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平成28年度部課長研修 知事講話

ID番号 N47795 更新日 平成28年8月8日

とき:平成28年7月8日(金曜日)
ところ:岩手県民会館 中ホール
対象者:総括課長級以上の職員

「幸福について考える」

  皆さん、お疲れさまです。今日は私から「幸福について考える」ということで話をします。 

<幸福の三要素>

 幸福について考えるに当たって、わかりやすい話として、幸福は3つの構成要素から成るという話から始めたいと思います。これは、ドー・C・シン教授という人の分析をもとにしているのですが、私なりの理解に基づいて話をします。
 幸福の第一の要素は「快楽」です。おいしいものを食べる、いい音楽を聞く、おもしろい映画を見る、お酒を飲む、温泉に入って気持ちいいというようにハッピーな体験としての幸福であります。飲酒など依存性になると、かえって不幸になる点、注意を要します。
 幸福の第二の要素は「満足」です。住むところがある、食べるのに困らない、着るのに不自由しない、そういう衣食住から始まりまして、また健康である、それから欲しいものがそこそこ手に入る、そういう意味で「生活の質」としての幸福でもあります。
 幸福の第三の要素は「達成」です。人生全体を肯定できるというような幸せな人生だったというような意味での幸福です。これは、人生観の問題でもあり、また宗教的な境地、心のありようの問題でもあります。これらのうち、行政が取り組むべき幸福は、第二の要素、「満足」という意味での幸福、「生活の質」という意味での幸福だと思います。
 第一の要素、「快楽」という意味での幸福は、私的に追求するのが基本だと思います。ただし、快楽というのは人間にとって結構切実なものでありますので、行政としても意識せざるを得ないところはあると思います。一方、快楽が依存性になると、それはむしろ苦しみになり、不幸になります。それゆえ仏教では、むしろ快楽を避けることで安らぎの境地としての幸福にいることができるというふうに説かれていますし、キリスト教にも禁欲を重視する教えがあるようであります。
 第三の要素、「達成」という意味での幸福は、そのような心のありようの問題であり、宗教がかかわる場合もありますので、基本的に私的な領域だと思いますが、人間存在の根本的な問題として重要でありますので、行政としても視野には入れておくべきだと思います。

<幸福の第二の要素と公共政策>

 そこで、幸福の第二の要素、「満足」という意味での幸福、「生活の質」という意味での幸福でありますが、今日の幸福と公共政策をめぐる研究でも、この意味での幸福を軸に展開されています。例えばOECDの「よりよい暮らし指標」では、個人の幸福を生活の質と物質的な生活状況に分けて、生活の質については健康状態、ワークライフバランス、教育と技能、社会とのつながり、市民参加とガバナンス、環境の質、生活の安全、主観的幸福を項目として挙げており、物質的な生活状況については所得と資産、仕事と報酬、住居を項目として挙げています。
 さらに、個人の幸福に持続可能性というのを加えて、その内容として自然資本、経済資本、人的資本、社会関係資本を挙げています。
 また、内閣府の幸福度指数試案では、幸福度イコール主観的幸福感とし、それを経済社会的状況、健康、関係性の3つの柱に分けています。経済社会的状況の小項目には基本的ニーズ、住居、子育て・教育、雇用、社会制度が挙げられ、健康の小項目には身体面と精神面が挙げられ、関係性の小項目にはライフスタイル、家族とのつながり、地域とのつながり、自然とのつながりが挙げられています。そして、これらの全体を支える要素として持続可能性というものが別途柱とされています。
 「満足」あるいは「生活の質」としての幸福に関連して、幸福のパラドックスというものが指摘されています。幸福の要因としての所得水準は、所得が低いときには大きな要因になりますが、所得が高いときには小さな要因となるという現象であります。所得が低くて食、住などの基本的ニーズが満たされないと不幸でありまして、所得の上昇がそのまま幸福度の上昇になりますけれども、基本的ニーズが満たされるようになると自由、生活の質、信頼、個人的・社会的関係といった要因が幸福の要因として、より重要になるということであります。幸福の要因としては、まずは基本的な生活水準、そして友好的な社会関係というふうになっていると言えます。

