべてのご要望に応ずることができませんでしたが、国が予備費で多額の予算を追加して、支援を充実させることができました。

観光は、地域の底力を引き出しながら、地域外との新しいつながりを作っていく営みであり、それは、復興の基本戦略でもあります。本県の自慢できる食べ物、自慢できる観光地などを改めて発掘して磨き上げる機会であり、それを県外の観光客の皆さんに来ていただき、消費していただいて経済的な力を得ていく機会でもあります。このような経済的なつながりと併せて、心のつながりや社会的なつながりも将来に向かって大切なことであります。

また、県の復興計画は、長期的視点に立ち、世界に誇る新しい三陸地域の創造を目指すためのリーディング・プロジェクトとして「三陸創造プロジェクト」を掲げ、世界をリードする国際研究交流拠点の形成、再生可能エネルギーの導入促進、「ものづくり特区」による産業振興、などを進めることとしています。

さらに、今年は、県の総合計画である「いわて県民計画」の第2期アクションプランがスタートします。内陸地域の活力が沿岸地域の復興を支えていくことにも十分配慮し、復興計画とともに車の両輪として「希望郷いわて」の実現を目指していきます。

県では、「復興計画」の内容や策定経緯をお知らせし、復興に向けたご意見・ご提言をいただいて、県民の力を結集し、岩手の復興を進めていくためのホームページサイトとして「いわて復興ネット」を開設しています。そのサイト中に掲載している「いわて復興だより」は、現在、第15号まで発行され、復興に向けて歩き出した岩手の今を紹介しています。それぞれ復興関係の様々な情報が盛り込まれていますので、是非ご覧いただきたいと思います。なお、英語版も掲載しておりまして、世界中の方々にも読んでいただいているものと思います。

(3) 復興の鎚音

8月11日に応急仮設住宅が全て完成し、同じ日に県の復興計画も策定されました。10回にわたる補正予算も編成し、復興への取組を加速してきたところ、復興に向けた鎚音が、各地から力強く聞こえてきました。

水産業の復旧・復興

沿岸部の主要産業である漁業については、5月の、宮古市の重茂漁協における漁船の共同利用化による天然わかめ漁再開を皮切りに、県内13魚市場のうち12ヶ所が復旧、残る宮古市田老もこの3月末までに整備を終え、4月の再開を目指しています。加工施設の復旧も進んでいます。

また、県下111漁港のうち108漁港が被災しましたが、泊地・航路のガレキ除去などの応急工事を実施して、すべての漁港が利用可能となっています。

サンマの水揚げも、前年比7割にまで回復しました。

商工業の復旧・復興

商工業関係でも、商工会議所や商工会の調査では、沿岸市町村の約1万3,000事業者のうち、約7,000事業者が被災したと推計されていますが、そのうち約4,000事業者が事業を再開しています。

被災した中小企業等が一体となって進める設備等の復旧のためにグループ補助金を活用し、約300社が営業を再開したほか、民間ファンドの活用や内陸企業との連携により、早期に操業を再開した企業もあります。

例えば、大槌町のショッピングセンター「シーサイドタウンマスト」は、グループ補助金を活用し、ショッピングセンター内に商店街機能を集約し、交流拠点商業施設として、昨年12月から営業を再開しています。また、宮古市のウェーブクレスト宮古工場は、地元採用の従業員の雇用を守るため宮古市内内陸部への再建を決め、グループ補助金を活用して本年1月から13人で操業を再開し、3月8日、新工場落成式を行って、27人体制となっています。更に、内陸企業との連携などにより営業を再開した企業として、例えば、陸前高田市のヤマニ醤油は、花巻市の佐々長醸造の設備を借りて再開し、昨年11月には「天使のしょうゆ」を出荷しました。大槌町の赤武酒造は、盛岡市の桜顔酒造の酒蔵を借りて「浜娘」を製造し、昨年12月に販売にこぎつけています。

二重ローン対策

被災企業等の二重ローン問題に対しては、国、県、県内金融機関等が連携し、「岩手県産業復興相談センター」においてワンストップの相談窓口を設置し、「岩手県産業復興機構」を設立して被災事業者等の債権買取等を行っています。また、国がこの2月に設立した「東日本大震災事業者再生支援機構」と連携しながら支援に取り組んでいきます。

現在、県の産業復興機構による買取案件は2件でありますが、相談センターには、これまでに200社を超える企業から700件以上の相談があり、産業復興機構による買取支援を検討している案件のほか、相談センターによる助言によって解決した案件が多くあります。