<幸福度とバランス>

 このような「満足」としての幸福、「生活の質」としての幸福の度合いは、生活満足度として測られます。自分がどのくらい幸福であるか、ゼロから10までの段階で評価するやり方がありまして、わかりやすいと思います。この段階式評価については、個人の場合も、またある国の国民というような集団の場合も、一定の平均値があるという理解が主流になっています。幸福度を高める要因の変化に対しても、幸福度を低める要因の変化に対しても、人間は慣れる、順応するということであります。幸福なことがあっても、その幸福感はやがてさめる、不幸なことがあってもその不幸せ感もやがて薄れるということで、幸福に関する一種の恒常性のシステムがあると言われています。この主観的幸福感というものが、上下の揺れ幅が一定の水準に収れんするものだとしますと、幸福にはバランスが大事だということになると思います。経済成長のように幸福度を高め続けようというのは的外れであって、一定の幸福水準が極端に落ち込まないようにする、そして幸福水準を下支えしながら無理のないペースで引き上げることを目指すというのが政策目標になるのではないかと思います。したがって、経済のように幸福度倍増とか、幸福度の高度成長というような目標は幸福の本質にはそぐわないと思われます。
 ある個人の恒常的な幸福度は、その人の気質、ひいては遺伝によって決まるという説もあります。外交的社交性のある人は幸福水準が比較的高く、不安定、神経質な人は幸福水準が比較的低いという説があります。ただし、気質あるいは体質を踏まえた上で、トレーニングや修養によって幸福水準を高められるという研究もあります。
 国や自治体など集団の幸福度についても、上下の揺れ幅が一定の水準に収れんする中で、その水準を公共政策によって高めることができるはずだ、高めるべきであるという主張があります。一定の水準に収れんといっても、その一定の水準というのは絶対の水準ではなくて、底上げの余地があるというふうに見られています。そのとおりだと思いまして、特に基本的ニーズが満たされずに幸福度が低い水準にある場合は、個人であれ、集団であれ、その底上げを目指すべきだと思います。

<幸福の第三の要素、「達成」という意味での幸福>

 さて、幸福の第三の要素、「達成」という意味での幸福は、ある種の悟りの境地のようなものです。宗教的な成就とまでいかなくても、物事をあるがままに受け入れるでありますとか、本当の自分になるでありますとか、自分自身と世界全体との調和とか、そういう言葉が研究の中で使われています。そういう気の持ちようで幸福になれるということが説かれています。
 これに関連して高齢化のパラドックスというものが指摘されています。若者と高齢者を比較した場合に、高齢者のほうが体力の衰えでありますとか、また病気にかかるでありますとか、幸福度が低下する要因が多いであろうにもかかわらず、概して高齢者のほうが幸福度が高いという傾向がありまして、これが高齢化のパラドックスと呼ばれています。これは、高齢者のほうが足ることを知るなど人生の知恵が豊かであるため、人生に満足を感じやすく、幸福度が高い傾向があるということのようであります。