インフラの復旧・整備

インフラの復旧では、地域住民の大切な足でありながら、駅舎が流され線路が寸断された三陸鉄道の復旧工事に昨年11月に着工し、平成24年4月1日に北リアス線の久慈~田野畑駅間が再開予定、そして、平成26年の4月には全線の運行再開を目指しています。

また、国に要望した復興道路の整備が始まり、田野畑村の三陸北縦貫道尾肝要(おかんよう)トンネル工事も昨年11月に着工。7年程度での三陸沿岸道路の全線開通を目指しています。

三陸沿岸の高規格幹線道路は、津波襲来時の避難場所や緊急物資の輸送路、地域住民の避難路としても利用され、まさに「命の道」として極めて有効に機能しましたことから、「三陸北縦貫道」を含む三陸沿岸の縦貫道のほか、「東北横断自動車道釜石秋田線」などの横断道についても、早期の全線開通に向けて、国に強く働きかけていきます。

復興特区制度の活用

昨年12月に成立した「東日本大震災復興特別区域法」に基づく復興特区制度は、復興推進計画による規制・手続き等の特例措置、復興整備計画による土地利用再編の特例、復興交付金事業計画による財政・金融上の支援措置をワンストップで講じようとするものであり、本県からは、まず、1月31日に「保健・医療・福祉復興推進計画」を国に提出し、2月9日に認定されました。そして、2月6日に「産業再生復興推進計画」を提出し、現在、審査中です。おって、「まちづくり」関係、また、「再生可能エネルギー」関係の特区についても申請予定です。

また、復興交付金については、集団移転や道路整備など、第1弾となる事業計画を沿岸12市町村と共同で国に提出して、3月2日に第1回交付額が決定されました。

平成24年度当初予算

県の平成24年度当初予算は、「いわて復興元年予算」として、東日本大震災津波の被災者一人ひとりの復興を支援し、地域の復興の流れを加速させていくことに意を用いながら、復興を着実に推進していく積極的な予算であり、過去最高額となる1兆1,183億円を計上し、現在、県議会において審議中です。平成22年度以降の震災対応分の予算総額は、3年度の累計で約1兆2,649億円になります。

市町村の復興計画も出そろい、国では復興庁が設置され、市町村、県、国の行政がフルセットで被災者に寄り添って復興を着実に進めていきます。

(4) 復興に向けた課題とその対応

一方、復興に向けた課題が山積しておりまして、一つひとつ解決していかなければなりません。

マンパワー不足

まず、復興に向けた行政のマンパワー不足であります。職員が犠牲になったり庁舎が流されたりするなど、深刻な被害を受けた被災市町村では、復興事業を進めるに当たり、各分野における専門的知識を持ったマンパワーの不足が顕在化しています。例えば、土地区画整理や復興工事に当たる技術者や埋蔵文化財の調査員、被災者の心のケアに当たる保健衛生関係の人材が不足しており、復興事業を進めている県も同様の状況です。

現在、県や被災市町村では、国や他都道府県の自治体から職員の派遣を受けていますが、復興への取組が本格化する来年度もさらなる応援をお願いしているところです。

また、本県では建設業者数が年々減少してきており、そのような中で、急増する復旧・復興工事を請け負う建設業者や、工事現場に配置を義務づけられている技術者なども不足しています。

復興を着実に進めるためには、こうした現場におけるマンパワーの確保が不可欠でありますので、国等に対し制度改正などについての要望を行い、工事現場へ配置する技術者の要件緩和などにつながっています。

災害廃棄物処理

次に、災害廃棄物、ガレキの処理であります。本県で発生した災害廃棄物の推計量は、本県の一般廃棄物の年間発生量の約10年分となる約435万トンであり、復興に向けたまちづくりの大きな障害となっています。生活環境等に支障が生じる災害廃棄物は、昨年8月末までに仮置場への移動を完了しています。

この処理に当たっては、国や市町村と連携し、市町村負担を軽減する財政支援制度の確立や円滑な処理に向けた仕組み作りに努めてきたほか、太平洋セメント大船渡工場や県内各市町村の清掃センターでの処理や、仮設焼却炉を宮古地区に設置し、また、釜石市では廃止していた旧釜石市清掃工場を再稼働させるなどの対策をとっています。

処理実績は、年度内目標の69万トンに対し、2月時点で37万トンですが、年度末までには50万トン程度を見込んでいます。

広域処理については、東京都の受入れ実施に加えて、秋田県との協定締結、静岡県島田市による試験焼却の実施のほか、神奈川県、埼玉県、八戸市など多くの自治体が受入れの表明をしていただいており、大変ありがたく思っています。しかし、放射能汚染の風評被害のために、安定的な処理先の確保が進んでおらず、国でも指針を出していますが、円滑な広域処理に向け、さらに丁寧な説明が必要です。最近ようやく、国では、災害廃棄物を受け入れる自治体に対する財政的な支援を新年度予算に計上したり、野田総理大臣も、国が前面に出てアピールし、広く自治体の理解を求めていく、という姿勢を表明しました。