<幸福の三要素と、経済偏重主義の問題>

 以上、「快楽」という意味での幸福、「満足」あるいは「生活の質」という意味での幸福、「達成」という意味での幸福について述べてきました。「満足」あるいは「生活の質」については、数字による評価の仕方の研究が進んでおります。一方、「快楽」と「達成」については、ともに人それぞれでありまして、数字による評価にはなじみにくいと思います。そのことからも、公共政策の対象となるのは「満足」あるいは「生活の質」という意味での幸福であると思います。「快楽」という意味での幸福や、「達成」という意味での幸福については、それぞれ人間の本質でありますので、公共政策の念頭に置くくらいがいいのではないかと思います。
 そもそも公共政策に幸福概念を導入するほうがいいのではないかという議論が広まったのは、ブータンがそういうことをしているという話が広まったことが一つの契機にもなっているのですけれども、経済成長万能主義など経済重視の公共政策に疑問が呈されたということがその機運になっています。なぜそういう議論が出てきたかを考えますと、経済成長の成果が主として「快楽」としての幸福の追求に費やされたということがあったからではないかと思います。快楽追求というのは依存性に陥る危険性があり、際限がなくなるおそれがあるのです。際限がない快楽追求がもたらすものは、これはもう不幸でありますけれども、経済の高度成長と快楽追求のエスカレートが組み合わさって個人や社会が暴走していたということがあったのではないかと思います。そして、これは今もある問題ではないかと思います。
 幸福のパラドックスとの関連でいいますと、食や住などの基本的ニーズが満たされるようになりますと、自由とか生活の質とか信頼、個人的・社会的関係といった、そういう要因が幸福の要因としてより重要になるはずなのですけれども、快楽が依存性になりますと、いつまでも物欲としてのニーズが満たされないで所得の上昇を求め続けることになり、それが自由、生活の質、信頼、個人的・社会的関係といった幸福の要素に対する必要性を感じさせなくなってしまうという状態に陥るのではないでしょうか。幸福の第二の要素に丸ごと背を向けるような状態になるわけです。戦争のころの「欲しがりません勝つまでは」というスローガンをもじれば、「生活の質は欲しがりません、快楽が満たされるまでは」というような状態になってしまうわけです。そういう「生活の質は欲しがりません、快楽が満たされるまでは」となってしまいますと、幾ら所得が上がっていっても物欲の飢餓状態が延々続く不幸な状態になってしまいます。
 また、さらに指摘しますと、この「快楽」には、売上げや所得の上昇というような、数字が上がり続けることに対する快楽というのも含まれていて、手段が目的化してしまう不幸というのもあるのではないかと思います。そして、そのような状態、物欲としての飢餓状態、また手段の目的化、そういった不幸に陥ってしまいますと、もう足ることを知る境地、あるいはありのままを受け入れ本当の自分になるというような境地、人生の達成という意味での幸福の道も閉ざされてしまいます。経済偏重の公共政策が快楽追求を過剰に後押しして達成を妨げもするということがあるのではないかと思います。したがって、「生活の質」、「満足」としての幸福を公共政策の主軸としていくことは、それによって「快楽」の暴走を防ぎ、また「達成」をやりやすくするというふうになるのではないかと思います。
 「生活の質」、「満足」としての幸福の代表例として内閣府の幸福度指数試案を振り返りますと、経済社会的状況の小項目として基本的ニーズ、住居、子育て・教育、雇用、社会制度が挙げられ、健康の小項目として身体面と精神面が挙げられ、関係性の小項目としてライフスタイル、家族とのつながり、地域とのつながり、自然とのつながりが挙げられています。そして、これらの全体を支える要素として持続可能性が別途柱とされています。これらの小項目は、「快楽」に比べますと暴走しにくい性質のものですよね。それでいて個人が生きていくためにはなくてはならないものであり、また基本的に集団的、公共的に追求することになじむものだと思います。これらをバランスよく着実に底上げしていくことを目指すべきであって、それが幸福の王道と言えるような道になると思います。

<「個人の幸福、集団の幸福」との関係>

 以上のことが宮沢賢治のあの「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉とどういう関係があるかも考えてみたいと思います。個人の幸福、集団の幸福というテーマとの関係です。「生活の質」あるいは「満足」としての幸福は、集団的、公共的に追求することになじみます。この幸福の第二の要素を公共政策として幸福追求の主軸に据えながら、個人それぞれが「快楽」の追求に暴走しないように心がけ、また「達成」としての幸福の境地を心がけるようにすればいいのではないでしょうか。このように考えますと、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉は、手の届かない理想なのではなくて、むしろ本当の幸いに至る現実的な知恵というふうに言えるのではないかと思います。
 「快楽」としての幸福、「満足」あるいは「生活の質」としての幸福、「達成」としての幸福、この幸福の3要素は、それぞれ感覚の幸福、生活の幸福、魂の幸福と呼んでもいいと思います。「快楽」としての幸福はイコール感覚の幸福、「満足」あるいは「生活の質」としての幸福は生活の幸福、そして達成としての幸福は魂の幸福であります。また、それぞれ時間軸との関係で見ますと瞬間的な幸福、持続的な幸福、永遠の幸福ということもできると思います。「快楽」というのは瞬間的な幸福、「満足」あるいは「生活の質」としての幸福は持続的な幸福、「達成」としての幸福、魂の幸福は、永遠の幸福であります。第二の要素を主軸にしながら幸福の3要素を総合的に追求することで、世界がぜんたい幸福であり、そして個人も幸福であるという境地をともに生きることもできるのではないかと思います。
 世界がぜんたい幸福であり、個人も幸福であるという境地、仏教の言葉で言えば、中尊寺の山田貫首がよくおっしゃられる言葉ですけれども、「一切衆生悉有仏性」という境地、キリスト教の言葉で言えば「神は天にあり、世は全てよし」という、そういう境地だと思います。