被災者の雇用対策

次に、被災者の雇用対策であります。被災者一人ひとりが復興を果たすためには、安定的な収入の確保が欠かせません。本県では、産業振興施策による雇用創出のほか、緊急雇用創出事業等の雇用対策基金を活用した雇用創出を図っており、本県の1月の有効求人倍率は0.75倍と、発災直後の4月0.41倍から持ち直しの動きが続き、11年5ヶ月ぶりに全国平均を上回っています。

今後は、雇用のミスマッチの解消対策や、失業手当の期限切れによる求職者の増加への対応が求められます。

放射線影響対策

放射能による影響も懸念されています。本来、東京電力と国の責任において万全の対策を講じるべきでありますが、県としても県民の不安を払拭するため、米や牛肉、魚などの農林水産物の放射線量の測定、公表や、小学校の校舎や校庭などでの放射線量の測定や除染などの安全対策を進めています。

また、先ほどお話した災害廃棄物の広域処理問題と併せ、今後も、国に対して調整や支援強化を要請し、広域処理の必要性と放射性物質の影響に関する安全性について、国が責任を持って住民理解を得るように求めていきます。

今回のような未曾有の大災害に当たっては、国家プロジェクトとして、かつ、オールジャパンでの取組が必要であります。国においては、東北全体の復興が日本の再生につながるという気持ちで主体的に復興に取り組んで欲しいと思います。

(5) 復興のシンボル

ア 平泉世界文化遺産

「平泉」は、平成13年に世界遺産暫定リストに記載され、その10年後の昨年6月に、世界文化遺産に登録されました。

私は、パリのユネスコ本部で開かれた世界遺産委員会に出席しまして、世界遺産登録に対する御礼と次世代への遺産の継承への決意に加え、東北の人々を代表して、今回の大震災津波への世界中からの多大な御支援に対する感謝の気持ちを伝えました。会場では大きな拍手が沸き起こり、握手を求められるなど、世界中から祝福をいただいた、という印象を得ました。また、東日本大震災津波に世界中が心を痛め、関心を寄せているということを改めて感じ、世界とのつながりを実感しました。

昨年7月3日には「東北復興平泉宣言」というものを行っています。平安時代の戦乱で荒廃した東北を復興する中心が平泉でした。奥州藤原氏初代清衡公が「人と人との共生」「人と自然との共生」の理念のもと、この世に浄土を創ろうとして築かれた平泉は、まさに、東北復興のシンボルにふさわしい存在です。

先月13日には、平泉で世界遺産認定書授与式が行われ、ユネスコのボコバ事務局長から世界遺産認定書をいただきました。ユネスコ事務局長が認定書を自ら授与するというのは例外的なことでありまして、ユネスコ、更には世界から、復興を支援する連帯の心をいただいたものと考えています。

「平泉」への観光客入込数は、発災直後に、前年比4分の1にまで落ち込みましたが、世界文化遺産登録後の7月以降は前年比2倍以上と、多くの方々に来ていただいています。

今年は、観光の大型キャンペーンである「いわてデスティネーションキャンペーン」が、岩手県単独としては実に32年ぶりに開催されます。「平泉」から沿岸、県北へ、多くの方々に来県いただくことにより、その経済効果を、復興に向けた力として全県に波及させていきたいと思います。

イ 国際リニアコライダー(ILC)

私は、世界遺産委員会に出席するためフランスに行った際に、ジュネーブ郊外にあるセルン 欧州原子核研究機構を視察しました。最近、そのセルンで、「質量」の素と言われている「ヒッグス粒子」の発見の可能性が高まっています。

本県への誘致を目指している国際リニアコライダー(ILC)は、北上高地にある固い地盤という地域資源を活用するという地に足の着いたものであると同時に、国家プロジェクトとして相応しく、世界中とつながっていくことができるものでもあります。復興構想会議で、国際リニアコライダーを核とした研究所等の集積などを図る「TOHOKU国際科学技術研究特区」を提案するなど、国に働きかけてきました。また、県の復興計画においても、「三陸創造プロジェクト」の中に、国際リニアコライダーの誘致を盛り込んでいます。経済界、国民へと広く周知を図り、日本の第1候補地に位置付けられるとともに、東北全体の復興に向けた国家プロジェクトとして推進されるよう必要な働きかけを強化していきます。