<その他の論点>

 その他の論点として、私がいろいろ幸福に関する本を読んだり、話を聞いたりして発見した論点を幾つかこの機会に紹介しておきますと、まず時間という論点があります。自由な時間のあるなしが幸福にとってかなり重要だという研究があります。時間創出のための公共政策といったようなものを研究すべきかもしれません。
 次に、運動という論点。健康というのが幸福において非常に重要で、これは県で毎年やっている県民意識調査、新しくどういうときに幸福を感じるか、何が幸福の大事な要素だと思うかという質問の一番多かった答えが「健康」でありました。この健康、身体面も精神面も両方運動ということが大事でありまして、また健康以外にも社会性で一定の満足を得ていくためにも運動というのが果たす効果は非常に大きく、幸福のために運動というのはかなり重要と見られますので、これに関する公共政策というのも考えていくといいと思います。
 それから、障がい者の生活の質という論点、あとは子どもの幸福という論点もあって、それぞれ個別の研究対象になっています。
 最後に、災害、事故、犯罪、これらは幸福の最大の敵と言えるのではないでしょうか。「満足」としての幸福、「生活の質」としての幸福を一気に悪化させるのが災害、事故、犯罪でありまして、幸福の第二の要素、「満足」あるいは「生活の質」というものの基盤を崩壊させるものでもあります。公共政策として幸福との関係でも重視すべき分野なのだと思います。

<生活保障と幸福追求権の保障>

 用意してきた話は以上なのですけれども、まだ時間があるのでつけ足しますが、東日本大震災前に私たちは「生活保障」というのを議論していました。これは、全国知事会でも「この国のあり方に関する研究会」というのができて、そして震災の前の年、平成22年の5月に報告書が出ているのですけれども、そのときの議論の中のキーワードが「生活保障」という言葉でした。これは、全国知事会の作業部会のアドバイザー的な役割を担っていた神野直彦先生や宮本太郎先生がかなり研究している分野ですけれども、北欧諸国の福祉と労働政策を組み合わせたやり方を「生活保障」と呼んで、日本でもそれを大々的に取り入れるのはいいのではないかという話でありました。
 復興、特に女性活躍支援で岩手県でもいろいろアドバイスいただいている大沢真理先生も、震災後、東日本大震災と復興への取り組みの状況を踏まえて「生活保障のガバナンス」という本を出されていましたけれども、これも神野先生、宮本先生の研究や全国知事会での議論と同じ流れの中での研究であります。
 先ほど述べましたように、幸福の中でも特に第二の要素、「満足」あるいは「生活の質」としての幸福、そこをしっかり追求していくということは、まさに「生活保障」であり、それはイコール幸福追求権の保障、ひいては人権保障という日本国憲法の原理にもかなう方向性になるというふうに思います。
 幸福追求権の保障というのは、日本国憲法第13条に「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあり、日本国憲法の基本的人権の部分の一番最初、基本的人権の原点に当たる部分に幸福追求権の保障というのが出てきます。これは、アメリカ独立宣言に出てきた言葉で、アメリカ独立宣言でも生命、自由、幸福追求の権利と、この3つがセットで出てくるのです。このアメリカ独立宣言に出てきた言葉が日本国憲法にも来ているのですけれども、まさにデモクラシーの原点であり、コモンウェルスによる自治の原点でもあります。コモンウェルスについては去年紹介しましたけれども、マサチューセッツ、ペンシルベニア、バージニアの3州が独立していくときにコモンウェルスを名乗って、そして生命、自由、幸福追求権を保障するのだというふうに宣言したわけであります。
 東日本大震災に遭い、復興に取り組む岩手県というのは、アメリカ独立のときの危機的状況と、これは時代も環境もシチュエーションも全然違うのですけれども、人と社会が究極的な危機的状況に直面したというところで共通しているのだと思いますけれども、そういう中でアメリカにおいても自治とデモクラシーの本質というものがそこで見えてきて宣言され、そして実行に移されていったように、今の岩手においても自治とデモクラシーの本質というのがこの復興の現場、そして復興に取り組む岩手の姿の中から見えてくる、そういう状況にあるのではないかと思います。
 県として復興、そしてまち・ひと・しごと創生に今取り組んでいるところですけれども、それをやりながら次の総合計画、今の10年計画の次の県の総合計画をつくっていかなければならないわけでありますけれども、そこにこの幸福の話ということが大いに参考になるのではないかと思います。
 以上で終わります。

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