「平泉」と「国際リニアコライダー」の2つは、昨年4月23日の第2回復興構想会議の場で、私から復興のシンボルとして提示しました。委員の方々は、最初は驚いた様子でありましたが、「平泉」については世界遺産登録が決まると広く認知され、「国際リニアコライダー」についても、何回も説明したところ、第3次補正予算において調査費を計上するなど、国も動き出しました。今年1月には、国際共同設計チームが来県し、北上高地を視察しました。

是非とも実現したいという思いから、平成24年度に県庁内に「国際リニアコライダー」関係の担当部署を立ち上げることとしました。

また、県南広域振興局と県南8市町で構成する「県南広域振興圏国際リニアコライダー関係市町等情報交換会」が設置され、また、民間でも誘致に向けた動きが活発になっており、大変心強く感じています。

(6) 岩手県全体の総合開発

本県は、戦後すぐ、昭和22年のカスリン台風、23年のアイオン台風と、2年連続で北上川流域を中心に大きな被害を受けました。カスリン台風の死者・行方不明者数168人。アイオン台風の死者・行方不明者数709人です。

カスリン・アイオン台風により大きな被害を受けた本県では、「岩手版TVA(アメリカ、テネシー川流域の開発事業を行った公社、テネシー渓谷開発公社の事業)」と言われた国土総合開発法第1号指定「北上特定地域総合開発計画」において、北上川流域の5大ダムを造り、一関遊水地事業を進め、県企業局を設置し発電や工業用水の確保を図るとともに、三陸縦貫鉄道の整備も進めるなど、復興開発を進めました。

今回、沿岸地域の復興を進める中で、復興道路として、三陸沿岸道路、東北横断自動車道釜石秋田線や宮古盛岡横断道路の整備が決定し、三陸鉄道も全線復旧に向けた作業が開始されました。岩手の沿岸部を縦に貫く移動手段と、沿岸部と内陸部を結ぶこれらの移動手段の確保は、明治以降からの悲願である沿岸地域と北上高地の開発、そして岩手県全体の総合開発を完成させるものと言えます。平泉に倣い、岩手100年の繁栄の礎を築く気概を持って、復興に取り組んでいきたいと思います。

これまでの東北開発は、国主導だけでも、地方主導だけでもうまくいかず、宮城県と岩手県の両地域を対象とした「北上特定地域総合開発計画」のように、さらには、奥州藤原氏の体制のように、国の制度的なものと、地元の人たちの努力が噛み合ったときに開発が成功している、というのが歴史の教訓ではないかと思っております。

この度立ち上がった国の復興庁には、「東北開発庁」的なマインドを持って仕事を進めていただきたいと思っております。

4 復興から「希望郷いわて」へ

(1) 非常事態への備えが自治の原点

岩手は津波の常襲地ですが、過去の津波犠牲者数をみますと、明治の三陸大津波(1896年)で約1万8,000人、昭和の三陸大津波(1933年)で約2,600人、そして、チリ地震津波(1960年)では62人と次第に減ってきていました。防災技術の発展に伴って、将来襲来するであろう津波の犠牲者も少なくなっていくのではないかというイメージを漠然と抱いていたのではないかと反省をしています。

沿岸部における津波に対する訓練は、毎年、真剣に、かつ、きめ細かく行われていましたが、それでも、これだけの犠牲者が出てしまいました。あってはならないことであり、取組が不足していた面があったということについて率直に反省をして、犠牲になられた方々への思いを意識改革の原点として、これまでの物の見方、考え方、そして行動様式を改めていく必要があると考えております。

また、5万人を超える避難者に対し、水、食糧、毛布などの物資が大変不足しました。今後、備蓄体制の工夫が必要であります。

さらに、停電や庁舎の被災によって通信手段が限定され、情報収集が困難な状況での対応でありましたことから、非常用電源設備の整備や燃料の備蓄など、住民への通報手段を始めとする避難環境の整備、市町村間や民間との応援協定なども工夫する必要があります。

また、民間やボランティアなど行政以外の様々な主体と、行政が一緒に力を合わせて公共的な政策を進めていく「新しい公共」も非常事態への対応に有効な手段であります。

県では、東日本大震災津波の災害対応の検証を踏まえて、地域防災計画の見直しを行っておりまして、今後、市町村においても計画の見直しが行われます。

非常事態に備えていくことが、自治の原点でもあります。

この大震災津波という非常事態の中で、普段の仕事の中ではあまり意識していないような、「住民の命を守る」ということをはじめ、復興の業務に取り組んでいるわけでありますが、「住民の命を守る」ということから始まって、復興に主体的に取り組んでいくことで、地域主権が確立されていくものと考えています。

私は、「地域住民の願いが政治・行政を通じて実現するとき、そこに地域主権が実現している。」と考えておりまして、大震災津波以降、「命を守る」ということから始まって、復興に関する切実な願いを住民がしっかりと持ち、その実現のために自治体として力を尽くしておりますと、地域主権が復興の現場から生まれているという実感が湧いてきます。

日本全体も復興の旗を高く掲げ、そこに集中していくことで、地域主権とそれに支えられた国民主権が実現していくのではないかと考えています。

(2) 守るべきは「人」 復興の主役も「人」

行政は、憲法にも規定され、また、先ほどご紹介した宮沢賢治の言葉にもあるように、誰もが人間らしく幸せに暮らし、学び、仕事をしていく「幸福追求権」を保障すべきものであり、そのためにはまず、「安全」を保障しなければなりません。行政が、今回のような大災害から守るべきは、まず「人」であり、その対策は、常日頃から万全を期していかなければなりません。私たちも、市町村、県、国が復興計画等をもとに一体となって、復興を進めていくわけでありますが、その復興の主役も「人」であり、人間本位の復興に取り組んで参ります。

なお、「生活保障」という考え方がありますが、これは、福祉政策と経済・産業政策を分断するのではなく、福祉・社会保障と経済・産業政策、雇用政策を融合させて、それによって働ける人はきちんと働いて収入を得て豊かな生活を送ることができるようにするというものであります。全国知事会の「この国のあり方に関する研究会」というところで研究していた考え方であります。これが今、復興に当たって防災という形での「安全」の確保という、しっかりとした土台の上に「暮らし」と「なりわい」を再建・再生させていくということで、生活保障の考え方が復興の現場にピッタリであるという手応えを感じています。

国家安全保障から人間の安全保障へというように、国際的な課題もシフトしていると思います。人間中心のトータルな政策体系の姿が、復興の現場から見えてきています。

(3) 地域資源の活用とつながりを育むことが復興の基本、地域振興の基本

今、国内の社会経済情勢は大きく動揺をしています。

このような状況下において、発災以前から取り組んできたような、地域資源を発掘し、磨き上げ、高付加価値化を生み出すという地域に根ざした振興策を積み上げていくことが、地域経済を盛んにし、真のゆたかさを得ることになると考え、「いわて県民計画」にもこの考えを盛り込んで取り組んでいます。

例えば、釜石市の食品会社では、震災前から、魚の鮮度を活かした手作り感覚で高いレベルに加工した冷凍焼魚や煮魚をホテルに出荷したり、通信販売を行ったりしており、高い付加価値を生み出しています。

先ほどお話した国際リニアコライダーも、固い地盤という地域資源を地域振興に活用していこうという例であります。

一方で、発災後に日本中、世界中から寄せられている祈りと差し伸べられている支援の輪や、「新しい公共」も含め、「つながり」が大きく広がっています。本県において未曾有の大災害からの復興という困難な大事業を成し遂げるためには、この新しい「つながり」を大切に育み、開かれた復興を目指すことが大変重要です。

この地域資源を基にした地域振興の流れを復活させること、そして、新しい「つながり」を大切に育むことが、復興の基本であります。このような地域に根差しつつ「つながり」を育む取組を通じて、格差社会化や失業・貧困の深刻化など、世界全体が先を見通しにくい状況にある中で、例えば、効率性を優先するフリートレードも大事だが、地域性や関係性を重視するフェアトレードも必要ではないかというように、人や社会のあるべき姿を、復興の現場から世界に示し、発信していくことが出来るのではないかと思います。

復興の現場において実践される地域主権や人間中心のトータルな政策、そして社会のあるべき姿を示していくということで、「希望郷いわて」を実現していきたいと思います。

5 おわりに

東日本大震災津波は、日本にとって戦後最大最悪の大災害であり、特に犠牲者の多さについては痛恨の極みであります。

難を逃れた方々の生活再建、そして被災地の復興は、大規模で複雑な難事業でありますが、必ず成し遂げなければなりません。

そのことに真摯に向き合う時に、人や社会のあるべき姿や、政治・行政、自治の本質が見えてくると思います。日本の自治が持っている大きな可能性も、今、見えてきていると思います。日本の地方自治体の底力とつながりの力こそ、復興に向けての大きな希望です。

日本という国としても、東日本大震災津波からの復興は、日本全体の復興なのだという確固たる意識を持つことができれば、日本はすばらしい国に生まれ変わることができるに違いないと思います。

ありがとうございました。

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